与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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32 邪馬台国エジプト説のスケールの巨大さ

71 邪馬台国エジプト説のスケールの巨大さ

このブログの「邪馬台国とホメロス」のところで書いたことを復習してみましょう。

卑弥呼の国のスケールの巨大さは桁外れであることを認識しておられますか?
次のような描写は、九州の吉野ヶ里や、畿内の奈良などに当てはまるでしょうか?

「三国志」魏史 倭人伝 の冒頭 (原文と訳「古代史獺祭」からの引用)

倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國 

倭人は帯方東南大海の中に在り、山島によりて國邑をなす。もと百余國。漢の時に朝見する者あり。今使訳通ずる所三十國。

卑弥呼の邪馬台国は、最初から、貿易大国であり、かつ軍事大国でもあったことを示しています。ここまでの大国になるには、かなりの「前史」がなくては成立し得ないであろうということも考えざるを得ません。

「邪馬台国」および、その中の「伊都国」に関して
 
「国に市有り、有無を交易し」
「租賦を収む。国の邸閣(倉庫)有り」
「大倭にこれを監せしめる。」
「世世王有るも、皆女王に統属す。」
「郡使の往来、常に駐とどまる所なり。」 
「女王国以北には特に『一大率』を置き、諸国を検察す。諸国これを畏れ憚る。」
「國中を、常に伊都國で治する。刺史の如く有る。」
「王、使を遣わして京都帯方郡諸韓国に詣で、」
「郡の倭国に使するや、皆津に臨みて現われるを捜し、文書を伝送し遺の物を賜ふ。」
「居る處の宮室は樓観であり、城柵を厳かに設け、常に人有り、兵を持って守衛す。」

     
邪馬台国についてのこうした描写を見ますと、法制、官僚制、運輸および、監視システムにおける驚異的なレベルが垣間見えます。
「文書を伝送し」とありますが、文字や計算が発達していないと、上記のような大掛かりな組織的交易国家は成立できません。
「女王国」「倭」「邪馬台国」「大倭」「伊都国」が多重構造になっており、外部からはうかがい知れない複雑な統治システムになっていたことがここで明かされています。
そして、「伊都国」には、宗教的、政治的センターがあったことが伺われます。

しかも、「その後、中国の史書に、このようなわが国に関するスケールの大きな記事が二度と見られないのです。
「三国志」魏史 東夷伝を通し読みしてみますと、魏史 倭人伝の「卑弥呼」の記述のみが桁外れに興味を喚起するような、謎めいた書き方になっています。
この、女王卑弥呼が大変稀有な存在であることを強調した描写は、何に由来しているのかという問題にもしっかり目を向けなければなりません。



「三国志」魏史 倭人伝の冒頭は「ホメロスの記事」
「倭人伝」の冒頭をもう一度掲げてみます。
原文と訳は、「古代史獺祭」氏のサイトからの引用です。

倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國 

倭人は帯方東南大海の中に在り、山島によりて國邑をなす。もと百余國。漢の時に朝見する者あり。今使訳通ずる所三十國。

この書き出しは、使訳が往来する交易センターのある商都の趣きをたたえています。日本においては、江戸時代の鎖国前の長崎ですら見られないほどの活況を呈した国際都市の様相が伺われます。

この「魏志倭人伝」の冒頭は、弥生時代のわが日本列島内でのできごとではなく、ホメロス Homeros(紀元前8世紀)の叙事詩の次の章句を「魏志倭人伝」の冒頭にそっくり移植したものであるというのが私の見解です。

「葡萄色なす海原のただなかに、まわりを海に洗われたクレタと呼ぶ地がある。そこには数知れぬ多くの人々が住み、九十の市があり、異なる言語を話す人々が入り混じっている。・・・」「オデュッセイア」第十九巻

「魏史倭人伝」の冒頭、「今使訳通ずる所三十國」のほうが、「オデュッセイア」の「異なる言語を話す人々が入り混じっている。」よりもあか抜けた表現であり、古代の商都を活写しているようすが伺えます。
百と九十では異なっているではないかという異議が出ると思いますが、ホメロスの「イーリアス」第二巻では「百市の島クレーテー」と言っています。イエスと同時代のギリシャ人ストラボンが「ギリシャ・ローマ地誌」という大著の中で、その十市の差を問題にして言及しているほどです。「イーリアス」から「オデュッセイア」までの間に「10市」が消滅あるいは移住したことがうかがえます。

さて、古代に、クレタ島に高度な都市文明が存在したということがわかったのは、20世紀になってからのことです。
ホメロスが「イリアード」や「オデュッセイア」で描写したような、交易の要衝の地として栄え、賑わった市が百もあったような繁栄は、紀元前16世紀ころのミノア時代のことです。当時、これに匹敵する島はほかにはありませんでした。紀元前八世紀のホメロスの時代には、クレタ島の繁栄は既に、伝説でしかなくなっていました。

古代アテネの歴史家トゥキディデス( 紀元前460年頃~紀元前395年)の時代には、クレタ島はもうその栄華のおもかげをとどめないほどに衰退していたと言っています。


トゥキディデス

クレタのミーノス王は、艦隊を所有した最初の人であった。・・・
活発な交易がエジプトおよびキクラデス諸島との間に行われていた。・・・
ドーリス人の移住の後、ミュケナィとティリンスは衰亡し、芸術も線文字も衰亡の運命を辿って、陶器のみがわずかに生きながらえることができた。
そしてまたクレタにおいても、似たような結果であった。・・・


アジア、アフリカ、ヨーロッパを結ぶ要衝の地にあるクレタ島においてさえも、国際貿易都市を経営維持するにはよほどの手腕と経済力を要したことが上の記事でわかります。
そして、その後、クレタ島がその当時の繁栄を取り戻すことは二度となく、遂には、クレタ島の高度な交易都市のことは、すっかり忘れ果てられていたのです。
古代史に、類を見ないほどのクレタ島の繁栄と同じほどの賑わいが、古代の日本列島においてあったと考えられるでしょうか。

クレタ島の絶頂期の支配者ミーノス王の時代の宮殿が、20世紀初頭に発掘されて、忽然と地中から現われ出たときには、世界中が仰天したほどです。
そのミーノス王朝の時代、紀元前16世紀頃のものといわれている「ファイストス円盤」という粘土版が、1908年に出土しているのですが、これが今も、日本語で読めるという驚異的な事実をこのブログでも提示し続けています。(これを検証しようという動きが見られないのは残念なことです。)

「魏志倭人伝」の冒頭が、ホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」のクレタ島描写を移植したものであるとすれば、「クレタ島から1908年に出土したファイストス円盤(紀元前十六世紀頃のもの)が日本語で書かれていて、わが国のアイデンティティーを明かす文書である」ということと無関係とは言えません。
とすると、「魏志倭人伝」と「ファイストス円盤」は、リンクして、わが国のアイデンティティーを開示するために備えられていると思われます。しかも、このファイストス円盤は、創世記48章、49章、そして、申命記31章、33章とリンクしているのです。こうしたことから辿って、わたしたち日本人は、聖書執筆者たちの末裔でもあるということが明らかとなったのです。

「魏志倭人伝」が、木村鷹太郎氏説くところの邪馬台国地理の中心に位置する「クレタ島」のことから書き始めてあるということは、このクレタ島が鍵となっているとが推測されるのです。

クレタ島は地中海文明の発祥の地であると認識されています。
「魏志倭人伝」が、もし、この「繁栄の絶頂期のクレタ島が、倭人たちの島であった」ということを明かそうとして、このクレタ島から書き初めているのであれば、それは、とりもなおさず、倭人たちが、地中海文明の発祥を担ったことを知ってもらう必要性があって書いたことになります。



また、ホメロスの大叙事詩「イリアード」と「オデュッセイァ」は、トロイアの滅亡を描いたものですが、木村鷹太郎氏は、わが国に伝わっている「御神宝」とは、このトロイア伝来のものであると説いています。
日本の「御神宝」が、このトロイア伝来のものであれば、わたしたち日本人は、今から三千数百年ほど前に,地中海界隈から消息を絶ったトロイア人の末裔でもあるということになります。
そして、トロイア人は、シュリーマンが発掘したトルコのヒッサリクの丘の周辺だけではなく、クレタ島を拠点にし、かつ、エジプトを支配し、聖書の民でもあったという驚天動地の古代史が開けてくるのです。

聖書の執筆者たちは、トロイ戦争について殆んど書いてはいません。一方、ホメロスは、出エジプトの情報を描いているようにはみえません。
しかし、考えても見てください、出エジプトとトロイ戦争は時代的にも地理的にも接近している出来事なのですから、両大国がお互いに、こうした大事件にまったく無関係にして無関心ということは考えられないことです。
意識して書き分けているにちがいありません。

この古代史に大きな足跡を残した両雄の末裔がわたしたち日本人であるということ、そして、聖書の民とトロイア人とわが日本人が同一だったということが明きらかになろうとしていて、まさに、日本人の祖先たちの冒険とロマンが日の目を見ようとしているのです。
これが明らかになれば、わたしたちも、明るく前向きになれるはずです。



「漢時」について
「魏志倭人伝」の冒頭の文章に「漢時」という時代が書いてあるので、漢の時代(BC200~AD220頃)の描写であることは動かせないという反論がでることが予想されます。
しかし、「天漢」と書いて「天の川」と呼ぶことに注目してください。そして漢とこの後問題にする韓とが日本では同じ発音であることをちょっと記憶にとどめておいてください。
また、古代ローマのことを「大秦」と言った例があります。

「天漢」や「天の川」という言葉や習俗は、中国からの借り物だというのが従来の説ですが、「古事記」には、「天の川=天の安河」で、神々が集って「神宝」を造ったという神代のことが記されています。それは一体何処での出来事なのでしょうか。

中国では、天漢(あまのがわ)の水源は崑崙山から発していると考えられていました。しかしそれは、現在の崑崙山脈ではありません。はるか西の彼方に崑崙山があって、そこには西王母という女王がかくれ住んでいて、その西王母を訪ねて東王公が船に乗って行き来するといわれていました。
そして、この西王母は恐ろしい姿の神様だったとも、見目麗しい女神だったとも伝えられていますが、その画象は、中国や日本で発掘される銅鏡の装飾のモチーフとして使われている「西王母と東王父」でおなじみです。

その「天漢」すなわち「天の川」が、ナイル川付近のことであることを、このブログの「29 オリオン・ミステリー」で述べてあります。
「漢時」とは、遥か古代の「天の漢」の時代のことであると考えられるのです。
そして、この漢をアヤと読みますと、アヤ国の使者である「アヤメ」即ち「イリス=アイリス」が浮上するのですが、これの女神とは、ホメロス描く「イーリス=トロイア」のメッセンジャーの女神のことなのです。
そして、この女神は、わが国においては玉依姫であり、その夫鵜葺草葺不合(ウガヤフキアエズ)がアトラスであるということなどについては、すでに、このブログで紹介済みです。

また、天漢=天の川の神話に「天稚彦」が出てきますが、これは、「古事記」の「大国主の国譲り」の記事の天若日子のことであり、その治世年数と死の一致から、トゥト・アンク・アメンであることを「4 浦島太郎と彦穂々手見命」で書いておきました。これにより、トゥト・アンク・アメンが、トロイアの王子であった可能性が浮かぶのです。

日本政府や、歴史にかかわっている学者、宗教家が、「ファイストス円盤」のようなはかり知れない価値をもつ出土品にまつわる検証を呼びかけても、少しも検証せずして、やりすごすことは、後世、卑怯のそしりをまぬがれません。



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31 邪馬台国エジプト説の勝利は近い

70 邪馬台国エジプト説の勝利は近い

見えぬけれども あるんだよ

「見えぬけれども あるんだよ」とは、金子みすず(1903~1930年)という詩人の詩「星とたんぽぽ」の一節です。

 星とたんぽぽ

 青いお空の 底ふかく
 海の小石の そのように
 夜が来るまで沈んでる
 昼のお星は 眼にみえぬ
 見えぬけれども あるんだよ
 見えぬものでも あるんだよ  

 散って すがれた たんぽぽの
 瓦のすきに だぁまって
 春の来るまで かくれてる
 つよい その根は 眼にみえぬ
 見えぬけれども あるんだよ
 見えぬものでも あるんだよ


「有る」「在」という印は、「ロゼッティ」「米印」「八光=八紘」で表します。そして、それは、「星」「誕生」「命」のマークでもあります。
そして「聖書」には、「在」「有」は、神であると記されています。
1930年に26歳で死んだ薄命の詩人金子みすずは、すべて「有る」ということのありがたさ、不思議さ、いとおしさを切ないほどに詠っています。
すべての人が、彼女ほど「有る」ということのありがたさといとおしさを尊んで生きたならば、世の中は、平和で美しくなるはずです。
そして、彼女は、確かに「在る」のに、その存在に気付かないことがあるということを詠んでいます。

大空に星々が在るのに、見えないゆえに昼間はその存在を忘れていることを詠っていますが、彼女は、星に託して、神の存在や親の愛、そのほか、普段見落としているあらゆるものの存在や関係について言っているのです。そうした、ふだん、よく見ないものの存在や存在価値を認めるのは人の「こころ」であること、つまり、「心のもちよう」であると詠っているのです。

今、都会では、夜になっても星の存在が希薄になっています。それは電気や車の排気ガス、家、工場の煙のせい、ビルディングなどのせいです。高村千恵子は、「東京には空が無い」と嘆きました。
空気や水の存在とその有難さについても見ないという、「人々の心のもちよう」の帰結として、今では、空気清浄機を備え、外国から水を買うという社会現象を引き起こしています。
100年前の日本は、風景も空気も水も清浄だったのに・・・


2011年3月11日の大震災と原子力発電機の爆発・・・・空気や水の毒性におびえる日々を過ごすことになりました。

3月11日の大震災後、各企業のCMの代わりに繰り返しくりかえし流し続けたACジャパンの「こだまでしょうか」は、それこそ、日本中の人々の心に突如「こだま」するような状況になりました。
この詩も、金子みすずのほかの詩と同じように「ともに在るものどうしの慈しみあい」の大切さと「見えないけれども在る」ものを認識することの大切さを訴えています。
そして、「宇宙と人」「人と人」「人ともの」「ものともの」の間に在る「見えないものの本質」を知ろうとしないことがいかに危険で、人間関係を阻害するかを教えています。

「人を馬鹿にすると馬鹿にされる」のと同じように、「空気や水を馬鹿にすると、空気や水から馬鹿にされます」。「プルトニュウムの本質を見ようとしないと、プルトニウムから人間の本質を破壊されます」。

深刻な国難のときに、金子みすずの「こだまでしょうか」が国中にこだましたのは偶然でしょうか。いいえ、そこには、神の御手を感じます。


わたくしは、木村鷹太郎の「邪馬台国エジプト説」を検証して、この説の正当性をなんとかして、同胞に伝えたいと悪戦苦闘しております。
金子みすずの詩が80年ぶりに日本中にこだましたのを見て、木村鷹太郎の「邪馬台国エジプト説」が100年ぶりに日本中にこだまするのを予感しました。

わたくしは、この、30年間、家事のかたわら、この検証にこころをくだいてまいりまして、日本人は「トロイア時代」「アトランティス時代」という前史を有していることを確信できました。それは「エジプト時代」「ギリシャ時代」「エトルリア時代」を有していることでもあります。
それでは、なぜ、誰も、エジプトやギリシャやクレタ島に日本人の先祖たちが住んでいたということを日本人は
認めようとしないのか。それは、日本人の祖先たちは、石造りの豪華な建造物を作ることをやめさせたからです。
なぜ?
それは、日本人が一番長いスパンで歴史を捉えていたからです。
二千年に一度、三千年に一度、いや、一万年に一度というような歴史の記憶を有していたからです。


星空を見上げて見て下さい。牡牛座はなぜ上半身しかないのでしょう。
牡牛座タウロスはトロアス=アトラスの象徴として描かれているのです。そして、後半を描かないのは、全貌を隠していることを謎掛けしているのです。
「牡牛座タウロス」「アルゴ(在五=在語)座」「スバル星座」「あめふり星座」など、あるいは、「聖書」「ギリシャ神話」「古事記」「日本書紀」「イリアード」「オデュッセイア」「魏志 倭人伝」などには、子孫に伝えようとした先祖のその強い思いがこめられています。その思いが確かに「在る」のです。
あなたがたに、今見えなくても「在る」のです。


そうしたすべてが凝縮してこめられているのが「ファイストス円盤」です。

Claire Grace Watsonのホームページから
http://www.diskoftheworld.com/
disk of the world "OH MY GOD, IT'S FULL OF STARS"
を見てください。(新しいパソコンが入り次第、画像を載せます。)

Claire Grace Watsonさんは、ファイストス円盤に、星座やピラミッド情報が刻まれていることを発見しました。

少なくとも次の事柄について、彼女の説が正しいことを確認できました。

1、曲尺定規の印6個をつなぐとピラミッドを形成する。 A面
2、乳orトロスの印15個をつなぐとアルゴ船の星座を形成する。 B面
3、猫or犬の頭(火をも意味する)の印7個を繋ぐと、プレィアデス星座を形成する。B面
4、大の字型の人型の印11個を繋ぐと牡牛(タウロス)座を形成する。 A面+B面

ファイストス円盤上には、日本語で、実に整然とした、深遠な内容の文章が刻まれており、さらに、それは「聖書」と「ギリシャ神話」と「古事記」・「日本書記」と連動するものであることを証明することができるよう作成されているのです。
しかし、それには、日本語という非常に局地的な言葉の理解力を必要とします。
そこで、ファイストス円盤には、「ファイストス円盤と星座やピラミッドをダイレクトに結びつける。」という驚くべき技が組み込まれていたのです。
どんな言語も介在させずに、ただ「見るだけ」で、「ファイストス円盤」が盛り込んでいる星座やピラミッド情報を「一目瞭然」に悟らせるように製作されているのですから、「ファイストス円盤」は、驚異的な「世界の文化遺産」です。

この「ファイストス円盤」があることによって、無謀ともみえる「邪馬台国エジプト説」の検証が容易になり、「邪馬台国エジプト説」の正しさが磐石なものとなるのです。
これこそが、「日本は言霊が幸はふ国」と「万葉集」に詠われた「言霊」にして「霊(みたま)」なのです。


この「ファイストス円盤」という言霊がこだますることはまちがいありません。たとえ、私が死んだあとだとしても「こだま」することはまちがいありません。
邪馬台国エジプト説の勝利は近いといえます。
それでも、あなたは、邪馬台国九州説や、畿内説を支持しますか?



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