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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

9 邪馬台国エジプトの深奥

47 邪馬台国エジプトの深奥 

ここまでの経緯 概略
私は「邪馬台国エジプト説」の正しさを弁護しています。しかし、単に、「邪馬台国はエジプトである」という表現では収まりきれないという特異的な問題があります。
それは、前項までで見ましたように、邪馬台国は「エジプト」ばかりではなく、「トロイァ」は勿論のこと、ギリシャを含み、さらに、メディア、スサ=ペルシャ、ローマからインド、中国、アメリカ大陸に至るまで包括しているのであり、それを一言でいうなら、「アトランティス」の支配者だったという史実を含んでいるから、複雑に錯綜しているのです。
それで、この、多層かつ複雑に錯綜している問題の、どこから手を付ければよいのかを、もう一度、整理しながら進めることにします。


1、「魏志」倭人伝の冒頭は、紀元前八世紀頃の詩人ホメロスの「オデュッセイア」第十九巻のクレタ島についての章句を移植したものだということを私は発見しました。
ホメロスの大叙事詩「イリアード」と「オデュッセイァ」は、トロイアの滅亡にいたった戦争を描いたものです。
ですから、ここに、「邪馬台国」がギリシャとトロイアのどちらかとおおいにかかわっているかもしれないという推理がなりたちます。

2、ヘシオドス著「神統記」(紀元前7世紀初め頃)の掉尾は、「栄えあるテュルセノス(ティレニア海)のすべての民」を謳っている記事です。これは、トロイア人のイタリア建国を称えた頌歌なのです。
そして、このヘシオドスの「神統記」の掉尾と同じ内容が、「古事記」「日本書紀」の神代の巻の掉尾を飾っていることも、私は発見しました。


ヘシオドス「神統記」 末尾 要約
トロイア王家のアンキセスとアフロディテーとの間に生まれたアイネイアス、および、
オデュッセウスとヘーリオスの娘キルケーとの間に生まれたアグリオスと、
非の打ちどころなく、力あるラティノス、そして、
(アフロディテーの恵みをうけて生まれた)テレゴノス(チレニア人)・・・


3、「古事記」神代巻の末尾 抜粋
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(ヒコナギサタケウガヤフキアエズ)命、その姨(おば)玉依毘売命を娶(めと)して、生みし御子の名は、五瀬命、次に稲氷命、次に御毛沼命、次に若御毛沼命、亦の名豊御毛沼命、亦の名神倭伊波礼毘古命。4柱。
御毛沼命は、波の穂を跳みて常世国に渡りましき。
稲氷命は妣(はは)の国として海原に入りましき。


ヘシオドス「神統記」とホメロス「イリアード」「オデュッセイア」は、「古事記」「日本書紀」そして「魏志倭人伝」とリンクして、トロイア王家の「アイネイアス、イウレウス」の実態と消息を伝えようとしているのです。
数万キロメートル隔てたギリシャと日本の書物が全く同じ記事を掲げているという驚くべき事実を無視したまま古代史を語ることはできません

そのクレタ島のファイストス宮殿から1908年に出土した「ファイストス円盤(紀元前16世紀頃のもの)」は、日本語で書かれていました。
そこには、「恵穂葉(エホハ)」「葉枝扶(ヨシフ)」「ケフテフ(クレタの古名)」「イオニア」「アジア」などという言葉が日本語ではっきり読めるように刻印されています。

4、ファイストス円盤という紀元前16世紀頃の粘土板が、1908年にクレタ島から出土しました。
そして、「ファイストス円盤」には、彦穂々手見命の名前が刻印されているのですが、それは「古事記」の表記に一致しているのです。しかも、それが、聖書中のキーパーソンであるヨセフの息子であるということが、創世記48章、49章、そして、申命記33章と「ファイストス円盤」がリンクしていることによって読み解くことができます。
ファイストス円盤のヨセフ=ヨシフは「日本書記」の表記「葉枝扶」に一致しています。

6「古事記」の





ドイツのエーベルハルト・ツアンガー氏は、このホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」と、プラトンの「クリティアス」と「ティマイオス」を詳しく比較検証し、また、考古学的調査を重ねて、「アトランティスなるものはトロイアに他ならなかった」との論考を導き出して、「天からの洪水」新潮社1997年で発表しました。
そして、「甦るトロイア戦争」大修館書店1997年刊では、ツァンガー氏は、「トロイアは、考古学界や史学界の定説よりは、はるかに大規模で、広域に影響力を及ぼす存在であった」と力説しています。




木村鷹太郎氏は、「稲氷命は妣(はは)の国として海原に入りましき」の「稲氷命」はアイネイアス、「海原(ウナバラ)」とは、イタリアの「ウンブリア」のこと、そして、神武記に記されている「血沼(チヌ)の海」とは「チレニア」のこと、「熊野」とは「クマエ(現ナポリ)」のことですから、「古事記」「日本書紀」の神代の巻の掉尾もまた、ウガヤフキアエズ(アトラス=トロアス=トロイア)の末裔がイタリア建国をしたことをほのめかして終わっているのです。

「古事記」「日本書紀」神代巻の最終ページについての木村鷹太郎氏の検証

「日本太古史」木村鷹太郎著 博文館 明治45年刊から 抜粋

ウガヤフキアエスとは、Ουραν γαια φορκιζ のギリシャ語の、
天=ウラノスのウと、地=ガイヤのガヤ、
支持するを意味するフォーキュスとの合成語であり、
天を父とし地を母として地の両極にて天地を支えるアトラスのことである。 

  ウラノス      Ουραν  の略     宇=天 
  ガヤ=ガイア   γαια           地
  フキアエス    φορκιζ         支持者
  
中国の史書に詳細に伝えられる天皇氏がウ、地皇氏がガヤに相当し、大昊伏義氏、又は庖犠氏と呼ばれるもののことである。その「フッキシ」「ホーキシ」が、ギリシャ語のPhorcysとの同一性を示しており、また、伏義氏、あるいは庖犠氏が竜蛇で表象されることでも一致している。
天皇氏地皇氏に続いて記される人皇氏とは、ヒト=ヘテ人をいう。


彦穂穂手見命の子のウガヤフキアエズ、即ち、アトラスは、豊玉姫の妹玉依姫と結婚して、生まれた御子たちは次のような歴史的人物である。

神倭伊波礼毘古命     イウレウス  トロイア王子 ローマ建国の祖
稲氷命=稲飯命      アイネイアス トロイア王子 ローマ建国の祖 
御毛沼命=三毛入野命   ミケイリノス=メンカウラー  エジプト王

稲氷命は剣を抜きて海原の国に入りて鋤持(サビモチ)の神と成り給えりと。鋤とは剣にして、スペイン、ドイツ、スウェーデン語などが、軍刀をサーブル、サーベルというは、鋤(サビ 鉄)と語源を同じうせるものにして、その人種名と成れるものはSabinusと言う。サビヌシは鋤主にして、鋤持と同意義なり。
サビーヌ人種の国は稲氷命=イナイの入り込みしローマ付近の地にして、その地方をウンブリアUmbriaと言う。これ「海原」なる語にして、いわゆる稲氷命の入りませる「海原」なる国名にあたれるなり。

「姓氏録」は稲氷命を以って新羅の祖となすが、極東には非ず、イタリア南部をシラキウスSeyllaciusと言う。これシラキなり。

ホメロスの「イーリアス」中の英雄イナイ Aeneae=Aeneasは、トロイ王族にして、トロイ王家は美の女神の子なるイナイ王によって継続せらるべき運命を有し、トロイ没落後、イナイは、老父を肩に載せ、父をして神器を抱かしめ、君笏を有せる幼児イウレウスIuleusの手を携え、戦争の混乱中に生き別れ、同族の一団と共に、海に陸に戦にと艱難辛苦を経て、ついにイタリーに着く。 
其の地の有力者となりここに帝国の基礎を置けり。

ローマ人はこのイナイを以って建国の祖なりと伝う。
イウレウスはIuleusと綴れりといえども「ウス」は人物語尾のusにして、日本の「氏」にあたり、また「彦」にあたれる語なり。イウレウスの「イウレ」は、トロイの別名Iliumと同一語にして「磐」を意味し、イワレ彦命に対して、「磐余」なる字に一致するが如し。
 
イナイおよびイウレウスにも海上に難船の記事あり、その地点はイタリアのクマノ海 Cumanosクマノスにして、稲氷命および磐余彦命の難船は熊野海たり。
 
これが、いわゆる、一言でいえば全世界を治めていたアトランティスの正体なのです。アトランティスとは、アトラスの娘たちという意味ですが、アトラス、アストロ、トロアス(トロイア国)は、アナグラムなのです。




わたくしは、「邪馬台国論」も「ヨハネの黙示録論」も「与那国島の海底遺跡」も、「浦島太郎から辿る」というこのブログにひっくるめてしまいましたので、これを不思議に思われることと存じます。
それは、「浦島太郎」のお話と「玉手箱」は切っても切れぬ関係にあり、玉手箱を開けると、一瞬にして「老人になる」という話は、日本国が一瞬にして「最古の国」となることであると思っているからです。

それは、「風土記」(713年編纂)の丹後の国の記述に、浦嶋を迎えた「すばる星」と「あめふり星」の記事が挿入されているのですが、不思議なことに、この両星団の星々は、ギリシャ神話では、アトラスの子供たちのことです。
アトラスの娘たちを表象した「スバル星=ブレイァデス」と「あめふり星=ヒヤデス」は、ともに牡牛座(タウロス)にあります。
タウロスの右目の部分の一等星アルデバランを中心としたのがヒヤデス星団、そして、タウロスの肩の部分に広がっているのがプレイアデス星団です。
そして牡牛座タウロスはゼウスの化身であるとギリシャ神話は伝えています。

与那国島海底遺跡の謎解きをするにあたって、太古の文明の消失を語っているプラトンの「アトランティス情報」を抜きには語れませんし、また、日本人なら誰しも、「与那国島海底遺跡」を見れば「浦島太郎の竜宮城伝説」を思い浮かべずにはいられません。少なくとも、今70歳の私の世代のものは浦島太郎を連想するでしょう。

「風土記」が教えているのは、「太古の失われた文明を語るとき、タウロス即ちアトラス=トロアスを=トロイア抜きには語れないということです。
「聖書」もまた、トロイア=トロアス=アトラス抜きに語ることはできないということをクレタ島出土の「ファイストス円盤」が教えています。ファイストス円盤は、聖書の創世記48、49章、申命記31、33章と密接に連携しており、さらに、浦島太郎のお話の別伝である海幸彦山幸彦が、ヨセフの息子たちであることをファイストス円盤に刻印しているからです。
ファイストス円盤がいかに重要なものであるかは、この一事を以って推し量れるはずです。
ですから、神宝とは、「ファイストス円盤」とこれに刻印した「印璽」ではないかと私は考えております。


ファイストス円盤は、同じものが複数製作されていて、日本にも運ばれたと思われますが、その重要性に気づかれない場合を危惧して、クレタ島のファイストス宮殿にも埋め置かれたものと考えられます。

「印璽」のほうは、間違いなく日本にあります。それは、おはじき状の印璽50余箇をネックレス状にしてあったと考えられます。これが、いわゆるロザリオの原型であると考えられます。
それは、4つに分けてそれぞれ黄金の缶に納められ、それぞれを錦の袋に入れ、縦横に五色の絹糸を掛けまわし手封印し、それを、たまねぎのように次々袋を重ねて納められています。


木村鷹太郎氏は、ちょうど百年前に「邪馬台国エジプト説」を唱え、地中海方面でわが日本人たちが大活躍をしていた」という説を唱え、私たち日本人はトロイア人たちの末裔であると説き、ウガヤフキアエス=アトラスの息子の稲氷命=アイネイアスが、運び出した神宝が、我が国の神宝であると説き、次のように嘆いています。

 この神器は日本の大宝なり、
 単に日本の大宝たるのみにとどまらずして、
 世界人類の大宝なり。
 何となれば、これ過去において、また、将来において、
 世界の文化人類の平和の宝祚にして、
 人間に関する善美は実にこれに本源し、
 今後ますます然る可ければなり。・・・

 然るに悲しいかな、日本人は之を知らず。・・
 ああ、天下の大宝を自家に蔵して、
 しかもその天下的のものたるを知らざるは、
 歴史家の無知、これを教えざりしによる。


 

しかし、歴史家は、逆に木村鷹太郎氏を嘲けり、かつ黙殺して、木村鷹太郎を封印しとおして、この100年間、その検証や研究をなおざりにしてきました。

そして、御神宝は、伊勢神宮にあるはずのものにしろ、宮中の賢所にあるはずのその御写しにしろ、決して開けてはならないという厳しい禁忌があるのをさいわいと、禁忌を盾にとって開けてはいただけません。
しかも、不必要なときに、すでに何回も開けられたことは記録に残っています。

しかし、「魏志」倭人伝や「古事記」「日本書紀」のような、謎と示唆に富んだ著作を残した古代の賢者たちが、こうした「未来の日本人指導者たちのかたくなさを予測できないほど愚かだったとは思えません。
これを予見していたからこそ、「クレタ島のファイストス宮殿に、わが国のアイデンティティを明かすためのタイムカプセルを残していた」のです。

このように、「魏志」倭人伝の冒頭は、「ギリシャ文明発祥の地クレタ島の文明がわが日本人たちによって築かれたものであること」、そして、「トロイアの歴史がわが国の前史であることを告げようとしたものであること」を、真っ先に打ち出したかたちとなっています。

ファイストス円盤には、聖書の謎をとく「鍵」と、地中海文明の発祥の謎を解く「鍵」が秘められていたといっても過言ではありません。

この「ファイスト円盤」によって我々の先祖の辿ってきた歴史や、「トロイアの歴史が、わが国の先史であった」ということを証明できるのです。
先祖たちが、「魏志倭人伝」の冒頭に「ホメロスのクレタ島の情報」を据えたのは、まさにこのためではないかと考えられるのです。


この一枚の「タイムカプセルであるファイストス円盤」さえ検証すれば、多言を弄さなくても、「邪馬台国=エジプト説」の証明が成立するのです。
簡単なことではありませんか。
これぞまさしく、「万葉集」に詠われた「言霊が幸いする」ということにちがいありません。

 原文 志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具
 訓読 磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ   柿本人麻呂   13-3254









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話の種

奥の細道の謎
松尾芭蕉が、「奥の細道」で留まったところをつないでゆくとロザリオの形になると、川尻徹氏は「芭蕉隠れキリシタンの暗号」に書いておられましたが、松尾芭蕉が隠れキリシタンであったとは考えていません。また、予言になっているという説にもたいして関心をもちませんでした。

しかし、その、「奥の細道」での道中をつなぐとロザリオ形になるという、その地図には、驚きを禁じ得ませんでした。芭蕉と曾良のうちどちらが偉いのかは判りませんが、この旅で、彼らが「神宝」のロザリオをある場所からある場所へと移し替えたのではないかと思いました。勿論、西洋キリスト教会側などの眼を逃れるためです。

「月日は100代の過客にして・・・」という冒頭からして、意味深長で、「古今伝授」の匂いがぷんぷんします。それは、日本が数千年間秘匿しつづけてきた「ネックレス状につないだ印璽」であると考えられます。
そして、その謎を後の人に解かせるためにあのような行程にしたのではないでしょうか。
下記の文をじっくり読んでご判断ください。
蛇足ですが文字を赤くしておきました。


「奥の細道」俳諧紀行。一巻一冊。松尾芭蕉著。一六九四年素竜清書。一七◯二年刊。
一六八九年三月末、門人曾良を伴い、江戸深川から関東・奥羽・北陸の諸地を巡って美濃の大垣に至り、さらに伊勢の遷宮を拝もうと、九月六日に大垣をたつまでの紀行です。

書名は、仙台の章の次に「かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符の菅有」とあるによる。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるは、日々旅にして旅をとす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸するより、松嶋の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、

 草の戸も住替る代ぞひなの家 

面八句を庵の柱に懸置。









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