与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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10 邪馬台国エジプト説の帯方郡

48 邪馬台国エジプト説の帯方郡

木村鷹太郎の「比定地」の検証

帯方郡とはケルト人の国である。
 ケルト Keltは「帯」を意味するギリシァ語ケレトKeletosが語源であり、
 『魏志倭人伝』の旅程の出発点は現在のヴェネッィア付近である。


韓国とはガラ Galla=Gallia ガリア すなわちイタリア北部の総称である。
 狗邪韓(くやかん)国とはイタリア半島の南東部、カラブリア地方である。
カラブリアは化粧の意味で、そのギリシァ語名はクジォ Xgo つまり狗邪(クジャ)である。
 韓はイタリアおよびその周辺国の古名「ガリア」。

下の古地図で、イタリア半島の「かかと」部分に「カラブリア」という地名があります。カラブリアは、今もイタリアの南端部において州名として付けられています。さらに、イタリア北方以北をガリアといっていたことをさきに述べました。

カラブリア


上のイタリアの古地図に、「マグナ・グラエキア」という地名がみられますが、ここには古代ギリシァ人が植民していたと説明されています。南イタリアおよびシチリア島一帯を、「マグナ・グラエキア(大ギリシャ)」といっていたというのですが、もっと広範囲を指すという学者もいます。この地への古代ギリシャ人たちの殖民はエトルリア文明と密接な関係があります。しかし、エトルリア文明=ギリシャ文明ではないことも確かです。

「魏志」倭人伝が「カラ」「ガラ」を辿らせて、ここでのエトルリア文明とわが民族との関係を辿らせようという意図が伺えるという私の仮説を先に提示しました。

イタリアという地名は、この半島に植民地を造った古代ギリシァ人が付けた名前だといいますが、「古事記」の神武記に、「豊国(エジプト)の宇沙都比古・宇沙都比売(ウナス王=ヒエログリフでは兎の州)が足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を作っていた」ことが出ています。
「日本書紀」では、これを一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)と表記していて、神武天皇、すなわち、神日本磐余彦命(かんやまといわれひこのみこと)が、そこに一年間滞在されたと記しています。

この「一足」が「イタリアの語源であることを示していると考えられるのです。
「一足」とは、この半島の特色でもありますが、トロイアの根幹であるヒッタイトは「鍛冶」民族であり、これは、「目一つ足一つ」で表わすのが特色なのです。
前回、稲氷尊=アイネィアスが、トロイア戦争のさなか、[神宝」を運び出したと書きましたが、その神宝が天の羅馬船(あめのかがみのふね)に載せられてわが国に運ばれたと木村鷹太郎氏が説いていますが、それは、ローマの船で
わが国に運んだという示唆であると考えられます。

こうして、今一度、イタリアと「韓」の関係をもちだしたのは、これから「卑弥呼」の正体について述べるための下準備なのです。
「魏志」倭人伝の「卑弥呼」や、その都の実体が複雑で分かりにくいのは、トロイアや、ヒッタイト、エジプトなどの国々が、「卑弥呼の鬼道」にも起因していると考えられるのです。

ここから、いよいよ、卑弥呼の本拠地に近づいてきました。

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