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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

令和日本の幕開け

「古事記」と御神楽おかぐら

わたくしは、これまでに「古事記」「日本書紀」等の日本の国典や古典が、
聖書やギリシャ神話と密接に連携しているばかりではなく、聖書についての
誤った認識を糺すためのガイドブックとなっていることを書いてきましたが、
ほとんど、世間の関心を集めることはできません。
ほとんどの日本人が聖書を読み通したことがないのですから、無視されるのも
無理はありません。

ところで「日本人はキリスト教徒になっている人が1パーセントを超えない」
ことは、欧米の宣教師さんたちから見ると不思議なことだそうです。
「ヨハネの黙示録」を解明して、説明しましたように、
日本は真の「新しい聖なるエルサレム」になる使命がある国なのです。
ということは、西洋キリスト教は大きな誤謬を犯しているということです。
パウロからキリスト教が捻じ曲げられて、以来、そのままになっているのです。
日本人がキリスト教にならないのは正解なのです。実に不思議なことです。
それは、感性のなせるわざなのです。

聖書の伝道に違和感を抱いているうえ、聖書を殆ど読み通したことがない
日本の国民の皆様に、「日本の守護神は、恵穂葉神である」ことを解ってい
ただけるには、一体どうしたら良いのか、わたくしは途方にくれました。
そこで「古事記」や「日本書紀」が、聖書のガイドブックになっていることは、
私が既に検証済です。ですから「古事記」「日本書紀」の岩戸隠れの場で
「天の鈿女が舞った舞い」が神楽の起源とされているので、この「御神楽」が
手がかりになっているのではないかと考えて、あちらこちらの御神楽を見学
しました。

二荒山神社 天の岩戸の舞

宇都宮市二荒山神社の天岩戸の舞  宇都宮観光コンベンション協会より


私のブログには、御神楽で、「天の岩戸を投げる手力男」が「アトラス」を連想
させること、そして、アトラスとは「古事記」「日本書紀」の「ウガヤフキアエズ」
であること、さらに「伏義と女媧」であり、それは「手力男と天の鈿女」であるこ
とを書いています。
結局、アトラスとは「トロアス」すなわちトロイアであり日本であること等も説明
しました。
まさしく、御神楽のルーツだと言われている天の鈿女こそが、歴史の謎を解く
「鍵」だったのです。

私のブログのSitemapから 57 鬼と御神楽 を参照してください。

1 「天の岩戸を投げる手力男」は「アトラス」を連想させる。
2 アトラスとは「古事記」「日本書紀」の「ウガヤフキアエズ」である。
3 アトラスは「伏義と女媧」である。
4 「枕草子」が「ファイストス円盤のA面は女媧、B面は伏義」であると教えている。
5 アトラスは「トロアス」のアナグラムであり、ゆえに、トロイアである。


1、「天の岩戸を投げる手力男」は「アトラス」を連想させる。


手力男命 戸取の舞

アトラスとヘラクレス
Atlas, Heracles and the golden apples  c6th century BC.   National Museum, Athens


アトラスとヘラクレスが天地を支えていたというギリシャ神話は大変有名ですが、
この紀元前6世紀頃の絵の「棍棒」は、紀元前16世紀頃の「ファイストス円盤』
にも描かれている「鬼に金棒」の「金棒」です。

ファイストス円盤 金棒

この「大の字」がたの「人」を「大人」と解しますと、辞典で「うし」と読み
「貴人、大物」であることが解ります。
「大人」はまた「オオヒト」「ダイダラボッチ」の民話で、日本中に伝わっています。

「ファイストス円盤」では「大人うしと「金棒」を佩くと読み、
「うしはく」と解しますと「古事記」上巻の「国譲り」の場面で出てくる言葉で、
「汝がうしはける葦原の中国なかつくには、
我が御子のしらす国と言依ことよさし賜えり。」と記されている
重要な記事にリンクしていることが解ります。
「うしはく」は、万葉集にも4例ある言葉です。



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11 アダムとイヴは「世界と日本」

11 アダムとイヴは
    「外八州=世界」と「内八州=日本」


外八州史観

日本史は世界史
木村鷹太郎氏が提唱した「新史学」の史観のひとつに「外八州史観」があります。
 現在の島国日本の歴史や地名などは、
 太古の世界大の歴史や日本地理を縮密して、
 内八州である現島国に移写したものにすぎない。
 日本の本地は泰西日本であり、極東日本はその垂迹であり、
 「前大日本」のコンデンスしたもので、これらのコピーである。
したがって、世界の地名や歴史と日本のそれを精細に照合すれば、世界史の真実が浮かび上がるという理論です。

例をあげれば、
 アフリカのキリマンジャロに対応して九州の霧島、
 スエズに対して陶津(摂津)、
 地中海のイオニヤに対して伊予の海、
 ユーラシア大陸のインドに対応して本州の尾張の名があり、
 「インド=炎土=エンド=おわり」に対して「熱田神宮」の名がこれを後押ししている。

 「古事記」「日本書紀」は、現日本国上の歴史を告げていないとはいえ、
 なお厳として日本民族の大歴史を記したことにはちがいなく、
 古典地理を研究し、世界の地図を読むならば、
 地図上の国土山川都市等の名称には、各々意味を含有し、
 大部分わが古典中なる神話および歴史を含有して保存しており、
 それら地名の言語中に無量の意味を畳み込んで、
 系統的にわが祖先の歴史や神話を読み得るようにされている。

 わが民族の大歴史は伏して大地を見れば地球に記載してあり、
 仰いで星々と星座図を観察するならば、
 日本神話および歴史は上天に掲示してある。

 日本太古史を形容すると、聖書の次の預言のとおり、
 もろもろの天は、神国日本の栄光を顕し、
 蒼穹は日本民族の歴史を掲ぐ。
 この日言葉をかの日に伝え、
 この夜知識をかの夜に伝える。
 語らず言わず、その声聞こえずとも、
 その声は全地にあまねく、
 その言葉は地の極みにまでおよぶ。

 古来世界に国をなせしものの歴史は少なからずといえども、
 それを日月星辰に掲示し、
 山川江嶽国土市邑に記載せる大歴史を有せる民族は、
 日本民族を外にしてはたして何れにかある。
 ひとり、日本民族これを有せるのみ。
 これ余の研究の吾人に教ふるところ。

木村鷹太郎氏は、その大著「日本太古史」下巻 博文館 明治45年(1912年)発行にこのように説いています。

木村鷹太郎氏のような、高貴な史学界哲学界の「隅の頭石」を、用なきものとして葬りさった帝国大学の史学界のオーソリティーの面々は、日本の歴史学を百年間というもの不毛の泥沼に引きずりこんでしまったのでした。
このことが、ひいては無知なる政治家や軍人などの「古事記」「日本書記」誤用乱用による大言壮語を誘発し、「黙示録戦争」に参画して大惨事を引き起こすこととなり、国土と国民を損ない、神国のレッテルをGHQによってひき剥がされるというなさけない歴史を綴る元凶となりました。
国民が自国のアイデンティティや歴史を知らず、無知蒙昧に飼いならされて、支配者たちに盲従するということは、自国消滅の憂き目に合うことです。
そのような悲惨な歴史を辿らせないようにと、預言者たちが備えてくれたのが、こうした預言書や国典なのですから、真剣に検討する価値があります。


世界図


アトラスと地図

アトラスとは、今日では地図帳
アトラスは地図帳ですが、聖書はこの地図帳をフルに活用して読むべき書です。
「聖書」も「古事記」も、「遂に」、奥義が明らかになるとき、即ち、at last に備えられた預言の書である」と考えられます。アットラストもアトラスのアナグラムです。
モーセのような預言者たちは、こうした地理上の奇跡的特徴や、終末時の「遂に=at last 」のことを知っていたので、神の特性を「創造神」と強調したのだと考えられます。
モーセも日本人も「トロイア人」であり、トロアスのアナグラムのアトラス人種であろうと思っています。


聖書「創世記」のアダムとイブの創造にまつわる描写や、「古事記」の伊邪那美命の国生みの図などを見ますと、「聖書」や「古事記・日本書紀」「ギリシャ神話」などは、私たちの古代に対する認識をはるかに超える巨大なスケールであったことがわかります。

「イヴがアダムのあばら骨から作られた」という描写を吟味しますと、預言者たちは日本列島が大陸と陸続きであったことを知っていたことが伺われます。
ナウマン像の骨が日本列島のあちらこちらで発見されています。
解体され、鋭利な刃物の痕が残っているナウマン象の骨が発掘されているといいます。
こうしたことを、本気で検証しなければ、古代人がどんなメッセージを伝えようとしているのか、永久に不明のままに終わってしまうことでしょう。

「聖書」にとって、アブラハムは神の民の祖先として最重要な名前なのですが、もとはアブラムという名前でした(「創世記」12章)。
これも、大陸の「脂身=Aburami」から、「アバラホネ=Abarahone」への歴史の転換を物語る命名であった可能性があります。また、英語の「bone」は、わが国の言葉「アバラボネのボネ」が語源であることもわかるのです。
「創世記」に書かれている「アダム」「イヴ」「アブラハム」「ヤコブ」の名は、国や地域などの名前であり、それらは、みな、天からの視座で考察すべきであることを要請するために使われている言葉です。まことに、アトラス的なスケールであると申せましょう。というのも、アトラスのアナグラムがアストロなのです。
アトラス族は、その名が地図帳の意味を持つようになることも予想していたに違いありません。なにしろ、預言者を生み出す種族でもあったわけですから。

「聖書」や「古事記」は、最初から「天からの視野」で問題を投げかけた謎々の書であったのですから、今後は、これらの書物を読む心構えとして、まず、視野を広大にすることから始めなければなりません。


「エデンの園」や「神の国」は、単に、美しさのゆえに選ばれただけではなく、
 神の臨在を証明すること、
 預言内容の視野の広大なこと、タイムスパンの長いこと、
 地球の保全という見地、
こうしたことを認識させようという壮大な目的を定めて、書き起こされているのだり、謎かけがしてあるのです。
覇権争いや特権意識のために、「聖書」の預言や宗教が利用されている現状から脱却しなければならないことを伝えようとしているのです。
西洋キリスト教世界の方々は、日本人たちが、キリスト教徒にならないことを、あたかも「野蛮」で「幼稚」であるとみなしていましたが、そうではなく、その教理の欺瞞性を嫌ったからにすぎません。
聖書をはじめて読み通したのは、31,2才のときでしたが、読み終えたとき、「どうやったら、聖書をかくまで曲げて教理を作成することができるのか」と、愕然としました。



エデンの園の住民の使命

山紫水明を保持していた神の民
日本人はこの「あばら骨」のような小さな国土を、つい100年ほど前までは、田んぼを連作しながら、山紫水明の「麗しさの極み」の風土に保全していた国民なのです。
こうした、国民性も買われて、神の民にしていただいていたのですから、「この国を修理固成せよ」という、「古事記」の記述を真摯に受け止めて、神の御命令を受け入れて、国土の麗しさを取り戻さねばなりません。

コンクリートとアスファルトの自動車道を山の頂にまで張り巡らせ、海をまたがせて島々を繋いで誇っていても、国中が自動車の残骸や塵芥で埋め尽くされていては、「エデンの園」という神聖な名称を名乗りたくてもそれが許されないので、せっかくの「神国だった」という宝も持ち腐れとなっています。

「古事記」の記事の最初の命題が、天つ神の「このただよえる国を修理固成せ」、即ち、「浮き草のように漂って、時流に漂って、酔っ払っているかのようにわれを忘れている神の国に対して、「神の国」らしく修理して、確固とした基盤を築き直せ」という命題が与えられているのです。

10 四国はスフィンクスのモデル?

10 四国はスフィンクスのモデル?

四国とスフィンクス

四国はケルビムにしてスフィンクス
四国スフィンクス四国がケルビムであり、その姿がスフィンクスの形状であることを、高根正教氏は、「四国剣山千古の謎」(1952年)の小冊子で発表しました。その後、ご子息の高根三教氏が、「ソロモンの秘宝」(大陸書房1979年)に、この説をリライトして出版しています。

四国地図をみますと、なるほど、四国はギザのスフィンクスに似ています。
そして、スフィンクスは東方を見つめて、悠久の謎を問いかけています。



四国はキューピット

二名(フタナ)とは二匹の魚
伊予之二名島について、木村鷹太郎氏は、次のギリシャ神話が下敷きになっているといいます。

  イヨ姫なる美人あり。ゼウスこれを愛し給いしも、ヘーラ女神の嫉妬を憂いて、
  イヨ姫を牝牛に変えて、一時へーラの嫉妬を避けんとなし給えり。
  しかし、ヘーラ女神、その策略を知りて、
  百眼のアルfゴスに、その牝牛を殺させんと為し給えり。
  ゼウスはその牝牛を救わんとてヘルメス神を遣わしてアルゴスを殺させ、
  その牝牛を開放させ給えり。
  また、アルゴスの百眼を雉の羽翼に取り付けて記念の紋となし給えり。
 
  イヨ姫、ヘーラ女神からの執拗な憎しみと苦しみを免れんとして、
  イオニア海をさまよい、エジプトに着せり。
  ここに、ゼウス神、その牝牛を人間の姿にかえし、
  イヨ姫は国王の妃となりて幸福に世を送れり。
  その後裔にペルセウスおよびヘラクレスの英雄あり。

 木村鷹太郎氏は、また、次のように説いています。
  イヨ姫の後裔のペルセウス及びヘラクレスの話は須佐之男命の話であり、
  須佐之男命の記事の「安芸」は埃及Aegyptusの語幹Aegis 安芸である。
  「古事記」「日本書紀」の「埃ノ宮」「可愛ノ宮」はエジプトのことにして、
  美と愛の女神アフロディテーは、別名、可愛姫(えひめ)である。
  
  また、イヨ姫のさまよったイオニア Ionia は、ギリシャ語で双魚、即ち、
  二匹の魚の意である。

「古事記」の「イヨのフタナ」島とは、「二匹の魚」の意のイオニヤ Ioniaを意味して、また、「伊予の二名」とは、アフロディテーとキューピットの二名をも意味しているというのです。

 アフロディテは、夫ヘファイストスを裏切り、軍神アーレスと浮気をした為に
 暗雲が立ち始め、さらに、テュポンの暴虐によって暗黒の世となりました。
 アフロディテーとキューピッドの二人は、これを避けるために、
 連れ立って、魚と化して、東方へ逃げのび、
 のちに、この二名を魚座の星座として空に掲示した。

このようにギリシャ神話は伝えています。
「古事記」の「身は一つにして四面」の四国を「伊予の二名島と言い、伊予を愛媛という」の記事から、
四国がケルビムであり、ケルビムとは、キューピットであるということが導かれると私には思われます。
すると、その母の伊邪那美命はアフロディテー、即ち、ビーナスです!!

伊邪那美命はアフロディテー、四国はキューピットです



有翼の円盤
 
雉の羽に付けられた記念の紋章 
イヨ姫にまつわる神話中の「アルゴスの百眼は、記念の紋として雉の羽翼に取り付けられた」という話は、「有翼の円盤」の由来を伝えるものであると考えられます。
また、二枚の翼は、二匹の魚の形状をとることもあり得ます。
「翼と目」と「イヨ(イオ=ウオ)」と「エジプト」との間の緊密な関係を物語っています。

さて、イヨ姫の父はエノク、母はメリアです。エノクは旧約聖書では重要な人物です。
日本で、「イノコ」、「おいのこ様」と、民間行事で唱われていたのが、このエノクのことだと思われます。
私の子供のころには、「おいのこ様」の行事はまだ盛んで、その歌の内容は「大黒様」を連想させるものでした。

エノクのことを「イナハス」と表記している本もありますが、イナハは、大黒様とウサギの神話の舞台です。
 
 木村鷹太郎氏云わく、
  エジプト神話にイナハスInachusあり、ナイル河関係の神話を成す。
  従って、エジプト族をイナハ(ス)族という。
  これ、稲羽に当たれるものにして、その位置はナイル三角州の中央部にあたる。


ピラミッドのベンベン石の翼と目
ダハシュールのアメンエムハト三世(紀元前1849~1801年頃)のピラミッドの冠石であったといわれている石に刻まれている「有翼の円盤」と「目、まなこ」と「壷」を見てください。

    ベンベン石


ベンベン石のベンベンあるいはベンとはフェニキアのことです。フェニキアはフェニックス、つまり、鳳凰をシンボルとしています。
このピラミッド冠石、即ち、ベンベン石に刻まれている翼に日本列島は似ています。
飛ぶ鳥の「飛鳥」はここからとられているのではないでしょうか。
 

わが国では、神輿などに、この鳳凰が必ずついています。神輿が聖書の「出エジプト記」の「契約の箱」と似ていることがよく指摘されていますが、聖書に書かれた契約の箱のサイズの単位はキューピットなのです。そして、キューピットが神の聖所を守るケルビムであることを思いますとき、この契約の箱は、イオニア(双魚)の末裔によって運び出されたものと考えられるのです。

「古事記」「日本書紀」での稲氷命、ホメロスやヘシオドスでのアイネィアスは、ビーナスの子であるという設定になっていて、トロイアの神宝を持ち出して、イタリア建国を成し遂げたといわれています。
木村鷹太郎氏によれば、その後裔の神武天皇が東漸して、終いにはその宝器は羅馬船(かがみのふね)で日本に運ばれたと唱えています。



広げた翼は国いっぱいに

有翼の円盤は日本列島の表象?
このピラミッドの冠石に刻まれた翼を見ますと、次の預言が想起されます。

 「イザヤ書」7章
  インマニュエル その広げた翼は あなたの国いっぱいに広がる
 
 「詩篇」17章と91章
  わたしをひとみのように守り 御翼の蔭に匿ってください 
  わたしを襲うものから わたしを包囲する貪欲な敵から       

 「申命記」32章 モーセの歌
  主は荒れ野でヤコブを見出し
  獣の吼える不毛の地でこれを見出し これを囲い いたわり 
  御自分のひとみのように守られた
  鷲が巣をゆさぶり雛の上を飛び翔り 羽を広げて捕らえ 翼に乗せて運ぶように
  ただエホバ神のみがその民を導かれた

「イザヤ書」7章の「インマニュエル」とは、「神ながらの道」のこと。即ち、日本の古神道のことです。また、「その広げた翼はあなたの国いっぱいに広がる」というフレーズは「日本列島」を云っていると考えられます。
聖書には、このほかにも「有翼の円盤」の「翼と眼」の預言があります。
  
「ヨハネの黙示録」4章
 四つの生き物にはそれぞれ六つの翼があり、
 その内側にも外側にも一面に目があった。

「ヨハネの黙示録」5章
 その七つの目とは全地に遣わされた神の七つの御霊である。 

「ゼカリヤ書」3章 
 見よ。わたしがヨシュアの前に置いた石、
 その一つの石の上に七つの目があり、
 見よ、わたしはそれに彫り物を刻む。万軍の主のお告げ。
 わたしは、その国の不義を一日のうちに取り除く。

この「ゼカリヤ書」の「七つの目」、ヨハネの黙示録5章の「七つの目」、こうした「七つ」には「神」や「聖」や「完全」の意味があたえられています。
表象としての「瞳」は「御霊」を指すものと思われます。
「瞳」即ち「目」は「まなこ」ですが、「万葉集」などではこれに「愛子」の字をあてています。
前のブログで解説したキャピタルマークの同心円は、この「まなこ」でした。
三輪神社には、和霊(にぎたま)が祀られたと「古事記」が記しています。
伊勢神宮では、神鏡のことを御霊といいます。

「ゼカリヤ書」3章の「その国の不義を取り除く」ことが可能なような石とは、国際的見地から見て「マナの壷」すなわち「まなこ=目」であろうと考えられます。壷は瓶とも表現できますから、ファイストス円盤は最有力の「ひたか」にして「御霊」であると申せましょう。

「出エジプト記」には、契約の箱のふたには、向かい合った一対のケルビムが互いに翼を広げて、「贖いのふた」を蓋うようにしなければならないと書かれています。
契約の箱は「証しの箱」、或いは、「しるしの箱」といわれていました。

トゥト・アンク・アメンの棺も翼で覆われていますが、世界が、栄光のシンボルとした「有翼の円盤」の翼とは、日本列島であったと私は思っています。





9 エデンの園は日本だった

9 エデンの園は日本だった

14世紀の世界地図のエデンの園は日本

極東の日本の位置にエデンの園が

大英博物館所蔵の14世紀の世界地図をみると、日本の位置にエデンの園が描かれています。
日本が、世界でもまれな、「神国」という永い伝承を持つ国であるということを想起しないではいられない地図です。
大英博物館所蔵の14世紀の世界地図とその説明を掲げてみます。

「週刊朝日百科 世界の歴史」朝日新聞社1988年 安部謹也氏 (抜粋)

 中世の人々は楽園を幻想夢想の地とは考えていなかった。
 エデンの園は、距離は遠いけれども歩いて行きつくことが可能であると伝えられていた。
 このことは、中世の地図によってよく知られている。・・・
 中世の地図はエルサレムを中心にして東が上に描かれているが、
 エデンの園はインドより東の地として描かれている。

 「ニュールンベルク年代記(1493年)」に見られる世界図では、
 楽園の位置はもはや示されていない。

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   「週刊朝日百科 世界の歴史」1988年 D24ページ 解説 安部謹也氏

西洋キリスト教の信徒は、「死後の楽園」を信じているとばかり思っていましたが、実は地上にも神の国があると信じていたのですね。
古地図で、東の果てにエデンの園が書き込まれているまさにその位置に、「神国」と言い伝えられていた山紫水明の日本が存在したにもかかわらず、聖書のエデンの園と神国との関係を本気で考える神父や牧師、神学者、そして、歴史家がいないのは不思議というほかはありません。
それは人類史の大きな謎です。

上に掲示したのは、14世紀の地図ですが、9世紀ごろのTOマップ(下図)にも、東の端にエデンの園が描かれています。

TOマップ011

「ニュールンベルク年代記(1493年)に見られる世界図では、楽園の位置はもはや示されていない。」という現象の背景には、「羅針盤と火薬」の登場、そして、「新大陸」の存在が大きく影響したのではないでしょうか。
そのころから、「新大陸」を神が与えたもうた「新天新地」すなわち「楽園」と称えた文言が多く見られるようになります。

1620年11月、アメリカ北東部の海岸プリマスロックに一隻の船メイフラワー号が到着しました。
102名の乗船員の中に41名の教会員が乗っていました。彼らは信仰の自由を求めて、迫害と飢饉に悩まされたヨーロッパから逃れてきました。
それを、旧約聖書の「出エジプト」のモーゼに導かれて約束の地であるカナン(現在のパレスチナ)に辿り着いたというイスラエルの民に模して、「神が約束の地」としてのアメリカを賜ったという「アメリカの建国神話」の誕生に繋げたのです。

そして、世界から、エデンの園に関する意識は消し飛び、山上の垂訓は置き去りにされ、そして、日本においても、第二次世界大戦後のGHQによる「教育および神道改革」の影響で、「神国」としての伝承は抹殺され、「古事記」「日本書紀」は有害無益な書として放逐されてしまいました。
しかし、その「古事記」に、日本が確かにエデンの園であるという証拠が秘められていたのです。
それは、日本が本来の「神の国」であるというアイデンティティーを明らかにするものでもありました。
その証拠は、「古事記」の「国土産み」という記事の中に隠されていたのです。


伊邪那美命の国土生みとアダムとイヴ

「子を産む」地図のミステリー
「古事記」神代巻の「伊邪那美命の国土産み」の記述を読んでみますと、「国土生み」が淡路島や愛媛といった日本の辺境の地から書き起こされているのは何故かという疑問がわきおこります。
そこで、地図を広げて、「古事記」の「伊邪那美命の国土産み」の記事と照合しようとしました。そして、ふと、これを天空から見た日本列島の地図ではないかという視点でみましたところ、あっと驚く答えがでてきました。
日本列島そのものが、「子を産む女」と「子」の形状だったのです!!
「伊邪那美命の国土産み」の記事は「四国という子を持つ母」、或は、「子を生む女」の形状を示唆する記述だったのです。

原文を掲載してみます。

「古事記」神代巻 伊邪那美命の国土産み   
  伊邪那美命「阿那邇夜志(アナニヤシ)愛袁登古袁(エヲトコヲ)・・、
  かく言い意えて御合して生みし子は、淡路之穂之狭別島、
  次に伊予之二名島を産みき。
  この島は身一つにして面四つあり。
  伊予国を愛比売といい、讃岐国を飯依比古といい、
  粟国を大宣都比売といい、土佐国を建依別という。

「日本書紀」
 産む時に至るに及びて、先ず淡路州を以って胞(え)となす。


 伊邪那美地図


日本列島の地形状の類い稀な特徴を記述したもので、日本列島の四国以外の三島を伊邪那美命に、四国を子供に、そして、淡路島を「胞」に見立てていたのです。
さらに、ここで使われている「アナニヤシ」という意味不明の言葉を念のために「聖書辞典」新教出版社で見ますと、なんと、「ヤハウエ=エホバ現る」という意味です。
ここで、「エホバ現る」という言葉が出現するのは、「聖書」と照合することを示唆していると考えられます。
そこで、「聖書」の創世記を見ますと、こちらでもすぐさま、大きな謎にぶつかります。
   


アダムのあばら骨から創られたイヴ
創世記3章のこの「アダムのあばら骨から創られたイヴ」という章句は、「聖書」中で最も深遠な謎であるといえます。
この記事も世界地図と対照して見ます。すると、・・・

 世界大陸=アダム
 世界のあばら骨からなるイヴ=日本


という関係を導き出すように誘導した謎であったと私は解しました。


アダムとイヴ
イヴは日本列島

「アダム」には、もともと、土塊(つちくれ)という意味があるといいます。
「アダムとイヴ」は、一対の人間ではなく、一対で一個の地球のことだったのです!
「聖書」は、創世記の冒頭の記事において、すでに、全世界、地球を視野に入れて思考するよう示唆している書物だったのです。


「創世記」 2章
 これは、天地創造のときの経緯である。
 神は、土塊で人を形作り、それに命の息を吹き込まれた。
 神は仰せられた。人が独りでいるのはよくない。
 彼のためにふさわしい援け手を創ろう。
 神は、深い眠りをその人にくだされたので、彼は眠った。
 そこで、彼の肋骨をとり、そこの肉をふさがれた。
 神は、こうして、人から取った肋骨を一人の女に創り上げ、
 その女を人のところへ連れてこられた。

 すると人は言った。
 これこそ、今や、わたしの骨からの骨、
 肉からの肉・・・・
 

骨からの骨というフレーズは、日本がアメリカン・プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート、そして、ユーラシアン・プレートなどの集合で成り立っていることの表現としてぴったりです。
そして、アジア大陸の下に沈んでいる巨大プレートに、現在「イザナギプレート」という名が付けられていることに、「古事記」の預言の書としてのパワーが現れています。

四国とオーストラリアにまつわる面白い話をお教えします。
四国愛媛県の城川町は旧名を黒瀬川村といいますが、この辺りの地層の非常に特殊な事情が世界の地質学者たちの注目を集めました。
そして、多くの研究者たちの調査によって、黒瀬川村の地層が大陸移動のプレートテクトニクス理論を裏付ける重要な地層であることが明らかになったのです。
この旧村名にちなんで黒瀬川構造体と命名された地層は、元々ゴンドワナ大陸に付属していた黒瀬川古陸が、プレート移動によって日本列島に付加された付加体と呼ばれるものなのだそうです。
愛媛県の城川町の道案内には「四億年前ここはオーストラリアの一部でした」と書かれているのです!!!
私の「四国はオーストラリアの雛形」という言葉は、こうして、20世紀の科学的研究によって証明されているのです。

アララト氏の 09年05月30日のブログ「オーストラリアから来た石灰岩」から一部お借りしました。

肉からの肉

北海道は北アメリカににて、牛とジャガイモの産地、
本州はユーラシア大陸同様の古代文明の繁栄地、
九州はアフリカに似て火(日)の国、そして、
四国はオーストラリアに対応していることを指していたのです。

およそ3000年以上も昔に書かれた聖書の「創世記」と、およそ1300年前に編纂された「古事記」が、実は密接に連動している一種の謎々の書であったのだということがこれで証明できました。
「創世記」のうちに、神の国=元エデンの園が日本であることを解明し、なぜ、「日本が神の国」とされていたのか」という謎の答えが用意されていたのです。


さて、「創世記」のこの「土塊から成るアダムとイヴ」という神話を解して、これを「伊邪那岐命と伊邪那美命の国土生み」と同じ内容であると唱えた人に、江戸時代の国学者平田篤胤(1774~1843年「霊の真柱」1812年)がいます。
また、木村鷹太郎氏は、聖書の「創世記」と「古事記」の神代巻が同じ内容であることを力説し、しかも、「古事記」のほうがより詳細であると説いていました。しかし、木村鷹太郎氏ですら、伊邪那美命の国生みが日本列島そのものを描いていることまでは解明していませんでしたので、これをわたくしが発見できたのは望外の幸運だったと喜んでおりますが、これは日本にとっても大変慶賀なことであると思います。

しかし、「聖書」と「古事記」のコラボによるこの驚異的光景を発見してから20年以上になりますが、これで、「古事記」の価値を見直そうという声を文部省などに寄せようという動きは、全く見られません。
政治家の「福田氏」「安倍氏」「田中氏」「森氏」「越智氏」に、書籍を贈呈して、陳情書を衆議院議員会館に提出しても、数年たつも反応はゼロです。
一方で、たとえば、水泳の選手が、0,1秒の差で金メダルを取ると会見をして握手をします。オリンピックのマラソン競技で優勝でもしようものなら、即、国民栄誉賞をあたえます。
いったい、この国はどうなっているのでしょうか。



エデンの園のケルビム

「身一つにして面四つあり」はケルビム
「古事記」の「身一つにして面四つあり」という言葉も普通ではありません。
聖書の「創世記」と「古事記」の中に、神の国=元エデンの園が日本であることを解明する鍵が秘められていたと前項で証明しましたが、なおもよく見ますと、この、「身一つにして面四つあり」という言葉は、四国を指していると同時に、聖書の「一身四面のケルビム」を想起させる言葉であるのではないかと思いました。
ケルビムとは、神の臨在を示すもので、ケルビムの存在は、そこが聖なる神の神域であることを示すものです。
聖書は「創世記」の命の木への言及に始まり、「ヨハネの黙示録」の命の木の実の解禁で終わっています。
「創世記」2章、3章、そして、「ヨハネの黙示録」2章、22章に詳しくでていますので参照してください。

エデンの園の、「不死」の象徴である「いのちの木」の守護をするのが「ケルビム」です。

「創世記」3章  
 神は、いのちの木への道を守るために、
 エデンの園の東にケルビムと炎をあげて回る剣とを置かれた。 
   
「エゼキエル書」10章と「ヨハネの黙示録」4章にケルビムの記事があります。

「エゼキエル書」10章              
 そのおのおのには四つの顔(面)があり      
   第一の顔は、ケルブの顔
   第二の顔は、人間の顔
   第三の顔は、獅子の顔
   第四の顔は、鷲の顔

「ヨハネの黙示録」 4章             
   第一の生きものは、獅子のよう
   第二の生きものは、若い雄牛のよう     
   第三の生きものは、人間のような顔をもち
   第四の生きものは、空を飛ぶ鷲のよう      

聖書のこれらの記事と「古事記」の「身は一つにして面四つあり」を照合して、これが聖書のケルブあるいはケルビムと関連があることを、すでに、高根正教氏が発見していました。
高根氏は、1952年、「四国剣山千古の謎」という小冊子で、これを発表しています。

「ムー」2007年12月号 (学習研究社)の記事
 飛鳥昭雄氏+三神たける氏の「四国剣山 ソロモンの秘宝伝説」中に、
 久保田晃司氏デザインの「四国ケルビム図」(高根正教氏の原図もこれとほぼ同じ)
 がありましたので、お借りして、掲載しておきます。
 (学習研究社あるいは久保田晃司氏から抗議されるようでしたら、取り下げて、図を取り替えます。)

四国四面   
  伊予  愛媛   人        
  讃岐  香川   牛
  土佐  高知   鷲の翼
  阿波  徳島   獅子

四国が四つの生き物からなるケルビムであることがわかりますと、母親の日本列島も四つの生き物で成りたっていることに気付きます。これは、わたくしが見いだしたものです。


 
 北海道  牛の顔をもつ
 本州   鷲の翼から成る
 九州   獅子  
 四国   人の子

そして、四国ケルビムは、エジプトのスフィンクスではないのかという見解を次に説明します。 



7 淡路島の上立神岩はおのころ島

7 淡路島の上立神岩はおのころ島

「古事記」「日本書紀」の神話の原点 おのころ島

自凝(おのころ)島神社
淡路島の南あわじ市には、「自凝(おのころ)神社」があります。
伊奘諾(いざなぎ)命と伊奘冉(いざなみ)命が御祭神です。

おのころ島神社 南あわじ市

おのころ島神社 1

おのころ島神社 2

http://www.freedom.ne.jp/onokoro/

おのころ島については、旧三原町、南淡町、さらに淡路町の絵島などが揚げられていますが、この「上立神岩」が与那国島の「立神岩」と連携していることに深い意義がありますので、この「上立神岩」が、日本国土生み神話の重要なメルクマールであることは確かです。ここを、日本国土生みの神話の発祥地としたのには、何か深い理由が存在するはずです。

南あわじ市沼島の「上立神岩」は、伊邪那岐命伊邪那美命二神が国生みの際に建てたおのころ島のシンボル」であるといわれています。そして・・・
龍宮城の表門」にあたるのがこの「上立神岩」だという伝承までも残っているのです。

上立神岩 おのころ島



おのころ島 天の御柱

「古事記」の国生み神話
淡路島は、「古事記」の伊邪那岐命と伊邪那美命、二神の国生みの記事において筆頭に挙げられている地名です。
「古事記」の神代紀には、伊邪那岐命と伊邪那美命の二神が、「漂へる国を修理固成(つくりかためる)」ために、天の浮橋に立たれて、天の沼矛(ぬぼこ)を指し下して画き給い、その矛さきより滴る塩が凝って成った「淤能碁呂島」を天の御柱(「古事記」)、また、国の中心(「日本書紀」)とみなし、これを八尋殿と見立て給うた」柱でした。

しかる後に、「国土を生み成そう」と相談されて、その後に、淤能碁呂島を中心にして、「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ」と廻わられたと記されています。


おのころ島は心の御柱
「おのころ島」、また、「天の御柱」は、伊勢神宮においては「心の御柱」として、最重要な神事で取り扱われています。
         
二十年毎に行われる式年遷宮は、御神体と呼ばれる神鏡を、二十年毎に建て替えた新殿に御遷しする神事ですが、その際に御正殿中央の床下に「心御柱」を奉建するという重要な神事が行われます。

伊勢神宮の内宮の「心御柱」は、長さ五尺五寸太さ九寸、外宮が五尺ほどで、木本祭に於いて心御柱は夜間に建てられ、地中に二尺ほど埋められます。

山本ひろ子氏「中世神話」(岩波書店)には、この「心御柱」についての貴重な記述がありますので、その抜粋を掲載します。
 「旧事本紀」は、天の瓊矛をオノゴロ島に差し立て「国の天柱」とした記し、
 天の瓊矛は「天の御量柱・国の御量柱」「忌柱」と解されている。
  
 「天口事情」は、天地開闢の初め、高天海原に浮かんだ神宝=天の瓊矛の同体異名が、
 「天の御量柱」であり、天と地を表象する「心御柱」であるとしている。
 
山本ひろ子氏は、種々の古文献を考察して、「心の御柱」を、次のように定義づけています。

 天の御量柱
 天と宇宙を表す宇宙の根源的霊物
 世界の中心にそそりたつ柱のシンボリズム
 国家の固め、国の基軸の磐石のシンボル

   心御柱
   図 心御柱  「中世神話」山本ひろ子著 岩波書店 (P106) 

心の御柱と「天のひらか」
伊勢神宮の式年遷宮にまつわる神秘は他にもあります。
「心御柱の廻りに据えてあった天平賀(あめのひらか)」というものが存在するのです。

「伊勢神宮の建築と歴史」福山敏男氏(日本資料刊行会)から抜粋してみます。
 保安2年(1121年)8月、
 洪水のため外宮御正殿の床下の浸水が水深二尺にも達し、
 「心御柱の廻りに据えてあった天平賀(あめのひらか)」のうち、
 四百五十一口が瑞垣の内の角に流れ寄り、
 
 保安4年8月の洪水の時、
 御正殿の下の水深は二尺八寸にも達し、「心御柱」が水に隠れ、
 「天平賀(あめのひらか)」四百八口が瑞垣内の正殿の角に流れ寄った。  

この洪水によって、二十年毎の式年遷宮の度に新造して供した「天のひらか」というものの存在が外部に知られることとなったのです。
この記事から推理しますと、「おのころ島」「天の御柱」「天のひらか」は、切っても切れない関係にあるもののようです。
「天のひらか」については、「古事記」と「日本書紀」にくわしく出ていますが、その実態をよく伝えているのは、住吉大社です。
「天のひらか」用の埴土を採取する「埴使い」の神事が「住吉大社」の最も重要な伝統行事であるというのです。


これについては、後に詳しく書きます。




おのころ島=心の御柱は世界の中心の柱

おのころ島と世界樹
伊邪那岐命と伊邪那美命が、おのころ島、即ち、天の御柱を巡られた後、結婚して国土を産まれたという「古事記」「日本書紀」の記事中の、「柱の周りを巡ること」と、「結婚の幸福への祈願」が語られていることは、北欧やイギリスなどのゲルマン民族系のメイポール祭を想起しませんか。

メイポール ダンス ウィキペディア
メイポール 画像 ウィキペディア

メイポール祭は、五月に柱の天辺から色鮮やかなリボンを垂らして、人々が各々そのリボンの端を持って柱の周りを回るという伝統行事です。
この行事は太陽と火と聖なる柱を祭る火祭りであるとも、豊穣祈願の祭りであるとも、世界樹の祭りでもあるともいわれていますが、その聖なる柱は花嫁の柱とも呼ばれていて男根をも意味しています。
メイポールが象徴する世界樹は、北欧神話エッダでは、イグドラジルという世界全体を表象するトネリコの樹のことで、そのトネリコの木で創られた「アスカ」をも意味しているのです。

このトネリコの樹は全世界に枝を広げ、天界アズガルド、地界ミッドガルド、地獄界ヘルの三界を覆い、
その頂には金鶏が宿り、上ッ枝に鷲が止まり、下枝に角笛がかけられ、若枝を四頭の牡鹿が食み、根元には龍蛇が住むといいます。
北欧神話エッダは、神オージンがトネリコの樹から男を造ってアスカと名づけ、榛(はん)の木から女を造ってエムブラと名づけたといいます。

この「はんのき」の日本語の「はん」から、「汎、全て」を誘導して、
「panの木」、即ち、聖書の「命のパンの木」を想起させ、
「全ての贈り物」の意味をもつパンドラ、
「全て命あるものの母(創世記三章)」エヴァを示唆しているようです。

北欧神話エッダの世界樹の金鶏を鶴に、龍蛇を亀に置き換えると、そのまま蓬莱山や妙見信仰の図象です。
奈良などの「アスカ」という地名は、この世界樹から創られた男「アスカ」と同じと云えます。
奈良のアスカでは古代の「須弥山石」や「男根」「巨亀」などのモチーフが見られますが、これらが象徴する「須弥山」は、「世界の中心に立つ山」を意味すると伝えられているのです。

須弥山は、梵語のSumeruからきており、インドではこれをシバ神の象徴のリンガ(男根)であるとしています。
須弥山の別名として「妙光山」「妙高山」が挙げられていますが、「妙見山 明見山 妙剣山」などもまた、その別名であることは、北辰=北極星をシンボルとした妙見神が、「亀に乗り七星の剣と綱(あるいは蛇)を持つ姿」で表わされ、不動、不敗、安穏、さらに、豊穣を象徴していて、蓬莱山とよく似た構図で描かれていることからも推測されるのです。

「蓬莱山」は、彦穂々手見命、浦島太郎のいたところですが、徐福もまた「蓬莱、方丈、瀛州の三神仙」を目指したといいます。ところが、「ホーライ」という言葉はギリシャ神話にもでてくるのです。
ホーライ三女神」がそれで、それぞれ、「タロー(開花)、オーコ(成長)、カルボ(実り)」といい、知性、正義、平和、そして、豊穣と理想郷の観念、さらに、時、季節をつかさどっています。


また、伊邪那岐命と伊邪那美命が淤能碁呂島を中心にして、一人は右から廻り、もう一人は左から廻ると、反対方向に回わって出会われたという記事が、「古事記」『日本書紀」にありますが、これは、ギリシャ神話の、「ゼウス神が世界の左端と右端で放った二羽の鳥が、世界を回って、出会ってぶつかったところを世界の中心と定めて、そこへオンファロスを置いた」という神話を想起させるものです。

ギリシャのデルフォイで、「アポロンのオンファロス(へそ石)」といわれている石を見ました。このオンファロスが奈良の明日香にある須弥山石の真ん中の石と似ていることに注目してください。
須弥山石は古代の太陽石=陽石です。
また、オンファロスの模様が「リボン」であることは、壷絵などからも伺われますが、それは、メイポールに巻きつけるリボンを連想させるものであり、それは、伊勢神宮の「心の御柱」に巻く五色の糸のあしらいと似通っています。

    syumisen.jpg

    左須弥山石 右オンファロス


「オンファロス」とは、へそ石のことですが、「ファロス」が男根を意味していることは、「おのころ島」の「おのこ」や、須弥山の中心の「リンガ」とも一致しています。
また、「ファロス」とは灯台であり道しるべであることを重視すべきでありましょう。
与那国島の立神岩から鹿児島の枕崎の立神岩にいたる島々の「立神岩」はすべて海上を通行する船からの「道しるべ」となり得る目立つ岩です。
しかし、「上立神岩」には、国土運営上の「道しるべ」の意味を負わせているようにみえます。そこで、「古事記」から探索してみます。




メイはアトラスの娘Maia
メイポールの祭りが世界樹の記念祭りであると申し上げましたが、五月の「メイ」とは、ヘルメスの母の名から来ています。そしてメイ、すなわちマイアとは、アトラスの娘たちの一人です。
その子ヘルメスは、航海と通商の神で、二匹の蛇のついた杖をシンボルとしています。
ヘルメスの語源であるヘルマイ、ヘルマ、ヘルミは光明、すなわち陽の意で、かつ、柱、棒、男根の意でもありますから、
ギリシャでは道祖神ヘルマの道しるべとして、男根の表象が用いられることが多かったのです。
ヘミは、日本では蛇の意味です。日本の巨石のペトログラフに蛇が刻まれているものが多いことはよく知られていますし、男根状の巨石は日本のいたるところで見られます。
さきに取り上げた与那国島の「立神岩」もその一例です。
それらは「陽物」とも言い、「太陽石」も同じ内容です。「道しるべ」や「灯台」など、多くの意味を有しているといえます。

五月五日の端午の節句は「おのこ」を祝い、柱を立てて、五色の吹流しと鯉幟を揚げるのですが、これはメイポールの変形と考えられます。

マイアとイリスと玉依姫
五月の端午の節句には菖蒲を飾りますが、菖蒲=アイリス、即ちイリスです。
このマイア=メイの別名がイリス(アイリス)であり、日本では玉依姫にあたります。

イリスとヘルメス

この壷絵は、500 - 450 BCのもの、ドイツ ミュンヘンの Antiken sammlungen 所蔵の逸品の絵です。
そして、この絵に付されている英語の説明は「IRIS & THE INFANT HERMES」です。
そう、イリスが懐に抱いているのは幼児ヘルメスなので、玉依姫が養育したウガヤフキアエズとはアトラスにしてヘルメスだったのです。

そして、イリスが手にしているのは、ケーリュケイオンという、伝令の神ヘルメースが持つ杖です。ケリュケイオンともカドゥケウスとも表記されるのですが、これは、普通「二匹の蛇が巻きついている杖」でよく知られています。

イリス=玉依姫の子ウガヤフキアエスがアトラスであり中国の伝説で有名な「伏義と女媧」であるということは先にのべました。そして、伏義と女媧」は、次のような図柄で表象されています。

伏義・女
 漢時代AD206~220頃  拓本


このように、東西の資料を照合することによって、中国の神話時代の「伏義・女媧」の時代が、イリスの時代、トロイアの時代のことであったことがわかるのです。

木村鷹太郎氏はヘルメス神を考証して次のように説いています。

「日本太古史」博文館(明治45年刊)から抜粋

「日本書紀」中の鷦鷯の羽を以て衣にし、掌の指間から、あるいは葉っぱから落ちてきた少名彦名神は、日月、或いは、角と太陽の円盤を頭上に載せているエジプトの鳥頭のトート神、即ち、ヘルメス神であり、釣竿と魚を表象物とする恵比寿神がこれにあたる。
 

伊邪那岐命と伊邪那美命が、おのごろ島=天の御柱をまわってから、このあとヒルコ(エビス)を生み、これを葦舟で流したことを記していますが、この恵比寿神が、マイア=メイに育てられたヘルメス神です。


この「ひるこ」という言葉が、「昼」と「ヒルコン=ヘリオポリス=ヒェロポリス」、即ち、アポロンの都=太陽の都を云ったものであると木村鷹太郎氏はいいます。
さらに、「オンファロス」の「オン」もまた、「太陽の都」の意味です。
ヨセフがオンの祭司の娘と結婚したことが創世記41章に記されています。


五月五日の端午の節句
「メイポール」祭りに相当すると考えられる日本の端午の節句で、柱と五色の吹流しと鯉幟が掲げられるのは、ヘルメス神の日本バージョンであるエビス神の表象の釣竿と魚だったいえます。
五月五日は、男の子の祝祭日で、兜を飾る習慣がありますが、それは、ヘルメスのヘルメット、甲虫(かぶと虫)、亀甲の甲などから来ていると考えられます。エジプトではスカラベが神聖視され、日本で亀が目出度さのシンボルであることは、同じ意味だと思えるのです。
つまり、アトラス一族のシンボル「地球」が糞ころがしのボールや、亀に置き換えられていたと考えられるのです。
亀は大国主の紋章であり、大国主は少名毘古那と一対です。
亀甲紋は籠神社のカゴメ紋、ダビデ六角星形でもあります。ダビデはオルフェウスを継承しているという可能性があります。




亀とヘルメス、そしてアポロン

ヘルメスは朝(アシア)生まれるとき、母マイアの膝を飛び出し、
昼(ヒルコ=アフリカ)には、亀の甲に角をつけ糸を張って琴を作り、
夕(ヨーロッパ)には、アポロンの牛の群れ(タウロスやエウロペなど)を連れ出して隠し、
何食わぬ顔で帰ってきて寝ていましたが、
遂に嫌疑をかけられてオリュンポスで審議されたために、ヘルメスはその仕業を白状し、
亀の琴をアポロンに贈与したと神話は伝えています。その亀の琴は、アポロンから息子(または、トラキア王の子)オルフェウスに譲られて、オルフェウスが黄泉の国に下ってしまった妻エウリュディケを呼び戻すために奏でられたというのです。
 
それは、黄泉の国に陥てしまった神の国に、蘇り(黄泉からの帰り)を訴えている「ダビデの詩篇」が想起されます。そして、この神話は、伊邪那美のいる黄泉に行った伊邪那岐の話ですから、この連鎖は、おのころ島の伊邪那岐と伊邪那美まで一周しています。




琴座

琴座星座の琴座Lyraをわざわざ「亀の琴」の図で掲げましたのは、
一には「浦島太郎」の謎をガイドするのが「亀」だからで、
二には、この琴座の図で分かるように、ファロスや須弥山石、リンガ、さらに、
蓬莱山や立神岩などの表象との共通性があるからです。

琴座のもっとも明るい星ベガ Vegaは北半球において2番目、全天においては5番目の明るさの星です。
このベガ、アークツール、小熊座の北極星ポラリスの三星で形成する三角形は北極を探す目印となるのですが、このベガが、今から約1万4千年前には北極星でした!
 

この琴座のベガを織姫といい、天の川を挟んだ対岸の鷲座のアルタイルを彦星また牽牛と言い、両岸のこの男女の一年に一度の逢う瀬を祝う星祭りを「七夕祭り」といいますが、この天の川がナイル川であることをのちに説明します。

与那国島の立神岩を辿りますと、淡路島の上立神岩という「竜宮城の表門」に着き、そこは、伊邪那岐命と伊邪那美命が結婚のために立たれた「おのころ島=蓬莱山」の入り口でもありますが、そこでアトラスの娘マイア(五月姫)と出会うことになったのです。
そして、マイアの息子ヘルメスは「えびす様」であることがおわかりになったでしょう。

こうして、この神話が、黄泉に下った伊邪那美命を連れ戻しに行く伊邪那岐命の神話を誘導していることを考え合わせますと、「立神岩 → おのころ島=天の御柱=オンファロス=メイポール → 伊邪那岐命と伊邪那美命の結婚 → ヘルメス神の亀の竪琴 → アポロン神の亀の竪琴 → オルフェウスの亀の竪琴 → オルフェウスが黄泉にいる妻を連れ帰ろうとする神話 → 伊邪那岐命が黄泉にいる伊邪那美命を連れ戻そうとする神話」に私たちを誘導しているのです。

即ち、私たちは、このような、天空と大地に広がる「道標」を以って案内されているのです。
そして、オルフェウスとオンファロスとはアナグラムです!





「古事記」神話の謎解き 目次
項目をクリックしてください。

 7 淡路島の上立神岩はおのころ島  このページの記事です。
 8 世界図TOマップの謎
 9 エデンの園と伊邪那美命の国生み神話
10 四国はスフィンクスのモデル?
11 アダムとイヴと「古事記」神話



この記事の前編「与那国島海底遺跡の謎解き」をご覧になっていない方へ、

「与那国島海底遺跡の謎解き」の目次
項目をクリックしてください。

1  与那国島海底遺跡の謎解き    
2  与那国島海底遺跡と竜宮城
3  浦島太郎トアトランティス
4  浦島太郎と彦穂々手見命
5  クレタ島の粘土板に彦穂々手見命が
6  浦島太郎の蓬莱山の謎                   
7  淡路島の上立神岩はおのころ島



「与那国島海底遺跡」
「古事記神話の謎解き」を既にご覧になった方は、次の項目にお進み下さい。



「日本のアイデンティティー」の謎 
 「日本」の国典と聖書とギリシャ神話を重ねると・・・


12 御神輿と契約の箱
13 日本のアイデンティティー
14 賢木と命の木
15 神の国の門
16 七つの封印の書物
17 二十世紀のミレニアム戦争と日本
18 24ヶ月間踏み躙られると予言された国
19 神の栄光と審判が顕われる!
20 御名を尊ばずにはいられない
21 大いなるバビロンへの審判
22 守護神への帰依



神の国を明かす日本側の証拠

23 三輪神の正体
24 三輪の神の謎とギリシャ神話
25 三輪の神とクレタ島のミノア文明
26 住吉大社の謎 天の平瓮
27 住吉大社の謎 後代のしるしのための船 
28 住吉大社の御本地は?
29 オリオンミステリー
30 出雲大社の謎
31 オリオンとシダリヲ
32 天照大御神の御神宝
33 神宝はタイムカプセル?
34 国難と神宝の洗い直し
35 国難と蟻通しの謎
36 蟻通しの難題とファイストス円盤



日本国の歴史とアイデンティティーに関する、難解なテーマに挑戦して、市井の素人の私があれこれ口を挟むのは僭越に過ぎるようですが、歴史家や、神学者の方々に、また、一般国民の方々に検証を呼びかけたいという思いで、このブログを書いています。




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