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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

国難 東日本大震災

東日本大震災の脅威

2011年3月11日の東日本大震災
被災者のみなさま、心より御見舞い申し上げます。
大地震、巨大津波、原子力発電所爆発、石油コンビナート群爆発炎上・・・こんな四重苦に見舞われるとは・・・・
とても現実とは思えないような、筆舌に尽くせない大惨事。
第二次世界大戦再来の悪夢のようです。

唖然呆然の日々のうちにも、被災者の皆様の温和な立派な態度、救援の輪のひろがり、そして、原子力発電所に決死の放水をしてくださった東京都消防庁ハイパーレスキューの方々の奮闘振り、など・・・暗中にも一筋の光明を見出しています。

しかし、今後の日本人は、大変な苦難をしのばねばならないでしょう。
何しろ、被害地の範囲が広大ですので、巨大地震と巨大津波からの復興でさえ、神戸の場合よりは、はるかに困難であることが予想されます。市や町が消失してしまったという惨状なのですから・・・

また、関東地区の石油コンビナートの8施設のうち5施設が壊滅したのですから、工場の燃料、ガソリン、電力等々、あらゆる分野においての不足をきたし、生産性の低下、事業や生活の大巾な支障をもたらすことは必至でしょう。国民みんな、こうした覚悟はしたと思います。

しかし、そのうえに、さらに重く重くのしかかっているのが、原発爆発問題です。

11日の地震、津波、コンビナート爆発炎上、そして、原子力発電所に異変が??と、めまぐるしいまでの惨状の報道にあれよあれよととまどっているあいだに、13日(土)14日(日)には、はやくも「放射能疎開」で日本脱出を遂げた外国人たちがたくさんいたそうです。
公式には、アメリカが真っ先に福島原発から80km以内のエリアに住むアメリカ人の避難を奨励、ついで、ドイツなどは、大使館の機能を、一時、大阪に移すといい、・・・
フランスやイギリスは、避難する人々にチャーター機を用意すると発表。イギリスなんぞは、20日までに避難しない者には、チャーター機の便宜を与えないとさえ告知・・・これは、あたかも、早ければ21日、あるいはそれ以後に原発の大爆発が起こることを想定していたと云っているのと同じです。このあまりにも早すぎる逃げ足は・・・なに????
アメリカの巨大原子力航空母艦が艦隊を引き連れて、Operation Tomodachi 「ともだち作戦」と銘打って、TOMODATIと船体に大書してまでのスタンバイ、この超早業は、何を意味しているのでしょう。
長さ330メートル、10万トンの巨体の原子力航空母艦は、時速56km。24時間ぶっ通しに全速力で航行しても1300km、沖縄ー仙台の直線距離でも1800km。それなのに、スタッフ、飛行機、ヘリコプターを搭載して、艦隊7隻を引き連れて3月14日にはもうご到着。・・・・いつ用意したのですかね。

火を見るよりも明らかとはこのことです



福島の牛乳と茨城のほうれん草が放射能汚染されていると発表されました。
我が家でも、宅配の牛乳が14日からストップ。こんなことは、15年間配達していただいて、初めての出来事です。スーパーでも、牛乳のコーナーは空っぽでした。

こうして、はやくも、農業や漁業に悪影響が出始めました。
観光客の減少をも意味します。ホテルや観光地や商店は今後一体どうなるのでしょう。
なんだか、ひとつまたひとつと、難問が積み重なってくるようです。
日本経済は今後どうなっていくのでしょう。
今後、原子炉の爆発を防げなかった場合は、日本は、鎖国状態に突入???




第二次世界大戦以来の国難
3月13日のシーター様のコメントへの返事に、「わたくしの72年の人生で、第二次世界大戦以来の大事件でした。」「今回の大惨事を天災、あるいは、自然の猛威と呼ぶことには賛成できません。」と書き込みましたが、まさに、日本国にとって「第二次世界大戦以来の国難」です。

外国が持ち込んだ難問と人災
福島原発の爆発事故が、「想定外の天災だから」といって言い逃れをできないという点、そして、これはアメリカやイギリスから持ち込まれた国難であったという点について書かずにはおれません。


3月11日に起きた東日本大震災で被災した東京電力の福島第1原子力発電所は、日本で事実上の初の原発導入でした。1971年3月に運転を開始し、6基の沸騰水型原子炉を備えたものでしたが、この原子炉はアメリカのGEが製造した沸騰水型原子炉「マーク1」で、津波は前提になかったといいます。

その後日本では沸騰水型原子炉は東芝と日立製作所が基本設計を引き継いで独自開発を進め、津波や地震を考慮するようになったとはいえ、今回のような大型の災害を前提にしたものではありませんでした。

そして、アメリカのGEが持ち込んだ原子炉について、以下のような、恐るべき欠陥製品であったことが明らかにされています。


時事ドットコム 2011/03/16-08:33より抜粋

米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)15日
事故があったのは、「マーク1」と呼ばれる沸騰水型原子炉の一種で、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が1960年代に開発した。
同紙によると、米原子力委員会(現在の米原子力規制委員会の前身)の専門家は72年、マーク1の原子炉格納容器が小さいことを問題視。水素がたまって爆発した場合、格納容器が損傷しやすいとして「使用を停止すべきだ」と指摘した。格納容器は、冷却機能が失われて燃料棒の一部が溶け出す炉心溶融の状態になった際、放射能を封じる役割を担う。
また、80年代半ばにも、米原子力規制委員会の専門家が事故の危険性が高いと主張した。


このような、いわくつきの危険な原子炉か、こともあろうに、地震と津波の巣に設置されていたのです。


ニューヨーク 15日 ロイター発の記事に注目してみましょう。

米ゼネラル・エレクトリック(GE)(GE.N: 株価, 企業情報, レポート)の元社員が35年前、今回事故があった福島第1原発の「マークI型」原子炉の安全性に対する懸念が理由で、同社を退社していたことが明らかになった。
GEの元社員デール・ブライデンボー氏はインタビューに応じ、同社製「マークI型」原子炉について、大規模事故による負担に耐えうるよう設計されていなかった、と指摘。「当時、公共事業各社がこの事実を十分深刻に受け止めていたとは思わない。分析が終了するまで一部の原子力発電所は閉鎖されるべきだと思っていたが、GEや公共事業各社はそれに応じるつもりはなかった。そのため私はGEを退職した」と語った。
さらに、同氏が指摘した設計上の問題は確かに第1発電所に知らされおり、かなりのコストを要することも明らかになっていた、と述べた。


というものです。


一方GEは声明を発表し、
・沸騰水型原子炉マークIの技術において、過去40年間安全に稼働してきたという事実があると主張。
・「1980年に(米原子力規制委員会は)マークI原子炉の格納容器に関する包括的な業界向け指示を出したが、GEはそれに従い、全ての顧客にそれを通達した」としている。
 

という、御気楽な声明を出しているようですが、ことは、靴や洋服の販売と同一次元で語れるものではありません。ことは、個人や日本一国の被害や損失ではなく、世界中に悪影響を及ぼす大問題なのです。
「全ての顧客にそれを通達した」ではすまされません。なぜ、日本国に、撤去の警告をしなかったのですか。
「過去40年間安全に稼働してきたという事実がある」というのもウソ。日本ではいろいろな事故がおこっていますし、今回事故をおこした福島第一原発3号炉については、危険すぎるので、運転しないでいたといういわくつきのものでした。
また、それを、わざわざ、意見を無視して、2010年10月26日、3号炉の運転を強行した東京電力の社長は、どんな了見なのでしょう?避難などの現場指揮をせず、福島県民ひいては日本国民の前に陳謝も説明もしなといういのは、経営者として失格なのではないでしょうか?
わたくしは、こうした核の施設は、最初から戦略的に配備された「トロイの木馬」であると思っております。


私は原子力発電所を日本に敷衍することに反対でした。
日本人は、無辜の市民の頭上に原爆を二つも落とされた国なのですから、その恐ろしさを世界に伝えて、原爆の製造をやめさせる使命を帯びた国だったはずです。
そのような、使命を帯びた日本国が、その使命を果たさず、生活に便宜を与えそうだからと、原子爆弾製造者たち(極秘裏に原爆製造することに最も貢献したのがGEとデュポン社)と手を結んで、自国に原子力発電所を54基も持ち込んだのですから、日本国民全員が、これから、原爆犠牲者の方々と同じような苦難を味わうようになる境遇となることはひとつの帰結であると申せましょう。

私たちは、原爆の犠牲者たちから、原爆の脅威から何も学ばなかったという愚を犯していたのですし、なぜ、あのような痛ましい犠牲者がでたのかということを、そもそもの根本から真摯に考えるということを怠っていたのです。
ですから、今度という今度は65年前に戻って、学びなおさなければならないのだと思います。

このようなことを書くと、後出しじゃんけんで、いまさら、遅い、偉そうだ、と煙ったかられるかも知れませんが、聞いてください。

原子力利用に対する私の批判については、2004年6月30日に発行した自費出版の「日本の謎と聖書の謎」上巻272ページ~の「バベルの塔のマンハッタン計画」「原子力の幻想が生んだマンハッタン計画」に書いております。
392ページには、
 核開発や軍事産業に深くかかわっていたゴリアテ王家のメンバーたちが、
 「正義のための戦争」を遂行したり、「世界平和の使者」を務めたりすることは、
 人々の目をごまかすことは可能であっても、神を欺くことはできません。
 また「彼ら」が軍事力で世界を制圧するために極秘裏に作った核兵器は、
 その生みの親、育ての親たちに一番の呪いとなるという運命にあるものでした。


と記して、「原子力産業」を推進した者たちを、神に対する、日本国に対する冒涜者と捕らえております。
私たちは、口で「平和」を唱えても、原爆製造者たちと手を結び、彼らに利益を与え、便宜を享受してきたのですから、平和運動をしたとか、原爆慰霊碑の前で祈っているとかで通用するはずがありません。8月の6日と9日に祈りを捧げ、「原爆反対」と唱えているだけでは、平和が実現するどころか、国民の命や生活さえも守れないということが、これで明らかになったのです。

さて、ゴリアテ王家のメンバーとは、エリザベス女王、ベルギー王室、チャーチル、ローズベルト、ブッシュたちです。他のメンバーについては、ここに羅列したり解説したりするには、ページ数がたりませんので、ここで、生きていて、いまなお、世界に隠然たる実力を発揮しておられる女王が、ご自分たちの所有していたウラン鉱山のこと、科学者たちに自ら如何に原子力開発を要請したかなど、記憶しておられるはずでので、神の御前、世界の前、日本国民の前に告白して謝罪していただき、償いをしていただきたいと思います。
そうすれば、核問題が飛躍的に推進して、世界は、今より安心して住める環境になりましょう。

「原子力利用計画」は、鉱石の採掘工程、精選工程、分離抽出工程、核燃料製造工程から原子力発電所と使用済み燃料にいたるまで、そのすべての場所、すべての工程が「半永久的汚染」の洗礼を受けるという「呪われた物質」です。
ですから、心ある科学者たちが、「原子力利用」に強く反対していました。にもかかわらず、反対意見を封殺して、諸国の民々のまったく与り知らぬ極秘のプロジェクトで「原子力利用」をゴリ押し敷衍してしまったのが、上記のメンバーです。
そして、イギリス王家やヨーロッパの各王家の所有地の河川や海を汚染しないですむようにと、広大な国土のアメリカにウラン鉱石と科学者たちを移しました。
その結果、アメリカの「オークリッジ」「ハンフォード」のような戦慄の「黄泉=墓場」をつくりだしてしまいました。



拝啓 エリザベス女王様
あなたがたは、原子力利用計画を画策したことを全世界に陳謝し、償ってください。
あなた以外には、「原子力利用計画」のそもそもの発端の当事者、かつ、利権者にして代表者が残っていないからです。彼らは、日本における「原子炉利用」の惨憺たる結果を見ないうちに死んでしまったからです。

しかし、あなたは生きておられます。そして(イギリスの女王であるばかりではなく、英国国教の宗主でもあるエリザベス女王様、今回の日本の原子炉爆発事故。そして貴国の人々が脱兎の如く日本脱出をするのを見ても、あなたがたは何も痛痒をお感じではないのですか?
原子爆弾が日本の無辜の市民を大量虐殺し、被爆者たちを苦しめ続けたことに対し、あなたの良心はとがめなかったのでしょうか。ぜひ、お聞きかせ頂きたいと思います。

あなたがたは「原子力の平和利用」「エネルギー問題の解決」というスローガンのもとに「原子力利用」を推進されましたが、オークリッジ、ハンフォード、チェルノブイリの「黄泉=墓場」の仲間にあらたに日本の福島が加わることによって、その「原子力の平和利用」とか「経済的」とかいうようなメリットは少しもない、悪魔的怪物であることが実証されました。
もし、そうではないと言い切るのであれば、ぜひとも、バッキンガム宮殿に原子炉を建設してくださいませ。

原子力の平和利用というウソが生んだおぞましい結果を知ったあなた、この悪魔的怪物の誕生に一役買った王家のエリザベス女王様が、今、謝ってくださらなければ、この小児のように無知なわたくしたち日本国民は決して目が覚めず、この「冥王プルトーンのプルトニューム」利用をやめず、神のエデンの園に散りばめられている50以上もの悪魔的「原子炉」を稼動し続けることを決してやめないでしょう。

そして、「わたしたちの知恵で、今後これを乗り切ってみせる」などという愚かなことを云いつづけて、無残な犠牲者を増やし続け、神の園を「黄泉=墓場」に変え続けることでしょう。

女王様が、謝罪されたなら、わたくしたち日本人は、54基の原子炉を閉鎖して、そこを、美しい園に作り変えるべく改心し、そのための苦難や窮乏をも乗り越えて耐え抜くための気力と知恵が湧き出ることでございましょう。


核の犠牲者をこれ以上増やしつづけることになりますと、その神罰は、ヨハネの黙示録18章のとおりになりましょう。その章は、エリザベス女王様とご親族の諸王家と貴国のため、そして、原爆誕生のときに原爆を祝福したバチカンのために書かれてあるからです。
ご子息の嫁さんが「地雷撤去キャンペーン」に顔出しすれば、「英国王室とご親族の方々が地球を墓場にしょうとしたメンバーの要員である」という顔を「平和主義者」に塗り替えることができると思っておいでかもしれませんが、そのようなごまかしは、たとえ世界中の人々を騙しおおせても、神の御前には通用しません。
一刻も早く、女王様御自ら世界の前で陳謝して、その途方もない財産を償いに充てるようになさるよう陳情申し上げます。

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この写真は、大英博物館所蔵の14世紀の楽園地図です。上が東で、その東の果てに楽園が描かれてありますが、そこが神の園エデンの日本国です。
あなたがたは、その、絵のような麗しい神の園に来て、開国を迫り、たいそう陰険なアンフェアな条約、不平等条約を結びました。その条約がわたくしどもの国の首かせとなって、貴国がアヘンで獲得した中国における権益に利する「日清戦争」を遂行するきっかけになりました。(つまりイギリスの代理戦争をさせられたのです。)
これは、数千年にわたる日中友好関係に大きな亀裂をいれる暴挙であり、それは、まったくいまいましい「日英条約」のせいでした。

イギリスは、日本における革命を画策して、銃を捨てて平和に暮らしていたわが日本に、大量の銃と戦艦と革命マニュアルを売りつけ、あまつさえ、こともあろうに、エデンの園の大神官たる天皇に軍服を着せ、英国王のコピーになりさがらせました。この革命のことは、「日本の体制変化は、日本人だけから発生したような外観を呈しなければならず、どこまでも日本的性格を備えているようにみせかけなければならぬ」などなど・・・貴国の当時のイギリス外務大臣クラレンドンの訓令のファイルが証言いたしております。

あなたの国はMI6の前身である秘密組織の画策で、アラビアのローレンスなる者をトルコに差し向け、オスマントルコにも革命を仕掛けて、その領土をもぎ取り、それをイギリス得意の悪名高き三枚舌外交で勝手に分割して分配したことが今日の中東戦争とテロの尽きることの無い惨劇の基となりました。
あなたはこれによって莫大な石油の利権を手になさいましたね。
これについても、英王室およびイギリス国は世界に陳謝しなければなりますまい。

一方で、貴国とその同盟者たちは、日本の守護神恵穂葉神の「神国」というレッテルを汚し、それを剥ぎ取り、そして、貴国が画策して分捕った地の一角にイスラエルなる偽りの神の国をこしらえ、それに、わが日本に約束されていたタイトルを剥ぎ取ってそこへ貼りつけました。

こうして、あなたがたの所有していた地図にも明記されていた「麗しかった恵穂葉神のエデンの園=神国日本」は二重に名実ともに汚されました。
原爆を無辜の市民の頭上で炸裂させただけではものたりず、「国民の税金を際限なく吸い上げて破滅に導く原子力発電所」をエデンの園に大量に売りつけるといった冒涜の連鎖の基を作ったのはあなたがたです。
わたくしたち国民が、「原発導入」に対して決してノーと云えないように、核の棍棒でもって貶めたのもあなたがたです。

あなた方の利権のために「識者の反対意見」を封印し、横車を押して、「原子力利用」を実行させたのは、あなたのご親族のチャーチルやローズヴェルトらでしたが、あなたも、科学者たちにそれを要請したことが歴史的書物にちゃんと記録されています。

あなたがたにこのように云っているのはわたくしではありません。
ヨハネの黙示録18章をごらんください。そこには、もっと悪いあなたがたの真実の姿が書かれております。
どうか、災いがこれ以上積み重さならないために、真実に目覚めて、一刻も早く陳謝し、償いをなさいますように陳情申し上げます。

                    2011年3月22日 原爆&原発被災国日本の一国民




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8 世界図とアトランティスの謎

8 世界図とアトランティスの謎

TOマップの世界の中心

TOマップの世界の中心 エルサレム
「TOマップ」という900年頃の地図があります。
中学校や高校でつかう地図帳の後ろの方に小さく載っています。

世界の中心をエルサレムとしているのがこのTOマップ」です。

       TOマップ011

中心にエルサレムが置かれ、東の端(上)に、オリエント、パラダイスという文字と、エデンの園の象徴である「命の樹」と「アダムとイヴと蛇」が描かれています。
聖書の「エゼキエル書」(紀元前590年頃)5章5の次の記事からも、この思想を垣間見ることができます。、
  
  主は云われる、これはエルサレムである。
  わたしはこの都を諸国の真ん中に置き、
  その周りを国々が取り囲むようにした。

エルサレムに都を建設したのはダビデ王(紀元前1000~961年在位)です。

世界をアシア、アフリカ、ヨーロッパの三界に分けているのがTOマップの大きな特徴です。
世界を分けるTの横軸は、タナイス川(ドン川)と紅海(ナイル川も)、縦軸は地中海、そして、Oはオケアノス(大洋)を表しています。
こうして分けられたアジアは「朝」、ヨーロッパは「夜国=ヨルオピア」という日本語から来ていると、木村鷹太郎氏は説いています。ヨーロッパはフェニキア建国のカズモスの妹のヨーロパ姫(エウロペ姫)の名です。これは、ギリシャ神話などでも知られている古い言語であり、アシアもまたエジプトの碑文などで見られる古い言葉です。こうした、世界の古代史のなかで、きわめて重要な地名が日本語であると言うのは愉快なことで、古代の先祖たちの知恵の計り知れない高度さに驚かされます。
世界を夜と朝で表現しているのを見ますと、地球が丸いことを知っていて、緯度経度などから様々なことを割り出していたということを示唆しているように思えます。
ところで、聖書以前のギリシャ神話では、世界の中心はギリシャにあったようです。


古代世界の中心はギリシャのデルフォイ?

世界のへそを示すオンファロス
オンファロスは、ギリシャ神話の、世界の中心伝承を示す石であることは、前の項目で述べました。
「ゼウスが世界の両極から放った鷹が、ぶつかって墜落したところがデルフォイだった。そのために、デルフォイが世界の真ん中である」という神話です。この神話には地球が丸いという観念が示唆されています。
このように、世界が球状であることを示唆している古代の書物があります。
プラトン(前427-347年)の「クリティアス」と「テマィオス」です。




プラトンの「クリティアス」のアトランティスの謎

木村鷹太郎氏の説
「アトランティスの東極はスマトラである」と、木村鷹太郎氏も「希臘羅馬神話」教文社 1926年に、次の見解を載せています。

  プラトンの「政治家」篇の、「世界が反対方向に逆転した」との記事は、
  東極のアトラス国が、クロノスの時代に、西部アジアから極西の地に移され、
  アフリカにアトラス山脈、大西洋にアトランティス海の名を刻した。
  その後、革命によって、クロノスの代に転覆せられたことを暗示している。
  ゼウスの代となり、次第に極東に移ったことは、スマトラに、アトラスの名を得るに見る。

なるほど、スマトラはアトラスのアナグラムなのですね。そして、「世界が反対方向に逆転した」という、プラトンの言葉は、「古事記」神代巻の伊邪那岐命と伊邪那美命が「おのころ島」に於いて、「汝は右より廻り逢え、我は左より廻り逢はむ」という「逆転」の記述と、「日本書紀」にある「逆廻りの記述があることを想起します。

建築家の渡辺豊和氏の説

地球図
渡辺豊和氏は、著書「発光するアトランティス」人文書院1991年において、アトランティス西極の国はエジプト、東極のそれはセレベス=スラウエシ(インドネシア)であろうと記しています。

渡辺豊和氏のこの地球図から、わたくしは、「アテーナ女神の知恵のシンボル梟」を想起します。また、天照大御神が伊邪那岐命の右の目から、月読命が左の目から生まれたことを連想し、さらに、アテーナ女神がゼウス神の前額から生まれたという神話が天照大御神の誕生神話と同一で、要するに、これらの「目」とは、アトランティスの西極と東極のキャピタルの表現ではなかったかと考えられるのです。
「発光するアトランティス」渡辺豊和 人文書院1991年

正十二面体        
渡辺豊和氏は、上記の書で、
プラトンが「ティマイオス」で、5個の正多面体のうち「正12面体のみは神の立体である」としているが、2頂点を両極に重ねた正12面体を地球に見立てているのではないか、そして、2頂点を除いた10面に連携しているのが、「アトランティスは世界を十人の王で分割統治していた」という記事であろうと述べています。

渡辺氏はまた、トルコの古い寺院の入り口上部にある図のような「正12面体」のレリーフは、地球のシンボルであると書いています。
私も、トルコでそれを見たときに「地球」かつ「亀の甲」でもあることを直感しました。
蓬莱山や妙見神が、亀の甲の上に立っているのは、亀が丸い地球を暗示していたのだと思います。
フランスのシャルトル寺院には、「球形の籠」と「魚の隣に配されているアリストテレス」のレリーフがありますが、この籠もまた地球の表象ではないかと思います。
聖なる「亀蛇」や、聖なる「玉押しコガネムシ」は、地球のシンボルだったのではないでしょうか。むやみに、迷信的に、「亀蛇」や「スカラベ」をあがめていたとは思えないのです。





渡辺豊和氏は、「発光するアトランティス」で、
プラトンの「クリティアス」中のアトランティス平野図(下図)についても、「世界地図を暗示したものである」と説いています。
  
  アトランティス平野図について、
  地球を平面にする場合、縦横30区画の正方形となるべきを、
  「横30、縦20の図」となっているのは、
  現在の経緯度で、「経度は360度全てを表し、
  緯度については240度分のみを表わして、
  北緯60度以北と南緯60度以南、計120度を除外した世界図」と
  解釈できる。

わたくしは、この渡辺豊和氏の説に賛同します。

  アトランティス平野図


   
プラトンの「アトランティス中心市街図」
  
  アトランティス図


三重の同心円はキャピタルマーク?
図の「運河」の部分を「海」ととり、中心部を「エルサレム」の代わりに、「クレタ島」をおくと、TOマップとまったく同じ構図となります。
アトランティスの宮都がクレタ島だった時代があったのではないかと考えられるのです。
クレタ島の古名のカフチフ、ケフチフはキャピタルの語源だといいますが、日本では、京を「ケフ」と書く習慣が第二次世界大戦敗戦まで続いていました。
ケフチフは、日本語で京中、あるいは宮中と読めます。

また、プラトンは、アトランティス市街図の同心円の中心部には、アトラスの父のポセイドンの神殿があったことを書いていますが、ポセイドンとは、「海」「馬」、さらに、「見ること」「目」を意味しています。
プラトンのアトランティス中心市街図(左図)の同心円は、その「目」であり、かつ、キャピタルマークではないかと思うのです。
プラトンのアトランティス市街図や、ゼウスのオンファロスにまつわる神話は、ダビデがエルサレムに都を築く以前の情報を伝えているように思えます。

そして、この「同心円」図は、的を貫く矢」即ち、「矢的」、「大和」「三輪」「三重」を暗示していると考えられるのです。それは「目印」でもあります。
ウガヤフキアエス=アトラスの母である玉依姫が三輪の神の妻であったことも、これに加担する要素ですし、奈良には、「三輪神社」と「二辺が3、1km、他の一辺が2、4kmという巨大な幾何学的矢」で構成する「矢的」が存在します。そして、これについても、渡辺豊和氏が、興味深い発見をしていますので後に「24 三輪の神の謎とギリシャ神話」に掲載します。
三輪神社のエリアの明日香地方は、例の、世界の中心を示す「須弥山石」や、「亀が西むけば世界は泥の海」という伝承をもつ巨大な石亀、そのほか、巨石の加工品が点在している不思議スポットなのですが、これらの謎について思いをめぐらせているのは、私たちのようなアマチュアばかりです。

そろそろ、アカデミックな世界でも、こうした研究を取り上げて、人類の歴史を見直して欲しいものです。


6 与那国島海底遺跡と蓬莱山の謎

6 与那国島海底遺跡と蓬莱山の謎

「浦島太郎」と「彦穂々手身命」、そして、「徐福」

共通項は 蓬莱
「日本書紀」「風土記」「万葉集」は、浦島太郎は「蓬莱」に行ったと記され、
「古事記」「日本書紀」では、彦穂々手見命もまた「蓬莱」に行ったと記されています。
浦島太郎は、丹後の「宇良神社」に祀られています。
彦穂々手見命もまた、丹後の「籠神社」に祀られています。

徐福も「蓬莱」を目指したといい、徐福一行が上陸した地点として、これまた丹後の「新井崎神社」こ祀られています。
「史記」の秦始皇本記は、紀元前20年頃に、薺の徐福が、東方の「三神山、蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)を目指して、船団を組み、五穀の種子と農耕器具、百工、そして童男童女をたずさえて船団を率いて船出したことを記しています。


  浦島太郎    浦島神社=宇良神社  蓬莱山  海神の宮  龍宮城
  彦穂々手見命  籠神社        蓬莱山  海神の宮
  徐福一行    新井崎神社      蓬莱 方丈 瀛洲  不死之山

丹後半島にある三つの神社がいずれも「蓬莱山」というキーワード」で結ばれているのは一体なぜなのかと疑問を抱かざるをえません。三者は同じ内容の謎を解かせようとしているのではないでしょうか。

ところで、蓬莱山を象った蓬莱台(島台)が、つい最近までは、結婚式などには欠かせない「縁起物」であったということを思いだします。
蓬莱台には松竹梅と鶴亀の飾りがつき、これに「鶴は千年、亀は万年」という祝言が付随しているのですが、蓬莱山にも、浦島太郎の話にも亀がつきものであることも謎です。



舞鶴市の「浦島太郎」資料

舞鶴市 「糸井文庫」の浦島関係資料
浦島太郎に似た伝承はアジア各地にあるといいます。日本の浦島伝説もそれらの伝播の一バージョンにすぎないと、国文学の世界では軽くあしらわれているのが現状です。
しかし、わが国の「浦島太郎」の話は、国典「日本書紀」(720年)に記され、「風土記」(713~)や「万葉集」(~759年)などの古典に記されているうえに、神社に祀られているという点で、世界で比類のないものとなっているのです。

舞鶴市の「糸井文庫」には、「浦島太郎」関係の貴重な資料が収集されています。
ありがたいことには、インターネットでアクセスして資料を閲覧することすらできます。

この「糸井文庫」の「浦島」関係の資料をみますと、浦島太郎は子供向けの空想的なおとぎばなしであろうというような世間一般の常識からはおよそかけ離れた、次のような「注目すべき言辞」が散見されます。

 「浦島年代記」近松門左衛門作 享保二年(1772年)  
   三万里の蓬莱
 「玉手箱 東方朔」富川房信作 明和七年(1770年)  
   浦島九千歳 
 「浦島大神御伝記」作者不明 大正時代の写本  
   衆生の相を示す
   倭国神祇の御方便 
   日本に立ち帰り
   海八州の外までも 波風静かに治るとき
   天変地異は時を嫌わず
   洪水旱魃なりとも 人民惑いなきよう計るべし  
 
 「龍都朧夜語」大道寺宣布作 明和七年(1770年)
   彦火火出見尊 龍宮に入り給ふ事
   彦火火出見尊 日本に移り給ふ事
   浦島太郎 日本に帰る事      
   面向不背の珠の事
   龍宮合戦の事
 
上記の諸本のうち、たとえば、「浦島年代記」は泊瀬皇子(雄略天皇)暗殺の陰謀に丹後の侍浦島太郎が立ち向かうというストーリーであり、「龍都朧夜語」には,俵の藤太や藤原の鎌足が登場するなど、荒唐無稽の様相を呈しているという一面があります。そのうえ、そのほとんどが私には読めないのですから、その片言隻句についてここで云々するのは早計に過ぎるとは申せますが・・それでも、
  浦島太郎、日本に帰ること
  彦火火出見尊、日本に移り給ふこと
  三万里の蓬莱
というような言葉で語られている背景には、何らかの歴史の真相が潜んでいるのではないかと思わざるを得ません。




与那国島の立神岩から各地の立神岩を辿ると蓬莱山に着く

与那国島の立神岩
与那国島の海底遺跡が、いつごろ水面下に沈没したものなのか、今後の科学的な調査が待たれます。
この与那国島の海底遺跡が沖縄海域や日本本土各地の海底から続々発見されてきている巨石遺構、例えば、和歌山県の串本の海底巨石遺構などの建造物と無関係ではありえません。私たちの既存の歴史観を変換させる遺跡であると申せましょう。

日本国内にも、謎の巨石遺構が各地に点在しています。
与那国島海底のアミダ籤状の刻み目は、岡山の白石島の鎧岩の刻み目、あるいは、明日香の益田岩船の背面の刻み目によく似ています。
その明日香は、謎の巨石遺構の多い「日本有数の謎スポット」でもあり、ここでも、「巨大石亀」が謎をかけています。明日香の亀は、「亀が西を向くとき、世界は泥の海になる。」という伝承を伴っているのです。

与那国島の海底のアーチ門や陸上の巨石遺構を見ますと、瀬戸内海の安芸の宮島の弥山の巨石遺構と厳島神社、そして、伊予の大三島の大山祇神社のエリアに、これに似た遺構があるのです。これらは海上交通の要衝の地にあると言う共通項で結ばれています。
概して、瀬戸内海の沿岸には、巨石遺構が多いのですが、大三島の大山祇神社の神域には巨石遺構があるほかに、与那国島の「立神岩」によく似たメンヒルが大三島や生名島などに存在します。

「立神」という名の岩礁は、全国で30以上あるのですが、
沖縄県、奄美大島諸島、トカラ列島、大隅諸島・・・と、琉球弧から九州にかけて集中的に存在しているのです。
これは、「黒潮」ルートと関係あることをものがたっているように思えます。
このきっちりした分布を見ますとき、「立神」という名が、地元の人たちが思い思いにつけた名であるとは考えられません。





与那国島の立神岩から淡路島沼島の上立神岩へ
古代の識者は、「立神岩という標識」と貴重な情報を残しておいてくださいました。
立神の名を冠する海中岩礁に注目して辿ってみますと、
沖縄の与那国島の「立神岩」、久米島の「立神(たちじゃみ)」を経由して、
鹿児島の与路島、加計呂麻島、奄美大島、宝島、臥蛇島、中之島、口之島、屋久島、口永良部島、黒島、硫黄島、竹島へと、琉球弧に沿って点々と立神岩を連ね、奄美大島と屋久島の間で、黒潮が太平洋側へ向かう潮流と、九州北西の対馬海峡に向かって対馬海流と呼ばれる潮流とに分かれます。そして・・・鹿児島県枕崎に印象的な立神岩を配して、
日本海側に向かって行けば、長崎五島列島の福江島を通って、丹後半島の、舞鶴市冠島の立神岩へ辿ることができます。
太平洋側へ向かいますと、薩摩半島、大隈半島を回りこんで宮崎県の沿岸を過ぎ、瀬戸内海の愛媛県佐田岬の付け根を挟んだ一対の「立神岩」へと誘導されます。そして、そのさきに待っているのが「兵庫県南あわじ市沼島の上立神岩」です。



淡路島沼島の上立神岩は竜宮城の表門!

謎の上立神岩
上立神岩は高さ30mほどの岩礁で、主として緑泥片岩からなる巨岩です。
そこには、立て看板があり、「和漢三才図会(1712年頃出版された日本の百科事典)に、竜宮伝説の表門とも言われている。」と書かれているのです!!

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       「上立神岩」アララト岩海氏撮影

「上立神岩」は、中央構造線のほぼライン上にある。
中央構造線は茨城から四国を横断して熊本へ達する日本最大の活断層である。
正確には沼島と南淡町の間の海中にある。
沼島の岩石は三波川変成帯に属する変成岩で、
古太平洋プレート(イザナギプレート)がユーラシアプレートに沈み込んだ際に変成されたプレートテクニクスの産物なのだ。
「古事記」のオノコロ伝説を彷彿とさせる成り立ちが天地創造の営みをダイレクトに表現している。

これは、この上立神岩の写真の載っているブログにアララト岩海氏がつけた記事から抜粋したものです。わたくしのこのブログに写真掲載の許可を賜ったアララト岩海氏に感謝申し上げます。

このイザナギプレートと言う名は、勿論現代につけられたものなのですが、この「プレートテクニクス」こまつわる話が、「古事記」の国生み神話の中心テーマのひとつであることを後の項目で展開します。


沼島の上立神岩はおのころ島のシンボル?
兵庫県南あわじ市沼島の「上立神岩」はが古事記のイザナギとイザナミ二神の国生みの際に建てた「おのころ島」で「天の御柱」であるという伝承があります。
南あわじ市には、「自凝(おのころ)神社」や「伊奘諾(いざなぎ)神宮」もあります。

おのころ島伝説は、この沼島のほかにも、兵庫県内二箇所に伝わっていますが、この上立神岩と神社の存在から、これこそがおのころ島のシンボルであると思われます。



沼島の上立神岩は蓬莱山のモデル?
蓬莱山として描かれている岩のモデルは、この沼島の上立神岩なのではないかと私は思うのです。

下図の「蓬莱山蒔絵袈裟箱」平安時代の作品 法隆寺宝物 重要文化財に描かれている蓬莱山と比べてください。
土台が亀です。そして、松喰い鶴がその周りを飛び交っている図象です。
日本の結婚式に付きものだった「蓬莱山=島台」の原型は上立神岩=おのころ島=天の御柱だったと考えられます。


    



蓬莱山と常世
「万葉集」一七四〇番では、浦島太郎が行った竜宮城に関して、
「常世に至り、海若(わたつみ)の神の宮で、二人して老いも死もなく永き世にあったものを・・」

と詠われています。これによって、蓬莱国と常世とが同じ意味であることがわかります。
「常世」で検索しますと、少名毘古那命もまた常世にいたことがわかります!!

「古事記」に、大国主=大穴牟遅=葦原色許男(あしはらしこを)命と少名毘古那(すくなひこな)と二柱の神相並ばして、この国を作り堅めたまい、その後、その少名毘古那神は常世国にわたられたと記しています。
「日本書紀」一書第6にも、大国主神=大物主神=国作大巳貴(くにつくりのおおあなむち)命=葦原醜男八千矛神=大国玉神とともに天下を経営(つく)られた少彦名神は、その後に熊野の御碕至りて、遂に常世郷(とこよのくに)に至ったと書かれ、また、淡嶋(あわのしま)に至りて、「粟茎に縁(のぼ)り、弾(はじ)かれて、常世郷に至りましきと記されています。


そして、「万葉集」には「常世」にまつわる、次のような不思議な歌があるのですが、ここに、またもや不思議な「亀」がでてきます。

「万葉集」第一巻  五十番   抜粋 
 ・・・・ 
家忘れ 身もたな知らず  鴨じもの 水に浮きいて
わが作る 日の御門に 知らぬ国 寄し巨勢道より
わが国は 常世にならむ圖(ふみ)負える 神(あや)しき亀も
新代と 泉の河に 持ち越せる 真木の嬬手(つまで)を
百足らす 筏に作り沂(のぼ)すらむ
勤(いそ)はく見れば 神ながらならし

この部分を意訳します。
己が身をも全く忘れて、鴨のように水に浮いていて、
私たちが造った日の御門に、知らない国をひき寄せている道から、
わが国が常世(永久不変)の国になるという不思議な図りごとの図を背負った亀も
新時代に出てくるようにと・・・
真木の嬬手(神器をつけた賢木)を筏(船)に載せて持ち越しました。  
詳しくみれば、神ながらの道とはどんなものであるかがわかりましょう。


「家忘れ 身もたな知らず」は、浦島太郎のモチーフです。現代に置き換えるならアイデンティティーの喪失のことです。
「わが国は常世にならむ・・」を見ますと、「常世」とは、個人個人の「老いも死もない永世」のことではなく、「国家の永世」のことであることがわかります。
そして、わが国が永世不変の国になるためのはかりごとを負った「神器」が船で運ばれてきたことが詠われているのです。そして、これは、木村鷹太郎氏説くところの「羅馬船(かがみのふね)で運ばれたトロイア伝来の神器」のことだと考えられます。
そして、「圖負える 神しき亀」とは、瓶、即ち、宝瓶のこと、「神しき圖を負える」ファイストス円盤のことなのではないかと思われるのです。 


丹後の立神岩
丹後半島の冠島の「立神岩は」、「風土記残欠」という古文書に出ているのですが、これには「島の消失」という不思議な話を伴っています。
凡海郷(おほしあまのさと)、は昔、田造郷の万代浜から43里あり、 □□から35里2歩あり、四面皆海に面し、一つの大島であった。凡海と称する所以は、古老が伝えて曰く、昔、天下を治めるに当たり、大穴持命と少名彦命が、この地に到った時に、海中に所在する小島を引き集めたとき、潮がすっかり涸れて一つの島となった。それで、凡海という。
時に、大宝元年(西暦701)三月己亥、地震が三日続いて、この郷は一夜にして蒼海となった。ようやく、わずかに、郷中の高い山二峯と立神岩が海面の上に出た。今、名付けて、常世嶋、亦、俗に、男嶋女嶋と云う。

この丹後伊根町沖の「立神岩」に関して、「常世」「男女」という言葉が付随していることに注目してください。「常世」とは「蓬莱」の言い換えなのです。



追記  2009年6月12日の「京都新聞」から  2009年9月24日(木) 追記

舞鶴の沖合に海底遺跡? 階段状の岩、ダイバーらの話題に
京都府舞鶴市の沖合に浮かぶ冠島近くの海底で階段状の岩が見つかり、ダイバーたちの間で「海底遺跡ではないか」と話題になっている。専門家は「偶然の産物」との見方が強いものの、冠島一帯には1300年前に水没したとされる幻の大地「凡海郷(おおしあまごう)」の伝説もあり、海に眠る古代ロマンがダイバーたちを魅了している。
階段状の岩があるのは、舞鶴市沖約12キロの冠島近くにある通称「トドグリ」と呼ばれる岩礁。水深約8メートルの海底に高さ約2メートル、幅約60センチの人が歩けるような段差がある。

地元のダイバーが3年ほど前に見つけ、ホームページで紹介したのをきっかけに知られるようになった。・・・
舞鶴市教委によると、奈良時代の「丹後風土記」には、凡海郷という村が701(大宝元)年、3日続きの大地震で海に沈み山頂だけが海上に残って冠島と沓島になった-との記述があるという。
同市教委は、土器などの遺物が見つかっていないことから調査予定はないというが「遺跡の可能性は低そうだが、古代ロマンを感じさせる」(社会教育課)と話す・・・・。以下略

「海底遺跡に見える」と話題になっている階段状の岩(舞鶴市冠島沖)

丹後 冠島 海底遺跡


この記事に付けられた識者の見解は、例によって、「自然の岩だと思われる。火山性の岩には節理(規則正しい岩石の割れ目)が見られることが多い。階段だとすると、造った理由が周囲の状況から見えてこない。」ですと。
「灯台や見張りの搭」があったかもしれないとは考えられないのでしょうかね。
「ただ『遺跡のような階段』として観光などに活用し、海への関心を深めてもらうことは大いに賛成だ。」だそうです。この国のオーソリティーの限界を感じます。

先ほどの、「風土記残欠」の記事を信用するならば、大変な情報がこの記事に見出されることになるのです。
それは、「大穴持命と少名彦命が、この地に到った時に、海中に所在する小島を引き集めたとき、潮がすっかり涸れて一つの島となった。それで、凡海という。」との記事です。
ということは、「大穴持命と少名彦命が、この地に到った時」は、「潮がすっかり涸れ」島々が「一つの島となった」ような海退の時だったということです。
そして、再び、海進してしまったということが、はっきりここに示されているのです。

「大穴持命と少名彦命」は、奈良の三輪神社にセットで祀られてありますが、兵庫県の「石の宝殿」はこの大穴持命と少名彦命が作ったものであると「万葉集」が伝えています。

 大汝 少彦名将座 志都乃石室者 幾代将経   「万葉集」
 おおなむち すくなひこなのいましけむ しづのいわやは いくよへぬらむ

すると、大穴持命と少名彦命が、兵庫県の「石の宝殿」を作ったばかりではなく、与那国島の「海底遺跡」を作ったのではないかと考えられるのです。
ともうしますのも、「大穴持命と少名彦命」とは、エジプトのピラミッド製作者たちだからです。
「聖書」中の第一級の大物の「ヨセフ=ヨシフ」が、この丹後に祀られある彦穂々手見命の父であることが、地中海のクレタ島の「ファイストス円盤」に書かれているのです。

石の宝殿と呼ばれている巨石をの守りをしているのは「生石神社」ですが、生石を「おうしこ」と呼ばせており、
ここの「しこ」を大穴持命の亦の名「葦原の醜男」の「醜=しこ」とし、「鬼」と捉えている方が結構おられますが、まさにその通り、さらに「牛」を織り込んであります。ここにも、クレタ島とのメルクマールが用意されているのです。鬼と言えば「金棒」「鉄棒」。この石の造形が鉄器によるものであることを示唆しているのです。

2009年9月24日挿入部分終り



5 クレタ島の粘土板に彦穂々手見命の名が!

5 クレタ島の粘土板に「彦穂々手見命」が!

ファイストス円盤が日本語がで読める!

「恵穂葉」「葉枝扶」そして、「葉枝扶の息子として彦穂々手見」!!!
1908年に、地中海のクレタ島で、イタリア考古学調査隊のルイジ・ペルニエルによって発掘された「ファイストス円盤」というBC1600年頃の粘土板があります。

実物は、クレタ島のイラクリオン博物館にあります。私がファイストス円盤を拝見に行きましたときには、円盤は専用ガラスケースの中に展示されており、その前に警備員が張り付いていました。

       ファイストス円盤 A面 ウィキペディア
クレタ島出土のファイストス円盤 A面   写真 ウィキペディア コモンズ より


直径16cm余のこの小さな粘土板の両面には、241の絵文字が刻印されています。
今年でちょうど「ファイストス円盤」発見百周年です。
そして、この円盤の解読と称する論文の数は、万を超えるといわれています。
しかし、未だに「未解読文字」として扱われています。


1987年 謎の「ファイストス円盤」A面の日本語解読が発表される
この謎の「ファイストス円盤」の解読が、1987年、高橋良典氏によって発表されました。
「ファイストス円盤」が、実は日本語で解読できるうえに、「恵穂葉(えほは)」という神の御名と「葉枝扶(よしふ)という名前がそこに刻まれていたという内容なのです。
    
高橋良典著「太古の日本の王は世界を治めた」徳間書店 の解読文を掲載します。

  あるじ うしはく(治める) エホバの民
  あるじヨセフ うしはく民
  発つは 神をかしこむ父の民
  つは民 牛這うケフチフの みずは民船
  エホバの民 兵(つは)民
  牛這うケフチフの 瑞しアジア民
  イオニアうしはく ヨセフ民 
  越すは神民・・・

この「ファイストス円盤」A面の解読を読んで、内容の重大さに私は仰天しました。
すぐさま、図書館で、ファイストス円盤の写真を探し出してコピーをし、解読が確かかどうか自分で検証してみました。
すると、この解読がほぼ正しいことをあまりにも簡単に検証できたことに、驚きを禁じえませんでした。
そのうえ、そこには、さらに、「葉枝扶=ヨシフ=ヨセフ」の息子として「彦穂々手見=ヒコホホデミ」の名が刻印されていることを私自身が発見したのです!!
エホバ」「ヨセフ」「神民」「アジア民」などという、超ど級の言葉が日本語で無理なく確認できるというのに、内外のマスコミが、これに全く反応しないことにもショックを受けました。
解読されたA面については、暗号とも言えないほど単純な構成で、これの解読にいたるまでに100年の歳月を要したということには合点がいきませんでした。


ところで、解読文中の「うしはく」という言葉だけは、私にとってなじみのないものでした。そこで、古語辞典で調べますと、「古事記」に一例、「万葉集」に四、五例見られる言葉であり、「治める」の意味であることがわかりました。
そして、「うしはく」という言葉は、「古事記」の「大国主の国譲り」のシーンにリンクするためのキーワードとなっていることをわたくし自身がつきとめました。


恵穂葉(えほば)

  img007.jpg


「恵穂葉」の神名を探してください
上部の中心あたりに穂と葉が見つかれば、その前の燭台を「光の恵み」と解して「恵穂葉」と読めます。
下の方に、もう一箇所「恵穂葉」が見つかるでしょう。
その隣の「ひれ伏す人」のフィギュアは、「畏しこむ」ポーズですから、神社の祝詞でよく耳にする「かしこみ かしこみ」と読めそうです。
しかも、このフイギュアのポーズは、乃、および之の字の形ですから、「の」とも読むことがわかりますと、このフレーズが「恵穂葉かしこむ民」、或いは「恵穂葉之民」であると察知できます。

日本の神社では、すべての神事に、「鏡と灯明」「稲穂」「榊」が欠かせません。こういう神事という形の中に、日本の守護神「恵穂葉」のお名前が織り込まれていたのです。
日本は「神国」と伝えられてきたのですが、それは、日本が恵穂葉神の国だったという事だったのです!
よく、お神輿と契約の箱が似ていることが指摘されていますが、神事に欠かせない「鏡と灯明、榊、稲穂」が神の御名の象徴物だったとは!!
この神事のもとにあるかぎり、たとえ、何処の神社の氏子であろうとも、「恵穂葉」神の氏子としての身分から逃れることはできない仕組みになっていたのです。


「民」は、「田畑(すなわち大地)のタ」と「見張のミ」からなっています。「み」の象形文字の頭の飾りは穂や実の象徴だと考えられますが、古代のギリシャの陶器の絵によくみられる被り物です。


葉枝扶(よしふ)

「日本書紀」の葉枝扶から
高橋良典氏が「ヨセフ」と呼んでいるフレーズがどれであるかも、ただちにわかりました。
「ファイストス円盤」の写真の中央から少し左寄り(Aの3枠目)に「葉」「枝」「手(扶)」の表象を見つけることができます。
ヨセフ(ヨシフ)に、「葉枝扶=ヨシフ」の字をあてるのは、「日本書紀」神代紀の記事に「葉枝扶」という言葉があるからであり、この記事が「ファイストス円盤」とリンクして、ガイドしているということを私は発見しました。

「日本書紀」のその記事があるのは、神代の巻の最後の方、「彦火々出見尊=彦穂々手見命」の海神の宮における一場です。そこには、「風土記」の浦島の記事のものとそっくりな、「たかがき、ひめがきととのえそなわりて、たかどのてりかがやく」宮殿が描かれています。

その宮殿の門の前に一つの井があり、かたわらに湯津杜樹(ゆつつかつらのき)が枝葉扶疏(えだはしきもし)していると書かれています。
湯津社樹とは、神聖な樹のことであり、枝葉扶疏とは、枝葉が四方に繁茂することです。
上の太字にした章句が、そっくり「創世記」49章の章句に取り込んであります。


ヨセフは、泉のほとりの実を結ぶ若木 
「聖書 創世記」49章の、ヤコブ=イスラエルがヨセフにあてたメッセージの中に、
ヨセフが「神聖な木」として繁栄するという預言があります。
これが「日本書紀」の「湯津杜樹の枝葉扶疏」の記事とリンクしているように見えます。

「創世記」49章  抜粋 
 ヨセフは実を結ぶ若木、泉(井)のほとりの実を結ぶ若木
 その枝は石垣を越えて伸びる。・・・・・・

 あなたの父神によって あなたは祝福を受ける。
 上は天の賜物 下は横たわる大いなる水の賜物 
 母の乳と胎(大地)の賜物
 あなたの父神の祝福は、父祖たちの祝福にまさり 
 永遠の山々や丘々の極みに至る・・・
 
ここに、ヨセフと聖樹との関係が預言されていますが、これが「永遠の山々や丘々の極み」、即ち世界の極みにまで至る永遠の祝福であることから、葉枝扶という聖樹が「世界樹」であることがわかります。
また、ここに、「石垣」と言う言葉がありますが、「日本書紀」では、「たかがき ひめがき ととのい備わりて たかどの照り輝く宮殿」と記されていますので、それは、ヨセフらが設営したピラミッド群や宮殿を示唆していると考えられます。

「古事記」や「日本書紀」「風土記」が、聖書とリンクしており、さらに「ファイストス円盤」とも連携していることが、これで、よくわかると思います。


そこで、私は、さらに「聖書」の中を探索することにしました。

モーセのメッセージの「ヨセフと牡牛」

聖書の「申命記」33章のモーセのメッセージも、ヨセフへのものは「天地とともにある永遠の栄え」が預言されています。
そして、そこには、「ヨセフと牡牛」の関係を示唆する次のようなフレーズがあるのです。

「申命記」33章  抜粋
 彼は威光に満ちた雄牛の初子、彼の角は野牛の角、
 彼は諸国の民を角で突き、地の果てまで進み行く。

このフレーズは、「牡牛座=タウロス座」を彷彿とさせるもので、ヨセフがタウロス=トロイア=トロアス=アトラス一族であることが地の果てで解明されることを示唆しているようです。
牡牛座の星座図をさきにも掲載しましたが、どの星座の図よりも力強く、星空を地の果てまで突き進む雄牛の迫力ある構図です。
タウロス星座

これら、ヨセフにあてたメッセージは、「申命記」31章の「天と地をあなたがたに対する証人とする」にリンクするフレーズなのです。
こうしたことを照合しますと、「天空の星座」や「世界の地名」、さらに、「よこたわる大いなる水の祝福」、即ち「ナイル川」、「黒潮ハイウエー」から「海底遺跡」までもがヨセフの偉大な歴史を証言することを示唆していると考えられるのです。
さきの、「すばる星とあめふり星」の説明を参照してください。
また、この聖書と「ファイストス円盤」と「古事記」・「日本書紀」と「おうし座の星座」との壮大なコラボから、ヨセフがまたギリシャ神話ではゼウスと称されていたことが判明したのです。


「ファイストス円盤」の大人(うし)
大人 ワトソン図
うし=タウロスの意味
ファイストス円盤の両面には、上の図にような「大」の字型の「人」が合計「十一個」刻印されていますが、A面24枠目の一箇所だけ削られた痕跡がありますので、もともと、「十二」あったのではないかと仮定し、これは、ヤコブ一族の十二人に当ててあるのではないかと推論してみました。

そして「大の字型」の「人」の形から、「大人」という言葉を読み取れるのですが、これを辞書でみますと「うし」と読んで「貴人」「大物」という意味にとれる言葉だということがわかります。
古代ギリシャにおいて、タウロスとは牛のことです。
すると、「大人(うし)」は「大楼」でもありますから、ここにまた、「タウロス=牛」という意味がが潜んでいるのです。
そして、「大人」を、「おおひと」と読みますと、それは、古代からの伝説のダイダラボッチのことです。
だいだら法師とは、クレタ島の神話で有名なダイダロスのことであり、ダクチュロスのことであると、木村鷹太郎氏は説いています。


「日本書紀」で、葉枝扶=ヨセフが「たかがき、ひめがきととのえそなわりて、たかどのてりかがやく」宮殿とともに描かれているのは、「大楼」や、ピラミッドの石積みを連想させるため、また、クレタ島やエジプトの宮殿を想起させるためと考えられ、今のトルコ領のタウロス山脈や中国の大樓山脈の名もこれに連携していると考えられますし、エジプトの「ファラオ」も「大きな館」という意味も同様です。
地中海から中国に至るまで「牛の角のついた人型」のフィギュアが出土しますので、それらもまた、モーセ「申命記」31章から33章の預言の「地のはてまでの栄光」をものがたっています。



「ファイストス円盤」のさらに重要な謎
「創世記」48章と49章のヤコブが十二人を集めて祝福のメッセージを託すシーンと「ファイストス円盤」は符号するモチーフが非常に多いのですが、煩雑さを避けるためにここでは省きます。
「創世記」49章では、ヨセフあてのメッセージの比重が際立って大きいばかりではなく、例外的にヨセフの息子たちにも祝福が与えられているのですが、ファイストス円盤もまた然り、ヨセフを中心に詩が構成されているばかりではなく、ヨセフの息子たちを連想させる二人の子供のフィギュアが刻印されています。
ここに着眼して、「創世記」48章、49章と「ファイストス円盤」を照合してみますと、とんでもないことを発見しました。


彦穂々手見命の父はヨセフ!

イスラエルが 「これは誰か」と尋ねた
創世記48章には、ヤコブ=イスラエルが、ヨセフの息子たちを見ながら、
「これは誰かと尋ねた」というシーンがあります。
それは、ファイストス円盤の謎解きを試みている者が、聖書を片手に円盤の二人の子供のフィギュアについて「これは誰か」と尋ねながら照合することを想定して書かれています!!

創世記48章の、「これは誰か」と尋ねる場面を抜粋してみます。

 イスラエルはヨセフの子供に気づいて、「これは誰か?」と尋ねた。 
 ヨセフは「神がお授けくださったわたしの息子たちです」と、答えた。
 すると、父は「ここへ連れてきなさい。彼らを祝福しよう」と言った。・・・
 イスラエルは・・マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いて、ヨセフを祝福して、
 「わたしをあらゆる苦しみから贖い出された神よ、この子らの上に祝福をお与えください。
 わが名と祖アブラハムとイサクの名が彼らによって覚えられますように。
 あなたがたによってイスラエル(国)が神から祝福され、
 (子孫を)エフライムやマナセのようにしてくださいますように。・・・」
 
これは、ヨセフの長子のマナセとエフライムとの間の「祝福の交換」のシーンでもあるのですが、「ファイストス円盤」の二人の子供のフィギュアと聖書のこの記事を一致させるためのレトリックでもあり、これが、「古事記」「日本書紀」の「海幸彦と山幸彦」の「幸の交換」とのかかわりがあることを教えるための記事なのです。
つまり、はるか後の代の子孫が、これに気付くことによって、ヨセフの子孫たちが祝福されるように計らわれているのです。

なんという気の長い計画でしょう!!!!
3600年と言うタイムスパンを考えて見てください。
ここに、われわれの先祖たちの、限りない洞察力とロマンを感じます。

さて、山幸彦は彦穂々手見命のことです。こうして、こ山幸彦と海幸彦のさちの交換が、イスラエルの「祝福の交換」のことであるという真相がすこしづつわかりはじめます。

彦穂々手見命がファイストス円盤に刻印されている
円盤B面(中央から)28枠目の、「男児=ヒコ」「穂」「手」「見張り」で構成された象形文字群を見つけて、私はこれが古事記の「彦穂々手見命」であることを読み取り、さらに、彦穂々手見命の父がヨセフであることを発見しました。

創世記41章に、ヨセフの二人の子供、エフライムとマナセの名の由来が書かれています。
  「ヨセフは長子をマナセと名づけた。
  神が私の全ての労苦と私の父の全家とを忘れさせたからである。
  二番めの子をエフライムと名付けた。
  神が私を、苦しみの地で実り多い者とされたからである。」
エフライムの「大地の実り」は、彦穂々手見命、またの名、山幸彦と一致しています。
一方、マナセは、円盤A面27枠目に「海の幸の魚」を以って象徴されていますので海幸彦と一致します。

彦穂々手見 山幸彦と海幸彦

  彦穂々手見命(山幸)B面28枠         真魚背民(海幸)A面27枠

しかも、真魚を「マナ」と読ませ、ロバあるいはラバの「背」と組み合わせて「マナセ」と読むのですが、その「真魚の字をマナ」と読むよう示唆しているのは「古事記」なのです。
この「背負う」の絵文字は、「二枚の羽」でもあるのです。このフレーズにある「円盤」と合わせて、「双翼の円盤」「有翼の円盤」「鳥と日輪」ともなるのです。

さらに、彦穂々手見命を祀っている丹後の籠神社の奥社が「真名井神社」であることを想起します。


幸の交換

海幸彦と山幸彦(彦穂々手見命)との間の「さちの交換」
「古事記」と「日本書紀」には、海幸彦と山幸彦との間の「さちの交換」が記されています。「記紀」ともに神代の巻の掉尾を飾っているのが、この「山幸と海幸」の物語で、だれもが知っている単純な「さち」交換のものがたりです。しかし、「古事記」や「日本書紀」を照合しますと、「さち」は釣り針である
と同時に、また「鉤」や「鍵」を暗示しており、さらに領土の交換さえも記してあり、複雑な内容が伺われます。
その交換の際に、潮に溺れる事態や、貧窮、飢餓を伴ったことが書かれています。
その点で、「聖書」創世記48章よりは、祝福の交換の実態がくわしくわかりるようになっています!!
モーセの「出エジプト」とは、この領土の交換、祝福の交換であった可能性すら見えてきます。

創世記では、ヤコブの母リベカの入知恵によって、ヤコブと兄のエサウとの間で、エサウの「長子の権利」が交換されてヤコブに譲られるという事件があります。
ヤコブの結婚に際しても、妹ラケルと姉レアが入れ替わったためにヤコブは苦難を蒙ったという交換があります。
こうした話を照合しますと、「手の交差」や幸の交換で暗示される領土の交換がたびたびあったことが伺われます。手の交換の「手」が何を意味するのかについては後に詳しく説明します。「手」のひとつは、ペロポネソス半島のことでもあるのです。


彦穂々手見命の寿命は、580歳であったと「古事記」は記し、神代の巻きをこれで締めくくっていますので、それは王朝名とその王朝の長さを記したものであるといえます。
山幸海幸の「古事記・日本書紀」の神話と考古学の資料などを検証して、それは、「トトメス王朝」のことで、竜宮城とはテーベ王朝だったと解することができます。






2012年6月30日追記

「ファイストス円盤」が偽物であるという記事が、タイムズ オンラインから流されています。
「ファイストス円盤」は「聖書」とリンクし、我が日本国の国典「古事記」「日本書紀」、古典「風土記」と密接に連携している世界の至宝です。
この世界に類を見ない秘宝の「ファイストス円盤」を、こともあろうに、1908年に、イタリアの考古学者ペルニエルが捏造したものであるというのです。
それも、考古学者ペルニエルが自分の名声を高めるため、また、有名なイギリスのエヴァンズの名声を妬んでのすえの仕業であるというのです。
発掘後一世紀もたってから、「死人に口なし」という卑劣な手口をつかって、すでに故人のペルニエルを貶める記事をでっちあげた、このようなデマ宣伝を始めたのは、このファイストス円盤の真価が公になれば、顔色を失くす国々があるからです。

すなわち、「聖書」を書いた民とは「日本人」であり、「聖書」を解くための鍵が「古事記」「日本書紀」「風土記」などであるということがはっきりしてきたからです。
エジプトやクレタ島その他からの発掘物から日本的なものを抹殺しつづけてきたうえに、与那国島の海底遺跡は自然の地形であるなどというウソを流布する方向性を敷衍してきたのに、「ファイストス円盤」の抹殺をしないで見過ごしたのは手落ちでした。

この「ファイストス円盤」の存在によって世界史も宗教も書き換えられるということが次第にあきらかになってきたのです。
日本の国典には、このファイストス円盤を「天の八十平瓮 アメノヤソヒラカ」と記してあり、天の香具山(クレタ島のレフカオリ山)の石灰岩に埴土を混ぜて作製したことまで書かれているのです。

しかし、こうしたことは、私たち現代の日本人の生活には何の関係もないではないかと思われるなら、それは、大きな間違いです。
おおいに関係するからこそ、「ファイストス円盤」を「捏造品」として葬りさろうという動きがあるのです。
日本の過去の栄光を告げ知らせ、日本の明るい未来を約束し、神と預言者の威光を輝かせる至宝の「言霊」、それが「ファイストス円盤」なのです。
それは、「尖閣諸島問題」の解決にもつながるのです。
なぜなら、「ファイストス円盤」は、「ヨハネの黙示録」とも連携しており、日本は、神聖な「世界の巡礼地」となる運命を明かすからです。神のこのご計画を無視して、これのぶち壊しを画策する国々は成り立たなくなることを聖書が警告していることもあきらかになるからです。

日本海周辺から、レアメタルやら石油やらが湧出して、神聖な「神の国」の実現がめちゃめちゃになる前に、神の国が実現して、国土を美化(修理)しつつ、産業と平和な生活が両立するモデルケースとなる国として「神の国日本」が備えられているからです。
このことを、ゆめ疑うなかれ。
この後の、記事を最後まで精読して、これを確かめてください。

2012年6月30日挿入終わり



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話の種

3600年ほども昔の粘土製タイムカプセル「ファイストス円盤」から、ヤコブの12の面々が出てきました。
さらに、竜宮城に行った彦穂々手見命、亦の名浦島太郎が現れ出たのですが、下図は、「玉手箱から12の面々が出てきた」版画です。

「辻浦しま当る面箱」歌川国芳 1849年作
意味は、当時の人気役者たちの面々の誰が大当たりをとるか、辻うらで占ってみるか、といった内容なのですが、12人のうち1人の悪役が赤面しているのもご愛嬌です!!!
  
  
    辻うらしま当る面箱


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 私の自費出版の図書を紹介します

  「日本の謎と聖書の謎」 
  古事記・日本書紀とファイストス円盤 によって、その謎を解く

  久保 公 著  

   上巻 307ページ
   下巻 237ページ

  頒布価格 1セット3000円  送料 500円 
  ご希望の方は 郵便振替でお申し込み下さい

  郵便振替 No 00170-5-629703  久保恵理子                      

この書は、「もともと一つのマスタープランに基づいて作り分けられた、聖書、ギリシャ神話、古事記・日本書紀などを、重ね合わせることによって、三者三様の聖典が、あたかも三原色の色を重ねて創るカラー写真のように、その真実の天然の様相を現わす。」・・・という信念のもとに、十数年の歳月をかけて取り組んだ作品です。

「検証」が目的ですから、資料などの引用が多く、また、市井の素人の第一作目ですので、少し読みづらいかもしれませんが、近未来に間違いなく世界史が変わることを誰よりも早く実感することができる本です。

講演会、或は、勉強会などのグループで、これを取り上げて頂けたら幸いです。

4 浦島太郎と彦穂々手見命

4 浦島太郎と彦穂々手見命

丹後の浦島神社と籠神社

浦島神社(宇良神社)
浦嶋子を筒川大明神としてお祀りしているのが、浦島神社(宇良神社)です。
丹後 京都府与謝郡伊根にあり、延喜式神名に記載されていますので、
十世紀にはすでに存在していたことになります。

 浦島神社の社宝
  玉手箱  (亀甲蒔絵櫛箱 室町時代の作品)
  浦島明神縁起絵巻 (重要文化財1294年頃のもの)
  翁の古面

 浦島(宇良)神社のサイト
 http://kamnavi.jp/en/tango/urasima.htm

 

籠神社
丹後半島の天橋立の近くに籠神社があります。
浦島(宇良)神社からさほど遠くない位置にあり、こちらは、浦島太郎の妻の亀姫、すなわち、乙姫(八乙女のひとり)が降りたったところであることを、前項で説明いたしました。
籠神社は、籠宮ともいわれていたのですが、竹冠をとると龍宮となることも見逃せません。
籠神社は、「元伊勢」ともいわれ、奥宮が豊受大神を祀る「真名井神社」は、「八乙女」や「羽衣」ゆかりの神社です。
 
 籠神社の由来書  抜粋
  「別名を彦火火出見尊とも云われた御祭神彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って、
  海の彼方の海神の宮(龍宮、又は、常世とも呼ぶ)に行かれたとの故事から、
  社名を籠宮(このみや)と云うと伝えられています。」
  
 籠神社のサイト
 http://www.genbu.net/data/tango/kono_title.htm 



浦島太郎と彦穂穂手見命の共通点

 蓬莱山  両者ともに蓬莱山におもむく。
 
 海神   両者ともに海神の宮殿に滞在する。
      両者ともに海神の娘との結婚と別離が語られている。

 竜    浦島太郎は竜宮城へ
      彦火々出見尊の妻の豊玉姫がお産の時に竜或は鰐に化なる。
       (「古事記」では鰐、「日本書紀」では鰐、竜)

浦島太郎と彦穂穂手見命との間には、上記のような共通点があるのです。
この両者が、丹後半島の狭いエリアに共に祀られているのは、その同一性を示唆するためではないかと考えられます。


「浦島明神縁起」と「彦火火出見尊絵巻」

「続日本の絵巻19」小松茂美監修 中央公論社1992年
「浦島明神縁起」と「彦火火出見尊絵巻」が、「続日本の絵巻19」にともに編集されています。
「彦火火出見尊絵巻」は摸本だそうですが、それでも寛永年間(1624~44年)頃の絵で、
 詞書は藤原教長が治承元年(1177年)頃に書いたものであるいいます。 小松茂美氏の解説

  hikohohodemi.jpg

  続日本の絵巻19「彦火々出見尊絵巻」 中央公論社

豊玉姫の父 竜の冠を着けた海神
「彦火々出見尊絵巻」の上の絵は、彦火々出見尊が後に妻となる豊玉姫の父にお目見えするシーンです。
図の左端、竜の冠を付けている人物が豊玉姫の父の海神です。
この絵巻の冠と記事を見ますと、冠に竜蛇を着けた王像が見られる世界で唯一の国エジプトの「テーベ王朝」を想起しませんか?



彦穂々手見命の子はアトラス

ウガヤフキアエスはギリシャ語でアトラスのこと!!
彦穂々手見命は海神の宮に於いて、海神の娘豊玉姫と結婚して、
息子「天津日高日子波限建鵜葺草葺合命(ウガヤフキアエス)」を生みます。

このウガヤフキアエズの意味は謎だったのですが、
木村鷹太郎氏は「日本太古史」で、これをアトラスのことであると解いています。

 ウガヤフキアエスとは、Ουραν γαια φορκιζ のギリシャ語の、
 天=宇=ウラノスのウと、地=ガイヤのガヤ、
 支持するを意味するフォーキュスとの合成語であり、
 天を父とし地を母として地の両極にて天地を支えるアトラスのことである。 

  ウラノス      Ουραν  の略     宇=天 
  ガヤ=ガイア   γαια           地
  フキアエス    φορκιζ         支持者
  
  中国の史書に伝えられる天皇氏がウ、地皇氏がガヤに相当し、
  大昊伏義氏、あるいは庖犠氏と呼ばれるもののことである。
  そのフッキシ、ホーキシと言うのが、ギリシャ語のPhorcysとの同一性を示し、
  伏義氏、あるいは庖犠氏が竜蛇で表象されることでも一致している。
  天皇氏地皇氏に続いて記される人皇氏とは、人=ヒト=ヘテ人をいう。


彦穂穂手見命の子のウガヤフキアエズ=アトラスは、豊玉姫の妹の玉依姫と結婚します。
そして、生まれた御子たちは次のような歴史的人物であるとも木村鷹太郎氏は説いています。

「日本太古史」木村鷹太郎著 博文館 明治45年刊 抜粋

 神倭伊波礼毘古命     イウレウス  トロイア王子 ローマ建国の祖
 稲氷命=稲飯命      アイネイアス トロイア王子 ローマ建国の祖 
 御毛沼命=三毛入野命  ミケイリノス=メンカウラー  エジプト王

 稲氷命は剣を抜きて海原の国に入りて鋤持(サビモチ)の神と成り給えりと。
 鋤とは剣にして、スペイン、ドイツ、スウェーデン語などが、
 軍刀をサーブル、サーベルというは、鋤(サビ 鉄)と語源を同じうせるものにして、
 その人種名と成れるものはSabinusと言う。
 サビヌシは鋤主にして、鋤持と同意義なり。

 サビーヌ人種の国は稲氷命=イナイの入り込みしローマ付近の地にして、
 その地方をウンブリアUmbriaと言う。これ「海原」なる語にして、 
 いわゆる稲氷命の入りませる「海原」なる国名にあたれるなり。

 「姓氏録」は稲氷命を以って新羅の祖となすが、極東には非ず、
 イタリア南部をシラキウスSeyllaciusと言う。これシラキなり。


 ホメロスの「イーリアス」中の英雄イナイ Aeneae=Aeneasは、トロイ王族にして、
 トロイ王家は美の女神の子なるイナイ王によって継続せらるべき運命を有し、
 トロイ没落後、イナイは、老父を肩に載せ、父をして神器を抱かしめ、
 君笏を有せる幼児イウレウスIuleusの手を携え、
 同族の一団と共に、海に陸に戦にと艱難辛苦を経て、ついにイタリーに着く。
 其の地の有力者となりここに帝国の基礎を置けり。
 ローマ人はこのイナイを以って建国の祖なりと伝う。

 イウレウスはIuleusと綴れりといえども「ウス」は人物語尾のusにして、
 日本の「氏」にあたり、また「彦」にあたれる語なり。
 イウレウスの「イウレ」は、トロイの別名Iliumと同一語にして「磐」を意味し、
 イワレ彦命に対して、「磐余」なる字に一致するが如し。
 
 イナイおよびイウレウスにも海上に難船の記事あり、
 その地点はイタリアのクマノ海 Cumanosクマノスにして、
 稲氷命および磐余彦命の難船は熊野海たり。
 
 イナイ伝に在ってはイウレウスはイナイの子なりと伝え、
 わが国に在っては稲氷命と磐余彦命とは兄弟たるの差異は之ありといえども、
 其の長と幼との順序之を同じうせり。

 御毛沼命(「古事記」)、三毛入野尊(「日本書紀」)は、
 ギリシャ読みのミケイリノス Mycerinos即ち、メンカウラー王なり。
 三毛入野命の入りましし常世の国とはエジプトなり。



アトラスの子孫の世界三分割
ウガヤフキアエズ=アトラスの子孫についての、こうした見解と「古事記」「日本書紀」とを照合して見ますと、
この三者間での世界の三分割統治が行われた様子が浮上します。

  イウレウス=神武天皇は、ローマ建国に携わり、のちに、東漸してアジアを統治
  イナイ王がイタリアを建国して、ウンブリアなどを拠点にヨーロッパを統治
  ミケイリノス王がエジプトを拠点に、アフリカを統治

上記の三者の父彦穂々手見命の寿命については、「古事記」が580歳と記していますので、これらは人物名というよりも王朝名であると解すべきでしょう。

「古事記」は「次に御毛沼命、次に若御毛沼命亦の名は豊御毛沼命亦の名は神倭伊波礼毘古命(神武天皇)」と記しています。すると、時代の異なる二種類以上のミケイリノスがいたことになり、ギリシャのミケーネとの関係を調べる必要がありそうです。

彦穂々手見王朝(580年)の次がウガヤフキアエス朝で、その次がローマ建国の時代であったならば、
彦穂々手見命が結婚した豊玉姫の父が「テーベ王朝」の王であると解しても歴史との矛盾がありません。

聖書はトロイア戦争と古代ギリシャについて何も語っていません。
ホメロスはエジプトについて語っているようには(表向きは)見えません。
そして、古代エジプトや古代ギリシャが、かなり、グローバルな社会であったという証拠が次々と出てきているのですから、聖書やギリシャ神話についても、重ね合わせて立体的に見直す必要があります。



メンカウラーのヒエログリフと「日本書紀」の三毛入野命の表記の同一性
ミケイリノス王名メンカウラーの王名ヒエログリフは、「日本書紀」の三毛入野命の表記と見事に合致しています。
三個の桝形=凹の表象は「入」は、イリ王朝(トロイア系)を示し、「三個の大ピラミッド」の表象であると考えられます。
「日本書紀」の三毛の表記からは、「毛、不毛」を、「みけ」の音からは、「御食、御饌、三宅」が想起されます。
「三毛」から、三種類の穀物、御饌を連想しますので、地中海方面の火山爆発などによる異常気象で大不作に見舞われたときに貢献したことを推し量らせるためのヒエログリフではないかと思います。


創世記41章に記されているような、「七年間もの旱魃」という恐るべき大飢饉の発生を、ヨセフが予測していたならば、穀物争奪戦争や略奪からの防災、また、炎熱や腐敗からの穀物種の保護などの目的に対して、ピラミッドのような特殊な倉庫の建造を計画したことでしょう。それは、ピラミッドのような巨石での建造以外では、略奪者の決死的襲撃から保守し得ないような状況であったと考えられます。  

また、ピラミッドは、見張りの塔、鏡による光通信の拠点、烽火通信の拠点などを兼ね、ナイル川運行の船舶やキャラバンの目印として機能した、複合施設であったと考えられます。このような目的のためには、地下の迷路や「死人に番をさせる」といったトリッキーな装置も必要だったに違いありません。

エジプトが「鏡」を神聖視した裏には、鏡による光通信ネットワークがあったと見ています。
そして、このことは、第一級の秘密であったはずです。

テーベのツタンカーメンやハトシェプスト女王の地下墳墓などを個人ツアーで見学しましたとき、アルミを貼った大きな板を持った子供たちが連携して、アルミ板を上手に扱って、地下深くの壁画のデテールを照らしてくれました。この助けなくしては、壁画の見学もままならない暗い地下のこととて、思わず子供たちにチップをはずみました。
太古においても、日中には、こうした方法で深い地下室に明かりを送っていたことが想定されます。


メンカウラー王の彫像
メンカウラー王は紀元前2500年頃の王で、ギザの第三ピラミッド、一辺108メートル、高さ約67メートルのピラミッドの建設者と言われていますが、「古事記」の記事が確かなら、ピラミッドはもっと古いヨセフの時代に建造されたことになります。

1908年、ギザのメンカウラー王のピラミッドに付属した河岸神殿から、G・ライスナーの発掘によって、左のようなメンカウラー像が出土しました。
このメンカウラー王の群像は1978年4月1日から12月3日まで、日本各地で開催された「古代エジプト展」の展示品の一つとして公開されました。
普段は、エジプトのカイロ博物館に展示されています。

      ミケイリノス

       





竜宮城とテーベ王朝

テーベ王朝、第18代トゥト・アンク・アメン王の出自
テーベ王朝に関して、第18王朝のトゥト・アンク・アメン王(在位 BC1361~BC1352年)ほど世に知られた存在はないでしょう。

1922年、イギリスのカーナボンによって、テーベの王家の谷の、トゥト・アンク・アメン王の墳墓から、豪華精巧な七重の棺やおびただしい副葬品の数々が発掘されました。

その棺や厨子には翼を広げた女神像や翼の図象が多くデザインされています。

トゥト・アンク・アメンの別の胸飾り(下図 カイロ考古学博物館蔵)のデザインには、日本語で、「鳥と天」と読める部分があること、「鳥と籠」があることに注目して下さい。

   to-toamen.jpg

 ケペル レー ウ   上  
   
   ネブ       かご
   ケペル レー  太陽
   ウ        三本の線

  トゥト・アンク・アメン  下

   トート     鳥
   アンク     命
   アメン     天 太陽






トゥト・アンク・アメンが、在位九年で年若くして亡くなった時、
妃アンケセアメンが、ヒッタイト国王に次のような手紙を送ったことが分かっています。

  夫は亡くなりました。私には息子もおりません。
  このままでは家臣の中から夫を選ばなければなりません。
  あなたはたくさんの王子をお持ちだそうですので、
  どうかその中の一人を私の夫にお願いしたいと存じます。

この手紙の背後に、ヒッタイトとエジプトの王家が、実は同族であったという事情が隠されていたと考えられます。
ヒッタイトのシュッピルリウマ王はこの若い王妃の願いを聞き入れて、王子ザナンザと従者をエジプトに向かわせたのですが、その王子が何者かによって暗殺されてしまいましたので、結局アンケセアメンはアイと結婚し、神官アイがファラオとなりました。
しかし、アイの治世も長くは続かず、ラムセス王の時代となります。
ラムセス王は、出世した傭兵(多分外国人)の息子です。要するに、ラムセスは未亡人王妃と結婚することによって「軍事クーデター」を完成させようとの画策していたという裏面が想定されます。


アイは、アメンホテプ四世、別名イクンアテンの義父です。
アメンホテプ四世は「アトン神」崇拝の一神教を推進した王でした。

また、アイの墳墓の壁には、「アトン神」に捧げた賛歌が刻まれていますが、
それは、聖書の詩篇104章と似ていました。

アメンホテプ(アメノフィス)は、「古事記」と「日本書紀」に記されている「天の菩比」であり、
フェニキア系を示す王名であると木村鷹太郎氏は説いています。

「古事記」は、大国主の国譲りの時代の天の菩比について、およそ次のように記しています。

 葦原の中国では、荒ぶる国ッ神が多くて混沌としていたため、
 これの平定に向けて、天の菩比を遣わしたのですが効を奏さないので、つぎに、
 天若日子を派遣しました。
 しかし、彼は大国主の女下照比売を娶し、また、その国を獲んと慮って、
 八年にいたるまで復奏しなかったのです。

 そして、九年目に思金神が「雉(きぎし)」、名は鳴女を遣わしましたが、
 天のさぐめが「この鳥を殺すべし」との進言しましたので、
 天若日子が、その雉を殺させてしましました。
 このため、天若日子自身が、「還矢」によって死ぬ羽目に陥ってしまったのです。

この「大国主の国譲り」にまつわる記事の天若日子の治世と死は、
トゥト・アンク・アメンの治世年数と死に一致しています。
また、記事中の雉を「きぎし」と読ませるのですが、これは、ギリシャ語では白鳥を意味し、雉の話にまつわる「天のさぐめ」とは、ラテン語のSagum Sagusで、「預言者」という意味であると、木村鷹太郎氏は説いています。


この天若日子は、七夕にまつわる主人公の彦星の本名の天雅彦(あめのわかひこ)として伝えられています。
「天雅彦草紙」を要約しますと、
大蛇が長者の姫君を嫁にほしいと申し出ます。上二人の姫君の拒絶にあいましたが、末の姫は父母の苦境を救うためと、承諾します。ところが大蛇から現れたのは美男の貴公子で、二人は睦まじく暮らしました。
ある日、夫が「自分は海龍王で、急用があって天に昇るが、留守中に、唐櫃だけは開けないように。開ければ自分はここに戻れなくなる」と言って天に昇っていきました。

姉たちがやってきて唐櫃を開けてしまいます。中からは煙が一筋立ち上って、これでもう天雅彦は帰るすべがなくなりました。姫は、こうした場合を予測した夫から預かっていた「一夜杓」で天に昇って夫を捜します。ついに、やっと捜しあてた夫はすばらしい宮殿に住んでいました。
ところが、夫は自分の父が鬼であることを告げ、もし見つかったら食べられてしまうといいます。
そして、鬼に見つかってしまいます。
父親の鬼は姫を連れ去り、自分はたくさんの牛を飼っているが、それを昼は野に放ち、夜は小屋に入れるようにと難題を吹っかけます。
姫は夫に教えられたとおりに牛を動かし、難局を切り抜けます。
いくら難題を出しても解決してしまう息子の妻に、ついに父鬼は情を見せ、では二人の仲を認めて、月に一回は一緒に暮らせるようにしようと言います。ところが、姫はその言葉を聞き間違えて、年に一回と思いこみます。
父鬼が手に持っていた瓜を投げると、それが天の川になり、二人を隔てたために、天雅彦は彦星となり、妻は七夕姫となって、二人は年に一度の逢瀬を契ることになったということです。

後漢の末にはこの記録があるというこの有名な「七夕」「7月7日に、天の川で牽牛と織女が会う」という話のデテ-ルをみますと、

「夫が龍蛇である」とは、トゥト・アンク・アメンが、龍蛇の冠をつけたテーベ王朝の者であること。
「夫の父親が鬼であり、父子で牛を飼っている」とは、トゥト・アンク・アメンが、「エティオ・クレース(真のクレタ人)」、すなわち、「半牛半人」や「鬼」の形状をした島クレタ島の出自であること、
「牛を率いる」「牽牛」とは、タウロス(牛)のトロイアやミノタウロスを率いる王統であること、
「開けてはならない箱がある」とは、「トロイア王家の神宝」のことです。
ですから、この「天の川」とは、ナイル川や地中海のことなのです。
そして、こうした、物語や行事はすべて未来(つまり謎が解ける日)を基準にして組み立てられていることがお分かりでしょう。
 
「古事記」では、天若日子の妻下照姫亦の名高比売命には、天若日子に瓜二つの阿遅志貴高日子根神がいて、天若日子の喪を弔いに来ます。
  
  天なるや 弟棚機(おとたなばた)の項(うな)がせる 玉の緒統(みすまる)御統に
  穴玉はや み谷 ニ(ふた)渡らせる 阿遅志貴 高日子根の神ぞ

妹の下照姫亦の名高比売命は、こう詠って兄の正体を明かします。
それは「ニ(ふた=プト=エジプト)」と「み谷=ミタンニ」両国の真の統治者が阿遅志貴高日子根神であることを言ったものですが、じつは、トゥト・アンク・アメンとは双子の兄弟なのです。王子たちが、あちらこちらに養子に出されて分散して育てられたことが、王家の近親結婚悲劇の要因ともなったわけで、この悲劇をデフォルメしたものが「オイディプス」や「アンチゴネー」の戯曲です。
「弟棚機(おとたなばた)の項(うな)がせる 玉の緒統(みすまる)」とは、スバル星、すなわちトロイア=アトラスをあらわし、同時に「緒統(みすまる)の玉」と呼ばれている「御神宝」を意味しているのです。


これだけの一致点を並べても、まだ、信じられないと言われますか?


トゥト・アンク・アメンの名の刻まれた、「アイの胸飾り」もカイロの考古学博物館に展示されています。
そこには、トゥト・アンク・アメンを悼む詩がヒエログリフで刻まれていますが、これも日本語で読めるのです。
これについては、別の機会に載せます。












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話の種

木村鷹太郎氏を支持したメタクサ伯爵夫人
木村鷹太郎氏(1870-1931年)は、大著「日本太古史」上下巻 博文館 を1912年に出版して、従来の歴史観を逆転させるような発想の研究を発表し、これを「新史学」と名付けました。
しかし、日本の史学会は、これを少しも検証することなく、完全に黙殺をしたうえで、木村鷹太郎氏に対して「狂人」「妄想」と罵倒を浴びせました。

このために、木村鷹太郎氏は「とんでも学」や「擬似歴史学」の先駆者の一人として、インターネットで誹謗、揶揄の対象とされているほかは、全く世に知られていない人物です。

だが、木村鷹太郎氏の「日本太古史」は、当時、ただちに外国語にも翻訳されたのでした。
そして、世界もまた沈黙しました。

しかし、これを読んだギリシャのメタクサ伯爵夫人は、木村鷹太郎氏に賛同の意を表明するために、
わざわざ来日して、木村鷹太郎氏の邸に駆けつけ、次のように言われました。

  クレタ島から出土する太古の品々は、いわゆる西洋文明とはかけ離れています。
  太古のギリシャ神殿デルフォイやオリムピアのことなどを知ろうとするギリシャ学者は、
  日本に来て京都や日光に来れば、宗教的太古は今もここ日本に存在することを感じ、
  ここで使用されている殿堂、彫刻、形象記号などが、
  親しき熟知の言葉を以って語りかけることを知るでありましょう。
  
  両文明の類同の点のあまりにも多いことには注目せずにはいられません。
  木村氏の御著述は、恰もアリアヅネの糸のごとく、その跡をたどり得るものだと信じます。

このように、共感と賛同を熱く語られたのでした。
メタクサ夫人が木村鷹太郎氏にあてて書いたこの手紙は残っています。
メタクサ夫人は、ギリシャの神々や彫刻、風習、伝承などが、ギリシャではなく、日本で「生きている」ことに驚かれたようです。


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