7 淡路島の上立神岩はおのころ島「古事記」「日本書紀」の神話の原点 おのころ島自凝(おのころ)島神社淡路島の南あわじ市には、「自凝(おのころ)神社」があります。
伊奘諾(いざなぎ)命と伊奘冉(いざなみ)命が御祭神です。
おのころ島神社 南あわじ市


http://www.freedom.ne.jp/onokoro/
おのころ島については、旧三原町、南淡町、さらに淡路町の絵島などが揚げられていますが、この「上立神岩」が与那国島の「立神岩」と連携していることに深い意義がありますので、この「上立神岩」が、日本国土生み神話の重要なメルクマールであることは確かです。ここを、日本国土生みの神話の発祥地としたのには、何か深い理由が存在するはずです。
南あわじ市沼島の「上立神岩」は、伊邪那岐命伊邪那美命二神が国生みの際に建てた
おのころ島のシンボル」であるといわれています。そして・・・
「
龍宮城の表門」にあたるのがこの「上立神岩」だという伝承までも残っているのです。
おのころ島 天の御柱「古事記」の国生み神話淡路島は、「古事記」の伊邪那岐命と伊邪那美命、二神の国生みの記事において筆頭に挙げられている地名です。
「古事記」の神代紀には、伊邪那岐命と伊邪那美命の二神が、「漂へる国を修理固成(つくりかためる)」ために、天の浮橋に立たれて、天の沼矛(ぬぼこ)を指し下して画き給い、その矛さきより滴る塩が凝って成った
「淤能碁呂島」を天の御柱(「古事記」)、また、国の中心(「日本書紀」)とみなし、これを八尋殿と見立て給うた」柱でした。
しかる後に、「国土を生み成そう」と相談されて、その後に、
淤能碁呂島を中心にして、「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ」と廻わられたと記されています。
おのころ島は心の御柱「おのころ島」、また、「天の御柱」は、伊勢神宮においては「心の御柱」として、最重要な神事で取り扱われています。
二十年毎に行われる
式年遷宮は、御神体と呼ばれる神鏡を、二十年毎に建て替えた新殿に御遷しする神事ですが、その際に御正殿中央の床下に
「心御柱」を奉建するという重要な神事が行われます。
伊勢神宮の内宮の「心御柱」は、長さ五尺五寸太さ九寸、外宮が五尺ほどで、木本祭に於いて心御柱は夜間に建てられ、地中に二尺ほど埋められます。
山本ひろ子氏「中世神話」(岩波書店)には、この「心御柱」についての貴重な記述がありますので、その抜粋を掲載します。
「旧事本紀」は、天の瓊矛をオノゴロ島に差し立て「国の天柱」とした記し、
天の瓊矛は「天の御量柱・国の御量柱」「忌柱」と解されている。
「天口事情」は、天地開闢の初め、高天海原に浮かんだ神宝=天の瓊矛の同体異名が、
「天の御量柱」であり、天と地を表象する「心御柱」であるとしている。
山本ひろ子氏は、種々の古文献を考察して、「心の御柱」を、次のように定義づけています。
天の御量柱
天と宇宙を表す宇宙の根源的霊物
世界の中心にそそりたつ柱のシンボリズム
国家の固め、国の基軸の磐石のシンボル

図 心御柱 「中世神話」山本ひろ子著 岩波書店 (P106)
心の御柱と「天のひらか」伊勢神宮の式年遷宮にまつわる神秘は他にもあります。
「心御柱の廻りに据えてあった天平賀(あめのひらか)」というものが存在するのです。
「伊勢神宮の建築と歴史」福山敏男氏(日本資料刊行会)から抜粋してみます。
保安2年(1121年)8月、
洪水のため外宮御正殿の床下の浸水が水深二尺にも達し、
「心御柱の廻りに据えてあった天平賀(あめのひらか)」のうち、
四百五十一口が瑞垣の内の角に流れ寄り、
保安4年8月の洪水の時、
御正殿の下の水深は二尺八寸にも達し、「心御柱」が水に隠れ、
「天平賀(あめのひらか)」四百八口が瑞垣内の正殿の角に流れ寄った。
この洪水によって、二十年毎の式年遷宮の度に新造して供した「天のひらか」というものの存在が外部に知られることとなったのです。
この記事から推理しますと、
「おのころ島」「天の御柱」「天のひらか」は、切っても切れない関係にあるもののようです。
「天のひらか」については、「古事記」と「日本書紀」にくわしく出ていますが、その実態をよく伝えているのは、住吉大社です。
「天のひらか」用の埴土を採取する「埴使い」の神事が「住吉大社」の最も重要な伝統行事であるというのです。
これについては、後に詳しく書きます。
おのころ島=心の御柱は世界の中心の柱おのころ島と世界樹伊邪那岐命と伊邪那美命が、おのころ島、即ち、天の御柱を巡られた後、結婚して国土を産まれたという「古事記」「日本書紀」の記事中の、「柱の周りを巡ること」と、「結婚の幸福への祈願」が語られていることは、北欧やイギリスなどのゲルマン民族系の
メイポール祭を想起しませんか。

メイポール 画像 ウィキペディア
メイポール祭は、五月に柱の天辺から色鮮やかなリボンを垂らして、人々が各々そのリボンの端を持って柱の周りを回るという伝統行事です。
この行事は太陽と火と聖なる柱を祭る火祭りであるとも、豊穣祈願の祭りであるとも、
世界樹の祭りでもあるともいわれていますが、その聖なる柱は花嫁の柱とも呼ばれていて男根をも意味しています。
メイポールが象徴する世界樹は、北欧神話エッダでは、イグドラジルという世界全体を表象するトネリコの樹のことで、そのトネリコの木で創られた「アスカ」をも意味しているのです。
このトネリコの樹は全世界に枝を広げ、天界アズガルド、地界ミッドガルド、地獄界ヘルの三界を覆い、
その頂には金鶏が宿り、上ッ枝に鷲が止まり、下枝に角笛がかけられ、若枝を四頭の牡鹿が食み、根元には龍蛇が住むといいます。
北欧神話エッダは、神オージンがトネリコの樹から男を造って
アスカと名づけ、榛(はん)の木から女を造ってエムブラと名づけたといいます。
この「はんのき」の日本語の「はん」から、「汎、全て」を誘導して、
「panの木」、即ち、聖書の「命のパンの木」を想起させ、
「全ての贈り物」の意味をもつパンドラ、
「全て命あるものの母(創世記三章)」エヴァを示唆しているようです。
北欧神話エッダの世界樹の金鶏を鶴に、龍蛇を亀に置き換えると、そのまま蓬莱山や妙見信仰の図象です。
奈良などの「アスカ」という地名は、この世界樹から創られた男「アスカ」と同じと云えます。
奈良のアスカでは古代の「須弥山石」や「男根」「巨亀」などのモチーフが見られますが、これらが象徴する「須弥山」は、「世界の中心に立つ山」を意味すると伝えられているのです。
須弥山は、梵語のSumeruからきており、インドではこれをシバ神の象徴のリンガ(男根)であるとしています。
須弥山の別名として「妙光山」「妙高山」が挙げられていますが、「妙見山 明見山 妙剣山」などもまた、その別名であることは、北辰=北極星をシンボルとした妙見神が、「亀に乗り七星の剣と綱(あるいは蛇)を持つ姿」で表わされ、不動、不敗、安穏、さらに、豊穣を象徴していて、蓬莱山とよく似た構図で描かれていることからも推測されるのです。
「蓬莱山」は、彦穂々手見命、浦島太郎のいたところですが、徐福もまた「蓬莱、方丈、瀛州の三神仙」を目指したといいます。ところが、「ホーライ」という言葉はギリシャ神話にもでてくるのです。
「
ホーライ三女神」がそれで、それぞれ、「
タロー(開花)、オーコ(成長)、カルボ(実り)」といい、知性、正義、平和、そして、豊穣と理想郷の観念、さらに、時、季節をつかさどっています。
また、伊邪那岐命と伊邪那美命が淤能碁呂島を中心にして、一人は右から廻り、もう一人は左から廻ると、反対方向に回わって出会われたという記事が、「古事記」『日本書紀」にありますが、これは、ギリシャ神話の、「ゼウス神が世界の左端と右端で放った二羽の鳥が、世界を回って、出会ってぶつかったところを世界の中心と定めて、そこへオンファロスを置いた」という神話を想起させるものです。
ギリシャのデルフォイで、「アポロンの
オンファロス(へそ石)」といわれている石を見ました。このオンファロスが奈良の明日香にある
須弥山石の真ん中の石と似ていることに注目してください。
須弥山石は古代の
太陽石=陽石です。
また、オンファロスの模様が「リボン」であることは、壷絵などからも伺われますが、それは、メイポールに巻きつけるリボンを連想させるものであり、それは、伊勢神宮の「心の御柱」に巻く五色の糸のあしらいと似通っています。

左須弥山石 右オンファロス
「オンファロス」とは、へそ石のことですが、「ファロス」が男根を意味していることは、「おのころ島」の「おのこ」や、須弥山の中心の「リンガ」とも一致しています。
また、「ファロス」とは灯台であり道しるべであることを重視すべきでありましょう。
与那国島の立神岩から鹿児島の枕崎の立神岩にいたる島々の「立神岩」はすべて海上を通行する船からの「道しるべ」となり得る目立つ岩です。
しかし、「上立神岩」には、国土運営上の「道しるべ」の意味を負わせているようにみえます。そこで、「古事記」から探索してみます。
メイはアトラスの娘Maiaメイポールの祭りが世界樹の記念祭りであると申し上げましたが、五月の「メイ」とは、ヘルメスの母の名から来ています。そしてメイ、すなわちマイアとは、アトラスの娘たちの一人です。
その子ヘルメスは、航海と通商の神で、二匹の蛇のついた杖をシンボルとしています。
ヘルメスの語源であるヘルマイ、ヘルマ、ヘルミは光明、すなわち陽の意で、かつ、柱、棒、男根の意でもありますから、
ギリシャでは道祖神ヘルマの
道しるべとして、男根の表象が用いられることが多かったのです。
ヘミは、日本では蛇の意味です。日本の巨石のペトログラフに蛇が刻まれているものが多いことはよく知られていますし、男根状の巨石は日本のいたるところで見られます。
さきに取り上げた与那国島の「立神岩」もその一例です。
それらは「陽物」とも言い、「太陽石」も同じ内容です。「道しるべ」や「灯台」など、多くの意味を有しているといえます。
五月五日の端午の節句は「おのこ」を祝い、柱を立てて、五色の吹流しと鯉幟を揚げるのですが、これはメイポールの変形と考えられます。
マイアとイリスと玉依姫五月の端午の節句には菖蒲を飾りますが、菖蒲=アイリス、即ちイリスです。
このマイア=メイの別名がイリス(アイリス)であり、日本では玉依姫にあたります。

この壷絵は、500 - 450 BCのもの、ドイツ ミュンヘンの Antiken sammlungen 所蔵の逸品の絵です。
そして、この絵に付されている英語の説明は「IRIS & THE INFANT HERMES」です。
そう、イリスが懐に抱いているのは幼児ヘルメスなので、玉依姫が養育したウガヤフキアエズとはアトラスにしてヘルメスだったのです。
そして、イリスが手にしているのは、ケーリュケイオンという、伝令の神ヘルメースが持つ杖です。ケリュケイオンともカドゥケウスとも表記されるのですが、これは、普通「二匹の蛇が巻きついている杖」でよく知られています。
イリス=玉依姫の子ウガヤフキアエスがアトラスであり中国の伝説で有名な「伏義と女媧」であるということは先にのべました。そして、伏義と女媧」は、次のような図柄で表象されています。

漢時代AD206~220頃 拓本
このように、東西の資料を照合することによって、中国の神話時代の「伏義・女媧」の時代が、イリスの時代、トロイアの時代のことであったことがわかるのです。
木村鷹太郎氏はヘルメス神を考証して次のように説いています。
「日本太古史」博文館(明治45年刊)から抜粋
「日本書紀」中の鷦鷯の羽を以て衣にし、掌の指間から、あるいは葉っぱから落ちてきた少名彦名神は、日月、或いは、角と太陽の円盤を頭上に載せているエジプトの鳥頭のトート神、即ち、ヘルメス神であり、釣竿と魚を表象物とする恵比寿神がこれにあたる。
伊邪那岐命と伊邪那美命が、おのごろ島=天の御柱をまわってから、このあとヒルコ(エビス)を生み、これを葦舟で流したことを記していますが、この恵比寿神が、マイア=メイに育てられたヘルメス神です。
この「ひるこ」という言葉が、「昼」と「ヒルコン=ヘリオポリス=ヒェロポリス」、即ち、アポロンの都=太陽の都を云ったものであると木村鷹太郎氏はいいます。
さらに、「オンファロス」の「オン」もまた、「太陽の都」の意味です。
ヨセフがオンの祭司の娘と結婚したことが創世記41章に記されています。
五月五日の端午の節句「メイポール」祭りに相当すると考えられる日本の端午の節句で、
柱と五色の吹流しと鯉幟が掲げられるのは、ヘルメス神の日本バージョンであるエビス神の表象の釣竿と魚だったいえます。
五月五日は、男の子の祝祭日で、兜を飾る習慣がありますが、それは、ヘルメスのヘルメット、甲虫(かぶと虫)、亀甲の甲などから来ていると考えられます。エジプトではスカラベが神聖視され、日本で亀が目出度さのシンボルであることは、同じ意味だと思えるのです。
つまり、アトラス一族のシンボル「地球」が糞ころがしのボールや、亀に置き換えられていたと考えられるのです。
亀は大国主の紋章であり、大国主は少名毘古那と一対です。
亀甲紋は籠神社のカゴメ紋、ダビデ六角星形でもあります。ダビデはオルフェウスを継承しているという可能性があります。
亀とヘルメス、そしてアポロンヘルメスは朝(アシア)生まれるとき、母マイアの膝を飛び出し、
昼(ヒルコ=アフリカ)には、亀の甲に角をつけ糸を張って琴を作り、
夕(ヨーロッパ)には、アポロンの牛の群れ(タウロスやエウロペなど)を連れ出して隠し、
何食わぬ顔で帰ってきて寝ていましたが、
遂に嫌疑をかけられてオリュンポスで審議されたために、ヘルメスはその仕業を白状し、
亀の琴をアポロンに贈与したと神話は伝えています。その亀の琴は、アポロンから息子(または、トラキア王の子)オルフェウスに譲られて、オルフェウスが黄泉の国に下ってしまった妻エウリュディケを呼び戻すために奏でられたというのです。
それは、黄泉の国に陥てしまった神の国に、蘇り(黄泉からの帰り)を訴えている「ダビデの詩篇」が想起されます。そして、この神話は、伊邪那美のいる黄泉に行った伊邪那岐の話ですから、この連鎖は、おのころ島の伊邪那岐と伊邪那美まで一周しています。
琴座
星座の琴座Lyraをわざわざ「亀の琴」の図で掲げましたのは、
一には「浦島太郎」の謎をガイドするのが「亀」だからで、
二には、この琴座の図で分かるように、ファロスや須弥山石、リンガ、さらに、
蓬莱山や立神岩などの表象との共通性があるからです。
琴座のもっとも明るい星ベガ Vegaは北半球において2番目、全天においては5番目の明るさの星です。
このベガ、アークツール、小熊座の北極星ポラリスの三星で形成する三角形は北極を探す目印となるのですが、このベガが、今から約1万4千年前には北極星でした!
この琴座のベガを織姫といい、天の川を挟んだ対岸の鷲座のアルタイルを彦星また牽牛と言い、両岸のこの男女の一年に一度の逢う瀬を祝う星祭りを「七夕祭り」といいますが、この天の川がナイル川であることをのちに説明します。
与那国島の立神岩を辿りますと、淡路島の上立神岩という「竜宮城の表門」に着き、そこは、伊邪那岐命と伊邪那美命が結婚のために立たれた「おのころ島=蓬莱山」の入り口でもありますが、そこでアトラスの娘マイア(五月姫)と出会うことになったのです。
そして、マイアの息子ヘルメスは「えびす様」であることがおわかりになったでしょう。
こうして、この神話が、黄泉に下った伊邪那美命を連れ戻しに行く伊邪那岐命の神話を誘導していることを考え合わせますと、「立神岩 → おのころ島=天の御柱=オンファロス=メイポール → 伊邪那岐命と伊邪那美命の結婚 → ヘルメス神の亀の竪琴 → アポロン神の亀の竪琴 → オルフェウスの亀の竪琴 → オルフェウスが黄泉にいる妻を連れ帰ろうとする神話 → 伊邪那岐命が黄泉にいる伊邪那美命を連れ戻そうとする神話」に私たちを誘導しているのです。
即ち、私たちは、このような、天空と大地に広がる「道標」を以って案内されているのです。
そして、オルフェウスとオンファロスとはアナグラムです!
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世界図TOマップの謎 9
エデンの園と伊邪那美命の国生み神話10
四国はスフィンクスのモデル?11
アダムとイヴと「古事記」神話この記事の前編「与那国島海底遺跡の謎解き」をご覧になっていない方へ、「与那国島海底遺跡の謎解き」の目次項目をクリックしてください。
1 与那国島海底遺跡の謎解き 2 与那国島海底遺跡と竜宮城3 浦島太郎トアトランティス4 浦島太郎と彦穂々手見命5 クレタ島の粘土板に彦穂々手見命が6 浦島太郎の蓬莱山の謎 7 淡路島の上立神岩はおのころ島「与那国島海底遺跡」
「古事記神話の謎解き」を既にご覧になった方は、次の項目にお進み下さい。「日本のアイデンティティー」の謎
「日本」の国典と聖書とギリシャ神話を重ねると・・・12 御神輿と契約の箱13 日本のアイデンティティー14 賢木と命の木15 神の国の門16 七つの封印の書物17 二十世紀のミレニアム戦争と日本18 24ヶ月間踏み躙られると予言された国19 神の栄光と審判が顕われる!20 御名を尊ばずにはいられない21 大いなるバビロンへの審判22 守護神への帰依神の国を明かす日本側の証拠23 三輪神の正体24 三輪の神の謎とギリシャ神話25 三輪の神とクレタ島のミノア文明26 住吉大社の謎 天の平瓮27 住吉大社の謎 後代のしるしのための船 28 住吉大社の御本地は?29 オリオンミステリー30 出雲大社の謎31 オリオンとシダリヲ32 天照大御神の御神宝33 神宝はタイムカプセル?34 国難と神宝の洗い直し35 国難と蟻通しの謎36 蟻通しの難題とファイストス円盤日本国の歴史とアイデンティティーに関する、難解なテーマに挑戦して、市井の素人の私があれこれ口を挟むのは僭越に過ぎるようですが、歴史家や、神学者の方々に、また、一般国民の方々に検証を呼びかけたいという思いで、このブログを書いています。