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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

広島 府中緑ヶ丘中学校の生徒さんの死を悼む

広島 府中緑ヶ丘中学校中三の生徒さんの死を悼みます

この生徒さんが気の毒でなりません。
今日は、この数日間私の心を占めているこの問題を書かずにはいられない気持ちになりました。
これは、日本の深刻な病根を顕著に表わしている事件です。

広島の中三の生徒さんが無実を訴えることなく、「絶望」した日本
「先生に無実を訴えない」風潮

こうした、正しい主張を言わないという状況は、日本のいたるところで、あらゆる形で定着しているのです。
特に、会社内や学校内に顕著にみられる現象だと考えられます。
このまま、この風習を改めないと、ますます、判断力や思考力を失っていくのではないかと危惧されます。

私の娘がある町立中学校の生徒だった時(今から30年ほど前)に実際に起きた事例を書きます。
あるとき、娘が頭が痛いと言って早く帰ってきました。見ますと頭のてっぺんにこぶが出来ていて血が髪にべっとりついていました。
ただちに医者へ向かうかたわら原因を聞きますと、担任の先生に5センチ角ほどの角棒で打たれたというのです。
「理科の宿題をして来なかった」という理由で。
それも、そもそも、「その宿題は出されてなかった」のに、先生は「1人を除くクラスの生徒全員がその宿題をサボタージュした」と思い込んで激高して残りの43人の全ての頭上に角棒を振り下ろしたのだそうです。角棒が一番強く当たったのがわが娘だったようです。
そして、宿題をやって来たたった一人の生徒というのは「双子」で、どうせ同じ宿題が出るからと姉妹のを書き写しておいたのだそうです。

私が暗澹としたのはそれからです。
先生は、自分の担任するクラスには「宿題を出すのを忘れていた」ことに気が付いていないと言うのです。なぜなら、だれもそのことを先生に言い出さないからです。
わたくしは、クラスの父兄5人ほどに電話して、「先生の判断ミスで無実な生徒たちへの体罰を行ったことを抗議しに行こう」といいましたが、みな「行かない」というのです。
ある父兄にいたっては、「宿題のことでそのくらい厳しくしてくれれば、うちの子も宿題をちゃんとするようになるから」という「歓迎」モードでした。
ああ、先生だけが悪いのではなく、父兄も生徒たちも皆がみなおかしいのです。
「自分の判断」や「自分のその場の都合や気分」それがすべてなのです。
そのこころは先生のつける「内申書」が怖いだけのこと。正義感や間違いを糺すことの必要な場合があるといった認識はすっかり念頭から消えているのです。

私は攻撃の姿勢ではないことを表わすための菓子折りを持参して、娘と二人で中学校の校長先生に面会し、この事実を話しました。なお、5人の父兄の見解も述べました。
「先生から見れば不出来なカボチャかスイカのような頭でも、親にとってはかけがえのない大切な子供なのですから、うちの娘には宿題を万一忘れたとしてもこのような体罰はしないで下さい。」」とお願いし、「担任の先生が、1人を除いて43人もが宿題をさぼるというような事態を起こすようなクラスかどうか、そんなことも判断できなかったということを深く反省してくださるよう」お願いしました。
後日、校長先生と担任の先生とが我が家に「謝罪」に訪ねて来られましたが、クラスの生徒全員に対する謝罪はありませんでした。

数日後、うちの娘は隣のクラスの女子生徒二人がうら、「××先生のケツバットがきつくてアオアザができたお尻が痛いので、何とかしてもらえるようあなたのお母さんに云ってほしい」と頼まれました。
いつの間に、わたしの抗議が知れ渡ったのでしょうね。
わたくしは、「そのお尻を見ていないので、お母さんに見せて。あなたたがたのおかあさんが校長先生に頼むのが筋でしょう」と言いましたが、せっかくわたくしを見込んで頼んできたのに「関係ない」みたいな態度では、それこそ人でなしの行為だと反省して、校長先生に電話で、「○年×組の女子生徒にはかくかくしかじか言いましたが、聞き捨てにはできませんのでお伝えしておきます」と連絡しておきました。

次の年、また娘が手が痛いと早めに学校から帰ってきました。右手の親指と人差し指の間の付け根が腫れあがっていて鉛筆を持つこともできませんでした。
教室で撃ち合いをして遊ぶ生徒たちのBB弾に、近い距離で当たったのだそうです。
「これが眼だったら失明だった!!」と、ぞっとしました。
「なぜ先生に言わないの?」というと、「そんなことをしたら、みんなにいじめられるに決まっているじゃない!」とのこと。
即、対策を考え、「大急ぎで学校に戻って養護の先生に手当てしてもらうよう」指示し、「犯人たちにいちゃもんをつけられたら、手が腫れて痛くて仕方がなかったから手当てしてもらっただけよと言って手を見せておやりなさい」と教えました。

養護の先生は直ちにすべてを察して娘のクラスに駆けつけ、同時に担任の先生を探しだし、クラスの生徒たちのカバンやロッカーや部室を電光石火で調べてBB弾やガンなどを「卒業の時まで預かる」と没収してしまいました。
案の定、「おまえがチクッタせいで高価なBB弾やガンをみな取り上げられてしまった」と逆ギレされたそうです。「人を撃ったからでしょ、自分も撃たれてみなさいよ。わたしは手当てしてもらっただけ。」と、包帯の手を見せて切り抜けたそうです。

わたくしの娘が直接体験しただけでもこのようなありさまですから、この中学校全体ではどれほどの問題を抱えていたのかが思いやられますが、これでも、むしろ、良い先生の多い比較的良い中学校だった学校でのできごとなのです。
ですから、全国となると、それ以上のことがありすぎるほどあると断言できるでしょう。
こうした事態は、その内部に身を置いて体験した者以外には決して見えないことなのです。
そして、ここに書いたことを詳しく読みなおしてみてくださるとわかるように、当事者や先生たちにも「何も見えてはいない」し、問題の核心部分で改善されてなどいないということに気づかれて愕然とされるでしょう。

その直後、今度は友人から、こんな相談を受けました。
私立中学校の寄宿舎にいる息子T君の「眼のまわりがパンダになっていて、どうやら、担任の先生の顔面パンチをくらったみたいです」と、T君の同級生の母親から電話でしらせてきたというのです。
その原因は、T君がバンドエイドを2缶買ってきたら、次の日、それをきらしている同じ寮の生徒が「1缶売ってくれないか」「ああ、いいよ」と1缶譲ったやりとりを先生が目撃して、校則を破ったと激高したらしいのです。
「そのくらいのことでパンダみたいな眼にされてはたまらない、真相を聞きただして、若しそれだけが原因なら厳重抗議しないとだめですよ。T君には、両親が断固味方になると宣言したほうが良いでしょう。・・・」とアドバイスしました。
友人夫婦は中学校に駆けつけ、T君の顔を見るなり医者に連れて行き、校長に真相をただしてくれるよう要請しました。
殴った先生にも問いただしますと、やはり、「未使用のバンドエイド1缶を、買った時と同じ値段で譲っただけのこと」、それ以外には何の原因もありませんでした。T君にしてみれば、それが校則違反にあたるなどとは思ってもいなかったのです。不便な寮生活の、運動部の生徒たちにとって、風呂のとき剥がしたバンドエイドを張り換えるのは日常のことで、それは無いと困るような必需品です。
校長と担任とがはるばるT君の家まで謝罪に来ました。T君の親もまた私立学校経営者ということがわかったので、こうした低姿勢に出たのでしょう。

クラスの1生徒が見かねて自分の母親に話さなければ、また、その母親が知らせてくれなければ、担任が短絡的な暴力をT君に振るったことなど私の友人は知らないままだったでしょう。
T君本人は親にも誰にもなにも言わなかったからです。
強者が弱者を理不尽にしいたげても、普通何ごともないかのようにうちすごすのが最善の策だと思っているのです。

その私立中学校で、やがて一人の男子生徒(寮生)がその学校内で飛び降り自殺をしました。その原因も経過も何も、そこの生徒であるT君すらも知りません。新聞にも一行も掲載されませんでした。T君がそれを知っていたのは、「その生徒の弟も寮生」だからでした。
そして、そのことをT君が自分の母親に告げたのは、「その自殺した生徒の弟も自殺するかもしれない」という恐れに駆られてのことでした。
というのも、自殺した生徒の弟には女子生徒たちが絶対近寄らないのですが、そのひどく敬遠される原因というのは強烈なワキガのせいでした。「兄の方の自殺の原因は全く知らないが、弟の方は自分のまわりのその奇妙な雰囲気を誤解しているようで、とても暗い」というのです。
今どきの子たちは、「からかう」ことすらせず「沈黙」を貫くのですね。
「苛め」で告発されるのも「おせっかい」と思われるのもいや、なんによらず減点を回避しているのでしょう。
ワキガは手術で簡単に解決できるそうですし、しかもその兄弟の父親は病院経営者なのです。
私の友人はその生徒の親に、「息子さんがワキガで周囲から避けられているそうですが、なにかの方法があるのでは・・・」と教えたそうです。

知恵を働かせて、善意の限りを尽くして、おたがいの困難に対処して、助け合わなければやっていけない、今はそんな危機の時です。
広島の府中緑ヶ丘中三の生徒さんも「まさかこの生徒が」と、誰かが気の毒がってくれればこんな悲劇はおこらなかったでしょう。
私の娘の体験にしても、先生が、「まさか、このクラスの生徒たち全員が宿題サボタージュするわけがない」という信頼を寄せてくれなかったことは悲しいことでした。
しかし、「先生が間違っています。わたしたちはそんな宿題を与えられていません」と誰も言えなかったということは、もっと悲しいことでした。日本の子供たちは、こうして「学校は上意下達の世界になっていて、生徒たちは骨抜きに仕上げられているんだな」とショックを受けたことでした。

こうしたことが積み重なると、それがさらに次のような人々をうみだすという悪循環を招いているのです。
1  判断力がない
2  自分の判断は正しいと思っている
3  落ち度はみな他の人のせいと思う
4  思いやりがない 他人のことはどうでもいい
5  善処するという気持ちがまるでない
6  努力しない ただし 資格を取るなど自己のためなら別
7  利益は自己に 不利益を他人にまわす
8  無責任
9  保身しか念頭にない
10 時の過ぎるのを待つ

こうしたことは、概して日本中を覆い尽くしている怖ろしくブラックな問題であり、ありとあらゆるところに存在している事実です。
一例は、わたくしが掲げている「邪馬台国問題」が何の検証もされず、東大京大も政府も黙殺していることを見れば歴然です。
しかし、国民のみなさまにとっては、この問題についての知識はあまりにも少ないので、判断は困難でありましょう。
でも、次の例は判断することが容易だと思います。
それは、世界有数の地震国である日本列島に原子力発電所を54基も設置したことの善悪、あるいは利不利の判断のことです。

おかげで、何十兆円という税金がこの厄介極まりない原子力発電所につぎ込まれ、今後もそれ以上につぎ込まれる見通しという負の財産でしかない「賽の河原の石積」事業です。
これを敷衍した政治家や電力事業者や学者たちやゼネコンたちは、経済力やら権力やら利益やら名誉やら、はては勲章まで授与されて、子孫や子分たちを片っ端から代議士や大臣にしているありさまです。
この原子力発電所のせいで命を失ったり、家や財産をなくした人々への責任どころか同情心などは見えません。
まあ「御言葉とか文書」の中には、責任や同情心が見らるとおっしゃるかもしれませんが、それは、例の広島の府中緑ガ丘中学校の校長先生の記者会見の言葉と同様に、ただの「作文」にしか受け取れません。

日本国の総理大臣や政治家の重要極まりない任務は、この原発で甚大な被害を蒙った人々に、政府としての同情心を寄せ、責任を果たすことです。
政府は、世界に向けて、日本国が犯したこの重大な「核の問題」に対処する必要があるので、莫大な予算を計上しなければならないという事情を訴えなければなりません。従って、難民救済のための数百億円という出費をすることを免除してもらえるよう国際的に説得するのが任務でしょう。
そもそも、今日の難民の主要な原因は、パレスチナ周辺の地勢や石油そして宗教的野心のためにテロを画策したり3枚舌外交を
して「劫火」の火種を蒔いたイギリス等が率先して責任を取るべき問題です。
そして、核燃料を無言有言の圧力でもって日本に売りつけるよう計らったのも同じ勢力のものたちだからです。
日本の政府は自国の被災難民の問題をこれ以上なおざりにしないで、外国の難民救済に数百億円拠出することよりも優先することです。
そこにすばらしい前例を作るならば、国民はもっと善良になり、もっと賢くなり、国は復活に向かうでしょう。
若し、このままを続けるならば、国はますます衰微するでしょう。
どうか日本政府はここに気づいてください。
 
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お詫びとご報告

お詫び
2ヶ月以上もブログ記事をアップするのを怠ってしまいました。

パソコンが使用途中に突然ダウンする、おそろしく鈍重になるなど、不具合がいろいろありまして、ご無沙汰してしまいました。

一日に10通以上という集中スパムにもやられまして、娘にスパムの削除を頼みましたところ、娘が孫娘にそれをまかせてしまい、孫娘が図書館のパソコンで夢中になって片っ端から削除をしているうちに、シーター様や五節句様の「最も大切なコメント」までさかのぼって誤って削除してしまうというアクシデントが発生しました。
それを知ったわたくしは唖然呆然、すっかり元気をなくして、以来、ずっとパソコンから遠ざかってしまいました。

シーター様 五節句様
遅きに失してしまいましたが、お詫び申し上げます。ほんとうに申し訳けございませんでした。



それに、私はブログテーマ展開の岐路に立っておりました。
1、ギリシャの「イトミ山」というペロポネソス半島のメッセニアの聖地、このあたりが「伊都国」であるということを前面にうちだし、ゼウスの正体をあかすこと。
2、卑弥呼の鬼道とクレタ島の形状、これから派生したメドゥサやゴルゴンとわが国の鬼瓦や節分などとの関係を書くこと。
3、エジプトにおける倭人の活躍の内容。

などなど、いそがしく準備をしている折も折、ふと「吉備大臣入唐絵巻」の謎解きを挿入しました。
すると「耶馬台詩」という預言詩に触れないわけにはまいりません。

「耶馬台詩」は日本国崩壊の予言の詩です。これは、一般に云われているような平安時代に関する予言ではありません。「吉備大臣入唐絵巻」は、清少納言の「枕草子」の“蟻通”と緊密にリンクしているということは、「枕草子」の“蟻通”が「聖書」のヨハネの黙示録と連動しているのですから、「野馬台詩」もアットラスト、すなわち、現代の近未来のことを預言しているのです。

「枕草子」の“蟻通”の難問中の難問も「わがくにが外国から争いごと(戦争)を仕掛けられて取られる」「外国から一方的な無理難題(ユニラテラル)を突きつけられる」に加えて、老人が見捨てられるという外憂内患の絶体絶命のときに、それを回避するという主題が織り込まれていたということをそこで書きました。

しかし、「ヨハネの黙示録」は、聖書を読まない人にはちんぷんかんぷん、読んだところで、恣意的解釈に陥るか解からないかの二通りの道しかないのですから、わたくしとしては、すでに、今までに書いてきた「ヨハネの黙示録」の解説にこれ以上付け加えても仕方がないのかな・・・と考えこんでしまいました。
とはいえ、やはり、「邪馬台国論」を突きつめていくべきか、「ヨハネの黙示録」へと戻れとの啓示なのではないかととまどってしまったのです。


しかし、「わが国が崩壊する」「一方的無理難題を押し付けられる」という国難というのは、目下のわが国の置かれている状況そのものでもあります。
そして、それは、「国際金融&国際世論」を意のままに操る一握りの人たちの「戦略」に端を発することとはいえ、最終的に直接日本にアタックする役目を負うのは中国と韓国・北朝鮮なのです。「敵を敵にやっつけさせる」というのが「彼ら」の戦略かつ常套手段ですから・・・

ですから、「枕草子」の“蟻通”も「吉備大臣入唐絵巻」も、最終的な外圧をまとめて「唐」と表現しているのです。
「唐」は「から」とも読み、暗に「韓国」をも含めているのです。
そして、その「唐」は、といえば、「やはり、日本は賢かりけり」といって、方針を改めると書いてあるのです。
私は、この預言の言葉に縋ります。

日本と中国は、世界中で、最も長く、最も麗しい友好関係を保ってきたという歴史を有していました。だからこそ、「魏志倭人伝」のような日本についての重要な情報を中国に託しておいたのです。
ですから、ここで、日中の友好協力関係の長さと深さについて書くことが急務なのではないかという判断を下したわけです。
わが国が自国の「卑弥呼」の時代やそれ以前をまったく知らないのと同様に、中国も自国の古代史をまったくご存じないというのが実情です。
中国の神話、つまり、「伏義と女媧」などを解明し得るのはただ「日本のみ」と意って過言ではありません。
日本と中国の数千年間の友好関係に眼をむけて、おたがいに培って来たにもかかわらず捨て去っている「東洋哲学」に規範を求めて、国と人の建て直しをはかるよう互いに覚醒する方向にむかわなければならないように思えます。

というわけで、今日から、がらりと、話題を変えて日中の古代史の一端を開陳することにいたします。
まだ、パソコンは不調ではございますが、なんとかやっていこうと思います。





37 目次とガイド

37 目次 「浦島太郎から辿る」

「浦島太郎」と「与那国島海底遺跡」そして「クレタ島のファイストス円盤」の謎から辿つてきた私のブログも36回を数えました。内容が多岐にわたっていますし、私が、文学、歴史、考古学、神学、すべてにおいて、まったくの素人で、「日本の謎と聖書の謎」を自費出版したのが、唯一の執筆経験であることから、読みにくい、わかりにくいという欠点が多いと思います。

このブログも、中学生の孫に少し手ほどきしてもらって、いきなり書き始めたものですから、飛躍しすぎているところ、省略しすぎているところなどが目立ちます。
おまけに、パソコンが重くて、しばしば、途中で消えてしまうなどして、遂に、パソコンが壊れて、7月、8月の二ヶ月間休んでいる間に、自分でもわけが判らなくなりました。

ここで目次を掲げて、全体を俯瞰できるようにし、少しでも読みやすくする工夫をしてみました。


与那国島海底遺跡から辿る
目次をクリックすると、記事が出ます。

1  与那国島海底遺跡の謎解き   
2  与那国島海底遺跡と竜宮城
3  浦島太郎とアトランティス
4  浦島太郎と彦穂々手見命
5  クレタ島の粘土板に彦穂々手見命が
6  浦島太郎の蓬莱山の謎                   
7  淡路島の上立神岩はおのころ島


「古事記」神話の謎解き

8  世界図TOマップの謎
9  エデンの園と伊邪那美命の国生み神話
10 四国はスフィンクスのモデル?
11 アダムとイヴと「古事記」神話


「日本のアイデンティティー」の謎 
 「日本」と聖書とギリシャ神話を重ねると・・・

12 御神輿と契約の箱
13 日本のアイデンティティー
14 賢木と命の木
15 神の国の門
16 七つの封印の書物
17 二十世紀のミレニアム戦争と日本
18 24ヶ月間踏み躙られると予言された国
19 神の栄光と審判が顕われる!
20 御名を尊ばずにはいられない
21 大いなるバビロンへの審判
22 守護神への帰依



神国を明かす日本側の証拠

23 三輪神の正体
24 三輪の神の謎とギリシャ神話
25 三輪の神とクレタ島のミノア文明
26 住吉大社の謎 天の平瓮
27 住吉大社の謎 後代のしるしのための船 
28 住吉大社の御本地は?
29 オリオンミステリー
30 出雲大社の謎
31 オリオンとシダリヲ
32 天照大御神の御神宝
33 神宝はタイムカプセル?
34 国難と神宝の洗い直し
35 国難と蟻通しの謎
36 蟻通しの難題とファイストス円盤




日本国の歴史とアイデンティティーに関する、難解なテーマに挑戦して、市井の素人の私があれこれ口を挟むのは僭越に過ぎるようですが、歴史家や、神学者の方々に、また、一般国民の方々に検証を呼びかけたいという思いで、このブログを書いています。

「浦島太郎から辿る」という題でこのブログを書き始めた理由は、浦島太郎が「玉手箱」を空けてタイムスリップをするお話は、「日本」の歴史そのものをタイムスリップさせる「証」が世に出ること、これが、わが国に神宝がある理由だと思っているからです。
言い換えますと、玉手箱を開けると翁となってしまうというタイムスリップの話は、日本と地中方面との間のタイムトラベルをうながし、さらに、日本という国が、玉手箱の蓋を開けて神鏡を見ると、「開けてびっくり」、実は「老国」であるという証拠がでてくる「タイムカプセル」であると推理しているからです。

こうしたタイムカプセル的発想の物が、わが国に存在したことは、
「平家物語」剣の巻の神璽、即ち、神鏡にまつわる記事でもわかります。


  およそ神璽と申すは、神代より伝わりて、代々の御帝の御守にて、
  璽筥(しるしのはこ)に納めけり。この箱、開くことなく見る人も無し。
  これに依りて後冷泉院(1025~1068年)の御時、いかが思しけん、
  この箱を開かんとて 蓋を取り給ひしに、たちまちに
  箱より白雲上り給ひけり。
  由ありて、雲は元のごとく返り入らせ給ひぬ。
  紀伊の内侍、蓋覆ふて緘げ納め奉る。
  日本は小国なりといえども 大国にまさるとは是なりとぞ。
  神璽とは、わが朝の起より出でたり。


この記述は、宮中の「賢所」の神器について述べた箇所なのですが、それは、このように、「わが朝の起より出ている神璽であり、是により日本は小国なりといえども大国にまさる」と言っているのです。

「平家物語」の剣の巻が、神鏡を語るべき場で神璽を述べていることの謎を考えますと、「鏡とは鑑、すなわち、神璽(印鑑)であるということも考えられます。
この「箱より白雲上り」というフレーズが「浦島太郎の玉手箱」を暗示しているように思えるのです。
また、エジプトを漢字で埃及と書きますが、「埃」とは、「ちり、ほこり」のことです。「ちり、ほこりの雲」が、玉手箱の中からでてくるのだと考えられます。

さらに、古代において、エジプトのことを「ネフェレ」と呼んでいましたが、これは「雲」という意味なのです。皆様は「ネフェルティティ」と言う名の美女をご存知でしょう。

ですから、出雲とは、「出エジプト」のことであると、30 出雲大社の謎で書きました。

「出雲大社」の天井画が「八雲」であることが、このごろ話題になっていますが、「八雲」とは、「ヤコモ」即ち、「ヤコブ」のことであるとは、木村鷹太郎氏の説です。
木村鷹太郎氏の、「日本と聖書」あるいは、「日本と古代エジプト」「日本と
古代ギリシャ」についての説は、ある人のホームページに、「これは、偽史」と定義づけたうえでかなりくわしく紹介されています。
彼は、さらに、「“偽史”は、ほとんどの場合において、学問的な歴史学の成果と相容れないのみならず、正当かつ十分な学問的、検証を欠いた、とうてい批判に耐ええないようなものでしかなかった」と結論づけています。
まさしく、その通り!!!

「常識?の塔に閉じこもりっきりの学問的な歴史学の成果と相容れないのみか、正当かつ十分な学問的検証を欠いているのです!!!


私の言う意味は、「木村鷹太郎氏の説に関して、歴史学界が、この百年間というもの、学問的な検証を一度もしないまま黙殺してきたという意味です。
そして、わたしは、この説については、(家事の片手間の素人研究とはいえ、)検証してきたうえで発言しているのです。

その間、国会図書館そのほかから、借りうる木村鷹太郎氏の著書は全て、取り寄せて読み通しました。(3冊は復刻版で、一冊は原本を所有しています。)
正直に申しまして、私は、英語が苦手、漢文、古文も同様、ギリシャ語、ラテン語にいたっては、知識は皆無ですから、「検証できる」はずがありません。
それでも、私がこのブログに書いた36項目は、木村鷹太郎という人物の唱えた「新史学」を否定してしまうことはできないということを示すに十分だと思っています。

私が取り上げた36項目を立証するには、一事、すなわち、「わが朝の起より出でたる神璽」が公開されされれば、万事がわかることです。
しかし、この神宝の「本物」の所在は、「古事記」「日本書紀」の中で、既に、曖昧にして記されており、その後も神宝に関しては、「火事」「盗難」「争いによる持ち出し」などの紆余曲折が記録されているのです。

一例をあげますと、源平合戦のとき、安徳天皇とともに宮中の賢所の神器が京都を離れて、安徳天皇と一緒に壇ノ浦に(1185年)沈んだと書かれ、さらに、拾い上げたとも書かれています。
その後、南北朝に分かれたとき、南北どちらの側に神器が伝わったのか確かなことはわかっていません。

また、GHQ占領時代には、GHQによって、「神道改革」「教育改革」が重点的に行われたのですが、その際、「古文書」や「刀剣」探しをして、「神宝」の手がかりを捜査したであろう事は、GHQの人々が、片田舎の我が家にまで調査に来たのを、(幼時に)私自身が庭のつつじの茂みの陰に潜んで、震えながら目撃したことがありますから、容易に推理できます。
そのとき、GIが探し出すのは、古文書(「古事記」・「日本書紀」も)と刀剣」だという噂がいきわたっていましたので、旧家といわれるほどの家々では、そうしたものを隠しました。

古代の人々は、わが国が、強国に支配されて、自分の神のことも、その上のことも、すっかり忘れ果ててしまうことを予見していたということについては、下記の項目に書いておきましたので、せひ、ご覧になってください。

12 御神輿と契約の箱

本が、神宝を匿いすぎて、「肝心要の時に、世に公表できなくなってしまう」ときのことを予見して、備えられていたのが、「ファイストス円盤」だと考えられます。

1908年、西のクレタ島の紀元前16世紀頃の「ファイストス円盤」が出土して、
1997年「エホバ神の御名」が日本語で現れ出ました。
そのうえ、ヨセフの息子が彦穂穂手見命=山幸彦と海幸彦だということをわたしが発見しました。
ですから、日本という浦島太郎は、この時点で一気に老人になったと言えます。



下の絵は、浦島太郎のパロディ「歌川国芳の当たる面箱」です。
「当たる面箱」とは、当時の人気役者の面々のうち、誰が大当たりをとるか?といった内容なのですが・・・・・。

このように、箱から十二の面々飛び出してくるというおもしろい着想です。
ところが、「ファイストス円盤」に刻まれているのもヤコブの息子たち12の面々なのです。
恐るべき一致というほかはありません。

「ファイストス円盤」なる「八十ひらか」は、すでに、脅威的なタイムカプセルであり、開けてびっくりの『玉手箱」であるといえます。

辻うらしま当る面箱















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