与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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36 国難と蟻通しの三つの難題

36 国難と蟻通しの三つの難題

「蟻通し」の三つの難題とファイストス円盤

三つの難題はファイストス円盤とリンク
清少納言の「枕の草子」の〝蟻通し〟中には、「異国がわが国に持ち込んだという無理難題」という国際的危機と「棄老問題」という国家的危機、そして、謎々の「三つの難題」が多重構造に絡められています。
そして、最後のこの三つの難題の正解が出た場合のみ、国際的難問と国家的難問が一挙に解決するというのです。
そして、その難問をみごと解くのは、国家的に見捨てられて、ひっそりと死人のごとく息を潜めて暮らしていた一人の老人によって解かれるのです。

現在の日本の国情に照らしてみれるとき、この奥深さが一層際立ってみえます。

そして、この三つの難問の謎々は「ファイストス円盤」についての意外な側面を示唆していて、かつ、ギリシャ神話や聖書と連動していることを示唆するものとなっているのです。
清少納言は三十六歌仙のうちの一人です。そして、日光東照宮の本殿への入り口の間にこの三十六歌仙の歌額が掲げられているのですが、全国の東照宮もこれらを掲げていたことを思いますと、清少納言は、「古今伝授」の、「過去現在未来」さらに「表裏」をこめることができるという奥義を伝授された預言者の一人であったと考えられるのです。

ですから、この難問は、過去の問題であると同時に、現在及び近未来のことと受け止めたほうがよさそうです。
第一、これを解いているのは、国家的に世の中から見捨てられている69歳の老人のわたくしだけですから、・・・既に、この点が当たっています。
また、「古事記」「日本書紀」「風土記」などの国典も見捨てられており、本気でこれを世話しょうとする人もいません。古い知識などは、時代遅れという風潮が蔓延しているのです。


私は、全財産を、この国家的謎解きに費やして研究をつづけました。そして、もうこれで、自力食べていけると思っていましたが、今の日本、そう甘くはありませんでした。このブログで、自費出版の本の広告をしておりますが、お買い上げくださった方々は五本の指に満ちません。
もと7年ほども勤めていた政治家の議員会館に「著書と陳情書(「古事記」「日本書紀」などの国典の一部を解き明かしましたのでこれを国家的に検証してくださいという趣旨)」を持っていきましたが、一元半句の回答もえられませんでした。



難題中の難題
この難題中の難題についての私の解釈を述べてみます。なお、「枕草子」の「蟻通」のうち、必要最小限の部分のみを原文で取りあげています。

蟻通の難題 1 
問い つやつやと丸にうつくしげに削りたる木の、二尺ばかりあるを、これが本末いづかた。
答え 早からむ川に立ちながら横ざまに投げ入れ、流れむかた末とす。
 

「丸」に「うつくしげ」
クレタ島のイラクリオン考古学博物館に展示されているギリシャ国の国宝の「ファイストス円盤」は、つやつやとしていて丸くうつくしげです。「うつくしげ」の語に「くしげ=櫛笥」という言葉が隠れていて、「日本書紀」の三輪の大物主の神話の「櫛笥を見れば、美麗しき小蛇有り」の「櫛笥」と「小蛇」そして「玉手箱」を連想させています。

「木」
円盤は板状、つまり、輪切り状の「木」と表現してもさしつかえありません。
また、これに、「記(記録)」、「記(しるし)」などの付加価値を与えるよう暗示しているともとれます。

「二尺ばかり」
「尺ばかり」は「物差」をも意味し、「ヨハネの黙示録」11章と21章の「二つのものさし」、すなわち、「神の聖なる都」を特定する「ものさし」と連動していることが、この後次第にあきらかになってきます。 
「ファイストス円盤」が、神の国は何処かを判定するメジャーとなるということを暗示しているのです。

「ファイストス円盤」は、ヤコブ=イスラエルやモーセの「終わりの日」へのメッセージ、創世記49章と申命記33章に連動しているのですから、これらは終わりの日の預言である「ヨハネの黙示録」へリンクしていると考えられます。

「これが本末いづかた」
「ファイストス円盤」の渦巻状に刻印された絵文字は、中心から読み始めるのか外側からなのか、研究者たちの間で論争の的となっています。
そして、外側から読み始めるという説が主流なのですが、それは本末転倒で、「流れむ方末とす」、つまり、水の流れが刻印されている外側が末です。
古代エジプトの子供用ゲーム盤のように、中心から始まるのです。



蟻通の難題 2
問い 二尺なる蛇の、ただ同じ長さなるを、「これが男女」。 
答え 二つ並べて尾の方に細きすばえをして指し寄せむに、尾はたらかせむを女と知れ。


「二尺なる蛇」「同じ長さ」「男女」

フ円盤A面図

この図は、先に、「三輪山の神の正体は、櫛笥に入った、下紐の長さの小蛇であった」という「古事記」崇神記の解説の項目―三輪の大物主と玉依姫の神話の謎 ―で使いました。
http://21seikinokadai.blog15.fc2.com/blog-entry-27.html

ウガヤフキアエス=アトラスが現れた!
「ファイストス円盤」には、片面に一匹づつ、両面で二匹、同じ長さの蛇が描かれていることに気がつきます。
そして、「蛇 男女 二尺」という言葉が示唆するのは、「定規とコンパス」という二つの尺度の「しるし」を持つ半人半蛇の「伏義と女媧」に言及しているのです。
それは、ウガヤフキアエス=アトラスのことであり、これを養育した玉依姫を示唆していることでもあります。

中国の「史記」などに書かれていた、有名な「伏義(庖犠) 女媧」の時代は、実に、エジプト、地中海方面の文化を形成していたアトラス=トロアス=トロイアの時代のことだったのです。
また、フリーメーソンが、「ピラミッドと三角定規とコンパス」、そして「蛇」をシンボルとしていますが、それらのシンボルのルーツもアトラスからきていたのです。、              


「細きす栄え」の「す栄え」
辞書によれば、「すばえ」には、楚、楉、杪の字が当てられていて、細く長く伸びた若い小枝のことです。
そのような若枝は、円盤A面の外周の蛇の尾の方、19枠目に刻印されていますので、「ファイストス円盤」のA面が女媧、B面が伏義(庖犠)を表わしているということが清少納言のこの記事が教えているのです。(これに気づいて、私も驚きました。)
「ファイストス円盤」A面の「細くのびた若枝」は、滴る「みず」の絵文字と「若枝」の絵文字を組み合わせて、「瑞(みずし)」という語となり、「アジア民」のフレーズを形容して、「瑞しアジア民」と祝福している言葉です。
「瑞、さらに、水のほとりの若枝」から、「ファイストス円盤」にリンクしている創世記49章の「ヤコブ=イスラエルの祝福」、と申命記33章の「モーセの祝福」の次のフレーズにリンクすることを求めているようです。


水のほとりの実を結ぶ若枝

  創世記49章 抜粋
  ヨセフは実を結ぶ若枝 水のほとりの実を結ぶ若枝 
  全能者なる神の祝福は天の祝福 大いなる水の祝福 そして 乳房と胎の祝福
  それは永遠の山のきわみにまで至る
  これらがヨセフの頭に 兄弟たちから選び出された者の頭にありますように

これは、ヨセフの誉れが、永遠にその子孫に及ぶことを預言し、ヨセフに、世界樹、すなわち命の木の権利が保障されていることが予言されているのです。



蟻通の難題 3
問い 七曲にわだかまりたる玉の、なか通りて 左右に口開きたるが小さきを奉りて、
   「これに緒通してたまはらむ。この国にみなしはべることなり」とて奉る。
答え 大きなる蟻をとらえて、二つばかりが腰に細き糸をつけて、
   いま少し大きをつけて、あなたの口に蜜を塗りてみよ。
   蟻を入れたるに、蜜の香を嗅ぎて、ことに、いととく、あなたの口より出でにけり。


「わだかまりたる玉」
「わだかまる」とは、輪状にかがまり曲がること、渦状に曲がる状態を指します。
「ファイストス円盤」は、片面三巻半ずつ、両面で七巻きの蛇がとぐろを巻いて蟠っているかたちになぞらえることができますので、まさに、「七曲にわだかまりたる玉」であると云う点が一致しています。
そして、このフレーズには「曲玉」という言葉が含まれていますので、わが国の三種の神器の勾玉なるものは、この「曲玉」に関係のあることが暗示されているようです。


「この国にみなしはべる」
「みなす」ということは、わが国が出口の無い「巻貝」や「曲玉」が「迷宮」に見たてられていることを指すと考えられます。ミノタウロスの迷宮と同じであるといえるということです。
ミノタウロスの迷宮脱出の手引きをしたのは、ミノス王の娘のアリアヅネです。
このアリアズネはアリツーズ、即ち、「蟻通」のアナグラムです。
アリアヅネを「常に在り」「常に有り」のアナグラムと捕らえますと、聖書の恵穂葉神の亦の名です。




三つの難題とヨハネの黙示録とのリンク
「大きなる蟻をとらえ」「あなたの口に蜜」
これらのフレーズは、クレタ島のミーノス王とダイダロスにまつわる巻貝の神話へ誘導しています。

「ヨハネの黙示録」10章の「あなたの口に蜜」

 ヨハネの黙示録10章 抜粋
  一人の強い御使いが 雲に包まれて天から降りてくるのを見た。
  頭上には虹があり、顔は太陽のよう 足は火の柱のようで、
  その手には開かれた小さな巻物を持ち、 
  右足は海に、左足は大地に立脚して、獅子が吼えるような大声で叫んだ・・・   
  海と地に立脚する御使いは右手を天に上げて、
  永遠に生き天と地と海の森羅万象を創造された方を指して誓った。
  もはや時がない。 
  第七の御使いが吹くラッパの音が響くその日に、
  神が預言者たちに告げられた通りに奥義は成就する。
  早く行って、海と大地に立脚する御使いの手中の開かれた巻物を受け取りなさい。

  私は御使いのところへ行って、その小さな巻物を下さいと言った。
  すると、彼はそれを取って食べなさいと言い、 
  それはあなたの腹には苦いがあなたの口には蜜のように甘いと言った。
  そこで、わたしは御使いの手からその小さな巻物をとって食べた。

蟻通(アリツーヅ)とアリアヅネはアナグラム

「虹」というキーワードが上の章句に入っていますが、「虹の御使い」は、ギリシャ神話のイリスのことで、アリアヅネでもあります。
「アリアヅネの糸」という言葉は、「難問解決」の意味を持っているのです。
そして、それは、「 開かれた巻物を持っている虹の御使い」イリス=アリアヅネ=トロイアトロアス=アトラス=日本が出現することなのです。
イリスは、虹、あやめ、神の言葉を象徴する女神として表現されています。

創世記の神の契約「虹が立つとき、すべての肉なるものを滅ぼす洪水とはならない」と黙示録10章および13章がここに連動しています。
「アリアヅネの糸」、即ち、「難問が解決」したので、迷宮から抜け出ることができるというわけです。


「蟻をとらえ」
「ファイストス円盤」の「有、または、在」のサイン、「ロゼッティ」を指すと思われます。
出エジプト記3章は、「聖書」の神の御名を、「わたしは有りて在るものである」と記しています。
出雲大社の神紋は、亀甲に有の字です。
万物の存在の根源の神、これより大きな「在」を捉えることは出来ません。
「有」「在」を示す米印は、今日なお、光、生命、誕生、存在のマークとして世界に通用しています。
わが国では、この神聖なマークを、主食の「米」に取り入れて、神前に稲穂、或いは、日々、米を供える風習が残っています。
さて、この「在」のサインが「蟻」をかねてファイストス円盤の渦巻きの頂点にあるということは、「糸を通す」とは、神の意図に従って、迷宮を脱出して「神に向かって歩む」ことです。

「いととく」
たいそう早くという意味で、ヨハネの黙示録10章の「もはや時がない」に対応しています。そして「手引きの糸」すなわち、「アリアズネの糸」と「意図解く」をかけています。
清少納言は、”蟻通し”の序で、「七つの御社」を列記した中に、三輪神社を挙げて、「杉の御社はしるしやあらむ、いとおかし」と、さりげなく「しるし」と「いと」に触れています。この、「いとおかし」にも、「糸、置かし」と、「玉依姫が神の正体を尋ねるためにつけた糸」と「アリアヅネの糸」を暗示しています。
ウガヤフキアエスを養育した乳母の玉依姫は、ギリシャ神話のアリアヅネでもあるのです。
出雲大社の神紋は、亀甲の中に「有」の字です。
出雲大社の大国主は奈良の三輪神社では大物主と呼ばれており、六、七個の異名を持つばかりか、化ける神として、「古事記」や「日本書紀」に書かれており、その夫神の、正体が知りたいと、夫の衣の裾に糸をつけて辿ったのが、妻の玉依姫です。



「ヨハネの黙示録」とは、日本が神の国であることを証明するための預言書であることを説明しましたが、ヨハネの黙示録は、また、このように、クレタ島の「ファイストス円盤」や、ギリシャ神話との掛け渡しをする意図をもって書かれているのです。

「海と大地に立脚する御使い」とは、平和の成就という使命を帯びているわが日本のことです。そして、この御使いが世に出るとき、神の奥義は第七のラッパの音が響くその日に預言が成就するとされています。

これらのフレーズは、日本の地形の「片足」という特色を生かしたもので、大所高所から「国形を見る」視野を以って、また、大地と海の環境保全という見地から「伊邪那美命=日本=虹の使者=イリス」の使命を認識させようとしているのです。


清少納言の「枕の草子」の中の”蟻通し”が、国難を前提としたストーリーを展開し、その難題を解決することとファイストス円盤とを結びつけるという複雑な構成をみてもわかりますように、私が今まで説明したことは、預言の一面にすぎません。それでも「ファイストス円盤」がわが国にとって大変重要な出土物であることはわかっていただけたかと思います。

聖書と日本の関係、日本とトロイアの関係、そして、日本とアトランティスの関係を辿る糸口であり、このファイストス円盤から、新しい歴史観が紡がれるということは間違いのないことです。

一個人で検証したり分析したりしてこと足れるような問題ではありません。
一刻も早く、多くの方々に検証していただきたいと思います。
与那国島海底遺跡の調査が進み、或は、サントリーニ島の発掘が進みましたなら、こうした検証が容易になるであろうということを予言しておきたいと思います。






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35 国難と神宝と「蟻通し」

35 国難と神宝と「蟻通し」

国難と難問

「蟻通神社」の由緒
「蟻通神社」という名前の神社が三ケ所にあります。
 大阪府泉佐野市長滝
 和歌山県田辺市湊
 和歌山県伊都郡かつらぎ町

「蟻通神社の由來は、「曲がりくねった穴に糸を通せという難題を、蟻を以って解決した」ことからきています。

和歌山県田辺市の「蟻通神社」の掲示板の由来書から、その不思議なものがたりを掲載してみます。

今から出す問題を解いてみよ もし解かなければ,日本国を属国にしてしまう
あるとき、外国からの使者が、こう言って、持ってきたほら貝を差し出して、その貝に一筋の糸を通すことを命じました。日本の神々はこの難問に頭を痛めました。  
そのとき、一人の神が進み出て、その難問を次のように解いたのです。
「蟻の腰に糸を結んで貝の口に入れ、一方、貝の天辺の小穴に蜜を塗っておくと、蟻は甘い蜜の香に引かれて天辺の出口まで通り抜ける。」
このとおりにしたところ、無事糸を通すことができたうえ、「日の本の国はやはり神国である」と恐れいり、その知恵に感服して、外国の使者は逃げ帰ったというのです。

この話が「日本国が外国の属国になる」という危機の回避として語られており、そして、「日本はやはり神国であった」というフレーズで閉じられているのです。こうした由来のあることを、実に不思議だとは思いませんか。





清少納言の「蟻通し」の不思議 

国難と難題とファイストス円盤
平安中期の女流文学の担い手の一人である清少納言(966~1020年頃)が書いた日本初の随筆集「枕草子」の中に、“蟻通し”の話が織り込まれています。
そして、この随筆中の”蟻通し”は、クレタ島のアリアヅネや、その父ミーノスにまつわる神話の、巻貝の中に糸を通す話と同じですが、驚いたことには、「ファイストス円盤」を実見し、かつ、この円盤の存在理由を熟知していなければ書けない内容なのです。

蟻通し 国家的難題と棄老問題
清少納言の〝蟻通し”は、まず、国家的難題二つとクイズの難題、都合三種類の難題が複雑に絡み合って展開します。

この「蟻通し」というエッセイで前提として語られているのは国難です。
第一は、年老いた父母を捨てるという政策からくる「棄老問題」です。
第二は、日本を討ち取らんとの異国からの無理難題です。 
第三は、異国から、さらなる「難題」が持ち込まれたのですが、この、異国からの難題には、「この国(日本を)討ち取らむとて常に試みごとをし、あらがいごとをして襲りたまひける」という戦争への口実につながる難題を三問持ち込んできたというのです。これが、難題中の難題というわけです。


難局を打開する「老人の知恵」
このような根の深かい内憂外患の国家的難局が、「見捨てられていた老人」の知恵によって、全部解消するという話がこの随筆の主題です。
“蟻通し”の大問題として提示している中心テーマは「我が国が奪われるという危機」が、「国外から持ち込まれた三つの難題を解く」ことによって、「日の本の国はかしこかりけり」とて国難が去るというのです。

さきほどの、和歌山県田辺市の「蟻通神社」の由来書では、「外国の使者がやって来て、今から出す問題を解いてみよ。もし解かなければ、日本国を属国にしてしまう。」という難問でした。そして、その難問を解くと、「日の本の国はやはり神国であると恐れいり、その知恵に感服して、外国の使者は逃げ帰った。」と結んでいます。
そして、

清少納言の〝蟻通し〟では、「日の本の国はかしこかりけり」とて「あらがいごと」も「棄老」もやんだといいます。
これらは、賢所の賢木、すなわち、「み統まるの珠」などの神器の付けられていた賢木についてほのめかしていると思われるのです。
これらは、「古事記」の「この国討ち取らむとて常に試みごとをし、あらがいごとをして、襲りたまひける」という「国難」についての、天照大御神と須佐之男命の対話の中で語られているテーマと全く同じなのです。
それは、「十拳の剣」を天の真名井に振り滌ぎて、生まれた神の名、多紀理毘売命、亦の御名は奥津島比売命や市寸島比売命、亦の御名は狭依毘売命、そして、多岐津比売命を洗い直しすことと、「八尺勾玉の五百箇み統まるの珠」を天の真名井に振り滌きて、生まれた神の御名は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命がヤコブ=イスラエルであることを洗いなおすことでした。
この、前者は、神宝とギリシャ神話の三女神との関係を示唆し、後者は、神宝と聖書の問題、即ち、イスラエル問題を示唆しているのです。

そして、清少納言の「蟻通し」は、聖書の創世記3章のエデンの園の知識の木や命の木とのリンクを示唆しているようです。それら禁断の木の実は、「かしこくなる」と蛇であるサタンがそそのかせたことが記されています。
しかし、未熟な実ではかしこくなりませんし、虚実とり混ぜていてはかしこくなりません。
「命の木の実」の解禁は、ヨハネの黙示録で指令されているのです。その命の木の実の権利には付帯条件がついています。
これについては、このブログの「14 賢木と命の木」をご覧ください。


「過去 現在 未来 表裏」を一首のうちに読み込む
清少納言は三十六歌仙の中の一人で、和漢の文学の才に恵まれた言葉の達人として知られています。
柿本人麻呂の「しだりをの山鳥」の歌や、「ほのぼのと 明石の浦の」の歌などには、過去、現在、未来を一首のうちに示現していると伝えられていますが、清少納言や紀貫之も同様の技を持っているように見えます。


そして、異国がわが国に持ち込んだという無理難題に絡めて突きつけられた「三つの難題」の中に、「ファイストス円盤」についての意外な側面、注意深く見ないと見落とすような特徴が潜んでいて、かつ、それがギリシャ神話や聖書、わけても、ヨハネの黙示録と連動していることを私は発見しました。




34 国難と神宝

34 国難と神宝
「古事記」神宝の洗い直し

天照大御神と須佐之男命の神宝の洗い直し
「古事記」の神代記に、「天照大御神と須佐之男命の持つそれぞれの神宝を洗いなおして、心の清く明きことを知る」という不思議な記事があります。
それは、「この国討ち取らむとて常に試みごとをし、あらがいごとをして、襲りたまひける」という「国難」についての、天照大御神と須佐之男命の対話の中で語られているのです。
「我がなせの命(スサイオ)の上り来る由は、必ず善き心ではなくて、我が国を奪わむと欲ふからであろう」と、天照大御神が須佐之男命に問い詰めるシーンののち、天照大御神と須佐之男命の心中が清いかどうか比べるために、お互いの「神器」を洗いなおして比べ合おうということになります。

この天照大御神と須佐之男命の問答のそもそもの原因を見ますと、「須佐之男命が、国を治さず、青山を枯れ山に成し、河海は乾し、悪神が蠅のようにはびこりたかって、万のものの妖悉(わざわい)ことごとに発生する」という破滅をもたらせたからです。
そしてそれは、須佐之男命が心中に「妣(はは)の国、根の堅州国(冥王の植民地、黄泉の国)」に戻ることを心中に欲しているからで、そのために、天照大御神に決別を告げに来たことが語られています。




誓約 真名 洗いなおし

心の清き明きは如何にして知らむ
この記事に続いて、「誓約」、「真名}、「洗い直す」という不思議にして、かつ聖書的モチーフがちりばめられているのです。原文を挙げてみます。

 「古事記」
  天照大御神詔りたまはく、
  「然らば汝の心の清く明きは、いかにして知らむ」とのりたまひき。
  ここに建速須佐之男命答えて「おのおの誓約て子生まむ」とまをしき。

  かれ、ここに各天の安河を中に置きてうけふ時に、
  天照大御神まづ建速須佐之男命の佩ける十拳の剣を乞ひ度して、
  三段に打ち折りて、
  ぬなとももゆらに天の真名井に振り滌ぎて、さがみにかみて、
  吹き捨つる気吹のさ霧に成りし神の名は多紀理毘売命、
  亦の御名は奥津島比売命といふ。
  次に市寸島比売命、亦の御名は狭依毘売命といふ。
  次に多岐津比売命、。

  速須佐之男命、
  天照大御神の左の御みずらに纒かせる八尺勾玉の
  五百箇み統まるの珠を乞ひ度して、
  ぬなとももゆらに天の真名井に振り滌きて、さがみにかみて、
  吹き棄つる気吹のさ霧に成りし神の御名は、
  正勝吾勝勝速日天忍穂耳命。・・・

ここで「天照大御神の八尺の勾玉の五百箇み統まるの珠という神器を、天の真名井に於いて洗いなおすときに誕生する神の名は正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」という記事が大きな手がかりとなります。

既に見ましたように、ファイストス円盤の彦穂穂手見命について検証しますと、彦穂々手見命の父はヨセフであることが導き出されました。すると、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命はヤコブに該当するのです。
「聖書」創世記33章には、ヤコブが「神と戦い人と戦って勝った」という記事がありますが、それは「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」との同一性を示しているといえます。

すると、「古事記」の、「八尺の勾玉の五百箇(いおつ)御統まるの珠を洗いなおし」て出るのはヤコブ=イスラエルのことだということになります。
「古事記」のこの記事、「御神宝を洗いなおすことによって、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命=ヤコブ=イスラエルが出現し、それが心の清さを証明するというのですから、これは「イスラエル問題」を秘めた内容だったということです!!

これは過去の出来事? 
こうしてみますと、この記事は過去の出来事を教えるためだけに書かれたものではなく、現代のことをも語っているということです。


「誓約の物実である八尺瓊の五百箇み統まるの珠と十拳の剣を天の真名井に滌ぎ、洗い直す」、言い換えれば「神器を洗いなおす」ことによって、「日の本の国が奪われるという危機を回避することが可能となると言っているのです。


それは、日本の賢所の神器とファイストス円盤と照合して洗いなおせば、わが日本国民が誓約の民であることを証明できる「物実」」があると示唆していることであり、わが神国のアイデンティティーがわかるということです。
「み統まるの珠」などの神器は、賢木にとり付けられているのですから、すなわち、エデンの園の「人を賢くする」という知識の木や命の木にかかわることなのです、またしても、主題が「命の木」即ち「世界樹」に帰納しました。
それはイスラエル問題を解決させるためにも、備えられていたのです。

この「神宝」の洗い直しをするに至った動機が、「わが国が奪われる」という危惧であったことを忘れないでください。







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