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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

日本のアイデンティティ 5

日本のアイデンティティと中国 5

中国のアイデンティティ 4

司馬遷の「史記」などから辿る「夏王朝」の始祖
三皇とは
天皇 地皇 泰皇(人皇とも)、あるいは、
伏羲ふくぎ・神農しんのう・燧人すいじんともいわれています。

五帝とは
黄帝 顓頊せんぎょく 帝嚳こく 尭ぎょう 舜しゅんをさすといいます。
ほかにも数種類の説がありますが、どちらにしても、伏羲 女媧 舜 禹は、キーパーソンです。
特に尭舜時代は、治水事業が進み、帝位も平和的に継承され、孟子などによって理想的な時代とされました。
その孟子によって、「舜は諸馮に生まれ、負夏に遷り、鳴條に卒う。東夷の人なり」と書かれています。
ここに、また、「東夷」がでてきました。

「東夷」とは
「東夷」という言葉を知るための第一級の資料が、陳寿(233-297年)の「三国史 魏志 東夷伝 倭人の条」です。

「三国史」は、3世紀後半に晋朝の修史官,陳寿によって編集された 魏・呉・蜀の歴史を扱った書といわれています。
魏志(書)30巻、呉志(書)20巻、蜀志(書)15巻の三書全65巻からなり、魏の文帝の黄初元年(220年)から晋の武帝の太康元年(280年)に至る、「魏.呉.蜀」の三国鼎立時代60年間の中国の歴史を記しているといわれています。

「三国史」の魏志(書)30巻は本紀4巻と列伝26巻から成り、最後の巻が、「烏丸伝、鮮卑伝、東夷伝」で、異民族の国家を列挙しています。
「東夷伝」は九条あり、扶余、高句麗、東沃沮、挹婁わうろ、濊わい、韓(馬韓、弁韓、辰韓)等の諸部族に続いて、その列伝の最後に「倭人条」を設け、当時の倭国について記述しています。この、「三国史」魏志 東夷伝 倭人条が、いわゆる「魏志 倭人伝」なのです。

「倭人条」は、およそ二千字(正確には1983文字)で、30巻目で最も長文です。
直前の弁辰伝は73文字、烏丸伝462文字、鮮卑伝1230文字、韓伝1427文字、他の伝や条と比較して「倭人条」には相当の文字数を費やしていることになります。
日本では通称の「魏志倭人伝」として、超有名な古文献であり、日本のアイデンティティ理解には欠かせない重要資料で有ると認識されて、「邪馬台国」は何処にあったのか、一世紀以上にわたって研究され論争されていますが、真相は五里霧中の彼方です。
その理由は、「倭人の邪馬台国」とは、極東にではなく地中海方面での歴史だったうえ、ルクソールからベネチアまでの行路が正確無比に記されているにもかかわらず、これを、故意に黙殺してきたからです。
なぜか、その謎が解けた1910年、時すでに遅し、日本は欧米諸国の支配下にあったからです。

「魏志 倭人伝」の帯方郡は朝鮮半島ではない
「魏志」の、「東夷」の中には、「韓伝(馬韓、弁韓、辰韓)」1427文字がありますが、これは、現在の朝鮮半島での出来事ではなく、イタリアでのことであって、実は古代の謎「エトルリア」について語っているのだということを、わたくしが発見しました。
「45 邪馬台国と鉄」2009年6月13日のブログに記してあります。

韓国でも、自国の古代史の認識において、大きな錯誤があるのです。
須佐之男命「古事記」、素戔男尊「日本書紀」等と記されているスサノオノミコトが朝鮮半島出自だなどと、学者や民間人が唱えているのですが、こうした、事実に反する説を訂正するよう要請するために、こうした古文書が備えられていると思われます。

「帯方郡」とは

「魏志 倭人伝」の邪馬台国への、最初の地点である「帯方郡」というのは朝鮮半島でのことではなく、そもそも、今日のベネチアのことです。ベネチアというのはビーナスに因む名前です。ビーナスは「七曜」のうち金曜日に当てられている女神ですが、日本では七福神の「弁天様」です。
弁天様がフェニキアに由来することは、エジプトのピラミッドの天辺の「キャップストーン」を「ベンベン石(Benben stone)」と言うことからもわかります。

 ベンベンとは、古代エジプトのヘリオポリス創世神話において、原初の水「ヌン」から最初に顔を出した、
 そして神が最初に降り立った、原初の丘のこと。大地の基。世界の始まりの地。
 ラーはその誕生の際にベンヌ(不死鳥)の姿をとり、原初の丘「ベンベン」の上にとまったとされる。
 このような信仰は既に第1王朝の頃には存在していたようである。
 「太陽光」あるいは「原初の丘」を模した四角錐の石造記念物を「ベンベン石」(Benben stone)と呼ぶ。
 ウィキペディア ベンベン から

要するに、これが「盤古」です。聖書では、次のように、「イザヤ書」28章 「詩篇」118篇 「マタイ書」 21章 などで預言の重要なキーワードとなっています。これらの預言は、いずれも、「at last」のときのためのもので、始源αと最終Ωが、「Atlas時代」即ち、全世界的のものであることを預言しているのです。

ベンベン石の「弁」は紅、すなわち、赤色をも意味し、「紅海」もエジプトの「ピラミッド」も、太古はみなこれに属していたといえます。「フェニックス」は「不死鳥」とも「火の鳥」ともいわれていますね。ですから、南を表象する「朱雀」も「フェニックス」のことだとわかります。

さて、ギリシャ神話で有名なビーナスは、有名な「宝帯 Cestus ケストス」を所持していました。女神ヘーラは、その魔術的な「宝帯」をビーナスから借りて身にまとい、化粧をして、夫ゼウスを誘惑して、ゼウスの熟睡中に、トロイ戦争に介入したことが、ホメロスの「イリアード」第14歌に謳ってあります。

ビーナスの宝帯とヘラ
Juno, Receiving the Cestus from Venus    Wikimedia Commons
ヘーラ、ビーナスから宝帯を受け取る図 (Junoは、ギリシャ神話では、「ヘーラ Hera」)

この絵のヘーラと孔雀は、ギリシャ神話の「イヨ姫」の悲劇を想起させ、同時に、「魏志倭人伝」の帯方郡にも繋がる「メルクマール」です。

木村鷹太郎氏の「ギリシャ神話のイヨ姫」にまつわる記述から説明します。

  イヨ姫なる美人あり。
  ゼウスこれを愛し給いしも、ヘーラ女神の嫉妬を憂い、
  イヨ姫を牝牛に変えて、へーラの嫉妬を避けんとなし給えり。
  ヘーラ女神、その策略を知りて、
  百眼のアルゴスに、その牝牛を殺させんと為し給えり。
  ゼウスはその牝牛を救わんとて、
  ヘルメス神を遣わして、アルゴスを殺させ、
  その牝牛を開放させ給い、
  アルゴスの百眼を雉の羽翼に取り付けて記念の紋となし給えり。
 
  イヨ姫、ヘーラ女神からの執拗な憎しみと苦しみを免れんとして、
  イオニア海をさまよい、エジプトに着せり。
  ここに、ゼウス神、その牝牛を人間の姿にかえし、
  イヨ姫は国王の妃となりて幸福に世を送れり。
  その後裔にペルセウスおよびヘラクレスの英雄あり。

この「百目をつけた雉」すなわち、孔雀が示唆するのは、「魏志 倭人伝」の「帯方郡から韓国を経て・・・狗邪韓国に至る」です。
「狗邪韓国」の狗邪くじゃは、孔雀くじゃくから、「イヨ姫」の神話を想起させるためのキーワードです。

「狗邪韓国」とは、イタリア半島南東部、カラブリア地方のことなのです。カラブリアは「化粧」の意味で、そのギリシァ語名はクジォ Xgo つまり、狗邪(クジャ)です。 ですから、ヘーラは「宝帯=帯方」をまとって、「化粧」をして、夫ゼウスを待つのです。
「帯」が、ケレト(クレタ)であり、そのイタリア語が「ガリア」「ガラ」です。このあたりを、古地図では「Magna Graecia マグナ グラエキア」すなわち「大ギリシャ」とも書かれていますが、「ガラ(カラ)」とは「Graecia 」の省略でもあります。

この地名を後に、朝鮮半島にそっくり移植したのが何処の国民なのかが識別できるように、「「狗邪韓国くじゃかんこく」と「孔雀くじゃく」「イヨ姫」「目」「古事記」「魏志倭人伝」「聖書」等々を連携させているのです。

ベネチアへの海を「イオニアIonia」 は、ギリシャ語で双魚、即ち、「魚二匹」という意味です。
ギリシャ神話では、ビーナスとキューピッド親子が二匹の魚になって逃げたという神話になって星座の「魚座」が備えられていますが、二匹の魚は「宝帯」で繋がれています。

双魚座

いつも、「宝帯」で繋がっている「二匹の魚 ビーナスとキューピッド」
さきほど、フェニキアを意味する「ベンベン石」のことで、「隅の頭石」と聖書に言及しましたが、「二匹の魚」とは、イエスが言及された言葉です。それは、「ビーナス」の子孫で、「アイネイアス」の子孫だという意味なのです。ビーナスには「処女宮」という星座をもっていますが、イエスが「処女」から生まれたという話とあわせて、これを婉曲に語ったものと考えられます。イエスが「不死鳥」であることは説明を要しません。
ここで、聖書の話がからむのは、「魏志倭人伝」が、そのように仕向けているからです。


「木村鷹太郎の邪馬台国エジプト説」の別の要素を見ていきます。
「魏志倭人伝」邪馬台国への行程は、ギリシャ神話の「イヨ姫の彷徨」と同じルートであることを私は発見しました。
もう一度、イヨ姫にまつわるギリシャ神話のあらすじをたどってみます。

1「美人を愛し」とは美と愛の女神ヴィーナスのこと、出発点のヴェネチア、即ち、「帯方郡」
ゼウスはイナコスまたはエノクの娘イヨ姫なる美人を愛し給うも、ヘーラ女神の嫉妬を憂い、イヨ姫を牝牛に変えてしまいましたが、ヘーラ女神はその牝牛を欲しがりましたので、ゼウス神は牝牛を譲ります。

2「イオニヤ海」イオニア諸島の島々。「壱岐」「対馬」
イヨ姫は、ヘーラ女神からの執拗な憎しみと苦しみを免れようと、のちに、イオニヤ海をさまよいます。

3「アルゴス」とは船、また、ギリシャ語で、舟はヌー。「奴国」
ヘーラ女神は、この牝牛を牧場に繋いで、百眼のアルゴスに四六時中監視させます。
「牧場」は、アルゴスの中心部「アルカディア」に住んでいた人々を「アルカディアの牧人」と言います。

4「孔雀」は「狗邪韓くじゃかん国」。
「アルゴスの見張り番」にふさわしく「狗いぬ」という字が使われています。
ゼウス神は、神々の使者ヘルメスにイヨ姫の救出を頼み、ヘルメスはアルゴスを殺してイヨ姫を救出します。
ヘーラ女神は、アルゴスの記念に、その「目」を孔雀の尾の上にちりばめます。
ここで、何故、唐突に「孔雀」がでてくるのでしょう。上の絵にも孔雀が描かれていますね。
孔雀の雄の尾羽は「羽扇」のように広がります。
そして「奥義」すなわち、ヘルメスと「有翼の円盤」と「翼と目」「翼と日輪」の関係がここに織り込まれているのです。

5「尾の上」は、アハヤ(アヤ)国のオエノエに一致。オエノエOenoeはラテン語でマツロ Maturo 「末盧国」。
この神話は、アルゴスの末路を物語っている点も一致。
このあたり、アルゴス界隈の文化も衰退の一路をたどったことは、発掘からも明らかです。

6「使者」は、メッセニア(メッセンジャーの意味を持つ)。
 使者ヘルメスにも一致します。
7「伊都国」ゼウスの聖イトミ山のエリアにあります。
「帯方郡使(使者)が来るときは必ずここに滞在する。」という記事にも一致しています。
メッセニア界隈での1939年の発掘調査の間、約1,000個の線文字B タブレットが発見されましたが、全体の体系的な発掘調査は第二次世界大戦後の1952年に再開しました。
線文字Bの粘土のタブレットが解読されて、宮殿が Messeniaの行政、政治、財政上よび外交上の中心であったことが確認されました。そこはミノアとミケーネの文化が混在していた時代のことです。

古代アテネの歴史家トゥキディデス( 紀元前460年頃~紀元前395年)
  クレタのミーノス王は、艦隊を所有した最初の人であった。・・・
  活発な交易がエジプトおよびキクラデス諸島との間に行われていた。・・・
  ドーリス人の移住の後、ミュケナィとティリンスは衰亡し、
  芸術も線文字も衰亡の運命を辿って、

  陶器のみがわずかに生きながらえ得た。
  そして、クレタにおいても、似たような結果であった。・・・

そんな時代のこのエリアのことが、「魏志 倭人伝」に見事に描かれていることを、ギリシャの考古学界とシンシナティ大学の発掘チームに教えてあげたいものです。彼らは、最近、このあたりは、ヨーロッパ文明の原点であると唱えていますから。

8「投馬国」 半牛半人のミノタウロスの島クレタ島 
イヨ姫を牝牛に変え 牛から人間の姿に変え  クレタ島を良く見ると、「ギリシャ側が角牛」東半分が「女」です。
タウマ Thauma族は海神、タウマは驚異的玉を意味していて、豊玉姫や玉依姫はこのタウマ海神の娘たちです。
タウマ海神はポセイドンの別名で、ポセイドンの名は、「見ること」および「目」を意味しており、目をギリシャ語Ommaオンマといい、これが日本語の「御目」「馬」であると木村鷹太郎氏。

9「邪馬台国」エジプト
イヨ姫はエジプトの地で、国王の妃となって、エバポスを生み、幸福にすごしました。

これを、「魏志 倭人伝」の章句と照合してください。
「魏志」倭人伝 訳文から

1 倭人は帯方東南大海の中に在り、山島によりて國邑をなす。もと百余國。
  漢の時に朝見する者あり。今使訳通ずる所三十ヵ国。

2 郡より倭に至るには、海岸にしたがいて水行し、
  韓國をへて、しばらく南し、たちまち東し、
  その北岸の狗邪韓國に到る。七千余里。

3 始めて一つの海を渡ること、千余里で、對島国に至る。
  其の大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。
  居所は絶島で、方四百余里可り。
  土地は山険しく深林多く、道路は禽や鹿の径の如し。千余戸有り。
  良田は無く、海の物を食べて自活し、船に乗りて南北に市糴す。

4 又、南へ一つの海を渡ること千余里。名づけて瀚海と曰う。 一大国に至る。
  官は亦卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里可り。
  竹木叢林多く、三千許りの家有り。
  いささか田地有り、田を耕せども猶食うに足らず、
  亦南北に市糴す。

5 又、一つの海を渡ること、千余里にして末盧国に至る。四千余戸有り。
  山海の水ぎわに居る。草木が茂盛し、行くに前が見えず。
  人々好んで魚や鰒を捕らえ、水の深い浅い無く、皆沈没して之を取る。

6 東南へ陸行すること五百里にして、伊都国に到る。
  官は爾支と曰う。副は泄謨觚・柄渠觚と曰う。千余戸有り、
  世々王有るも、皆女王国が統属す。
  郡使が往来するとき常に駐まる所なり。

7 東南へ奴国に至る、百里。官は兕馬觚、副は卑奴母離と曰う。二万余戸有る。

8 東へ行くと不弥国に至る、百里。官は多模、副は卑奴母離と曰う。千余家有る。

9 南へ投馬国に至る、水行二十日。官は弥弥、副は弥弥那利と曰う。
  五万余戸ばかり。

10南へ邪馬壹国に至る。女王の都する所、水行十日、陸行一月。
  官は伊支馬有り、次は弥馬升、次は弥馬獲支、 次は奴佳鞮と曰う。
  七万余戸ばかり。

イヨ姫にまつわる神話は、このように、ことごとく、「魏志 倭人伝」の木村鷹太郎氏の「邪馬台国エジプト説」を証明するために備えられているかのようにみえます。

そして、イヨ姫にまつわる神話はまだあります。
エジプトで生まれたイヨ姫の子エバポスは、ヘーラーの命によって、クーレースたち(クレタ人)によって隠されてしまいます。しかし、イヨはエバポスがビュブロス王のもとで養育されていることを知り、子どもを求めてシリア中を彷徨さまよい、遂にめぐり会いました。
そして、イヨが渡った海峡を、ギリシア語 Βόσπορος 、俗に 「牝牛の渡し」といいます。
それは今のトルコのボスボラス海峡、アジアとヨーロッパを隔てている海峡のことで、こちらも、海上交易の要衝の地です。

また、イヨ姫が「牛」となって彷徨さまようのは、トロイア=トロアス=タウロス、すなわち、さまよえるトロイアの運命そのものです。つまり、ここには、トロイア滅亡後、トロイアの王子アイネィアスが彷徨ほうこうしたあげく、イタリア建国を成したという歴史を重ねて伝えようとしているのです。アイネィアスの母親がヴィーナスと言われていることはよく知られています。
この「双魚」がビーナスとキューピッドであると申しましたが、それは、イーリス(玉依姫)とヘルメス(ウガヤフキアエズ=アトラス)なのです。
このコンビは、エジプトではイシスとホルスであるといわれています。それを解明する手がかりとなっているのが、「ファイストス円盤」です。
イヨ姫が魚になったり牛になったりするのは、一代限りのことではないことが、こうした、神話が証しています。
なぜなら、イヨ姫が牛になったことは「ナルメル王」のパレットの最上部に記されています。

ナルメル王のパレット最上部

ナルメル王のパレット 最上部 
双牛の間に 禹にしてメネス(ミノス)王の印であり、その父祖 鯀コン(大魚)の印、「ナマズと鑿のみ」が記されてありますね。

ですから、「双魚」の彷徨は、「双牛」の彷徨でもあるのです。
シュメール トロイア エジプト ギリシャ エトルリア アトランティス 聖書の民 どれもこれも、行方不明です。そのすべてが、この「ビーナスが「双魚」や「双牛」となってさまよったという神話で解けます。


木村鷹太郎氏は、また、次のように説いています。
イヨ姫の後裔のペルセウス及びヘラクレスの話は須佐之男命の話であり、須佐之男命の記事の「安芸」は埃及Aegyptusの語幹Aegis 安芸である。
須佐之男命スサノオノミコトを、「牛頭ゴヅ天皇」といいます。モーセも「牛頭」で表わされました。
「古事記」「日本書紀」の「埃ノ宮」「可愛ノ宮」はエジプトのことにして、美と愛の女神アフロディテーは、別名、可愛姫えひめである。
「古事記」の「イヨ ニ名フタナ」とは、「イオニア」と同じく、ギリシャ語で「魚二匹」「双魚」という意味である。ギリシャ神話の「イオ姫」の足跡を記念した名前であり、「イヨ姫」は「卑弥呼」の後継者「壹與」のこと、愛媛の「イヨ」に、その名を残したのであると説いています。

「古事記」と「日本書紀」の神話は、「イヨの二名島」誕生の前に「淡路島」「淡島」誕生の記事を置いていますが、「アワ」と「誕生」で、「海の泡から誕生したヴィーナス」を示唆していると考えられるのです。「古事記」に記されている「イヨのフタナ」は、「二匹の魚」「双魚」の意であり、イオニヤ Ionia もまた「魚二匹」という意味で、この「魚二匹」とは、ヴィーナスとキューピットの星座神話に語られており、この「二匹の魚」は、その後、暴虐を逃れて東方へ逃げたと伝えられています。
そして、天に揚げられて「うお座」となりましたが、星座においてこの二匹の魚は「帯」でつながっているのです。


「二匹の魚」の国の彷徨さきの一つが「中国」

次の「伏義と女媧」の絵柄のように、古い「伏義と女媧」が魚であることが多いことから、魚が蛇になり、巨大化したこともわかります。「双魚」は、シュメールでは、オアンネスの象徴でした。

伏義・女

この「双魚」は、時代が進むにつれて蛇になるのですが、ファイストス円盤では、伏義と女媧の「双蛇」の途中までしかありません。
「三巻半」で途切れて、そこで表裏が繋がっていて、「両面で七巻」になっています。
この謎は、私が「ファイストス円盤を眺めていた時に、平安朝の女性歌人清少納言の随筆「枕草子」中に、「同じ太さと長さの二つの丸太のどちらが男でどちらが女か」という謎を思い出したことからわかったのです。

これで、中国で「夏王朝」を語る上で欠かすことのできない「伏義と女媧」の解明にも、「魏志倭人伝」やクレタ島出土の「ファイストス円盤」や「聖書」「ギリシャ神話」「古事記・日本書紀」等を無視することが出来ないことが解っていただけたでしょうか。

中国の兵策儒剑の劉光保様、どうか、陳寿の「三国史.魏志.東夷伝.倭人の条」を読んで、「帯方郡」から「邪馬台国」までの行程が「ベネチア」から「ペロポネソス半島」「クレタ島」を経由して「ルクソール」までの行程とぴたりと一致することを「検証」してください。
これを、確かめますと、次に、その中心に位置するミノス王の「クレタ島のファイストス円盤」に、エジプトで人民を救済したヨセフやその息子たち、そして、モーセまでもが刻まれてあり、そのファイストス円盤のA面が女媧、B面が伏義であることがわかるようになります。

フ円盤A面図




追記 預言カテゴリー
ベンベン石と二匹の魚から辿る預言
イザヤ書28章
14 それゆえ、あざける者たち・・エルサレムにいてこの民(日本)を物笑いの種にする者たちよ。主のことばを聞け。


ここまでに、エフライム(ヨセフの子孫)に対して「恵穂葉神」が語られていました。が、エルサレム問題を下敷きにして話しておられました。酔いどれのエフライムの姿(今日の日本)を描いています。

15 あなたがたは、こう言ったている。「私たちは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。たとい、にわか水があふれ、越えて来ても、それは私たちには届かない。私たちは、まやかしを避け所とし、偽りに身を隠してきたのだから。」

16 だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据えた。これは、試みを経た石、堅く据えられた尊い隅のかしら石である。これを信じる者は、あわてることがない。

17 わたしは公正を、測りなわとし、正義を、おもりとする。雹は、まやかしの避け所を一掃し、水は隠れ家を押し流す。
18 あなたがたの死との契約は解消され、よみとの同盟は成り立たない。にわか水があふれ、越えて来ると、あなたがたはそれに踏みにじられる。

19 それが過ぎるごとに、あなたがたを捕える。それは朝な夕な過ぎ、昼も夜も過ぎるからだ。このおとずれを聞きわきまえることは、全くの恐れ畏むことである。
20 床が短くて身を伸べることができず、かける夜具が狭くて 身をおおうには狭すぎるようになる。

これはエジプトのことで、エジプトだけでは、安心感を与えるには不足しているというと同時に、オシリスを想起させるように書かれており、次に、エルサレムを始めに建てた王ダビデ、イスラエルが統一した時のことを想い起させています。

21 実に、主はペラツィムの山でのように起き上がり、・・・・そのみわざは異なっている。また、その働きをされる。その働きは比類がない。


詩篇118篇
19 義の門よ。私のために開け。私はそこからはいり、主に感謝しよう。
20 これこそ主の門。正しい者たちはこれよりはいる。
21 私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。
22 家を建てる者たちの捨てた石、それが隅の頭石になった。
23 これは主のなさったことで、私たちの目には不思議に見える。
24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。



マタイ書 21章;
42イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家を建てる者たちの捨てた石が隅のかしら石になった。
これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』
43「だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。」


これは、「タビデの子にホサナ。」が載っている詩編118篇からの引用です。
家(国)を建てる者たちは、隅のかしら石であるキリストを見捨てました。
キリストは、イスラ工ルlことってラストチャンスでした。イスラ工ルが神に立ち返って、神に従う最後の機会でした。
イエスがエルサレムに来られたとき、群衆は、「タビデの子にホサナ。」と叫び、詩編118篇に、「この日は主が造られた。」と預言されていることを口々に叫んだのですが、ローマ皇帝、ヘロデ一家、そして、宗教家たちと長老たちによって最後のチャンスは失わされててしまったのです。
これは、今の日本への警告の預言です。
そして、「隅の頭石」は「角の頭石」とも書くことが出来て、エジプトのアメンエムハトのⅡ世の「ベンベン石」も、「盤古」として、わが国のアイデンティティを物語りますが、日本の政治家や学者は検証しようとすらしません。
そして、エジプトの更なる太古のナルメル王のパレットに「地震を押さえる要石」を描き、4000年以上も後の子孫が、1万数千kmもの彼方の神社で、「地震を押さえる要石」を備えていることこれも「盤古」すなわち、「アルファでありオメガである国」の記念物です。
「ファイストス円盤」も「盤古」です。

ゼカリヤ書
10:4 この群れからかしら石が、この群れから鉄のくいが、この群れからいくさ弓が、この群れからすべての指揮者が、ともどもに出て来る。


イザヤ書22章
22 わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない

(ここの箇所は黙示録3章7で引用されています。)
23 わたしは、彼を一つの釘として、確かな場所に打ち込む。彼はその父の家にとって栄光の座となる。
24 彼の上に、父の家のすべての栄光がかけられる。子も孫も、すべての小さい器も、鉢の類からすべてのつぼの類に至るまで。


こうして、「隅の頭石」は、「要石」であり「杭」であり「釘」でもあり、それは結局、「救い主」でもあることが預言されているのです。
「石」だけでなく「陶器類」も含められていることに注意を払ってください。
上記の聖書の預言を、よく読み返してみて下さい。



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日本のアイデンティティ 4

日本のアイデンティティと中国

blog _兵策儒剑_新浪博客から 1

古埃及蝎子王是黄帝的证据与证明  2018-09-23
古代エジプトのスコルピオン(さそり)王、これが黄帝であるという証拠と証明

 Scorpion Macehead

刘光保氏は、この、「スコルピオン(サソリ)王のメイス・ヘッド」に描かれている「ロゼッテイとサソリ」の印が「帝と黄」で、すなわち、「黄帝」を表しているというのです。

 皇帝



再度确证那尔迈就是鲧   2015-10-16
刘光保氏は、ナルメル王のパレットの印、「鯰なまずと凿(鑿のみ)は禹であるとし、さらに、これはメネス(ミノス)王であると解いています。

 Narmer Palette

禹


さらに、禹=メネス(ミノス)の父親が鯀コン(大魚)であると言っています。

鯀

上の文字解読の図は、兵策儒剑 新浪博客の刘光保氏のblogからの引用です。

上の写真の「スコルピオン(サソリ)王のメイスヘッド」も「ナルメル王のパレット」も、ともにエジプトのヒエラコンポリスのホルス神殿から出土した有名な遺物です。
エジプト文明 最初の王朝の最初のファラオ、それも、上下エジプトを統一したファラオを証明する重要な遺物です。

エジプトの初期王朝時代の王統の記録は、複数存在します。
現在私たちが知っているのは、「トリノ王名表」、「アビドス王名表」、そして「サッカラ王名表」です。これらは、いずれも古代エジプト初代の王としてメニという人物の名前が挙げています。しかし、後世、メニ、ミン、メナス、メネスといわれていた人物が同一人物なのかどうかさえ決定することが出来ないでいました。

このほかに、有名なマネトーの『エジプト史』があります。
マネトーは、(プルタルコスによれば)エジプトのプトレマイオス1世(前367-283)の神官顧問で、ギリシア生まれのエジプト人だということです。そのマネトーの『エジプト史』によれば、上下エジプト統一を果たした王、つまり第一王朝の初代王はティニス出身のメネスで、第一王朝はメネスを含めた8人の王から成ると言っているのです。

20世紀初頭、このティニス(現在のギルガ近傍)に近接しているアビュドス遺跡が、イギリスの考古学者ピートリーによって発掘調査された結果、同遺跡のウム・アル=カーブ(ウム・エル・カアブ)において第一王朝の王墓群が確認されたのでした。
盗掘の被害にも拘らず、貴重な手掛かりとなる発掘物を得ることができましたし、多くの王墓の近くには石碑が建てられていて、そこに王の名前が「ホルス名」の枠の中に記されていたのでした。
しかし、後代に作成された王名表は、「誕生名」などでしたから、初代ファラオ メネスが、ナルメルなのかアハなのか決定できないでいました。
20世紀末になって、ギュンター・ドライヤーを含むドイツの調査隊が、ウム・アル=カーブを再調査した時に、デン王の印影とカア王の印影を発見しました。

デン王の印影には5人の、カア王の印影には8人の第一王朝の王名が、統治順に記されていたのです!!
この最初の王がナルメルであることから、ナルメルが第一王朝の初代王であることが確認され、残りの7王の実在や順序も確定したのでした。
このような、エジプト初代ファラオ名が、「黄帝」や「禹」であるというのですから、これは驚嘆すべきビッグニュースのはずですね。
でも、この「ナルメル=メネス」が、実はクレタ島の伝説の王ミノスであるとは、刘光保氏は発表されていないようです。
しかし、事実は、マネトーの『エジプト史』のエジプト初代ファラオ「メネス」はクレタの王ミノス一族なのです。
それは、ファイストス円盤で証明できることです。


蛭子=夷(えびす)様

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その名が「魚と糸」とくれば、これは「夷様」のことですね。

「古事記」「日本書紀」神代の巻に、伊邪那岐命と伊邪那美命の国産み記事に記されています。

  しかれども、久美度邇おこして生みし子は水蛭子ひるこ
  この子は葦船に入れて流し去てき。「古事記」上巻

  まず、蛭児ひるこを生む。すなわち、葦船に載せて流しき。
  「日本書紀」巻第一 四段 一書一
 
  淡路洲を生む。次に蛭児ひるこ。「日本書紀」巻第一 四段  一書十

この「蛭子 蛭児」につて、ヒルコとエビスを混同して「夷 恵比寿」信仰に繋がったのではと、ウィキメディアにも書かれていますが、
「記紀」では、「蛭子」を「ひるこ」としながらも「えびす」と訓じ、夷 戎とも付記していたのです。
「蛭子」の「えび」は、シルエットの類似する蝎さそり
をも連想させるメルクマールだったようです。


「記紀」の、この蛭児ひるこを流す「葦船」というのが意表を突く言葉で、いわくありげです。
モーセが赤子の時に、小さな葦船に載せて流されたことが想起させられます。
やがて、モーセが成長して、「エジプト王朝」から脱出するときまでのことを含めて「謎解き」を迫っているように思えます。
「戎えびす」も、モーセの「十戒」の戒を連想させる文字ですね。
「出雲大社」の5トンもある注連縄などは、エジプトの「葦船」製作を偲ばせるものではないでしょうか。

この「蛭子 ヒルコ」とは、エジプトの「ヒルコン ヒエラコンポリス」等を偲ばせるものとして使われたものでしょう。
あの「エビに似たサソリ」の図柄のあるメイスヘッドやパレットは、アビドスの「ヒルコン」即ち「ヒエラコンポリス」から出土したのです!!


夷様は、民間では大黒様と一対にして信仰されている場合が多いのですが、それは、奈良の「大神神社=三輪神社」においても、大物主神=倭大物主櫛甕玉命の配神として、大己貴神おなむちのかみと一対の少彦名神すくなひこなのかみとして祀られています。
この「少彦名神」は、少名毘古神 少彦名 少日子根 須久那美迦微などとも表記されます。

「古事記」「日本書紀」で「少彦名神」は、「国造りに欠かせない神」として描かれています。

  少彦名神は、大国主の国造りに際し、天の羅摩かがみの船に乗って、
  鵝ひむしの皮を内剥うつはぎに剥ぎ、衣服となして、波の穂より帰り来る神・・・
  「古事記」上巻 神代巻

前記の木村鷹太郎氏は、「日本太古史」下巻 明治45年4月発行 264ページ~において、「古事記」によると、少名彦名神は、
「鵝ひむしの皮を内剥に・・・」の「鵝ひむし
なるものは、「イビス Ibis」にして「Theoth(Thoth)」と解いています。
それは、まさしく、「兵策儒剑 新浪博客の刘光保氏のblog」のシンボル画像そのものでもあります。すると、それは、ヘルメスであり、ホルスであるわけですから、エジプトの太古のヘルメス文書によるとそれは、「アスクレピオス」でもあるわけです。


  少彦名神は、淡嶋に至りて粟茎に縁り、弾かれ渡りて常世とこよ郷に至りき。
  「日本書紀」巻第一 八段 一書 六

  少日子命、粟を蒔きたまいしに、莠實みのりて離々ほたりき。
  即ち、粟に載りて、常世の国に弾かれ渡りましき。
  伯耆国「風土記」逸文  釋日本紀 巻七

上記の記事中には「淡島」「粟」「常世」と言う語が繰り返されていますね。
「常世」とは、「エジプト、すなわち、弓矢の国」と言う意味であると木村鷹太郎氏。それは、エジプトのファラオのサンダルなどの図柄が証明していて、「東夷の国」のことです。また、「弓矢」は、キューピットの持ち物で、これが少名彦名であり、泡アフロから生まれたその母ビーナスのことが暗示されています。
アフロとはアフリカ大陸をも意味しているのです。
こうして、ビーナスとキューピッド親子はイシスとホルスにして、わが国の玉依姫とウガヤフカエズ親子であることは、わたくしのブログ、「三輪の神の正体」に書いてあります。

こうして、辿って行くと、蛭子ヒルコが「夷」であることがわかり、それはポセイドーンであり、「ウガヤフキアエズ=アトラス」にして「モーセ」まで繋がる可能性があることが分かります。

「夷えびす」は、また、「Ibis」なる知恵の神、すなわち、鴇で表象される「Thoth」神である所以です。


ナマズを押さえるノミ」は、「地震を鎮める要石」の伝説を想起します。
千葉県の「香取神社」や茨城県の「鹿島神社」には要石が存在します。
この二つの神社の二つの要石は、日本の国土を鎮める、つまり、要になる石として信仰されたのでした。
「あづま路は 香取鹿島の二柱ふたはしら うこきなき世を なお護るらし」という
伊能穎則の和歌が香取の要石の側に掲げられています。この歌をみれば、此の要石が、単なる「地震を押さえる」まじないの石ではなく、「国を鎮護する」象徴物であることがわかるでしょう。

鹿島神宮の要石

香取神宮のご祭神、経津主神ふつぬしのかみは、鹿島神宮のご祭神、武甕槌神たけみかづちと共に、大国主神おおくにぬしかみと交渉し、出雲の国譲りで大業を成し遂げたことが「記紀」に記されています。

この神々は、一体、何処で活躍していたのか、そして、何者なのかを考察してみましょう。
 爾思金神及諸神白之 
 坐天安河河上之天石屋 名伊都之尾羽張神 是可遣【伊都二字以音】 
 若亦非此神者 其神之子 建御雷之男神 此應遣 
 且其天尾羽張神者 逆塞上天安河之水而 塞道居故 他神不得行 ・・・・ 
 「古事記」の上巻神代巻

 爾くして 思金の神及び諸神の白いわく、
 「天の安河の河上の天の石屋いわやに坐す、名は伊都之尾羽張いつのおはばり神、
 是れ遣すべし 【伊都の二字は音を以ちてす】。 
 若しまた此の神に非ずば、
 其の神の子、建御雷たけみかづち之男神、此遣すべし。 
 且また、其の天尾羽張あめのおはばり神は、逆しまに天の安河の水を塞せき上げて、
 道を塞ふさぎて居るが故に、他神は行くことを得じ。

上の記事から、場所は、「天の安河の天の石屋いわや」、すなわち、天漢あまのがわです。
これは、「天の安の河原や天の川はエリダノス」であり、ナイル川であることが、100年前に、木村鷹太郎氏によって考証されています。わたくしのブログの「オリオン・ミステリーと天の川」2008 6 19 の記事に説明してあります。

国譲りの時に活躍した「武甕槌神=建御雷之男神」の父祖神は、「伊都之尾羽張いつのおはばりであるといいます。これは、オシリス=オリオンのことで、「天の石屋」とは、ピラミッドなどの石の巨大建造物のことです。
ついでながら、わが国のご神宝は、この「天の安の河原」にて作成されたもので、これについては、後に、別項目で解説しますが、このことも、「ファイストス円盤が証明しているのです。

こうして、夷様は、オシリスでありオリオンであり、ポセイドーンであるということがわかります。

ウィキペディアから要約しますと、
ポセイドーン(古希: ΠΟΣΕΙΔΩΝ, Ποσειδῶν, Poseidōn)は、ギリシア神話の海と地震を司る神です。オリュンポス十二神の一柱で、最高神ゼウスに次ぐ圧倒的な強さを誇り、海洋の全てを支配し、全大陸すらポセイドーンの力によって支えられているとされています。怒り狂うと、強大な地震を引き起こして世界そのものを激しく揺さぶるとされ、しばしば傲慢な人間たちを罰したといいます。

プラトーンは対話編『クリティアス』の中で、ポセイドーンは伝説の大陸アトランティスを割り当ての地として引き受け、その中心に人間の女たちに生ませた子を住まわせたとしています。アトランティス大陸はリビアとアジアを合わせたよりも巨大であり、地下資源に富んでいたとも。
しかし、アトランティス原住民と交わり続けたことでアトランティス市民の神性が薄まっていき、堕落の果てに神々を敬わなくなってしまったので、これに憤慨したゼウスはオリュンポス山に神々を召集すると、アトランティス大陸を沈めることを決定しました。・・・・
ゼウスは大雨を降らせ、また、ポセイドーンが三叉の矛でかきまわして、アトランティスは消滅したと書かれています。

一方、トロイア戦争に際しては、アカイア勢を常に鼓舞し、ゼウスの承認を得て介入し、三叉の矛で全世界を揺さぶって威圧して地震をおこしたと書かれています。
このアカイアは、日本では、「赤い矢に化けて・・・」として「古事記」神武記に記されています。
このトロイア戦争に関して以下に考察してみます。



古華族の主要部分は「東夷族」である
刘光保氏は、2015-10-04「古华族来源」の記事で、上記のように記しておられます。
「東夷」といえば、見逃せないのが「三国志」魏書 東夷伝 倭人条です。
西晋の陳寿(233年 - 297年)の史書です。


魏志30巻 207、000文字
呉志20巻 103、000文字
蜀志15巻 57、000文字の
三書全65巻 367、000文字から成ります。
刘光保氏の前記の書籍の48万字よりは、10万字以上少ないです。
 
魏志(書) 東夷伝 倭人条は、367,000文字の中の、たったの1983文字の部分ではありますが、詳細に邪馬台国のことを書いています。そこの「特異な政治体制」が描かれ、「魏の王と邪馬台国の女王の邂逅と贈り物の交換」、また「倭人は鉄の鏃を使う」などという貴重な記述があります。
「三国志」倭人条はほかの記事よりも、「謎めいている」書き方です。

結局、この「三国志」魏書 東夷伝 倭人条の冒頭の記事は、ギリシャの詩人ホメロスHomeros(紀元前8世紀末)の「オデュッセイア」と「イリアード」のクレタ島の描写であることを私が発見しました。
ということは、この通称「魏志倭人伝」は、トロイ戦争のいきさつを「教えようとしている」のだと、私は考えました。

 葡萄色なす海原のただなかに
 まわりを海に洗われたクレタと呼ぶ地がある
 そこには数知れぬ多くの人々が住み
 九十の市があり
 異なる言葉を話す人々が入りまじっている


「三国志」の倭人条の、「使訳の通ずる所三十国」のほうが、ホメロスの「異なる言葉を話す人々が入りまじっている」よりもあか抜けており、古代の商都を活写しています。

「三国志」の倭人条の「邪馬台国」を辿る行程とはエジプトのルクソールからクレタ島を経由してイタリアのベネチアまでのことを教えていたのです。
この行程の解明は、一世紀も昔に、木村鷹太郎氏が読売新聞に発表したものです。学会 政界 マスコミ界 うち揃って「拒否」し、無視」して、今日に至っている説です。

今は、グーグルで、地図で検索して、簡単に検証できますので、是非お試し下さい。
倭人伝 邪馬台国への行程
邪馬台国エジプトへの行程

また、伊都国はギリシャペロポネソス半島の聖なるイトミ山の領域なのですが、その西南の麓に、古代の外交都市メッセニアやピュロスがあり、そこから大量の線文字文書や皿やカップが発掘されたことでも、倭人伝の記事の類まれなる正確さが証明されます。
発掘文書には、「合計16の行政区を持ち、中央や地方に役人を配置し、役人たちは、中央への貢納や地方の職人たちへの現物支給の管理等を担当していて、その長たちを「ワナカ王が統括した」ことが記録されているそうです。

「魏志」倭人の条には
 女王国より北には、特に一大率を置いて、
 諸国を監視させている。
 諸国は、これを畏れはばかっている。
 一大率は伊都国にいるが、国中に監視員を派遣して、
 いろいろ報告させている。
 王の使いが魏の京都、帯方郡、諸韓国から」帰還した時、
 また、郡の使節が倭国へ使いする時は、
 津で文書や贈り物などを伝送して、
 女王のもとに至らしめるが、不足や間違いがない。

 
メッセニアとは、この女王、すなわち「女主人」という意味なのです。
「魏志」倭人条の、ここでの最高位の「爾支」とは、卑弥呼の名代の「ニケ(女神の名と同じ)」、補佐官の「泄謨觚・柄渠觚」とは、「ワナカ」と発掘文書から欧米の学者たちは解していますが、それが正確かどうかはわかりません。
ここでの「帯方郡」は「ベネチア」、「諸韓国」とは「カラブリア」すなわちイタリア国内の地方のことです。

「三国志」のかの有名な「赤壁の戦い」も、トロイアかテーベの戦いだったなのでは・・と、思っています。  
『レッドクリフ』Red Cliff(中国の映画)は『トロイ』Troy(アメリカ映画)と、いやに似ていますね。
だいたい、地形的に見ても、「赤壁」のような場所に大船団と大軍団を差し向けて戦うはずがありません。映画『レッドクリフ』Red CliffではCGですから誤魔化せますけれど。
そして『トロイ』Troyの映画のほうも間違っています。

わたくしは「赤壁賦」で有名な蘇東坡=蘇軾の詩『赤壁懐古』(念奴嬌)の刻まれている陶器の筆筒を持っていますが、丁度100文字で詠われている『赤壁懐古』の主役は周瑜と妻の小喬です。

『赤壁懐古』  蘇軾
 大江 東に去り 
 浪は淘い尽す 千古の風流人物
 故塁の西辺 人は道う 是れ 三国周郎の赤壁なりと
 乱るる石は 雲を崩し 驚く濤は 岸を裂き
 千堆の雪を捲き起こす 江山 画けるが如し
 一時 多少の豪傑ぞ。

 遙かに想う公瑾の当年 小喬初めて嫁し了り
 雄姿 英発なりしを  
 羽扇綸巾うせんかんきん談笑の間に
 強虜は灰と飛び 煙と滅す


周郎も公瑾も周瑜のことです。公瑾=周瑜とは誰のことだと思いますか?
羽扇を持つ侍者を従えた「ツタンカーメンとその妻」ではないでしょうか?
他には、そんな画を提示できる人物たちはいません。

「三国志」の「赤壁の戦い」とは、実際は「トロイ戦争」であり、その発端は、ツタンカーメンやその父母の「親近結婚」の泥沼にあったことが「暗喩」で示されているのです。

大江 千古の風流人物  画 一時 多少の豪傑 雄姿 英発 羽扇綸巾

ツタンカーメン夫妻
公瑾 小喬


ツタンカーメン 風流羽扇綸巾
羽扇 綸巾 大弓、すなわち、夷

蘇東坡の「赤壁賦懐古」は、この光景を詠んだものだとは思いませんか?
兵策儒剑 の刘光保氏なら、ツタンカーメンが「周郎」「周瑜」であることに同意される筈です。
そして、諸葛孔明とは、オデッセウスではないでしょうか。
そして、この「羽扇」こそが「奥義」を秘めたシンボルなのです。上の絵には、東夷の秘密がちりばめてあります。

ナルメルとツタンカーメンの羽扇

赤壁を中国では、Chibiと云いますがテーベ テーバイのことだったのでは?
司馬遷も、テーベ(シバ=テーベの南にある王国)から遷都したという意味ではないかしら?
しかも、トロイ戦争とは、この「ツタンカーメン」の父、さらに本人が引き起こしたものだったということを私が解明して既にブログで公開しています。
「魏志 倭人伝」の冒頭がホメロスの「イリアード」や「オデュッセイア」からの「クレタ島描写」だということも私が発見したものです。
このようなことを申し上げるのは、「古代エジプト」の複雑さと奥深さを知っていただきたいからです。
短絡的に解釈してしまうと、古の「賢人たち」の知恵が伝わらなくなる恐れがあります。私は、来年80歳、自分で「奥義」を解けるとは思っておりません。後代の人々に、この課題を託すにあたって、「誤導」したくないと思っているだけです。
主義や主張からではなく、預言者や賢者が後世に解ってもらいたいと考えた「真実」のみを追求することが重要だと思っています。


日本のアイデンティティ 3


日本のアイデンティティと中国 3

中国のアイデンティティ 2

发现夏朝 从文字演变和文献记载实证华夏文明起源 刘光保
発現夏朝 從文字演変和文献記載実証華夏文明起源 劉光保

中国の刘(劉)光保氏は、biog兵策儒剑的博客 において上記の御著書の内容を公表しておられます。
2011年2月6日から今日までに692回記入されていますが、中には雑談も含まれています。
その中から、今回も、兵策儒剑のblog主 刘光保氏の著書「発現夏朝 從文字演変和文献記載実証華夏文明起源」とブログに関する「声明」を取り上げておきます。
なお、上記の書籍の発行所は、「国务(務)院下属中国发(発)展出版社」に属していると書かれていますから、上記の書籍は、中国国家の「兵策儒剣」、すなわち、国家戦略であると明言していることになりますね。
それでは、兵策儒剑こと刘光保氏の「声明」を、わたくしの下手な訳を付して掲載してみます。

地球文明华夏单一起源和埃夏一体论的实质
「地球文明 中華夏(古代王朝)単一起源」と「古代エジプト夏(古代王朝)一体論」の実質

通过发现古埃及就是夏朝,不再拘泥于夏朝位于何地,
古代エジプトが夏王朝であることを発見した、もはや「夏朝」とはどこの地域かと拘泥することはない。

以考古证据实证夏朝历史,已实现汉字与5000年前的象形原型对话,实证华夏文明5000年历史从未中断,进而上溯虞朝(苏美尔)到7000年中华文明史。
考古学的証拠を以って夏王朝の歴史を実証明した、漢字は5000年前の(エジプトの)象形文字と対話できる、中国 夏文明の5000年の歴史は決して中断されてはいない、中華文明の歴史は7000年前 シュメールSumer 時代までさかのぼれます。

苏美尔-古埃及-古印度-夏商周的文明与人种实为一体,后3000年华夏文明史中心是在中国地区,并且实现文明与民族的融合,形成文化统一的汉民族,继承并继续发展华夏文明。
シュメール - 古代エジプト - 古代インド - 夏商周Xia Shang Zhouの文明に与した民族は1つであり、3000年後には中華夏文明史の中心が中国に存在し、かつ、文明と民族の融合が実現して、文化統一的漢民族が形成され、継承されて、かつ、華夏文明を発展させ続けています。

埃夏一体论与企图割裂华夏-汉历史,论证“中国一直落后、一无所有”的所谓“文明西来论”有着本质的区别。
埃夏一体论の本質と華夏‐漢の歴史を切り離し、「中国は常に落伍していて何もしていない」という、いわゆる「文明の西洋化」とは本質的な違いがあることを(この研究結果が)示しています。

由于蒙满入侵殖民而导致近代中国的落后是暂时的,不能因此而否定中华文明。埃夏一体论也是能使中国融入世界并能被世界接纳的理论基础,对汉字和华夏文明的研究也将能获得世界的支持。
中华文明的复兴是历史的必然,也是世界最终回归大同的需要。

蒙满の侵略的な植民地化による「近代の中国の後進性」は一時的なものであり、そして、決してこの中華文明を否定することはできない。
「古エジプトと夏王朝一体の理論」は、また、中国を世界に融合し、世界に受け入れられるための理論的基礎でもあります、漢字と中国華夏文明の研究も世界の支持を得るでしょう。
中華文明的な復興は歴史的な必然であり、世界が最終的に大同に回帰する必然を意味するものです。

以上のような、「スローガン」です。


刘(劉)光保氏が、古代エジプトのヒエログリフや図像や遺跡と漢字の成り立ちや変遷等を詳しく照合して、「古代エジプトと」「夏王朝」とのつながりの端緒を発見したことは「偉大なこと」です。
しかし、これだけで、もう「地球文明华夏单一起源和埃夏一体论的实质」!!と唱えている事は問題です。
ここのところを、はっきり、認識しておかないと、これから、わたくしが、この「中国のアイデンティティ」問題に「日本のアイデンティティ」問題を絡めて開示していくことの意味がわからなくなるからです。

わたくしの、前回の記事で、刘(劉)光保氏が「夏王朝の祖」といわれる「㝢」が、ミノスであることを発表されたことについて少し述べました。
このミノス王とは一代限りの人物ではなく、ポセイドーン時代ともいえる一時代を築いた一族であり、クレタ島やサントリーニ島を根城にして、以来、発展に発展を重ね、ギリシャ、エジプト等を支配して、さらに、フェニキアを創設したのもアトランティス支配をしたのもこのポセイドーンの子孫であることは、プラトンの「クリティアス」「テマイオス」のアトランティス記事中に、詳細に、具体的に書かれてあります。ですから、それらの歴史解明を無視したまま、「地球文明华夏单一起源」云々、続いて「埃夏一体论的实质」等々と言うことは、「夏=中華」としか思っていない世の人々を大きく誤導することになりかねません。



「夏王朝の始祖」といわれる㝢がミノスであるとは!!
ミノスの島クレタ島から「五十音」の線文字文化が出てきたこと、クレタ島に、「ファイストス円盤」という「恐ろしく高度な次元の粘土板」を置き、それが「完璧な日本語で読めることの意義は計り知れないものです。
直系わずか16cmほどの粘土板、そこには、ヨセフ、その息子たちのエフライムとマナセ、モーセまでもが刻まれてあり、その子孫たちが「ウガヤフキアエズ」すなわち「アトラス」族であることがわかるような文書なのですから、このことに触れないで「地球文明」と謳ったりするのは早計です。
中国の司馬遷の「史記」では、「三皇」「五帝」が、その他、ある古文献では「伏義と女媧」が「夏朝」の祖であるとか言われていますが、これらはみな「ヨセフ民」であることが「ファイストス円盤」で解りますし、すでに一世紀以上も前に、「わが国のウガヤフキアエズ王朝」とは「アトランティス朝」のことであり、それは「伏義と女媧」王朝でもあることを解き明かしています。
刘(劉)光保氏は、この「伏義と女媧」が古エジプトでの「オシリスとイシス」であると説いておられます。古代ギリシャではこの「イシス」を「イセ」と言っており、「伊勢神宮」とは、このイセを記念して付けた名前であることがわかります。
しかし、わたくしの検証では、このイシスとは「イリス」すなわち「虹の女神、光彩の女神にして、『神の言葉の伝達者』とホメロスの「イリアード」「オデュッセイア」中に描かれている「イリス」に他なりません。
従って、エジプト文明を築いていていたのは、「イリス、即ち、トロイア、すなわち、なにごとにもトロイわが国だったのです。」

イリス即ち「玉依姫」は、京都の下鴨神社などで祀られていますが、奈良の三輪神社にその「足跡」が残されてあり、「跡を辿るように」との神話、伝説、和歌、謡曲などがあります。

中国が持っている「古文献」もクレタ島に焦点を当てるように編纂されていることがおわかりでしょう。
以下は、次のブログに移転します。長くなりすぎましたので!!




日本のアイデンティティ 2


日本のアイデンティティと中国 2

中国のアイデンティティ 1

《发现夏朝》从文字演变和文献记载实证华夏文明起源 刘光保 著 という書籍が中国で、2018年元旦頃に出版されました。日本式の表記と意訳を添えて紹介します。

《発現夏朝》従文字演変和文献記載実証華夏文明起源 劉光保 著 
中国の謎「夏王朝」の発見 文字と文献の記載記事が華夏文明の起源を実証する 

B5小版 25㎝ 481頁 中国語48万字 日本語に翻訳されていません。
日本のアマゾンでの販売価格は8553円

その広告の記載の一部を意訳しておきます。

「華夏起源」「早期華夏」「夏史破訳」「従尼羅河(ナイル河)到長江黄河」「後夏風雲」の五篇 計35章。
インターネット上で公開されているエジプト考古資料の発見を用いて、漢字との対比を行い、約300の漢字と古代エジプト文字原形との考証をして、甲骨文字、金石文字等の漢字の変化過程と照合して調べあげて、エジプト初期象形文字との近似性を証明した。
また、中国古籍記載の記事と夏国王世系人名をエジプト古代史と照合して解読した結果、すべてが古代エジプトに確かに対応しており、関連人物・夏朝都市の変遷等、歴史事件もきわめて一致していることをつきとめています。
豊富な美しい図表および丁寧につくられた文字変遷の図表は読む者に、これらの「遺物研究」がいかに貴重であるかを充分理解させるものとなっています。


この書籍の出版後1年も経たないうちに、刘光保氏は、新たな二冊目の《共命之鸟·古文明符号与人类文明起源》を2019年に出版することを予告しています。

《发现夏朝》从文字演变和文献记载实证华夏文明起源 著者 刘(劉)光保氏は“兵策儒剑”というハンドルネームのブログを持っておられますが、“兵策儒剑”とは「儒教の剣による軍事戦略」という意味なのです。

その“兵策儒剑”のブログには、「《中华英才》2018年元旦号に、「刘(劉)光保氏の《发现夏朝》从文字演变和文献记载实证华夏文明起源が写真入りで掲載された」喜びを以下のように書き出しておられます。

《发现夏朝》登上红墙刊物《中华英才》2018年元旦号
転載《发现夏朝》登上《中华英才》杂志2018年第01期,成为“共命之鸟·安心工程”--构(構)建人类(類)命运(運)共同体项目推荐图书。终于证实“兵策儒剑是被收买”了!

「人類命運共同体・・・・」との言葉!!日本にとっては、これはどんな未来を意味するのでしょうか???

2018年の正月号「中華英才」という雑誌の表紙は「習近平氏」の大写しの写真、その御写真の下方には、次のキャッチコピーがみられます。

 習近平  在中央経済工作会議上発表需要講話 
 新年献詞 聚天下英才而用之 昂首闊歩邁入新時代・・・

「中国中の英才を集めて、世界を闊歩(かっぽ)する新時代が来た!!」と意気揚々です。

「中華英才」とは、中央政府直属の雑誌で、月2回発行、ハイレベルな中国や外国の人物、主要なニュース、科学と技術、教育、芸術、文化、健康、スポーツなどの分野をカバーしています。
雑誌の出版以来20年、「中華英才」は「現代の優れた人物を紹介し、改革と開放のプロセスの記録を紹介し、中国国民の精神向上をめざし、中国と外国の間の文化交流の促進に寄与する」という目的意識をもった非常にハイクラスな雑誌なのです。

2018年元旦号で、刘(劉)光保氏の《发现夏朝》从文字演变和文献记载实证华夏文明起源 が取り上げられ大きく紹介されたということは、その業績を習政府が重要視している証拠であり、中国政府が「夏王朝とはエジプトでの王朝であった」と公表していることになります。

世界史における古代中国の偉大な業績の本質が世界の人々に認識されれば、それは中国のブランド力を高め、国際的地位と発展をさらに高め、そして国民の自信を高め、愛党心を高め、「与野党」が「共命の鳥(二頭一身の鳥)」でであることを自覚させるのにで有効であろうとの意です。
また「世界と中国」も「共命の鳥」であるゆえに、「世界に、人類命運共同体の理念」を提唱、すなわち、「中国が推行している一带一路 国家戦略」に沿って各国との協力を促進するためにも・・・・実際的に計り知れない潜在的意義を持つであろうと言っています。
わたくしには中国語の素養がありませんので、以上は解る範囲の単語からの意訳です。

ひと言で云うと、「太古のエジプト時代のような強大な力と栄光を得たい!!!」・・と希っているわけです。
「再び偉大なアメリカに!」のスローガンを掲げているドナルド・トランプ氏と、「一帯一路の偉大な中国に!」のスローガンを掲げている習近平氏が張りあっている背景にはこういう事情もあるのです。
この巨大国 軍事大国 核大国の二巨頭が世界を賭けて争い続けたならば、世界はどうなるのでしょう。それこそ、ハルマゲドンの世界になりかねません。


刘(劉)光保氏の本の内容の大部分?は、“兵策儒剑”のブログで惜しげもなく公開されています。その「転載」もあちらこちらで、「只」で見ほうだいなのですが、日中間の漢字格差には悩まされますし、ネット翻訳は、あきれるほど酷いものです。
そのような中でも、このブログの魅力にとりつかれ、合計数十万字と延々と付き合っている間に、わたくしのパソコンは、どんどんおかしなことになって、今年4月に10万円以上を払って買ったばかりのラップトップパソコンには強烈なウィルスが幾つも住みつき、パソコンをリセットする寸前の域になっています。ネットサーフィンしながら他国のブログの閲覧するのは、要注意です!!

刘(劉)光保著《発現夏朝》従文字演変和文献記載実証華夏文明起源は、35章48万語に及ぶ書でありますので、間もなく79歳になろうかという私の脳では理解の及ばない部分もあります。
とはいえ、兵策儒剑こと刘(劉)光保氏の研究は「頭の下がる」真摯なものですので、丁寧に丁寧に拝読しました。説得力ある貴重な発見だと(わたくしでも)理解できるものも多々あります。
わたくしが既にこのブログで発表している事柄の中には、刘(劉)光保氏の記事中の幾つかの項目の内容を「深化させ得る」ものがあると思っておりますので、この辺で、刘(劉)光保氏にも、中国の方々にも、日本の皆様にも、「古代史」や「古代文献」が、もっと奥深いものであることを知っていただくために、このブログで、それらを書こうと思います。




「夏王朝」とは
「夏王朝」とは、中国最初の王朝と言われ、司馬遷の「史記」(紀元前90年頃の書)では、三皇五帝に次いで出現し、殷王朝に先立つと記されています。

しかし、殷遺跡からは、膨大な数の「甲骨文字」が出土していますが、他の場所からは文字資料の出土が殆どなかったという事情から、中国内での夏王朝の存在が疑われていたという面があります。
しかし、最近、中国で、急激に大量の発掘物が現われ、出土文献が増えたことにより、中国古代史は変わりつつあるというのが現状です。

中国政府は、1950年代に発見された河南省の二里崗遺跡(前1600年頃)と二里頭遺跡(前2000年頃)の遺跡から、殷墟よりも古い青銅器が見つかったことと、面積10万平方メートルに及ぶ、整然とした都市遺跡や宮殿らしき遺構が二か所見つかったことをもって、これを「夏王朝」と銘打っています。そして、義務教育などでは、この説を定説として教えています。
二里頭遺跡1号宮殿復元 (洛陽博物館)
二里頭遺跡1号宮殿復元模型 (洛陽博物館)
このような宮殿が2カ所あったそうで、そのうちの一つです。

日本のNHKなども、「中国文明の謎」 中華の源流 幻の王朝を追う という大がかりな特集番組を2012年10月14日に放送しました。この番組で、NHKは、河南省の二里頭遺跡が「夏王朝」の都であったと喧伝しています。

京都大学人文科学研究所の教授岡村秀典氏の著書「夏王朝 中国文明の原像」 2003年8月刊 の、宣伝用のキャッチコピーは、「発掘と新発見で明かされる中国最古の王朝。殷に滅ぼされたという伝説の夏王朝。古典籍の徹底的な洗い直しと考古学の最新の成果によって、二里頭を最後の王都とし、高度な文明をもつ中国第一王朝の実在は確実となった。4000年前とも考えられる最古の文明と文化を検証する。」というものです。
夏王朝 中国文明の原像

しかし、日本の考古学者たちの多くは、二里頭遺跡領域から出土文献が確認されていないので、二里頭遺跡が「夏王朝」の中心都市であるというのは早計であるという立場のようです。
なぜでしょうか?
18世紀ごろから、幾人かの西洋人たちが、中国は、シュメールやバビロン、そして古代エジプトからかなりの影響を受けているということを具体的な例をあげて書き残しています。
そして、殷遺跡で、いきなり大量の「文字文献」が出土しているということは、文明・文化の急激な流入があったのであろうと推測されていました。


此のたびの、刘(劉)光保氏のご研究は、司馬遷の「史記」(紀元前90年頃)の「夏王朝」とは、エジプトの王朝そのものであるといいます。なかでも、第一に揚げなければならないのが、古代エジプトの「パレルモ王名表」そのほか、パレットなどの出土物に刻まれている王名と夏王朝歴代の王八人は漢字で照合して、中国の文献で実証できるというものです。

王朝「夏」の創立者として知られている「禹王」
中国では超有名な皇帝「禹王」は、司馬遷の『史記』「三皇五帝」で、「聖君」の一人として伝えられています。
刘(劉)光保氏は、その「禹王」は、古代エジプトの「王名表」の初代よりも古い「0王朝」に属していると言われている「ナルメル王」であり、それはかの有名な「ミノス王」でもあるというものです。

「禹王」は有名な「ミノス王」!!なんということでしょう!!
すると、その王宮は、クレタ島の次の写真ほどのものであるはずです。

クノッソス宮殿

刘(劉)光保氏の「《发现夏朝》从文字演变和文献记载实证华夏文明起源」とは、現中国人の歴史だけを刻んでいるわけではいこと、そして、ここで、わたくしが早速、身を乗り出したことの理由がおわかりでしょう。
クレタ島こそは、「邪馬台国」という「日本のアイデンティティ」をとく重要な鍵なのですから。


日本のアイデンティティ 1

日本のアイデンティティと中国 1

邪馬台国論争と日本のアイデンティティ 1
日本の歴史は「古事記」と「日本書紀」に書かれていると考えられていましたが、今日なお、「古事記」と「日本書紀」の研究は停滞したままで、日本のアイデンティティを確立できてはいません。

「日本人の祖先がエジプトやギリシャなどで活躍していた」という木村鷹太郎氏の「日本太古史」(1910年刊)等は、狂人の書と定義づけられて以来、顧みられることもなく今日に至っています。この至上の研究を「手つかずのままの遺産」としてわたくしが受け取ったことを奇貨として、この説を裏付け証拠立てることに半生をかけてきました。

そして、中国の史書「三国志」の「魏志倭人伝」の内容を、「誤記」とか、「不十分な知識に基づく」とか、「木村鷹太郎は偽史の捏造者である」とか、上から目線のご託を並べる「安本美典氏」たちを「邪馬台国研究の第一人者」とみなして、インチキな「邪馬台国研究会」の盛況を野放しにして、大学教授という肩書を与えています。
「邪馬台国島原説」などという最も卑小、最も愚劣な説に対しては、NHKや大新聞社ほかマスコミ界をあげて絶賛的してきましたし、吉永小百合さんを起用しての映画も制作されました。

今、現在、日本人は、この日本列島内で世界の文明や文化から隔絶された「ガラパゴス」状態の国で、流れついてくる文化を拾い集めて成り立った国であるという説を繰り広げている教授を、「古事記」「日本書紀」研究の第一人者であるとNHKが紹介していました。明治になって、初めて文明開化したというわけで、それまでは「未開人」だったというわけです。

「古事記」と「日本書紀」、中国の史書「三国志」中の、『魏志倭人伝』や「ギリシャ神話」やクレタ島出土の「ファイストス円盤」、そして、「聖書」が、日本のアイデンティティを明らかにしてくれるということを、わたくしは、この十年間以上「ブログ」で訴えてきました。
「衆議院議員会館」に、5名の議員さんの事務所に、「日本の古代史」の見直しと、「木村鷹太郎氏の魏志倭人伝の『邪馬台国エジプト説』の再検証をもとめた陳情書を携えて行きましたが、10年間以上、「完全黙殺」のままです。


中国のアイデンティティ
ところで、話変わって、今、中国では大変な変換がおこっています。
1、中国アメリカ間の「貿易と関税」で激闘していることは、皆さま良くご承知のとおりです。
2、ファーウエイをめぐる「中国 カナダ アメリカ」での騒動も、ご存じでしょう。

このファーウエイ事件は、米中2国間の問題にとどまらず、世界全体の秩序形成の長期的な変化と深くかかわる問題です。すなわち、「世界の警察国家を自認する米国」の一極覇権主義体制は終焉に近づいているのでは?と思わせる事件なのです。
米国政府が追及する中国企業、ファーウェイ(華為)技術は、中国共産党の手足として、中国を警察国家として強化し、全世界をハイテク活用による独裁態勢下に置く機能を確立しょうとしているのでは?という危惧をおこさせていることが核心となっています。

ファーウエイは5GをはじめとするAI(人工知能)の最先端技術を持っていると考えられており、しかも、優れた能力の人材を大量に集められるだけの人口を擁しており、技術や能力の流出を阻止できる監視体制と共産党独裁体制があり、アメリカやロシアを既に凌駕しているハッカーシステムとスパイシステム・・・・どこをとっても中国有利なのでは?と、米英の白人支配層は頭を抱えているでしょう。
ハッカーシステムとスパイシステムでこれまで蒐集した膨大な「カード」をもっていることの両雄の米中両国が、今後それらのカードをどう使って戦ったり合意点をみつけたりするのか?いずれにしても、土俵の外にいる日本国や日本人も泥をまともに被ることは必至です。

一方、中国政府が一番恐れているのは、共産党独裁体制の将来性に疑念をもっている民衆です。海外に子供たちや資産を逃がしている層があることは公然の事実です。人口の9割近くは共産党ではないとの見方もあり、この割合の今後の増減は未知数です。経済の破綻をきたさないために必要な資金にも影響します。
その根底には、中国という国や政府に対する愛国心や信頼が薄いことがあり、教育制度にも欠陥があると言う現実があります。
ところが、ここにきて、愛国心と教育力、そして民度を高めるのにもってこいの材料が出てきたのです。
今回のファーウエイ事件も、中国の人民の愛国心と自尊心を満足させる要素の一つですが、この他にもあります。
3、中国発の、歴史観のコペルニクス的転換を世界に迫る要素が浮上してきたのです。

中国の夥おびただしい発掘物
中国の、広大な領域で、都市開発、ビル建説、鉄道・道路網開発、等々で、近年、膨大な数の考古学的発掘物が現われ出て、なかには、古代エジプトとの関連性をものがたるものも浮上してきました。
習近平主席も、この「カード」におおいに気を良くしておられる模様です。そのようすを、今からちょうど1年前に時間をもどして、次のブログで「話題提供」をしてみます。

その第一は、古代「夏王朝埃及エジプト説」です。
その説はまた、世界の4大文明(アメリカ大陸を含めると5大文明)は中国が築いたものだという主張に発展しています。
これが、中国の民衆の愛国心、自尊心、向上心を高め、諸外国を驚嘆させ、経済、外交、政策にも有利に働く「カード」であるという認識を近周平氏が持っているのです。


これは、1世紀以上昔に、日本が捨て去って、顧みなかった木村鷹太郎氏の「邪馬台国エジプト説」のお株をすっかり奪われたかたちなのですよ。
しかも、1世紀前と違って、現在は、中国での発掘物の数が始末に負えぬほど増え、それらの写真なども詳細なものがあふれ出ています。
発掘物の多さで言えば、今や、中国は世界一といえるでしょう。そうした発掘物の中に、中国と世界の古代の関係を証拠づけているものが大量に存在していることは事実です。
ところが、問題は、「その古代エジプトなどの中枢にいて文明を開いたのは漢民族である。ゆえに、漢民族は人類にとっての大恩人である!」と決めつけようとしている人たちもいることです。そして、古代エジプト時代の栄光をふたたび!と、壮大な建造物等を並べ立てることを夢見ているようなのです。

しかし、「漢民族がエジプト、あるいは世界中での偉業すべての第一人者だった」という決定的な証拠は、まだ出現には至っていないのです。とはいえ、それが事実かどうか確定する前に、十億の民が口々に「漢民族が世界文明の大恩人であり、世界唯一無二の長寿歴史を担ってきた」と唱え出せば、ユダヤ人たちが、「われわれの祖先は聖書を編み出した。ゆえにユダヤ人たるわれわれは人類の大恩人である」と言い張っている以上の災いが生じかねません。

ギリシャ文明の証拠が、ギリシャや、その周辺の国々で、溢れかえるほど発掘されているからと言って、それが現在のギリシャ人とはほぼ関係がないことがわかっていますし、イギリス人たち白人たがが、その古代ギリシャ人の後裔であるかのように、歴史を偽装してきましたが、今日ではその偽りが、すっかりばれてしまっています。
中国で、夥しい量の古代の遺物が出土していても、中国の古代文明を牽引していた人々がどんな人々だったかはまるで分らないのに比べて、わが日本では、「ファイストス円盤」のお蔭で、これを「古事記」「日本書紀」そして、聖書と照合することによって、エジプトのヨセフ時代まで確実に辿れるのです。
日本の政府は、何時まで眠りこけているのでしょう。
一刻も早く、目を覚ましてほしいものです。

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