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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

19 鬼と御神楽

57 鬼と御神楽

「吉備大臣入唐絵巻」の謎々 5

「古事記・日本書紀」とお神楽
七夕伝説で語られている「天稚彦 天若日子」の父が「鬼」であり「牛」を率いる海神で龍蛇神であるることを前回説明しました。そして、「天稚彦」の話が、「古事記」や「日本書紀」に出ていることを申し上げても、「古事記」や「日本書紀」を繙いて見ようという方は殆んどいません。
高卒大卒が殆んどという高学歴社会の国であっても、世界の古典である「聖書」「ギリシャ神話」「イリアード・オデュッセイア」「古事記・日本書紀」を、すべて無視したカリキュラムを組んでいますので、国民の殆んどが、これらを何も知らないまま生涯を終えるという国、それが日本です。

特に「古事記」「日本書紀」は、荒唐無稽かつ有害な書物として、敗戦後、連合軍のGHQ政策で国民から遠ざけられたまま今日にいたっていますから、国典「古事記」「日本書紀」は、殆ど死んでいるかのような状態です。
しかし、「古事記」「日本書紀」は、どっこい根強く生きているのです!!!どうして、そんなことが言えるのかと申しますと、「お神楽」があるからです。

お神楽の演目は、地域によって多少の差がありますが、それでも、「古事記」「日本書紀」をベースにしていることには変わりありません。


日本各地のお神楽
栃木県塩谷町の鬼努川沿いにある東護神社、この神社の春の大祭に奉納されるのが「風見の太太神楽」です。
天下太平と悪疫退散を祈願する舞いと言われているこの太太神楽は、「総礼の舞」にはじまり、「伊邪那岐」「天孫降臨」「八岐大蛇」「岩戸の舞」・・・と続き、「大黒の舞」で終わる三十六座からなる岩戸神楽です。
天海上人が肩入れされていたことを知って拝見に行ったのでした。

わたくしが拝見した十ヶ所あまりの神楽のなかでは、この「塩谷の風見の太太神楽」を、とても評価しています。そして、ここの天宇受売、猿田彦、手力男などのお面には、なんともいえない味わいがあって、逸品だと思っています。

「風見の太々神楽」を拝観しましたとき、当時80才を超えておられた東護神社の宮司様に質問してみました。

 「三十六座ある場面のうちで、どれが、最も重要なものですか?」
 「天岩戸の舞です。」 
 「天の岩戸の舞を演じる際に、もっとも大切なことは?」
 「岩戸をいかに重そうにみせるか。そして、
 いかに、遠くへ飛ばしているように演じるかです。」
 「遠くとは、いったいどこへ投げると云われているのですか?」
 「信州の戸隠です」
 「足の動きにも意味があるのでは?とても目立ちました・・」
 「昔は、一年で畳が駄目になるほど、激しい練習をしましたが、
  今はそんなに練習時間がとれる人がいません・・・」

なお、ここの天岩戸には、外に見られない特徴があります。それは、天岩戸に直径20cmほどの円盤の浮き彫りが付いていることです。
この「天岩戸が信州戸隠に飛ぶ」という話を聞いて、翌年、残雪の戸隠に、お神楽を見に行きました。
戸隠は、謡曲「紅葉狩り」で有名な鬼伝説の地です。歌舞伎でも演じられるのでご存知の方も多いでしょう。

戸隠神社中社の「岩戸神楽」を拝見するために、神社のそばの茅葺屋根の宿坊、蕎麦懐石料理で知られる「極意」に泊まりました。
「極意」の御当主は戸隠神社中社の神職の方です。

その年最初の神楽は、身を切るような寒さの中で、早朝から演じられました。カイロを2、3個身に着けても震えながら拝観した甲斐はじゅうぶんありました。
ここのお神楽によって、幼いころから接してきたはずの「お神楽」というもののイメージを一新させられました。
荘厳、神秘、感動・・、とても筆舌には尽くせません。
ここの御神楽から「キリストの死と復活」を連想しました。
「天の岩戸の舞」で、岩戸が開いて、「直会の舞なおらいのまい」では、復活の喜びが舞われています。



高千穂の夜神楽の鬼 鬼 鬼!!
お神楽で、「天岩戸」の演目が一番重要と聞きましては、宮崎県高千穂町の「天岩戸神社」の方も、見すごすわけにはまいりませんので、行ってまいりました。

天岩戸神社 宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸
天岩戸神社 
天岩戸神社の画像提供元 PhotoMiyazaki 宮崎観光写真

宮崎県は「神楽なしでは夜の明けぬ国」とか。
高千穂の夜神楽はその代表格で、国の重要無形民俗文化財に指定されているそうです。
「高千穂の夜神楽」と謳われていますように、わたくしの郷里のお神楽などとは異なって、高千穂の神楽は夜間に演じられるのです。

「天岩戸神社」では、11月3日には無形文化財指定の岩戸神楽三十三番公開祭が行われ、岩戸神楽全体を知ることができるそうですが、ここでの神楽はまだ拝見しておりません。

しかし、「天岩戸神社」の御朱印帖のデザインには考えさせられました。
天岩戸神社 御朱印帖

天岩戸神社の御朱印帖ですから、このお面は天手力男命のお面なのですが、角がなくても、どう見ても「鬼」ですね。
次に、天手力男命が「天岩戸を投げ飛ばす」場面「戸取」の写真を掲げます。

手力男命 戸取の舞
天手力男命の画像提供元 PhotoMiyazaki 宮崎観光写真

またしても鬼です。この写真を見て、何を連想しますか?
真っ先に思い浮かべるのは、天地を支える巨人「アトラス」です。次いで、「アトラスに代わって一時天地を支えた」ヘラクレスです。

アトラスとヘラクレス
アトラスとヘラクレス BC490-480 アテネ国立考古学博物館蔵 ウィキペディア仏語版

上図には、アトラスとヘラクレスの素性が鬼であることを示す金棒が描かれています。
ファイストス円盤では、「ヨセフ」が、こ金棒を佩いていました。そして、ヨセフたち兄弟は「大の字形の人」で「大人」を表象していましたので、これを、「聖書」と「日本書紀」などと照合して、「大人(うし=貴人)、おおひと、ダイダラボッチ」であることをつきとめました。
ヨセフの息子エフライムが彦穂々手見であり、彦穂々手見王朝(580年間)はウガヤフキアエズ朝であり、そのウガヤフキアエズ朝がアトランティス時代であることなども、先に説明しました。


プラトンの「クリティアス」というアトランティス物語によれば、アトラスは、海神ポセイドンとクレイトー(多分クレタ島のこと)の間の長子であると書かれています。そして、「アトラスの兄弟とその子孫たちはみなこの島に住み着き、大海原に浮かぶたくさんの島々を支配するとともにエジプトやテュレニアに及ぶ地中海世界の人々をもその支配下に治めていた。」と書かれています。
一方、アトランティスの入り口の柱が「ヘラクレスの柱」と呼ばれていたことが示しているのは、ヘラクレスがアトランティス内の重要人物であるということです。ヘラクレスとは、「聖なるクレタ人」と言う意味です。

そして、ヘラクレスは、愛媛の伊予にその名を与えたギリシャ神話の「イヨ姫」の子孫です。
このイヨ姫が、卑弥呼の宋女であり、後継者であった壱予であると考えられるのです。


ヘラクレスとはヒエラ・クレース、即ち、聖なるクレタ人という意味ですが、トゥト・アンク・アメンは、エティオ・クレースであり、エティオ・クレースとは「真のクレタ人」と言う意味です。
トゥト・アンク・アメンが、天稚彦であることは、先に述べました。七夕伝説の“天稚彦”の父は鬼でした。
やっぱり、鬼のルーツはクレタ島であり、そして、アトランティスの首都はクレタ島だったのです。!!

そして、その文明は、タタラ製鉄の秘密を守り続けたヒッタイトを中核とするトロイア文明なのです。
トロイアの一名「イリウム」とは「岩=磐」という意味です。また、アトラス=トロアス=トロイア、そしてアストロであることは、何度もこのブログで申し上げました。
「イリウム=磐」、この偉大な国を、思い切って投げ捨ててきたそのトロイア人の末裔がわれわれ日本人だということを教えているのです!!!


高千穂夜神楽の「七鬼人」の謎

「高千穂の夜神楽」の特徴とは、なんといっても「鬼」「鬼」「鬼」、鬼だらけだということです。
たとえば、猿田彦の「彦舞」から始まって「入鬼人いれきじん」も「邪切り」の須佐之男も鬼面で演じられますが、「七貴人」というのが、これまた「鬼 鬼 鬼」、七鬼が舞うのです。
「七鬼人」という字を当てている「上田原かみきたばる」の神楽などがありますから、「七貴人」は「七鬼人」に違いありません。


高千穂の神楽の七鬼人=七貴人
「七鬼人=七貴人」のうちに「親鬼人」というのがいて、それは大国主命です。
「七鬼人=七貴人」とは、大国主命と御子神たちなのです。そして、「親鬼人」の大国主が四角い一斗枡の上に立つシーンがありますが、それは農業神としての表象だということです。

シーター様が、「吉備大臣入唐絵巻」の高殿から、「出雲大社」と「大国主」を連想されたまさに、その高殿に集合した神々とは、「七鬼人」のことのようです。

大国主の多くの異名の一つに「葦原の醜男しこを」というのがあります。
「醜」という字は、「神に仕える人」という意味でしたが、「見えにくい」という意味から「見にくい」へと変遷したことが漢字字典にでています。
「鬼」について、「倭名類聚鈔」源順 (十世紀頃)に、「於爾おには陰の訛ったもの 鬼は物隠れてみにくい」と記されていますので、この両者は同じであったとみなすことができます。


七鬼人、すなわち、七貴人は、天界の事象にあわせて、「日、月、星」すなわち、「惑星」として位置づけられており、又、「日月火水木金土」の要素をも表象したもので、「九曜紋」の九曜が、「七曜」にまとめられたものです。


それは、大雑把にいって、次のような構成です。

大国主=ヘリオス=太陽 「記紀」では天照大御神にかわる。
天宇受売=アルテミス=月 → 満月のような太っ腹の布袋様にかわる。
阿遅志貴高日子根=毘沙門=ヘファイストス=火
事代主=恵比寿=ヘルメス=水
武御雷=ゼウス=ジュピター=寿老人=木
天宇受売 玉依姫=弁天=ヴィーナス 金 

雲の上、天界の神々ばかりです。
しかし、これらをまとめてわが国では「七福神」と言っていることに意義があり、結局、「大黒様と恵比寿様」という一対の福の神あるいは、「大国様とお多福」や「ひょっとことおかめ」に収斂されるのです。

出雲大社の立地条件を見ましょう。
神無月の十月に神々が集合することになっています。そして、その集合地の出雲地方には、良質の砂鉄が取れる場所があるといいます。さらに、、出雲では、旧暦の神無月に、人が立っていられないほどの強風が吹く日があるといいます。


ヒッタイトの神々の集合地もまた、強風の吹く地であり、「天候神」を最高位としていました。
アジア大陸の西端ヒッタイトの「祭祀」を、そのまま、アジアの東端に「移植」したのだと考えられます。
というより、もともと、地の両極に存在していたのが、いつのころからか片目になっただけかも知れません。
とにかく、「神々の集合」と「天の神々」というキーワードが一致し、しかも、鉄、強風という条件までもが一致しているのです。

次の写真は、ヒッタイトの聖地ヤヅルカヤの「神々の集合」のレリーフです。

ヤズルカヤの神々の集合レリーフ
そのレリーフの神々のポーズは、ファイストス円盤のヨセフ等の「大人うし」のポーズと同じです。
「大人うし」が、辞書によると「大物」「貴人」ですから、高千穂の「七貴人」とは、やはり、高千穂の上田原かみきたばるなどの神楽で表示される「七鬼人」なのであり、それは「半人半牛」でもあるということです。

高千穂の神楽で、「親鬼人」の大国主が一斗枡の上に立つシーンがあると申しましたが、奈良のアスカ地方は、不思議な「巨石遺構」がある事で知られていますが、
なかでも「益田岩船」は、謎中の謎の巨石遺構です。これを「枡」ととらえ、そこに刻まれている線や角度、そして、「万葉集」の歌、「風土記」などの記事とをつき合わせますと、高砂の生石神社の「石の宝殿」に行き当たります。
「万葉集」巻の三に記載された生石村主真人(おひしのすぐりのまひと天平10年ごろ)の、

 大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經
 (おおなむち すくなひこなの いましけむ しづのいわやは幾世へぬらむ)

という歌が添えられています。

この生石神社の「生石」を「おうしこ」と読んでいますので、ここに「おうし」が入っていますし、更に「しこ」という「鬼」も入っています。


この「石の宝殿」に行きあたれば、「ピラミッド」建設を連想しないわけにはいきませんし、そして、「親鬼人」の立っていた四角い「一斗枡」もピラミッドを連想させます。
この「石の宝殿」や、「益田岩船」から、様々な幾何学上の「数理」を読み取っている方々がいます。
直角定規やコンパスを表象物としていた「伏義・女媧」、即ち、アトラスの足跡を証明する「原基」としての枡が読み取れます。

このような不可思議きわまりない「巨石遺構」が古代の日本に存在するにもかかわらず、わが国の「歴史学界」や「考古学界」は、与那国島海底遺跡との関連性を見ようとはせず、プラトンのアトランティス情報と照合せず、考古学や歴史とは無縁のものと決定しているかのように黙殺したままで、与那国島の海底の巨石遺構は遺構ではないとみなしているようです。

しかし、いくつかのお神楽の「岩戸の舞」の手力男を観て、これが、「アトラス」であるということは確信となりました。
お神楽の「天岩戸」の手力男が「アトラス」であることを気付いてもらう日のために日本の各地で、毎年毎年・・・歯を喰いしばって岩戸を持ち上げているシーンを演じ続けてきたのだと思うと、胸が熱くなりました!!!
そして、日本の巨石遺構ばかりではなく、世界中の巨石遺構を残したのがこのアトラス族だということを明かそうとしているのです。「古事記」「日本書紀」のメッセージの一番重要なことは何かということをちゃんと教える仕組みになっていたのです。なんという気の長い、そして、なんというロマンにみちた先祖たちでしょう!!!


「遠い未来の子孫たちに歴史の真相を伝える」、かくも遠大な計画を立てて、あらゆる書物に、あらゆる民話に、あらゆる行事に、星座に、星座神話に記しておいたのです。

そのほかに、先祖たちは道標も立てておいてくれました。
与那国島海底遺跡と、日本の巨石遺構、そして、エジプトやクレタ島の古代文明を結ぶ糸や道標はあらゆるところに記されてあり、それは、現代の為政者たちの無能さと卑怯さをあたかも際立たせているような結果をもたらせています。
その一つが立神岩という道標です。
与那国島の立神岩から始まって、黒潮ハイウエーにそって、琉球弧島にそって、点々と淡路島沼島の上立神岩まで並べられています。
そして、淡路島沼島の上立神岩には、「竜宮城の表門」という名までがつけられているのです。
こうした「道標」を見て、わたくしはこのブログを「浦島太郎からたどる」と名付けたのです。




神庭神楽の浦島太郎と乙姫様
お神楽で「浦島太郎」を演じているのが、奥多摩町海沢・神庭 山祇神社の神庭地区の方々です。お面を打たれる方もおられるとかで、なかなか素朴で趣がありそうなお神楽のようにお見受けします。
 
「歳時記」というホームページの 深見重利様の御許可をいただきましたので、「乙姫様」の写真を掲載いたします。浦島太郎や乙姫様の写真はなかなか見かけることができません。貴重なお写真をありがとうございました。
深見重利様の「奥多磨町の神庭神楽」のたくさんの写真は、「奥多摩神庭神楽」の神事としての真面目さ、素朴さ、味わいなどをよく伝えるものとなっています。



浦島太郎と乙姫様 1

この写真の乙姫様は、「おたふく」です。「おかめさん」ともいいます。
「風土記」丹後国の逸文で、浦島太郎の妻になる人のことを「亀姫」と書いてあるのは、この「おかめさん」を暗示したものだったのです。すると「おかめさん」の夫は「火男=ひょっとこ」です。

それはまた「天宇受売」でもありました。すると、夫の浦島太郎=彦穂々手見命は猿田彦でもあるということになります。
「猿田彦と天の宇受売」のカップルは、石に刻まれて道端に据えられて、「道祖神」「庚申様」とも云われています。
「庚申様」は、「荒神」として、昔は台所などに祀られていました。これが、「おかめと火男」でもあったのです。


一方、浦島太郎の妻の普通の名の「乙姫」からたどりますと、「風土記」丹後国逸文では「八乙女」のうちの「羽衣を失くしてしまったために天に帰れなくなった乙女」であり、豊受大神です。

以下は、前に書いたことですが、ここでも取り上げておきます。



「丹後風土記」の天女
スバル星=ブレイアデス星団とあめふり星=ヒヤデス星団のアトラスの娘の神話にもメローペ、あるいはエレクトラが天界から下ったという話がありますが、「風土記」には、天女八人が、地に舞い降りたが、そのうちの一人が天に帰れなくなってしまったという神話が載っています。

  丹後の国 丹波の比治山の頂に井あり、名を真奈井と云ふ。
  この井に天女八人降り来て水浴みき。
  時に老夫婦あり、・・・この井に至りて、ひそかに天女一人の衣裳を取りき。
  やがて、衣裳ある者はみな天に飛び上がりき。
  衣裳なき女一人とどまりて、身は水に隠して、ひとり はぢ居りき。
  
この天女は、この老夫婦の子となって一緒に住みます。
天女は、一杯飲めば万の病除ゆという酒を醸したので、その家は豊かに富み栄えましたが、この老夫婦は、その徳を忘れて天女を追い出しました。そこで・・・

  天の原 ふりさけ見れば 霞立ち 
    家路まどひて 行方しらずも

天女は、この歌を残して退き去り、竹野の郡、船木の里の奈具の村に至り、そこにとどまったといいます。
奈具の社に坐ます豊宇賀能賣命トヨウカノメノミコトがそれであると、この神話は結んでいます。
この天女が降り立ったところを「真奈井」といいます。

浦島神社と同じ丹後の、籠神社は「元伊勢」と呼ばれていますが、その奥社が、豊受大神を祀る「真名井神社」です。

豊宇賀能賣命とは、伊勢神宮の外宮に祀られている穀物神豊受大神のことです。そして、このウカノミタマの御神体は、「宝瓶」あるいは「瑠璃の壷」であることが、文永の遷宮の際のアクシデントによって判明したといいます。山本ひろ子氏「中世神話」岩波書店1998年 
ここに「瓶」という言葉がありますが、これが「亀」の掛詞であると考えられます。


浦島太郎の乙姫と乙女座
浦島太郎の妻を「風土記」は亀姫、また、神女と記しています。
「万葉集」では、海若神之女わたつみのかみのむすめと書いていますが、一般では乙姫と伝承しています。
これを乙女と解しますと、乙女座のVirgoのことだとわかります。
この星座の黄道における記号は「Π女」ですが、。「Π」はギリシャの8です。これは「いわゆる漢字」表記のようで、八女、すなわち八乙女のことです。
この乙女座の女神が穀物の穂を持っていることから、穀物神であることがわかり、ここに豊受大神との一致が見られます。
豊受大神は、民間伝承の「お多福」、亦の名「おかめさん」と同一であろうと言う説があります。これは、浦島太郎の妻の名が「かめ」とも「乙姫」とも呼ばれていることと一致します。

この乙女星座の女性は、古来、デーメテールの娘ペルセフォネー、アフロディテー、即ち、ヴィーナス、アスタルテ、あるいは、エジプトのハトホルであるといわれてきましたが、どれも同一の歴史の別の面を語っていると考えられるのです。

ペルセフォネーの黄泉行きの神話は伊邪那美命の黄泉行きの神話と同じです。
ペルセフォネが美しい野原を散策しているとき、突如黒馬に乗って現れ出た冥王にさらわれ、あっという間に黄泉につれ行かれ囚われの身となります。(ペリーの黒船があらわれて、あっという間に欧米の捕囚の身の上となった現日本国と全く同じケースです。)
このとき、地上の光の世界へ呼び戻す役目をするのが、アトラスの娘マイアの子であるヘルメス神です。
このアトラスの娘マイアは、五月姫として、メイポールの行事で記念されていますが、日本では、端午の節句の五月五日の鯉のぼりの行事がそれです。この五月姫は、玉依姫のことでもあるのです。玉依姫のアヤメ、ギリシャ神話のイリス女神のアイリスが、端午の節句に飾られることでそれを示しているのです。
この神話は、「ヴーナスとその子キューピットの二人がティフォンの暴虐を逃れるために二匹の魚となって東方へ逃げたという神話」にリメイクされていて、マイア(メイ)はアフロディテ=ヴィーナスだったということを明かしているのです。

日本の五月の行事の「鯉幟」は、「ヴーナスとその子キューピットの二人が、二匹の魚となって東方へ逃げたこと」を象徴していたと考えられるのです。
「古事記」は、四国を「伊予の二名」島という名で表わし、国生み神話に取り入れていますが、木村鷹太郎氏は、これを「魚二名=魚二匹」であると云い、「イオニアIo‐niaもまた、ギリシャ語で双魚のことだといいます。
愛媛とは愛と美の女神ヴィーナスのことだったのです。
二匹の魚とは、キリスト教のことでもあります。
浦島太郎の釣り糸を手繰ると双魚という大魚と、卑弥呼の後継者の「壱予」が釣れたようです。




先祖たちの取り決めたしきたりを忠実にまもり続けて、神楽を舞い続ける人々・・・そのための努力は、ただ見ているだけでは伝わりません。お神楽の世界にも、明治政府の宗教改革施策による数々の試練や難題が臨んだことは、戸隠村でも、塩谷町でも、高千穂町でも聞かれたことです。

さまざまな難題をかかえて、なお、この貴重な文化遺産を守り続けた方々に感謝いたします。
高千穂の夜神楽」、「戸隠神社の神楽」、「栃木塩谷の風見の神楽」そして、「奥多磨町の神庭神楽」などを是非見てください!

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18 鬼のルーツ?続

56 鬼のルーツ?続

「吉備大臣入唐絵巻」の謎々 4

「吉備大臣入唐絵巻の高殿と出雲
出雲大社の高殿
シーター様からまた素晴らしいコメントをいただきました。

 真備が幽閉された高殿が、何故か赤鬼、幽閉→スサノオ、
 出雲大社とだぶらせてしまったりなんかして・・
 スサノオが、オオナムチに難題をだして、スセリヒメが助けるパターンを思い出しました。
 生太刀、生弓矢、天の沼琴を手に入れて葦原中津国にもどるように、
 実際の真備も、書籍(太衍暦経)、楽器、武器、測量器具(碁盤を連想!)などを持ち帰ってますね。
 ちなみに刺繍も持ち帰ってます。何か、蜘蛛の糸を彷彿とさせます。


シーター様は、絵巻作者が目論んだとおりのイマジネーションを受け取られたのだと思います。

「吉備大臣入唐絵巻」の高殿の絵です。

高殿の吉備大臣

出雲大社の本殿が上図のような高殿であったことがを認識されるようになったのは近年のことです。

天禄元年(970)に源為憲が著した「口遊(くちずさみ)」という本の中に、「雲太、和二、京三」という記述がみられます。これは、出雲大社の本殿が第1位、奈良の東大寺大仏殿が2位、そして京都の大極殿が3位という意味で、殿屋の棟高を比較したものと考えられています。
すると、出雲大社の本殿は、高さ15丈といわれた東大寺大仏殿を凌駕するものであったことになります。

出雲大社宮司の千家国造家(こくそうけ)に伝わる、昔日の巨大な本殿の設計図とされる「金輪御造営差図」(かなわのごぞうえいさしず)には、高さ16丈(約48、5m)と書かれていましたが、これと「口遊」の説が合致していることに注目されるようになったのでした。
とはいえ、50m近いその高さは、建築の常識の線からはとうてい肯定されるものではありませんでした。

しかし、平成12年から13年にかけて、出雲大社の境内拝殿と八足門の間の、地下0.5~1.5mから平安時代末と考えられる巨大な本殿跡の一部が確認され、スギの大木3本を1組にして、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。
これは棟をささえる柱、即ち、棟持柱(むなもちばしら)で、古くから宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土しました。
直径が最大で約6mもある柱穴には、石がぎっしりと積み込まれ、世界に例のない掘立柱の地下構造も明らかになりました。
そして、これらの柱の配置や構造は、「金輪御造営差図」に描かれたものと酷似していることから、平面図の信憑瀬が高まり、高さ16丈説が有力となったのです。

こうした新資料を検討して創られた「10分の1の出雲大社 平安時代本殿の模型」の写真が下図です。(部分図)

出雲大社 古代復元 高殿は天界
この本殿の模型をみますと、「古事記」の「下つ磐根に宮柱太しき立て 高天原に千木高知りておれ この奴」と須佐之男命が大国主命に投げかけた言葉と場面がいやおうなく連想されます。

また、出雲大社の本殿の天井には八雲の図が描かれています。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

これは、須佐之男命が八俣の大蛇を退治した後に、宮を作られたときに詠まれた歌でした。
この「八雲」は、神々が集合する天界を表しているのではないでしょうか。

ヒッタイトではヤヅルカヤが、古代ギリシャではオリュンポスが神々の集合地でした。
そして、わが国では、出雲が神々の集合地でした。高殿は、神々の集合する天界を象徴する建造物だったに違いありません。


 やはらぐる光や空にみちぬらむ 雲に分け入る千木の片そぎ  寂蓮

 この歌は出雲の大社に詣でて見侍りければ、
 天雲のたなびく山の中までかたそぎの見えけるなむ、
 この世のこととも思ほえざりけるによめる・・・

これは、寂蓮が、建久元年(1190)頃、諸国行脚の旅の途中、出雲大社に寄って、多分48、5mの本殿を見ての詠唱です。
寂蓮は、1139年(保延5年)?~ 1202年(建仁2年)、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶で、俗名は藤原定長。藤原定家の従兄弟です。藤原定家は、「古今伝授」の奥義に非常に近い人物だったと私は推測しているのです。

寂蓮は「七夕」の歌も詠んでいます。



天界での邂逅 七夕

七夕祭り
今日は、七月七日、七夕祭りの日です。
牽牛と織女が、一年に一回の逢瀬を楽しみにすると言い伝えられた日です。本当は旧暦でのことであるなどと野暮なことは言わないで、この天界のロマンを見ましょう。

 七夕の 逢ふ夜の庭におく琴の あたりにひくは笹蟹の糸    寂蓮

この「笹蟹」とは「蜘蛛」のことです。琴の糸と蜘蛛の糸、そして、織姫の棚機(たなばた)に架けてある糸をみごとに掛けていてます。そして、「吉備大臣入唐絵巻」が想起されます。すると、次の衣通姫の歌も思い出されます。

 わが背子が来べき宵なり ささがにの蜘蛛のふるまひ かねてしるしも  「古今集」

「日本書紀」の允恭(いんぎょう)天皇八年二月にも、衣通郎姫(そとおしのいらつめ)=衣通姫(そとおりひめ)が、夫の允恭天皇が来ていたことを知らずに詠んだ歌として出ています。

 わが背子が来べき夕なり ささがねの蜘蛛のふるまひ 今夕(こよい)著(しる)しも

この歌を聞いた天皇は感動して、数多とは言わず一夜だけでも寝よう ・・・ という返歌を詠みました。
 
 ささらがた 錦の紐を解き放(さ)けて 数多は寝ずに唯一夜のみ

ささがにもささがねも蜘蛛にかかって、いずれも蜘蛛の異名といいます。
衣通姫の歌は「蜘蛛のふるまひ」を待ち人が来る吉兆ととらえているといわれています。しかし、私の「吉備大臣入唐絵巻」の謎々を読んだ方なら、もう少し深い意味があると思って下さるはずです。

「紐を解き」は「繙」で、「書物をよく読む」あるいは「解明する」ことですね。
「錦の紐」とは、ニシキヘビを連想し、そして、三輪の神が小蛇になっていたという話を想起します。
三輪の神の妻の玉依姫もクレタ島のアリアヅネも糸玉と一緒に描かれます。
 23 三輪神の正体
 24 三輪の神の謎とギリシャ神話

七夕祭りには「ささ」がつきものですが、このように多様な「ささ」を次々出している衣通姫(そとーおりひめ)を、七夕の「織姫」として、ここに挙げてみたのです。

また、衣通姫と允恭天皇の歌から、「笹百合祭り」即ち、三輪神社の「三枝(さきくさ)祭り」をも連想してしまいました。そして、神武天皇が、山百合の多(さわ)に咲く佐葦河のほとりの比売多多良伊須気余里比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)の家に幸行まして一夜御寝まして詠まれたという「古事記」の次の歌が想起されるのです。

 葦原の 醜(しこ)けき小屋に 菅疊(すがたたみ) 
   彌清(いやさや)敷きて 我が二人寝し

この「二人寝し」で、わたくしが連想するのは「伏義と女媧」のカップルのことです。
つまり、ヘファイストスというたたら鍛冶神の宮殿址の石の小屋に、ファイストス円盤のA面の「女媧」と、B面の「伏義」が3500年間を一夜として眠っていたことを連想するのです。
「ささ」から「酒」さらに、「砂砂」即ち「たたら製鉄」を連想してしまうのです。
この比売多多良伊須気余里比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)の名前にタタラが入っているのも、ヘファイストスという鍛冶神の宮殿遺跡の醜(しこ)けき小屋から発掘されたファイストス円盤に符合しています。

ヘファイストス鍛冶神は、神々の中で最も「醜い」と言われていますが、これも、本来の「見えにくい」「隠れている」との兼ね合いで作り出された神話だったのですね。
とにかく、日本語の独壇場ともいえる「奥深さ」です。

ヒッタイト、エジプトのツタンカーメンの墓、四川省成都高原の古代製鉄遺跡から出土した鉄・・・これらが、いわゆる「タタラ製鉄」と同じ製法であったことがわかったのは21世紀になってからです。、

しかし、学者さんたちは「 東アジアへの製鉄技術の伝播」と称しておられます。
ああ、エジプトの宰相であったヨセフやツタンカーメンが日本人であったことを知るならば、「たたら製鉄の技術の伝播」などという出鱈目は霧消し、我が国がエジプトヒッタイトを治めていたころから、一貫して「隠し続けてきた」「秘中の秘」であった技術であったことが理解できるでしょう。
すなわち「見えにくい=みにくい」ヘパイトスだったのです。





天宇受女が「天の香山の小竹葉(ささは)を手草に結ひて、天の岩屋戸に受け伏せ、蹈みとどろこし神懸りして、胸乳をかき出で、裳緒(もひも)をほとにおし垂れき。」という「古事記」の天岩戸のシーンにも「ささ葉」がでてきます。

衣通姫の夫の允恭天皇(いんぎょうてんのう)が「印形」に通じるのも問題です。さきに、崇神天皇の名が御眞木入日子恵命(みまきいりひこいにえのみこと)」と「古事記」に書かれていて、この崇神天皇とファイストス円盤と関係あることは、既に説明してあります。
 
允恭天皇(いんぎょうてんのう、376年?~453年)は、第19代の天皇(在位412年~453年)中国の歴史書「宋書」・「梁書」に記される倭の五王中の一人に比定されています。仁徳天皇の皇子です。
衣通姫は允恭天皇の皇后の妹ですが、天皇のたっての希望で妃として入内することとなりました。
天皇が皇后の出産時に姫のもとを訪れたため、怒った皇后が、産屋に火をつけて死のうとして、天皇がそれをなだめるという一幕がありました。それは、「ただ一夜の契り」で「火中の出産」をした「彦穂々手見命の母の木花之佐久夜毘売」、あるいは、「雷の一矢」で「火中の出産」となったディオニソスの母のセーメレ姫のケースによく似ています。

允恭天皇(いんぎょうてんのう)の木梨軽皇子ほかが絡む、「万葉集」や「古事記」「日本書紀」に仕掛けられている暗号に、さらに、源為憲の「口遊(くちずさみ)」が絡んでいる複雑巧妙な謎解きについては、詳しくは、村上通典氏の「暗号 柿本人麻呂」をご覧下さい。ただし、「頭痛」という副作用がでる可能性のあるホームページです。(高校生クイズでいつも好成績をだして世間を感嘆させている東大寺学園高校の「クイズ研」あたりが、この「暗号 柿本人麻呂」という巨大なクイズに挑戦して、「暗号 柿本人麻呂」のホームページを「要約」して下さらないかなと切望してしまいます。)



七夕と天稚彦の真相
「お伽草子」から
 ある長者の家には三人の姫君がいました。
 大蛇がやってきて、姫を嫁にくれ、さもないと長者を殺してしまうと脅しました。
 困った長者は、姫君に事情を話しますが、上二人は、いやだといいます。 
 しかし、親思いの末の姫だけは承知してくれました。
 
 稲妻とともに現れた大蛇は、姫に刀を渡し、この刀で大蛇の頭を切れといいます。
 姫が言われた通りにしますと、大蛇は立派な若者になり、
 「わたしは海龍王の息子、天稚彦である」と名乗りました。  

 ある日、夫が天上界に用事があるから家を空けると言い出します。
 そして、「この唐櫃だけは開けないように。開ければ自分は戻れなくなる。」
 「もし帰ってこなかったら、西の京の一夜杓(いちやひさご)というもので天に昇って、
 天雅彦はどこかと尋ねなさい。」と言って、天に昇っていきました。
 そこへ姉たちがきて、唐櫃を開けてしまうと、中から煙が一筋立ち上ります。
 これで天雅彦は我が家に帰れなくなってしまいました。

 妻は、一夜杓で天に昇ります。
 天でやっと捜しあてた夫はすばらしい宮殿に住んでいました。
 だが、夫の天稚彦は、父は鬼なので、見つかったら食べられるといいます。
 鬼が来て「人くさい、人くさい」と言い出します。
 天雅彦は妻を調度品に変えるなどしたのですが、遂に見つかってしまいました。

 鬼は姫に、「牛を昼は野に放ち、夜は小屋に入れるように」と、難題を吹っかけます。
 妻は夫に教えられた呪文を唱え衣の袖を振って牛を動かし、難局を切り抜けていきます。
 次々難題を出してもみな解決してしまう息子の妻に、ついに鬼は情を見せ、
 二人の仲を認めて、月に一度は一緒に暮らせるようにしてやろうと言います。
 しかし、姫はその言葉を勘違いして、年に一回と思いこんでしまいます。
 鬼が持っていた瓜を投げると、それが天の川になり、二人を隔ててしまいました。

 こうして天雅彦は彦星=牽牛となり、妻は七夕姫となって、
 二人は年に一夜の逢瀬を契ることになりました。

「鬼が瓜を投げる」と、夫と妻との間が遠く隔たるというモチーフは、「伊邪那岐命が桃を投げる」ケースと同じです。
天稚彦は海龍王であり、牽牛であり、その父は鬼でした。
つまり、天界の雲上の宮殿に住んでいたのは「鬼や牛や龍蛇といわれる海神」だったという解説になっていることに注目してください。
そして、牛 鬼(海龍王) 天稚彦(海龍王の皇子)と織姫が天で邂逅するのが七夕なのです。
これが、イギリスの民話「ジャックと豆の木」と同じ内容であることをみましょう。


「ジャックと豆の木」

 ジャックは母は、落ちぶれて、ついに、牝牛を売らねば生活できなくなります。
 ジャックは、牛を牽いて市場へ向かいますが、途中で出会った男に騙されて、
 牛を豆と交換してしまいます。
 家へ帰ったジャックが、その豆を母親に渡しますと、怒った母親は、豆を投げてしまいます。
 あくる日、豆は天まで延びていましたので、ジャックはその豆の木を登っていきます。
 すると、天上の鬼の宮殿につきました。
 鬼に食われそうになる度に、試練を乗り越えて、
 ジャックは、金銀、金の卵を産む鶏を持ち帰ります。
、そして、琴を持ち去ろうとした時、琴が大きな音をたててしまい
、鬼が目を覚まして追っかけてきました。
 ジャックはすばやく豆の木を滑り降りて、その豆の木を切り倒しましたので、
 鬼は地に叩きつけられて死んでしまいました。
 それら持ち帰った三種のお宝は、もとは、ジャックの家のものだったのです。

「天稚彦」と「ジャックと豆の木」の共通点
1、ジャックとは「若彦」の「じゃく」のことです。
 ですから、この話は、「アマノジャクと瓜子姫」というバージョンで伝わっています。
2、ジャックは、牛を牽いて登場します。牽牛です。
3、ジャックは、蔓を伝って天界に行き、鬼に出会い試練を受けます。
 天稚彦の話も蔓で天界に辿りつき、鬼から試練を受けます。
4、金銀、金の卵を産む鶏、竪琴を取り返します。
 これは、天稚彦が、琴座のベガである織姫をゲットするのと同じです。

こうして、イギリスの民話の「ジャックと豆の木」と「天稚彦」の話と全く同じモチーフでできている同じ話であることがおわかりになったでしょう。
ちがうのは、日本では、家庭で、夏の夜空の星を見上げて、牽牛と織女のロマンを思い描く行事になっていることです。「節分」の豆撒きも「ジャックと豆の木」の話にリンクしているのではないでしょうか。もし、豆を撒かなかったなら、ジャックは三種の宝物を取り返せなかったでしょうから。



大国主と生太刀、生弓矢、天の沼琴
シーター様は、
 「スサノオが、オオナムチに難題をだして、スセリヒメがオオナムチを助け、
 生太刀、生弓矢、天の沼琴を手に入れて葦原中津国にもどる」

という「古事記」のシーンを「吉備大臣入唐絵巻」から連想されたそうです。
20万人に達したといわれる「吉備大臣入唐絵巻」を見た方々のうちで、この絵巻から「出雲大社」と「オオナムチ=大国主」と「生太刀、生弓矢、天の沼琴」を想起した方が果たして何人いたでしょう。
まさしく、この「連想」は、「吉備大臣入唐絵巻」製作者たちが意図したとおりであろうと思われます。
そして、「古事記」の「オオナムチ=大国主」と「生太刀、生弓矢、天の沼琴」の話が、「天稚彦」や「ジャックと豆の木」の話と同じ内容であることがわかります。
ここに取り上げた絵巻や物語は、たんなる「民話」や「民間伝承」や「巻絵」の域をはるかに超えたメッセージ性を帯びた作品群であり、スサノヲが天界の鬼であり牛であり、それを継いだ大国主も同じく鬼で牛で、「生太刀、生弓矢、天の沼琴」という三種の神器を手にしていたということを告げるために製作して、あちらこちらにばら撒かれたものです。そして、それが、どのようなものであるかを伝えようとしているのだということが推理できるでしょう。


ここに、もうひとつ不思議なことがあります。天稚彦は、わが国典「古事記」と「日本書紀」にでています。
天稚彦の妻の下照姫の詠んだ歌というのが「古事記」の次の歌です。
 
 天なるや 弟棚機(おとたなばた)の項(うな)がせる 玉の御統(みすまる) 
 御統に 足玉はや み谷 二渡らす 
 阿遲志貴高日子根(あじすきたかひこね)のぞ

この七夕の歌は何を意味しているのでしょう。
みすまるの玉は、「古事記」の「天の香山の五百津(いおつ)真賢木を根こじにこじて、上枝に八尺の勾璁の五百津の御すまるの玉を取り付け、中枝に八尺の鏡を取りかけ、・・・天宇受売命、天の香山の小竹葉(ささば)を手草に結ひて、天の岩屋戸にうけ伏せ、蹈みとどろこし神懸りして、胸乳をかき出で、裳緒(もひも)をほとにおし垂れき。」を意味しているのです・・。また、ササが出てきました。

そして、この「ホト」とはヘテ、即ち、ヒッタイトです。「踏み」に蹈鞴(たたら)の「蹈」を使っていることに注意してください。
そして、「胸乳」については、トルコで、アルテミスの乳だらけの異様な神像をご覧になったかたも多いでしょう。トルコの土産屋では、「乳石」なる「目玉」様のガラスのお守りを大量に売っています。「胸乳」とは、この「三輪の同心円」ではないかと思うのです、そして、その同心円は「矢の的」であるからして、「大和」であり、「子宮」にしてホト=ヘテでもあります。

ということで、天宇受売命とは、アルテミスではないかという謎が浮上したことになります。現在のトルコのエフェソスにはアルテミスの大神殿があって、地母神・出産の女神として熱い信仰を集めていました。
ゼウスの子である「アルテミス=月とアポロン=日」の二人は「日月一対」として語られています。「日月一対」は「目一対」として表されることがあるのです。ここに、「イザナギの右の目から生まれたというアマテラス」や「スサノヲと鉄」との関係が垣間見えます。
そして、その目とは、「キャピタルマーク」でもあり、アトランティスの二つの首都を現していたのです。
それは、また、「アテナとヘファイストス」との関係なのです。ヘファイストスは鍛冶神で「一つ目」をシンボルとしています。ゼウスの前額から誕生したアテナ女神の「知恵のシンボルの梟」は有名ですが、梟の特徴はその「丸い大きな目」です。ですから、この二人も「目一対」なのです。


ところで、天稚彦=天若彦は、トゥト・アンク・アメンなのです。ですから、天の川というのはナイル川のことなのです。
ナイル川を天の川に見立て、オリオン座の三ツ星をギザの大地にピラミッドとして並べた、太古の先人たちの壮大な業については、次の項目を見てください。天の川を見る目が今日からは変わるでしょう。そして、牽牛の牽いてい少し大きい文字る「牛」とは?
 29 オリオンミステリー
  3 浦島太郎とアトランティス



「牽牛と織女」の謎

天稚彦の妻下照姫の棚機(たなばた)の歌
五節句様から、次のようなコメントをいただきました。こうして、「太古の謎」と「星と七夕のロマン」を、語りあうことができるということは嬉しいことです。

 下照る姫の歌は、私が、「古事記」 の深い魅力に気付く切っ掛けになった歌です。
 その歌について書いたブログ記事のURLを貼り付けさせて頂きます。
 → http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/39148857.html)
 
 「あまなるや ~」 という始めのことばの、その五つの音の繋がりからして、
 そこにある語の一音一音には、きっと重要な意味がある と、思いました。
 「玉のみすまる」は、私は昴(プレアデス星団)のことだと思っています。
 昴は現代でも、晴れた夜空に肉眼で見ることが出来ます。
 これは、無数の星々が光を絡ませあっていて、レースのよう・・、蜘蛛の巣のようにも見えます。
 七夕の歌のこの歌に蜘蛛の巣が入っているのは、とても暗示的な意味合いにもなりますから、
 やはり、玉のみすまる は昴のことだったのだと、考えをより強くすることが出来ました。


そうなのです。「玉のみすまる」は、天の安河(天の川)に神々が集まって作った神宝を言っている(「古事記」)と同時にスバル星をも指しています。
プレアデスという言葉は棚機姫を意味していますし、ブレアディスの七つの星をアトラスの七人の娘の名に宛ててあります。
この七人は、日本でも、棚機七姫という美しい名で伝わっていて、その対訳を示せば次のようになると、木村鷹太郎氏は、「星座と其神話」に書いています。 

 メローペ      夕顔姫 薫(たきもの)姫
 アステロペ     朝顔姫
 エレクトラ     糸織姫 
 タウゲタ      ささがに(蜘蛛)姫
 ケーライノ     梶の葉姫
 アルクオネ     百子姫
 マイヤ       秋去り姫

これらのブレァディスは牡牛座(タウロス)の肩のところにちりばめられている星々です。
そして、天の川を挟んでの「七夕の織姫と牽牛」のはなしは、「ブレァディスとタウロス」と互換性を持たせてあります。
タウロス座の目の部分にはヒアデス星座も散らばっており、こちらは、あめふり星と呼ばれています・
このタウロス座の中に位置する「スバルとアメフリボシ」は、「丹後の風土記」では、浦島太郎の妻の「亀姫」
の国の人々です。
そして、ギリシャ神話では、「スバル=ブレアディスとアメフリボシ=ヒアディス」は、アトラスの子供たち、即ち、アトランティスを記念した星座なのです。

こうして、五節句のうちの七夕祭りは、結局、アトラス=トロアス=タウロスを記念しているのです。

詳しくは、既に、下の記事に書いてあります。
3  浦島太郎とアトランティス
4  浦島太郎と彦穂々手見命

この2項目を読んでくださればわかりますように、結局は、七夕の行事は、
 1、天の川とはどこか。
 2、アトランティスとはどこか。
 3、トロイアはどうなったのか。
この三つの謎の答えを迫るものであったわけです。

この1の答えが、天の川とはナイル川であったことを、さきに「オリオンミステリー」でかみました。
 29 オリオンミステリー


ですから、ナイル川の流域の宮殿に住んでいたツタンカーメンの妻のアンケセアメンが、自分の兄弟のアジスキタカヒコネの身分をあかす歌に中の、「ミタニフタワタラス」という言葉は、「本当は、ミタンニ国(じつは、この国もヒッタイトの分家)とフタ=プタ=エジプト」の両国の領有権を持っている」という意味であると考えられます。
ということは、当然「神宝のみすまるの玉の保持者である」という意味であろうと考えられます。
これは、国譲りと神宝譲りの真相に迫る謎歌でありましょう。 





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