57 鬼と御神楽「吉備大臣入唐絵巻」の謎々 5「古事記・日本書紀」とお神楽七夕伝説で語られている「天稚彦 天若日子」の父が「鬼」であり「牛」を率いる海神で龍蛇神であるることを前回説明しました。そして、「天稚彦」の話が、「古事記」や「日本書紀」に出ていることを申し上げても、「古事記」や「日本書紀」を繙いて見ようという方は殆んどいません。
高卒大卒が殆んどという高学歴社会の国であっても、世界の古典である「聖書」「ギリシャ神話」「イリアード・オデュッセイア」「古事記・日本書紀」を、すべて無視したカリキュラムを組んでいますので、国民の殆んどが、これらを何も知らないまま生涯を終えるという国、それが日本です。
特に「古事記」「日本書紀」は、荒唐無稽かつ有害な書物として、敗戦後、連合軍のGHQ政策で国民から遠ざけられたまま今日にいたっていますから、国典「古事記」「日本書紀」は、殆ど死んでいるかのような状態です。
しかし、「古事記」「日本書紀」は、どっこい根強く生きているのです!!!どうして、そんなことが言えるのかと申しますと、「お神楽」があるからです。
お神楽の演目は、地域によって多少の差がありますが、それでも、「古事記」「日本書紀」をベースにしていることには変わりありません。
日本各地のお神楽栃木県塩谷町の鬼努川沿いにある東護神社、この神社の春の大祭に奉納されるのが「風見の太太神楽」です。
天下太平と悪疫退散を祈願する舞いと言われているこの太太神楽は、「総礼の舞」にはじまり、「伊邪那岐」「天孫降臨」「八岐大蛇」「岩戸の舞」・・・と続き、「大黒の舞」で終わる三十六座からなる岩戸神楽です。
天海上人が肩入れされていたことを知って拝見に行ったのでした。
わたくしが拝見した十ヶ所あまりの神楽のなかでは、この「塩谷の風見の太太神楽」を、とても評価しています。そして、ここの天宇受売、猿田彦、手力男などのお面には、なんともいえない味わいがあって、逸品だと思っています。
「風見の太々神楽」を拝観しましたとき、当時80才を超えておられた東護神社の宮司様に質問してみました。
「三十六座ある場面のうちで、どれが、最も重要なものですか?」
「天岩戸の舞です。」
「天の岩戸の舞を演じる際に、もっとも大切なことは?」
「岩戸をいかに重そうにみせるか。そして、
いかに、遠くへ飛ばしているように演じるかです。」
「遠くとは、いったいどこへ投げると云われているのですか?」
「信州の戸隠です」
「足の動きにも意味があるのでは?とても目立ちました・・」
「昔は、一年で畳が駄目になるほど、激しい練習をしましたが、
今はそんなに練習時間がとれる人がいません・・・」
なお、ここの天岩戸には、外に見られない特徴があります。それは、天岩戸に直径20cmほどの円盤の浮き彫りが付いていることです。
この「天岩戸が信州戸隠に飛ぶ」という話を聞いて、翌年、残雪の戸隠に、お神楽を見に行きました。
戸隠は、謡曲「紅葉狩り」で有名な鬼伝説の地です。歌舞伎でも演じられるのでご存知の方も多いでしょう。
戸隠神社中社の「岩戸神楽」を拝見するために、神社のそばの茅葺屋根の宿坊、蕎麦懐石料理で知られる「極意」に泊まりました。
「極意」の御当主は戸隠神社中社の神職の方です。
その年最初の神楽は、身を切るような寒さの中で、早朝から演じられました。カイロを2、3個身に着けても震えながら拝観した甲斐はじゅうぶんありました。
ここのお神楽によって、幼いころから接してきたはずの「お神楽」というもののイメージを一新させられました。
荘厳、神秘、感動・・、とても筆舌には尽くせません。
ここの御神楽から「キリストの死と復活」を連想しました。
「天の岩戸の舞」で、岩戸が開いて、「直会の舞
なおらいのまい」では、復活の喜びが舞われています。
高千穂の夜神楽の鬼 鬼 鬼!!お神楽で、「天岩戸」の演目が一番重要と聞きましては、宮崎県高千穂町の「天岩戸神社」の方も、見すごすわけにはまいりませんので、行ってまいりました。
天岩戸神社 宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸

天岩戸神社の画像提供元 PhotoMiyazaki 宮崎観光写真
宮崎県は「神楽なしでは夜の明けぬ国」とか。
高千穂の夜神楽はその代表格で、国の重要無形民俗文化財に指定されているそうです。
「高千穂の夜神楽」と謳われていますように、わたくしの郷里のお神楽などとは異なって、高千穂の神楽は夜間に演じられるのです。
「天岩戸神社」では、11月3日には無形文化財指定の岩戸神楽三十三番公開祭が行われ、岩戸神楽全体を知ることができるそうですが、ここでの神楽はまだ拝見しておりません。
しかし、「天岩戸神社」の御朱印帖のデザインには考えさせられました。

天岩戸神社の御朱印帖ですから、このお面は
天手力男命のお面なのですが、角がなくても、どう見ても「鬼」ですね。
次に、天手力男命が「天岩戸を投げ飛ばす」場面「戸取」の写真を掲げます。

天手力男命の画像提供元 PhotoMiyazaki 宮崎観光写真
またしても鬼です。この写真を見て、何を連想しますか?
真っ先に思い浮かべるのは、天地を支える巨人「アトラス」です。次いで、「アトラスに代わって一時天地を支えた」ヘラクレスです。

アトラスとヘラクレス BC490-480 アテネ国立考古学博物館蔵 ウィキペディア仏語版
上図には、アトラスとヘラクレスの素性が鬼であることを示す金棒が描かれています。
ファイストス円盤では、「ヨセフ」が、こ金棒を佩いていました。そして、ヨセフたち兄弟は「大の字形の人」で「大人」を表象していましたので、これを、「聖書」と「日本書紀」などと照合して、「大人(うし=貴人)、おおひと、ダイダラボッチ」であることをつきとめました。
ヨセフの息子エフライムが彦穂々手見であり、彦穂々手見王朝(580年間)はウガヤフキアエズ朝であり、そのウガヤフキアエズ朝がアトランティス時代であることなども、先に説明しました。
プラトンの「クリティアス」というアトランティス物語によれば、アトラスは、海神ポセイドンとクレイトー(多分クレタ島のこと)の間の長子であると書かれています。そして、「アトラスの兄弟とその子孫たちはみなこの島に住み着き、大海原に浮かぶたくさんの島々を支配するとともにエジプトやテュレニアに及ぶ地中海世界の人々をもその支配下に治めていた。」と書かれています。
一方、アトランティスの入り口の柱が「ヘラクレスの柱」と呼ばれていたことが示しているのは、ヘラクレスがアトランティス内の重要人物であるということです。ヘラクレスとは、「聖なるクレタ人」と言う意味です。
そして、ヘラクレスは、愛媛の伊予にその名を与えたギリシャ神話の「イヨ姫」の子孫です。
このイヨ姫が、卑弥呼の宋女であり、後継者であった壱予であると考えられるのです。
ヘラクレスとはヒエラ・クレース、即ち、聖なるクレタ人という意味ですが、トゥト・アンク・アメンは、エティオ・クレースであり、エティオ・クレースとは「真のクレタ人」と言う意味です。
トゥト・アンク・アメンが、天稚彦であることは、先に述べました。七夕伝説の“天稚彦”の父は鬼でした。
やっぱり、鬼のルーツはクレタ島であり、そして、アトランティスの首都はクレタ島だったのです。!!
そして、その文明は、タタラ製鉄の秘密を守り続けたヒッタイトを中核とするトロイア文明なのです。
トロイアの一名「イリウム」とは「岩=磐」という意味です。また、アトラス=トロアス=トロイア、そしてアストロであることは、何度もこのブログで申し上げました。
「イリウム=磐」、この偉大な国を、思い切って投げ捨ててきたそのトロイア人の末裔がわれわれ日本人だということを教えているのです!!!高千穂夜神楽の「七鬼人」の謎「高千穂の夜神楽」の特徴とは、なんといっても「鬼」「鬼」「鬼」、鬼だらけだということです。
たとえば、猿田彦の「彦舞」から始まって「入鬼人
いれきじん」も「邪切り」の須佐之男も鬼面で演じられますが、「七貴人」というのが、これまた「鬼 鬼 鬼」、七鬼が舞うのです。
「七鬼人」という字を当てている「上田原
かみきたばる」の神楽などがありますから、「七貴人」は「七鬼人」に違いありません。
高千穂の神楽の七鬼人=七貴人「七鬼人=七貴人」のうちに「親鬼人」というのがいて、それは大国主命です。
「七鬼人=七貴人」とは、大国主命と御子神たちなのです。そして、「親鬼人」の大国主が四角い一斗枡の上に立つシーンがありますが、それは農業神としての表象だということです。
シーター様が、「吉備大臣入唐絵巻」の高殿から、「出雲大社」と「大国主」を連想されたまさに、その高殿に集合した神々とは、「七鬼人」のことのようです。
大国主の多くの異名の一つに「葦原の醜男
しこを」というのがあります。
「醜」という字は、「神に仕える人」という意味でしたが、「見えにくい」という意味から「見にくい」へと変遷したことが漢字字典にでています。
「鬼」について、「倭名類聚鈔」源順 (十世紀頃)に、「於爾
おには陰の訛ったもの 鬼は物隠れてみにくい」と記されていますので、この両者は同じであったとみなすことができます。
七鬼人、すなわち、七貴人は、天界の事象にあわせて、「日、月、星」すなわち、「惑星」として位置づけられており、又、「日月火水木金土」の要素をも表象したもので、「九曜紋」の九曜が、「七曜」にまとめられたものです。
それは、大雑把にいって、次のような構成です。
大国主=ヘリオス=太陽 「記紀」では天照大御神にかわる。
天宇受売=アルテミス=月 → 満月のような太っ腹の布袋様にかわる。
阿遅志貴高日子根=毘沙門=ヘファイストス=火
事代主=恵比寿=ヘルメス=水
武御雷=ゼウス=ジュピター=寿老人=木
天宇受売 玉依姫=弁天=ヴィーナス 金
雲の上、天界の神々ばかりです。
しかし、これらをまとめてわが国では「七福神」と言っていることに意義があり、結局、「大黒様と恵比寿様」という一対の福の神あるいは、「大国様とお多福」や「ひょっとことおかめ」に収斂されるのです。
出雲大社の立地条件を見ましょう。
神無月の十月に神々が集合することになっています。そして、その集合地の出雲地方には、良質の砂鉄が取れる場所があるといいます。さらに、、出雲では、旧暦の神無月に、人が立っていられないほどの強風が吹く日があるといいます。
ヒッタイトの神々の集合地もまた、強風の吹く地であり、「天候神」を最高位としていました。
アジア大陸の西端ヒッタイトの「祭祀」を、そのまま、アジアの東端に「移植」したのだと考えられます。
というより、もともと、地の両極に存在していたのが、いつのころからか片目になっただけかも知れません。
とにかく、「神々の集合」と「天の神々」というキーワードが一致し、しかも、鉄、強風という条件までもが一致しているのです。
次の写真は、ヒッタイトの聖地ヤヅルカヤの「神々の集合」のレリーフです。

そのレリーフの神々のポーズは、ファイストス円盤のヨセフ等の「大人
うし」のポーズと同じです。
「大人
うし」が、辞書によると「大物」「貴人」ですから、高千穂の「七貴人」とは、やはり、高千穂の上田原
かみきたばるなどの神楽で表示される「七鬼人」なのであり、それは「半人半牛」でもあるということです。
高千穂の神楽で、「親鬼人」の大国主が一斗枡の上に立つシーンがあると申しましたが、奈良のアスカ地方は、不思議な「巨石遺構」がある事で知られていますが、
なかでも「益田岩船」は、謎中の謎の巨石遺構です。これを「枡」ととらえ、そこに刻まれている線や角度、そして、「万葉集」の歌、「風土記」などの記事とをつき合わせますと、高砂の生石神社の「石の宝殿」に行き当たります。
「万葉集」巻の三に記載された生石村主真人(おひしのすぐりのまひと天平10年ごろ)の、
大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經
(おおなむち すくなひこなの いましけむ しづのいわやは幾世へぬらむ)
という歌が添えられています。
この生石神社の「生石」を「おうしこ」と読んでいますので、ここに「おうし」が入っていますし、更に「しこ」という「鬼」も入っています。
この「石の宝殿」に行きあたれば、「ピラミッド」建設を連想しないわけにはいきませんし、そして、「親鬼人」の立っていた四角い「一斗枡」もピラミッドを連想させます。
この「石の宝殿」や、「益田岩船」から、様々な幾何学上の「数理」を読み取っている方々がいます。
直角定規やコンパスを表象物としていた「伏義・女媧」、即ち、アトラスの足跡を証明する「原基」としての枡が読み取れます。
このような不可思議きわまりない「巨石遺構」が古代の日本に存在するにもかかわらず、わが国の「歴史学界」や「考古学界」は、与那国島海底遺跡との関連性を見ようとはせず、プラトンのアトランティス情報と照合せず、考古学や歴史とは無縁のものと決定しているかのように黙殺したままで、与那国島の海底の巨石遺構は遺構ではないとみなしているようです。
しかし、いくつかのお神楽の「岩戸の舞」の手力男を観て、これが、「アトラス」であるということは確信となりました。
お神楽の「天岩戸」の手力男が「アトラス」であることを気付いてもらう日のために日本の各地で、毎年毎年・・・歯を喰いしばって岩戸を持ち上げているシーンを演じ続けてきたのだと思うと、胸が熱くなりました!!!
そして、日本の巨石遺構ばかりではなく、世界中の巨石遺構を残したのがこのアトラス族だということを明かそうとしているのです。「古事記」「日本書紀」のメッセージの一番重要なことは何かということをちゃんと教える仕組みになっていたのです。なんという気の長い、そして、なんというロマンにみちた先祖たちでしょう!!!
「遠い未来の子孫たちに歴史の真相を伝える」、かくも遠大な計画を立てて、あらゆる書物に、あらゆる民話に、あらゆる行事に、星座に、星座神話に記しておいたのです。
そのほかに、先祖たちは道標も立てておいてくれました。
与那国島海底遺跡と、日本の巨石遺構、そして、エジプトやクレタ島の古代文明を結ぶ糸や道標はあらゆるところに記されてあり、それは、現代の為政者たちの無能さと卑怯さをあたかも際立たせているような結果をもたらせています。
その一つが立神岩という道標です。
与那国島の立神岩から始まって、黒潮ハイウエーにそって、琉球弧島にそって、点々と淡路島沼島の上立神岩まで並べられています。
そして、淡路島沼島の上立神岩には、「竜宮城の表門」という名までがつけられているのです。
こうした「道標」を見て、わたくしはこのブログを「浦島太郎からたどる」と名付けたのです。神庭神楽の浦島太郎と乙姫様お神楽で「浦島太郎」を演じているのが、奥多摩町海沢・神庭 山祇神社の神庭地区の方々です。お面を打たれる方もおられるとかで、なかなか素朴で趣がありそうなお神楽のようにお見受けします。
「歳時記」というホームページの 深見重利様の御許可をいただきましたので、「乙姫様」の写真を掲載いたします。浦島太郎や乙姫様の写真はなかなか見かけることができません。貴重なお写真をありがとうございました。
深見重利様の「奥多磨町の神庭神楽」のたくさんの写真は、「奥多摩神庭神楽」の神事としての真面目さ、素朴さ、味わいなどをよく伝えるものとなっています。

この写真の乙姫様は、「おたふく」です。「おかめさん」ともいいます。
「風土記」丹後国の逸文で、浦島太郎の妻になる人のことを「亀姫」と書いてあるのは、この「おかめさん」を暗示したものだったのです。すると「おかめさん」の夫は「火男=ひょっとこ」です。
それはまた「天宇受売」でもありました。すると、夫の浦島太郎=彦穂々手見命は猿田彦でもあるということになります。
「猿田彦と天の宇受売」のカップルは、石に刻まれて道端に据えられて、「道祖神」「庚申様」とも云われています。
「庚申様」は、「荒神」として、昔は台所などに祀られていました。これが、「おかめと火男」でもあったのです。
一方、浦島太郎の妻の普通の名の「乙姫」からたどりますと、「風土記」丹後国逸文では「八乙女」のうちの「羽衣を失くしてしまったために天に帰れなくなった乙女」であり、豊受大神です。
以下は、前に書いたことですが、ここでも取り上げておきます。
「丹後風土記」の天女スバル星=ブレイアデス星団とあめふり星=ヒヤデス星団のアトラスの娘の神話にもメローペ、あるいはエレクトラが天界から下ったという話がありますが、「風土記」には、天女八人が、地に舞い降りたが、そのうちの一人が天に帰れなくなってしまったという神話が載っています。
丹後の国 丹波の比治山の頂に井あり、名を真奈井と云ふ。
この井に天女八人降り来て水浴みき。
時に老夫婦あり、・・・この井に至りて、ひそかに天女一人の衣裳を取りき。
やがて、衣裳ある者はみな天に飛び上がりき。
衣裳なき女一人とどまりて、身は水に隠して、ひとり はぢ居りき。
この天女は、この老夫婦の子となって一緒に住みます。
天女は、一杯飲めば万の病除ゆという酒を醸したので、その家は豊かに富み栄えましたが、この老夫婦は、その徳を忘れて天女を追い出しました。そこで・・・
天の原 ふりさけ見れば 霞立ち
家路まどひて 行方しらずも
天女は、この歌を残して退き去り、竹野の郡、船木の里の奈具の村に至り、そこにとどまったといいます。
奈具の社に坐ます豊宇賀能賣命
トヨウカノメノミコトがそれであると、この神話は結んでいます。
この天女が降り立ったところを「真奈井」といいます。
浦島神社と同じ丹後の、籠神社は「元伊勢」と呼ばれていますが、その奥社が、豊受大神を祀る「真名井神社」です。
豊宇賀能賣命とは、伊勢神宮の外宮に祀られている穀物神豊受大神のことです。そして、このウカノミタマの御神体は、「宝瓶」あるいは「瑠璃の壷」であることが、文永の遷宮の際のアクシデントによって判明したといいます。山本ひろ子氏「中世神話」岩波書店1998年
ここに「瓶」という言葉がありますが、これが「亀」の掛詞であると考えられます。
浦島太郎の乙姫と乙女座浦島太郎の妻を「風土記」は亀姫、また、神女と記しています。
「万葉集」では、海若神之女
わたつみのかみのむすめと書いていますが、一般では乙姫と伝承しています。
これを乙女と解しますと、乙女座のVirgoのことだとわかります。
この星座の黄道における記号は「Π女」ですが、。「Π」はギリシャの8です。これは「いわゆる漢字」表記のようで、八女、すなわち八乙女のことです。
この乙女座の女神が穀物の穂を持っていることから、穀物神であることがわかり、ここに豊受大神との一致が見られます。
豊受大神は、民間伝承の「お多福」、亦の名「おかめさん」と同一であろうと言う説があります。これは、浦島太郎の妻の名が「かめ」とも「乙姫」とも呼ばれていることと一致します。
この乙女星座の女性は、古来、デーメテールの娘ペルセフォネー、アフロディテー、即ち、ヴィーナス、アスタルテ、あるいは、エジプトのハトホルであるといわれてきましたが、どれも同一の歴史の別の面を語っていると考えられるのです。
ペルセフォネーの黄泉行きの神話は伊邪那美命の黄泉行きの神話と同じです。
ペルセフォネが美しい野原を散策しているとき、突如黒馬に乗って現れ出た冥王にさらわれ、あっという間に黄泉につれ行かれ囚われの身となります。(ペリーの黒船があらわれて、あっという間に欧米の捕囚の身の上となった現日本国と全く同じケースです。)
このとき、地上の光の世界へ呼び戻す役目をするのが、アトラスの娘マイアの子であるヘルメス神です。
このアトラスの娘マイアは、五月姫として、メイポールの行事で記念されていますが、日本では、端午の節句の五月五日の鯉のぼりの行事がそれです。この五月姫は、玉依姫のことでもあるのです。玉依姫のアヤメ、ギリシャ神話のイリス女神のアイリスが、端午の節句に飾られることでそれを示しているのです。
この神話は、「ヴーナスとその子キューピットの二人がティフォンの暴虐を逃れるために二匹の魚となって東方へ逃げたという神話」にリメイクされていて、マイア(メイ)はアフロディテ=ヴィーナスだったということを明かしているのです。
日本の五月の行事の「鯉幟」は、「ヴーナスとその子キューピットの二人が、二匹の魚となって東方へ逃げたこと」を象徴していたと考えられるのです。
「古事記」は、四国を「伊予の二名」島という名で表わし、国生み神話に取り入れていますが、木村鷹太郎氏は、これを「魚二名=魚二匹」であると云い、「イオニアIo‐niaもまた、ギリシャ語で双魚のことだといいます。
愛媛とは愛と美の女神ヴィーナスのことだったのです。
二匹の魚とは、キリスト教のことでもあります。
浦島太郎の釣り糸を手繰ると双魚という大魚と、卑弥呼の後継者の「壱予」が釣れたようです。
先祖たちの取り決めたしきたりを忠実にまもり続けて、神楽を舞い続ける人々・・・そのための努力は、ただ見ているだけでは伝わりません。お神楽の世界にも、明治政府の宗教改革施策による数々の試練や難題が臨んだことは、戸隠村でも、塩谷町でも、高千穂町でも聞かれたことです。
さまざまな難題をかかえて、なお、この貴重な文化遺産を守り続けた方々に感謝いたします。
「高千穂の夜神楽」、「戸隠神社の神楽」、「栃木塩谷の風見の神楽」そして、「奥多磨町の神庭神楽」などを是非見てください!