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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

23 三輪の神の正体

23 三輪の神の正体


日本の守護神は恵穂葉神

日本が「神国」と呼ばれていたのは何故か
日本は「八百万の神」を信じる国であると言われていたのですが、その真意は「万物の神」の意であり、わが国の古代に於ける神社の敷設は、すべて、わが国の守護神が「万物を創造された恵穂葉」であることを証明するために備えられていたということを、今まで説明してきました。

クレタ島から出土した、およそ3600年前のものである「ファイストス円盤」に刻まれていた絵文字は、「恵」の象徴である「光」の「灯明」、「生命」の象徴である「穂、葉」で表象されていました。
灯明と鏡、そして、稲穂と榊がわが国の神社の神事に欠くべからざる要素となっている背景には、幽れておられる守護神の御名前を織り込むという重要な配慮があったのです。

つまり、地中海での「ファイストス円盤」と、日本の神事が照合されて、アットラスト、即ち、遂に日本に守護神の顕現が成る日のための方便としての神事や神社配置がなされていたと言うことです。

しかし、素人の、一介の市井の人の研究がすんなり皆様に受け入れられるとは考えていません。
一般に受け入れてもらえる前に、さまざまな妨害の手段が張り巡らされているのです。
そして、妨害が予想されているからこそ、このような手の込んだ謎々形式で奥義が伝えられているのです。
また、「霊能者とか神職の方々ではなく、さらに、学者によってでもなく、子供のように単純で無力な者によって聖書の奥義が解かれる」ということは、旧約聖書と新約聖書のあちらこちらで述べられていることですが、それは、必然的に賢いと称する方々は見落としたり敬遠したりするような書き方になっているということが含まれます。

アンデルセンの「裸の王様」のように、「大人」は、真実を見ても、有利だという可能性が薄ければ、見ぬ振りをします。「偉い人がそう言っているから、それは正しい。」と言っているうちに判断力を失ってしまうのです。


わたしは、「日本の謎と聖書の謎」を調べるのに、十数年の歳月をかけ、一千冊以上の書物を買い、図書館に足しげく通うばかりではなく、日本各地の神社仏閣はおろか、エジプト、イスラエル、トルコ、ギリシャまで尋ね歩きました。
そうして、ほぼ、原稿がまとまった時には、老後のための蓄えはゼロとなっており、新しい世紀、2001年が始まっていました。


01年9月11日
2001年9月11日に、ニューヨークのワ-ルド・トレード・センターのビルの崩壊するさまをテレビでつぶさに見たときに、「21世紀そうそう、軍拡時代、管理体制時代に突入した!」と直感しました。「21世紀こそは平和の世紀になりますように」との願いの真逆の幕開けとなったことを悲しみました。
そして、あの巨大ビルディング二棟があれよあれよと見ているまに完全に崩壊するさまは、どうみたって、綿密に隅々まで「強力な火薬やダイナマイトが配備されていた」としか考えられませんでした。
しかし、アラブ人テロリストたちがハイジャックしたジャンボジェット機が「ビルに突っ込む」有様をリアルタイムで眼前に見せられたのですから、世界の殆んどの人々の脳は、「テロリスト=ワールドトレードセンターを崩壊させた」と信じ込んだことでしょう。
鉄筋コンクリート建造物の構造や強度についての専門家たちもまた、「ジャンボジェット機が高層ビルに突撃しただけでは、かくまでスピーディーに、巨大ビルディングが完全崩壊することはありえない」という説明をしてはいませんでした。
アンデルセンの「裸の王様」のケースと同じです。
こうして、20世紀と同じように「不正直」で「堕落した」科学者の蔓延する世紀が続くことを悟らされました。


わたくしは、翌、12日、知人二人にこの「911の不審」について電話しますと、期せずして二人とも支配者たちの「世界戦略の誇示」であると思うというご意見でした。


新しい戦略、テロリストへの積極的先制攻撃という名目で、もはや支配者たちは、本質的には同盟国すら必要としないで、一国の力ですべてを解決しようというのです。
もちろん、世界平和のため、正義のためと称して、日本等への協力金を要請することも思いのままです。
つまり、ワンワールド体制を強化して、彼らの邪魔者を締め付け、いかようにも采配できる戦略の徹底化を、この911事件で見せつけられたのです。



国連本部の「象徴」は、「剣を鍬に、槍を鋤にという平和実現へのスローガン」なのですが、国連本部の所在するアメリカがこのありさまです。
「剣を鍬に、槍を鋤に」という平和実現へのスローガンの根元である聖書の恵穂葉神の預言どおりの平和な世の中になるようにとの願わずにはいられません。
そこで、911事件の数日後に「奈良の三輪神社」に、原稿と資料を持って、夜行長距離バスで出向きました。

日本が、数千年間、斎き奉ってきた守護神が、実は「恵穂葉」であるということが、三輪神社から辿れるように、「古事記・日本書紀・風土記・万葉集」などがガイドしているからです。
この事実を当の「三輪神社」関係者がまず知ることが、日本の守護神恵穂葉のお名前を世に発表するのには不可欠だと考えたからです。

「不戦の誓いをこめた日本国憲法を持ち」この60年余、その不戦の誓いをまがりなりにも守り通してきたわが国が、参戦するという罪を犯す事態になる前に、この恵穂葉神の「平和」の預言を検証して、日本が平和への架け橋になることを願ったからです。



しかし、応対した三輪神社の神官の態度は驚くべきものでした。原稿や資料を受け取ることもこれを一瞥することすらも一切拒否し、殆ど私に説明を許さず、椅子をすすめることもありませんでした。
「神のことは、あなたに教えてもらわなくても結構です。当方には、そうそうたる学者さんたちとの付き合いがありますから」といい、そして、「ときどき変なことを言う人が尋ねて来ます」と、冷笑して、婉曲に「気狂い」扱いをして追い返されました。
あまりの態度に、「長距離バスで来ましたので、喉が渇きましたから、水を一杯」と所望したのですが、境内の水を勝手に飲むようにと指示されました。しかも、白い小袖に緋の袴の巫女さん二人が、遠慮げもなく、私のほうをを見ながらクスクス笑うのです。


能 謡曲の「三輪」は「三輪を尋ねてくる狂女」が主題の深遠な曲目です。
そして、「三輪」の狂女は神の化身とされていて、しかも、狂女の実体は、神の御正体を知りたいと糸を辿って来た玉依姫であるという主題なのです。
日本がすっかり狂ってしまって暗闇となった時、この三輪を尋ねて神の御正体を知って、問題解決の「アリアヅネの糸」を手がかりとしなさいという意味が下敷きになっている深遠な狂言です。






1 三輪の神の謎 

この国を作り堅めよ
「古事記」の神代巻に、「少名毘古那神と御諸山の神」に関して、「この国を作り堅めよ」というテーマで書かれている記事があります。

大国主神が、「吾独りでは、この国の経営は成り難い、いづれの神と共にこの国を相作ればよいか」という問いかけたという内容で、「汝(少名毘古那)、葦原色許男命(大穴牟遅)と兄弟となりて、その国を作り堅めよ」と神産巣日神が仰せられたと記されています。



御正体を誰一人知らず
そして、その少名毘古那神の御正体を「誰一人知らず」、それを知っているのはただ独り「久延毘古(くえひこ)、亦の名、山田のそほと(かかし)」だといいます。
また、少名毘古那神は「天の羅摩船に乗りて、ひむしの皮を内剥ぎに剥ぎて衣服にして」帰り来た神とも書かれています。

この記事の謎もまた深遠であり、例のごとく多重構造になっていますので、簡単に重要なことから、解説していきますと、大国主(大穴牟遅 葦原色許男)は、旧約聖書とモーセの旧世界、そして十部族を代表し、少名毘古那は二部族とイエスの新世界をも象徴しているようです。


指進の栗栖(クルス)(「万葉集」970番)
この歌をご存知でしょうか。
歌われている久延毘古という案山子(かかし)は、十字架のイエスと、「二匹の魚のアフロディテとキューピット(弓人)」のキューピット(ケルビム)をも象徴しているのです。
そして、二匹の魚が登場すれば、それはキリスト教をも意味します。

「羅摩船」という言葉のうちに、イエスとローマの関係がみえ、そして、トロイアの王子アイネィアス(稲氷命)は、アフロディテの子供であると書いてあることから、ローマ建国の祖アイネイアスが所持していた「トロイアの神宝」が「羅摩船」で運ばれてきたことが見え隠れしているのです。


「古事記」のこの記事を説明していると考えられるのが、「国形を見したまいて」「千萬の軍隊よりも」心強いという「万葉集」の指進の栗栖(クルス) 970番 の一連の歌です。
これは、モーセの「申命記」33章の「天と地を彼らに対する証人とする」という預言とリンクしています。
それは、わが国の歴史は、「星座と世界各地の地図と地名」が雄弁に語り始めるであろうということを含んでおり、ゆえに、世界最強の軍事大国をも屈服させる力があると言うのです。

  五百重山 い行きさくみ 仇守る 筑紫に至り 
  山のそき 野のそき見よと 伴の部を 班ち遣はし
  山彦のこたへむ極み 谷蟇(たにくく)の さ渡る極み
  国がたを見し給ひて 冬こもり春さり行かば  
  飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道の丘邊の路に  
  丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に   
  山たづの 迎え参出む 君が来まさば        「万葉集」971番                

  千萬の 軍なりとも 言挙せず とりて来ぬべき 男とぞ思ふ    

この歌は「クルス」や「白雲の龍田の山」を詠んだ歌と次の歌とセットです。

  指進の栗栖の小野の萩の花 
    散らむ時にし 行きて手向けむ             「万葉集」970番 
 
  白雲の龍田の山の 露霜に色づく時に 
    打ち超えて 旅行く君は                「万葉集」972番


「指進(さしずみ)=指針」の「来栖」から、十字の「クルス」であることが導き出され、指進=指針=指矩(曲尺)や指進=指墨からは、イエスが大工の子と呼ばれたこと、また、クレタ島の迷宮でアリアヅネに手引きの糸を与えた巨匠ダイダロスまでが含まれているのです。
ダイダロスは、世界に名高い名工の名前だといわれていて、巻貝に糸を通して難題を難なく解いたという伝説の主です。その名は「大タウロス」のアナグラムにちがいありません。

「指進の栗栖」の歌は、引き続いて載せられている「万葉集」971番の歌が、「山彦の応へむ極み 谷蟇のさ渡る極み 国形を見し給いて」という歌であることから、この歌が三輪山の「久延彦」の歌であることがわかります。

わが国の形が、「伊邪那美=ヴィーナス=アフロディテとキューピット」の形で、世界大陸の雛形であるということ、「飛ぶ鳥」の翼の形であり、「弓」の形であるということなどについては既に書いたとおりです。

これは、神に全幅の信頼を寄せたモーセやイエスと同じ預言、「天と地が証明する」という言葉の中にもこめられていることは勿論ですが、各地の物語たりや地下から出土する発掘物、そして古文献がそれを証拠づけることを言っているのです。



大国主と少名毘古那神とくえびこを尋ねる
三輪神社には「久延彦」神が祭られています。この神は、ここでは「案山子(かかし)」であるといわれており、さらに、くえびことは、くたくたになって見捨てられている存在であるといいます。

竹や木で組まれた十字形と粗末な着物の蓑を着て、菅笠をかぶり、山田にぽつんと取り残されている三輪山の久延彦、即ち、案山子の境遇を詠んだ歌があります。

 あしひきの 山田のそほと をのれさえ 
    我をほしといふ 愁わしきこと              古今集  
 
 山田守る 曾富騰の身こそ哀れなれ
    あきはてぬれば 問う人もなし             續古今集


「あしひき」からは跛(びっこ)のヘファイストスやバッカス、そして葦舟にひき入れられモーセが想起され、「星」からは、オリオンやアストロ、およびそのアナグラムのアトラス、トロアス、おうし座のタウロス、更に、スーパースター・イエス・キリストが想起されます。
そして、「ヨハネの黙示録」では、星は、宇宙と宮々(教会)を指しているのです。

平安時代の歌人、紀貫之(868年?~945年?)は、「古今集」という歌集を編纂し、また、「土佐日記」を著したことで有名ですが、「貫之集」の中に〝蟻通し〟に関する次のような謎歌を載せています。

 かきくもり あやめもしらぬおおそらに ありとほしをば おもふべしやは

この「ありとほし」には、古来、「ありとほし」と「夜半に星あり」が掛けられていると伝えられています。
さらに「夜半(ヤハ)」は聖書の神「ヤハ」が掛けてあるととれます。
弓形の日本列島に守護神の「矢羽」、これが愛の使者キューピットに託されている弓矢と考えられます。


そして、「ヤハに星」から「エホバ神とイエス・キリスト」の関係が連想されるのであり、この歌は、わが国には、「千萬の軍なりとも、言挙げせずとも打ちのめす力を持つスーパースターのヤハ神とイエスキリストがおられるというのに、世の中の書物の言葉のあやが曇っているために知らないことだ」と詠んだものです。

あやめは。イリス玉依姫のことでもあり、イリスは虹の女神、「虹彩」即ち、眼のことでもありますから、なにも知らず、眼の見えない日本の闇夜に、玉依姫=イリス=トロイア=アトラス関係が世にでたとき、アリアヅネの糸、即ち、難問解決の糸口が掴めることを詠っているのです。
それが「蟻通」の歌の意味です。
このような奥深い歌に接することができるというだけでも、日本人は果報者です。


「ヤハ」、エホバ神は、夜半に突然現れ給う神であると聖書は伝えています。

マタイ福音書25章
 夜半になって、「そら、花婿だ。迎えに出よ」と叫ぶ声がした。
 娘たちはみな飛び起きて、自分のともし火を整えた。・・・
 用意の調っていた娘たちは、彼と一緒に婚礼の祝宴に行き、戸が閉められた。・・・
 その後、ほかの娘たちが、「ご主人さま、開けてください。」と言っても、
 彼は、「確かなところ、私はあなたがたを知りません」と言われました。

 「だから、目を覚ましていなさい。
 あなたがたは、その日その時を知らないからです。」

これは、イエスが神について、また、キリストについて、「主よ、主よ」と言っている教会や宮々が、「神をもキリストをも知らない」とを予言しています。

そして、これらが、「古事記」の、「少名毘古那神と久延毘古」の章句とリンクしているのです。

「古事記」
 大国主神出雲の御大の御前に坐すとき、天の羅摩船に乗りて、
 鵝の皮を内剥ぎに剥ぎて衣服にして帰りくる神あり。
 ここに、その名を問い給へども、皆「知らず」と白しき。

皆「知らず」と言い、「ただ久延毘古だけがその神を知っている」といいます。そして、久延毘古、即ち、「そほと」を詠んだ「あしひきの山田のそほと」を紀貫之はとりあげているのです。

この「ありとほし」の謎歌の前後を「貫之集」から見ていきます。
  
 紀の国に下りて、帰りのぼる道にて、
 俄に馬の死ぬべくわずらう所にて
 道行く人 立ち止まりて言うよう「是は此方に座ましつる神のし給うならん。
 この社もなくしるしも無けれど、いとかしこくていましける神なり。
 さきさき かようにわずらう人々あるところなり。祈り申し給えよ」と言ふに、
 みてぐらもなければ、難波さすべくもあらず、
 ただ手を洗いてひざまずきて、
 神いますかりけもなき方に向かいて
 「そもそも何の神とかいふ」と言えば
 「ありとほしの神なむ申す」と言いければ、是を聞きて詠み奉る歌也。
 そのけにや 馬のここちもやみにけり。
  
  かき曇り あやめも知らぬ おおぞらに  
      ありとほし(星)をば おもうべしやは

「この社(宮)もなくしるしも無い」とは、神の宮が荒れ果てていることに言及したもので、神の「しるし」がまったく見えないことを言っているのです。
「しるし」という言葉を「かしこく」という言葉とともにつかって、伊勢神宮や他の神社、そして、賢所の御神宝の「しるし」が、守護神エホバ神との縁を明示しないために、神国のアイデンティティーを証すしるしもきざしもみえないばかりか、世の中が雨雲に隠れて闇夜となっていることを予言しています。




あやめ イリス 虹の女神
モノトーンで今日まで解釈されてきた聖書が、日本の神話、ギリシャ神話などの古典と対照して、それらを合わせ鏡にして光をあてて見ることによって、光が増し、これら、古代人の残した「神話」が生きた形で蘇るという真理を表しているのです。

こうした日本国の言語の奥深さを説明するには、「古今集」の紀貫之が書いた「真名序」や、「古今伝授」という古くからの口伝について数十ページも費やさなくてはなりませんので、この度はこれを割愛して、その一端を述べるにとどめます。
六歌仙といわれた人々や太安万侶などの歌や文には、多いものでは六重の意味がこめられて、表裏の二面をかたり、さらにその過去・現在・未来の次元を同時に語る多重構造であると書かれています。

聖書、ギリシャ神話、「古事記」、「日本書紀」などを、照合することはもちろんですが、さらに「史記」まで網羅しなければ真意が汲めないことなどを、紀貫之の「蟻通し」は示唆しているのです。


紀貫之の「蟻通し」は「史記」の、楚の敗戦の夜の「四面楚歌」を詠んだ次の歌が下敷きになっていると伝承されていたといいます。

 力 山を抜き 気は世を蓋う  時に利あらず 騅(すい)逝(ゆ)かず
 騅逝かざるを 奈何(いか)にせん   虞や 虞や 若(なんじ)を奈何にせん

「四面楚歌」とは、四方みな敵という孤立状態の闇のなかで、四方の敵の陣中から聞こえてくるのは何故か我が楚の歌、「さては、我が楚の民は皆敵に降ったのか」と見紛ったという奇妙なくいちがいと内憂外患の絶体絶命の局面をいっています。

しかし、この「四面楚歌」にも、「古事記」の「ケルビム」の四つの面が掛けてあり、これも「エルサレム問題=神の国問題」だということが推測できます。
右の「虞」は、「虞美人」と呼ばれていた女の人を詠んでいるように伝えられていますが、紀貫之は、キューピットの母である美人のヴィーナス(アフロディテー)=伊邪那美が虞美人草であることを示唆し、虞美人草すなわち「けし」の象徴するような、歴史の記憶の消し飛んでいる愚かな国になっていることを、「蟻通し」で表現しており、さらに、アリアヅネの糸=問題解決の糸口を提供しているようです。


「騅逝かざるを 奈何にせん」の「騅(すい)」とは馬の名ですが、四馬にして四魔、さらに四島のことだと「古今伝授」で解されています。紀貫之の〝蟻通し〟の主題は「馬が倒れた」のち甦ったというものですが、これは、「罵倒された」ことと、「四馬(四つの島を掛けている)が倒れた」ことを掛けてあり、さらに、「ヨハネの黙示録」の四頭の馬が掛けてあるのです。黙示録の四頭の馬は「白、赤、黒、青ざめた色」をしています。(それは、東西南北と春夏秋冬をも意味しています。
日本列島は、前に説明しましたように、青春の四国、赤夏の九州、白秋の本州、玄冬の北海道から成り立っています。
つまり、神の国が倒れること(第二次世界大戦に負けて主権が奪われる)、つまり黙示録戦争にまきこまれることを預言した歌なのです。

私は、さらに、これには、ギリシャ神話のパエトンが父ヘリオス神の四頭立ての馬車を御して、天の軌道を踏み外したまゝ狂い走ったため、自然界の秩序はすっかり破壊されてしまったという話と「ヨハネの黙示録」の「四馬」と「騅(すい)逝(ゆ)かず」が掛けてあると考えます。

それは、「トロイ戦争」の場合と同じケースだということを訴えているのです。
トロイ戦争を謡ったホメロスの「イリアード」は、トロイアの一番若造の王子アレキサンダー・パリスが無造作に神のエデンの園の「黄金の林檎」を扱ったことが「収拾のつかない争い」の種となったと言っています。
「黄金の林檎」とは、「世界樹」の実であり、神の国の象徴物「神宝」のことなのです。



「虹が雨雲の後に立つとき 神は ノアとの契約を思い起こされる」
「かきくもり あやめも見えぬ おおぞらに ありとほしをば 思うべしやは」の「あやめ」とは、ギリシャ神話の「あやめ=かきつばた」に繋がりますので、印象的な「かきつばた」や「みやこ鳥」の歌の織り込まれている「伊勢ものがたり」とのリンクや「あやめ=イリス=玉依姫」とウガヤフキアエズ=アトラス=オリオンの暗示が与えられています。

預言の奥義の真の意味は、ギリシャや日本の古典を参照しないと預言の「あやめ」が解けないように構成されているのです。それは光の三原色を重ねないとカラー印刷が出来ないのに似ていますし、目の虹彩あるいは虹の女神イーリスが、神の伝令の使者とされているのも、この光の三原色の原理を下敷きにしたかのようです。

アトラスはアストロやトロアス(トロイア)のアナグラムであり、星図或は地球を肩にした姿で表彰されています。
そして、「夜半に星あり」「満天の星」の情景を描いた上に、さらに、この歌には、「虹が雨雲(モノトーン)の後に立つて光彩を放つとき、神は、ノアとの契約を思い起こされる」という創世記9章の預言の極意に帰納します。


玉依姫 三輪の神の正体を尋ねる
あやめのイリスが、玉依姫であることは既に述べました。その玉依姫は、「闇夜に、(美和の神の)その正体を尋ねる」という神話の主人公なのです。
その故に、私は三輪神社に資料を持参したのです。






23~神国のあかし 目次 

下の項目をクリックすると記事が読めます。
23 三輪の神の正体   (このページです。)
24 三輪の神の謎とギリシャ神話
25 三輪の神とクレタ島のミノア文明
26 住吉大社の謎 天の平瓮
27 住吉大社の謎 後代のしるしのための船 
28  住吉大社の御本地は?
29 オリオンミステリー
30 出雲大社の謎
31 オリオンとシダリヲ
32 天照大御神の御神宝
33 神宝はタイムカプセル?
34 国難と神宝の洗い直し
35 国難と蟻通しの謎
36 蟻通しの難題とファイストス円盤

以上 神国のあかし






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