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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

3 竜宮城とアトランティス

3 竜宮城とアトランティス

「風土記」の浦島記から辿るアトランティス

竜宮城といえば、「浦島太郎」が乙姫様と住んでいたところです。
童謡の「浦島太郎」は、わたしの小さいころは、よく唄われていました。
 
 むかし むかし うらしまは
 助けた亀に 連れられて
 竜宮城に来てみれば
 絵にも描けない美しさ

浦島と「すばる星とあめふり星」
「風土記」(713年編纂)の丹後国の記述でも、浦嶋の着いたところは、
「闕臺(うてな)は映(かげくら)く、
 楼堂は玲瓏(てりかがやき)て、
 目に見ざりしところ、耳に聞かざりしところなり。」

このような豪勢なところだというのです。浦島太郎の童謡の龍宮城の「絵にも描けない美しさ」という伝説と全くおなじです。

そして、そこで、浦島を「すばる星」と「あめふり星」が出迎えるという記事があります。
不思議なことに、この両星団の星々は、ギリシャ神話では、アトラスの子供たちのことなのです。

与那国島海底遺跡の謎解きをする者にとって、太古のアトランティス文明の消失を語っているプラトンの「アトランティス情報」を抜きには語れません。プラトンの書いた「クリティアス」と「テマイオス」が、アトランティスに関する唯一とも云うべき資料なのですが、両書で、プラトンが述べているアトランティスの首都は、運河がめぐらされ、船のドックがあり、交易センターがあるなどの驚くべき高度な都市でした。

ところで、日本人なら誰しも、与那国島海底遺跡から「浦島太郎の竜宮城伝説」を思い浮かべます。
そして、「浦島太郎」の話には「タイムスリップ」という高度な内容も盛り込まれているということも見逃せません。
そのうえ、「風土記の浦島の記事」の中に「アトランティス」のモチーフが出てくるときては、偶然の一致として見過ごすことはできません。
そこで、この不思議な一致を手がかりにして掘り下げてみます。

「丹後の風土記」の浦嶋の話  抜粋
浦嶋子は釣をしていて五色の亀を得て、その亀を船の中に置いていますと、亀は女人と為ります。
浦島の妻となるその女人は、「其の容美麗しく、比ふべきものなかりき」、という美人であることが強調されています。

浦嶋子の赴いた蓬山(とこよのくに)、即ち、蓬莱山には、見たことも聞いたこともないような壮麗な宮殿があります。

「丹後の風土記」
 その地は玉を敷けるが如し、
 闕臺(うてな)は晻映(かげくら)く、
 楼堂は玲瓏(てりかがやき)て、
 目に見ざりしところ、耳に聞かざりしところなり。
 手を携へておもむろに行きて、一つの大きなる宅の門に到りき。
 乙女「君、しまし、ここに立ちませ」と言いて、門を開きて内に入りき。
 ・・・・
 
 七たりの堅子(わらは)来て相語りて、「是は亀姫の夫なり」といひき。
 また、八たりの堅子来て相語りて、「是は亀姫の夫なり」といひき。
 ここに、乙女が名の亀姫なることを知りき。
 ・・・・

 乙女の云ひけらく、
 その七たりの堅子(わらわ)は、すばる星なり、
 その八たりの堅子は、あめふり星なり
。」・・・

このように、蓬莱嶋で浦嶋が出会った子どもたちとは、「すばる星(プレィアデス星団)とあめふり星(ヒアデス星団)だったと記されているのです。
そして、この両星団の星々は、ギリシャ神話ではアトラスの子供たちのことです。すなわち、
「アトランティスとはアトラスの娘たちという意味」なのです。
そこで、この両星座にまつわるギリシャ神話から抜粋してみます。


タウロス座(牡牛座)とアトランティス
すばる星=プレィアデス星団
アトラスとプレイオネとの間に生まれた七人姉妹は、オリオンに愛されて、追いかけられたため、神々に自分たちの姿を変えてほしいと願いました。
そこで、ゼウスがこのアトラスの娘たちを鳰鳥と為し、プレィアデス星団と為して天に掲げたといいます。

そのうちの一つ、エレクトラの星は、その子ダルダノスの建てたトロイ城の没落の悲劇を見ないようにと、星座の列を去って箒星となり、髪を長く後ろに垂れ乱して、諸方を遍歴し、
他の姉妹たちは、トロイ城の落城を見たために、そのとき以来、青ざめてしまった
といいます。

このすばる星=プレィアデス星座の神話から、アトラスとはトロイアのことであると推定できます。
トロイアのトロアスという呼び方のアナグラムがアトラスなのです。

プレイアデス 1885年 エリュー・ヴェッダー画 ウィキ
「プレイアデス」の天女たち 1885年 エリュー・ヴェッダー画 メトロポリタン美術館所蔵 ウィキペディアより

天から舞い降りてきた天女たちを棚機(たなばた)姫ともいうことをご存知ですか?
琴座のベガを織女と言って、こちらの七夕神話が有名で、「牽牛と織女」の行事として、七月七日には、笹竹に願い事を書いた短冊を吊るします。そのために、七月のことを文月といいます。
しかし、タウロス(雄牛)座の肩のところにあるプレアデスも棚機姫を意味していて、その星々にアトラスの娘たちの名前がついています。日本に於いても、プレアデス すばるの星々は棚機七姫として、それぞれに日本名がついています。
プレアデスの星々には、アトラスの娘たちの名がつけられていますが、それは日本においても「七夕七姫」として名付けられています。

 マイア(Μαια; Maia) 秋さり姫
 エーレクトラー(Ηλεκτρα; Electra) 糸織姫
 ターユゲテー(Ταυγετη; Taygete) ささがに姫
 アルキュオネー(Αλκυονη; Alcyone) 百子姫
 ケライノー(Κελαινω; Celaeno) 梶の葉姫
 アステロペー(Αστεροπη; Asterope) 朝顔姫
 メロペー(Μεροπη; Merope) ともし火姫 夕顔

八乙女のうちの一人は、天から落ちたので、七人になったと伝えられています。
この肉眼では識別し難いプレアデス星団が、クレタ島出土の3600年も昔のファイストス円盤に描かれているという驚くべき事実があります。(後述)

あめふり星=ヒアデス星団
アトラスとエレクトラ、さきの、トロイア没落前に天にのぼったエレクトラとの間の娘たち(ニシヤの仙女たち)があめふり星=ヒアデス星座となったという神話になっていま。
ゼウスは、セイメレ女神との間に生まれたディオニソスの養育を、このニシヤの仙女(天女)たちに委託しました。
ディオニソスは、カズモス(フェニキアの祖)の娘である母セイメレ女神が死した時に、死灰の中から助け出されて生をうけ、アトラスの娘のニシヤの天女たちに育てられたことを、このヒアデス星座の神話は伝えています。

あめふり星=ヒアデス星座神話では、「フェニキアとディオニソスの死灰の中からの復活」が強調されています。
ゼウスとセイメレ姫にまつわるギリシャ神話は、「古事記」「日本書紀」の、三輪神社の「大物主と玉依姫」の神話や、「風土記」の「玉依姫」の神話と同じ内容です。

ゼウスとセイメレの息子ディオニソスは、クレタの王女アリアヅネと結婚して、二人の間にアトラスの娘と同名のメローペという孫がいることになっています。
このアリアヅネの「糸で辿る」という神話と、三輪の神の正体を尋ねるために玉依姫が「糸で辿る」という神話(「古事記」「日本書紀」)は、同じモチーフで組み立てられています。
ディオニソスは酒神ですし、三輪の神もまた酒神です。

こうして、ギリシャ神話と日本神話との間には、「偶然の一致」とか、「物語の伝播」、あるいは、「神話の盗用」といった言葉で片付けることのできない複雑な相関関係が伺えるのです。
これらは、日本とギリシャ、また、日本とアトラス=トロアス=トロイアの関係を示唆していると私は主張したいのです。


プレイァデス星座とヒヤデス星座と牡牛座タウロスとの関係

アトランティスはトロイア?
アトラスの娘たちを表象した「スバル星=ブレアデス」と「あめふり星=ヒヤデス」は、ともに牡牛座(タウロス)にあります。
タウロスの右目の部分の一等星アルデバランを中心としたのがヒヤデス星団、そして、タウロスの肩の部分に広がっているのがプレアデス星団です。

  タウロス座


こうして、タウロス星座の中にアトラスの娘たち、即ち、アトランティスの「ブレアデス星団とヒヤデス星団」をちりばめて配置することで、タウロスがトロイアにして、アトラスであることを掲示していると思われます。

タウロス星座


Claire Grace Watsonさんのホームページ 
PHAISTOS DISK SOLUTION - HIDDEN PATTERNS から

http://www.diskoftheworld.com/

ファイストス円盤上にあらわれたプレアデス星座
プレイアデス星座 ワトソン図
上 Claire Grace Watsonさんの作図



ファイストス円盤上にあらわれた牡牛座
牡牛座 ワトソン図 
上 Claire Grace Watsonさんの作図

ファイストス円盤のタウロス星座は、次のような刻印を繋いで出来たものです。
大人 ワトソン図
上 Claire Grace Watsonさんの作図

タウロスはクレタ島のミノタウロス神話などに、さらに、トルコのタウロス山脈や中国の大楼山脈などに、その永遠の名をとどめていると思われるのです。そして・・・
浦島太郎のタロウとは、このタウロス=トロイア=トロアス=アトラスを記念した名であろうと思います。

そして、タロウとは大楼のこと、いわゆる「大人(うし)」「大物」のことでもあると考えられ、三輪の大物主もここから来ていると思われます。
なお、エジプトの「ファラオ」とは「大楼」の意味です。
日本各地に残る「おおひと=大人=ダイダラボッチ」伝説との関係をここに垣間見ることができるのではないでしょうか。
すると、三輪神社の大物主の神域であるアスカの地の謎に満ちた巨石遺構も、その「大人(うし)」にして「大人(おおひと=ダイダラボッチ)の遺物であることがわかり、「大楼」すなわちエジプトのファラオたちの建造したものであるという仮説を立てることができます。

トルコ石象嵌 牛神像



浦島太郎の「玉手箱」は?
トロイア伝来の神器?
木村鷹太郎氏は、「日本太古史」博文館1911年に記して、
「日本の神器」なるものは、トロイア陥落の時に、トロイア王家のアイネイァス=稲氷命が携え出したものであると説いています。
神武天皇イワレヒコが、トロイア王家のイウレウスで、イワレもイウレウスもイリウム(トロイア)も岩という意味をもっていると木村鷹太郎氏は説いて、「古事記」神代記の大国主と少那毘古那の国作りの記事中の「羅馬船」をわざわざ「かがみの船」と読ませているのは、この「神器」が、トロイアの王子で羅馬建国者のアイネアス(神武天皇の兄弟稲氷命)から伝来していることを示唆したものであるとして、次のコメントを添えています。
      
  神鏡容器に御船代なるものありて、さらに、
  神鏡は御樋代内に入れられて載せ奉りあるを見よ。
  神鏡を載せあるは此れ「かゞみの船(羅馬船)」にあらずして何ぞや。

  この神鏡は日本の大宝なり。
  単に日本の大宝たるのみに止まらずして、世界人類の大宝なり。
  これ過去に於いて、また将来において、世界の人類の平和の宝祚にして、
  人間に関する善美は此れに本源し、今後ますます然るべければなり。・・ 
  天下の大宝を自家に蔵して、しかもその天下的のものたるを知らざるは、
  歴史家の無知これを教えざりしによる。


浦島太郎がタウロス=トロイアであれば、玉手箱の中身が、トロイアの神器である可能性が大です。




浦島太郎と天女

「丹後風土記」の天女
スバル星=ブレイアデス星団とあめふり星=ヒヤデス星団のアトラスの娘の神話にも、メローペ、あるいはエレクトラが天界から下ったという話がありますが、「風土記」には、天女八人が、地に舞い降りたが、そのうちの一人が天に帰れなくなってしまったという神話が載っています。

  丹後の国 丹波の比治山の頂に井あり、名を真奈井と云ふ。
  この井に天女八人降り来て水浴みき。
  時に老夫婦あり、・・・この井に至りて、ひそかに天女一人の衣裳を取りき。
  やがて、衣裳ある者はみな天に飛び上がりき。
  衣裳なき女一人とどまりて、身は水に隠して、ひとり、はぢ居りき。
  
この天女は、この老夫婦の子となって一緒に住みます。
天女は、一杯飲めば万の病除ゆという酒を醸したので、その家は豊かに富み栄えましたが、この老夫婦は、その徳を忘れて天女を追い出しました。そこで・・・

  天の原 ふりさけ見れば 霞立ち 
    家路まどひて 行方しらずも

天女は、この歌を残して退き去り、竹野の郡、船木の里の奈具の村に至り、そこにとどまったといいます。
奈具の社に坐ます豊宇賀能賣命(トヨウカノメノミコト)がそれであると、この神話は結んでいます。
この天女が降り立ったところを「真奈井」といいます。

浦島神社と同じ丹後の、籠神社は「元伊勢」と呼ばれていますが、その奥社が、この豊受大神を祀る「真名井神社」です。

豊宇賀能賣命とは、伊勢神宮の外宮に祀られている穀物神豊受大神のことです。そして、このウカノミタマの御神体は、「宝瓶」あるいは「瑠璃の壷」であることが、文永の遷宮の際のアクシデントによって判明したといいます。山本ひろ子氏「中世神話」岩波書店1998年 より。
ここに「瓶」という言葉が出てきますが、これが「亀」の掛詞であると考えられます。

浦島太郎の乙姫と乙女座
浦島太郎の妻を「風土記」は亀姫、また、神女と記しています。
「万葉集」では、海若神之女(わたつみのかみのむすめ)と書いていますが、一般では乙姫と伝承しています。
これを乙女と解しますと、乙女座のVirgoのことだとわかります。
この星座の黄道における記号は「Π女」ですが、「Π」はギリシャの8です。これは「いわゆる漢字」表記の「八女」、すなわち八乙女のことです。
この乙女座Virgoの女神が穀物の穂を持っていることから、穀物神であることがわかり、ここに豊受大神との一致が見られます。
豊受大神は、民間伝承の「お多福」、亦の名「おかめさん」と同一であろうと言う説があります。これは、浦島太郎の妻の名が「かめ」とも「乙姫」とも呼ばれていることと一致します。

乙女座 Virgo
乙女座 Virgo 図はウィキペディア 中国語版より
Virgo constellation from Uranographia by Johannes Hevelius(1690).

この乙女星座の女性は、古来、デーメテール、デーメテールの娘ペルセフォネー、アフロディテー、即ち、ヴィーナス、アスタルテ、あるいは、エジプトのイシスあるいはハトホルであるといわれてきましたが、どれも同一国(トロイア=倭)の歴史の別の面を語っていると考えられるのです。

ペルセフォネーの黄泉行きの神話は、伊邪那美命の黄泉行きの神話と同じです。
ペルセフォネが美しい野原を散策しているとき、突如黒馬に乗って現れ出た冥王にさらわれ、あっという間に黄泉につれ行かれ、囚われの身となります。ペリーの黒船があらわれて、あっという間に欧米の捕囚の身の上となった現日本国と全く同じケースです。歴史は繰り返すのですね。

このとき、地上の光の世界へ呼び戻す役目をするのが、アトラスの娘マイアの子であるヘルメス神です。

この神話は、「ヴーナスとその子キューピット」の二人がティフォンの暴虐を逃れるために、二匹の魚となって東方へ逃げたという神話」にリメイクされているようです。
ヘルメスの母、すなわち、アトラスの娘マイアは、五月の語源となっています。
日本の五月の行事では、「鯉幟」を立てますが、これが、「ヴーナスとその子キューピットの二人が、二匹の魚となって東方へ逃げたこと」を象徴しているのではないかと考えられるのです。

「イエスの母が処女マリアである」という話は、「乙女(処女)Virgo、すなわちビーナスとキュ^ピッド」が二匹の魚となって、エジプトへ、また、その後東方へ逃げたという神話の再来を暗示していたのではないでしょうか。

イエス・キリストが、二匹の魚を「しるし」とされたことはよく知られています。
イエスがキューピッド、その母マリヤがヴィ^ナス即ち乙女座(処女宮) Virgo で表象されていることを「謎かけ」しているのは最後の晩餐です。それは、「東方へ脱出しなさい」というメッセージでもあったと考えられます。

6世紀のモザイク 「最後の晩餐」
6世紀のモザイク 「最後の晩餐」の最古の絵 ウィキペディア イタリア語版より 部分
Basilica of Sant’Apollinare Nuovo, ラヴェンナ イタリア

ところで、愛媛県の大洲市には、少名彦名神の神域神南山の麓に大きな鳥居が立っています。
この少彦名神は大物主神とともに奈良の三輪神社に祀られています。
三輪の大物主の妻は玉依姫で、これがイリス女神です。
イリス女神はアイリス、つまり、日本流に言いますと菖蒲やあやめです。
五月五日に、菖蒲を飾るのは、玉依姫がヴィーナスにしてマイヤ(五月姫)でもあることを示しているのだと思います。
夫の大物主に七つほどの名前があり、化ける神、見えにくい神、隠れる神なのですから、玉依姫もこれに準じているはずです。
「古事記」は、四国を「伊予の二名」島という名で表わし、国生み神話に取り入れていますが、木村鷹太郎氏は、これを「魚二名=魚二匹」であると云い、「イオニアIo‐niaもまた、ギリシャ語で双魚のことだといい、「愛媛」とは、愛と美の女神ヴィーナスのことであると称えています。
浦島太郎の釣り糸を手繰ると、双魚という大魚が釣れたようです。


「アトランティスとはトロイアに他ならなかった」
エーベルハルト・ツァンガー(Eberhard Zangger)氏の説
私は歴史上のトロイアについて研究していません。ただ、さまざまな書物を調べただけです。
その中で最も推薦できるのが、E・ツァンガー氏の
 「アトランティス 解読された伝説 邦訳
「天からの洪水」服部研二訳 新潮社1997年 刊
 「甦るトロイア戦争」和泉雅人訳 大修館書店 1997年 刊 
です。

エーベルハルト・ツアンガー氏(Eberhard Zangger)は、
「アトランティスなるものはトロイアに他ならなかった」との論考を、プラトンの「クリティアス」と「ティマイオス」、そして、ホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」を比較考証し、また、考古学的調査を重ねて導き出して、「天からの洪水」で発表しています。
ツァンガー氏は、またで、トロイアは、考古学界や史学界の定説よりは、はるかに大規模で、広域に影響力を及ぼす存在であったと、「甦るトロイア戦争」で力説しています。




話の種
 飛天3
子供のころ読んで思い出深い「羽衣」という講談社の絵本の挿絵をここに紹介したかったのですが、笠松紫浪挿絵の「浦島太郎」「一寸法師」などは約60年ぶりに復刻されたのですが、「羽衣」は、残念ながら復刻されていません。

そこで、宇治の平等院の「雲中供養菩薩」52体の中から南20の飛天を掲載します。

ところで、平等院の飛天=天女は52体あります。
源氏物語は54帖ですが、分冊しているものが含まれていますから、52が意識されていたと考えられます。
東海道は53次です。
こうした、52あるいは53へのこだわりは、「忠臣蔵」のいろは・・・の纏(まとい)で、謎がとけます。
この数字は、日本語の「50音に阿吽の呼吸をたしたもの」からきていると考えられるのです。

古代エジプト、古代ギリシャ、メソポタミアは50音表記の文明でした。
そして、アジアは朝、ヨーロッパは夜を意味しているという名残が、日本やインドは国旗に太陽を表しているのに対してヨーロッパ系の国旗が星をちりばめているのに表れています。

この一事が万事を物語っているように、日本人の祖先たちは、太古において世界で活躍していたのです。
日本人は、自国の言語が、世界の言語の基本であるという価値を見失ってしまっているために、自国の歴史を辿れず、国としてのアイデンティティーを消失してしまっているのです。

失った「羽衣」とは消失した「アイデンティティー」、消失した「歴史」です。
羽衣とは、葉衣、言葉、文なのです。
「七夕さまと文月」の行事の意味は、相当深いところにあるようです。
七夕行事のルーツは中国であるというのが定説となっていますが、少なくとも、その真相は日本でなければ明らかにすることができないのです。

2 与那国島海底遺跡と竜宮城 

2 与那国島海底遺跡と竜宮城

浦島太郎の竜宮城

竜宮城を連想させる与那国島海底遺跡
与那国島海底遺跡を見て浦島太郎の竜宮城を連想しました。それは、私が子供のころに見た講談社の「浦島太郎」の絵本の挿絵が、赤いサンゴの林のなかの沖縄風の宮殿だったように記憶していたからでしょう。
私の幼少期は戦争中のこととて、紙やインクが極端に不足していたので、絵本などは殆どで回っていない時代でしたので、親戚から贈られた「浦島太郎」や「かぐや姫」などの絵本は、わたくしの大事な大事な宝物でした。

これらの本が講談社から2001年に復刻されましたので、笠松紫浪氏の挿絵に再び接することができました。
笠松紫浪氏の「浦島太郎」の挿絵と、沖縄から発掘された「謎の石版」の絵を並べて見ましても、良く似ています。
琉球という呼び名が、隋書(656年)に「流求」と書かれていることも、流宮、すなわち海底宮殿のイメージを呼び起こします。
   

 絵本「浦島太郎」笠松紫浪画 講談社 沖縄の謎の石板の絵 



与那国島海底遺跡の概要
木村政昭著「海底宮殿」実業之日本社から
2002年の水中ロボットの調査により、
 巨大岩盤を削り取ってできた大構造物の南に、
 古代都市を思わせるような造形が付随していることが確認された。
 
 新川鼻沖の宮殿様の"遺跡ポイント”以外にも、
 その南東約500メートル、水深20~35メートルのあたりに、
 「スタジアム」様の遺構があり、
 岩盤が平坦に削られた直径80メートルほどの広場のまわりを
 階段状地形が取り囲んだ大規模な構造物がある。
 
 ほかにも、5~6ヵ所、大規模な石造遺跡らしきものが島の沿岸を
 取り囲むように存在する。

「その大構造物遺構は宮殿と形容するほかは考えられない。」と、木村政昭教授は記しています。

沖縄のロゼッタストーン 線刻石板画
木村政昭教授は、古代の「線刻石板画」が沖縄本島中西部海岸の読谷、北谷、宜野湾などのグスク(城)や拝所跡の地表部や地中から十数枚掘り出されていることに注目して、線刻石板に描かれた宝塔のような建物は、水没前の建物を描いたものではないかと推定しています。

与那国島巨石遺構について木村政昭教授の見解
「与那国島海底遺跡の場合は、海面上昇による沈没ではないか。今、少なくとも水深30mほどの所が地上だった時代に建造されたと考えられる点で稀有なる研究材料である。」
「ここに大規模な石造建築文化が存在したことによって、人類の文明史は大きく書き換えられることになろう。この説を裏付けるものとしては、近くから海底鍾乳洞が発見され、その中から石器が発見されていることを挙げることができる。」

 
与那国島海底遺跡と竜宮伝説
「海底宮殿」木村政昭著から   
 琉球では昔から、海の彼方に理想郷、ニライカナイが存在すると伝えられてきた。
 今日では、その理想郷こそ竜宮城だという説が有力になってきている。
 竜宮城といえば亀が出てくるが、その亀がキーワードなのである。
 与那国の遺跡ポイントのアッパーテラスには大亀のレリーフが二体配置してある。
 また、他の地点にも亀のレリーフが至るところに見られる。
 これらは、竜宮伝説との関係を思わざるを得ない。

「竜宮城」との関連性を探索するのに「亀」がキーワードとなるのではないかという木村政昭教授の説に私は賛同します。
浦島太郎が亀にのって出かけた宮殿は、童謡では「絵にも描かけない美しさ」となっています。

「風土記」には、浦島太郎の妻の亀姫が住んでいたところは、海神の宮殿であり、高殿を備え、石垣のそびえ立った、みたことも聞いたこともない豪華さであったと描写しています。
私は、既に、日本の上古の歴史を探索するにあたって、奈良の明日香の巨亀、栃木県今市の巨亀などの謎の解明を手がけてきました。
明日香の亀には、「この亀が西を向くと、世界は泥の海」という伝承まで残っているのです。
「鶴と亀がすべった」という謎の「カゴメ歌」との関連性も否定できません。
東西南北の「北」を表象するのに中国や日本では「亀蛇」が使われているのも不思議です。
こうしたことについては、後にふれることにします。

1 与那国島海底遺跡の謎解き 

1 与那国島海底遺跡の謎解き

いざ与那国島へ

与那国島の透明な海
与那国島に、06年4月25日に行きました。

与那国島は、東京から約2000㎞のところにある日本西端の島です。
隣の石垣島からさえも約100㎞離れている絶海の孤島です。
そんな、最果ての島めざして飛び立ったのは、海底遺跡を見るためでした。

与那国島に到着すると、生まれて初めてのスキューバダイビングに胸を躍らせてとり組みました。
ウエットスーツを着込み、足ひれをつけて、重い酸素ボンベを背負って、インストラクターの指導を一言も聞きもらさないよう細心の注意を払って、与那国島の透明で暖かい4月の海に飛び込み、万事順調に進んでいましたが、・・・
耳が痛くて、とても6メートル以上は沈めませんでした。六十年前に患った左耳の中耳炎のことが頭をよぎり、とうとう、海底遺跡をこの目で見ることを断念して、海からあがりました。


でも、この夜、思いがけず、与那国島海底遺跡の発見者である新嵩喜八郎氏のお宅に招かれて、世界各国のテレビ局が撮影した「海底遺跡」の撮影ビデオを大画面で拝見しながらお話が伺えるという幸運に恵まれましたし、そのうえ、同じ宿には、木村政昭教授御一行も滞在中という幸運が重なりました。


早速、木村政昭教授に、気がかりなことをお尋ねして見ました。
ロバート・ショック氏の「神々の声」飛鳥新社1999年等を読みますと、「ロバート・ショック氏は、与那国島の海底遺跡を潜水して実見し、調査もして、“古代遺跡”ではなく、“岩に対する自然の働きの結果だ”と書き、“失われた地球規模の文明の決定的証拠を期待していたのに、それを、何も発見できなかった”と結論付けていますが、木村先生は、この発言について、どのように思われますか?」と。
すると、木村教授は、「今では、ロバート・ショック博士は、地質学会の公の場で“割れや節理だけでできたものではなく人工的な手が加わっている”と発表されていますよ」とのことでした。
しかし、ロバート・ショックは、未だに、日本の読者たちには、「知らぬ顔の半平衛」を決め込んでおられるようにお見受けしますね。



新嵩喜八郎氏の海底遺跡の発見
与那国の海は透明度の高さでは世界的にも有名で、変化にとんだ海底地形や回遊魚の群れるさまなどは水中撮影やウオッチングに適しているため、新嵩喜八郎氏は、ダイバーたちのためのダイビングポイントのマップ作りを思い立ちました。そして、新川鼻沖の海中に潜ったとき、海底で運命的な岩盤との出会いが待っていたといいます。

200メートルを越す岩磐のラインが規則正しく東西方向に延びているのを見て驚愕した新嵩喜八郎氏は、これが人工的な構造物であることを直感し、「遺跡ポイント」と名づけました。



海洋地質学者木村政昭教授の調査
この海底遺跡は、琉球大学の木村政昭の注目するところとなって、1992年の調査以来さまざまな角度から与那国島海底遺跡の探査を重ねてこられました。

     img012.jpg

「メインテラス」 木村政昭著「与那国島海底遺跡 潜水調査記録 P71」
撮影 琉球大学海底調査団  平城徳浩氏 


木村政昭教授は、「この与那国島海底巨石遺構は、中・南米にみられる階段ピラミッドに似た遺跡であり、人口的建造物である」と判断を下し、1998年、沖縄県の文化局に「遺跡発見届け」を提出する運びとなりました。


与那国島は隣島から100キロメートルの孤島   
与那国島は、東京から約2000キロメートル、
鹿児島から、約1000キロメートル、
沖縄本島から、約500キロメートルほど離れています。
隣島の石垣島からさえも、凡そ100キロメートル、
台湾からも約100キロメートルのところに位置する絶海の孤島です。

周囲わずか28、6キロメートルという小ささです。

このような場所に、ピラミッドのような海底巨石遺構が存在するというのですから、「太古に、何故、ここに」、という疑問を抱かざるを得ません。
第一に考えられるのは、黒潮の流れと、この立地条件こそが、「航海の中継地として、海のオアシスとしての価値が高かった」のではないかということです。
「古代に台湾 ⇔ 沖縄 ⇔ 日本間の交流があった」なら、ここで、水や食料を補給したり、船員の交代をするための重要地点だったにちがいありません。
「縄文時代に南方や沖縄諸島や九州、本州さらに北海道と間で交流があったことは貝や黒曜石が証明している」ことです。

両隣の石垣島や台湾からそれぞれ100kmも離れているという立地条件からみますと、地中海のクレタ島とサントリーニ島間がほぼ100kmであるという関係を想起します。

サントリーニ島は、およそ紀元前16世紀の火山大爆発で、丸い島が三日月状になったという大惨事に見舞われた島ですが、その厚く積もった火山灰の下から石造り三階建ての町並みや、船団で賑わう情景を描いた壁画が出土していて、サントリーニ島が、今から3600年以上昔、日本では縄文時代と呼ばれている時代に、海上交通の要衝の地として繁栄していたことが明らかになったのでした。
与那国島についても、その遺構の巨大さと精巧さからみて、ここが、重要な海洋キャラバンの中継地であり、建造者たちが相当な実力者だったことがしのばれるのです。



アトランティスを連想

古代に海底に沈んだアトランティスの情報源
海底にある高度な岩盤加工を考察する場合、プラトンの「クリティアス」と「ティマイオス」を参照しないわけにはまいりません。
古代ギリシャの哲学者プラトン(BC427~BC347年)の著作集の中の「クリティアス」と「ティマイオス」に書かれているアトランティス記事は、今から1万二千年ほど前に海底に沈んだという古代都市についての、ほとんど唯一ともいえる情報です。
プラトンは、その著「ティマイオス」で、この、消滅したアトランティスの情報源は、古代のエジプトのサイスのネイト女神の神殿の神官であると明言しています。
与那国島海底遺跡の構造と石切り技術には、ピラミッド文明を連想する巨大さと高度さがあるのですから、これを検証する場合、この「プラトンのアトランティス記事」を見逃しては通れません。


プラトンの記事によるアトランティス国の特徴
この記事に書かれたアトランティスの建設技術は目を見張るような高度なものであったことが、実に具体的に書かれているのですが、ここに必要最小限の項目を取り上げてみなす。

地の両極に拠点をもっていた。
運河を巡らせた港湾やドック、そして、トンネル内の大造船所などが完備していた。
船団を有し、各地からの交易でにぎわっていた。
艦隊と軍隊をもっていた。

上の項目のうち、「地の両極」という言葉を現代人は過小評価していると思います。
「地の両極」という言葉を文字通りに解釈すべきであるという見解についてはこのブログで順次検証していくつもりですが、その前に、・・・
古代エジプトのピラミッド建造者たちの、その技術力と幾何学知識の驚異的高度さを理解し、彼らが作った運河や迷宮を知るものなら誰でも、古代エジプト人にとって、地球を一周する船を建造することくらいいともたやすいことであったに違いないと考えるはずです。

山口県の岡村精二氏は、1977年に、厚さわずか9ミリメートルのベニヤ製の6メートルあまりの自作のヨットで、太平洋を横断してサンフランシスコに到着しました。
法制上、手漕ぎでは航海が許可されないので、ヨットのような見せかけをしていたそうですが実は、殆んど手漕ぎボートだったので147日間もかかったといいます。ヨットで行く場合は約90日間で着くようです。
今では、単独無寄航世界一周も少しも珍しくはありません。

ピラミッド製作者たちが、船を建造して大航海をして、世界を周航していた可能性はじゅう分考えられます。
第一、ギザのクフ王の大ピラミッドの傍の石室には、全長42.32m、全幅5.66mmもの大きさの杉板で作られていた船が、649のパーツに分解された状態で収納されていました。
ギザの大ピラミッド脇に立てられた博物館に行って、復元されて展示されているこの太陽の船の精巧さを実見した私は、クフ王の時代には、世界周航の船が建造されていたに違いないと感じました。
長さに比べて幅が狭いことから、「太陽の船」は双胴船(カタマラン)の片割れであると、私は推察しました
また、この幅の狭さとへさきの作りから見て、運河、暗渠を通り抜けるための構造であったと推測しました。


与那国島海底遺跡は、日本本土の古代史解明の手がかり?
わが国の縄文時代は、世界のあらゆる大文明から隔絶されて、隣国中国の文化からさえ、まったく影響を受けなかったといった歴史観が定着しています。
しかし、与那国島という絶海の孤島に、太古の巨大遺跡があるのです。
与那国島にぶつかる海流ハイウエは、まっすぐにわが国にも到着するのですから、その古代実力者のネットワーク圏内にわが国も位置していたかもしれないという可能性を考えないわけにはいきません。

沖縄産の貝が日本各地の縄文遺跡から出土することは、縄文時代にすでに交易をしていた証拠です。
縄文時代の遺跡から出土するヒスイのほとんどが新潟産のものであるということは、この時代に硬玉を加工する技術を持っていたというだけでなく、取引相手の身分証明に、この翡翠の産地を限定できるという特性を利用していたということすら考えられるのです。
中国の、斉家文化Qijia Culture出土の神像の中には、群馬県出土の縄文時代の土偶と瓜二つの物が出土しています。
斉家文化とは、紀元前2400年頃から紀元前1900年頃にかけて存在した新石器時代末期から青銅器時代初期の文化ですが、そこからは、クレタ島のミノタウロスを象ったと思われるフィギュアがたくさん出土しています。
またクレタ島出土の紀元前1700年頃の卵殻陶器 eggshell potteryや Pyrgosスタイル陶器は、高度な技術で焼かれた大変珍しい陶器ですが、中国の龍山文化Longshan culture(BC3000年~2000年頃)の黒陶が非常に似ています。

古代文明のさまざまな未解決の謎が、こうした海底遺跡の研究によって解明できるかも知れないという意味でも、与那国島海底遺跡は大変稀有な遺跡だといえます。

現在の歴史学の年表に割りふれないとして、「自然現象として片付けよう」としても、与那国島沖の「巨石構造物」は、日を追う毎に「人工構造物」であるという証拠をあらわにしています。
今後、3Dソナー機器や水中ロボットの発達によって、さらに驚異的な発見が加わることでしょう。


素人の考古学研究者たちが、アカデミックな専門家たちにさきがけてこの巨大テーマによる知的冒険ができる千載一遇のチャンスです!



与那国島の海底遺跡についての詳細


与那国島海底遺跡の現状、保護のあり方
http://www.sof.or.jp/jp/news/101-150/103_2.php

海底遺跡の真価
http://www.pref.okinawa.jp/summit/jp/tokusyu/ruins1.htm


沖縄県与那国海底遺跡博物館
これは、与那国島の海底遺跡を発見された新嵩喜八郎氏のホームページです。


動画 youtube
http://www.youtube.com/watch?v=-wirSWjX2vQ
http://www.youtube.com/watch?v=5swzfKJJl5c



2012年6月30日追加

石原東京都知事様
尖閣諸島の買収のついでに、「与那国島海底遺を世界文化遺産に」という目標の実現にむけての準備としての、立神岩周辺の海底の「人面岩」の3D調査をするよう働きかけてくださいますようお願いいたします。


潮や光などの好条件のときに、高性能、かつ、立体映像用カメラで撮影して詳しく調査していただきたいと思います。3Dスキャナーでの画像も撮って、与那国島海底遺跡が一刻も早く「世界遺産」に認定されるようにしたいものです。
なぜなら、与那国島海底遺跡が「世界文化遺産」に認定されるには、これが遺跡であるという証拠の人工の遺物が必要不可欠なのですが、このモニュメント1個で、その条件を十分に満たすからです。そうすれば、あの与那国島海底の構造物わけてもスタジアムようの遺構なども遺跡であることの証明となるのです。



動画
http://www.youtube.com/watch?v=YBZvAsxcnzI&feature=player_detailpage

2行にわかれていますが、1行にして、検索してください。
なお下の記事名で検索することもできます。

Yonaguni: Built By Ancient Aliens Over 10,000 Years Ago!
(Written by Administrator on Saturday, 12 February 2011 )
これは、与那国島海底遺跡にあるスフィンクスに似たモニュメントです。
海外メディアで取り上げられたこの驚くべきニュースについて、日本側のメディアはなぜ沈黙しているのでしょうか。

わたくしは、この映像の出ている記事のURLを張っていたのですが、そのURLが消滅したりなど、不都合が生じましたので、とうとう、自分でこの写真を掲載しました。

与那国島海底スフィンクス

この映像が偽物であるかどうかを検討するにあたって、「黄とんぼ」グループのホームページの「大地 舜の与那国報告 与那国の海底構造物(2)」
http://www.kitombo.com/gimon/1223.html

同じく「黄とんぼ」グループの「与那国島調査報告-人面岩 権藤正勝」
http://www.kitombo.com/new/yonaguni/04.html

に掲載されている「立神岩ポイントの通称モアイ像」といわれている岩の写真などと、上記の画像とを照合し、自分で画像解析をした結果、この画像がもたらす情報、即ち、ライオンの鬣が彫られているということは確かであり、これは、人工の構造物であり、文化遺産であると判断いたしました。
わたくしは、与那国島で、自らの目でこれらの海底構造物を確かめるべく、潜水装備一式をつけてチャレンジしましたが、あいにく、上記のごとく失敗に終わったのは誠に残念でしたけれども・・・。

海洋政策研究財団のホームページにも、「イースター島のモアイ像を思わせる高さ7ー8mの人面岩が立っている。水中ロボットを用いて、これを再調査したが、横からみると、髪を長くのばした人か、羽飾りのついた帽子をかぶった王の顔のように見え、全体がスフィンクスのように見えることが確認された。」という木村政昭氏の記事が載っています。

与那国島海底遺跡の現状、保護のあり方
http://www.sof.or.jp/jp/news/101-150/103_2.php


本格的な調査によって、与那国島海底遺跡が「世界文化遺産」に認定されるよう願っております。

また、こうした、与那国島海底構造物が、日本民族とは無縁の人々が造ったものだなどというばかばかしい推論も成り立たないことは、与那国島の「立神岩」が誘導して瀬戸内海の淡路島の「上立神岩」へと案内し、そこで、竜宮城の表門と「古事記」の国生みへいざなっていることでも立証されます。
「立神」という名の岩礁は、全国で30ほどもあるのですが、沖縄県、奄美大島諸島、トカラ列島、大隅諸島・・・と、琉球弧から九州にかけて集中的に存在していて、「黒潮」ルートに沿って整然と分布しています。そうして、九州で分岐して、片方は、瀬戸内海の淡路島の「上立神岩」へ誘なって「古事記」と連動し、もう一方は、丹後半島の冠島の「立神岩」へと誘なって「風土記」とリンクしています。


太古の日本民族は、おそらく、前代未聞の火山噴火(いまから7300年前に九州・屋久島近くの海中で起こったアカホヤ噴火?)で、この列島から避難して、遠く地中海に、南北アメリカ大陸にと、居を移して活路を見出したことがあったと考えられるのです。
日本に、与那国島の海底にライオンの鬣をつけた人のモニュメントがあるのはそのためでしょう。

沖縄に今日なお伝わっているシーサー、そして、本土の狛犬のルーツであると思われます。
日本においては、太古の歴史は「死滅」しないで、こうして連綿と生きているのです。

皆様、「与那国島海底遺跡を世界文化遺産に」という運動を進めようではありませんか。

それにはまず、この岩を3D撮影して調査することから始めなければなりません。
学者や政府に期待しても100年かかります。
石原都知事様、一刻も早く、その、行動力を発揮してくださいませ。

2012年6月30日挿入部分終わり



「浦島太郎から辿る」という題でこのブログを書き始めた理由は、浦島太郎が「玉手箱」を空けてタイムスリップをするお話は、「日本」の歴史そのものをタイムスリップさせる「証」が世に出ることであり、これが、わが国に神宝がある理由だと思っているからです。
言い換えますと、玉手箱を開けると翁となってしまうという話は、日本という国が、玉手箱の蓋を開けて神鏡を見ると、「開けてびっくり」、実は「老国」であるという証拠がでてくる「タイムカプセル」であると推理しているからであり、日本と地中方面との間のタイムトラベルをうながす高次元の物語であると思っています。

わが日本は、世界に類例を見ない、歴史ロマンの遺産を受け継いでいるのです。「ダヴィンチ・コード」などとは比較にもならないような歴史ロマンの種が私たちの足元にごろごろしています。
みんなで、足元を見直しませんか。



浦島太郎から辿る

「与那国島海底遺跡の謎解き」の目次
目次の項目をクリックすると、記事をご覧になれます。


1  与那国島海底遺跡の謎解き   このページです。 
2  与那国島海底遺跡と竜宮城
3  浦島太郎トアトランティス
4  浦島太郎と彦穂々手見命
5  クレタ島の粘土板に彦穂々手見命が
6  浦島太郎の蓬莱山の謎                   
7  淡路島の上立神岩はおのころ島



「古事記」神話の謎解き

 8 世界図TOマップの謎
 9 エデンの園と伊邪那美命の国生み神話
10 四国はスフィンクスのモデル?
11 アダムとイヴと「古事記」神話



「日本のアイデンティティー」の謎 
 「日本」の国典と聖書とギリシャ神話を重ねると・・・

12 御神輿と契約の箱
13 日本のアイデンティティー
14 賢木と命の木
15 神の国の門
16 七つの封印の書物
17 二十世紀のミレニアム戦争と日本
18 24ヶ月間踏み躙られると予言された国
19 神の栄光と審判が顕われる!
20 御名を尊ばずにはいられない
21 大いなるバビロンへの審判
22 守護神への帰依



神の国を明かす日本側の証拠

23 三輪神の正体
24 三輪の神の謎とギリシャ神話
25 三輪の神とクレタ島のミノア文明
26 住吉大社の謎 天の平瓮
27 住吉大社の謎 後代のしるしのための船 
28 住吉大社の御本地は?
29 オリオンミステリー
30 出雲大社の謎
31 オリオンとシダリヲ
32 天照大御神の御神宝
33 神宝はタイムカプセル?
34 国難と神宝の洗い直し
35 国難と蟻通しの謎
36 蟻通しの難題とファイストス円盤


日本国の歴史とアイデンティティーに関する、難解なテーマに挑戦して、市井の素人の私があれこれ口を挟むのは僭越に過ぎるようですが、歴史家や、神学者の方々に、また、一般国民の方々に検証を呼びかけたいという思いで、このブログを書いています。






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