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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

6 邪馬台国への行程の地名

44邪馬台国への行程

「邪馬台国への行程」の地名の検証
「邪馬台国への行程」の地名
「魏志倭人伝」の冒頭について検証して、いきなりクレタ島方面に飛んでしまいましたので、振り出しに戻って、
「邪馬台国への行程」についての「木村鷹太郎氏が比定した地名」を列記しておきます。


帯方郡 ケルト人の国である。ケルト Keltは「帯」を意味するギリシァ語ケレトKeletosが語源。
「魏志倭人伝」の旅程の出発点は現在のヴェネッィア付近である。

韓国 ガラ Galla=Gallia ガリア すなわちイタリア北部の総称である。

狗邪韓(くじゃかん)国 イタリア半島 南東部、カラブリア地方。
カラブリアは「化粧」の意味で、そのギリシァ語名はクジォ Xgo つまり、狗邪(クジャ)である。

瀚(かん)海 アンブラギア湾(ギリシア西岸) 瀚(ハン)は「ワニ」の意。
神功皇后が西征の時出発した和珥津 わにつ=ワニツア Vonitsa の所在地である。

対馬(つしま)国 ギリシャ北西岸のコルキス島なり。

壱岐(いき)国 アンブラキア湾の南方、リュー キLeuci島 (レフカス島)である。

末廬(まつろ)国 ギリシャ ペロポネソス半島の西北にあったアハヤ国のオエノエである。
オエノエOenoeはラテン語でマツロ Maturo である。

伊都(いと)国 イツ Ithys は神を祭り斎く所の意味であるので、同じ意味のマンチネヤ(マンティネイア)と推定できる。
これは末廬の東南にある。

奴(ぬ)国 ペロポネソス半島東部アルゴリス国のアルゴス府である。
「アルゴス」は船の意、船はギリシャ語でナウ Naus 、これが「ヌ」となった。

不弥(ふみ)国 アルゴリス国のハーミオネ Hermione府である。語尾を略せば「ハーミ」で、これが「フミ」になった。

投馬(とうま)国 クレタ島。不弥国の南にある。
クレタ島の伝説的牛タウロメノス Tauromenos がタウロマ、タウマと変化してクレタ島の別名となった。
島の首都はゴーチナで、その語源はゴルゴス Gorgos 、悍馬を意味し、「投げる馬」である。

邪馬台(やまたい)国 エジプトのスエズ上流。投馬国から南下して東へ陸行すればエジプトに到達する。

狗奴(くぬ)国(邪馬台国の南) エジプト南部のクネ Kumne (あるいはクメ Kumme)。垂仁天皇の行幸があった来目の高宮の所在地。


この地名比定を、見ますと、まるで途方もないこじつけのように思われるのも無理からぬことと思われます。しかし、ひとたび、「邪馬台国エジプト説」の、各行程の方角と距離を検証してみますと、方角、距離ともに、驚くほどぴったり一致していて、どこも訂正する必要がないことをさきに述べました。
そこで、これらの地名を検証することにします。


kim_map 邪馬台国


木村鷹太郎説の「邪馬台国への行程」検証

帯方郡
ケルト人の国である。ケルト Keltは「帯」を意味するギリシァ語ケレトKeletosが語源。
「魏志倭人伝」の旅程の出発点は現在のヴェネッィア付近だとしています。ここは、実際、次の「ガリア=ガラ=韓」につづいています。

「ガリア人」とはガリア地方に住む民族を指して呼んだ名前で、そのギリシャ読みが「ケルト人」なのですから、「ケルト=帯方郡」は、次に続く、韓のガリア、カラ、カラブリア・・と一貫した地名が連続していることになります。

「帯方郡」は「帯」を意味するギリシァ語ケレトKeletosが語源であると木村鷹太郎氏は言っていますが、さらに、ケレトは、クレタの転化したものだと私は見ています。
クレタ島発掘の壁画には、シンボルの大きな「帯」を背負った美人が描かれたものがいくつかあります。
「帯方郡=ケレト」や「韓国=ガリア(ケレトのイタリア発音)」は、クレタ人たちの領地であることを示した地名であると考えられるのです。


韓国
ガラ Galla=Gallia ガリア すなわちイタリア北部の総称である。

イオニア海の北側のアドリア海の北端のヴェネティア湾のあたりは、まさに古代のガリアであり、ヴェネティアは古来はラテン語でウェネティ人の土地を意味し、ウェネティア(Venetia)と呼んだことから来ていますが、この綴りをそのままラテン語の読み方でヴェネツィア(ヴェネツャ)となります。英語でヴェニス(Venice)というとウィキペディアは説明していますが、ヴィーナスVenusが重ねられている名前であると考えられます。


狗邪韓(くやかん)国
イタリア半島の南東部、カラブリア地方である。カラブリアは化粧の意味で、そのギリシァ語名はクジォ Xgo つまり狗邪(クジャ)である。
美人(ヴィーナス=ヴェネティィア)には化粧や鏡がつきものなので、これも一貫性のある命名だといえます。

カラブリア

イタリア半島の「かかと」部分についていた「カラブリア」という名が、今もイタリアの南端部において州名として付けられています。また、イタリア北方以北の広範囲にわたってガリアと呼ばれた地域がありました。ということは、実際はケレト=クレタが率いていたということです。
古地図に、「マグナ・グラエキア」という地名もありますが、これは古代ギリシァ人が植民して、この半島でエトルリア文化を開花させた地域と考えられています。ここも、その中枢はクレタ人だったと考えられます。
地中海文明を開いたのは「クレタ人」だと考えられていますが、こうした地名からも実証できます。

また、「魏志」の韓伝の記事中の弁韓の「弁」とは、フェニキアのことであると考えられます。それは、エジプトのピラミッドの天辺の石を「ベンベン石」といい、これがフェニキアの古名からきていることからも連想されます。
弁天様の「弁」もここからきており、それは「ヴィーナス」、「フェニキア」、「ヴェネチア」などの同列ですから、「弁韓」とは、イタリアのヴェネチアからほど遠くないところにあったと考えられまず。

ローマが中国では大秦と表記されていたことは、よく知られていますが、その理由については中国でも解明されていません。ローマを大秦としていたという事実があるのですから、ガリアやカラブリアが韓や漢と表記されたとしても不思議はありません。


陳寿の書いた「三国志 魏書 東夷伝」の倭人伝を、ここでは通例に従って「魏志倭人伝」と云っているのですが、同じ「魏書 東夷伝」には、「高句麗」が三万戸、「馬韓」が十余万戸、「辰韓」「弁韓」が合計で四、五万戸と書かれています。
古代において、馬韓十余万戸、少なく見積もっても50万以上もの人口の大都市が存在したというような痕跡が朝鮮半島内で見つかってはいません。この大都市がみつからなければ、この「三国志 魏書 東夷伝」記事中の「韓国」や「馬韓 弁韓 辰韓」が朝鮮半島にあったとはいえません。


「三国志 東夷伝」「弁韓・辰韓」の記事には、次のように記されています。
國出鐵、韓濊倭皆從取之。諸市買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡。
「国は鉄を産し、韓倭の人々は皆こぞってこれを取っている。諸市は皆、鉄を中国の貨幣のように売買に用いる。また、これを二郡に供給している。」

このように「弁韓・辰韓」で倭人が鉄を取るのに従事していたことが記されているのですが、この辰韓と弁韓は合計四、五万戸とあり、20万人以上の人口を擁する都市です。これも、朝鮮半島内ではなく、イタリアのガリアの地で倭人がエトルリア文明に参加していたことを告げるものであると考えられるのです。
「魏志倭人伝」が「カラ」「ガラ」「ガリア」を持ち出して、ここで「エトルリアの文明と産鉄」の基礎を築いた倭人の歴史を辿らせようという意図があるように見受けられるのです。


「古事記」「日本書紀」に、「稲氷命が海原に入りたまい。鋤主(さびぬし)の神となられた。」というの記事がありますが、古代イタリアの中に「サビーヌ人」という種族がいたという史実に一致します。「サビ」とは鉄のことです。また、「海原」とは、イタリアのウンブリアのことです。
「稲氷尊」とはローマ建国のアイネイアスのことで、トロイア戦争のさなか、[神宝」を運び出したといわれていますが、その神宝が天の羅馬船に載せられて日本に伝えられたらしく、この「羅馬船」をわざわざ「あめのかがみの譜ね」とよばせているのです。これは、わが国に運ばれた「神宝」が「羅馬」すなわち、ローマの船で運ばれてきたことを物語っていると木村鷹太郎氏は説いています。

ウェルギリウスの叙事詩「アイネィアス」の主人公アイネィアスは、トロイア王家のアンキーセースとアプロディテー女神即ちヴィーナスとの間に生まれたと書かれています。
ヴィーナスの夫は鍛冶神ヘファイストス鍛冶神ですから、その息子アイネィアスが、エトルリアで「鋤主(さびぬし)の神となられた。」と言う記事と整合します。
アイネィアスがトロイア王プリアモスの娘クレウーサを妻としてもうけた息子アスカニオス(別名ユールス、イウールス)です。このイウールスはローマの名家ユーリア氏族 Iuliaの祖といわれています。

「イウールス」とは、わが国の初代天皇の神武天皇の「磐余彦いわれひこ」と同じ「岩」の意味であり、かつ、トロイアの別の呼称「イリリュウム」「イリウム」の岩を意味することと同じであると木村鷹太郎氏は述べています。

「古事記」「日本書紀」は、神武天皇建国以前、神代とされている時代のこととして、「鉄に関する記事」を載せているのですが、それは、神宝製作の場面であり、天照大御神が天の岩戸にお隠れになったときに、鍛冶の神もこの神宝製作に加わっていることが記されています。


また、イタリアという地名は、イタリア半島に植民地を造った古代ギリシァ人が付けた名前だといいますが、「古事記」神武記には、「豊国(エジプト)の宇沙都比古・宇沙都比売(ウナス王=ヒエログリフでは兎の州)が足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を作っていた」と記しています。
「日本書紀」では、これを一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)と表記していて、神武天皇、すなわち、神日本磐余彦命(かんやまといわれひこのみこと)が、そこに一年間滞在されたと記しています。

この「一足」が「イタリアの語源であることを示していると考えられるのです。
「一足」とは、この半島の特色でもありますが、トロイアの根幹である「タラ」とは、ヒッタイトのこと、つまり「鍛冶」民族であり、これは、「目一つ足一つ」で表わすのが特色で、わが国においても、鍛冶神は「目一つ」かつ「足一つ」であり、また、「片葉の葦」の伝承を伴っています。


アリストテレスの「気象論」第1書は、デウカリオーンの洪水が起こったのは、「古代ギリシア(グライキア)であったと記していますが、このグライキというのは、グライアイ三姉妹で、「ただ一つの眼と一本の歯」を共有していたといいます。これは「ひとつの目と一本の葉(葦=足)」が正しいのではないかと考えられます。これは「目と羽」に置き換えることが出来、有名な「有翼の円盤」の原型と考えられます。
グライアイ3姉妹の「ひとつの目と一本の歯=葉(葦=足)」とは、「ギリシャとイタリアを治めていた」ということです。

この神話は、古代ギリシャの根幹部が「一つ目」をシンボルとする「鍛冶」文明であったことを意味します。鍛冶神のことをヘファイストスといいますが、又の名をボルカーノと言い、バルカン半島にその名を刻み付けています。

このことからもグライキアやグライアイが三相にして一体、一体にして三相という原初の観念を具現していたことがわかるのですが、これは、とりもなおさず、ギリシャ=グライキアとは、トロイア、ヒッタイト、フェニキアが三層になって入り込んでいたことにほかなりません。
アテーナ女神の別名がトリニトス(三)であり、ポセイドンの別名がトリトーンで、三叉の矛(トライデント)をシンボルとしているのもここからきていると考えられます。

古代ギリシャ「グラエキア」、「グライアイ」の「目」が「おおきな輪」の「大輪」即ち「大和」で「三輪」です。
そして、4000年ほど前から住んでいた古代ギリシャ人をイオニア人種と歴史学者たちは云っています。そのイオニア人たちを旧約聖書10章5節では「ヤワン」人と書いているのです。デウカリオンの洪水後のギリシャ人は、自らを「ヘレネ」人種だと云っていましたが、これも、「ヘル ネーレス」、即ち、大きな輪にして「大和」=倭なのです。



瀚(かん はん)海
 アンブラギア湾(ギリシア西岸) 瀚(ハン)は「ワニ」の意。
 
この鰐とは、イタリア半島のことなのです。イタリア半島は、長靴、一本足として有名ですが、鰐にもよく似ているのです。その最もワニらしいところの海に、鰐海即ち瀚海と名付けられていると考えられます。
日本付近では、この瀚(かん はん)海は存在しません。
イタリア半島鰐図 FC2

「神功皇后が西征の時出発した和珥津 わにつ=ワニツア Vonitsa の所在地である。」と木村鷹太郎氏は述べていますが、
これは、この図が示すような、ワニの口さきから、尾のワニツア(ベネツァ)を指しています。
言い換えると、イオニア海とアドリア海です。
イオニアとは魚二匹と言う意味で、日本では、「古事記」神代巻の建国神話に「伊予の二名島」と書かれている記事にリンクしています。つまり「二名」とは「二魚」のことで、ビーナスすなわち愛媛とキューピットのことです。
「魏志倭人伝」の卑弥呼の後継者である壹與(臺與)の名がこのイオニヤにつけられているのです。
また、アドリア海と言う名は、クレタのミノス王の娘のアリアヅネから名付けられていますが、アリアヅネは日本に於いては玉依姫です。ウガヤフキアエスの命の養育者にして妻であり、神武天皇カンヤマトイワレヒコ(イウレウス、稲氷の命(アイネイアス)というイタリア建国の祖7の母です。
ここの海に、玉依姫(アリアヅネ)の名が刻印されているわけが明らかになるのです。



対馬(つしま)国
 ギリシャ北西岸のコルキス島なり。

壱岐(いき)
アンブラキア湾の南方、リューキLeuci島 (レフカス島)である。

地図をみますと、ヴェネチアからのこの航路が、ヨーロッパとアフリカを結ぶ古代の交易航路としていかに重要かを読み取ることができると思います。
この航路の中ほどにはイオニア海があり、イオニア諸島では紀元前9世紀までにギリシャ人によって生活が営まれていたことがわかっています。イオニア海域には主要な7島の他にも無数の島嶼が存在していますが、7島を北から順にならべてみます。

ケルキラ島、パクシ島、レフカダ島、イタキ島、ケファロニア島、ザキントス島、キティラ島

木村鷹太郎氏は、イオニア諸島のうちケルキラ(コルキス)島を対馬国と、レフカス(レフカダ)島を壱岐国としています。
レフカダ島は、日本に帰化して小泉八雲と名乗り「神国日本」を著わしたギリシャ人ラフカdィオ・ハーンの故郷です。日本に古代ギリシャの面影を見たと唱えた人です。

その隣のイタキ島はホメロスの「オデュッセイア」の主人公オデュッセウスの生誕の地とされています。しかし、ホメロスの記述と実際の今のイタキ島とは一致していないようなので、オヂュッセウスのイタキ島とはその隣のレフカダ島だったと唱える人もいますので、レフカダ島がイタキ島であるとすると壱岐国と言う字にマッチします。

「魏志倭人伝」の冒頭がホメロスの「オデュセイア」から採られているのですから、ここで、またもやオデュッセウスに出会うということはただごとではありません。
オデュッセウスは、イタキ島という小さな島で生まれた小領主のように見えますが、ギリシャ全軍を統率した大将軍で、トロイア消滅の要因を作った人物なのです。「一大卒」とはこのオデュッセウスのことをだと私は考えています。




邪馬台国の壹與はギリシャ神話の「イヨ姫」

ギリシャ神話の「イヨ姫」の彷徨ルート
ここで、趣向を変え、「木村鷹太郎の邪馬台国エジプト説」の別の要素を見ていきます。
「魏志倭人伝」邪馬台国への行程は、ギリシャ神話の「イヨ姫の彷徨」と同じルートであることを私は発見しました。
木村鷹太郎氏は、このギリシャ神話の「イヨ姫」を邪馬台国の卑彌呼の宗女壹與のことであると解いています。

イヨ姫にまつわるギリシャ神話のあらすじをたどってみます。
 
ゼウスはイナコスまたはエノクの娘イヨ姫なる美人を愛し給うも、ヘーラ女神の嫉妬を憂い、
イヨ姫を牝牛に変えて、その嫉妬を避けようとしました。
策略に気付いたヘーラ女神はその牝牛の美しさを褒め、牝牛を欲しいとねだりましたので、ゼウス神は、紛争を避けるために、それを承諾します。
ヘーラ女神は、この牝牛を牧場に繋いで、百眼のアルゴスに四六時中監視させます。
ゼウス神は、神々の使者ヘルメスにイヨ姫の救出を頼みましたので、ヘルメスはアルゴスを殺してイヨ姫を救出します。
ヘーラ女神は、アルゴスの記念に、その「目」を孔雀尾の上にちりばめます。
イヨ姫は、ヘーラ女神からの執拗な憎しみと苦しみを免れようと、イオニヤ海をさまよいます。
ゼウス神は、そのイヨ姫の姿を牛から人間の姿にかえし、イヨ姫はエジプトの地で、国王の妃となって、エバポスを生み、幸福にすごしました。


この太字で書いたところを説明します。

1「美人を愛し」とは美と愛の女神ヴィーナスのこと、出発点のヴェネチア、即ち、「帯方郡」
2「イオニヤ海」イオニア諸島の島々。「壱岐」「対馬」
3「アルゴス」とは船、ギリシャ語で舟はヌー。「奴国」
牧場」は、アルゴスの中心部「アルカディア」に住んでいた人々を「アルカディアの牧人」と言います。「アルカイックスマイル」の彫刻などで有名です。
4「孔雀」は「狗邪韓くじゃかん国」。「アルゴスの見張り番」にふさわしく「狗(いぬ)」という字が使われています。
5「尾の上」は、アハヤ国のオエノエに一致。オエノエOenoeはラテン語でマツロ Maturo 「末盧国」。この神話は、アルゴスの末路を物語っている点も一致。
6「使者」は、メッセニア(メッセンジャーの意味を持つ)。聖イトミ山のエリアにありますので、「伊都国」に一致し、「帯方郡使(使者)が来るときは必ずここに滞在する。」という記事にも一致しています。
このあたりを、熊本大学が大々的に発掘しているというのも不思議な御縁です。
7「牛を人間に」半牛半人のミノタウロスの島クレタ島の「投馬国」
8「エジプト」は「邪馬台国」


イヨ姫にまつわる神話は、このように、ことごとく、木村鷹太郎氏の「邪馬台国エジプト説」を証明するために備えられているかのようにみえます。
また、イヨ姫が「牛」として彷徨うのは、トロイア=トロアス=タウロス、すなわち、さまよえるトロイアの運命そのものです。
つまり、ここには、トロイア滅亡後、トロイアの王子アイネィアスが彷徨したあげく、イタリア建国をなしたという歴史重ねて伝えようとしているのです。アイネィアスの母親がヴィーナスと言われていることはよく知られています。

木村鷹太郎氏は、この「イオニア」はギリシャ語で「魚二匹」「双魚」という意味であり、「古事記」の「イヨ ニ名」と同じ意味であると説き、これは、ギリシャ神話の「イオ姫」の足跡を記念した名前であり、「イヨ姫」は「卑弥呼」の後継者「壹與」のこと、愛媛の「イヨ」にもその名を残していると説いています。
そして、イヨ即ち愛媛とは美と愛の女神ヴィーナスに因んだ名前であると唱えています。

「古事記」と「日本書紀」の神話は、「イヨの二名島」誕生の前に「淡路島」「淡島」誕生の記事を置いていますが、「アワ」と「誕生」で、「海の泡から誕生したヴィーナス」を示唆していると考えられるのです。

「古事記」に記されている「イヨのフタナ」は、「二匹の魚」「双魚」の意であり、イオニヤ Ionia もまた「魚二匹」という意味です。
そして、この「魚二匹」とは、ヴィーナスとキューピットの星座神話に語られており、この「二匹の魚」は、その後、暴虐を逃れて東方へ逃げたと伝えられています。
そして、天に揚げられて「うお座」となりましたが、星座においてこの二匹の魚は「帯」でつながっているのです。
「帯」が、ケレト(クレタ)であり、そのイタリア語が「ガリア」「ガラ」です。


そして、イヨ姫にまつわる神話はまだあります。
エジプトで生まれたイヨ姫の子エパポスは、ヘーラーの命によってクーレースたち(クレタ人)によって隠されてしまいます。しかし、イヨはエパポスがビュブロス王のもとで養育されていることを知り、子どもを求めてシリア中を彷徨い、遂に巡り会いました。
そして、イヨが渡った海峡を、ギリシア語 Βόσπορος 、俗に 「牝牛の渡し」といいます。
それは今のトルコのボスボラス海峡、アジアとヨーロッパを隔てている海峡のことです。
こちらも、海上交易の要衝の地です。


双魚座

この「双魚座」の図の片方の魚をヴィーナスのヴェネティア、帯の結び目をエジプト、そして、もう一方の魚をキューピット役のアイネイアス(愛の主 アイアン=鉄の主)と捕らえることが出来ます。

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