日本のアイデンティティと中国 7日本の新しい元号「令和」と中国4月1日に、新しい元号が「
令和」と発表され、その「
令和」が、日本の「
万葉集」巻五-801の梅花の歌32首の序文から「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」から採られたことが強調されました。
5月1日から、「
令和時代」に突入するのですが、これが、なんとも「ヨハネの黙示録的」であることに、わたくしはいささか、驚嘆しています。
中国メディアは、さっそく、「日本の新しい元号『
令和』が、純日本ではなくて、中国の古典由来のものである」という論調で記事を書いています。
・文選十五 張衡「帰田賦」の「於是仲春令月時和気清」
・王義之「
蘭亭集序」の「是日天朗気清恵風和暢」
まず、この2つが想起されることが取り上げられていました。
さすがです。そのとおりだと思います。
しかし、
万葉集巻五-801の「梅花歌の序文」に「飛觴 (觴
しょうは杯)」という言葉があることから、わたくしが真っ先に連想したのは、「飛
羽觴」というフレーズがある中国の次の詩です。
・李白「春夜宴桃李園序」
また、みなさまが指摘された張衡「帰田賦」から連想するのは、
・陶淵明「帰去来辞」
・屈原の楚辞「招魂」の「魂兮歸來!」
・山上憶良「
万葉集 巻五-894~896 好去好来
こうきょこうらいの歌一首と反歌二首」
山上憶良の歌を除いて、上記の五つの詞には、全てに「觴しょうさかずき」という言葉が入っています。
これは普通の杯ではなくて「
羽觴うしょう」のこと、李白「春夜宴桃李園序」に、「
羽觴を飛ばす」という詞がはいっているそれです。
そして、この詩は、陶淵明の「桃下源記」と連携していますし、陶淵明の「帰去来辞」は、山上憶良の「
万葉集 巻五 894-896 好去好来
こうきょこうらいの歌一首と反歌二首」に連動しているのです。
「桃下源記」では、魚を漁っていた人がたまたま行き着いた「桃園」の奥を探っていくと、良田あり桑竹ありの美しい郷がありました。
そこには、「
秦の時代の混乱を避けて妻子村人一団となって絶境に来た人々」が住んでいるというのです。・・ここまで読んだだけでも、それが「徐福」の来た「日本」のことであろうことが浮かび上がります。
陶淵明の「桃下源記」や李白の「春夜宴桃李園序」に謳われているのは、「日本」がエデンの園として備えられているということなのです。
上記の5つの作品は、お互いに
緊密に連携し合って、「聖書」の「イザヤ書」や「ダビデの詩篇」あるいは「エレミヤ書」の「エデンの園に帰れ」すなわち、「神に還れ」、「心を取り戻せ」「宗教と政治を糺せ」という「令」を発しているのです。そればかりではありません。その「エデンの園に帰還する」ための数々の「奥義」も提示しているのです。
陶淵明の「
帰去来の辞」と連携している山上憶良の「
万葉集 巻五 894-896 好去好来
こうきょこうらいの歌一首と反歌二首」
には次のような言葉がちりばめられています。
1 倭國は言霊の幸
さきはふ國
2 倭の大國霊 久方の天の御空ゆ 天翔り 見渡し賜い
3 海原の辺にも沖にも 神づまり 宇志播吉
うしはきいます
4 幸
さきくいまして 速帰りませ
5 紐解き放さけて
6 御津の松原かき掃きて 吾れ立ち待たむ 速帰りませ
これらの言葉は、「クレタ島出土のファイストス円盤」という「御霊」を示唆していると同時に、「ヨハネ福音書の冒頭 初めに言葉あり。言葉は神なり。」を示し、そして、「日本語という言葉の力」を示しているのです。
「ファイストス円盤」には、「うしはく」という言葉が刻まれてあります。その詞は、紐状に螺旋
らせんを描いて記されてあり、出土以来百年以上経過するも、いまだに「解かれていない」とされています。
しかし、実は、日本語で読み解かれていますので、海原の沖(置)の「ファイストス円盤の謎の詞を「紐解き放けて」急いで走って出迎えましょうと呼びかけているのです。
「
万葉集」におよそ100ほどもある「紐」「紐を解く」「紐を結ぶ」などという歌、そして、「帯」や「玉」「玉の緒」等々も、皆が皆この「ゴルディアスの結び目 Gordian Knot」を云ったもので、「紐を解く」「寝る」「二人して寝る」「丸寝」「枕や袖を交わして寝る」等も、「恋」などの歌も、学者さんたちがこぞって大好きな「古代のエロチックな素朴な歌」ではありません。そんな、解釈しか脳裏に浮かばない学者さんたちを風刺しつつも、真理に徹した高次元の内容を伝えることのできる卓越した歌々なのです。
「古事記」中巻の神武天皇記「葦原のしけしき小屋で菅畳 いやさや敷きて わが二人寝し」も、同様です。天皇が伊須気余里比売
イスケヨリヒメとみすぼらしい小屋で二人だけで寝たというエピソードなどが国史にわざわざ特記されるはずがありません。
クレタ島の「しけしき小屋で寝ていた二人」とは、「倭の國霊」である「ファイストス円盤」がクレタ島の地下の「しけしき石の小屋で眠っているという状況を記したものであり、さらに、A面が「女媧」、B面が「伏義」であることを云ったものです。
すなわち、神武天皇は「伏義系」であり、伊須気余里比売
イスケヨリヒメが「女媧系」であるという意味なのです。しかも「伏義とは義伏
よしふす、すなわち、聖書のヨセフ一族のことなのです。
6の「御津の松原
かき掃きて 吾れ立ち待たむ 速帰りませ」は、「尉と姥」の姿を読んだものです。
中国でよく見られる「絡み合っている蛇」の「伏義と女媧」の画像は、わが国では伝承せずに、「尉と姥」に姿を変えて、コンパスの代わりに熊(曲)手で「
かき」、定規の代わりに箒(方矩)で「
掃き」、沖の彼方を見つめて待っている姿を伝承しているのです。

19世紀の帛紗に描かれた「尉と姥」 ウィキペディアより
兵庫県高砂市の高砂神社は、この「尉と姥」を伝承するための神社です。神宮皇后が新羅征伐の途次に立ち寄られて創建されたことになっています。ご祭神は大己貴命
おおなむちのみことですが、同じ高砂市には生石神社があり、ご祭神は大穴牟遅命
おおなむちのみことと少毘古那命
すくなひこなのみこと、崇神天皇が「天下泰平」を祈願して創建されたと伝承しています。この神社では、謎の巨石「高 5.7m 幅 6.4m 奥行 7.2m 重さ 推定500トン」が有名で、次の歌に詠まれています。
「万葉集」 巻三-355の生石村主真人
おいしのすぐりのまひとの
大汝少彦名乃将座志都乃石室者幾代将経
おほなむち すくなひこのいましけむ しつのいわやは いくよへにけむ
「万葉集」巻五-801の「梅花の歌」は、菅原道真の有名な「
飛び梅」の歌を呼び出すものです。
東風
こち吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なきとて 春な忘れそ
「神もイエスもおられないという状況にあっても 香(神への信仰を)を失わないでくれ 冬の寒さが辛くとも 春が必ず来ることを忘れないでくれ」という意志が込められているのです。
菅原道真は、陶淵明「帰去来辞」の最初のフレーズ「帰去来兮」を「帰りなん いざ」と訓読し、以後日本でこの訓が定着したといわれています。
「帰去来兮 田園将蕪胡不帰」すなわち、「帰りなん いざ 田園まさに荒れなんとす」の部分を読むだけで、今日の日本の惨状を想起しますよね。
この「いざ」は、「イザヤ」を呼び出す詞でしょう。
エデンの園とは真逆の「イスラエル」や「教会」を「神の国」と認識したり、問題提起の満載の書物であり、世界の至宝である「記紀」や「万葉集」を、「おれさま色で塗りたくったミーハー向けぺーパーBook」に変質させて、国民を汚染して、「文化勲章」をゲットするような、閉ざした「霊性」を「禊」して目覚めさせようとの「神計らい」を感じます。
「羽觴」を流す「曲水の宴」4月には、京都の上加茂神社ほか日本のあちらこちらで、「
羽觴」を流す「曲水の宴」が催されます。
鹿児島の仙巌園での曲水の宴 画像掲載の許可を頂きましたのでご覧ください。

仙巌園(旧島津家別邸)の曲水の庭は、1959年(昭和34年)に発見され、「規模が大きく、また、原型をとどめていること」などから、曲水の庭として、貴重な文化財であるとされています。
出典:「WaSihmoワシモ」さんのホームページの
「旅行記 ・曲水の宴 - 鹿児島市仙巌園」
曲水の宴は、神事の「禊」のはずなのです。そして、その禊の分野は、3月3日の「雛祭」の流し雛の行事が担っています。
王義之「
蘭亭集序」の冒頭に、3月3日の禊の曲水の宴が書かれています。
會稽山陰の蘭亭に會す。
禊事を脩むるなり。
群賢畢く至り、少長咸集まる。 此の地に、崇山、峻領、茂林、脩竹有り。
又、清流、激湍有りて、左右に暎帶す。
引きて以て
流觴の
曲水を爲し、其の次に列坐す。
糸竹管絃の盛無しと雖も、一觴一詠、亦た 以て幽情を暢叙するに足る。
是の日、天朗らかに気清
すみ、
恵風和暢す。
仰いで宇宙の大を観、俯して品類の盛んなるを察す。
このとき使われる「
羽觴」は、元は雀を象っていたといいますが、今は鴛鴦
おしどりの下図のようなものを使います。

京都 城南宮の
曲水宴で流されている「羽觴」です。
4月29日午後2時から 京都 城南宮の曲水の宴が斉行されます。
そして、「羽觴」をかたどった皿をわたくしは使っています(下図)。この形は、中国湖南省長沙市から出土した紀元前2世紀頃の馬王堆漢墓からの羽觴に似ています。
これをみますと、「羽觴」はまた船をも象っていることが解ります。

この、「羽觴」をかたどった皿には、「前赤壁賦」の図柄が描かれています。ここに前赤壁賦の詩句の一節、「清風徐
おもむろに来たりて水波興
おこらず」が書いてあります。
このフレーズが、実は「徐福が来た」と告げているのです。
さきほど、陶淵明の「桃下源記」でのべました「秦の時代の混乱を避けて来た」一行のことです。
「秦の時代」と言うのが、実は二回あるのです。
中国では、イタリアのことを「大秦」と呼びますが、「秦」を日本では「ハタ」と呼びます。
秦は「ハッティ」や「ハチ」は、ヒッタイトのことでもあるのです。ヒッタイトを切り捨てた時代も「秦の混乱の時代なのです。
徐福一行は「不死山」を目指してきました。
さらに昔、モーセ一行は、「シナイ山」を目指したと聖書に記されてあります。両者は、日本語によってのみ、「メルクマール」となり得るのです。
まことに、「言葉は神なりき」「言霊の幸
さきはい」です。
そして、「羽觴」とは、「翼ある言葉」すなわち「神の言葉」の象徴物なのです。すなわち、「倭を幸わう言霊」の象徴物です。
エジプト、シュメール、バビロン、ギリシャ、中国で、数千年もの昔から出土する「双翼の円盤」「二羽の鳥と太陽」の本来の意味がこれなのです。
聖書は、アルファでありオメガであると云います。最初から今日が想定されていたのです。
それは、エデンの園として神がしつらえられた「日本列島」が二枚の翼であり、鳥であり、二匹の魚でもありました。
紀元前1600年頃の「ファイストス円盤」に、「双翼と円盤」とそれを運ぶヨセフの子孫「マナセ」が描かれてあります。
付記
新元号「令和」実は、永仁1293~99年頃に書かれたという「年中行事秘抄」という「朝廷の年中行事儀式について記した公事の書にも、
「武王平殷之乱 周公於洛邑建王城 作曲水之宴
令和天下」
と記されていて、そこには、ずばり
「令和天下」すなわち「天下平定」と書かれています。
この部分は、「異伝」と断り書きがあるとはいえ、宮内庁や学者が知らない筈はないと思われますが・・・
もし、「ワンワールド」教の「天下平定」の下請けの意図をもって、「令和天下」の「令和」を採ったとしても、「令」は、日本の守護神がお出ましになって「発令」されることになると思います。
「万葉集 巻5」を持ち出したからです。「万葉集」の言霊が作用するようになると思われます。
世界は、1908年に、クレタ島から「ファイストス円盤」が出土するや否や、「北京原人」や「石器時代」「新石器時代」なる専門用語を「創出」して、人類がついこの間まで「原始人」であったと洗脳して、なかでも、絶海にあった日本人は、野蛮なイエローモンキーと侮られてきました。日本人もまた、唯々諾々とそれを受け入れていますが、「知能」が縄文人よりも劣っているのが「現代人」であるということを自覚しなければなりません。