37 目次 「浦島太郎から辿る」「浦島太郎」と「与那国島海底遺跡」そして「クレタ島のファイストス円盤」の謎から辿つてきた私のブログも36回を数えました。内容が多岐にわたっていますし、私が、文学、歴史、考古学、神学、すべてにおいて、まったくの素人で、「日本の謎と聖書の謎」を自費出版したのが、唯一の執筆経験であることから、読みにくい、わかりにくいという欠点が多いと思います。
このブログも、中学生の孫に少し手ほどきしてもらって、いきなり書き始めたものですから、飛躍しすぎているところ、省略しすぎているところなどが目立ちます。
おまけに、パソコンが重くて、しばしば、途中で消えてしまうなどして、遂に、パソコンが壊れて、7月、8月の二ヶ月間休んでいる間に、自分でもわけが判らなくなりました。
ここで目次を掲げて、全体を俯瞰できるようにし、少しでも読みやすくする工夫をしてみました。
与那国島海底遺跡から辿る目次をクリックすると、記事が出ます。1 与那国島海底遺跡の謎解き 2 与那国島海底遺跡と竜宮城3 浦島太郎とアトランティス4 浦島太郎と彦穂々手見命5 クレタ島の粘土板に彦穂々手見命が6 浦島太郎の蓬莱山の謎 7 淡路島の上立神岩はおのころ島「古事記」神話の謎解き8 世界図TOマップの謎9 エデンの園と伊邪那美命の国生み神話10 四国はスフィンクスのモデル?11 アダムとイヴと「古事記」神話「日本のアイデンティティー」の謎
「日本」と聖書とギリシャ神話を重ねると・・・12 御神輿と契約の箱13 日本のアイデンティティー14 賢木と命の木15 神の国の門16 七つの封印の書物17 二十世紀のミレニアム戦争と日本18 24ヶ月間踏み躙られると予言された国19 神の栄光と審判が顕われる!20 御名を尊ばずにはいられない21 大いなるバビロンへの審判22 守護神への帰依神国を明かす日本側の証拠23 三輪神の正体24 三輪の神の謎とギリシャ神話25 三輪の神とクレタ島のミノア文明26 住吉大社の謎 天の平瓮27 住吉大社の謎 後代のしるしのための船 28 住吉大社の御本地は?29 オリオンミステリー30 出雲大社の謎31 オリオンとシダリヲ32 天照大御神の御神宝33 神宝はタイムカプセル?34 国難と神宝の洗い直し35 国難と蟻通しの謎36 蟻通しの難題とファイストス円盤日本国の歴史とアイデンティティーに関する、難解なテーマに挑戦して、市井の素人の私があれこれ口を挟むのは僭越に過ぎるようですが、歴史家や、神学者の方々に、また、一般国民の方々に検証を呼びかけたいという思いで、このブログを書いています。
「浦島太郎から辿る」という題でこのブログを書き始めた理由は、浦島太郎が「玉手箱」を空けてタイムスリップをするお話は、「日本」の歴史そのものをタイムスリップさせる「証」が世に出ること、これが、わが国に神宝がある理由だと思っているからです。
言い換えますと、玉手箱を開けると翁となってしまうというタイムスリップの話は、日本と地中方面との間のタイムトラベルをうながし、さらに、日本という国が、玉手箱の蓋を開けて神鏡を見ると、「開けてびっくり」、実は「老国」であるという証拠がでてくる「タイムカプセル」であると推理しているからです。
こうしたタイムカプセル的発想の物が、わが国に存在したことは、
「平家物語」剣の巻の神璽、即ち、神鏡にまつわる記事でもわかります。 およそ神璽と申すは、神代より伝わりて、代々の御帝の御守にて、
璽筥(しるしのはこ)に納めけり。この箱、開くことなく見る人も無し。
これに依りて後冷泉院(1025~1068年)の御時、いかが思しけん、
この箱を開かんとて 蓋を取り給ひしに、たちまちに
箱より白雲上り給ひけり。
由ありて、雲は元のごとく返り入らせ給ひぬ。
紀伊の内侍、蓋覆ふて緘げ納め奉る。
日本は小国なりといえども 大国にまさるとは是なりとぞ。
神璽とは、わが朝の起より出でたり。この記述は、宮中の「賢所」の神器について述べた箇所なのですが、それは、このように、「わが朝の起より出ている神璽であり、是により日本は小国なりといえども大国にまさる」と言っているのです。
「平家物語」の剣の巻が、神鏡を語るべき場で神璽を述べていることの謎を考えますと、「鏡とは鑑、すなわち、神璽(印鑑)であるということも考えられます。
この「箱より白雲上り」というフレーズが「浦島太郎の玉手箱」を暗示しているように思えるのです。
また、エジプトを漢字で埃及と書きますが、「埃」とは、「ちり、ほこり」のことです。「ちり、ほこりの雲」が、玉手箱の中からでてくるのだと考えられます。
さらに、古代において、エジプトのことを「ネフェレ」と呼んでいましたが、これは「雲」という意味なのです。皆様は「ネフェルティティ」と言う名の美女をご存知でしょう。
ですから、出雲とは、「出エジプト」のことであると、
30 出雲大社の謎で書きました。
「出雲大社」の天井画が「八雲」であることが、このごろ話題になっていますが、「八雲」とは、「ヤコモ」即ち、「ヤコブ」のことであるとは、木村鷹太郎氏の説です。
木村鷹太郎氏の、「日本と聖書」あるいは、「日本と古代エジプト」「日本と
古代ギリシャ」についての説は、ある人のホームページに、「これは、偽史」と定義づけたうえでかなりくわしく紹介されています。
彼は、さらに、
「“偽史”は、ほとんどの場合において、学問的な歴史学の成果と相容れないのみならず、正当かつ十分な学問的、検証を欠いた、とうてい批判に耐ええないようなものでしかなかった」と結論づけています。
まさしく、その通り!!!
「常識?の塔に閉じこもりっきりの学問的な歴史学の成果と相容れないのみか、正当かつ十分な学問的検証を欠いているのです!!!私の言う意味は、「木村鷹太郎氏の説に関して、歴史学界が、この百年間というもの、学問的な検証を一度もしないまま黙殺してきたという意味です。
そして、わたしは、この説については、(家事の片手間の素人研究とはいえ、)検証してきたうえで発言しているのです。
その間、国会図書館そのほかから、借りうる木村鷹太郎氏の著書は全て、取り寄せて読み通しました。(3冊は復刻版で、一冊は原本を所有しています。)
正直に申しまして、私は、英語が苦手、漢文、古文も同様、ギリシャ語、ラテン語にいたっては、知識は皆無ですから、「検証できる」はずがありません。
それでも、私がこのブログに書いた36項目は、木村鷹太郎という人物の唱えた「新史学」を否定してしまうことはできないということを示すに十分だと思っています。
私が取り上げた36項目を立証するには、一事、すなわち、「わが朝の起より出でたる神璽」が公開されされれば、万事がわかることです。
しかし、この神宝の「本物」の所在は、「古事記」「日本書紀」の中で、既に、曖昧にして記されており、その後も神宝に関しては、「火事」「盗難」「争いによる持ち出し」などの紆余曲折が記録されているのです。
一例をあげますと、源平合戦のとき、安徳天皇とともに宮中の賢所の神器が京都を離れて、安徳天皇と一緒に壇ノ浦に(1185年)沈んだと書かれ、さらに、拾い上げたとも書かれています。
その後、南北朝に分かれたとき、南北どちらの側に神器が伝わったのか確かなことはわかっていません。
また、GHQ占領時代には、GHQによって、「神道改革」「教育改革」が重点的に行われたのですが、その際、「古文書」や「刀剣」探しをして、「神宝」の手がかりを捜査したであろう事は、GHQの人々が、片田舎の我が家にまで調査に来たのを、(幼時に)私自身が庭のつつじの茂みの陰に潜んで、震えながら目撃したことがありますから、容易に推理できます。
そのとき、GIが探し出すのは、古文書(「古事記」・「日本書紀」も)と刀剣」だという噂がいきわたっていましたので、旧家といわれるほどの家々では、そうしたものを隠しました。
古代の人々は、わが国が、強国に支配されて、自分の神のことも、その上のことも、すっかり忘れ果ててしまうことを予見していたということについては、下記の項目に書いておきましたので、せひ、ご覧になってください。
12 御神輿と契約の箱本が、神宝を匿いすぎて、「肝心要の時に、世に公表できなくなってしまう」ときのことを予見して、備えられていたのが、「ファイストス円盤」だと考えられます。
1908年、西のクレタ島の紀元前16世紀頃の「ファイストス円盤」が出土して、
1997年「エホバ神の御名」が日本語で現れ出ました。
そのうえ、ヨセフの息子が彦穂穂手見命=山幸彦と海幸彦だということをわたしが発見しました。
ですから、日本という浦島太郎は、この時点で一気に老人になったと言えます。
下の絵は、浦島太郎のパロディ「歌川国芳の当たる面箱」です。
「当たる面箱」とは、当時の人気役者の面々のうち、誰が大当たりをとるか?といった内容なのですが・・・・・。
このように、箱から十二の面々飛び出してくるというおもしろい着想です。
ところが、「ファイストス円盤」に刻まれているのもヤコブの息子たち12の面々なのです。
恐るべき一致というほかはありません。
「ファイストス円盤」なる「八十ひらか」は、すでに、脅威的なタイムカプセルであり、開けてびっくりの『玉手箱」であるといえます。