69 邪馬台国とトロイア祇園祭り「NHK 生中継 祇園祭宵山 京都が一番暑い夜」7月16日(土)午後7時30分から8時45分に、NHK総合で放送されました。
京都の祇園祭りは、日本三大祭りのうちの一つに数えられている祭りで、7月の1日から30日まで祭りの行事が続くというきわめて大掛かりなもので、みなさま、わたくしよりもよくご存知のことと思います。
祇園祭の丁度中日にあたる16日の宵山の様子が生中継されていました。
この放送の中で、私がここにとりあげたいのは、この京都八坂神社の祇園祭の山鉾に懸けられている鯉山タペストリーの謎にまつわることです。
「生中継 祇園祭宵山 京都が一番暑い夜」宵山の山鉾の解説のページ
http://www.nhk.or.jp/kyoto-gion/index.html
マップの「鯉山」をクリックすると写真と解説がでます。
http://www.nhk.or.jp/kyoto-gion/movie/index.html
鯉山タペストリーの謎祇園祭の鯉山に飾られている前後左右の9枚の織物を並べ替えると、図柄がピタリと合い1枚のタペストリーとなるというのです。それは、鯉山町が1800年頃、京都の商人より購入した1枚を九つに分断して鯉山飾りとしたためだといいます。
1966年、鯉山飾りの修理中に、タペストリーに「B・B」という文字が織り込まれていることが発見され、それがベルギー製であろうということがわかりましたので、ベルギーのブリュッセル王立美術館に調査を依頼しました。
1979年、ブリュッセル王立美術館のタペストリー部長のギー・デルマルセル Guy Delmarcel 氏から、鯉山に使われているタペストリーの「B・B」のイニシャルから 「ブリュッセル・ブラバン製」であること、さらに「TSEA」 という マークからは、「1580年から1620年にかけて ニケイズ・アエルツ Nicaise Aerts という職工が“ホメロスのイリアード”を題材にして製作した5枚の連作のタペストリーであること。」が分かったという報告が届きました。
しかも、その当時の“ホメロスのイリアード”のタペストリーは、今では生産地ベルギーにも存在せず、日本にのみ現存しているのだそうです。
番組では、地元鯉山町の呉服商の野口安左衛門という方の、「これらのタペストリーは、伊達政宗の家臣が持ち帰ったものではないか」という説をとりあげていました。
野口安左衛門氏は、天寧寺に残る「奥州からつづれ織りが運ばれた」という伝承から支倉常長に注目し、タペストリーは、支倉常長一行が慶長遣欧使節団として1620年に持ち帰った贈答品の中の品であろうと推論しています。
南蛮貿易によって持ち込まれたという説もあるそうで、決着が付いているわけではありません。
ベルギー製の「イリアード」タペストリーの行方5枚連作のタペストリーの各所有者とその題材は次の通りだそうです。
祇園祭 鯉山 見送幕、前掛、胴掛、水引
「トロイア王プリアモスと王妃ヘカペーの祈り」
大津祭 月宮殿山 見送幕、 大津祭 竜門滝山 見送幕、 祇園祭 白楽天山 前掛
「トロイア陥落図」
長浜曳山祭 鳳凰山 見送幕、 祇園祭 鶏鉾 見送幕、 祇園祭 霰天神山 前掛
「トロイア王子ヘクトールと妃アンドロマケー、息子アステュアナクスの別れ」
金沢前田育徳会所有
「トロイア王子パリスとスパルタ王妃ヘレーネの出会い」
東京芝増上寺所有(明治42年焼失)
「アキレウスのもとにヘクトールの遺体返還を求めるプリアモス王」
わたくしの関心は、祇園祭の山鉾の装飾に使われているベルギー製のタペストリーがホメロスの「イリアード」を描いたものであるというその奇しき縁にあります。
わたくしは、「邪馬台国エジプト説誕生百周年」にあたり、この木村鷹太郎氏の説を弁護するために検証を続けている過程で、「魏志」倭人伝の冒頭がホメロスの「イリアード」のクレタ島を描写した場面であるということを発見したのです。
「古代史に、かくも大きな反響を残しているトロイア人が世界から忽然と消え去るということが起こりうるだろうか。そのようなことは起こりえない!」と、わたくしは、高校生のときにホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」を読み終えたときに直感したことを思い出したのでした。
第二次世界大戦での悲惨を幼少時に目撃してきた私は、「日本は、何故にトロイアと同じように連合国相手に孤軍奮闘して戦わねばならなかったのか」という疑問が頭から離れなかったのでした。そして、「トロイア人たちは、本国日本に帰還してしまったのだ!!」と、そのときふと思ったのでした。
しかも、京都の方々が、語尾に「ドス」を付け、わたしたちが「デス」付けるのは、古のギリシャ時代の名残ではないのか??と妄想をたくましくしたものでした。
あれから、半世紀以上たちました。
「魏志」倭人伝の冒頭がホメロスの「イリアード」から書き起こされているということは、倭人=日本人がトロイア人であったことを示唆しているのだという仮説を設定して検証を重ねました。
木村鷹太郎しは、日本の御神宝なるものは、トロイアの王子がトロイア戦争のさなかに運び出したものであると断言しておられますが、わたくしも、これを支持し、その追跡をして、その保管場所までつきとめました。
そして、このブログを最初から読んでくださった方々は、わたくしのブログが、トロイアとは、倭人、すなわち、日本人の国であったということを検証したものであることを知っていただいたはずです。
そして、今までにわかったトロイアとは、複雑にして謎に包まれた多重構造の国であつたということであり、その実態に迫った唯一の学者は、ドイツ人のエバーハート・ツァンガー氏だとわたくしは思っています。
E・ツァンガー氏は、トロイアこそがアトランティスであり、トロイアは、歴史学者たちや世間の認識より、はるかに規模が大きかったと発表しています。
しかし、それよりもはるかに真相を見抜いていた人物が「邪馬台国エジプト説を百年前に唱えた木村鷹太郎氏」です。
大津祭の月宮殿山の、アイネーアスの老父救出の図京都の祇園祭の鯉山の「トロイアの王プリアモスと王妃ヘカペがアポロン像を拝している」シーンを描いたタペストリー」は見事なものですが、滋賀県の大津祭の月宮殿山の見送という部分につけられているタペストリーは、「トロイ城陥落の際、トロイアの王子アイネーアスが父を救出する図」が描かれた秀逸な品です。
それは、もともと、京都祇園祭の白楽天山のものと一続きだったものだそうです。
そこに描かれているのは、たいそう有名な場面で、アイネーアス老父を背負って逃げるシーンです。

大津祭 月宮殿山 見送幕 複製品 部分図
このアイネーィアスとは、トロイアの神宝と老父を救い出してイタリアまで逃げのび、ローマを建国した人物ですが、アイネーアスは、わが国の「古事記」「日本書紀」で、稲氷命として記されていると、木村鷹太郎氏は唱えていました。(「日本太古史」下巻 1912年 P518)
このアイネーアス=稲氷命が携え出した神宝こそが、わが国の神宝であると、今から100年前に、木村鷹太郎氏は看破し、これに関して、「古事記」神代記の大国主と少那毘古那の国作りの記事中の「羅馬船」を「かがみの船」と読ませているのは、この「神器」が、アイネーアスという羅馬建国者から伝来していることを示唆したものであると説き、さらに、次のように嘆いています。
神鏡容器に御船代なるものありて、その上に、
神鏡は御樋代内に入れられて載せ奉りあるを見よ。
神鏡を載せあるは此れ「かゞみの船」にあらずして何ぞや。・・
この神鏡は日本の大宝なり。
単に日本の大宝たるのみに止まらずして
世界人類の大宝なり。是れ過去においてまた将来において、
世界の文化人類の平和の宝祚にして、
人間に関する善美は実に此れに本源し、
今後ますます然るべければなり。・・
ああ、天下の大宝を自家に蔵して、
しかもその天下的のものたるを知らざるは、
歴史家の無知これを教えざりしによる。そもそも、このトロイア王子アイネーアス=稲氷命のタペストリーを懸けている大津祭の「月宮殿山」の月宮殿というネーミングは謡曲の鶴亀からとったものです。唐の皇帝が 月宮殿の不老門に立って、前庭で盛大な祝賀会が催されたという趣向です。
ところが、この場面には、「ヨハネの黙示録5章」が封じ込めてあるのです。
そして、これを解くキーワードは、「鶴亀」の「一億百万余人」「鶴は千年亀は万年」と「ヨハネの黙示録5章」の「万の万倍と千の千倍」という言葉です。
「鶴亀」(謡曲集 小学館 1973年)を見ますと、鶴亀は蓬莱山すなわち「不死山」の象徴です。その最重要な部分を抜粋してみます。
それ青陽の春になれば、四季の節会の事始め、
不老門にて日月の光を天子(キリスト)の叡覧にて、
百官卿相に至るまで、袖を並べて踵をつぎて、
その数一億百万余人、拝を勤むる万戸の声、
一同に礼するその音は、天に響きて、おびただし。
「鶴亀」の上記の部分がヨハネの黙示録5章の、「ダビデのひこばえ(イエス)が勝利を得て、その意思を受け継いだ者が巻物の七つの封印を解いて、四つの生き物(春夏秋冬の四季を象徴する日本4島)の新しい事始めが、長老(百官卿相)をはじめとする一億百万余人(日本人のほとんど)の(恵穂葉)神を拝するその声が響き渡る。」というシーンです。
そして、その巻物を解いた者がダヴィデのひこばえであると保証しているのです。
ダヴィデの詩篇は、竪琴に合わせて歌うと書かれているものが多いのですが、それはオルフェが妻エウリュディケを黄泉から連れ戻そうとしたギリシャ神話を重ね、さらに、伊邪那美命=日本を黄泉から救い出そうという日本の神話に連携しているのですから、外の国の方々がこれを解けるわけがありません。
「ヨハネの黙示録5章」は、「天、地、地の下、海の被造物、そして万物が物を言う」とも書かれています。
これは、「天と地をあなたがたの証人とする」という申命記31章のモーセの預言と同じテーマです。
イザヤ書10章で、全能者のようにして人類をおとしめた王が、国々を集め、国々の富をかき集めたが、翼を動かすものもくちばしを大きく開く者も、さえずる者もいない。」に対照するために書かれています。
申命記31章、申命記33章はファイストス円盤とリンクしていますので、ファイストス円盤は計り知れない価値を持っているものであるといえます。
祇園祭は八坂神社の祭りです。祭神は牛頭天皇です。「牛頭」とはタウロス星座=牡牛座にほかなりません。トロイアのことであり、その「出トロイア」の最大の人物がモーセなのですから、アイネーアスの携え出た「神宝」が聖書とギリシャ神話と連動していることは当然のことですが、なによりも古事記・日本書紀などの日本側の文献と連動しているのです。
さて、祇園祭の「祇園」という言葉で、真っ先に頭に浮かぶのは「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」という語り出しで始まる「平家物語」です。
「平家物語」は、「トロイ戦争」の重要ポイントを織り込むために作られた作品なのではないかと思われるふしが多々あるのです。しかも、冒頭の一節に「祇園」を詠っており、これが「シオン」を連想させることからも、これが「神の国」の重要情報の提供を目的として作られたことが予想されるのです。
その一例を挙げましょう。これは、すでに、
33神宝はタイムカプセル(11 神国のあかし)に書いたことですが・・・
「平家物語」の“剣の巻”には、次のようなことが書かれています。
およそ神璽と申すは、
神代より伝わりて、代々の御帝の御守にて、璽筥(しるしのはこ)に納めけり。
この箱、開くことなく見る人も無し。
これに依りて、後冷泉院(1025~1068年)の御時、
いかが思しけん、この箱を開かんとて蓋を取り給ひしに、
たちまちに箱より白雲上り給ひけり。
よしありて、雲は元のごとく返り入らせ給ひぬ。
紀伊の内侍、蓋覆ふて緘げ納め奉る。
日本は小国なりといえども大国にまさるとは是なりとぞ。
神璽とは、わが朝の起より出でたり。
「箱より白雲上り」というフレーズが「浦島太郎の玉手箱」を暗示しており、
「わが朝の起より出ている神璽、是により日本は小国なりといえども大国にまさる」と明記してあることの不思議さを考えてみるべきです。
「平家物語」の剣の巻が、神鏡を語るべき場で神璽を述べていることの謎を考察しますと、「鏡」とは「鑑、すなわち、神璽(印鑑)」であるということが考えられます。
この「剣の巻」が「鶴亀の巻」の掛詞であることがわかります。そして、鶴と亀は陰陽をも意味しています。
神璽=印鑑とそれを押印して作成されたファイストス円盤も陰陽の関係にあります。
日本の「鏡」とは「神璽=印鑑」という「鑑」のことであり、印璽を連ねた「玉の緒」、即ち、天照大御神の「み総まるの玉」と呼ばれるものであった可能性が高いのです。
「み総まるの玉」とは、また、すばる星のことでもあり、それは、ギリシャ神話では、アトランティス(アトラスの娘たち)のことでもあります。
御神鏡は、神の魂実(たまざね)=御神体でありますため、御正体、または、御正体鏡とも呼ばれているのです。
神の御正体を知りたいと、糸をつけて、その後をたどると小さな蛇になっていたという三輪山の神と玉依姫の神話からもファイストス円盤の重要性が推測されます。
玉依姫とはイーリス女神のことであると木村鷹太郎氏は説いています。
イーリスは、あやめ、虹彩、虹を意味していますが、イーリス、すなわち、トロイアを意味しているのです。そして、ヴィーナスでもあります。
ですから、さきほどのアイネィアスがヴィーナスの子であると伝えられているのです。
ところで、その後、ヴィーナスと息子キューピットは二人して魚と化して東方へ逃げたという神話となり、星座の魚座にちりばめられて星空を彩っています。
これはイオニアと関係があり、卑弥呼の後継者である壱予であり、「四国を伊予の二名の島という」という「古事記」の記事とリンクしていることをこのブログで取り上げています。
祇園祭の「鯉山」というのが、この二匹の魚を意味し、それは玉依姫=イーリス=ヴィーナスとキューピットたるウガヤフキアエズ=アトラスをあらわすものであることがわかるのです。
私たちが何も気づかずにただ楽しんで見ている祇園祭という行事のなかにも「神計らい」がゆきわたっており、それは、日本人のDNAに織り込まれている潜在的な記憶と連動して作用しているのです。
私たちに先祖たちの築いた歴史の真実をいやがおうでも悟らせようという神のご意思をうかがい知ることができます。
1918年に来日して木村鷹太郎氏を訪問され、木村氏の説に賛同の意を表されたギリシャのイオナ・メタクサ伯爵夫人は、次のような手紙を残しています。
ギリシャの古代のデルフォイや、オリムピアの事を知らんと欲するギリシャ学者は、
京都や日光に来て、金碧を以って装飾された殿堂や神域に、厳かに祀られ、
無数の参拝者によって拝されるところの彫刻などを観なければなりません。
そうすれば、その人は、必ずや、宗教的太古は、今もなおここに存在することを感じ、
数多の神聖なる形象記号などは、今なお、親しき熟知の言葉を以って語るでありましょう。
実に両文明の類同の点のあまりに多いことは、それに注目せずにはいられません。・・・
有名なる木村(鷹太郎)氏の御著述は恰もアリアヅネの糸の如く
よくその途をたどり得るものたることを信じます。
今や、歴史の死灰から再生して、新生活に入ろうとするギリシャが、
日本においてその古代文明の精神を発見し、両民族一致協力して、
芸術、哲学、人生に、今一度理想を創造するようになることを希望いたしております。
わたくしは、日本人もまた、古代ギリシャの史跡や、ギリシャの古典に親しんで、ギリシャ人と一致協力して、歴史の死灰から再生して、今一度理想を創造することに努めなければならないと思います。
イオナ・メタクサ夫人が看破されたように、わたくしたち日本人は、古代トロイアや古代ギリシャの面影をひきずっているのです。
民衆のDNAのなかに活きている古代の記憶・・・それは今まさに死なんとしています。しかし、古代の先祖たちが「記憶再生装置」である行事を調えておいたおかげで、記憶をよみがえらせることができるのです。
大変な技術と手間と根気と莫大な経費のかかるこの祇園祭の行事を維持してきた「八坂神社」の氏子さんたちに心からの敬意を表したいと思います。
同胞の作ったものを買い、同胞の苦労を思いやるというような根本的なことに支えられてこそ、こうした文化が生まれ、維持できるのであり、そうした「すばらしい心意気」の結晶が祇園祭の絢爛豪華な山鉾だと思いました。
京都の祇園祭は、世界に誇れる文化遺産です。京都三大祭のひとつに、葵祭という、わが国の祭のうち最も優雅で古趣に富でいるといわれている祭があります。総勢500名以上の風雅な行列が下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。
賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭で、5月15日に行われ、古くは賀茂祭、または北の祭りとも称していました。
上賀茂神社(賀茂別雷神社)の祭神は賀茂別雷命です。その母の玉依姫命と玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀っているのが賀茂御祖神社(下賀茂神社)です。
両社ともに、平成6年(1994年)12月25日に世界文化遺産としてユネスコに登録されました。
この玉依姫は、奈良の三輪神社にまつわる玉依姫、つまり、「古事記」「日本書紀」の玉依姫はと別人のようにいわれていますが、同一であることについては、このブログで取り上げています。
そして、この玉依姫の御子たちの名は、五瀬命、稲氷命、御毛沼命、そして、神武天皇です。
このうち、「稲氷命」が、上記のタペストリーの「アイネーィアス。トロイアの神宝と老父を救い出してイタリアまで逃げのび、ローマを建国した人物」なのです。
この玉依姫が生んだ人物がトロイアの王子たちであることについては、下記のブログを見てください。そして、玉依姫の夫が、アトラスであることも書かれています。
4 浦島太郎と彦穂々手見命