与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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25 邪馬台国と中国

63 邪馬台国と中国

夏王朝の銅牌飾

前回は、T・H氏の「知られざる古代中国のトルコ石象嵌文化」をお借りしての考察を試みましたが、今回もこれをベースにして、同じくT・H氏の下記の記事を参照しながら解説を試みます。

・「夏王朝の銅牌飾にはルーツがあった!」
  http://www.catv296.ne.jp/~t-homma/index.htm
・「盾形銅牌飾の研究」
  http://ushimachi.web.fc2.com/newpage63.htm 

中国の古代史

「誕生 中国文明」展が、上野の国立博物館で、2010年7月6日から~9月5日にかけて開催されたほか、奈良と九州の国立博物館でも開催されました。
そのときの、パンフレット(写真左)を飾ったのが右の写真の「動物紋飾板」、あるいは、「象嵌松石銅牌飾」と云われた盾形銅牌飾です。
この「動物紋飾板」は、紀元前17~前16世紀頃の、盾形をした縦16.5cm幅11cmの青銅板にトルコ石461個を象嵌したものです。


誕生 中国文明

なぜ、たくさんの展示品の中から、この小さな「動物紋飾板」が、今回の展覧会の呼び物の代表として選ばれているのでしょうか。
それは、この「動物紋飾板」が出土した河南省偃師市二里頭は、幻といわれてきた「夏王朝」が、実在したことの根拠となり得ると考えられており、また、小さいながら大変高度な技術力を示しているからです。


世界四大文明のひとつであると教科書で習った「中華文明(黄河文明)」の起源は、青銅器と甲骨文字文化で知られる「殷イン」(紀元前1600年ごろ~1046年)とされていました。
しかし「殷」の存在自体も、20世紀初頭までは幻しの存在でした。
1926年から河南省で殷の遺跡が発掘されたことにより、殷王朝が立証されたとして、この「殷」から数えて、ざっと「中国3000~3600年」という説が生まれました。

前漢の歴史家司馬遷が紀元前91年頃に完成させた中国最初の通史「史記」の「五帝本紀」に記されてはいるものの幻の王朝とされていた夏王朝についても、2000年に終わった中国の国家プロジェクトによって、、宮殿跡が発掘され、宮廷行事に使われる青銅器の祭器などが出土し、王権を持った支配が始まったらしいことがはっきりしたとして、中国最初の王朝、夏王朝の始まりを紀元前2070年頃としています。「中国4000年説」が提唱され、その中心地は、河南省にあったとされたのは、このように最近のことなのです。

この度の展覧会は、この夏王朝の存在を強く打ち出したものなのです。
国立博物館のホームページから見てみましよう。

「この展覧会は、中国の河南省で出土した数々の名品に焦点をあて、中国文明の誕生と発展のあとを紹介します。2009年末に報じられた「三国志」の英雄・曹操(そうそう)のものとされる墓が発見された河南省は、中国大陸を西から東へ流れる黄河の中流域に位置する中国王朝発祥の地です。
中国最初の王朝といわれる夏(か)の中心地は、河南省にあったと考えられます。
その後、商(しょう)殷(いん)の安陽(あんよう)、後漢・魏(三国時代)・北魏(南北朝時代)の洛陽(らくよう)、北宋の開封(かいふう)など、歴代の王朝の都が河南省におかれました。

夏が始まった紀元前2000年頃から北宋が滅亡した12 世紀頃まで、河南省は中国の政治、経済、文化の中心地として栄えました。

この展覧会は、「王朝の誕生」「技[わざ]の誕生」「美の誕生」という三つのテーマで構成されます。最新の発掘成果を交え、青銅器、金銀器、漆器、陶磁器、壁画、彫刻、文字資料など、150件をこえる名品が勢ぞろい。これらを通して、王朝、工芸技術、文字(漢字)など、中国文明を特徴づけるさまざまな要素がこの河南省で生まれ、ダイナミックに発展していくさまをたどります。」



夏王朝より古い「斉家文化」出土品 トルコ石象嵌
「知られざる古代中国のトルコ石象嵌文化」のT・H氏は、この「誕生 中国文明」に一点だけ展示されている「夏王朝」の盾形動物紋飾板よりも古いトルコ石象嵌の盾形銅牌飾をたくさん蒐集されているのです。
それは、「斉家文化」に属する出土品です。

「斉家文化」とは甘粛省、青海省などの黄河上流の文化で、今から約4000年前の、石器時代晩期から青銅器時代早期の文化です。夏王朝の二里頭文化の直前の文化であり、その夏王朝の偃師二里頭(えんしにりとう)遺跡とは900kmほど離れています。

問題は、斉家文化については、夏王朝のような中国正統?の文化ではなく夷の文化であると思われているせいなのか、学者さんたちがあまり研究テーマとして取り上げようとせず、国も遺跡や出土物の保護と管理を放棄しているふしがあって、発掘物が流出し放題であることです。

斉家文化の出土品の特徴を「知られざる古代中国のトルコ石象嵌文化」のT・H氏の解説から揚げてみます。
・彩色土器も出土する文化でもある。
・斉家文化は鋳銅の技術が進歩して銅鏡を始めて作った文化である。
・玉器を大量に作り出した文化で、高度な玉器加工の技術があった。
 長江下流の良渚文化から玉璧や玉などの玉器が伝わっている。
・象嵌の技術が出現し、トルコ石などの象嵌の玉器や銅器が出現した文化でもある。

象嵌の技術は出土品が現在に至るまでトルコ石の剥離が無いなどの高度の加工技術を持った文化であった。しかし鋳銅や象嵌の技術の起源は、もっと西のシルクロードの方にあったのかもしれない。

斉家文化の人面紋と夏王朝の人面紋銅牌飾を並べてみれば、やはり夏王朝の人面紋盾形銅牌飾のルーツは、斉家文化にあることはをはっきり示している。なお上のものは全て私の収集品である。

以上T・H氏の説明から引用

















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