与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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18 「1万2千スタディオン=約2220kmの日本」

18 「1万2千スタディオン=約2220kmの日本」

ヨハネの黙示録」の真実 5

ヨハネの黙示録」11章

神の聖所と祭壇を測る
ヨハネの黙示録」11章の「神の聖所とその祭壇を測る」という言葉は、
ヨハネの黙示録」21章の「聖なる都とその城壁を測る」というフレーズにリンクしているのです。
この21章では聖なる都は「1万2000スタディオン、すなわち約2220キロメートルの長さです。
「聖なる都」や「聖所」と呼ばれている神の国は、下図で明らかなように、日本のことです。

1万2千スタディオンの長さの日本


この地図は、千葉を中心に半径約1000キロメートルの範囲をしめしたものです。
日本は、約2220キロメートルの長さ
であるという目安をつけるのに丁度よい地図です。
そして、ここ日本以外は「異邦人」の領域であり、「彼ら(異邦人)は、聖なる都を42ヶ月の間踏みにじる」と、「ヨハネの黙示録」11章の預言は断言しています。

彼らは聖なる都を42ヶ月の間踏みにじる
この預言は、先般の第二次世界大戦で、日本が1942年から1945年8月15日までの42ヶ月の間、徹底的に蹂躙され、焼土のされたたことに的中しています。

ヨハネの黙示録」11章の章句は、預言者が、「聖なる都」の領土以外の人々をみな、異邦人と見做しているのであり、これが、日本が42ヶ月の間、まったくの孤立無援であったという歴史的事実と一致していることをしっかりと認識しなければなりません。
連合国が全世界を日本と対立させたという事実と真相、そして、当時日本の指導者たちが同盟した国々が、実はみな敵側であり、その陽動作戦に乗ってしまったのだという裏事情を太古の預言が教えていることに気付かなければなりません。
イタリアやドイツも痛手を蒙りましたが、これらは、「トカゲの尻尾切り」だったということでしょう。
イタリアが「カトリックの総本山」であり、「ドイツがプロテスタント」発祥の地であるということを重く見なければなりません。

「ヨハネの黙示録」のたった22章という短い文章が証言していることは、
「連合国」の彼らが、「聖なる都」である神の国日本を汚し、蹂躙して疲弊させ、貶め、神国の痕跡を拭い去るように、綿密に計画した「ミレニアムの聖地争奪戦」を実行したという真相を指摘しているのです。

連合国軍は、戦争の終盤戦の1945年3月10日、東京大空襲では、325機にのぼるB29爆撃機で襲来しては、焼夷弾やナパーム弾をばら撒き、さらにガソリンを空から撒いて、一度に百箇所もの火災を巻き起こす絨毯爆撃をして東京都を焼き尽くし、一日に十万人以上の市民を殺しました。
この日だけで、東京に36万発以上の焼夷弾が投下されましたが、その大半はナパーム弾で、落下中に50個ほどの小型焼夷弾となるものでした。 

8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾を投下して、両市で数十万人の市民を殺しました。
しかし、そのまえに、日本のあらゆる都市に焼夷弾を撒き散らしていて、すでに日本に壊滅的な破滅をもたらせていたのですから、
「戦争を終結する手段として、原爆の開発以外に打つ手がなかった」という彼らの理由付けは欺瞞です。
日本をみじめな姿にして全世界にさらし、無条件降伏をさせたうえで、神の国日本をを連合国のGHQに支配させることが目的でした。 

原子爆弾の開発製造費に25億ドル以上をかけたのは、「彼ら」が、この新奇な、原子爆弾を、脅威的な最終兵器として世界の国々に提示して、脅し外交によって、世界を支配するためです。
それはまことに超国家的機密の闇の中で執り行われましたので、アメリカやイギリス、また、カナダの一般国民の一切関知せぬことでした。
アメリカその他の国民もまた「彼ら」に完全に騙されていたのです。
日本国内の有力者たちも彼らの配下でした。なぜなら、政府首脳は戦争資金を借りる交渉をアメリカ内のユダヤ人たちとしていたのですから。しかも、そのユダヤ人たちはアメリカに忠誠を誓っていたと、ラビ・とケイヤーの著書に書かれています。

なぜ、日本がこのような目に合わなければならなかったのでしょう。
それは、大航海時代が到来して「日本が聖なる都である」ことを大地が証言したからです。

AD900年頃のTOマップや14世紀の楽園図を参照してください。
それらの地図の神の国「エデンの園」の、まさにその位置に、自ら「神国」と名乗る絵のように美しい日本があったのです。
キリスト教の教会にとっては、この日本をいかに扱うか深謀遠慮したことでしょう。また、ユダヤ教徒にとっても頭の痛い問題であったにちがいありません。

キリスト教国は宣教師の派遣し始めます。
・地図からエデンの園の部分を消して、これに関心がないそぶりをする。
・キリスト教(パウロ教)を広めて日本国民を洗脳する。
・政策への不満分子を支援して騒乱を助長して、日本国を分裂させ弱体化する。

キリスト教宣教の裏で推し進められているこうした弊害があきらかとなったので、これを危険視した徳川幕府は、キリシタン禁制を実施しました。
300年間、キリスト教を締め出していたのですが、ついに、マシュー・ペリー提督に艦隊を率いて日本に「開港を迫らせ」、見事成功しました。

マシュー・ペリー提督が、1853年に東インド艦隊を率いて「日本開港」を迫って、その大役を勤め終えて書いた「日本遠征記」には、これを十字軍的大事業と称していました。
これをみても、その目的をうかがい知ることができます。
日本を「神の国」から引き摺り下ろす「日本変革」の妙案を秘めていたのです。

ぺりー来日から百年もたたないうちに、日本は、みごとに原爆被爆国になり、連合国の支配下になり、神の国のタイトルを失ってしまいました。この日本転落の「起承転結」を、国民はまったく知ろうともしません。

ペリー一族のウイリアム・ペリーは、1994年クリントン政権の国防長官として権力を振るっていました。ワンワールド世界政府の支配者グループの一員としてのペリー家の活動は、今なお、こうして着々と進んでいると言うのにです。

欧米の策士たちは、日本の不満分子に革命を起させて、恵穂葉神の祭司である人を、こともあろうに守護神恵穂葉神の上に着座させ、国民すべてに、神よりも「現人神」を崇拝させるという行為をさせました。
イギリスの外務大臣クラレンドンと外務次官ハモンドから、日本駐在のイギリス公使パークス宛の訓令に次のような項目が記されています。

 日本の体制変化は、
 日本人から発生したような外観を呈しなければならず、
 どこまでも日本的性格をそなえているように
 印象付けなければならない。


戦争用の軍艦、大砲、鉄砲、弾薬を大量に日本に持ち込み、後に、これらはみな、国の借款としてわが日本国の首に絡みつかせ、日本国民が彼らの捕囚となるべく、足枷の金鎖としてしまいました。

そして、日本の革命政府は樹立早々、神道国教化を図り、「廃仏毀釈」を唱えて仏教弾圧をはじめました。
明治維新政府が、現人神崇拝の神道国教化を打ちだしたとき、「多くの敬虔な日本人たちが、これをさけるために、仏教に流れたので、かえって仏教が息を吹き返した。」と、当時日本に滞在していたウイリアム・J・アストン(1841~1911年)著の「神道」は告げています。

次に、恐るべき明治の帝国憲法を発布させ、「陸海軍の統帥権を持つ現人神」という絶対者を創生し、超独裁軍事政権を確立した憲法を施行させました。
時の文部大臣森有礼が、政府のこの無軌道ぶりを制御するためにと思われますが、「伊勢神宮の御神鏡の裏側には、聖書の神の御名が刻まれている」と公表しましたが、森有礼は、明治22年2月11日の、「神と国民を冒涜した悪法 帝国憲法」発布の当日の朝に暗殺されました。
しかも、森有礼は、憲法発布のメンバーの一人としてあります。

祭壇を測れ
「ヨハネ黙示録」11章の「24ヶ月間踏みにじられて」いたころ、日本に於いて、平和の神「恵穂葉神」の祭壇は皆無でした。
日本のすべての宗教は、国家神道の神である現人神天皇の下部組織に変貌されていました。
このとき、現人神崇拝を拒否し、戦争反対を公然と唱えた人は、明石順三氏と矢内原忠雄氏のほか、ごくわずかの人々しかいませんでした。

預言によれば、政治家と神道界ほかの宗教界が結託して、国全体で守護神に背反するよう国民を誘導したのですから、日本国が大災厄に見舞われるのは当然でした。
背反して、恵穂葉守護神に避られた日本は「殺されても、蹂躙されても仕方のない」存在となりました。
そのありさまは、「ヨエル書」2章の次の預言が描写しています。

  主の日が近づいた。
  強大で数多い民が、山々に広がる曙光のように襲ってくる。
  このようなことは、かつて起こったことがなく、
  この後、代々ふたたび起こることがない。
  彼らの行くてを火が焼き尽くし、
  その後ろにグレンの炎が続く。 
  彼らの来る前はエデンの園のよう、だが、、
  彼らの後には滅びの荒野が残る。
  何者もこれを逃れるすべはない。

  これは、戦いの備えをした強大な国民だ。
  彼らの前に、諸国民はもだえ、どの顔も色を失う。・・・
 
  今こそ、心からわたしに立ち返れ。・・・


第二次大戦当時、私は幼児ではありましたが、周りの人々の多くが、ひそひそと、この戦争にも、現人神崇拝にも批判的な会話を交わしていたという現実をしばしば目撃しました。
一般国民には、まだ敬虔さがありました。
恵穂葉神は、それを御存知です。
「ヨハネの黙示録」11章の「祭壇を測れ」とは、このことを示唆しているのです。


「ヨハネの黙示録」11章「二本のオリーブの木であり、二つの燭台である」とは、「二人の証人」のことです。
「ゼカリヤ書」4章が示している、二本のオリーブの木、すなわち「宮の礎」「かしら石」の日本です。
二本=日本のことなのです。
先の「伊邪那美命日本地図」の「母と子」の二人、言い換えれば、「ヴィーナス=伊邪那美」と「ケルビム=キューピット=四国」との二人のことです。

獣が彼らと戦い、二人を殺す
底なしの深淵から上ってきた獣が彼ら(二人)と戦い、二人に勝って彼らを殺します。
獣の正体は、「ヨハネの黙示録」13章と17章に詳しく書かれています。
「底なしの深遠から上ってきた獣」は、「ヨハネの黙示録」9章の「底なしの穴から出てきたいなご」の言い換えで、「底なし穴の黄泉王」プルト-ン(象徴のプルトニュウムで支配している。)の配下の「獣」です。

ニューヨーク・タイムスの軍事評論家ハンソン・W・ボールドウィン著「大戦の大きな過ち」1950年
  アメリカは大量破壊戦争での第一人者となった。
  広島の原爆によって、われわれは空戦の恐怖を一千倍も増加したのである。
  今次の戦争の間に、われわれは戦争の持つ意味に新しい恐ろしさを加えた。
  アメリカ国民は、緊急事態主義、すなわち、
  目的は手段を正当化するという恐るべき主義に向かっている。・・・・

  したがって、原子爆弾の使用は、われわれにとって高いものについたことになる。
  われわれは、今や、「獣」という烙印を押されているのだから。


極東軍事裁判判事ラダ・ビノード・パール博士(インド人)1952年11月5日
  欧米こそ、憎むべきアジア侵略の張本人だということがわかるはずだ。
  自らのアジア侵略を正当化して、これを誇示するために、
  日本が侵略戦争を始めたということを歴史にとどめることにしたのだ。
  日本の子弟が、ゆがめられた罪悪感を背負って、
  卑屈・頽廃に流されるのを、私は平然として見過ごすわけにはゆかない。


彼らの屍は大きな都の大通りに曝される
1945年7月 ドイツのポツダムの特設会場リトルホワイトハウスに於いて日本に投下する原爆の誕生が祝われました。、
1946年のポツダム会議おいて、日本の死刑、すなわち全面降伏が決定します。
アメリカ、イギリス、中国、ソ連、の4人の死の使者が集まっての国際会議で謀られ、日本を料理する方法が決定しました。

イギリス首相チャーチルやアメリカ大統領ローズヴェルトやトルーマンは、戦艦アウグスタ号上で対日戦略を謀議し、旧神聖ローマであるドイツのポツダムのバベルスブルグの「リトル・ホワイトハウス」で国際会議を開くなど、事あるごとに「アンチ・キリスト」色を見せていたのですが、それは、2000年前から判っていたことなのですね。

「地に住むものたちは彼らを眺めて喜び、贈り物を贈り合います。」
これは、アメリカが参戦する前から「大西洋憲章」で決めてあった、戦勝のあかつきの分捕り品のやりとりです。
大戦が終結してみると、アメリカとイギリスは、世界の海軍力と長距離空軍力を殆んど独占し、
ほとんど全世界の基地網を掌握し、さらに、最新兵器および原爆やウラニウムとプルトニュームなどを彼らの手に集中させていました。
そして、アジアはアメリカの基地網で覆われ、アジアのあらゆる問題にワシントンが介入するようになりました。
アメリカの軍産複合体と軍事基地網が巨大化したばかりではありません。
中東における権益も巨大化しており、当時の中東の確認石油資源のうち、
アメリカが握った石油権益は、1936年には13%だったものが、1946年には46%に増えていましたし、
イギリスも50%をゲットしていました。
1946年の時点では、米英両国合わせての中東の石油の権益はなんと96%にのぼっていました。

「ヨハネの黙示録」11章「彼らの死体は3日半の間、あらゆる国民から眺められ、その間埋葬されることが許されなかった。」
これは、見せしめ、十字架上の「日本としての立場を表しています。
「これを見よ。われわれに敵対する者はこのような目にあうぞ。原爆の威力におそれいったか。」という原爆外交方ことです。

「その都は、比ゆ的にソドムとかエジプトとか呼ばれているが、彼らの主もそこで十字架につけられたのであった」
この「日本の戦禍と死(全面降伏 連合国のGHQ支配)」と「イエスの裁判と死刑」とが全く同じケースであることがここに示唆されています。
イエスは無実であるにも拘わらず極刑を科せられました。
日本の場合も、罪は少数の政治家、軍部、軍産複合体、そして、宗教家にあり、大多数の国民は無実でしたが、日本の無実の市民が原爆や焼夷弾の世界一の犠牲者となりました。そして、
神国のタイトルまで簒奪されたのです。
また、文化財やゴールドバーなどが大量に探し出され持ち去られました。

「二人の証人」である日本は、連合国の支配者たちが、「アンチ・キリスト」であり、「目的のためには手段を選ばない、マキャべリストたち」であるということの生き証人となったのです。
2千年前にイエスが無実であったことを全世界の人々が知っているように。

が、ここで、日本が「三日半」と形容されるスピードで蘇ることが預言されています。
そして、自分たちの力で立ち上がって、世界有数の国力をつけるに至りましたので、敵はそれを見ました。
しかも、地中海から出土した「ファイストス円盤」や、線文字Aなどが解読されたことから、日本が「神の国」だったことが判明しましたので、自分の足で、恵穂葉神に向かって歩み始めました。「キリスト教」という隠れ蓑の鎧で武装しているその鎧が「こけおどしで、実は裸の王様である」ことがあらわになったのです。

「都の十分の一が倒れる」という地震(十大都市の一つ神戸地震や311の東北大地震)が起きた後に第二の災いが終了とみなしています。
ということは、預言者たちは、日本の敗戦を以って第二次世界大戦の終了とはみなしてはいないのです。その後、日本の国力が続く限り搾取され続けていることも第二の災いの延長と見ているのです。


第三の災いがすぐにも来る
しかし、その前に、第7の御使いがラッパを吹きます。
すると「この世は、今やわれらの主である恵穂葉神とキリストの国となった」という大きな声が聞こえます。これは「天」即ち「日本」での出来事です。
ということは、「日本の守護神恵穂葉の上に立ちはだかって民から守護神を遮っていた方々」が守護神にその座を明け渡すと公の場で宣言されるということです。
すると、「天(日本)にある神の聖所の門扉が開かれます。一端開きますと、誰も閉じることができません。
あの契約の箱(の真意、奥義)が見え、神の栄光があらわれます。



「ヨハネの黙示録」12章
子を産む女と竜
「竜は今まさに子を産もうとしている女の前に立ちはだかった、それは、女が子を産むや否や、その子を飲み込んでしまうためであった。」

これは、「創世記」3章のアダムとイヴと蛇が神に背反したときの判決の中の蛇に対する宣告「お前(蛇、竜)と女との間に、また、お前の子孫と女の子孫との間に対立を置く。おまえは彼の踵に噛み付き、彼はおまえの頭に噛み付く。」と同じシーンです。
例の「世界大陸はアダム、世界大陸のあばら骨が日本」という地図と地理で導き出して、イヴは日本であることを説明しましたが、
この「創世記」3章の記事と20世紀の日本の立場が同じであることで、預言の威力が誰の目にも明白になることでしょう。

しかし、女は、子を産みます。神の子ケルビム、すなわち、恵穂葉の警護役、すなわち「御使い」です。
その子は鉄の杖でもろもろの国を支配する権利を有しているのです。
この場合の「子を産む」は、「神の子の誕生」を意味します。その「神の子」は、誕生するや否や飲み込もうとする竜に待ち構えられているのです。
丁度、2000年前に、イエスの誕生が待ち構えられていたのと全く同じケースです。

しかし、御使いミカエルは、この竜と戦って勝利を収めます。
 「今や、私たちの神の救いと力と御国とキリストの権威が顕現しました。」
 「私たちの同胞たちを告発して、昼も夜も私たちの神に訴えていた者たちが、
 地に追い落とされたのです。
 同胞たちは、子羊の血と私たちの証しの言葉によって、
 彼らに打ち勝ったのです」

という声がわきあがります。
「神に訴えていた」宗教家たちが、逆に神の敵=龍だと言うことがあきらかになったのです。
世の中、今日まで真逆が通用していたのでした。

「女には巨大な鷲の翼が与えられ・・」
「竜は、自分が地に落ちたことを知って、かの、子を産んだ女を追跡します。
しかし、女には巨大な鷲の翼があたえられました。」
日本列島が巨大な鷲の翼の形状であることを自覚したことを言っているのです。
それは、神の言葉、すなわち、神の御霊のメッセンジャーであるイーリス女神にして勝利の女神ニケ、亦の名玉依姫=アリアズネの出番です。
守護神恵穂葉神の救いの開始です。

 「申命記」32章、のモーセの詩
  守護神(恵穂葉)は、荒野で彼を見出し、
  獣の吼える不毛の地でこれを見出し、
  これを囲い、いたわり、御自分の瞳のように守られた。
  鷲が巣を揺り動かし雛の上を飛び翔り、
  羽を広げてとらえ、翼に乗せてはこぶように。

「ヨハネの黙示録」11章  続き
 女は二年半竜の目から隠されたまま養われます。
 竜は、その口から大水を川のように吐き、
 女を奔流で押し流そうとしたが、
 地が口を開いて、女を助け、
 竜が口から吐き出した大水を飲み込みました。

これは、大地が口を開き、地中のファイストス円盤が語り始め、大地の形状が語りはじめ、
龍が吐き出した滔々たる「嘘八百の教義」をすべて干上がらせることを言っているのです。
「飲み込む」とは、「判る」ことで、この場合は「バレル」ケースです。


そこで、竜は激怒して、女の子孫の残りの者たち、即ち、神の戒めを守り、イエスの証しを堅持しているものたちと戦うために出て行って、竜は海辺の砂の上に立ちました。
ワンワールド体制を強化して、監視体制を強め、かつ、第三次大戦に向けての準備をしている光景です。
目下「ロンパリ」で、中東に世界の注目を集めていますが、本命は日本なのです。
あとは、日本人をテロリストに仕立て上げるか、日本がブチ切れるような事件、北朝鮮か中国がミサイルを撃ち込むか、あるいは、いつの間にか日本が韓国人や中国人に支配されるように仕組む・・etc、あの手この手が考えられていることでしょう。

女、即ち日本は、巨大な翼、(日本列島は羽ばたく翼の形)が与えられているような、神が守護したまう国です。
太古から王たちが好んで使う「有翼の円盤」とは、日本の象徴だったのです。
それは、守護神恵穂葉の守護の象徴でした。

ですから、西宮、すなわち、パレスティナのエルサレムを2000年前に放棄させて、そこを、三つ巴の戦争がおこる「やぶやいばら」となり、そこに太った黒い羊どもがひっかかるよう、神計らいがされていたのです。
そこに集められた王たちとは、そこに終結している兵士たちが守らされている資産の持ち主たちのことです。ワンワールド支配下では、軍隊や兵士は、支配者たちの所有物として機能しているのであって、決して国々の国民のためにというわけではありません。

とにかく、そこに終結しているのは、「われわれの側につくか、それとも・・・」という言葉に対する答えですから、仲間であるという証拠なのです。その「われわれ」というのが「アンチ・キリスト」です。ということは、これが「神計らい」とは知らないで、その地に集結しているのが、このシーンの竜と獣の一同なのです。ここが、用意されていたために、決して、彼らがワンワールド世界政府を実現することは不可能なのです。


「ヨハネの黙示録」13章
海からの獣 
海からの獣は、七つの頭に十本の角があり十の王冠をつけています。
また、この獣の持っている力と権威と王冠はことごとく竜から得たものです。
これは、イギリス主導の連合という形態をとっていて、アメリカのウイルソン発案という形をとらせた「国際連盟」という表て向き「平和のためという名目を冠した戦略機関」を作りました。
この獣が現実にはいかなるものであるかは、「この獣は聖徒たちと戦って彼らを打ち負かすこと」を目的としていたのですから、日本を42ヶ月の間蹂躙した連合軍とは、この獣と、これに力と権威をあたえた巨大な赤い竜が派遣したものであったことがわかります。
アメリカのウイルソン大統領とフランクリン・デラノ・ローズベルト大統領が、イギリスから一々指令を受けていた事をここに改めて書く必要はないでしょう。ウインストン・チャーチルの自伝の中の自慢話を調べれば、彼らを動かしていた龍の正体がわかります。

ここで「聖徒」という言葉が使われているのは、この戦争の日本側の被災者の殆どは、この「戦争」に対して無実だからです。
龍と獣は、日本を蹂躙しつくした後に、アジアの東端日本の「神国」というレッテルと主権をを引き剥がして、ただちに、アジアの西端で、ユダヤ人に、「イスラエル国」の主権と、神の国というレッテルを貼り付けました。
この、まったく正反対の二つのことが同時に連合国軍の手によって成し遂げられたということを世界の人々も日本国民も意識していません。

第一次世界大戦で、パレスティナをトルコから完全に奪い取り、第二次世界大戦で、日本を無条件降伏させて主権を奪い去り、そのドサクサの間に、神の国を交換して、さきに奪取していたパレスティナに、神の国のタイトルと日本への預言を盗み取って、「神の国イスラエル」をでっち上げたのですが、これらを画策したのは、赤い巨大な竜と、その「海からの獣」であると、この「ヨハネの黙示録」第13章は明かしているのです。


もう一匹の獣
日本が42ヶ月の間蹂躙されて、主権を奪われたあとに、日本への絨毯爆撃や核爆弾製造に貢献して出世した獣アメリカは、「かの獣のための像=国際連合」を作ります。

そして、この像に「御霊」を吹き込むことをして、この獣が「もの言わせる」ようにします。
この「御霊」の言葉があることで「神の御霊」が「神の預言」であることがはっきりします。
「国際連合」はニューヨークに本部を構え、そのスローガンは、「イザヤ書」2章あるいは、「ミカ書」4章の次の預言です。これは、「終わりの日に」と銘打ってありますように、本来は「ヨハネの黙示録」と「神の国」に所属する預言なのです。
それを「、ヨハネの黙示録」全体を解明することなく、しかも「神の国」の権利を簒奪して唱えているのですから、神の御霊に対する冒涜のきわみです。
 


ニューヨーク国連本部に刻まれている聖書の聖句を見てください。
また、国連本部には旧ソ連政府が贈った「剣を鋤に打ち変えている男」のモニュメント(旧ソ連の彫刻家エフゲニー・ヴチェーティチ (Евгений Вучетич, 1908 - 1974) による1957年の作品「剣を鋤に打ち直そう」 )が据えられています。

国連は、「世界平和の実現と国家間の友好関係の促進」を目的とすると宣言して、旧約聖書の「国は国に対して剣を上げず 二度と戦いのことを習わない」という聖書の預言を国連のスローガンとモニュメントとして掲げているのです。
このことによっても、聖書の主題が何であるか伺い知ることができますし、聖書が、今なお、世界史と深くかかわっていることを証しているのです。

しかしながら、発足以来ずっと、国連は「剣を鋤に打ち直す」とは、正反対の歴史を刻んでいますが、それは、国連の真の権利者が連合国の支配者たちであり、その実態は、「ヨハネの黙示録」13章が明かしている「獣」にほかならず、その力と権威の源は「竜」なのです。
国連はベトナムに対して「オペレーション ハーデス」、すなわち、地獄作戦にゴーサインをだして、ベトナムに空から枯葉剤を撒くという悪業に加担しました。その後も、国連は戦争に携わり続け、現在もイラク戦争を支援しているありさまです。

国連は、「イスラエル共和国」を誕生させたことでも知られています。
二十世紀に二千年ぶりに現れ出でたイスラエル共和国と国連が、エホバ神の御霊「平和の実現」を果たし得たでしょうか。

ニューヨークの国連本部に刻まれた 終末預言
 
 THEY SHALL BEAT THEIR SWORDS INTO PLOWSHARES.
 AND THEIR SPEARS INTO PRUNING HOOKS.
 NATION SHALL NOT LIFT UP SWORD AGAINST NATION.
 NEITHER SHALL THEY LEARN WAR ANY MORE. ISAIAH

 彼らはその剣を鋤に、
 その槍をかまに打ち直し、
 国は国に向かって剣を上げず、
 二度と戦いのことを習わない。 イザヤ

ニューヨークの国連本部に刻みつけてあるこの聖句は、聖書「イザヤ書」 2章 と「ミカ書」 4章に記されている重要な預言です。
「イザヤ書」 2章 と「ミカ書」 4章は、世の終末にメシアが到来し、完全な平和がもたらされると述べている預言です。

国連本部に刻まれたイザヤ書
 
国連本部 イザヤ書2章像
「剣をすきの刃に打ち変え」ている像は、この像へのイタズラが続いたため、現在は国連敷地内の立ち入り禁止区画に移設されてしまいました。
上の2枚の写真と像の移転の情報は、「空港探索」 アメリカ旅行3日目 2006-11-01 「とり」様から借用させていただいたものです。


ニューヨークの国連本部に刻みつけてある「イザヤ書」 2章 と「ミカ書」 4章に記されている重要な預言で、、世の終末にメシアが到来し、完全な平和がもたらされると述べている預言です。

「イザヤ書」2章
 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち 
 丘々よりもそびえ立ち、
 すべての国々がそこに流れきて、多くの民が来て言う、
 さあ、主の山ヤコブの神の家に上ろう、
 エホバは、ご自分の道を私たちに教えて下さる。
 シオンから御教えが、エルサレムから主の御言葉が出る、
 主は国々の間を裁き 多くの国々の民に判決を下される。

 彼らは剣を鋤に、槍を鎌に打ち直し、
 国は国に対して剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。
 来たれヤコブの家に、私たちもエホバの光に歩もう。

国連がいかに旧約聖書の終末預言を簒奪しているかが、これによってわかります。しかも、平和の実現には少しも役立っていないばかりか、国連が設立されてこのかた戦争や紛争のない日は一日もありません。
(しかし、この預言のようにこの70年近く、平和な国があり、それは日本です。不思議なことではありませんか。)


イスラエルと終末預言
イスラエルは、終末預言の実現であるとされていますが、はたして真相はどうでしょうか。
イスラエル共和国が、米英資本家の軍事基地として置かれたという事実にも目を向けなくてはなりません。
イスラエル国誕生以前のさまざまな文書を挙げて見ます。
 
「ユダヤ人国家」テオドール・ヘルツル
 1896年 われわれは、その地で、アジアに対する防壁の一部を作り、
 野蛮に対する文化の前哨の任務を果たすであろう。
 われわれは、中立の国家として、
 我々の自由を保証しなければならぬ全ヨーロッパと提携するであろう。
 キリスト教徒の諸聖地のためには、
 治外法権という国際法の形式が生み出されるであろう。・・
 
アメリカとアジア」オーエン・ラティモア  1943年
 アメリカが、全てのアジア人を無理にでもアメリカの従順な人形にできるように、
 太平洋とアジアの沿岸全域にわたる海軍とと空軍の基地を乗っ取るほかはない・・
 と主張する人々がいる。

国連はパレスチナ分割案の採決をした。 1947年11月
 ここで大きな力を発揮したアメリカ政府の分割案支持派は、
 そこにユダヤ人国家ができれば、
 中東に安全かつ進んだアメリカの基地ができるという理由で賛成票をいれた。


1948年5月14日に、イスラエル共和国が誕生しました。
イスラエル側のコメント 
 聖書が絶えず繰り返している預言者の約束が成就し、
 イスラエル共和国が再び誕生したという事実は、
 人智が有限、最高の力(スーパーナチュラル)が、
 人間の諸条件の上に影響しているということを、
 人類に認知させ認識させる出来事である。
 これは、神の御意思による人類救済の雛形か。
 約束の民に約束の地を賜ると聖書が預言した権利と義務を、
 地上の権力が否定することは到底みとめることができない。

キリスト教側のアメリカの見解
 イスラエル国の再建は、
 まさしく聖書を信じるキリスト教徒にとっても、
 旧約聖書と新約聖書の預言の成就である。
 聖書を信じる者だれもが、
 キリスト教と新しいイスラエル共和国とは、
 引き離せない関係にあることを知っているはずである。
 クリスチャンの信仰の一部は、
 このイスラエル国の平和のために祈り献身することである。
 アメリカが長く祝福されてきた理由のひとつは、
 私たちがイスラエル側についてきたからである。


「ニューヨーク・ヘラルド・トリュービン」 1948年6月17日 
 ワシントンは、冷戦を継続し激化する方針を決めた。 
 アメリカの防衛体制内にある日本のアジアの工場としての価値、
 日本の熟練した技術と従順さ、これを有効利用する方針を固めた。
 日本をアメリカ管理のアジアの工場にすれば、
 その力でアジアの他の部分を支配できる。
 日本の遊休工業力とアジアの原料資源を結びつけ、
 アジアにおける西側の優位を維持するためには
 要塞地帯を選び、これを強力に押さえ、
 集中的かつ漸進的に開発してゆく政策が必要であろう。
 日本フィリピン、インドネシア、サウジアラビア、イラク、
 そして、旧パレスティナがこれである。

「ニューヨーク・ヘラルド・トリュービン」 1948年6月 
 マッカーサー元帥は、日本の沿岸警備船125隻の再武装と、
 日本の警察官10万名の重火器装備を許可した。

「ニューヨーク・ヘラルド・トリュービン」 1950年6月5日
 百選練磨のアメリカ将兵五百名を賢明かつ重点的に用いて、
 諸君の代わりに銃砲を撃ってくれる10万人の兵士を訓練し得る。
 韓国軍事顧問団はその生きた証拠である。
 アメリカの納税者は、最小費用の最大効果の見本である軍隊、 
 韓国に「投資した資本の優れた番犬の役を務める」軍隊を置いた。・・・

韓国同様に、日本にもアジアで西側の優位を維持するための番犬が置かれました。
しかも、アメリカの粗大ごみであるミサイルや戦艦を買わされるのです。
イスラエルも日本もアジアを覆う米欧の「資本家のための」基地網の一部に過ぎません。
アジアのあらゆる問題にワシントンが介入するのはこのためです。 

第一次世界大戦も第二次世界大戦も、「エルサレム問題」「石油の利権」「米欧の基地ネットワーク」「アジア植民地化」の四つのファクターを抜きにして語ることはできません。
そして、「ヨハネの黙示録」「ミレニアム」「千年王国」という面で捉えないと、エルサレム問題も自衛隊派遣問題も基地移転問題も全貌が見えてきません。
言い換えれば、聖書を掲げての「エルサレム問題」は、聖書で解決するか、又は武力解決にこだわって「永遠の劫火」と為すかの二者択一以外はあり得ないのです。

「エルサレム問題」とは、「ヨハネの黙示録問題」であり、国連、すなわち、連合国の手中で行われた「神の国の交換という世紀のマジック・ショー」から発生しているのです。このことを知らずして現代史を語ることも、日本国の未来を計ることも不可能です。

第一次世界大戦とは、アラブの石油資源国とその周辺国および、流通ルートの要衝の地、アラビア湾、スエズ運河、アカバ湾などを西側の支配下におくことでした。
そして、三枚舌外交によって「パレスチナをイギリスの統治下におく」ことでした。
第二次世界大戦とは、アジアの東端の神の国の痕跡を消し、これに代わる神の国イスラエル共和国をアジアの西端に据え、両者をともに軍事基地となし、彼らの軍事基地網の一部に組み込むことが目的でした。
そして、第二次世界大戦が終わった時点で、当時の中東の確認石油資源のうち50パーセントをイギリスが、42パーセントをアメリカが獲得して。両者で90パーセント以上の利権をゲットしたことでした。
これが神の国取替えプロジェクトのやったことです。

今、すでに世界はワンワールド体制下にあります。テロリストを活用して進撃を工作するという「911事件」がアフガニスタンの天然ガスや鉱物資源、イラクの石油の利権などの獲得が目的であったことは周知の事実です。
しかも、こうしたテロリスト利用によって、如何なる所へでも、ただちに「聖戦」と叫んで出動でき、テロリストが危険であるという偽情報によってさえ「先制攻撃」するという体制ができてしまったことをわたしたちは目撃しました。

このシステムで第三次世界大戦を巻き起こして、日本国を消滅させることも可能です。
そして、日本が最大の敵と目されることについては、古代の預言者の方がよく知っていました。そして、またもや、日本人が第三次世界大戦を引き起こしたという形にすることなど造作もないことです。

こうした破滅を食い止める手立てを持たないゆえに、破滅回避のための預言が備えられているのであり、その成否はひとえに、日本が参戦しないという態度を貫き通すか否かにかかっているのです。
それには、日本人が、「ヨハネの黙示録」の真意を知ることがもっとも重要なのです。
「ヨハネの黙示録」は、イエスが命をかけて宣命した「神の国」とは日本であることを暗号化したものなのです。
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17 二十世紀のミレニアム戦争と日本

17 二十世紀のミレニアム戦争と日本

「ヨハネの黙示録」の真実 4

「ヨハネの黙示録」8章

世界大戦は予言されていた
「ヨハネの黙示録」8章から11章14までは、「ヨハネの黙示録の禁忌」が犯されて勃発する地球規模のミレニアム戦争が予言されています。
七つのラッパで、推移してゆく世界大戦の、「天地破壊」が書かれていますが、それは、神の「天地創造」とは真逆のプロセスとして描かれています。

「ヨハネの黙示録」8章の第1のラッパから始まる「第1の災い」とは、「第一次世界大戦」終結までに的中しており、
「第1の災いは去った(9章12)」は、第1次世界大戦の終了を告げています。

「第2の災い」は、第2次世界大戦から今日までの状況を予言しています。
「第2の災い」が終わる11章14のときまでに、11章の「聖なる都が42ヶ月の間踏みにじられる」という予言がありますが、これが、日本が連合軍から蹂躙された42ヶ月間の「阿鼻叫喚」に一致しています。
「ヨハネの黙示録」の威力をまざまざと見せられる驚異的な預言です。
ここに書かれていることが、恐るべき正確さで実現していることによって、20世紀の世界大戦が、「神の国とそのタイトルを奪わんとする」画策であったことが明るみに出るのです。
太古の預言者が「二千年前に、二十世紀の世界大戦の分析をして予言している」のは、「今日の学者や宗教家が全くこれを分析も反省もしない」ことを見越していたからです。

「イザヤ書」59章
 神は、誰も(神民を)とりなす者がいないのを見て驚かれ・・・
 そこで、ご自分の御手で救いをもたらし、
 ご自分の義を、ご自分のささえとされる。・・・
 西の方では、守護神の御名が、
 日の昇るほうでは、守護神の栄光が畏まれる。・・


七つのラッパ 世界戦争の進行
七つのラッパは、日本が主権を失って「神国」のレッテルをなくしたミレニアム戦争について、その発端から描写したものです。

第1のラッパ 銃火器の乱造      植民地争奪戦争と地の破壊
第2のラッパ 戦艦と大砲の乱造    海戦と海の破壊
第3のラッパ ウラン鉱山乱開発    川と水源の汚染 鉱毒と放射能
第4のラッパ 光(政治 宗教)が闇  飛行機の登場と悪用 大気汚染 


「ヨハネの黙示録」 9章

黄泉王の核戦略、そして、嵌められた日本
第5のラッパ ウラニウム炉製造  蝗(戦闘機)待機 放射能障害
         冥王(竜)の使者である王アバドンまたはアポルオン待機 
         第一の災い去る

第一の災いさる」までが第一次世界大戦の終了までの出来事です。ウラン鉱山などは、この頃までに開発されていました。蝗(いなご)が出番をまっていることが描写されていますが、それは、「ヨエル書2章」へガイドしているのです。そこでは、蝗とは、戦いの備えをした強大な国で、「かつて起こったことがなく、この後も代々再び起こることはない」ほどの大戦災を神の国にあたえることが預言されています。


第6のラッパ ユーフラテス川辺りに繋がれている4人の死の使者が放たる
         この年 この月 この日 この時刻の為の4人の使者である
         この使者たちの騎兵の数 万の2万倍(2億)

このプロセスは、「ヨハネの黙示録戦争」が戦略的であることに焦点を当ててあり、「神の国」というバベルの塔を、ユーフラテス川のあたり、パレスティナに作ろうという目的で繋がった者たちであることを教えています。
「莫大な埋蔵量の石油」と「要衝としての地勢的価値」を二つながらそなえた場所に、さらに、「古代の聖地」という条件が加わっていた為、これを奪取するための「神の国取替え戦略」を実行した経緯がここに描き出されています。

彼らはそのために、「聖書の禁断の木の実であるヨハネの黙示録」を盗み、「科学界の禁断の木の実」の核を使うことを決定し、私たちが歴史で教えられているよりもはるか以前に、核物質の集積を完了していて、そのための放射能汚染被害が大戦以前に広がっていたことが予言されています。

ウラニウムやプルトニウムを「ワンワールド」掌握のための必須アイテムと定めて核開発を秘密裏に猛スピードで推進したために、第六のラッパ主たちは、プルトーン(黄泉王)と呼ばれるのが似つかわしいのです。
これを、ギリシャ語でアポリュオンと呼ぶことが預言されているのは、父神ヘリオスの馬車(黙示録の馬)を御したが、無軌道に突っ走ったために世界に大惨事をもたらしたというギリシャ神話の太陽の子を連想させるためなのです。また、日本の「ヨハネの黙示録」であるにもかかわらず、これを外国勢に利するように、さまざまな同盟を結んだ日本の政界宗教界のトップを意味しているのです。


4人の死の使者
ウインストン・チャーチル(欧州)、フランクリン・デラノ・ローズヴェルト(米国)、スターリン(ソ連)、毛沢東(中国)が、この4人の死の使者です。いずれも、核開発や虐殺において、神の目には札付きの人物ですが、世界では偉人として通用しています。
歴史では、これを「ABCD包囲網」と教わりましたが、要は、日本が「四面楚歌」の状態に陥れられたということです。
日清、日露の戦争も、英米欧のための「代理戦争」に過ぎませんでした。
「日英不平等条約」を結んだときに既にこうしたことは予定されていたことで、日本には、アジアの隣国から分断され、非難され、孤立して四面楚歌になるという役目が割り振られていたのです。


この年、この月、この日、この時刻のために備えられたとは、彼らが、あらかじめ計画したことを「予言」にみせかけて実行したことを示しています。
また、2000年前のローマ皇帝「アウグストゥス」崇拝者でもありますので、彼らは、わざわざ、戦艦「アウグスト号」を建造して、その船上で、しばしば対日本戦略を練りました。

1941年8月の「戦艦アウグスタ号」上での、アメリカのローズヴェルトとイギリスのチャーチルとの洋上会談は、アメリカがまだ参戦もしないうちに取り決めた、「戦勝したあかつきの一極支配のための構想であり、英米主導の安全保障体制の定式化」でした。しかし、彼らの案は、国際的見地から見てあまりにも露骨であるというローズヴェルトの意見によって、これを修正して、ソ連、中国も加えた「連合国の4本の柱という体裁を整える事にしました。こうして発表したのが「大西洋憲章」です。

1945年7月、アメリカ大統領トルーマンは、(死亡したローズヴェルトに代わって)戦艦アウグスタ号で53名の乗組員とともに9日間の洋上の旅の後、「聖牛」に乗り換えて、ドイツのポツダム入りをし、7月14日、バベルスブルグに特設されたリトルホワイトハウスに着きました。そこには、すでにチャーチルやスターリンも集まっていました。
日本をどう「裁く」かを決定するためです。そこへ、
16日、「グローブス博士は喜んでいる。期待以上・・」というアメリカからの暗号文の電文。
17日には「博士は狂喜した。生まれた赤ん坊は・・・」というアメリカからの電文が到着しました。
「原子爆弾の誕生を告げた電文です。」
この電文が到着して3週間ほどして、1945年8月6日、「リトルボーイ」は広島へ、8月9日、「ファットマン」は長崎へ落とされ、それぞれ、20数万と10数万の死者をだしました。

こうして原爆は、アウグスタの月に日本に落とされたのです。
そして、アウグスタの月の15日、日本は、ポツダム宣言を受け入れて全面降伏をしました。

こうしたことを見ますと、西洋キリスト教国の指導者たちは、自分たちが「メシア・イエス」の出現前に「メシアの座を簒奪していたアウグストゥス」や「イエスを処刑したアウグストゥス」一族を崇拝するアンチ・キリストだということがよくわかります。


悪霊ども
悪霊という言葉について、「目に見えない被造物」といった言い方がよくつかわれていますが、その言い方はごまかしであり、聖書のなかでは、殺人、略奪、淫行を正当化する幻術を使うものたちのことを言っているのです。
海賊やその進化系である海賊海軍に主に使用される言葉です。
「悪霊が豚に入って、その豚どもが海になだれ込んだ。(「マタイ福音書」8章)」というフレーズは、略奪のための海戦に突入したという比ゆです。
イギリスの風刺画家ジェイムズ・ギルレイ(1756~1815年)のカリカチュアの作品群をみますと、彼が聖書の真意をよく把握していたことがわかり、さらに、1800年代には、イギリスのピット首相らやフランスのナポレオンらがすでに次のミレニアムに向けて、すなわち、「千年、王国」「ワンワールド」にむけて蠢(うごめ)いていたことがわかります。
下の図は、その一例です。


ギルレイ風刺画

ジェイムズ・ギルレイ「破滅の海へ 1805年」、チャーチルや英王室の親戚の名も見えます。


ギルレイ ナポレオンとピット

ジェームズ・ギルレイ「プラムプディング危うし 又は 夜食をとる国家的グルメ 1805年」



「ヨハネの黙示録」10章

頭上に虹を戴き、顔は太陽の使者
この使者は日本のことです。虹は聖書では、神と人類の和解のしるしです。
「創世記」9章には、「神がノアと交わした永遠の契約」に、「雲の中に虹が出たら、人類を滅ぼすことを取りやめる」という契約内容が書かれています。
この「虹」が、虹の女神イリスのことであり、それはイーリス=トロイアのことであると先に書きました。
この女神は、ホメロスの叙事詩では、「翼ある言葉の使者」と詠われていますが、「翼ある言葉」とは「神の言葉」のことです。
聖書とトロイア人との連携がここで示唆されているようです。


イリス女神

イリス女神はウガヤフキアエズ、すなわち、アトラスを養育した玉依姫であることを、木村鷹太郎氏は、「日本太古史」下巻で述べています。

 ギリシャ神話に、海神の子タウマ Thauma族あり。
 タウマは即ちタマにして、神を意味せる「トヨ」を冠すると、
 これ豊玉姫(Theo‐Thauma)の家名にあらずや。
 タマの神の娘にイリス姫あり(Iri‐Iris)。イリを訛りて、ヨリと発音すると、
 に玉依姫の名称を得るにあらずや。
 鵜葺草葺不合(ウガヤフキアエス)命の御姨たり妃たり。

  
玉依姫は、彦穂々手見命の妻豊玉姫の妹です。
彦穂々手見命は浦島太郎とリンクしていると考えられる人物です。

玉依姫は、日本列島という大きな翼のほぼ中央の上総一ノ宮の玉前神社に祀られています。そして、古代の政治の中心地である京都の下賀茂神社にも祀られています。

「ヨハネの黙示録」10章は、この虹を戴き、顔は太陽、足は火の柱のよう、そして、開いた巻物を持っている御使いを次のように描写しています。

右足で海を左足で地を踏まえ
 「頭上に虹を戴き、顔は太陽のよう、足は火の柱のよう、
 そして、その手に小さな巻物を持ち、
 右足で海を左足で大地を踏まえた御使いが、獅子が吼えるような大声で叫んだ。」

この「海と大地に立脚する御使い」とは、平和の成就という使命を帯びている日本のことです。

伊邪那美地図
こうしたフレーズは、日本の地形の「片足」という特色を生かしたもので、大所高所からの視野を以って、また、大地と海の環境保全という見地を以って使命を認識させようとしているのです。
それは、大地と海に立脚しない、現実逃避の宗教、死後の世界に「神の国」や「極楽」を設けて、空手形を振り出したり、免罪符を売ったりして、「個人主義」「ご都合主義」「ご利益主義」を助長して、もっぱら自らを養うだけの宗教にしていること対するアイロニーの矢を射ていることでもあります。



そして、この御使いの奥義が世に出るときは、第七のラッパの音が響くそのときであり、神の預言が成就するときなのです。

もはや時がない
この言葉は、「ヨハネの黙示録」1章と、最終章である22章に使われている重要なメッセージです。「ヨハネの黙示録」のこの解説書を一刻も早く読むようにという忠告です。

その御使いは、「これを受け取って食べなさい。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘いであろう」と言った。
「食べなさい」は、命の木の解禁をあらわしています。
下の欄外に、15世紀のドイツルネッサンス期の巨匠ヂューラーが描いた「書物を飲むヨハネ」の図を乗せましたので、参照してください。
日本語では「飲み込む」「呑む」という言葉には「理解する」という意味があります。呑めば、消化して身につきますから、「読みなさい」より、「内容を理解して、消化して、身につけなさい。」のほうが重みがあります。

「腹には苦い」は、この巻物には、表と裏が書かれていることにより、表を読むと嬉しい内容なのですが、途中で、わが国の未来が暗くて苦いことも預言されています。これが、貝のはらわたが黒くて苦いことにたとえられ、迷宮の暗闇を連想させているのです。
「口には蜜のように甘い」が、それを補います。それは、ダイダロスという知恵者を探し出すために、「頂点に小さな穴が開いた巻貝に糸を通せるものには莫大な賞金を与える」という難問のことなのです。
ダイダロスが与えた解答は、「出口に蜜を塗っておいて、糸をつけた蟻にそこを通り抜けさせる」というものでした。
そして、出口が見つかれば、わが国の運命も明るく甘くなります。

また、「ヨハネの黙示録」10章の「口には蜜のように甘い」は、「蟻通し」というギリシャ神話のミーノス王にまつわる神話やクレタ島へのリンクを示唆しているのです。
クレタ島のファイストス円盤に「恵穂葉、葉枝扶、そして、エフライムである彦穂々手見命やマナセ」が出てきたことと、「巻物」との関連があるということの証しがこの「ヨハネの黙示録」10章です。

「虹の御使い」は日本なのですが、かつて地中海で活躍していたときにはイリス(トロイア)と呼んでいたこと、これが、クレタ島のミーノス王の娘アリアズネでもあることがこれから誘導されるのです。
この場合「難問解決のアリアヅネの糸」を持っていることであり、それは、巻貝に糸を通す「蟻通し」の策を授け、また、迷宮脱出の策を編み出したダイダロスの知恵でもあるのです。


「創世記」の神の契約「すべての肉なるものを滅ぼす洪水とはならない」と「ヨハネの黙示録」10章の、「神の預言が成就される。」と黙示録13章の「大地が女(日本)を助けようと口を開く。」は、同じ内容の別の表現です。

・ 雲の中の虹の出現は、わたしと地との永遠の契約のしるしである。 創世記9章
・ 手に開かれた巻物を持っている虹の御使いが出現する。      黙示録10章
・ 大地が女を助けようと口を開く。                黙示録13章

これらは、「バビロン宗教の言葉の洪水」によって人類に危機がもたらされるのを「神が大地自身に証言させて預言を防衛させる」ことであり、大地の地形が雄弁に語り、地下の考古学上の発掘物が語ること、それらの策を講じておいたのがトロイア=トロアス=アトラス=日本だと予言しているのです。
そして、地理が、その上に住む人間たちの正邪を語り、われわれがどこから落ちて、神と隔たり始めたかを教えているのです。

こうして、「黙示録の預言の真実」が明らかになり、機が熟して、この実を食べることが解禁となり、「神の国」が蘇ってその永遠の生命を得るのです。





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話の種

アルブレヒト・デューラーの「ヨハネの黙示録」の挿絵

書物を飲み込むヨハネ

ヂューラー 書物を飲み込むヨハネ
アルブレヒト・デューラー 「ヨハネの黙示録 書物を飲み込むヨハネ」1498年


アルブレヒト・デューラー(1471~1528年)は、ドイツルネッサンス期の画家です。
彼は有名な「ヨハネの黙示録」の16枚の挿絵(1498年製作)を残しています。そのうちの一枚が上の図です。

図のヨハネは、書物を呑み込むのに苦労している様子です。
日本語は、「呑む」に「理解する」という意味がありますし、「はらがたつ」を「はらわたが煮えくり返る」とか「にがにがしい」とかいいます。
「足が地に付く」という言葉は「堅実」をいみし、「立脚する」は、ということばもありますから、もじ、15世紀の日本人がこれに挿絵をつけてもデューラーのこの絵のようにはならないでしょう。

日本語は森羅万象や原理、原則と結びついた言葉が多いので、味わいが深いのです。
日本語が「世界遺産」的価値ある言語であることは、このヨハネの黙示録10章の「日独」の比較で明らかでありましょう。



16 黙示録の七つの封印の巻物

16 黙示録の七つの封印の巻物

ヨハネの黙示録の真実 3

ヨハネの黙示録 5章
表と裏に字が書かれ 七つの封印がされた巻物
「天にも地にも地の下にも、この巻物を開くにも見るにもふさわしい者が見当たらなかったので、ヨハネが激しく泣いた。」とは、この巻物が「ヨハネの黙示録」の解読にまつわる重要なキーとなる巻物であることを示唆しています。
つまり、ヨハネが心配して激しく泣いているのは、ヨハネの黙示録を解く者がいないからなのです。

これにたいして、「ダヴィデのひこばえが勝利を得て解くことが出来る」と預言が保証しているのですが、これは、「これを解いた者がダヴィデのひこばえである」と保証していることでもあります。

ダヴィデの詩篇は、竪琴に合わせて歌うと書かれているものが多いのですが、それはオルフェが妻エウリュディケを黄泉から連れ戻そうとしたギリシャ神話を重ね、さらに、伊邪那美命=日本を黄泉から救い出そうという日本の神話に連携しているのです。ですから、外の国の方々がこれを解けるわけがありません。

そして、「解いた者は、巻物を解くのにふさわしいものである」と24人の長老によって歌われます。
なぜなら、「神計らい」なくしては絶対に解けないからです。

次の、ヨハネの黙示録6章では、6つの封印が解かれますが、解いた者がダヴィデのひこばえではないので、解かれる時期を誤り、ヨハネの黙示録の悪用をするので、災いを招きよせると書かれています。
七つの封印全部が解け、さらに、書かれている内容の裏表すべてが解け、悪用をしないと言う条件が整わないかぎり、災いを招くだけという結果に終わります。そのために、ヨハネが気をもんでいたのです。


ダニエル書12章、

ダニエルよ、あなたは終わりの時まで、この言葉を封じておけ。
多くの者が知識を得ようと探しまわるであろう。

これは、「終わりの時、聖書の謎と奥義の開示を求めて探せ。」という示唆です。
イエスはこれを「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば開かれます。」と言われました。
求めるべきものとは、「神の国の義」であり、「パンと魚」にたとえられている「教え=神智」のことであると、マタイ福音書7章とその少し前に書かれています。


マタイ福音書12章
別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びてふさいでしまう。しかし、
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは60倍、あるものは30倍の実を結ぶ。・・
弟子たちが近寄って来て、「なぜ、彼らにたとえでお話になるのですか」とイエスに聞いた。すると、「あなた方には、天の御国の奥義を知ることが赦されているが彼らには許されていません。」と、答えられました。


このような奥義について、遂に、ダヴィデのひこばえが勝利を得て巻物とその封印を解くことができますが、それは「七つの角と七つの目をもつ、ほうられたような子羊」と形容されています。この形容は「複数の子羊」を意味し、罪無くして犠牲になったイエスを表わすとともに、丸裸にされ、食い物にされる恵穂葉神の民日本民族の表象でもあるのです。


この子羊が封印を解くと、
四つの生き物(日本)と竪琴を持った24人の長老が子羊の前にひれ伏します。悔い改める姿勢です。
真っ先に悔い改めた長老たちは、竪琴を弾いて、その巻物が真実であると表明し、新しい唄を歌い始めます。これは、オルフェとダヴィデの役どころです。これに、多くの御使いたち、その数、万の万倍、千の千倍の人々が唱和します。


その数は万の万倍、千の千倍であった。
これは、日本国民のうちの、黄泉王の配下の者たちを除いた一億百万余人のことです。この一億百万余人も24人の長老に唱和します。
長老が竪琴をもっているのは、黄泉王からの帰還をうながすオルフェやダビデの役を務めるためであり、ギリシャの劇風の仕立てになっています。

そして、この数字は、謡曲の「鶴亀」(謡曲集 小学館 1973年)に挿入されています。鶴亀は蓬莱山すなわち、世界樹のあるエデンの園の象徴です。
 
 それ青陽の春になれば、四季の節会の事始め、
 不老門にて日月の光を天子(キリスト)の叡覧にて、
 百官卿相に至るまで、袖を並べて踵をつぎて、
 その数一億百万余人、拝を勤むる万戸の声、
 一同に礼するその音は、天に響きて、おびただし。



天、地、地の下、海の被造物、そして万物が「物を言う」
これは、「天と地をあなたがたの証人とする」という申命記31章のモーセの預言と同じテーマです。
イザヤ書10章で、全能者のようにして人類をおとしめた王が、国々を集め、国々の富をかき集めたが、翼を動かすものもくちばしを大きく開く者も、さえずる者もいない。」に対照するために書かれています。

今まで、「嘘、偽り、偽証、そして剣と金が物を言っていた」のですが、「これに異を唱えるすべがなくなった人類」、即ち、家畜や死人となった人類が再び人間らしい口が利けるようにと、とり計らわれているのです。

ギリシャのクレタ島から、日本語で神の御名が出ても、日本語の線文字Aの文書が出ても、闇に葬られて、世に知らされません。与那国島の海底遺跡なども、学校の教育の場へは持ち込めないシステムになっていますから、修学旅行で、石垣島やハワイへ行く高校生たちに、「与那国島に大規模な海底遺跡があるのを知っている?」と聞いてもほとんど反応がありませんでした。
日本から出土したマンモスの骨には鋭利な刃物で解体されていた痕跡があることなども、すぐ証拠隠滅されます。

こうしたことがらは、この百年以上のあいだというもの、日本が情報管理下、監視体制化下にあった証拠なのです。木村鷹太郎氏の邪馬台国エジプト説などが、抹殺されているのも、わたくしたちが、「口をきけない家畜」あつかいをされ、思考力の退化した国民になるように教育されていることの証しです。

しかし、私たちに代わって、天地が今語り始めました。


ヨハネの黙示録 6章
「黙示録戦争」「ミレニアム戦争」の推移
ヨハネの黙示録のもっとも恐るべき威力を知らしめるのが、二十世紀のミレニアム戦争のすべてが予言されていることです。

「ヨハネの黙示録」は、神の国を教え、聖書の真実を教えるという目的ばかりではなく、歴史の真相を教えるという目的を重要視していることが、これによって理解できます。

さらに、聖書の知識を、ここから少し、あそこから少しとこま切れにして、パン粥の中にまぜこんだような「離乳食」ではなく、ほとんどの人々が高等教育を受けている神の国の民に、神の国民として、身に着けておかなければならない基礎教養をちゃんと身につけさせようとして編纂されているのです。
現代の宗教家、政治家、学者たちが手抜きしていることを、数千年昔の先祖たちがやってくれていたということを肝に銘じる必要があります。


4頭の馬
ヨハネの黙示録の4頭の馬は、たいそう有名ですが、これはギリシャ神話の「太陽の子パエトンが父の4頭立ての戦車を借りてこれを疾走させたものの、御し方を知らなかったために天の軌道を外れてしまい、地上に大災厄をもたらせることになったこと」を下敷きにしていて、これと、この度の世界大戦で世界と日本が大災厄に見舞われたことを重ねさせる目的をもって論じられているのです。

パエトンの神話は、天の惑星が軌道を逸脱すると、地と人類に大災厄がもたらされるという法則を地にも反映させるために、道理を教えるためにここに掲げてあるのです。
それは、イエスが「みこころが天でおこなわれているように地でも行われますように。(マタイ福音書6章)」と祈りなさいという教えと軌を一にしています。

太陽を中心に、惑星は整然と軌道を走っています。これにちなんで、初期の宮々は、惑星にちなんだ名をつけられていました。
パエトンは太陽の子、すなわち、太陽系の七つの星のうち太陽になぞらえた最高権力者ヘリオスの息子だったのですが、黙示録の4頭だての馬が御す戦車で突っ走って、軌道をはずれたうえに戦車の止めかたがわからなくなってしまいました。そこで、ゼウスは、この戦車を撃ち落しパエトンを墜落させたといいます。

トロイアの王子アレクサアンドル・パリスがそそのかされて、預言の未熟な実(金のりんご)を盗って、アフロディテに与えたことからトロイ戦争が勃発したのもこれでした。

要するに、七つの封印が解けないうちに、預言の未熟な実を取って戦争を招いたのです。白い馬は西方、赤い馬は南方、黒い馬は北方、青い馬は東方をさしますから、西南北東の順に黙示録戦争が拡大してゆき、遂に世界戦争となつていくことを示しています。

宗教と政治は、天の太陽系の運行になぞらえられています。宗教と政治が正しい軌道で運行をしていれば、社会はよくなります。
今、人殺しと詐欺師ばかりの日本になっているのは、この天界が人殺しの戦争屋と詐欺師で運営されているからです。
日本、また、太陽の子は、朝のアジア(太陽と月)昼のアフリカ(太陽)夜のヨーロッパという地球を代表する「神の国」だったのですが、「ヨハネの黙示録」の未熟な実を取ってて、「ユダヤ人のためのナショナル・ホームを満州に!」というとんでもないスローガンを唱えて、軍備にまい進した近衛文麿内閣や、「千年王国構想」をぶち上げているヒットラーと手を結んだために、阿鼻叫喚のゲヘナ(地獄)への道をつっ走りはじめ、原爆で終止符をうたれるまで止めることもできませんでした。

この事実を「ヨハネの黙示録」は抜きには語れないのです。そして、わが国の大惨事は、大祭司が、神をあがめさせる代わりに自分を崇めさせたことからきた神罰なのでした。
「どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの恵穂葉神への愛にたちかえりなさい。もし、悔い改めなければ、あなた燭台をそこから取り除いてしまおう。2章」と預言されています。黄泉の闇から抜け出せなくなると書いてあるのです。

近衛家は、伊勢神宮の換骨奪胎をして、これを「国家神道」の頂点に据えるという大それた事業に積極的に参加して、伊勢神宮祭主になった近衛忠房の一族でもあります。

伊勢神宮は、恵穂葉神の御霊代、すなわち、神名を刻んだ神鏡をお守りするための宮でした。本来、日本の守護神の神鏡=真名をお預かりお守りする宮なのです。

日本の守護神恵穂葉神は平和の神ですのに、近衛忠房らは、国家神道の音頭取りとなって、侵略戦争の旗を振ったり、守護神の御名の記念物を預かるべき大祭司に軍服をきせ、ナポレオンやヒットラーの同類とならせた上に、神の民すべてに、守護神を捨ててこの「神官と侵略神の二面神となった人」を崇めさせました。
平和の神恵穂葉を捨てて、現人神軍神を崇拝させるようにしたのですから、日本に激しい神罰の降されるのは当然の帰結でした。

「神の言葉と立てた証しのために葬られた者たちの御霊が祭壇の下にあるのが見えた。」

この戦争が、神と預言を利用した黙示録戦争であるばかりではなく、預言の真実を葬り去るための預言抹殺戦略の方も進行していたことが告げられています。預言にも多重性がこめられているのです。


明治時代の森有礼は、伊勢神宮を管轄する文部大臣でしたが、伊勢神宮に祭られている神が「エホバ神である」と唱え、その証拠を国民に告げようとしたために、明治憲法発布の朝に殺されました。
この明治憲法は、日本の守護神への冒涜に満ちた「破滅の憲法」なのです。
この憲法は、無数の無辜の人民が殺されるという方向性を敷いてありました。
その結果、無実にもかかわらず死んだ人々や、天皇崇拝や戦争に反対したために迫害された人々が、神によって慰撫されているのかこのシーンです。
伊勢神宮は、国家神道という、神ならぬ「政府」と「皇室」の道具となって、国家国民を大災厄の中に引き込みましたのに、未だに、神意を理解しようともしないで、改めません。
「心の御柱」も「ひらか」の神事も「守護神恵穂葉神の神民1億百万余人」のためのものですから、恵穂葉神が守護神であられることを、検証すべきです。


「同じように葬られようとしている仲間の僕、兄弟たちの数が満ちるまで」
この言葉は、神の国の人々が、迫害を恐れず「絶対に戦争反対」と唱えることを期待して書かれているのです。
今、第三次世界大戦の準備が始まっています。今、戦争が始まったら、「絶対に戦争反対」「兵役拒否」と唱えますか?
「葬られようとしている仲間の数が満ちるまで」と書いてあるだけで、死ぬとは預言されていません。この度は、神が救い出して、報復してくださいます。

「天の星々はイチジクの青い実が落ちるように落ちてしまった。」
星を国旗にちりばめている国々は、「聖書」が“平和”のシンボルとしているイチジクの青い実(知識の木蚤)を取って「平和」をスローガンに「聖戦」なるものを展開していたのですが、それさえも振り捨てて、仁義なき戦略による「ワンワールド千年王国」を実現しかかっていることを預言したものです。
もうどこにも「天」や「神の国」はみつかりません。
2001年、ブッシュが「テロ側につくか、それとも正義のアメリカ側に着くか」という二者択一を迫らせ、その決定に、各国の王、高官、千人隊長、富めるもの、力あるもの、奴隷、自由人が、この「ワンワールド」支配者たちに与することを決定し、こうして、恵穂葉神とキリストに顔向けのできない存在になっていることあらわにしました。



ヨハネの黙示録 7章
神の僕たちの額に生ける神の刻印された者たち
このシーンに御座と「4匹の生き物」のケルビムが描かれていますのでそれは神の国に於けるできごとです。
その数は、ユダ、ルベン、ガド、アセル、ナフタリ、マナセ、シメオン、レビ、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミン、計12部族の、それぞれの部族の中から1万2千人づつ、合計14万4千人です。
これがすべて日本人であることは、これから後の章で順次証明されます。日ユ同祖論などに惑わされないように配慮されている章句です。
ダン族がはずされているのは恵穂葉神とキリストを冒涜しているからであると思われます。

この14万4千人を集めるのは、日出ずる方角から上ってきた生ける神の刻印を持った者たちです。

彼らは大きな艱難を抜け出た日本人たちであり、衣を子羊の地で洗い清めて白くした者たちであり、神が彼らの目から涙を一滴残らず拭ってくださるのです。
第二次世界大戦とその後のパッシング、国際的搾取による労苦等々、悲しい境遇の国民の姿です。

この人たちがどんな人たちなのかは「ヨハネの黙示録」14章が教えてくれますので、その章で説明します。





15 神の国の門=天の岩戸

15 神の国の門=天の岩戸

ヨハネの黙示録の真実 2

ヨハネの黙示録4章
天に開かれた門があった
この言葉は、神の国の門を意味し、御言葉(預言)の戸が開くと、わきまえの無いものたちが悟るようになるという門です(詩篇119:130)。また、開かれた門とは、オープンで、公明正大であることを意味します。

「天」とは
「天」とは、極東の神の国日本のことです。ですから、開かれた門は日本にしかないといえます。
なぜ、そう云えるかと申しますと、天の玉座の周りに「4つの生き物」がいると書かれているからです。

4つの生き物がいた。
第1の生き物は獅子のよう、第2の生き物は若い牡牛のよう、だい3の生き物は人のよう、第4の生き物は飛んでいる鷲のようであった。


この章句は、前に解説しましたように、真の神の国、四つの生き物のケルビムの存在する日本を描写したものです。

四国四面

なお、日本列島も「北海道は牛の頭を持ち、本州は飛んでいる鷲のよう、四国は人のよう、九州は獅子のよう」です。
「四つの生き物が夜も昼も絶え間なく全能者である守護神を称えていた」という章句は、詩篇19章の次の章句を言っているのです。

詩篇19章 

天は神の栄光を告げ知らせ、大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り継ぎ、夜は夜に知識を与える。
語られず、言葉なく、その声を聞かずとも、
その呼び声は全地にあまねく響き渡り、その言葉は地の果てまで届く。
 
主の律法は完全で、魂を蘇らせる。
主の証は真実で、おろか者たちにも知恵を授ける。 

これは、天岩戸が開く光景、すなわち、闇夜の終わりの描写です。




「開かれた門」とは
門について、イエスは弟子たちに、次のような明確な予告を与えて置かれました。

ヨハネ福音書10章
 羊の囲いに門から入らないで、ほかのところから乗り越えて来る者は盗人で強盗です。
 しかし、門から入るものは、その羊の牧舎です。
 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。
 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。
 すると、羊は彼の声を知っているので彼について行きます。
 しかし、ほかの人には決してついて行きません。
 かえって、その人から逃げ出します。
 その人たちの声を知らないからです。

これを、現実にあてはめますと、「ほかのところから乗り越えてきた盗人で強盗」とはパウロです。
パウロが、「ほかのところから乗り越えてきた」のをみて、イエスから指名されていた「正式な門人」であるペテロは、弟子たちとともに東方へと逃げました。パウロには決してついて行きませんでした。

では、カトリックの総本山である聖ペテロ教会はといいますと、ペテロの死後そこに作ったのですから、ペテロの預かり知らない教会です。
カトリック教会のその教義を聞けば、イエスやペテロの声とは全く異なる声であり、その声はパウロの声です。

西洋キリスト教の声とは、「奥義を知っているのは、わが教会のみだから、これに従うか、それとも滅びか」と迫るような声です。つまり、門も奥義もオープンではないのです。
西洋キリスト教は「教会の門」と教会の教義を通してでなければ人を入れません。カトリック、プロテスタントの教派を問わず、すべて、次の教条を信じなければ信徒にはなれません。

・ 新約聖書の正典すべてを受容すること。
・ 使徒的信条を告白していること。
・ 「教会のほかに救いなし」を信じ、教会制度という形態、そして組織を肯定すること。

この3項目が柱です。

新約聖書全体を神聖とする目的とは、パウロの文書を擁護するためであることが、これでわかります。
また、聖書の次の事柄を文字通りにとらなければならないと教えます。

・ イエスは神である。
・ マリアは、無原罪の宿り、つまり、処女懐胎をされた。
・ ゆえに、キリストただお一人が無原罪であり、ほかのもの、即ち、人類全体は有罪である。
・ イエスは、この人類の罪をお一人で引き受けられ、これによって、人の罪をあがなわれた。
・ イエス・キリストを信じるものは、天国において復活し、永遠の命を賜る。

こうした条項は、パウロだけが強調し、また教義としていることがらです。
イエスの教えの要旨、「神の国とその義」「隣人 同朋を愛せよ」「平和」という三つの柱はすっぽりと抜けていますから、イエスやペテロの声ではありません。



開かれた門とは、奥義が、オープンで公明正大なことをも示していることを詩篇19章でみましたが、これは、申命記31章の、モーセが語る「契約の箱と“この詩”」の意義が下敷きなのです。


申命記31章 抜粋
 神民が堕落して外国の神々と姦淫を犯し、神との契約を破るとき、神は御顔を隠される。・・・
 災いが次々降りかかるのは神が居られないからではないかとと云うであろう。
 その時までこの詩を子孫が忘れずに唱え続けるなら、それが民に対する証言となるであろう。

 あなたがたの民の長老と役人たちを全て集めなさい。
 わたしは、これらの言葉を彼らに聞かせ、天と地を彼らに対する証人とする。

「天地を証人とする」という言葉のうちにも、オープンさと公明正大さが顕われています。
“この詩”とは日本語で刻まれているファイストス円盤の詩のことです。日本語を忘れないなら、「地が口を開いて出現させたファイストス円盤に刻まれている歌」が解明できます。すると、「聖書」、「古事記」、「日本書紀」、「風土記」、「枕草子」、など、誰でも自由に見ることのできる、オープンな書物との連携がわかり、ひいては、ギリシャ神話や北欧神話、伝統行事など、オープンなことばかりを寄せ集めて、ジグソーパズルのように復元できるように備えられているのですから、まさに、オープンです。

また、「古事記」などの編纂者たちは、外国語や漢語や仏教用語に押し流されそうになった時代に、大和言葉を守り抜くための不朽の作品を世に出して、日本語を防衛しました。もし、こうした作品や日本語が消滅していたら、聖書の謎は永久に解き明かされることはなかったでしょう。
まさに、言葉は神で、救いであると申せます。
さらに、鏡や灯明、稲穂、榊を用いての神道の神事などや神楽が存続していることによって、こうして、解明したことにたいする裏付けが出来るのですから、日本がもしもフィリピンのようにキリスト教徒とイスラム教徒になってしまっていたら、世界に聖書や歴史の真実を明かすことが不可能となっていたでしょう。

日本のアイデンティティーを明かすためのものが、発掘物などで出てきても、言葉や意味がわからなくなっていたなら、日本人が植民地の奴隷のように支配され続ける境遇から抜け出すことはできなくなったことでしょう。
英語圏の宗教との姦淫を続けていると、日本国民は英語国民となってしまい、神事や行事なども消滅します。そうなると、神の預言を解読できるものはいなくなり、劫火から逃れるすべを失ってしまうところでした。


ヨハネ福音書の冒頭の「言葉は神である」「言葉は救いである」の極意はこれです。
「万葉集」の「日本は言霊の幸わう国」というのも同じ意味です。そして、この「言霊」を伝えるのが、神の言葉のメッセンジャーであるイリス女神です。このイリスはアイリス、菖蒲、であり、目、虹彩、虹でもあります。

御座のまわりに虹が輝いていた
この虹は神と人類との間の和解の象徴です。
長い間、雨雲黒雲が太陽をさえぎっていたのですが、遂に太陽が輝き虹がでたのです。

創世記9章
 わたしは、雲の中に虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。

これは、神の永遠の契約のあかしの「虹」の預言が「地の肉なるもの」についての預言であって、死後の世界や見えない天の領域とやらの話ではないことを思い出させるために書かれたことばです。
「神と全地との永遠の和解の契約のしるし」です。

イリス女神は、わが国の玉依姫で三輪神社の大物主神の妻ですが、実は、ヴィーナス=伊邪那美=エヴァなのです。イリスはヴィーナス、そして、イーリスが養育したウガヤフキアエズはキューピットで、それが日本4島と四国=ケルビムに置き換えられているのです。
そして、そのエンブレムは、「有翼の円盤」すなわち「翼と目」ですので、「翼と目がたくさんある」と形容されているのです。
「目がたくさんある。」とは、鍛冶神(ヴィーナスの夫)の子孫がたくさんいることでもあります。
イリス女神は、ホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」で、翼ある言葉、すなわち、神の言葉の伝令であると詠われています。
イリス=トロイア=トロアス=アトラスが残したファイストス円盤が、すべてを明かしてくれますので、我が国の天岩戸が開いて光明が輝き出でるのです。



24人の長老たちは冠を投げ出してひれ伏す
御座の周りに、白い衣を着け金の冠を付けた24人の長老が座についています。
四つの生きもの、即ち、ケルビム(キューピット)である日本が全能者を称える証言を始めますと、24人の長老たちは守護神の御前にひれ伏し、金の冠を投げ出します。

この長老は白い着物を身に着けていますので、潔白とみなされる人々ではあるのですが、今まで大きな心得違いをしていたことを詫びる必要があるのです。長老たちは、下記の詩篇119章の心境でしょう。
これまで、外国の神々のために僕となって働いていたからです。
外国の神々は、モーセの律法は神によって排除されたとして、代わりに、虐げと搾取の掟を制定して人々を罪に定めて支配し、神の代理人を勤めていたからです。
長老は金の冠を投げ出して、その高慢な行為に終止符を打ちます。


詩篇119章
 み言葉の戸が開くと光が(太陽のように)差し込み、
 わきまえのないものたちにも知恵を授けられます。
 私はあえぎながら口を大きく開け(オープン)ました。
 あなたの仰せを愛した(信じた)からです。(イザヤ書10章にリンク)

 御名を愛する者たちのために、憐れんでください、
 あなたが決めおかれたように、わたしに御顔を向けてください。
 あなたの御言葉によって、わたしの歩みを確かなものにしてください。
 罪業の支配下にわたしを置かないでください。
 人の虐げの元から私を贖いだし、あなたの戒めの元にお守りください。
 御顔をあなたの僕らの上に照り輝かし、あなたの掟で御指導ください。

これは、天岩戸の開く光景です。ダビデが、「わたし」といっているのは、「日本」のことです。
エデンの園、即、神の国の扉が、ダビデの鍵によって開いたことを意味しています。
それは、黄泉の暗闇から光の世界へよみがえる堺の戸でもありますので、ここで、このダビデの詩篇はオルフェの竪琴の調べでもあります。



七つのともし火
玉座の前には、七つのともし火が燃えています。これは神の七つの御霊であると説明されています。
マタイ福音書25章の、「花婿を迎える賢いむすめが油を十分に用意していた」あかしなのです。
「あなたの御言葉は、足元のともし火、道の光です。」(詩篇119:105)

それは、「神の国の言葉」が生きていたことであり、奥義の解明に必要な書籍が「数千年間」もの命脈をもっていたことでもあります。

英語を日本の第一国語にしようとしている「楽天」さん、あまり、早まったことを押し付けないでください。
日本人にとって、英語などは、用が足りさえすればよいのです。



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話の種

キリスト教と木村鷹太郎氏

明治学院退学の原因
木村鷹太郎は、明治21年9月 明治学院普通学部本科二年に入学した。
このころの明治学院は拡張期で、講堂、図書館、礼拝堂、寄宿舎などが完成したばかりといった状態であった。
クラスメートの中には、島崎藤村がいた。
明治学院は、本来、キリスト教主義に基づく教育を旨として設立された学校であり、教師も外人が多かった。このため殆んどの教科書が英語のものを使用しており、このことは鷹太郎の言語学研究の上で非常に役に立ったという。
鷹太郎自身語学の才能は群を抜いており、年一度の英語弁論大会で「懸賞英語演説」一等となり、賞金を与えられている。
このように恵まれた環境で勉学を続けていた鷹太郎であるが、持ち前の頑固一徹の性格から明治学院を退学になってしまうのである。

明治24年卒業も近づいた頃、クラスメートの田中整二と鷹太郎の二人は、ヘボン校長(学長)と意見の対立をきたし、退学を命ぜられたのである。
対立の内容は、殆んど伝えられていないが、鷹太郎は、中学時代より熱心なクリスチャンであり、すでにキリスト教についても一家言を持っていた。
「人間はアダムが罪を犯したゆえに、人類皆罪人である。ゆえに、唯一、人類の罪を贖うことのできる無原罪のキリストに罪の許しを請わなければならない。」それゆえ、「キリスト教のほかに救いなし」という教義を説かれて、「私は罪人ではない!!失礼な!!ありえない!!」と対立したという。

このとき、鷹太郎と田中整二は、学校側の「詫びればゆるす。」との譲歩を一蹴して、学校には戻らなかった。
鷹太郎自身は退学のつもりでいたが、明治学院では彼の才能を惜しんでか、名簿上は卒業の扱いにした。

鷹太郎は、明治24年九月、東京帝国大学歴史選科に入学したが、ほどなく、哲学選科に転科した。当時、ドイツより帰国した井上哲次郎が東洋哲学と比較宗教学を講義していた。
鷹太郎は深く井上哲次郎に傾倒し、尊敬して、井上哲次郎との関係は後々まで長く続くことになるのである。

戸高一成氏の「木村鷹太郎小伝」(「日本太古史」復刻版 八幡書店 別冊付録)より、
 抜粋 一部「対立の原因」を加筆



14 命の木の実の解禁

14 命の木の実の解禁

ヨハネの黙示録の真実 1

ヨハネの黙示録は「命の木の実」の解禁の書
ヨハネの黙示録本文(2章~22章)の最初に現れる要旨は「命の木の実の解禁」です。
そこで、いのちの木にまつわる箇所のみを抜粋してみます。

ヨハネの黙示録2章
 勝利を得るものには、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。

ヨハネの黙示録22章 抜粋
 御使いは、神と子羊の御座から流れ出る水晶のような川があり、・・・
 川の両岸には十二度も実を結ぶ命の木があり、
 毎月一つの実を結ぶその木の葉さえ諸国民の病を癒す。・・・

 命の木の権利を与えられ、門を通って都には入れるように、
 自分の着物を洗い直し、清めるものは幸いである。・・・

 この書物の言葉を聞くすべての者に証する。
 これに付け加える者に、神はこの書に書いてある災いを加えられる。
 また、この預言の書から何か取り去る者に、
 神はこの書に書いてある命の木と聖なる都から、
 その者の受け取る分を取り去られる。」

これらの預言から、ヨハネの黙示録が「命の木」の解禁とその権利をテーマとしていることがわかります。
「命の木の実」が禁断の実となったそもそものいきさつは、創世記2章と3章に書かれています。
そして、「創世記」と「ヨハネの黙示録」とは、一対として構成されていますので、この関係を把握しておきますと、解読がスムーズになります。


創世記                    ヨハネの黙示録
天地創造 天地の初め              天地破壊 天地終末  
太陽 月 創造                 太陽 月 照らす必要なし     
水の集まった海を創造              海もなくなる 
蛇(悪魔)が神の代わりに指図する        蛇(龍 悪魔)破滅する
不信仰のはじまり                不信仰終わる
いのちの木の実 取ることを厳禁         いのちの木の実 解禁        
エデンの園を隠す                エデンの園(神の国)復活

創世記とヨハネの黙示録のこうした対比を見ましても、その中心テーマがエデンの園のいのちの木であることがはっきりします。

「命の木」は、元エデンの園にあるはずでした。
日本が「エデンの園」にして、それを守護する「4つの生き物からなるケルビム(御使い)の国」であり、守護神恵穂葉の民であること、そして、エヴァも日本であることを地図で検証してきました。
こうして明らかになったことをもとにして、創世記とヨハネの黙示録を照合しますと、難解と言われているヨハネの黙示録もたやすく読み解けるのです。




ヨハネの黙示録1章 

これはイエス・キリストの黙示である
ヨハネの黙示録1章は序文です。
旧約聖書が投げかけた問題提起の解答への手引き書が「黙示録」です。
これが、イエスキリストからヨハネに託されたものであるという重要事項をまっさきに掲げてあるのです。
これは、イエスが一身を犠牲にしたために世に広まったのであり、その奥義が弟子たちの心にとどくように計らったのはイエスですから、「ヨハネの黙示録」の真の権利者はイエス・キリストです。

最初から「イエス・キリストの黙示録」と銘打つことをしなかった理由は、「黙示録」の悪用や盗用が、あらかじめ予見されていたからです。
「(大)世紀末預言」は、ミレニアム毎に悪用され続けているのであって、イエスよりも1000年も前のダヴィデの時代の「ダヴィデとゴリアテとの戦い」(サムエル記上17章)を吟味して読むと、このことが如実にわかります。これは、「黙示録」の原型はダヴィデの時代にすでに存在していたということです。
しかし、このたびのミレニアム戦争は最終的なものであり、これに関する預言はイエス・キリストのたまものであり、具体的に詳細に書かれています。


「すぐにも起こるはずのことを、神が示すためにお与えになり」
「終末預言」の悪用は、「略奪目的の宗教家と軍事独裁者と軍産複合体」の面々によって画策され、それと同時に、本物を迫害し抹殺する画策を進めます。
ミレニアム毎の世界争奪戦は、いつも、ずいぶん早くから蠢動しはじめ、ながく尾を引く大災厄なのです。
イエスの時代に「終末」思想が蔓延していたという歴史的事実を無視する人には、真実を理解することは難しいといえます。

イエスの時代に、世界を救済するメシアに成りすましていたのはアウグストゥスでした。このことは、あちらこちらから出土した「アウグストメシアを称える石碑」などがものがたっています。

祭司階級や政治家たち、学者たちは、ローマ皇帝アウグストゥスに与することによってありついている特権に満足しきっていて、自国のメシアが残酷きわまりない磔刑で処刑されても「そんなの関係ない」・・という無責任ぶり、これで邪魔者が片付いたとばかり浮かれていた様子を、マタイ福音書27章が描写しています。 
その後、イエスを無視し、偽メシア一族の庇護の下に繁栄していた人々が、エルサレム神殿と王国をともに失くし、世にも悲惨な最後を遂げたことは有名です。

しかし、このイエスの教えと「ヨハネの黙示録」のメッセージを正しく聞き分けた人々は、「脱ローマ」「脱エルサレム」を図って、東へ東へと逃れていたのです。
「徐福」の「秦脱出」は、このローマ帝国からの脱出運動の序奏だったと思われるのです。中国では、ローマのことを「大秦」といいましたので、「秦」と「大秦」との間には、水面下の連携があったことが伺われます。
徐福が「不死山」を目指したといいますが、モーセも「エジプト脱出」のとき「シナイ山(死無い山)」を目指しましたから、徐福の「秦脱出」は「第二のモーセ」としての事業の一環をだったと考えられ、「聖書」の、東方からの博士たちが、イエスの誕生を祝して尋ねてきたという記事はこうした連携の一端だったことが導かれます。
わたくしは徐氏の鏡を所有していました(盗まれました)が、「二匹の魚」の図柄でした。ローマを脱出したキリスト今日の印は「二匹の魚」です。それは、出エジプトの星座神話、ビーナスとキューピットがティフォンの暴虐を逃れて二匹の魚になって東方へ逃げたことをシンボル化したものだと考えられます。



「これ(ヨハネの黙示録)を聞いて、記されていることを守る者は幸いである。もはや時がないからである。」
偽メシアの配下として、あだ花のような栄華の美酒に酔い痴れている人々は、「ヨハネの黙示録」などの真意を真剣に検討したりはしません。
「聖書の預言」を切実な思いで読み、真意を真剣に受け止めようとしている人々に対して「ヨハネの黙示録」が、送られたであろうことは、アジア州にあった「七つの教会」に限定してこれが送られたことからわかります。
これは、とても重要なサイレントサインのようにみえます。

既にイエスの宣教を聞き分けて、当時の中東における「エルサレム問題」「ミレニアム問題」の展開に疑問を抱いていた人々は、すでに、「ローマ」や「エルサレム」を脱出していました。
そうした真摯な人々に対して、ヨハネの黙示録は巻物のかたちで手渡されたことが記されているのです。
まだ、脱出していない人々も、伝聞で真意を悟った人は、この七つの教会方面に向けて脱出したことでしょう。
そして、この奥義が伝えられてから、ほどなく、AD70年にエルサレム神殿の廃絶と、王国の消滅がおこり、そして、次に、AD79年8月24日、イタリアのヴェスヴィオス火山が大爆発してポンペイやヘルクラネウムといった軍産複合体の楽園が壊滅したことにより、偽メシア・アウグストゥス一族の「千年王国」は、消滅の道をたどりはじめます。

聖書の辞典などでは、ヨハネの黙示録はAD100年以降、エルサレムが廃絶されてから書かれたものだという主張がなされていますが、それは、預言の威力を貶める偽預言者側の見解です。
今、こうして、ことが実現化する前になにもかも書かれていることを悟られるでしょう。
DNAというもののパワーを理解している方々は、この預言の威力が理解できるでしょう。


そして、2000年前のこの一連のできごとは、現代の「アットラスト」時代の雛形であると言うことを知る必要があります。
黙示録などの預言を悪用したり、救世主を抹殺した場合、どうなるかという見本なのです。
このことは、このヨハネの黙示録で明かされますが、キーワードが「アウグスタ」「8月」であるということを覚えていてください。


アジア州にある七つの教会へ
1、この宛先は大変重要な問題を含んでいます。
この章句は、パウロが重点的に布教しようとしていた地域の教会に「大切な預言を与えない」という形で、「パウロが偽預言者である」ことを暗黙のうちに教えていたのです。
「ヨハネの黙示録」は、その冒頭で、偽預言者の毒牙を免れる確実な措置を講じていたことの証となっているのです。

パウロは、「アダムとイヴが犯した罪により、全人類は生まれながらに原罪を持っている」と定義づけて、「神から生まれたイエスが唯一の無原罪の人であり」、「神の子イエスが、神への贖罪の犠牲の羊となって、全人類の罪を贖って下さったがゆえに、イエスを信じると告白する者は永遠の命を得る」という教義を構築しました。
それは、人類全体を罪人であると定義して、「パウロの教義を肯定するか。それとも否定するか」の二者択一にもっていき、両者を一手に采配するための虚構でした。

アダムとイヴとは、二人合わせて一体の地球であること
が今や明らかになったのですから、聖書が約束している「永遠の命」とは、地球のことを指していることがわかりましたから、パウロの理論の特徴である「個人の永遠の命」が、預言の主題であるという教義は、もはや成り立ちません。 

パウロの教義は、「偽善の律法学者とパリサイ人たちを名指しして糾弾した」イエスの言葉、「あなたたち、蛇まむしの末どもは、ゲヘナ(戦争地獄)の刑罰をどうして逃れ得よう。・・・義人アベルからこのかた、宮と祭壇の間で殺されたバラキヤの子ザカリヤにいたるまで、地上の全ての正しい者たちの流した血の報復があなたがたの上にきます」というイエスの預言を無に帰すものです。 マタイ福音書23章


「邪悪な者たちが、偽善を教えたり、正しい者たちを殺したり、迫害したりすることに対して、神がその報復の裁きをする」という預言と、「イエスを信じると自己申告すれば、すべて赦されて、死後の永遠の命が保障される」という教義との、このギャップはどこから来ているのでしょう。

パウロはイエスの弟子ではないという一事が鍵です。
自称使徒、偽使徒、偽牧者などを、イエスの言葉で表現しますと、「羊の群れの中に、門を乗り越えて進入する者は強盗で人殺し」(ヨハネ福音書10章)だということです。

「イエスを犠牲の羊として崇める」ことに関しても、「わたしは憐れみは好むが、いけにえ(犠牲)はこのまないということ(預言の)の真相を知っていたら、あなたがたは、罪のないものたちを罪に定めはしなかったことでしょう」(マタイ12章)というイエスの言葉を見れば、「イエスを過ぎ越しのいけにえの羊とした」者たちを、神が喜ばれるはずがないことがわかるでしょう。むしろ、その報いがきて、エルサレムは廃絶されました。

当時、エルサレムで、キリストを犠牲にして、これで一件落着と、過ぎ越しの祭りを楽しんでいた人々や、エルサレムを気に入って居残っていた住民には悲惨な最後が待っていたと歴史は物語っています。エルサレムに残っていた住民たちは、ソドムとゴモラの住民と同じような目に会ったのでした。


イエスは罪なき預言者であったために、パウロは、これを無視することはできませんので、歴史から葬り去ることをせず、むしろ、彼らはイエスの預言を横取りして、悪用できるところを抽出して利用しつくすという手段にでました。「十字架のキリスト」という偶像を創作して、自らの野望に不必要な部分を「削除」して、これを全世界に広めました。

パリサイ派のパウロは、このイエスを最大限利用する機構を完成しましたが、彼に同意した、パリサイ派たちの拠点のエルサレムなどは、イエスの予言したゲヘナの刑罰(戦争)によって崩壊したという史実を見るべきです。

パウロは、「善悪の知識の木」の実(じつ)を取りさって、人々に食べさせましたが、「実を取って食べても、あなたがたは決して死なない」とそそのかして、エホバ神の掟を破らせたのですから、「蛇=サタン」であると、創世記3章に書いてある蛇の特徴を備えています。
聖書は実に用意周到な書物です。

しかも、その「蛇、まむし」とは、パリサイ人たちと律法学者たち(神学者たちと立法府の議員)であることが、マタイ福音書23章に詳しく出ています。

日本語では、「実」は、果実や種をいうとともに真実や結果をも表します。
善悪の知識の木から、パウロは実、即ち、真実を取って(取り去って)、猿蟹合戦の猿が蟹に投げつけたような、未熟で、有害な実を人類に食べさせるべく投げつけたのです。
日本語でなければ、これらの言葉の精緻さはよく伝わらないのではないかと思います。


1500ページほどの旧約聖書を取り去ったキリスト教会は、残りの500ページほどの新約聖書、その中でも、自称使徒のパウロの織り成した蜘蛛の糸で織り上げた着物を着て行進してきましたから、次のミレニアム期には、「十字軍戦争」という結果を実らせました。
そして、今ミレニアム期には、旧約聖書抜きのキリスト教徒と、新約聖書抜きのユダヤ教徒が同盟して、「千年王国争奪戦略」を遂行しました。
そして、「神の預言である黙示録を利用した祭壇」において、おびただしい「正しい人の血」を流しました。



日本の宗教界も、「満州にユダヤ人のナショナルホームを」とか、「最終戦争」、「日本の使命」とか、ヨハネの黙示録に便乗した蜘蛛の糸を紡いで織った着物で飾って進軍させることに協力した結果、「特攻隊」、「出陣学徒」や「一般市民」などの罪のない数百万人を、「国家神道」の祭壇の犠牲にしました。
しかも、今に至るまで、まったく、反省がなく、その道を改めてもいません。
こうした、裸の王様たちに、「裸だ!」と真実を言わなければならない時がきたのです。




「アジアの七つの教会へ」のもうひとつの意味
「ヨハネの黙示録」が「アジアの七つの教会へ」と、宛て先を限定したことに、その地域がすべて旧トロイアの重要な故地であるという用意周到なメッセージとなっています。

聖書の書き手、預言者たちは、トロイア=トロアス=アトラス人たちなのです。
しかし、それは、歴史を誇るために明かされるのではなく、歴史の真相を教示し、国民の驕りと無知が滅びの原因となることを教訓とするためであることを認識する必要があります。


「ヨハネの黙示録」はアシアの「七つの教会」にあてて送られたのです
が、そこに書かれている七つの地域にあった神殿は、すべて、元々「ヤコブの12人の息子たち」、と呼ばれていて、後に「オリュンポスの12神」に変形した神々のうちの七つの古代の宮々が存在したところです。
これは日本では七福神として伝わっているものの原型で、一週間の7日間に配されています。
これら12神の名も、今日で云うところの「ヨハネ教会」や「ペテロ教会」のような「宮の名」から変形したものであることが、次の言葉でわかります。



「七つの星は七つの宮の御使い 七つの燭台は七つの宮」

惑星


この「黙示録の真実」では、「聖書」について、「ヨハネの黙示録」について、世のこれまでの常識とは180度異なる、コペルニクス的転回を見せますが、ヨハネの黙示録は「アポカリュプシス」、即ち「覆いを取ること」なのですから、意外な面が現れるのが当然といえます。


「七つの星」という言葉は、創世記1章の「天地創造の7日間」とリンクさせるために使われています。
「聖書」は、内容のスケールの巨大さと天の摂理とを表現するために、天地人の順序で書かれていますが、ヨハネの黙示録も同じ順序です。

「七つの星」は、天地創造の7日間が時間を表すと同時に、スペース=空間=太陽系とギリシャ神話の七神(七宮)を示唆しています。
ヘリオス、アルテミス(ダイアナ)、ヘルメス、ヴィーナス(アフロディテ)、アレス(マルス)、ゼウス(ジュピター)、クロノス(サトゥルヌス)という曜日名はオリュンポスの12神からきているのですが、これら12神になぞらえられているのは、実は、ヤコブの12人の息子たちのことです。

「ヨハネの黙示録」と「創世記」を「ギリシャ神話」と重ねて解かせるために、「7つの星」、「7つの宮」「御使い」というヒントを備えているのです。
聖書は観念論あるいは利用目的で理解すべきではなく、惑星というスペースでの歴史と現実を直視することを要請していると考えられます。

「教会」と訳されている語を、「宮」としたのは、宮は球に通じ、子宮に通ずる言葉だからです。
日本では宮へ通じる道を参道といいますが、これも産道を踏まえた言葉で、宮に於いて「神の子」が誕生するからです。

人間は宇宙の子、地球の子、子宮の子、小さな卵細胞という球の子、さらにもっと小さな目に見えないほどの球体から発生するのですが、そこには、既に、神の言葉DNAが書き込まれてカプセルにはいっています。
こうした神秘の一つを見るだけでも、女をいやしむ根拠として創世記のイヴを引き合いに出したり、アダムとイヴをエログロの元祖のように扱うことの愚を悟るでしょう。

人間同士が平和に暮らすには、まず、こうした身近なことに対する歪んだ思想から直さなければ、いくら「神よ、神よ」と祈っても、世の中はよくなりません。


ニュートンのヨハネの黙示録検証
イギリスのアイザック・ニュートン(1642~1727年)は、ヨハネの黙示録を検証して、「聖書の預言を理解するためには、まず、預言者の言語に習熟しなければならないと言い、預言の解明は長い間失われていた真理の発見をもたらし、正義がそこに住まう王国が打ち立てられるという目的に沿い、また、証明される預言は古い諸預言を開示し、それら全体は真の宗教を知らしめ、確立するであろう」と言っています。
法王や神学者よりも、科学者のニュートンの方が正鵠を射た発言をしています。

預言者は、きわめて有機的な言語、ありとあらゆる生き物の特性や習性を取り込んだ生き生きした言葉で語っています。それは「日本語」の大きな特徴でした。。
日本の「古今伝授」という歌学の資料をみますと、一首の歌に、過去現在未来を収め、かつ表裏を表し、6次元を一次に盛り込めたのが柿本人麻呂たち、歌聖、歌仙といわれる人々であると書かれていますが、「聖書」の預言者たちもこれと同じ技術を駆使していることがわかります。

また、掛詞とことわざが多くとりいれています。
イエスは、「みな喩え(と風刺)で語られた」と、聖書にしるされていますが、一例をあげれば、「パンと魚の奇跡」のパンが「教え」を意味していたと記しているマタイ福音書16章がありながら、これを「奇跡」としてあつかっているという過誤を見落としてはなりません。

人類が経験したことのない「パン5個が5千人分の食事となった食料のパン」と勘違いして手品のような魔術的奇跡を期待するというのは、人間の底知れぬ欲深さあらわれです。ですから、「永遠に地上で生きる」などと信じ込んだり、「埋葬した骨から現実の人間が甦って、しかも若返る」などという、不気味かつ、人間を機械同様の軽々しい存在に貶めることを考えるようになるのです。






ヨハネの黙示録 2章と3章

ヨハネの黙示録のガイド
「ヨハネの黙示録」の、七つの教会(宮)あてのメッセージには、ヨハネの黙示録の要旨がみな列記してあります。
神の国とその民がなすべきこと、改めるべきこと、その結果得られる栄光がもれなく示され、
預言の宣命を無視した場合のリスクも書かれています。

2章、エフェソ、スミルナ、ベルガモ、テアテラの4宮(教会)に、
3章は、サルディス、フィラデルフィア、ラオデキアの3宮(教会)あてのメッセージです。
この七つの宮の所在地に注目してください。今のトルコ、そして、太古のトロイアの故地であり、アジア大陸の西の端です。アジア大陸の東端にある日本とのアルファオメガの関係がここで、まず、語られているのです。

そして、この「7つの宮の御使い宛のメッセージ」には、黙示録4章から終章までの要旨のほかに、ヨハネの黙示録や新旧約聖書へのリンクを要請するキーワードも含まれています。
なお( )内は、参照すべき箇所を示したものです。


ヨハネの黙示録2章

エフェソへ

命の木の実の解禁   (黙示録22章  創世記2章)
 
条件 
自ら使徒と称しているが実は偽っている者たちの虚偽を見抜くこと。 
ニコライ派の者たちの行為を憎んでいること。
悔い改めて、神への初めの愛に立ち返ること。  (マタイ福音書5、6章)
悔い改めなければ燭台を取り除く。(黙示録11章 マタイ福音書25章)  

「命の木の実」と「自ら使徒と称する者たち」が、一つの項目の内で語られるのは、「パウロ」の姦計を見抜かなければ始まらないことを指摘しているのです。
パウロの教義を用いて伝道しているものは、悔い改めなければなりませんし、偽預言の伝道者すべてにこの「使途と称しているもの」という言葉が適用されます。
ましてや、自分はキリストあるいはメシアであると公言している教祖たちの罪はより深いと言えます。
一般のキリスト教徒のことを指して非難しているのではないことがおわかりでしょう。

ニコライ派については、この名を聖なるものとしている宗派(東京 駿河台にもある)に注意しなければなりません。ニコライ派の無責任さは、世界に「共産主義国」という神なき国々を創るという結果を生み出してしまいました。

こうしたことの分析と反省を怠ったままでは、守護神恵穂葉への愛に立ち返ったとはいえず、黄泉の暗闇から抜け出すことができなくなってしまいます。


  
スミルナへ

命の冠を授ける。   (黙示録12、13章)
第2の死を免れる。  (黙示録4、11、20、21章  創世記3章)
 
条件 
ユダヤ人と自称する者たちからの非難と苦難を恐れてはいけない。

生殺与奪の権を振るっているのは、神に代わって人々を支配している「蛇」です。
「第二の死」とは、第三次世界大戦で、わが日本が、もう一度大災厄に見舞われて、「二度目の主権喪失」で死ぬことです。しかし、これを免れることが予言されています。
その、第一の死(第二次世界大戦後、国家主権を失うこと)の原因、経過については、ヨハネの黙示録10、11章に詳しく預言されていますので、後に説明します。

日本の第二の死が予定されているその「壊滅」は、2012年に始まる天変地異だとうわさされていますが、それは実際は戦争の災厄のことであり、その戦争に、「ユダヤ人と自称する者たち」が大きくかかわっていることをここで警告しています。
ここでも、一般のユダヤ人をさしているわけではなく、宗教関係者と、政財界の人々のことですので誤解のないようにお願いします。

日本は守護神恵穂葉神をあくまでも信じて、彼らからのパッシングやおどしや陥穽や苦難に耐え抜き、この前のような、戦争仕掛け人という馬鹿な役目を引き受けないように耐え抜く気構えが必要です。でないと「神国」というタイトルもエデンの園も消えてしまいます。
しかし、もう、二度とこの「栄冠」を手放さないはずです。それは、預言が保証しているからです。



ベルガモへ

隠されていたマナと白い小石を与える。  (黙示録15章)
小石には新しい名が記されている。

条件 
偶像に捧げた肉(戦死者による利益)を食べさせ、偶像と淫行させるのを改める。
ニコライ派の教えを奉じることを改める。
悔い改めなければ、口の剣で戦う。 (黙示録9、12、13、19章)


「偶像と淫行させた」のは、国民すべてを戦争に引きずり込んだ伊勢神宮を始めとする日本の宗教界です。伊勢神宮は、もともと恵穂葉神の神宝を守るために置かれた宮で、それは、神の約束の民すべてのために備えられたものでした。それを、いつの間にか、天皇家の祖先をお祀りしていると公言して、偶像=現人神=軍神に仕え、国民にこの偶像崇拝をさせました。伊勢神宮などは、この戦争の責任があるのですが、何の反省もなきままに神道界の頂点に君臨しています。これにたいして何らかの誠意ある反省が求められているのです。
ニコライ派については、さきに書きました。旧ソ連同様の洗脳をさせた人々のことです

「隠されたマナと白い小石」とは、神名、すなわち、神の真の名の刻まれた「石」です。
この「石」は、「虚像」という「巨像」ゴリアテを打ち砕くダビデの石となる筈のものです。
それは、世界の正義の勇者を気取っているが、実は王族や巨大投資家のためのゴリアテにすぎない者なのに、この偶像にまるで夫ででもあるかのように仕えて言いなりになっています。

しかし、たったの一石でその巨像=虚像が倒れる様は、ダニエル書2章に詳しく書いてあります。イザヤ書10章にはそのゴリアテ(アッシリア)の代表者の名前(やぶ=ブッシュ)であることまでが予言されており、そのゴリアテの栄光が、まるで911の貿易センタービルそっくりに木っ端微塵となることが予言されています。

この「隠されたマナと小石」は、伊勢神宮にあったのかも知れませんが、ここの御霊代=神鏡は、あるとき盗まれた(神鏡がお逃げになった)経緯が記録されていますので、このとき、戻ったとされているものが本物かどうかわかりません。
「古事記」「日本書紀」の神宝にまつわる記述から判断して、どうも、最初から隠されていたようにも思えます。
国民すべてが判断力や勇気を喪失している時代、困りきってなすすべがないときに、この「隠されたマナと小石」が与えられるのですから、これが日本に存在していても、わが国の神宮や神社から、或は個人からの開示は期待できません。
こんな事情から鑑みて、「隠されていたマナと白い小石」とは「ファイストス円盤」であろうと私が推測します。その根拠は、イザヤ書59章の次の章句です。


イザヤ書59章 抜粋

主は、(神の国に)義のないことに心を痛められ、
人のいないことに、(民のために)とりなす者のいないことに驚かれた。・・・
そこで、西の方から主の御名が、日の昇る方では主の栄光が畏まれる。 
主(守護神)は激流のように来られ、主の息吹が吹きまくる。
しかしシオンには購い主として来られる。
 

このイザヤ書の「西のほうから神の御名が出て」は、1908年に地中海のクレタ島のヘファイストス鍛冶神の宮殿址から発掘され、1987年のファイストス円盤の解読によって成就しました。
クレタ島出土の紀元前1600年頃のファイストス円盤には神の新しい御名、「恵穂葉」が刻まれています。
これは、日本語の文書であり、「聖書」の創世記48,49章、申命記31、33章と切っても切れない連携をしています。さらに、そこには、「新しい名」彦穂々手見が刻印されてあり、それはヨセフの息子エフライムなのですから、ヨセフ一族の出自と消息がこれによってわかるのです。
しかも、「エフライムが大きくなり、国々を満たす。・・・神があなたをエフライムやマナセのようになさるように。創世記48章」という聖書の謎の言葉と世界史の未知の部分がこをからあきらかになるのです。
と言いますのも、エフライム、すなわち、彦穂々手見命とは、580年間も続いた王朝のことであり、その王朝の途中からは、ウガヤフキアエズ王朝、即ち、アトランティス王朝でもあったからです。
「日の登る方から神の栄光が畏まれる」のは、これからです。
このことを証明する証拠物件として機能するファイストス円盤は、世界史に関して、超ど級の「資料」だと云えるのです。
これが、ゴリアテどもを一撃の下に倒すのですから、「剣」であり、らせん状に文章が刻印してある円形の石状を呈したものですから、勾玉でもあります。
学者たちが教科書に載せていた、わが国の神宝、「銅剣や宝石の勾玉」が、これに変わり得るでしょうか。


「主(恵穂葉)はシオンには、あがないぬしとして臨み」、というフレーズから、これが「シオニズム問題」であることが示されています。つまり、「ヨハネの黙示録の新しいエルサレムとは、中東のそれか、日本か」という審判において、「日本」を「白」と決するのに決定的な証拠物件となるのが、この「西からでた恵穂葉の御名」です。

すると、実際のファイストス円盤は赤茶色ですが、この円盤が黒白を決する審判において、白となる決め手となるので、「白い小石」と形容できます。
なお、この円盤の刻印に使用したおはじき状の印璽がダイヤモンドあるいは、白い宝石である可能性があり、それが、さる場所(東京以北)に厳重に錦の袋の上から五色の絹糸で幾重にも幾重にも封印され保管されている品ではないかと思っています。これを「国難回避」のために「紐解いて下さい」とお願いにあがったことがあるのですが、願いの趣旨を御理解いただくことはできませんでした。
帰りの新幹線の中で、思わず涙をこぼしていますと、ふと、「ヨナのしるしの外には出ません」という言葉と、「与那国島に行かなくては」という思いが脳裏に浮かんできたのです。
それで、この「浦島太郎から辿る」というブログを、与那国島の「立神岩」という「しるし」「道標」から書き起こしているのです。




2001年の911事件
21世紀になった時、戦乱に明け暮れた20世紀が去り、「21世紀こそは平和な時代となるように」と願ったのは、私だけではないでしょう。にもかかわらず、2001年早々に起きた、ニューヨークの摩天楼崩壊と引き続き起こったアメリカの進撃は、私たちの平和への期待を無残にうち砕いてしまいました。


この、貿易センタービル2棟の崩壊ぶりをテレビでみて、「飛行機の誘導装置」と「ビルの爆破解体準備」がともに完璧に準備されていなければ不可能だと瞬時に気付いた方々は多かったはずです。でも、こうした思いを口にする人があまりいないのは何故でしょうか。
わたくしは、直ちに知人にこのことを電話で連絡しますと、翌12日に、東京駅で合って、この件に関して語り合うことになりました。
そこで二人が出した結論は、「ワンワールド世界新秩序」を標榜する国際戦略家たちが、一歩歩を進めたということで、「いつでも、どこでも、どんな戦争でも彼らが望むままに仕掛けることができる体制が整ったということを世界に誇示したものだ。」ということでした。
2000年ほど昔に、ネロ皇帝が試みて失敗した手口と同じです。

こうして、発進した「米英を主としたキリスト教徒、ユダヤ教徒、そして、イスラム教徒の間の利害関係が複雑に絡んだ21世紀型の戦争」は、終結することが至難であり、「終わりのない三つ巴の劫火へ」と広がる特異な性質のものです。

ブッシュ大統領、レーガン元大統領がしきりに口にした「世界新秩序」「ワンワールド」とは、一体何を意味しているのでしょうか。それは、「ミレニアム問題」であり、「千年王国」主権の争奪戦であることにほかなりません。すると、千年王国の都は一体何処なのでしょう。
この問題に対しては、「エルサレム」「アメリカあるいは国連」「ヨーロッパ」「バチカン」「ロシア」等々、考え得る場所はすべて対策が講じてあると考えられます。
しかし、彼らのこの計画が成功する可能性はあるのでしょうか。
ヨハネの黙示録は否定しています。



今の日本国民は、世代的に見て、戦争の被害者であって、決して戦争を仕掛けたわけではないのですが、いまなお、あらゆる非難や悪口雑言にも、「汝の右頬を北朝鮮のミサイルに打たれても、左の頬を差し出して」耐え忍んでいるのですが、こうした国民にたいして、政府は何の手だても持ちません。
同じように、罪も咎もないのに、国際戦略家の方針のもとに犠牲を強いられていても、抗議するすべを持たないで死んでゆくパレスティナ、アフガニスタン、そして、イラクなどの一般人民が溢れています。・・・世界には、こうした「口のきけない」人々の苦悩が満ちていますが、911事件をもって、世界中の人が「口のきけない」状態に陥っているのだということが判明しました。
口がきけないことは、人間性を喪失したということです。

たとえ「口がきけなくても」、大戦後の六十余年間の日本国民の「平和への希求」は予見されていて、日本が真の神の国に生まれ変わって、「新しい聖なる都エルサレム」、「キリストの花嫁国」という新しいタイトルを授かって、日本が使命感を持って、「中東の和平の仲介役」を果たして、この劫火をくい止めるべきであるという使命が仕組まれているのです。



テアテラへ

諸国民の上に立つ権威を与える。
その者は鉄の杖を以って土の器(偶像)を打ち砕く (黙示録19章 ダニエル書2章  
イザヤ書10章)

明けの明星を与える。    (黙示録22章)             
 
条件 
イザベルという女とともに淫行するのをやめ、行いを悔い改めること。
この女は、自らを預言者と称して、神の僕たちを教え惑わせ、淫行をさせ、
偶像に捧げたものを食べさせている。 
  
悔い改めよ。    (黙示録9、14章)
悔い改めないなら、この女を床に伏せさせ、
この女と共に淫行をする者を大いなる艱難に投げ入れ、
この女の子供たちを打ち殺すことになる。(黙示録12、17,18、19章)


イザベルとは、「イザ、バール(さあ 軍神)」という名です。紀元前869~850年ころのイスラエル王アハブの王妃で、バール教を国教にしたことと預言者たちを殺したことで「聖書」の預言者から忌み嫌われています。
前の項目で、書いたことを、ここで、もう一度念を押しています。
ここでは、「虚像=巨像=野獣とそれに乗って野獣を使っている、女バビロン」と瓜二つの仲間として描かれていて、これにひれ伏して崇敬させている者たちへの厳しい糾弾がなされています。これについては、ヨハネの黙示録12、17,18,19章で具体的に預言してある「女バビロン」のところで説明します。バビロン近くにあって、穢れきったゆえに廃絶された「穢れ地」を「聖地」と偽って巡礼させている宗教のことであり、これを崇拝して手をつないでいるものたちのことです。


「明けの明星」とは、ヴィーナスのことで、イヴ=伊邪那美の別名なのです。「女バビロン」を女主人として崇めさせられ、その奴隷となり、すっかり醜くなってきた日本列島が本来のビーナス、愛の女神としてよみがえるのです。


ヨハネの黙示録3章 
サルディスへ  

白い衣を与え、彼らの名を命の書から消さない。(黙示録7、20、21章)  
父神の前で、彼らの名を公に言い表す。
  
条件
目を覚ませ。死に掛けている残りの者たちを強めよ。
どのように受け、また聞いたか、思い起こして守りぬき、悔い改めよ。
目を覚まさないなら、何時がその時かを悟れない。(マタイ書24,25章)

「白い衣」とは、潔白を証明することです。これは、そのまま、「日本=乙女シオン」の花嫁衣裳となり、この姿が世界に披露されるのです。
第一次世界大戦、第二次世界大戦が、「千年王国」簒奪のための姦計であり、「シオニスト運動」がこれに一枚咬んで、日本が陥れられたことが、ヨハネの黙示録の預言で証明できますので、もう、これに関しては殆んどの国民が潔白なのです。
また、第二次世界大戦後65年たっているのですから、一億百万余人の日本人民は、現今の戦争犯罪について潔白です。
「思い起こして守りぬく」べきことは、「守護神恵穂葉神への回帰」と「戦争放棄」の憲法と精神です。




フィラデルフィアへ

ダビデの鍵を持つ者が門を開けておく。  (黙示録21章)
サタンの集いに属し、ユダヤ人であると自称する者たちが、あなたの足元に来てひれ伏すようにする。
全世界に臨もうとしている試練のときに、あなたを守り、神殿の柱にする。
その者に、神の名と神の都、新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記す。(黙示録21章)


ダビデの鍵をもって開けられた「門」とは、日本のことです。
日本全体が神のエデンの園として世界に公表され、神の御名「恵穂葉」と神の都、新しいエルサレムの名「日本」が、「全世界に臨もうとしている試練のときに」発表されるのです。
これによって、「あなたを守り、神殿の柱にする。」というこの預言が成就されるのです。



ラオデキヤへ

自分(イエス)の座にともに座らせよう。  (黙示録22章)
 
条件
富んでいる、満ち足りている、欠けているところはないと言っている。
かし、実は、惨めで哀れむべき者で、貧しく盲目で裸である。
錬された金(命の言葉)と白い衣を買いなさい。     (黙示録22章)
さらに、目薬をわたしから買うがよい。悔い改めよ。
わたしの声を聞いて戸を開けよ。

「自分(イエス)の座にともに座らせよう。」とは、大団円の結婚披露宴の場面で、花婿イエスの隣席に花嫁日本が座る」ことを云ったものです。
それは、イエスが、実は日本人であったことが、この披露宴で世界に披露されるのです。
しかし、肝心の日本国民が、聖書を読まず、ギリシャ神話も「古事記」「日本書紀」も読まないのですから、言葉という葉を失った枯れ木同然なのです。
「聖書」では、「イチジクの木」は、平和と安穏の象徴ですが、葉のない裸のイチジクの木は用をなしません。また、「聖書」の園には、葉の茂りすぎた雑木が混ざっていますし、パリサイ人の植えた毒麦も入り混じっています。
イエスは、その中から「5つのパン」と「二匹の魚」を、がリラヤ湖畔に集まった群衆5000人に食べさせられましたが、その食べ残しが屑篭に12杯分もあったとマタイ福音書14章に記されており、それらは、教えのことであり、「パリサイ人のパン種(毒麦でもある)に気をつけるように(マタイ福音書16章)」と忠告されました。
これを言い換えれば、「聖書全体は、精錬される前の金鉱石であり、イエスの教えは精錬された金である」と言うことです。  
イエスの教えであると称する「新約聖書」も、「精錬されていない鉱石」です。中には、パリサイ人のパン種などが混入しています。ですから、日本で「バイブル」を聖書と訳しているのは不適切かもしれません。

この「精錬された金を買いなさい」という言葉は、パウロの教えを金科玉条としている西洋キリスト教と対比しなさいと指摘していることでもあるのです。
西洋キリスト教の教義は、カトリック、プロテスタントの教派を問わず、すべて、次の教条を信じなければなりません。

・ 新約聖書の正典すべてを受容すること。
・ 使徒的信条を告白していること。
・ 「教会のほかに救いなし」を信じ、教会制度という形態、そして組織を肯定すること。

この3項目が柱です。上の条項はパウロが強調し教義としている事柄です。
新約聖書全体を神聖とする目的が、パウロの文書を擁護するためであることが、これでわかります。。
このような、金にあらざるものを金というのは、目が見えない証拠ですから「目薬を買いなさい」と忠告されるのです。

 

私のこのブログの記事は、さしずめ「那智黒石の試金石」であると申せますので、これにこすり付けて「金の純度を確かめながら」聖書や「古事記」「日本書紀」をお読みになるよう進言します。
今、この「日本の至宝」の存在と、「日本の栄光」が世界にまさに出ようとしているこの瞬間に、「言葉=神」を身につけていない裸の恥を見られないように、大急ぎで「精錬された金と白い衣を買いなさい。」、一刻も早く目からうろこを落としてくださいとお願い申し上げます。





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