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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

14 命の木の実の解禁

14 命の木の実の解禁

ヨハネの黙示録の真実 1

ヨハネの黙示録は「命の木の実」の解禁の書
ヨハネの黙示録本文(2章~22章)の最初に現れる要旨は「命の木の実の解禁」です。
そこで、いのちの木にまつわる箇所のみを抜粋してみます。

ヨハネの黙示録2章
 勝利を得るものには、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。

ヨハネの黙示録22章 抜粋
 御使いは、神と子羊の御座から流れ出る水晶のような川があり、・・・
 川の両岸には十二度も実を結ぶ命の木があり、
 毎月一つの実を結ぶその木の葉さえ諸国民の病を癒す。・・・

 命の木の権利を与えられ、門を通って都には入れるように、
 自分の着物を洗い直し、清めるものは幸いである。・・・

 この書物の言葉を聞くすべての者に証する。
 これに付け加える者に、神はこの書に書いてある災いを加えられる。
 また、この預言の書から何か取り去る者に、
 神はこの書に書いてある命の木と聖なる都から、
 その者の受け取る分を取り去られる。」

これらの預言から、ヨハネの黙示録が「命の木」の解禁とその権利をテーマとしていることがわかります。
「命の木の実」が禁断の実となったそもそものいきさつは、創世記2章と3章に書かれています。
そして、「創世記」と「ヨハネの黙示録」とは、一対として構成されていますので、この関係を把握しておきますと、解読がスムーズになります。


創世記                    ヨハネの黙示録
天地創造 天地の初め              天地破壊 天地終末  
太陽 月 創造                 太陽 月 照らす必要なし     
水の集まった海を創造              海もなくなる 
蛇(悪魔)が神の代わりに指図する        蛇(龍 悪魔)破滅する
不信仰のはじまり                不信仰終わる
いのちの木の実 取ることを厳禁         いのちの木の実 解禁        
エデンの園を隠す                エデンの園(神の国)復活

創世記とヨハネの黙示録のこうした対比を見ましても、その中心テーマがエデンの園のいのちの木であることがはっきりします。

「命の木」は、元エデンの園にあるはずでした。
日本が「エデンの園」にして、それを守護する「4つの生き物からなるケルビム(御使い)の国」であり、守護神恵穂葉の民であること、そして、エヴァも日本であることを地図で検証してきました。
こうして明らかになったことをもとにして、創世記とヨハネの黙示録を照合しますと、難解と言われているヨハネの黙示録もたやすく読み解けるのです。




ヨハネの黙示録1章 

これはイエス・キリストの黙示である
ヨハネの黙示録1章は序文です。
旧約聖書が投げかけた問題提起の解答への手引き書が「黙示録」です。
これが、イエスキリストからヨハネに託されたものであるという重要事項をまっさきに掲げてあるのです。
これは、イエスが一身を犠牲にしたために世に広まったのであり、その奥義が弟子たちの心にとどくように計らったのはイエスですから、「ヨハネの黙示録」の真の権利者はイエス・キリストです。

最初から「イエス・キリストの黙示録」と銘打つことをしなかった理由は、「黙示録」の悪用や盗用が、あらかじめ予見されていたからです。
「(大)世紀末預言」は、ミレニアム毎に悪用され続けているのであって、イエスよりも1000年も前のダヴィデの時代の「ダヴィデとゴリアテとの戦い」(サムエル記上17章)を吟味して読むと、このことが如実にわかります。これは、「黙示録」の原型はダヴィデの時代にすでに存在していたということです。
しかし、このたびのミレニアム戦争は最終的なものであり、これに関する預言はイエス・キリストのたまものであり、具体的に詳細に書かれています。


「すぐにも起こるはずのことを、神が示すためにお与えになり」
「終末預言」の悪用は、「略奪目的の宗教家と軍事独裁者と軍産複合体」の面々によって画策され、それと同時に、本物を迫害し抹殺する画策を進めます。
ミレニアム毎の世界争奪戦は、いつも、ずいぶん早くから蠢動しはじめ、ながく尾を引く大災厄なのです。
イエスの時代に「終末」思想が蔓延していたという歴史的事実を無視する人には、真実を理解することは難しいといえます。

イエスの時代に、世界を救済するメシアに成りすましていたのはアウグストゥスでした。このことは、あちらこちらから出土した「アウグストメシアを称える石碑」などがものがたっています。

祭司階級や政治家たち、学者たちは、ローマ皇帝アウグストゥスに与することによってありついている特権に満足しきっていて、自国のメシアが残酷きわまりない磔刑で処刑されても「そんなの関係ない」・・という無責任ぶり、これで邪魔者が片付いたとばかり浮かれていた様子を、マタイ福音書27章が描写しています。 
その後、イエスを無視し、偽メシア一族の庇護の下に繁栄していた人々が、エルサレム神殿と王国をともに失くし、世にも悲惨な最後を遂げたことは有名です。

しかし、このイエスの教えと「ヨハネの黙示録」のメッセージを正しく聞き分けた人々は、「脱ローマ」「脱エルサレム」を図って、東へ東へと逃れていたのです。
「徐福」の「秦脱出」は、このローマ帝国からの脱出運動の序奏だったと思われるのです。中国では、ローマのことを「大秦」といいましたので、「秦」と「大秦」との間には、水面下の連携があったことが伺われます。
徐福が「不死山」を目指したといいますが、モーセも「エジプト脱出」のとき「シナイ山(死無い山)」を目指しましたから、徐福の「秦脱出」は「第二のモーセ」としての事業の一環をだったと考えられ、「聖書」の、東方からの博士たちが、イエスの誕生を祝して尋ねてきたという記事はこうした連携の一端だったことが導かれます。
わたくしは徐氏の鏡を所有していました(盗まれました)が、「二匹の魚」の図柄でした。ローマを脱出したキリスト今日の印は「二匹の魚」です。それは、出エジプトの星座神話、ビーナスとキューピットがティフォンの暴虐を逃れて二匹の魚になって東方へ逃げたことをシンボル化したものだと考えられます。



「これ(ヨハネの黙示録)を聞いて、記されていることを守る者は幸いである。もはや時がないからである。」
偽メシアの配下として、あだ花のような栄華の美酒に酔い痴れている人々は、「ヨハネの黙示録」などの真意を真剣に検討したりはしません。
「聖書の預言」を切実な思いで読み、真意を真剣に受け止めようとしている人々に対して「ヨハネの黙示録」が、送られたであろうことは、アジア州にあった「七つの教会」に限定してこれが送られたことからわかります。
これは、とても重要なサイレントサインのようにみえます。

既にイエスの宣教を聞き分けて、当時の中東における「エルサレム問題」「ミレニアム問題」の展開に疑問を抱いていた人々は、すでに、「ローマ」や「エルサレム」を脱出していました。
そうした真摯な人々に対して、ヨハネの黙示録は巻物のかたちで手渡されたことが記されているのです。
まだ、脱出していない人々も、伝聞で真意を悟った人は、この七つの教会方面に向けて脱出したことでしょう。
そして、この奥義が伝えられてから、ほどなく、AD70年にエルサレム神殿の廃絶と、王国の消滅がおこり、そして、次に、AD79年8月24日、イタリアのヴェスヴィオス火山が大爆発してポンペイやヘルクラネウムといった軍産複合体の楽園が壊滅したことにより、偽メシア・アウグストゥス一族の「千年王国」は、消滅の道をたどりはじめます。

聖書の辞典などでは、ヨハネの黙示録はAD100年以降、エルサレムが廃絶されてから書かれたものだという主張がなされていますが、それは、預言の威力を貶める偽預言者側の見解です。
今、こうして、ことが実現化する前になにもかも書かれていることを悟られるでしょう。
DNAというもののパワーを理解している方々は、この預言の威力が理解できるでしょう。


そして、2000年前のこの一連のできごとは、現代の「アットラスト」時代の雛形であると言うことを知る必要があります。
黙示録などの預言を悪用したり、救世主を抹殺した場合、どうなるかという見本なのです。
このことは、このヨハネの黙示録で明かされますが、キーワードが「アウグスタ」「8月」であるということを覚えていてください。


アジア州にある七つの教会へ
1、この宛先は大変重要な問題を含んでいます。
この章句は、パウロが重点的に布教しようとしていた地域の教会に「大切な預言を与えない」という形で、「パウロが偽預言者である」ことを暗黙のうちに教えていたのです。
「ヨハネの黙示録」は、その冒頭で、偽預言者の毒牙を免れる確実な措置を講じていたことの証となっているのです。

パウロは、「アダムとイヴが犯した罪により、全人類は生まれながらに原罪を持っている」と定義づけて、「神から生まれたイエスが唯一の無原罪の人であり」、「神の子イエスが、神への贖罪の犠牲の羊となって、全人類の罪を贖って下さったがゆえに、イエスを信じると告白する者は永遠の命を得る」という教義を構築しました。
それは、人類全体を罪人であると定義して、「パウロの教義を肯定するか。それとも否定するか」の二者択一にもっていき、両者を一手に采配するための虚構でした。

アダムとイヴとは、二人合わせて一体の地球であること
が今や明らかになったのですから、聖書が約束している「永遠の命」とは、地球のことを指していることがわかりましたから、パウロの理論の特徴である「個人の永遠の命」が、預言の主題であるという教義は、もはや成り立ちません。 

パウロの教義は、「偽善の律法学者とパリサイ人たちを名指しして糾弾した」イエスの言葉、「あなたたち、蛇まむしの末どもは、ゲヘナ(戦争地獄)の刑罰をどうして逃れ得よう。・・・義人アベルからこのかた、宮と祭壇の間で殺されたバラキヤの子ザカリヤにいたるまで、地上の全ての正しい者たちの流した血の報復があなたがたの上にきます」というイエスの預言を無に帰すものです。 マタイ福音書23章


「邪悪な者たちが、偽善を教えたり、正しい者たちを殺したり、迫害したりすることに対して、神がその報復の裁きをする」という預言と、「イエスを信じると自己申告すれば、すべて赦されて、死後の永遠の命が保障される」という教義との、このギャップはどこから来ているのでしょう。

パウロはイエスの弟子ではないという一事が鍵です。
自称使徒、偽使徒、偽牧者などを、イエスの言葉で表現しますと、「羊の群れの中に、門を乗り越えて進入する者は強盗で人殺し」(ヨハネ福音書10章)だということです。

「イエスを犠牲の羊として崇める」ことに関しても、「わたしは憐れみは好むが、いけにえ(犠牲)はこのまないということ(預言の)の真相を知っていたら、あなたがたは、罪のないものたちを罪に定めはしなかったことでしょう」(マタイ12章)というイエスの言葉を見れば、「イエスを過ぎ越しのいけにえの羊とした」者たちを、神が喜ばれるはずがないことがわかるでしょう。むしろ、その報いがきて、エルサレムは廃絶されました。

当時、エルサレムで、キリストを犠牲にして、これで一件落着と、過ぎ越しの祭りを楽しんでいた人々や、エルサレムを気に入って居残っていた住民には悲惨な最後が待っていたと歴史は物語っています。エルサレムに残っていた住民たちは、ソドムとゴモラの住民と同じような目に会ったのでした。


イエスは罪なき預言者であったために、パウロは、これを無視することはできませんので、歴史から葬り去ることをせず、むしろ、彼らはイエスの預言を横取りして、悪用できるところを抽出して利用しつくすという手段にでました。「十字架のキリスト」という偶像を創作して、自らの野望に不必要な部分を「削除」して、これを全世界に広めました。

パリサイ派のパウロは、このイエスを最大限利用する機構を完成しましたが、彼に同意した、パリサイ派たちの拠点のエルサレムなどは、イエスの予言したゲヘナの刑罰(戦争)によって崩壊したという史実を見るべきです。

パウロは、「善悪の知識の木」の実(じつ)を取りさって、人々に食べさせましたが、「実を取って食べても、あなたがたは決して死なない」とそそのかして、エホバ神の掟を破らせたのですから、「蛇=サタン」であると、創世記3章に書いてある蛇の特徴を備えています。
聖書は実に用意周到な書物です。

しかも、その「蛇、まむし」とは、パリサイ人たちと律法学者たち(神学者たちと立法府の議員)であることが、マタイ福音書23章に詳しく出ています。

日本語では、「実」は、果実や種をいうとともに真実や結果をも表します。
善悪の知識の木から、パウロは実、即ち、真実を取って(取り去って)、猿蟹合戦の猿が蟹に投げつけたような、未熟で、有害な実を人類に食べさせるべく投げつけたのです。
日本語でなければ、これらの言葉の精緻さはよく伝わらないのではないかと思います。


1500ページほどの旧約聖書を取り去ったキリスト教会は、残りの500ページほどの新約聖書、その中でも、自称使徒のパウロの織り成した蜘蛛の糸で織り上げた着物を着て行進してきましたから、次のミレニアム期には、「十字軍戦争」という結果を実らせました。
そして、今ミレニアム期には、旧約聖書抜きのキリスト教徒と、新約聖書抜きのユダヤ教徒が同盟して、「千年王国争奪戦略」を遂行しました。
そして、「神の預言である黙示録を利用した祭壇」において、おびただしい「正しい人の血」を流しました。



日本の宗教界も、「満州にユダヤ人のナショナルホームを」とか、「最終戦争」、「日本の使命」とか、ヨハネの黙示録に便乗した蜘蛛の糸を紡いで織った着物で飾って進軍させることに協力した結果、「特攻隊」、「出陣学徒」や「一般市民」などの罪のない数百万人を、「国家神道」の祭壇の犠牲にしました。
しかも、今に至るまで、まったく、反省がなく、その道を改めてもいません。
こうした、裸の王様たちに、「裸だ!」と真実を言わなければならない時がきたのです。




「アジアの七つの教会へ」のもうひとつの意味
「ヨハネの黙示録」が「アジアの七つの教会へ」と、宛て先を限定したことに、その地域がすべて旧トロイアの重要な故地であるという用意周到なメッセージとなっています。

聖書の書き手、預言者たちは、トロイア=トロアス=アトラス人たちなのです。
しかし、それは、歴史を誇るために明かされるのではなく、歴史の真相を教示し、国民の驕りと無知が滅びの原因となることを教訓とするためであることを認識する必要があります。


「ヨハネの黙示録」はアシアの「七つの教会」にあてて送られたのです
が、そこに書かれている七つの地域にあった神殿は、すべて、元々「ヤコブの12人の息子たち」、と呼ばれていて、後に「オリュンポスの12神」に変形した神々のうちの七つの古代の宮々が存在したところです。
これは日本では七福神として伝わっているものの原型で、一週間の7日間に配されています。
これら12神の名も、今日で云うところの「ヨハネ教会」や「ペテロ教会」のような「宮の名」から変形したものであることが、次の言葉でわかります。



「七つの星は七つの宮の御使い 七つの燭台は七つの宮」

惑星


この「黙示録の真実」では、「聖書」について、「ヨハネの黙示録」について、世のこれまでの常識とは180度異なる、コペルニクス的転回を見せますが、ヨハネの黙示録は「アポカリュプシス」、即ち「覆いを取ること」なのですから、意外な面が現れるのが当然といえます。


「七つの星」という言葉は、創世記1章の「天地創造の7日間」とリンクさせるために使われています。
「聖書」は、内容のスケールの巨大さと天の摂理とを表現するために、天地人の順序で書かれていますが、ヨハネの黙示録も同じ順序です。

「七つの星」は、天地創造の7日間が時間を表すと同時に、スペース=空間=太陽系とギリシャ神話の七神(七宮)を示唆しています。
ヘリオス、アルテミス(ダイアナ)、ヘルメス、ヴィーナス(アフロディテ)、アレス(マルス)、ゼウス(ジュピター)、クロノス(サトゥルヌス)という曜日名はオリュンポスの12神からきているのですが、これら12神になぞらえられているのは、実は、ヤコブの12人の息子たちのことです。

「ヨハネの黙示録」と「創世記」を「ギリシャ神話」と重ねて解かせるために、「7つの星」、「7つの宮」「御使い」というヒントを備えているのです。
聖書は観念論あるいは利用目的で理解すべきではなく、惑星というスペースでの歴史と現実を直視することを要請していると考えられます。

「教会」と訳されている語を、「宮」としたのは、宮は球に通じ、子宮に通ずる言葉だからです。
日本では宮へ通じる道を参道といいますが、これも産道を踏まえた言葉で、宮に於いて「神の子」が誕生するからです。

人間は宇宙の子、地球の子、子宮の子、小さな卵細胞という球の子、さらにもっと小さな目に見えないほどの球体から発生するのですが、そこには、既に、神の言葉DNAが書き込まれてカプセルにはいっています。
こうした神秘の一つを見るだけでも、女をいやしむ根拠として創世記のイヴを引き合いに出したり、アダムとイヴをエログロの元祖のように扱うことの愚を悟るでしょう。

人間同士が平和に暮らすには、まず、こうした身近なことに対する歪んだ思想から直さなければ、いくら「神よ、神よ」と祈っても、世の中はよくなりません。


ニュートンのヨハネの黙示録検証
イギリスのアイザック・ニュートン(1642~1727年)は、ヨハネの黙示録を検証して、「聖書の預言を理解するためには、まず、預言者の言語に習熟しなければならないと言い、預言の解明は長い間失われていた真理の発見をもたらし、正義がそこに住まう王国が打ち立てられるという目的に沿い、また、証明される預言は古い諸預言を開示し、それら全体は真の宗教を知らしめ、確立するであろう」と言っています。
法王や神学者よりも、科学者のニュートンの方が正鵠を射た発言をしています。

預言者は、きわめて有機的な言語、ありとあらゆる生き物の特性や習性を取り込んだ生き生きした言葉で語っています。それは「日本語」の大きな特徴でした。。
日本の「古今伝授」という歌学の資料をみますと、一首の歌に、過去現在未来を収め、かつ表裏を表し、6次元を一次に盛り込めたのが柿本人麻呂たち、歌聖、歌仙といわれる人々であると書かれていますが、「聖書」の預言者たちもこれと同じ技術を駆使していることがわかります。

また、掛詞とことわざが多くとりいれています。
イエスは、「みな喩え(と風刺)で語られた」と、聖書にしるされていますが、一例をあげれば、「パンと魚の奇跡」のパンが「教え」を意味していたと記しているマタイ福音書16章がありながら、これを「奇跡」としてあつかっているという過誤を見落としてはなりません。

人類が経験したことのない「パン5個が5千人分の食事となった食料のパン」と勘違いして手品のような魔術的奇跡を期待するというのは、人間の底知れぬ欲深さあらわれです。ですから、「永遠に地上で生きる」などと信じ込んだり、「埋葬した骨から現実の人間が甦って、しかも若返る」などという、不気味かつ、人間を機械同様の軽々しい存在に貶めることを考えるようになるのです。






ヨハネの黙示録 2章と3章

ヨハネの黙示録のガイド
「ヨハネの黙示録」の、七つの教会(宮)あてのメッセージには、ヨハネの黙示録の要旨がみな列記してあります。
神の国とその民がなすべきこと、改めるべきこと、その結果得られる栄光がもれなく示され、
預言の宣命を無視した場合のリスクも書かれています。

2章、エフェソ、スミルナ、ベルガモ、テアテラの4宮(教会)に、
3章は、サルディス、フィラデルフィア、ラオデキアの3宮(教会)あてのメッセージです。
この七つの宮の所在地に注目してください。今のトルコ、そして、太古のトロイアの故地であり、アジア大陸の西の端です。アジア大陸の東端にある日本とのアルファオメガの関係がここで、まず、語られているのです。

そして、この「7つの宮の御使い宛のメッセージ」には、黙示録4章から終章までの要旨のほかに、ヨハネの黙示録や新旧約聖書へのリンクを要請するキーワードも含まれています。
なお( )内は、参照すべき箇所を示したものです。


ヨハネの黙示録2章

エフェソへ

命の木の実の解禁   (黙示録22章  創世記2章)
 
条件 
自ら使徒と称しているが実は偽っている者たちの虚偽を見抜くこと。 
ニコライ派の者たちの行為を憎んでいること。
悔い改めて、神への初めの愛に立ち返ること。  (マタイ福音書5、6章)
悔い改めなければ燭台を取り除く。(黙示録11章 マタイ福音書25章)  

「命の木の実」と「自ら使徒と称する者たち」が、一つの項目の内で語られるのは、「パウロ」の姦計を見抜かなければ始まらないことを指摘しているのです。
パウロの教義を用いて伝道しているものは、悔い改めなければなりませんし、偽預言の伝道者すべてにこの「使途と称しているもの」という言葉が適用されます。
ましてや、自分はキリストあるいはメシアであると公言している教祖たちの罪はより深いと言えます。
一般のキリスト教徒のことを指して非難しているのではないことがおわかりでしょう。

ニコライ派については、この名を聖なるものとしている宗派(東京 駿河台にもある)に注意しなければなりません。ニコライ派の無責任さは、世界に「共産主義国」という神なき国々を創るという結果を生み出してしまいました。

こうしたことの分析と反省を怠ったままでは、守護神恵穂葉への愛に立ち返ったとはいえず、黄泉の暗闇から抜け出すことができなくなってしまいます。


  
スミルナへ

命の冠を授ける。   (黙示録12、13章)
第2の死を免れる。  (黙示録4、11、20、21章  創世記3章)
 
条件 
ユダヤ人と自称する者たちからの非難と苦難を恐れてはいけない。

生殺与奪の権を振るっているのは、神に代わって人々を支配している「蛇」です。
「第二の死」とは、第三次世界大戦で、わが日本が、もう一度大災厄に見舞われて、「二度目の主権喪失」で死ぬことです。しかし、これを免れることが予言されています。
その、第一の死(第二次世界大戦後、国家主権を失うこと)の原因、経過については、ヨハネの黙示録10、11章に詳しく預言されていますので、後に説明します。

日本の第二の死が予定されているその「壊滅」は、2012年に始まる天変地異だとうわさされていますが、それは実際は戦争の災厄のことであり、その戦争に、「ユダヤ人と自称する者たち」が大きくかかわっていることをここで警告しています。
ここでも、一般のユダヤ人をさしているわけではなく、宗教関係者と、政財界の人々のことですので誤解のないようにお願いします。

日本は守護神恵穂葉神をあくまでも信じて、彼らからのパッシングやおどしや陥穽や苦難に耐え抜き、この前のような、戦争仕掛け人という馬鹿な役目を引き受けないように耐え抜く気構えが必要です。でないと「神国」というタイトルもエデンの園も消えてしまいます。
しかし、もう、二度とこの「栄冠」を手放さないはずです。それは、預言が保証しているからです。



ベルガモへ

隠されていたマナと白い小石を与える。  (黙示録15章)
小石には新しい名が記されている。

条件 
偶像に捧げた肉(戦死者による利益)を食べさせ、偶像と淫行させるのを改める。
ニコライ派の教えを奉じることを改める。
悔い改めなければ、口の剣で戦う。 (黙示録9、12、13、19章)


「偶像と淫行させた」のは、国民すべてを戦争に引きずり込んだ伊勢神宮を始めとする日本の宗教界です。伊勢神宮は、もともと恵穂葉神の神宝を守るために置かれた宮で、それは、神の約束の民すべてのために備えられたものでした。それを、いつの間にか、天皇家の祖先をお祀りしていると公言して、偶像=現人神=軍神に仕え、国民にこの偶像崇拝をさせました。伊勢神宮などは、この戦争の責任があるのですが、何の反省もなきままに神道界の頂点に君臨しています。これにたいして何らかの誠意ある反省が求められているのです。
ニコライ派については、さきに書きました。旧ソ連同様の洗脳をさせた人々のことです

「隠されたマナと白い小石」とは、神名、すなわち、神の真の名の刻まれた「石」です。
この「石」は、「虚像」という「巨像」ゴリアテを打ち砕くダビデの石となる筈のものです。
それは、世界の正義の勇者を気取っているが、実は王族や巨大投資家のためのゴリアテにすぎない者なのに、この偶像にまるで夫ででもあるかのように仕えて言いなりになっています。

しかし、たったの一石でその巨像=虚像が倒れる様は、ダニエル書2章に詳しく書いてあります。イザヤ書10章にはそのゴリアテ(アッシリア)の代表者の名前(やぶ=ブッシュ)であることまでが予言されており、そのゴリアテの栄光が、まるで911の貿易センタービルそっくりに木っ端微塵となることが予言されています。

この「隠されたマナと小石」は、伊勢神宮にあったのかも知れませんが、ここの御霊代=神鏡は、あるとき盗まれた(神鏡がお逃げになった)経緯が記録されていますので、このとき、戻ったとされているものが本物かどうかわかりません。
「古事記」「日本書紀」の神宝にまつわる記述から判断して、どうも、最初から隠されていたようにも思えます。
国民すべてが判断力や勇気を喪失している時代、困りきってなすすべがないときに、この「隠されたマナと小石」が与えられるのですから、これが日本に存在していても、わが国の神宮や神社から、或は個人からの開示は期待できません。
こんな事情から鑑みて、「隠されていたマナと白い小石」とは「ファイストス円盤」であろうと私が推測します。その根拠は、イザヤ書59章の次の章句です。


イザヤ書59章 抜粋

主は、(神の国に)義のないことに心を痛められ、
人のいないことに、(民のために)とりなす者のいないことに驚かれた。・・・
そこで、西の方から主の御名が、日の昇る方では主の栄光が畏まれる。 
主(守護神)は激流のように来られ、主の息吹が吹きまくる。
しかしシオンには購い主として来られる。
 

このイザヤ書の「西のほうから神の御名が出て」は、1908年に地中海のクレタ島のヘファイストス鍛冶神の宮殿址から発掘され、1987年のファイストス円盤の解読によって成就しました。
クレタ島出土の紀元前1600年頃のファイストス円盤には神の新しい御名、「恵穂葉」が刻まれています。
これは、日本語の文書であり、「聖書」の創世記48,49章、申命記31、33章と切っても切れない連携をしています。さらに、そこには、「新しい名」彦穂々手見が刻印されてあり、それはヨセフの息子エフライムなのですから、ヨセフ一族の出自と消息がこれによってわかるのです。
しかも、「エフライムが大きくなり、国々を満たす。・・・神があなたをエフライムやマナセのようになさるように。創世記48章」という聖書の謎の言葉と世界史の未知の部分がこをからあきらかになるのです。
と言いますのも、エフライム、すなわち、彦穂々手見命とは、580年間も続いた王朝のことであり、その王朝の途中からは、ウガヤフキアエズ王朝、即ち、アトランティス王朝でもあったからです。
「日の登る方から神の栄光が畏まれる」のは、これからです。
このことを証明する証拠物件として機能するファイストス円盤は、世界史に関して、超ど級の「資料」だと云えるのです。
これが、ゴリアテどもを一撃の下に倒すのですから、「剣」であり、らせん状に文章が刻印してある円形の石状を呈したものですから、勾玉でもあります。
学者たちが教科書に載せていた、わが国の神宝、「銅剣や宝石の勾玉」が、これに変わり得るでしょうか。


「主(恵穂葉)はシオンには、あがないぬしとして臨み」、というフレーズから、これが「シオニズム問題」であることが示されています。つまり、「ヨハネの黙示録の新しいエルサレムとは、中東のそれか、日本か」という審判において、「日本」を「白」と決するのに決定的な証拠物件となるのが、この「西からでた恵穂葉の御名」です。

すると、実際のファイストス円盤は赤茶色ですが、この円盤が黒白を決する審判において、白となる決め手となるので、「白い小石」と形容できます。
なお、この円盤の刻印に使用したおはじき状の印璽がダイヤモンドあるいは、白い宝石である可能性があり、それが、さる場所(東京以北)に厳重に錦の袋の上から五色の絹糸で幾重にも幾重にも封印され保管されている品ではないかと思っています。これを「国難回避」のために「紐解いて下さい」とお願いにあがったことがあるのですが、願いの趣旨を御理解いただくことはできませんでした。
帰りの新幹線の中で、思わず涙をこぼしていますと、ふと、「ヨナのしるしの外には出ません」という言葉と、「与那国島に行かなくては」という思いが脳裏に浮かんできたのです。
それで、この「浦島太郎から辿る」というブログを、与那国島の「立神岩」という「しるし」「道標」から書き起こしているのです。




2001年の911事件
21世紀になった時、戦乱に明け暮れた20世紀が去り、「21世紀こそは平和な時代となるように」と願ったのは、私だけではないでしょう。にもかかわらず、2001年早々に起きた、ニューヨークの摩天楼崩壊と引き続き起こったアメリカの進撃は、私たちの平和への期待を無残にうち砕いてしまいました。


この、貿易センタービル2棟の崩壊ぶりをテレビでみて、「飛行機の誘導装置」と「ビルの爆破解体準備」がともに完璧に準備されていなければ不可能だと瞬時に気付いた方々は多かったはずです。でも、こうした思いを口にする人があまりいないのは何故でしょうか。
わたくしは、直ちに知人にこのことを電話で連絡しますと、翌12日に、東京駅で合って、この件に関して語り合うことになりました。
そこで二人が出した結論は、「ワンワールド世界新秩序」を標榜する国際戦略家たちが、一歩歩を進めたということで、「いつでも、どこでも、どんな戦争でも彼らが望むままに仕掛けることができる体制が整ったということを世界に誇示したものだ。」ということでした。
2000年ほど昔に、ネロ皇帝が試みて失敗した手口と同じです。

こうして、発進した「米英を主としたキリスト教徒、ユダヤ教徒、そして、イスラム教徒の間の利害関係が複雑に絡んだ21世紀型の戦争」は、終結することが至難であり、「終わりのない三つ巴の劫火へ」と広がる特異な性質のものです。

ブッシュ大統領、レーガン元大統領がしきりに口にした「世界新秩序」「ワンワールド」とは、一体何を意味しているのでしょうか。それは、「ミレニアム問題」であり、「千年王国」主権の争奪戦であることにほかなりません。すると、千年王国の都は一体何処なのでしょう。
この問題に対しては、「エルサレム」「アメリカあるいは国連」「ヨーロッパ」「バチカン」「ロシア」等々、考え得る場所はすべて対策が講じてあると考えられます。
しかし、彼らのこの計画が成功する可能性はあるのでしょうか。
ヨハネの黙示録は否定しています。



今の日本国民は、世代的に見て、戦争の被害者であって、決して戦争を仕掛けたわけではないのですが、いまなお、あらゆる非難や悪口雑言にも、「汝の右頬を北朝鮮のミサイルに打たれても、左の頬を差し出して」耐え忍んでいるのですが、こうした国民にたいして、政府は何の手だても持ちません。
同じように、罪も咎もないのに、国際戦略家の方針のもとに犠牲を強いられていても、抗議するすべを持たないで死んでゆくパレスティナ、アフガニスタン、そして、イラクなどの一般人民が溢れています。・・・世界には、こうした「口のきけない」人々の苦悩が満ちていますが、911事件をもって、世界中の人が「口のきけない」状態に陥っているのだということが判明しました。
口がきけないことは、人間性を喪失したということです。

たとえ「口がきけなくても」、大戦後の六十余年間の日本国民の「平和への希求」は予見されていて、日本が真の神の国に生まれ変わって、「新しい聖なる都エルサレム」、「キリストの花嫁国」という新しいタイトルを授かって、日本が使命感を持って、「中東の和平の仲介役」を果たして、この劫火をくい止めるべきであるという使命が仕組まれているのです。



テアテラへ

諸国民の上に立つ権威を与える。
その者は鉄の杖を以って土の器(偶像)を打ち砕く (黙示録19章 ダニエル書2章  
イザヤ書10章)

明けの明星を与える。    (黙示録22章)             
 
条件 
イザベルという女とともに淫行するのをやめ、行いを悔い改めること。
この女は、自らを預言者と称して、神の僕たちを教え惑わせ、淫行をさせ、
偶像に捧げたものを食べさせている。 
  
悔い改めよ。    (黙示録9、14章)
悔い改めないなら、この女を床に伏せさせ、
この女と共に淫行をする者を大いなる艱難に投げ入れ、
この女の子供たちを打ち殺すことになる。(黙示録12、17,18、19章)


イザベルとは、「イザ、バール(さあ 軍神)」という名です。紀元前869~850年ころのイスラエル王アハブの王妃で、バール教を国教にしたことと預言者たちを殺したことで「聖書」の預言者から忌み嫌われています。
前の項目で、書いたことを、ここで、もう一度念を押しています。
ここでは、「虚像=巨像=野獣とそれに乗って野獣を使っている、女バビロン」と瓜二つの仲間として描かれていて、これにひれ伏して崇敬させている者たちへの厳しい糾弾がなされています。これについては、ヨハネの黙示録12、17,18,19章で具体的に預言してある「女バビロン」のところで説明します。バビロン近くにあって、穢れきったゆえに廃絶された「穢れ地」を「聖地」と偽って巡礼させている宗教のことであり、これを崇拝して手をつないでいるものたちのことです。


「明けの明星」とは、ヴィーナスのことで、イヴ=伊邪那美の別名なのです。「女バビロン」を女主人として崇めさせられ、その奴隷となり、すっかり醜くなってきた日本列島が本来のビーナス、愛の女神としてよみがえるのです。


ヨハネの黙示録3章 
サルディスへ  

白い衣を与え、彼らの名を命の書から消さない。(黙示録7、20、21章)  
父神の前で、彼らの名を公に言い表す。
  
条件
目を覚ませ。死に掛けている残りの者たちを強めよ。
どのように受け、また聞いたか、思い起こして守りぬき、悔い改めよ。
目を覚まさないなら、何時がその時かを悟れない。(マタイ書24,25章)

「白い衣」とは、潔白を証明することです。これは、そのまま、「日本=乙女シオン」の花嫁衣裳となり、この姿が世界に披露されるのです。
第一次世界大戦、第二次世界大戦が、「千年王国」簒奪のための姦計であり、「シオニスト運動」がこれに一枚咬んで、日本が陥れられたことが、ヨハネの黙示録の預言で証明できますので、もう、これに関しては殆んどの国民が潔白なのです。
また、第二次世界大戦後65年たっているのですから、一億百万余人の日本人民は、現今の戦争犯罪について潔白です。
「思い起こして守りぬく」べきことは、「守護神恵穂葉神への回帰」と「戦争放棄」の憲法と精神です。




フィラデルフィアへ

ダビデの鍵を持つ者が門を開けておく。  (黙示録21章)
サタンの集いに属し、ユダヤ人であると自称する者たちが、あなたの足元に来てひれ伏すようにする。
全世界に臨もうとしている試練のときに、あなたを守り、神殿の柱にする。
その者に、神の名と神の都、新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記す。(黙示録21章)


ダビデの鍵をもって開けられた「門」とは、日本のことです。
日本全体が神のエデンの園として世界に公表され、神の御名「恵穂葉」と神の都、新しいエルサレムの名「日本」が、「全世界に臨もうとしている試練のときに」発表されるのです。
これによって、「あなたを守り、神殿の柱にする。」というこの預言が成就されるのです。



ラオデキヤへ

自分(イエス)の座にともに座らせよう。  (黙示録22章)
 
条件
富んでいる、満ち足りている、欠けているところはないと言っている。
かし、実は、惨めで哀れむべき者で、貧しく盲目で裸である。
錬された金(命の言葉)と白い衣を買いなさい。     (黙示録22章)
さらに、目薬をわたしから買うがよい。悔い改めよ。
わたしの声を聞いて戸を開けよ。

「自分(イエス)の座にともに座らせよう。」とは、大団円の結婚披露宴の場面で、花婿イエスの隣席に花嫁日本が座る」ことを云ったものです。
それは、イエスが、実は日本人であったことが、この披露宴で世界に披露されるのです。
しかし、肝心の日本国民が、聖書を読まず、ギリシャ神話も「古事記」「日本書紀」も読まないのですから、言葉という葉を失った枯れ木同然なのです。
「聖書」では、「イチジクの木」は、平和と安穏の象徴ですが、葉のない裸のイチジクの木は用をなしません。また、「聖書」の園には、葉の茂りすぎた雑木が混ざっていますし、パリサイ人の植えた毒麦も入り混じっています。
イエスは、その中から「5つのパン」と「二匹の魚」を、がリラヤ湖畔に集まった群衆5000人に食べさせられましたが、その食べ残しが屑篭に12杯分もあったとマタイ福音書14章に記されており、それらは、教えのことであり、「パリサイ人のパン種(毒麦でもある)に気をつけるように(マタイ福音書16章)」と忠告されました。
これを言い換えれば、「聖書全体は、精錬される前の金鉱石であり、イエスの教えは精錬された金である」と言うことです。  
イエスの教えであると称する「新約聖書」も、「精錬されていない鉱石」です。中には、パリサイ人のパン種などが混入しています。ですから、日本で「バイブル」を聖書と訳しているのは不適切かもしれません。

この「精錬された金を買いなさい」という言葉は、パウロの教えを金科玉条としている西洋キリスト教と対比しなさいと指摘していることでもあるのです。
西洋キリスト教の教義は、カトリック、プロテスタントの教派を問わず、すべて、次の教条を信じなければなりません。

・ 新約聖書の正典すべてを受容すること。
・ 使徒的信条を告白していること。
・ 「教会のほかに救いなし」を信じ、教会制度という形態、そして組織を肯定すること。

この3項目が柱です。上の条項はパウロが強調し教義としている事柄です。
新約聖書全体を神聖とする目的が、パウロの文書を擁護するためであることが、これでわかります。。
このような、金にあらざるものを金というのは、目が見えない証拠ですから「目薬を買いなさい」と忠告されるのです。

 

私のこのブログの記事は、さしずめ「那智黒石の試金石」であると申せますので、これにこすり付けて「金の純度を確かめながら」聖書や「古事記」「日本書紀」をお読みになるよう進言します。
今、この「日本の至宝」の存在と、「日本の栄光」が世界にまさに出ようとしているこの瞬間に、「言葉=神」を身につけていない裸の恥を見られないように、大急ぎで「精錬された金と白い衣を買いなさい。」、一刻も早く目からうろこを落としてくださいとお願い申し上げます。





13 日本のアイデンティティー

13 日本のアイデンティティー

ヨハネの黙示録と日本

日本のアイデンティティーを確立するヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録とは、聖書の最後尾に据えられている「全文が謎」という、謎々の文書です。
そればかりではなくて、ヨハネの黙示録には。「付け足しても省略しても、その者に災厄が臨む。」という条文が付帯しているという点において、このヨハネの黙示録は、聖書の中でも別格なのです。
それは、この預言を盗むな、悪用するな、という禁忌にほかなりません。

ヨハネの黙示録に興味を抱き、その謎に果敢に挑戦しましたところ、この文書が、「日本が自国を神国と言い伝えてきたその真相を解き明かすもの」であり、「わが国が今後の世界平和のために果たすべき使命」が示唆されているのであり、そのうえ、「わが国のわが民族の、辿ってきた歴史」までが明らかになるという構成になっていることがわかりました。
まさか、と思われるでしょうが、「聖書」わけても創世記とヨハネの黙示録を参照して検証してください。



アトラスの地図帳とヨハネの黙示録

天空からの視野
今まで、アトラスとトロイアのことに度々触れてきましたが、聖書の預言者たちは聖書を締め括るにあたって、アトラスのアナグラムのアストロ(宇宙)的視野で、アトラスの地図帳を以って聖書を解かせようと誘導するという構成になっているのです。

聖書の掉尾を飾る「ヨハネの黙示録」は、最も謎めいた書であり、幻想的であると言われてきました。霊夢によって与えられた書であるから、霊夢を与えられた人(つまり霊能者)でないと解けないという人もいます。
かのニュートンですら「ヨハネの黙示録」の解読に挑戦したものの、「今ではなく、もっと後の時代に解けるであろうが、これが解けたあかつきには、宗教観が大転換するであろう」と書き残したほどなのです。

事実は、地図帳を片手に、国形と照合したり、図解、絵解きの手法で解くべき謎々が含まれているのです。そして、ニュートンが記したように、宗教観を一変させるような内容でした。


「ヨハネの黙示録」の次の5章の5項目が、天空から見た日本の「国形」の特徴を織り込んだものであり、地図帳片手に検証すべきであるということを見てください。

1  4章 四つの生きものからなるケルビムの守る神の国             
2 10章 陸と海に立脚した御使い                                 
3 12章 子を産む女 子を連れて逃げる女                      
4 19章、21章 キリストの花嫁国              
5 21章 終末に現れる「1万2千スタディオンで4角形のエルサレム」
6 21章 新エルサレムの「縦横高さが同じ、四角形」の謎

1の「ケルビム」についてはすでに説明しました。
2の「陸海に立脚する御使い」は、日本が片足という特徴を生かしたものです。 
3の「子を産む女」も、「イヴ=伊邪那美命」地図を参照してください。
4の「花嫁姿」は角隠しをしている次の図です。
 
       花嫁



5の「1万2000スタディオン」は、即ち、2220kmの日本の数値です。

      1万2千スタディオンの長さの日本
       『千葉市を中心とした一千キロメートルのはんい』
        「すすむ千葉県」千葉県教育会館発行


6の「縦横高さが同じで四角形」は、イエスやヨハネと同時代の地誌学者、ギリシャのストラボン(BC64~AD31年頃)の「ギリシャ・ローマ地史」龍渓書舎刊 飯尾都人訳の記事中の、ギリシャのペロポネソス半島を表現した記事と同じですので、その記事を参照するようにというメルクマールであると考えられます。


ヨハネの黙示録 21章  抜粋

聖なる都 新しいエルサレムが、あたかも夫のために美しく着飾った花嫁のように、
すっかり用意を整えられて、神のもとから 天から降りてくるのを見た。

御使いは、その都と都の門と城壁を測るために、金のものさしを持っていた
都は四角で、その長さはその幅と同じであった。
御使いがものさしで都を測ると、1万2000スタディオンであった。


ストラボン著「ギリシャ・ローマ地史」

ペロポネソスは形がプラタナスの葉に似て、長さと幅はほぼ等しく、
共に1400スタディオン(約252キロメートル)に及ぶ。



両者を並べてみると、全く同じ表現であることがわかります。
ヨハネの黙示録21章の「四角で長さと幅と高さが同じ」は、「国」を問いかけている謎々で、わが国の形が台形(即ち四角形)であることを予言したものです。
また、新しいエルサレムの国民が大地と海に立脚していることを強調していて、死後の天国や極楽に立脚している宗教との違いを明らかにするために書かれています。
また、これは、1948年に国連が承認して誕生させた、中東のイスラエルや、その地のエルサレムは、恵穂葉神の承認されるものではないということが、これで明らかになるのです。
この出来事の起承転結を、きっちり調べてみれば、日本と言う「アジアの東端の恵穂葉神の国」の痕跡をすっかり失くして、「アジアの西の端にそれらしく見える国を創ろう」という恐るべき計画に基づくものであったということがわかります。
しかし、今の時代、「911」事件のビルディング崩壊が、ジャンボ機による突撃と燃焼だけでは、あのように、瞬時に隅々まで崩壊することはあり得ない。」「あらかじめ、ビル爆破装置がしかけられていた」ということを検証して世界に示すことはありません。裸の王様が歩いていても「素晴らしい御衣装です」と、口を揃えて言う時代です。イザヤ書10章は、これを予言しています。

預言者たちは、こうしたことを予見していたからこそ、口のきけない私たちに代わって、あらかじめ、預言しておいたのです。



       日本の領土


以上、どれも具体的であり、見事に日本に的中しています。
これは「神の契約」の威力を日本と世界の人々に知らしめるものです。

ヨハネの黙示録5章には、預言が成就されたときの人口が予言されています。
さらに、ヨハネの黙示録12章ほかで「日本国が戦災にあい、蹂躙されること」が詳しく予言されています。

7  5章  神の民 万の万倍 千の千倍、即ち、一億百万余人という人口が予言され、 
8 12章 42ヶ月間の第2の災い 第2次世界大戦で踏躙される日本国が予言されています。、 

なお、神の国の神の民 「万の万倍 千の千倍、即ち、一億百万余人」という人口は、謡曲の「鶴亀」にインプットされています。先祖たちが、最近まで、結婚式の行事にこの「鶴亀」を取り入れていたことの意味、今ようやく明るみに出たのです。
日本の人口と「ヨハネの黙示録や謡曲 鶴亀の人数」との間に約2千万人の差がありますが、それは、日本に住みながら、日本国と日本国民を蹂躙し、簒奪している人々が、総人口から除外されているからです。その者たちのことは、「ヨハネの黙示録」22章に比喩を以って詳しく書かれています。

ちなみに、1950年頃は、日本人の総人口は8000万人ほどでした。



ヨハネの黙示録が、あえて、ストラボンの「ギリシャ・ローマ地誌」へのリンクを誘導しているのは、「プラタナスの葉=手」のモチーフを使って、創世記のヤコブとエサウの誕生神話や古事記神代記の、「大国主神と少名毘古那神」の記事が相互にとリンクしていること衆人にわからせるためであろうと考えられます。
ヤコブ=イスラエルという聖書のキーワードの正体がこれによって明らかとなり、本物のイスラエルの証明に供するという配慮です。


ヤコブの地理

   プラタナスの葉
   プラタナスの葉のペロポネソス半島

ヤコブとエサウの誕生 創世記25章

イサクの妻リベカが身ごもると、主は彼女に仰せられた。
二つの国があなたの体内にあり、二つの国民があなたから分かれる。
一つの国民が他の国民より強く、兄が弟に仕える。
出産のときが満ちると双子が体内にいた。
最初に出てきた子は赤くて全身毛衣のようなのでエサウと名付けた。
後で出てきた弟の手はエサウの踵をつかんでいた。
その子をヤコブと名付けた。

ヤコブの手とは、イタリアの踵に近い「手の形のペロポネソス半島」を含む地域をさしていたと考えられます。
エサウの「赤くて全身毛衣」は「剥がした牛皮に似て」と表現してあるストラボンの「ギリシャ・ローマ地誌」のイベリア全体を指しているのです。

ストラボン「ギリシャ・ローマ地誌」

イベリア地方全体は形が剥がしたままの牛皮に似て、
長辺は西から東に伸びて東側辺りが額部分にあたり・・・・
  
ヤコブの手によって踵を捕まえられていたというエサウの領土はイタリア半島を含んでいたようです。
エサウのイベリア地方は、豊富な鉱物資源に恵まれた土地です。
エサウが「ヘテ人ベエリの娘エフディテとヘテ人エロンの娘バセマテを娶った」という記事は、タウロス山や、ミノタウロスなどで知られている「タウロス(牛)」の略称であるタラス、タラコなどの地名がイタリア半島の踵部のタラス湾、イベリア地方のイベル川河口近くに名付けられるなど、タラ、ヘテの足跡を辿るのに便宜を与えています。

ペロポネス半島が「プラタナスの葉」や「手」と表現されていたなら、それはまた、葡萄の葉や、棕櫚、八つ手、もみじ、星、百合の花に喩えられたことは容易に推測できます。
ですから、いわゆる、ユダヤ人やイスラエル人と称している人々や日ユ同祖論を標榜している方々は、イスラエルに関して勘違いをしているのです。

ヨハネの黙示録は、こうした「イスラエル問題」「エルサレム問題」の錯誤をただそうと言う目的で書かれていることは明らかです。



「初めであり終わりであり、アルファでありオメガである」
ヨハネの黙示録は、この言葉を何回も繰り返していますが、これは、「聖書」の創世記とヨハネの黙示録の照合を示唆し、さらに、「太古の歴史と終わりのときの歴史」が重なることを預言したものです。
ヨハネの黙示録は、日本が「アット‐ラスト」、即ち、「遂に」真の神の国になることについて書いているのです。ここに「アトラス」という言葉がちゃんと待ち受けていることに、預言者たちの意図が伺えます。
俗に言われている「終わりの時」とニュアンスが違うことに気付かれるでしょう。

聖書の真の目的が、アット‐ラスト、すなわち、遂に聖書の奥義が解かれる日に向けて書かれていることがわかります。
日本では、「おわり」という地名に「尾張」という表意文字で名付けて、終わりとは、尾が張ること、つまり、鳥が成長して一人前になることを暗示しています。
この地名は「尾羽張の剣」という神宝の名とリンクしているのですが、この「尾羽張」というのはオリオンのことで、オリオン=イリオン=トロイア=トロアス=アトラスのことなのです。(後に説明します。)

問題集として機能している、「旧約聖書とマタイ・ヨハネ両福音書」に対してヨハネの黙示録や「古事記」、「日本書紀」が解答書や解説書として機能するのですから、「古事記」「日本書紀」が、「聖書」より新しいということは言えません。これらは、最初から一つのマスタープランに基づいて作製されていたのです。


このことについて、イエスは、「蒔かれた種と実った種は同じものなので、実を見れば、毒麦が蒔きこまれたことが判別できる」と述べていることと同じ意味です。 マタイ福音書13章

イエスはこのように、「聖書は毒麦も入り混じった書物である」ことを示唆していますが、それは、聖書が悪用されてきたという証しでもあります。



ヨハネの黙示録との出会い

わたしが初めて聖書を読んだとき
わたしは、三十過ぎになるまで、聖書を読んだことも、教会に建物見学以外に立ち寄ったこともありませんでした。
そして、いつか聖書を通し読みしようと、かねてから思っていましたが、31、2才の時に、遂に、創世記からヨハネの黙示録の最終ページまでを、どうにか読み終えました。

第一に浮かんだのは、「聖書」は、「創世記から、ヨハネの黙示録に至るまで、謎々を織り込んで編纂してある!!」といった感慨でした。

詩篇49章
 私の口は智恵を語り、私の心は英知を告げる。
 たとえ話に耳を傾け、竪琴に合わせて、謎を解き明かそう

ダニエル書12章
 この言葉は、終わりのときまで秘められ、封じられている。
 
「聖書」のところどころで、こうした、謎の存在を匂わす章句に出会います。
そして、ヨハネの黙示録1章から22章まで読み進みますと、この黙示録全章が謎々の集大成であり、綿密に構成されていることに気づきました。

第二に、「聖書」には、預言者の書いた部分だけで構成されているわけではなくて、不純な部分が混ぜ込まれていると直感したのでした。
喩えて言えば、「正しい人と、人殺しで嘘つきの人との争いを、法廷ですべて書き留めた文書」と同様であると説明すればよいのでしょうか。とにかく、この記録のお陰で、よく読めば、真相が見えてくるのではないかという感慨を持ったのでした。
たとえば、「イエスがパン5個と魚2匹を群集に配られ、群集皆が満腹して、残りを集めると屑篭に12杯もあった。マタイ福音書14章」などは、「パンが旧約聖書からの教え」「魚がイエスの教え」であり、「聖書に、多くの奥義には直接関係ない教えや虚偽が含まれている」ことを教えられたものだということがわかります。マタイ福音書16章には、「わたしの言ったのはパンのことではないことが、どうしてあなたがたには判らないのですか。パリサイ人やサドカイ人たちのパン種に気をつけることです。」といわれたことからも判断できます。

聖書について、漠然と知っていた知識と、実際に自分で読み通した内容とのギャップに驚きました。
教会や神学者などは、自分たちにとって都合のよい部分だけを拾い上げて教えてきたのだということが確信されたのでした。

第三に、聖書は人類平和の実現を約束し、地を破滅させるものを破滅させるというテーマで貫かれた書であるということを、このとき初めて知りました。

第四に、聖書を読むよりもずっと以前に、高校生の頃、ホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」を一気に読んだことがありました。
その時、「トロイア戦争」と「日本と連合軍との戦争」を重ねながら読んだことから、ふと、トロイア人は日本まで落ちのびてきたのではないか、数千年ぶりに、太古と同じような状態に陥ったのが、今次の戦争なのではないかと思ったことがあったのでしたが、「聖書」を読んだことで再び、このことに思いをめぐらせることになりました。
そして、「聖書」を残した民と「トロイア」の民が共に地中海域から消えたということ、「聖書」の民と「トロイア」の民が共に、エコーのように声だけを全世界に響かせたまま、忽然と姿を消したまま、杳として行方が分からないことには、どうも納得がいきかねるのでした。
そして、「トロイアの民が聖書の民であり、それは日本人なのではないか」と、ふと、考えたのです。

このブログが、トロアス(トロイア)のアナグラムであるアトラスの手がかりである「浦島太郎」と「聖書」のヨハネの黙示録を平行して取り扱っているのには、こうした理由があるからです。


第五に、ヨハネの黙示録を読んでの驚きと疑問です。
「聖書」の最後を飾るこの書は、「聖書」中で最も謎に満ちている書であるにもかかわらず、黙示録1章の序文で、「この預言の言葉を読む者と、これを聞いて、話されている言葉を守る者たちは幸いである」と宣言し、そして、「もはや時がないからである」と記してあることに驚きました。

「聞いても内容がよく理解できないうえに、ヨハネの黙示録に関する解説書や研究書などを読みあさっても、さっぱり判らない文書に対して、「聞く者は幸いである」というのはおかしな話です。しかし、この言葉で、興味をかきたてられたことも事実です。

あるとき、「エホバの証人」の方々が我が家に来訪され、「ヨハネの黙示録」を解説した「啓示の書」で、「聖書」を注解してくださると申し出てくださいましたので、私は喜んでそれに応じました。
この全世界で800万部ほども頒布されたという「啓示の書」を注解していただいたのですが、「啓示の書」が奥義を解明した書籍であると納得することは到底不可能でした。
そして、この「啓示の書」を真理として受け入れている人々が全世界で500万人ほども実在していることは、さらに不思議でした。


エホバの証人たちは、「啓示の書」を読んだり、聞いたりして、彼らの組織に入会し、バプテスマを受ければ、「地上での永遠の命が頂ける」、これが、「幸い」の真意だというのです。しかし・・・

「神の子キリストが、全人類の罪を贖う犠牲の羊となって下さった」ために、「バプテスマを受けたエホバの証人は地上の永遠の命を享受する」。しかし、この「エホバの証人の宣命を受け入れない人々はハルマゲドンで絶滅する」と、ヨハネの黙示録の奥義の解明の書であるという「啓示の書」が保証しているのは、どうも納得がいきません。
「啓示の書」には、「ヨハネ級の人たちは、1918年から1922年にかけて、現存する万民は決して死することなしという幸いな見込みを苦悩する人類に差し伸べました。」(「啓示の書」日本語版152ページ)と書いてありますが、当時は、第二次世界大戦のさ中にかかっており、戦死や戦火での死におびえていた時代に、「あなたは永遠に生きられるという幸いな見込み」を伝導していたといいます。しかし、1914年から、地球のどこかで戦争と戦死が止むことがないのが現実です。

「あなたは決して死なない」は「蛇」のせりふ
「あなたたち(個人)は決して死なない」、このセリフは、創世記3章で蛇がそそのかした時のせりふと、すっかり同じです!!
そして、この「ヨハネ級の人たち」とは、イエスにバプテスマを授けたヨハネになぞらえた「エホバの証人」の組織の人たちのことだと言うのです。

人類が今日まで築き上げてきた努力や失敗の歴史を刻んだ文書などの一切合切を否定して、ただ、ひたすら、ものみの塔聖書冊子協会の見解で出版した「啓示の書」一冊を信じて、これに全てを賭けるよう薦めるわけです。
また、何万年、いや、その始原もわからぬほどの太古から、親からの継承という尊く神秘的な仕組みで受け継いできた命は、ほかの生物同様に、生まれ、老い、死ぬという生き物の定めを負っています。
エホバの証人たちは、こうした地球上の動物の宿命を否定し、「老いない」、「死なない」という思いもかけないことを保証すると請合うのです。この「不老不死」の保障はいかなる根拠に基づいているでしょうか。物見の塔聖書冊子協会の「啓示の書」からは、さっぱり伝わってきませんでした。

「聖書」中には、「永遠の命」「命の木」あるいは、「不死」という言葉が使われてはいますが、それが、個々の人間の「不死」そのものを指し示しているようにはとてもとれません
「信者の不死を請合い、信者以外の人類の絶滅を保証する」という内容の「啓示の書」が800万部も頒布され、また、500万人以上の人々が、この書が「ヨハネの黙示録」の奥義を有した真実にして真理の書であると信じたというのですから、現代の不思議というほかはありません!!




「聖書」の地で
ヨハネの黙示録を読むことが、なぜ、幸いなことにつながるのか、独自に、手掛かりを求めて、神学、歴史学、考古学、神話、伝説、地質学の分野までの書籍を、片っ端から読みあさりました。
さらに、モーセの足跡を尋ねてエジプトやイスラエルに足を運び、トルコ、ギリシャなど地中海文明についても探索するという、恰も、遍歴の騎士ドン・キホーテのような日々を送りました。
幸運にも、同道してくださる純朴なサンチョ・パンサにも恵まれました。


エルサレムのソロモンの神殿の嘆きの壁の前では、不穏な情勢にもかかわらず、大勢の人々が各地から来て、熱心に祈っているのを見ました。
それで、私は思わず、次のことをエホバ神に祈りました。

・エホバ神のこの神域が世界で最も惨めなご様子なのは何故でございますか?
 ここに来ている人々は、おそらく、平安と安寧を希求して祈っておりますのに、
 このあたりが最も平和と安寧から程遠いのは何故でございますか。

・エホバ神は、どの宗教が良いかをご存知のはずですからお教えください。

すると、瞬時に、「宮は日本である」というフラッシュの閃きが走りました。
私は、しばし呆然としましたが、しかし、よく考えてみますと、「宮は日本」の一事で万事が明白になる!!と、そのとき思いました。「エルサレム問題」が世界のメビウスの輪となっているのだと悟りました。




ヨハネの黙示録とミレニアム問題

エルサレム問題とはミレニアム問題
「エルサレム問題とはミレニアム問題なのだ」という実感を、現地に行ってつくづく思い知らされました。
「ミレニアム問題」とは、1000年前の「十字軍の遠征」の例でわかりますように、1000年毎の「聖地分捕り戦略」のことで、言葉を変えれば、「1000年間世界を支配する」という野望、つまり、「千年王国」の支配権を取ろうということです..
わが国も、今ミレニアム期には、これに巻き込まれました。
「満州にユダヤ人のナショナルホームを!」というスローガンを掲げての満州支配や、ヒットラーの「千年王国構想」と手を結んだことなどは、みな、「ヨハネの黙示録」悪用の例です。



イエス・キリストとミレニアム問題

「イエスの生涯は、ミレニアム問題の渦中で綴られた」
このことは、あまり研究されている様子がありません。
しかし、救い主が顕われるのは、大ミレニアム期なのですから、間違いなく、この時の聖書の記録はミレニアム問題を描いたものでした。
だからこそ、真の預言者(救い主)は、敵側から抹殺されなければならなかったのです。
イエスの誕生前に、当時既にミレニアム預言は大々的に悪用されていて、「アウグストス皇帝が世界救済を実現し給うたメシアである」という喧伝がいきわたっていたのです。

本物のメシアとなるはずのイエスは生まれる前から探し求められていて、そのために大勢の幼児が巻き添えになり殺されたことを、マタイ福音書は冒頭に書いています。偽メシアアウグストス一族のためにも、自分のためにも、邪魔者を殺してしまおうと待ち構えていて、イエスと同年齢の幼児を虐殺させたヘロデ王一党のことはご存知でしょう。

危機一髪を逃れたイエスはエジプトへ一時避難され、そこで養育され、そして、30歳を過ぎてから、数年間だけ、救世主としての務めを果たされました。

イエスは、その、短い伝道の中で、「(イエスが殺されるとすぐに、闇世となるので、)今、光あるうちに光の中に歩みなさい」「光があるうちに光を信じなさい」(ヨハネ福音書12章)と告げられましたが、その通り、イエスの不在によって、神の西宮と指導者力を失い、続く戦争などによって、文明が衰退するという事態が生じました。
イエスは遺産として、「イエスの預言」を残し、そして、「神を信じ、神にあくまでも忠実であること」の手本を残し、「預言が実現するという事実」を知らしめたという功績が残されました。
そして、今ミレニアム期の壊滅的な危機を回避するために、これらのイエスの預言が備え置かれたのだということを実感しています。



ミレニアム期になると、大災厄を引き起こす者たちが、預言に似せた偽預言でスローガンを創って、聖戦をでっち上げて、神なき仁義なき戦争で世を絶望的な迷宮状態に落しいれることが予見されていました。そのために、不安になっている群衆をますます迷わす「黙示録解説」が流布することも見通されていたのです。
また、こうした偽りの横行に耐えきれずに、その反論をしようと試みる者がでることを、神と預言者たちは見抜いているのです。

「聖書」の中に何か手がかりがないか、何か打開策が書いてあるのではないかと探しまわる人々がでてくることを想定して、このヨハネの黙示録はかれているのですが、そのときは、「もはや時がない」崖っぷち状態のときなのです。


「もはや時がない」
ヨハネの黙示録の「読みなさい、聞きなさい・・もはや時がない」という言葉は、ミレニアム期で騒然とした時代、末期状態の時代の、ヨハネの黙示録の読み手に向けてのメッセージであるということの表現です。

ヨハネの黙示録の最終章には、「この預言の言葉に、付け加えても、取り除いてもいけない。さもないと、預言に書かれている災厄が降りかかる」と明記されている書です。
これは、機が熟すまでは、ヨハネの黙示録を利用してはならないという禁忌のはずです。

しかし、ヨハネの黙示録の「禁」を犯して、預言を悪用して大戦争を起こして千年王国をわがものにしようとする勢力が必ず立ち上がり、画策をたて、その結果、大災厄が起こることを見越して、その前提でヨハネの黙示録が書き備えられているという悲しい面を持つ構成になっているのです。





それでは、次回から、ヨハネの黙示録の解明を、1章ずつ解説していきますので、ヨハネの黙示録を開いて照合しながら検証してください。

ヨハネの黙示録の全文
次のサイトに「ヨハネの黙示録の全文」が載っているサイトを見つけましたので、ぜひ照合してください。

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/Yohane.html#1



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話の種

 黙示録のミレニアムへの蠢動    
  
   ギルレイ風刺画
   破滅の海へ 1807年

聖書の言う「豚と悪霊」の意味を正しく捉えているのが、イギリスの風刺画家ジェイムズ・ギルレイ(1756~1815年)です。
「豚に真珠」とは、軍人が宝石入りの勲章をつけることを好むのを揶揄したことばです。

目からうろこ
イエスのヨハネ福音書9章の言葉から「目からうろこ」「泥を塗る」このことわざが二千年以上も前に使われていたこと、そして、うろこを目に装着して盲人を装って、神殿で詐欺をしていた人物がいたらしいことが読み取れるでしょう。

イエスのマタイ福音書17章の言葉の「湖に行って釣りをして最初につれた魚の口を開けるとスタテル銀貨がみつかる」その魚だとして、イスラエルのガリラヤ湖に旅行すると、その魚の料理が出てきます。
この魚のオスは、卵を守るために涙ぐましい努力するということで知られています。
鳥は、卵という球体を守るためにさまざまな努力をします。
イエスは、マタイ23章で、「ああ、エルサレム、エルサレム・・・わたしは、雌鳥が雛を翼の下に集めるように、あなたの子らをいくたび集めようとしたことか、それなのに、あなたがたはそれを好まない。
見よ。あなた方の家は荒れ果てたままに残されます。」と告げられました。
宮 卵 球 地球の関係がここに織り込まれています。
地球は卵土(ランド)です。

また、ここには「有翼の円盤」がさりげなく語られているのです。

イエスのこの言葉はイザヤ書10章の

「私は国々の境を取り除き、彼らの蓄えを奪い、全能者のごとく住民をおとしめた。
我が手は国々の民の財産をわしづかみにし、
捨てられた卵を集めるように全ての国々を集めたが、
くちばしを動かす者も、さえずるものもいないありさまだった。」

にリンクして対立している預言です。
大衆の好むのは「破滅の道」を行進する、偽メシア、アウグストpゥス、そして、今日、アウグスタス号という戦艦上で、原爆製造を画策したローズベルト大統領が二十世紀最大の偉人の中に数えられているのです。

恐ろしいほどに、歴史は繰り返しているのです。



12 御神興と契約の箱の謎

12 御神興と契約の箱の謎

御神輿の刻印と申命記31章

御神輿


富津市鶴峯八幡神社 神輿
千葉県富津市 鶴峯八幡神社の御神輿 

御神輿の図から辿る
ファイストス円盤の両面を調べていて、日本のお神輿によく似ている刻印をに目をとめました。

この「御神輿」のような刻印と、「エホバ民」という言葉がファイストス円盤上に存在するのは、この「御神輿」を手がかりとして聖書の民と日本との関係を照合するように示唆しているのではないかと考えました。

御神輿と契約の箱が似ているということは、以前からよく指摘されています。御神輿は他の国では見かけないものです。
ついでに言えば、自国を「神国」という国も日本の他にはありません。
「契約の箱」の中には、神器、即ち、「マナの壷」「十戒の石板」「アロンの杖」が入れられていたといいます。
一方、日本の神器は、「御正体鏡」「勾玉」「草薙の剣」の三種です。
そして、御正体鏡=御霊代を入れる器は「御樋代」という黄金の灌で、これを載せるのが「御船代」です。
そして、契約の箱のことを、古代ヘブル語で「舟」といい、英語でも、Ark(アーク)と言います。ノアの箱船で、祖先が救われた故事にちなんで、「契約の箱」を「アーク」と呼ぶとのことです。


契約の箱
出エジプト記25章には、「契約の箱」についての詳細が記されています。

契約の箱の蓋に「翼のあるケルビム」が付けられることが、聖書に書かれていますが、
お神輿には鳳凰が取り付けられています。
そして、契約の箱の大きさを測る単位は、何故か、キューピットで表されています。
ケルビム=キューピットと日本の関係については先に述べました。

契約の箱の、
 長さ2キューピト半(1、1メートル強)、
 幅1キューピト半(約66センチ)
という数値が聖書に書かれています。
この「5対3」という比率から、「5対4対3」の三角形の「ピタゴラスの定理」や幾何学の結晶であるピラミッドを連想します。
さらに、日本のお神輿の屋根はピラミッドに似た形をしています。

ピラミッドの冠石をベンベン石といいますが、ベンベンとはフェニキアのことであり、フェニキアのシンボルのフェニックスは、お神輿の飾りの鳳凰と一致するのです。
ベンベン石
ダハシュールのアメンエムハト三世(紀元前1849~1801年頃)のピラミッドの冠石であったといわれている石

アメンエムハト三世のベンベン石に刻まれているのは、「有翼の円盤」と「目、まなこ」、契約の箱に収めてあったのは「マナの壺」すなわち「マナ壺(まなこ)」です。ベンベン石と契約の箱そして神輿は深い関係がありそうです。
そして、この「翼」は、日本列島をシンボライズしたものではないかとわたしは思うのです。

そこで、「聖書」から、契約の箱にかかわる手がかりを探してみますと、次の預言に目がとまりました。

「申命記」31章 遠い未来に契約の箱が果たす役割  

「申命記」31章のモーセの預言は、誰に向けたものか
「申命記」31章には、モーセが神の民に「遠い未来」についての預言を遺言している場面が記されています。
「神の民が神に背くことが予想され、そのとき、神の民が神を消失させることを、モーセが予見している」と預言しているのです。
この「申命記」31章は、「申命記」33章の「モーセがメッセージを与えるシーン」と、「創世記」48章、49章の「ヤコブが民の長を集めてメッセージを与えるシーン」と密接にかかわっている重要な場面です。

「創世記」48章、49章や「申命記」33章のメッセージが「ファイストス円盤」に計り知れない付加価値を与えるために備えられたものであることを、彦穂々手見命にまつわる項目で説明しました。
「申命記」31章も、それらの章と連動して、終わりのとき、即ち、「At last遂に」わが国民が集うよう要請している預言なのです。


 「申命記」31章  抜粋
  この民は外国の神々を求めて姦淫を行い、 
  わたし(守護神)を捨てて わたしと結んだ契約を破るであろう。
  そのとき、この民に対して私の怒りが燃え、彼らは捨てられ、 
  わたし(恵穂葉)は顔を隠す。
  
  すると、民は焼き尽くされ、多くの災いに襲われることになり、 
  大災厄に襲われるのは、私たちの内に神がおられないからではないかと云おう。
  彼らが食べて満ち足り、肥え太り、他の神々に仕え、
  わたしを侮って、わたしとの契約を破るからである。
  そして、多くの災厄と苦難に襲われるとき、 
  民がこの詩を忘れなければ、これがわが民に対する証言となろう。・・・ 
   
  この律法の書を、あなたたちの神、主の契約の箱の傍らに置き、 
  あなたがたに対する証言としてそこにあるようにしなさい。
  
  わたしはあなたがたが頑なで、背く者であることを知っている。
  私が今日まだ共に生きている時すら、既にあなたがたは主に背いている。
  わたしが死んだ後は、なおさらであろう。
 
  あなたがたの民の長老と役人をすべてわたしのもとに集わせよ。
  私はこれらの言葉を語り聞かせて、
  天と地をあなたがたに対する証人とする。 

モーセはここで、ヤコブ=イスラエルの十二部族の長たちを集めて言っているのですが、遠い未来の子孫たちに向けて説明していることは明らかです。

それにしても、「申命記」31章のこの内容は、数々の大災厄に見舞われ、「わたしたちのうちに神がおられないからであろう(神も仏もない)」とおなげくような世の中になるだろうと予言しているのですが、これは、「二十世紀からの現代日本の国情にぴたりと的中しています。
そして、「古事記」の伊邪那美命の黄泉行きの原因が「神避り」だったことと規を一にしている預言です。


「長老と役人を全てわたしのもとに集わせよ」

民の長老とはだれか
モーセの「申命記」31章の預言、「あなたがたの民の長老と役人をすべてわたしのもとに集わせよ。」という言葉は、「宗教家」と「政治家」の上層部に宛てたものだということがわかります。そして、「役人たち」にも自覚をうながしていることはあきらかです。
国民の「多くの隣人」が、職がなくて、明日の食べ物にも困っているというのに、多額の年金の権利をがっちりと確保している役人たちが、国民の税金を自分たちに還流するバイパスばかりをつくることを業務とするという恥知らずの行為を繰り返しているのも、国民の積み立てた預貯金や年金などを、観光事業や、投資という、専門を外れた難しい事業にやみくもに投入りして、元も子もないようにしているのも、外国に法外な海外援助金を垂れ流しに振る舞うのも、これら「長老たちと官僚たち」の、はなはだしい心得ちがいが元凶となっているのです。

こうしたことは、経済面に限りません。
「外国の神々を求めて姦淫を行い、守護神を捨て去り」とは、外国の宗教を国民に開放して、これに宗教の自由というお墨付きを与えて、例えば、オウム真理教のような詐欺を野放しにし、宗教の隠れ蓑を着た情報と金に収集活動である諸外国の宗教に便宜を提供し、英国をはじめとする欧米の戦略に与して、「現人神神像」を創作して拝ませたりする宗教体制を敷衍しているのですが、これらの宗教体制はみな、「簒奪」への参道であり、その道の深奥には、守護神恵穂葉の代わりに「利権と金」にまみれた偶像を鎮座させているのです。
こうした行為が、「守護神エホバを捨てて外国の神々と姦淫をする」と預言されているのです。

こうしたわが国の宗教体制からは、「国民を守る」あるいは、「国民を善導する」などという発想は見えてきません。

また、与那国島海底遺跡などの真相追求に取り組まず、国民にその価値を教える気配もありません。3600年も昔のファイストス円盤などが日本語で書かれていることを、一切無視して通す文部省の役人たちの罪もかなりなものです。・・・・
日本において、文化の質がとめどもなく落ちているのは、本屋の店先を見れば一目瞭然です。
ここ、私のブログで取り上げた木村鷹太郎という類いまれな先見者を、寄ってたかって「愚者」扱い、「狂人」扱いをするように仕向け、そうした愚劣な学者たちを養成して、大量に世におくりだして、大衆の愚民化に寄与するよう日々勤めている文部省が、文化勲章を授与するなどとは笑止千万なことです。

なぜこのような情けないことがおこるのかといえば、「日本は、この百年間というもの、欧米の資本家たちの経済植民地」だからです。「奴隷の身分」だからです。
彼らは、自国の歴史が「アメリカ」などよりも、はるかにグレードが高いなどとは、口に出せないばかりか、自国や国民の美点すらも見抜けず、自国を擁護することなど考えもしない国際資本家の「犬」や「豚」に成り下がっているからです。
これは、私の発想ではありません。ちゃんと聖書で預言されていることです。

「イザヤ書」56章
  見張り(高いところにいる人々)はみな、盲人で、知ることができない。
  彼らは、おしの犬で、吠えることもできない。
  夢見心地で横になり、惰眠を貪っている。
  この貪欲な犬どもは、足りるということを知らない。
  みな、自分勝手な道に向かい、残らず自分の利得に向かって突き進む。
  
今の長老、即ち、宗教家と政治家たち、そして高級官僚たち、学者たちを、数千年前に、みごとに活写している預言です。
そこで、もう一度、モーセの遺言を掲げておきます。


申命記31章のモーセの預言の要点
  この民は外国の神々を求めて姦淫を行い、
  守護神を捨て去り、神との契約を破るであろう。
  
  すると、この民は見捨てられ、神が顔を隠され、 
  この民は焼き尽くされ、多くの災いに次々襲われる。すると、
  この民の内に神がおられないからなのではないかと思い始める。
  そのとき、これがわが民に対する証言となる。 
  この律法の書を、守護神恵穂葉の契約の箱の傍らに置き、
  あなたがたに対する証言となしなさい。

  あなたがたの民の長老と役人をすべてわたしのもとに集わせよ。
  私はこれらの言葉を語り聞かせて、
  天と地をあなたがた(神の民)に対する証人とする。 




天地をあなたがたの証人とする

日本民族の神話および歴史は上天に掲示し地球に記載ある
これこそが、木村鷹太郎氏が「日本太古史」博文館(明治45年刊)の序で述べている見解と同じです。
もう一度掲載します。  

  日本民族の神話及び歴史は、
  上天に掲示し地球に記載しあるものに非ずして何ぞや。
 
  聖書の言を借りて日本太古史を形容せば、
  もろもろの天は神国日本の栄光を顕し、
  蒼穹は日本民族の歴史を掲ぐ。
  この日言葉をかの日に伝へ、この夜知識をかの夜に送る。
  語らず、言わず、その声聞こえざるに、
  その響きは全地にあまねく、その言葉は地の極にまで及ぶ。」

  古来、世界に国を成せしものゝ歴史は少なからずといえども、
  これを日月星辰に掲示し、
  山川江嶽国土市邑に記載せる大歴史を有せる民族は
  日本民族を外にして果たして何れにかある。

  日本民族は文明世界の最太古民族なり、日本語は最太古語なり。
  古典研究には古語を知るを要す。文献学の首脳は言語にあり。
  実に言語の力は偉大なるものにして、実に神と称す可ければなり。

そして、この天地の証明については、「ギリシャ神話」は星座神話を以って歴史を語らせ、エジプトやクレタ島の地の発掘物にも語らせ、そして、今、与那国島海底遺跡これに加わって、太古史を語り始めています。

「古事記」の伊邪那美命=日本列島=イヴであることが、大地と地図で証明できることで、その役割を果たしていますので、「古事記」「日本書紀」の功績は計り知れません。
「古事記」「日本書紀」が、7、8世紀に創作されたものだと言うことは不可能になりました。
それは表面上のカモフラージュに過ぎず、その根幹部分は、「聖書」および「ギリシャ神話」と密接に連携しているのです。
これはもう、一つのマスタープランに基づいて構成されたものだと言えるでしょう。

それにしても、なぜ、太古の預言者たちやモーセは、天と地にわが国の歴史を語らせる必要があったのでしょう。
そして、なぜ、民の長老(国会議員と宗教界の長老)と政府の役人を集めて「天地に語らせる」と予言しなければならなかったのでしょう。
それは、文書だけで残すと、民の長老たちと政府の役人が、握りつぶして、黙殺してしまうからです。
握りつぶすことも、黙殺することも不可能な、巨大なスケールの「歴史書」を残しておいた先祖たちの知恵には、ただただ驚嘆するする他はありません。やはりこれは神智というものが、この世に存在する証であると申せましょう。



契約の箱と契約書

神の民のタイムカプセル
契約の箱とは、神と神の民との間に取り交わされた契約に付随するものなのですが、モーセのこれらの言葉から見ますと、アイデンティティーを無くし、心のよりどころを無くした神の民にアイデンティティーを取り戻させることや、反省して、国の再生をはかることを目的としていることがわかります。
契約の箱は、証の箱、しるしの箱とも書かれています。神民のアイデンティティーの証です。

そして、ファイストス円盤は「聖書」の預言や「古事記」「日本書紀」とリンクして、わが国の歴史を物語るのですから、これは、明らかにタイムカプセルとして製作されていることは明らかです。
日本民族の歴史のミッシング・リンクを繋ぐ目的を立派に果たしているのです。
そして、こうしたタイムカプセルが、こころのよりどころをなくしている私たち現代の日本人のためにつくられていることを知ること、そして、古代の預言者モーセの真意を汲むことは私たちの急務といえましょう。

「ファイストス円盤」の神輿が、世間に知られている「契約の箱」の形状ではなくて、日本の神輿そのものであったことも、従来の、西洋発の発想を見直さざるを得ないと言えそうです。
ここまで、証明してきた事柄からしても、「聖書」は日本人の先祖たちが書いたものであることはあきらかです。


この預言を重視して、私は自費出版の「日本の謎と聖書の謎」と「政府は、日本の古代史の洗い直しをすることを検討するように」という「陳情書」を携えて、衆議院議員会館に足を運び、有力な議員さんたちの秘書氏に託しました。
しかし、数年を経るも、一言半句の回答もいただけません。(しかも、その議員の方々のうちの3人までもが、昔、私が7年もの間、電話番兼お茶汲みをつとめていた派閥の長の議員の子息や孫であり、本を持参した後に就任された方々は合わせると、2家族で「合計5人の総理大臣」を輩出した!!という奇しい御縁があるのです。
私をたまたま、そのような派閥の長、岸信介氏の「十日会」事務所(赤坂プリンスホテル旧館2階)、その後継者福田赳夫氏の「党風刷新連盟」(赤坂プリンスホテル旧館2階)に置かせて、派閥政治をつぶさに見させられたのは、神計らいだったのだと思って、その息子議員や孫議員の事務所に参上して、書籍と陳情書をお渡ししたのですが、その議員氏や秘書氏にとっては、ただの塵にすぎなかったようです。


日本は、きわめて自虐的歴史観の元でアイデンティティと自尊心をすっかりなくして、指針を見つけることなくやみくもにうごめいています。
父祖のなしたことを、全てネガティブにとらえて、殆ど評価しない者に、本当の価値感が育つでしょうか。価値感がずれてしまっていては価値あるものは生み出せません。やっていることは、すべて塵や芥のたぐいになってしまうのです。

しかし、「わが国の歴史」を誇ることを目的として預言が備えられているのでもありません。むしろ、飲み食いと娯楽にしか関心を払うことのできなくなった奴隷根性の我々を浮き彫りにして見せるためにも預言書は書かれているのです。
たとえ恥が明るみにでても、「事実」を把握し、守護神恵穂葉のもとに帰還するならば、安寧と栄誉が保証されるということを訴えたいのです。事実をありのままに見つめ、「反省すべき点をキチンと整理して、国土国家修復に向けて行動させるような指針が見つかれば・・・と願っているのです。

国民が、この預言者たちの指針にそって歩みを変えることをしないで、文献学者たちのように、ただ自画自賛するにとどまっていれば嘲笑を買うだけです。
それでは事態を改善することは不可能でしょうし、そんなことをすれば、わが国を永劫の混迷に陥れることになりかねません。自国民がまず、なぜ「植民地の奴隷」になってしまっているのか、反省して、国土の荒廃を改善し、行動の手本を示した上で、「日本が、世界にさきがけて恵穂葉神と和解し、守護神に帰依したことで神の麗しいエデンの園が復活し、次いで世界平和が成就する」という世界の実現、これが神計らいです。

某元総理大臣のように、私の研究を「孫引き」した側近の入知恵で、「美しい国日本」などというスローガンをかざしたところで、この国の荒廃の勢いを防ぐことは不可能です。
「守護神恵穂葉」のご認証なくしては、成り立たないからです。
この世界の混迷、日本の混迷から抜け出す道は、恵穂葉神に日本国の守護神として帰還していただく以外にはないからです。
エホバの証人にも、このことを訴えたいと思います。なぜなら、あなた方の組織が、聖書の奥義を知っていると主張しているのは「偽証」だからです。

わたしは、この私の研究を、正しいと主張しているわけではありません。せめて、検証してくださいと願っているのです。
こうしたブログを経て、改めて、「国が率先して、自国の歴史の洗い直しの検討をはじめるように」との要望を表明する手段としてこれを書いているのです。
みなさまも、もし、ご賛同くださるならば、選挙区の代議士のところへ、このDVDを送って、守護神の検証、日本国の歴史の検証をするよう陳情してください。


恵穂葉神に帰依するための、予備知識として、モーセの率いた民の「出エジプト」の時、神と交わした神の民の「契約」の内容がどにようなものであるのか、その「根本」について説明しておきます。



十戒 神と民との契約書

契約書の内容
神の民と神との契約は「十戒」に盛り込まれています。
モーセが編纂したといわれる聖書の大きな特色は、「神と神の民との間」に取り交わされた契約の内容が語られていることです。
神の国とは、その契約で結ばれている国のことですから、「国際問題」「エルサレム問題」を語るにも、「神の国問題」を語るにも、まず、その契約書である十戒の真意を把握することから始まります。

この契約、即ち、律法のテーマは、「神と人間」との関係ですが、十戒の前文には、「私はあなたの主、神であり、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。」という前文がついています。このフレーズは、どの条文にも付帯しているという重要なものです。

  私は、あなたの神、主であり、
  あなたをエジプトの地から、奴隷の家から導き出した者である。
  もし、あなたがその私の愛を知っているなら、自分のための偶像を作るはずがない。
 
一 あなたには 私以外の神々があってはならない

二 あなたは あなたがたのための偶像を創ってはならない。
  どんな形であれ偶像を創ってはならず 拝んではならず、それらに仕えてはならない。
  あなたの神エホバは ねたむ神である。(すなわち、他宗教からねたまれる神である。)
  わたしに敵対する者には父の咎を子に報い、三代四代にまでおよぼし、
  わたしを愛し わたしの命令を守る者には、その恵みを千代にも及ぼす。

三 あなたは あなたの守護神の名をみだりに唱えてはならない。 
  神は 神の名をみだりに唱える者を罰せずにはおかない。 

四 安息日を覚えて これを聖なる日とせよ、
  6日間働いて あなたの仕事を務めなければならないが、 
  7日目は神エホバの安息日である。ゆえに あなたは仕事をしてはならない。
  あなたやあなたの息子や娘も、あなたの男奴隷や女奴隷や家畜も、 
  そして あなたの地域内の在留異邦人も同様である。
  主が6日のうちに 天と地と海および全てのものを創り、7日目に休まれた。
  それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとされたのだから。
 
五 あなたの父母を敬いなさい、主の与えた地での齢が長くなるためである。
六 殺してはならない。
七 姦淫してなならない。
八 盗んではならない。

九 あなたの隣人にたいして偽りの証言をしてはならない。
十 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
  隣人の妻 或いは 男奴隷や女奴隷や牛や馬やろば等すべて
  あなたの隣人のものを欲しがってはならない 

モーセの十戒の一から四までは、神との契約書であり、
五から十までは、社会生活上の罪悪や倫理についての掟です。

しかし、十戒の契約内容を、聖書の「創世記」から「ヨハネの黙示録」まで通し読みした後に、もう一度「十戒」を読めば、理解し得ることがあります。
それは、十戒の五以下の、姦淫、盗み、偽証などについての記述も、まず、「神と神民との間の契約」を云っていることがわかるのです。

言い換えれば、「一から十まで、すべて、神と神民」、「神と神の国」との間の契約書なのです。

聖書では、神の国を、あるときは「ヤコブ」、あるときは「イスラエル」という男性名で呼び、あるときは「シオン」という女性名で呼びかけています。
これは、神と「神の国」との契約関係を、人間社会で生じる愛や責任、背任、裏切りといった人間関係になぞらえて、具体的に正確に把握させ理解させるために講じられている「比喩」なのです。
国には、国民を養い、守るという女性的側面もあれば、率い、建設し、開拓し、戦わねばならないという男性的な側面もありますから、これを説明するのに男女名を使い分けて、比ゆで説いているのは、多次元のことがらをわかりやすく具体的に理解させるためです。
ユダヤ人たちが、「乙女シオン」と呼びかけるとき、それは、国のことであるのを見れば、一時が万事であることを悟るはずです。

五 「父母を敬え」とは、父なる神(天)と母なる大地や母国を尊べということ。
六 「殺してはならない」とは戦争を仕掛けてはならないこと。
七 「姦淫をするな」とは、エホバ神を捨てて、外国の神(軍神)や、
  「自分たちで捏ね上げた偶像崇拝」に陥るなということ。
  預言者たちは、偶像と姦淫をして零落してゆく神の国に、「どうして遊女になったのか、忠信だった都が。
  公正と正義があふれていたのに、今は人殺しばかりだ。(「イザヤ書」1章)」と語りかけています。
  これによって、その趣旨が明確に分かるはずです。

八 「盗むな」とは、預言、神の家(国)、神の民を盗むことなどの禁止令。 
  中東発で起きている、終りの見えない三つ巴の紛争は、神の国の預言を「盗んだ」ことによる罰です。 
 
九 「偽りの証言をするな」は、盗んだ預言、虚偽の布教を禁じる掟。
  「これらの預言は、本来日本のものである。」と証言しないことは、この条項の掟を犯すことになり、  
  これも国に災厄を招く要因となります。

十 「隣人の家を欲しがるな」とは隣国の宗教や神の国や領土を欲しがって、植民地化政策をするな、   
  そこの住民を奴隷化家畜化することを望むなということです。
  朝鮮半島や満州を欲しがったばっかりに、日本は、いまだに、その後始末に苦渋しています。

十戒の「男奴隷、女奴隷、牛、馬、ろば」などの言葉について、端的に言えば、住民や他国民を奴隷や牛馬のように使役する政策、すなわち簒奪のための植民地政策を戒めるために使われている言葉です。

イエスは、神の民を「羊」に喩えて哀れみましたが、一方では、支配者たちを「犬」「狼」「豚」あるいは「強盗」「盗人」と糾弾されました。
こうした比喩はすべて旧約聖書に於いてすでに書き尽くされていますし、そのほかに、「牛」「馬」「ろば」「ライオン」「鳥」「蛙」「蛇」「魚」「いなご」、あるいは、「青草」「いばら」「やぶ」などに喩えられていることさえもあります。
  

「聖書」の神は、神の民を、奴隷の家から導き出した神である
この十戒の前文を心に留めて、聖書全体の用語を参照しつつ解釈しなければ、聖書が伝えたい真相が見えてきません。
たとえば、この十戒の四番目の安息日にまつわる戒めの意味するところは、千年王国の千年のことであり、神の栄光のため、また預言の成就のために、戦争や植民地政策をしてはならない期間のことです。

また、休みも休日も与えないような非人間的な雇用などを戒め、自分は安息日なので働かないが、雇い人は働かせてもよいなどというダブル・スタンダードを戒めたものでもあるのす。
「申命記」25章に、「正確なおもりと不正なおもりとを操って不公平を図ることを、神がいとわれる」と書いてあるのがこれです。
この戒めは、「終わりのとき」という時代に、金と仕事を最優先とするシステムが蔓延した結果、人々は奴隷、あるいは、牛、馬、ロバのような存在になりはてているということを見越して設定されているのです。

わが国の守護神恵穂葉神が、律法の各条項の前に「私は民を奴隷の境遇から救い出した神である」というフレーズがあることを私たちは忘れてはなりません。

この百年というもの、政府は日本国を欧米の資本家の植民地となし、国民を彼らの金儲けシステムに乗せて、百円均一ストアの商品のような画一的な奴隷人間形成に力を注いできました。
今日、日本人は一億総奴隷であり、総ロボットです。預言はこのことを、「人がひとりもいない」と表現しています。

恵穂葉神は、民を奴隷の境遇から救い出した神であるというフレーズが、この十戒の憲法、すなわち、神と民との契約書すべてについているということを軽視するなら、いわゆる形骸化した「立法主義」に陥ります。

この前文と各条項とをつき合わせて考えさえすれば、天皇や支配者や金持に手厚くして、一般人には粗末な対応をするダブルスタンダード精神の神社や寺院など、あるいは、「十字架か剣か」という二元論を操るキリスト教会などが恵穂葉神からいかにほど遠いものであるかを知ることができます。


イエスの説いた律法
イエスは、律法=十戒を説明して、二つに要約できると説かれました。
それは、上記の私の見解が正しいことを保証するものとなりましょう。

 神を愛することと隣人を愛すること。
 神の国とその義を求めること。

この二点をわきまえていれば、「これに付して、他の必要なことはすべて与えられるので、知恵を尽くし、心を尽くし、力を尽くしてあなたの神を愛しなさい。」とイエスは説かれました。
「十戒」を、「聖書」を、「預言」を、イエスは、このように解釈するようにと教えられたのです。
十戒が、人間社会一般の倫理としても欠かせない条項であることは言うまでもないことですが、この十戒の真意は、「神と国家」「神と人間」の間が義と愛で貫かれていれば、人間の倫理もそれに付随して正しくなるという二重構造の論理になっているといった方がより正確です。

神に対して、敬虔さがあった時代には、今日のような、毎日毎日殺人事件と詐欺事件ばかりという世相ではありませんでした。無責任かつ愛のかけらもない宗教と政治が、無責任で愛のない世相を作り出すのです。

「十戒」は、何にもまして、まず、神の国へのメッセージとして備えられているということを知っておく必要があります。

そして、イエスの預言の真意は、神の民に神の御名を明らかにして、守護神を敬わせるようにして、名実ともに「神の国となり、エデンの園の麗しさと栄光を取り戻すように」という忠告です。
「古事記」は、それを国の修理固成(つくりかためなせ)と言う神命だと記しています。
現在のいわゆる「神の国」は「政治家たちの道具としての”天皇の国」”という意味で構成したものなのです。天皇は、日本国守護神の祭司だったという立場を踏み越えておられます。これを改めて、国民に真の守護神恵穂葉神を敬わせるようにお変わりこなることが急務といえましょう。

「恵穂葉神が日本の守護神である」ことを、このまま黙殺して、恵穂葉神を背後に隠したまま、即ち、恵穂葉神に背を向けたまま突き進むならば、二千年昔の中東のエルサレムの轍を踏むことになりましょう。
二千年前に、エルサレムの王、大祭司、住民たちは、イエス一人を抹殺すれば、今までどおりやってゆけるとばかり葬りました。それは、神計らい、預言どおりでもありました。
二千年後のために、「悪い前例として提示するために」です。
そして、恵穂葉神は、悪事をやめないエルサレムを抹殺されました。
日本も、この預言を無視して抹殺すると同じ運命を辿ることになります。そして、今度は世界も日本と同じ運命に陥ります。


人間は、永いタイムスパンで物事を考え、遠い未来を計る事が出来る唯一の生物ですが、人間に計り知れない害をもたらす核開発をしたり、無意味な「カミオカンデ」設備を作ったりするなど、先のことや隣人のことを考えない人々にノーベル賞や名誉が与えられる世の中になり、・・・「一寸先は闇」の世となりました。
そんな現代人にかわって預言者たちが「数千年というタイムスパンで、未来の子孫のために、ここまで配慮して対処策を講じていた」というのが預言書の真相なのです。



日本のアイデンティティー
日本のアイデンティティーを明かすのは聖書!!

11 アダムとイヴ(イザナミ)は「外八州」と「内八州」    
12 御神興と契約の箱の謎   このページです。
13 日本のアイデンティティー
14 賢木と命の木
15 神の国の門
16 七つの封印の書物
17 二十世紀のミレニアム戦争と日本
18 24ヶ月間踏み躙られると予言された国
19 神の栄光と審判が顕われる!
20 御名を尊ばずにはいられない
21 大いなるバビロンへの審判
22 守護神への帰依

以上 神の国の謎 又は 日本のアイデンティティー
 

23~は、神国を明かす「日本側の証拠」についてです。



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話の種

アメリカのボームの子供向け小説に「オズの魔法使い」というのがあります。
主人公のドロシーのお供をすることになるのが、
 
  知恵のない案山子、
  心のないロボット、
  勇気のないライオンです。

この三拍子揃えて、竜巻のような世界情勢に翻弄されているのが今のわたしたちです。
イエスが、「知力を尽くし、心を尽くし、力を尽くして」といわれたことの重要性をあらためて感じる今日この頃です。


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