100 決着がつかない邪馬台国論争権威主義の弊害 21910年(明治43年)という年は、
邪馬台国と卑弥呼の研究史の上において画期的な年でした。
この年、「
邪馬台国」に関する三者三様の説が相次いで発表されたのでした。
東京帝国大学の白鳥倉吉が「倭女王卑弥呼考」を発表し、「
邪馬台国九州説」を主張したのに対し、
京都帝国大学の内藤虎次郎は「卑弥呼考」を発表し、
邪馬台国畿内説を主張しました。
木村鷹太郎の「東西両大学及び修史局の考証を駁(はく)す」 -倭女王卑弥呼地理について- という論文が読売新聞に掲載されました。これが「
邪馬台国エジプト説」という第三の説です。
しかし、第三の説木村鷹太郎の「邪馬台国エジプト説」をすっぽりと抜いて、学会はもとよりジャーナリズム挙げての一大論争が繰り広げられることになったのです。「東京帝国大学の白鳥倉吉の邪馬台国九州説」対「京都帝国大学の内藤虎次郎の邪馬台国畿内説」の大論争として。
この両者の論争こそ、今日に到るまで何ら決着のつかない邪馬台国の所在をめぐる加熱した論議の直接的な発端となったのです。
この両者は、「
魏志倭人伝」という原典が不備であると断定し、ゆえに「木村鷹太郎の説の検証の要なし」として、木村鷹太郎の説を黙殺しながらも、自説を広めることには余念がなかったのでした。
「
邪馬台国論争」において、この東大と京大の二大権威者たちは、「自分の学説と異なるところはすべて、原資料のほうの間違いである」と断定しているのです。
権威者たちは、木村鷹太郎を葬りさるにあたって、さらに、木村鷹太郎をキチガイであると次のように論じました。
「木村君は発狂せるがごとし。新研究はたして儲かるか、儲からざるべし。
若し儲かるが故なりとせば、あるいは利益のために異論を立つることも之あらん。
木村君が儲からざる仕事をなし、異論を立つるを見るときは、以って発狂を判知するに足る。」
それは、100年間、木村鷹太郎を葬り去ったにとどまらず、日本民俗の偉大な古代史を葬り去ってしまう愚挙でした。
彼らは、自己の低レベル学説を擁護するために、国民のレベルを貶めることにまんまと成功して、100年間の愚民化政策に貢献した顕著なた例として、東京帝国大学の白鳥倉吉と京都帝国大学の内藤虎次郎の両名の事績は後世に語り継がれることになるでしょう。
こんなインチキを誰も見抜けないようでは、日本の将来はお先真っ暗です。
原子力発電所という「トロイの馬」が日本中に置かれているのも、「原子力はクリーンなエネルギーです」と宣伝してはばからなかった権威者たちや政治家の詐欺行為のせいなのですから。
東大と京大をはじめとする権威者たちの中には、国民を欺きとおしている者たちがいるわけです。
こんな単純なことで騙され続けてきたわたしたちは、一億総白痴と言われても仕方がありません。
日本のこの百年間の教育とは「騙されやすい人にする」ことに主眼をおいて敷設されているのです。
政府の面々の判断力のなさ、指導力のなさなどを批判できないようにするためです。
今からでもおそくはありません。
日本国民愚民化の限りを尽くす詐欺師どもの計略を出し抜くために世界中に張り巡らせてある古典「網」、それこそが、世界を切り開いてきたわが先祖たちの残してきた、驚異的な「知的遺産」なのです。
せっかく受けてきた学歴を無駄にしないで有効につかって、わが先祖たちの声に耳を傾けて、その真意を汲もうではありませんか。
日本はいやでも、その先祖たちの偉大なメッセージにすがらなければならなくなる時がきます。
木村鷹太郎氏の「帝国大学の史学界批判」の一端を挙げてみます。
「日本太古史」下巻 1912年(明治45年)博文館 発行 序文より抜粋
現時の史学界は全然高等批評を欠損す。
ゆえに只信仰(思い込み)と牽強付会とがあるのみにして、
分析、批判、懐疑等を為すことなく、また、
哲学力を有せざるが故に、知識の大綜合を為すことあたわず、
その為すところ悉く児戯に類す。
帝国大学の斯学界のごときは殊に然り。
帝国大学は学問知識の淵叢なりと自称せりといえども、
その実、これに反して何ら深玄なるものあるなく、
頭脳不良なる史学家、言語学者やからが、
いたずらに教授博士等の美名を盗みて、
その無知無学に鑛金(めっき)し、以って俗人を欺けるのみ。
ああ、これ学問知識の淵叢か、沼沢か。
然り、これ沼沢なり。彼らはそれに住せる魑魅魍魎なり。これは、100年以上昔に書かれたことですが、「
邪馬台国論争」と史学界は、今なおドロドロの沼沢から一歩も抜け出せずにさまよい続けています。まことに魑魅魍魎の世界です。
安本美典氏は、巷では、「邪馬台国研究」の権威者であるようです。
「卑弥呼と邪馬台国」という安本美典氏の著書は、「コンピュータによって幻の王国と伝説の時代を解明した。」のだそうで、「文献研究の第一人者(安本美典氏のこと)が、理科系的な発想に基づいて史料を見直し、卑弥呼と邪馬台国の謎を解き明かした。」と広告しています。
この「文献研究の第一人者」にして「理科系的な発想によって邪馬台国の謎を解き明かした」という安本美典氏の「木村鷹太郎批判」が振るっていますので紹介します。
「邪馬台国」について、極端な地域を主張する説がある。
木村鷹太郎の邪馬台国エジプト説
バイロンの評伝やプラトーンの翻訳で知られる木村鷹太郎氏が唱えた説である。
卑弥呼は、九州の一女酋ではなく、エジプトの女王だとする。
専門の分野ではそれなりの実績を残した学者だが、
邪馬台国問題については言っていることがめちゃくちゃである。
なぜ、長年にわたる議論に決着が付かないのか、また、
このような極端でとっぴな説がなぜまかり通るのか。 これは、邪馬台国問題解決へのアプローチに問題があり、
それぞれの説の正否を判断するときの、
方法論や判断の基準が曖昧なことが大きな原因である。
「邪馬台国の議論は、上述の極端な説のような思いこみや独りよがりではなく、
客観的な情報によって仮説を検証していくこのような立場から議論を行なうことによって、
はじめて実りある結論が得られる」。
「邪馬台国は客観的に存在したと考える実在論の立場がまず必要である。
その上でさまざまな情報から、実際に存在した邪馬台国がどのようなものか
再構成していくことになる。」
これには、失笑するしかありません。
「邪馬台国問題解決へのアプローチに問題があり、それぞれの説の正否を判断するときの、方法論や判断の基準が曖昧なことが大きな原因である。」というお言葉を、そっくりご自分に当てはめてみてくださいと言いたい。
実在論の立場にとっても、理科系的検証にとっても、最も重要な、「方向、距離」等の情報が完璧に一致する説を黙殺して、3パーセントも合致しない九州の甘木あたりを邪馬台国とすることが「客観的かつ理科系的なアプローチによって邪馬台国の謎を解き明かした。」といえるのですか?
このトンデモ説をもって第一人者気取りで衆を煙に巻いているとは、何と空しいことでしょう。
安本氏の方法論に最も反しているのは安本氏自身なのです。
原田実氏も、ご自分を「邪馬台国研究」における第一人者だと思っておられるようです。
「木村鷹太郎の邪馬台国論をめぐって・・・遥かなり埃及(エジプト)」という論文で、
木村鷹太郎が「邪馬台国エジプト説」という破天荒な結論に至ったのは、
どこかでつまずいてしまったのであって、そのつまずきの石として、
①直線的読方への固執
②絶対年代の軽視
③『三国志』全体における倭人伝の位置付けを見失ったこと
と分析して、木村氏を馬鹿にしきっておられます。
しかし、この3項目を当てはめるべき人は、原田実氏本人です。
とくに、「『三国志』全体における倭人伝の位置付けを見失った」のは、原田氏ご自身にほかなりません。
「自分の目の中に梁があるのに、『あなたの目の中のゴミを取らせて下さい』と言っていっているのが、安本美典氏と原田実氏です。
こうして、盲人が盲人を導いているのが日本国の大問題なのです。
これは、単に知識の問題ではなく
精神の問題であるということに、気付かなければなりません。
思い上がった魑魅魍魎が人を導くことは、国の不幸の元なのです。
これは、日本だけの問題でゃありません。
欧米やいスらエるでも蔓延している「憂うべき大問題」です。
「911」がアメリカ政府ぐるみの「人類を欺く」事件であることをご存知の方は多いはずです。
あれほどまでの大がかりなことを、「テロ集団」でやってのけることは不可能です。
しかし、日本でも欧米でもいスらエるでも、学者たちや権威者たちは「黙して」います。
100年前に、日本政府が御用学者たちを使って、日本の歴史を封殺したのも、911テロ事件を画策して、アラブ諸国を空爆しているのも、同じ「NWO」すなわち、「新世界秩序」「世界統一」の首謀者たちの手先たちのなせるわざなのです。
彼らは数百年計画でこれを着々と推し進めていますが、わが日本の預言者たちは、数千年計画で「彼らのもくろみを阻止する」方法を編み出しています。