与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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54 ツタンカーメンは倭人

93 ツタンカーメンの謎 1

土曜プレミアム「独占解明!誰がツタンカーメンを殺したのか!? 謎の少年王・悲劇の生涯」
2012年8月11日(土)フジテレビ の上記の番組を見ました。

ツタンカーメンの死因 最新の情報

山本正二・高野秀行医師が、5195枚のCT画像を解析して下した「死亡時画像診断」
ツタンカーメンの死の真相を解明するのは、おなじみの元エジプト考古庁長官ザヒ・ハワス博士。しかし、今回は、世界的にトップクラスの日本の死亡時画像診断(通称AI)技術を駆使して、その死因を究明する!というものでした。
それは、まるで、アメリカドラマの「CSI科学捜査班」や「BONES」の世界!!

世界に10台しかないアメリカANATOMAGE社の最新のAIがスタジオに登場、
最近は、AIを使って、遺体を解剖せずに死因を解明する方法が進んでいるとの説明がありました。
そのAIのエキスパートである山本正二・高野秀行医師が、今年5月、東京で、独占入手したツタンカーメンの5195枚のCT画像を「死亡時画像診断」した結果の所見を発表したその内容で、下記のような診断内容した。

 全体の状態は骨だけでなく軟部組織も残存しており、左足ひざ関節がポイント。
 これは高原骨折と呼ばれる特殊な折れ方、
 内反足の影響で膝が内側に曲がったと推測される。
 
 さらに、ほお骨の下の穴など13ヶ所にもわたる不可解な傷を発見、
 これらの傷跡は、現代の交通事故による損傷によく似ている。
 
 ツタンカーメンを死に追いやったのは、チャリオットという戦車に乗って疾走中の、
 突然の強い衝撃が原因とおもわれる。

チャリオット 
ツタンカーメンのチャリオット

という「死亡時画像診断」。そして、ツタンカーメンを死に追いやった一部始終をCGで再現していました。


これは、まったく予期せぬ展開で、いささか驚きました。
海外でも、もちろん、最先端科学の装置で「死亡時画像診断」がなされたことがあり、
それらは、ザヒ・ハワス博士の立ち会いのもとで調査されており、
その都度、テレビやインターネットで逐一その成果が発表されています。
しかも、2頭の馬が引くチャリオットという戦車から落ちた後にマラリヤで死んだという診断が、
既に発表されています。

しかし、その、ザヒ・ハワス博士も、大いに満足された最新の診断が、
この山本正二氏と高野秀行氏が13か所もの傷や骨折を見出だして、これを解析した診断なのです。

山本正二氏と高野秀行氏の診断から
このツタンカーメンのミイラの別名を想定することができました。
このミイラは、アキレウスのものだと思います!!!


ホメロスの「イーリアス」の冒頭
ホメロスの「イーリアス」と「オデュッセイア」は、一筋縄では扱えない高度な技法を駆使して書かれているように思われます。
「イーリアス」の最初の行は次のようになっていることが、わtがくしの長年の疑問でした。

  怒りを 歌いたまえ、ムーサよ、
  ペーレウスの息子アキレウスの怒りを……

ホメロスが、「イーリアス」のこの最初の一行で、「トロイ戦争の発端を、アキレウスにダイレクトに結び付けている」のはなぜ? この書き出しはわたくしにとって大きな疑問点でした。
「イーリアス」は、トロイアの国と王家の壊滅のいきさつを書いている叙事詩であるはずなのに、主人公がアキレウスであるというのはおかしな話です。

次に、トロイ戦争の原因が、アキレウスの父母のペーレウスとティティスの結婚式にあるという不思議があります。
この婚儀が原因で、ヘスペリデス(不死の庭園)の黄金の林檎(世界樹のシンボル)をめぐって、殊にヘーラー、アテーナー、アプロディーテーの三女神による激しい対立が起こり、これに神々全てが巻き込まれる争いに発展したと語られています。
また、この戦争の要因となった重要人物が、トロイアの王子パリスまたの名アレくサンドロスであるというのも謎です。

この「アキレウスの父母のペーレウスとティティス」が、エジプトのファラオと王妃であったという新事実が浮上するのであり、それなら、現実の世界史とかみ合います。
しかも、アキレウスの父のペーレウスとは、トロイア王を兼ねていたということも浮上するのです。

黄金に埋もれていた若きエジプト王ツタンカーメンがアキレウスであれば、ホメロスの「イーリアス」の冒頭がアキレウスで始まり、「イーリアス」の主人公がアキレウスであるという不可解な構成の謎が一挙に解決できます。
それは、ツタンカーメン=アキレウスは、実はトロイアの王子パリスまたの名アレキサンドロすでもあったということが隠されており、だからこそ、「イーリス」の主人公たりうるのです。


トロイア戦争という悲劇は、大体において、今日でいうところのアジア、ヨーロッパ、アフリカ勢の富や資源をめぐる覇権争い、即ち、世界大戦であることを意味しています。
トロイア戦争を以って、後期青銅器が終わり鉄器時代の世の中になったと言うのが定説ですが、ヘシオドスは「神統記」の掉尾を、オデュッセウスとアイネイアスのイタリア建国で飾って終えています。

我が国の「古事記」「日本書紀」の神代巻も、神武天皇(イワレヒコ=イウレウス即ちトロイアの王子)と稲氷命(アイネイアス)の海原(ウンブリア)などのイタリア(足一ツ騰宮)の建国で終えているのです。
その直前に詳しく書かれているのがアメワカヒコの死にまつわる記事なのです。そのときに、アメワカヒコに瓜二つのアジスキタカヒコネが出てきますが、これが、あの有名なアレキサンドロスつまりアレキサンダーの祖先なのです。
アメワカヒコとアジスキタカヒコネは別々に育てられていましたから兄弟であるとは知らなかったという設定で書かれていましたが、どちらもゼウス即ち「雷神」と呼ばれていた一族です。
葵祭で有名な上賀茂神社の祭神は賀茂別雷です。その母の玉依姫は、玉依姫の父の賀茂建角身命と一緒に賀茂御祖神社(通称下鴨神社)に祀られています。玉依姫とはイーリス即ちトロイアのことです。

ゼウスは、日本では大物主と言われていて、「赤い矢に化けて勢夜陀多良比売のホトを突いたら子供ができた」という記事は、ホトはヘテ即ちヒッタイトのこと、赤い矢とはかのアカイヤのことです。
勢夜陀多良比売とはトロイアを暗示しています。そして、この間に生まれた賀茂別雷とは、アジスキタカヒコネにほかならず、ツタンカーメンの兄弟です。
アジスキタカヒコネは、「古事記」で、アメワカヒコの妻の下照姫が、謎詩でミスマルノ玉に関係づけていますので、神宝の首飾りを持ってトロイアを脱出したアイネイア(稲氷命)であることがわかります。
では、オデュッセウスは?といいますと、彼も同じです。
オデュッセウス=ゼウスがヒッタイトを終焉させて、イタリアのトスカーナで大規模の鉄鋼業を始めたいきさつが浮かび上がるのです。ヒッタイトの製鉄を永年隠したのと同様に、次の製鉄所エトルリア=トスカーナ(トツカの剣)を隠さねばならなかったために、このような複雑な戦略と物語の構成が必要だったのです。


トゥト・アンク・アメンの足とアキレウスの腱

アキレウス
海の女神テティスはアキレウスを不死身にするためにスチュクス河に浸したのですが、くるぶしのところだけが不死身ではなかったといいます。
それは、アキレウスは完璧であったが、足のくるぶしに弱点があったということのレトリックです。
戦争で陣頭指揮をとらなければならない王族として、足に弱点があれば、出陣しなくてすみますから、ある意味で「不死身」なわけです。

テティスは、アキレウスがトロイア戦争に加わると命を落とすことを予言し、アキレウスをスキューロス島に送り、女装させて王女たちの中に紛れ込ませて隠しました。
しかし、どうしても、この戦争に彼を引っ張り出したかったオデュッセウスは、行商人に化けて、珍しい商品をとり揃えてスキューロス島に出向きました。女性用の品々に興味を示す王女たちと違って、偽王女のアキレウスのみは、短剣などにしか目を向けないので、その正体がばれてしまったとホメロスの「イリアード」は記しています。
それはまた、王女と見まがうばかりのスレンダーな体型だったことを証言しており、ツタンカーメンの肖像画と一致しています。

こうして、トロイア戦争に引っ張り出されたアキレウスは、テティスの予言どおりに戦死します。

アキレウスは、トロイアの王子ヘクトールを倒し、その遺骸を戦車で引きずります。
その後、アキレウスはイーリオスのスカイア門の前で戦っていましたが、急所のアキレス腱をトロイアの王子パリス(一説によると彼の暴虐に憤ったアポローン)に射られ、瀕死の重傷を負って倒れましたが、しかしアキレウスは再び立ち上がり、イーリオス勢を追い回したのち、ついに予言どおり死の運命を迎えます。

足に弱点のあるアキレウスは、戦車で行動したと考えられます。足には勿論、防具のすね当てやくるぶしカバーもついていたことでしょう。ですから、矢が直接足を貫いたわけではないので、足に矢傷がみられないのでしょう。
アキレウスの足の頑丈な防具を射て壊したり、疾走する戦車チャリオットの馬を射たりすると、あのような足がぽっきり折れるような「交通事故的」な衝撃が生じると考えられます。

「瀕死の重傷を負った」のちに「再び立ち上がり、イーリオス勢を追い回した」というのは、英雄に対する美辞でしょう。


ツタンカーメン展が今、上野の森で開かれています。ツタンカーメンのどの像も、王女に見まがうものばかりですから、女装したアキレウスを想像してみるのも一興です。




ツタンカーメンの素顔

国立科学博物館の坂上和弘氏によるツタンカーメンの復顔
世界的な人骨の権威である国立科学博物館の坂上和弘博士が、ツタンカーメンのCT画像から復顔に挑戦。
そして、復顔完成のそのツタンカーメンのお顔は、・・・予想した通り、まるで日本人でした!!


ブログ「マイコのHAPPY LIFE エジプトevery day」
http://blog.livedoor.jp/maimitsu/archives/51992910.html
のマイコ様のご厚意で、下の2枚の写真を掲載させていただきました。
マイコ様ありがとうございます。

ツタンカーメン 復顔

ツタンカーメン 復顔2

このブログで、何年も前から、「ツタンカーメンは日本人、すなわち倭人である」と言い続けてきたわたくしにとって、8月11日(土)フジテレビ の、土曜プレミアム「独占解明!誰がツタンカーメンを殺したのか!? 謎の少年王・悲劇の生涯」 の内容は、今までのツタンカーメン関連番組よりもはるかに意義のあるものでした。
3400年の時空を超えて、直接本人の「骨は語る」のです。「私は倭人、日本人ですよ」と。

わたくしは、カイロのエジプト考古学博物館で「八重の入れ子になっているツタンカーメンのお棺と厨子」の木工細工と金箔の技術など、おびただしい細工をじっくり拝見しました。
こうした驚くべき巧みな技も、「日本の技術である」と、語りかけてくれました。
たとえば、テーベに残されている壁画ののこぎりは、西洋流の「押す」ものではなく「引く」ものなど・・・です。

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53 世界最大のミステリー 「魏志倭人伝」

92 邪馬台国への行程  10 邪馬台国 

10 南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳提可七萬餘戸
10 南へ水行十日、陸行一月程行くと、邪馬壹国に至る。女王の都する所。
   官を伊支馬、次を弥馬升という。その次を弥馬獲支といい、その次を奴佳提という。七万戸余りある。


クレタ島からエジプトの海岸線までは約630kmあります。ほぼ、鹿児島新港~沖縄本島那覇港間の距離です。
これは、現在では、6000トンのクイーンコーラルプラスで、鹿児島新港~沖縄本島那覇港間、24時間、即ち、まる1日の行程です。

それを水行10日間とすると、1日63km進むことになります。

サントリーニ島出土の壁画 船団

サントリーニ島アクロティリの約3600年昔の上の壁画に見られるような、帆と漕ぎ手を装備した細長いカヌー状の船を双胴船に連結し、女王の特使用の快速船となしたものであろうと仮定して、次に述べるような計測をしてみました。

ホクレア号

ポリネシアの古代船を復元した「ホクレア号 全長約20m 幅5m」の南太平洋での大航海の例から割り出しますと、約11600kmを5ヶ月間=約150日の予定を組んで航海していますので、一日平均77kmほど、10日間で770kmの走行を目安としていたことになります。ここから判定して、630kmを10日というのは、ゆとりのある日程と云えます。

さらに、陸行一月程行くと、テーベとなり、ここが、女王の都と考えられます。
邪馬台国とはエジプトのことです。

エジプトの人口は、当時すでに数百万人から1千万人の規模に達していたと試算されていますから、女王の都が「七万戸余りある」、つまり30万人ほどの人口であったとしてもリーズナブルです。しかし、2000年ほど前の九州や畿内のどこを探しても、このような大都市の痕跡を見つけることは不可能です。


テーベ王朝について、わたくしは、既に、トゥト・アンク・アメンが「古事記」などの「天稚彦あめわかひこ」であることを検証しております。
また、クレタ島出土のファイストス円盤には、エジプトでファラオの右腕となった人物ヨセフの名前が日本語で刻まれており、その息子エフライムが彦穂々手見命=山幸彦、マナセが海幸彦であることまで解明できていますから、さらに、エジプトの歴史と照合しながら探索すればよいわけです。
また彦穂々手見命の寿命は580歳と「古事記」に書いてありますから、これは「息子」と云うよりは「息子を起点とする王朝」ととらえるべきでしょう。

ファイストス円盤に描かれている「彦穂々手見」についての、最も重要な情報は、「古事記」と「日本書紀」神代の巻の掉尾を飾っている彦穂々手見命の記事です。世界中を探しても、いまのところ、ヨセフの子孫の消息は分かっていません。聖書にすら手がかりはないのです。しかし、「古事記」と「日本書紀」の神代巻の末尾は、「彦穂々手見命即ちヨセフの子孫と豊玉姫の間に生まれたウガヤフキアエズであると記されその子孫が列記してあります。
この「ウガヤフキアエズ」という奇妙な名前について、また、その子孫について、木村鷹太郎氏が「日本太古史」明治45年刊 に解明していますので、これの検討をしてみます。 

「古事記」神代巻の末尾 
  天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえす)命、
  その姨(おば)玉依毘売命を娶(めと)して、生みし御子の名は、五瀬命、
  次に稲氷命、次に御毛沼命、次に若御毛沼命、亦の名豊御毛沼命、
  亦の名神倭伊波礼毘古命。4柱。
  御毛沼命は、波の穂を跳みて常世国に渡りましき。
  稲氷命は妣(はは)の国として海原に入りましき。

「日本書紀」神代巻の末尾
  彦波瀲武鸕鷀草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)尊、
  其の姨(おば)玉依姫を以ちて妃と爲し、彦五瀬命を生む。 
  次に稻飯(いないい)命。 次に三毛入野(みけいりの)命。 
  次に神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)尊。 凡(すべ)て四男を生む。 
  久しくして彦波瀲武鸕鷀草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)尊、
  西洲(にしのしま)の宮に崩(かむざ)りき。 
  因りて日向(ひむか)の吾平山(あひらのやま)の上の陵(みささぎ)に葬りまつる。


木村鷹太郎氏は、これを検証していますので、簡略に紹介しておきます。

「日本太古史」木村鷹太郎著 博文館 明治45年刊から 
  ウガヤフキアエスは、Ουραν γαια φορκιζ のギリシャ語の、
  天=ウラノスのウと、地=ガイヤのガヤ、
  支持するを意味するフォーキュスとの合成語であり、
  天を父とし地を母として地の両極にて天地を支えるアトラスのことである。 

  ウラノス     Ουραν  の略     宇=天 
  ガヤ=ガイア   γαια           地
  フキアエス    φορκιζ         支持者
   
  中国の史書に詳細に伝えられる天皇氏がウ、地皇氏がガヤに相当し、
  大昊伏義氏、又は庖犠氏と呼ばれるもののことである。 
  その「フッキシ」「ホーキシ」が、ギリシャ語のPhorcysとの同一性を示し、
  また、伏義氏、あるいは庖犠氏が竜蛇で表象されることでも一致している。
  天皇氏地皇氏に続いて記される人皇氏とは、ヒト=ヘテ人をいう。


彦穂穂手見命の子のウガヤフキアエズ、即ち、アトラスは、豊玉姫の妹玉依姫と結婚して、生まれた御子たちは次のような歴史的人物であると説きます。


  神倭伊波礼毘古命    イウールス  トロイア王子 ローマ建国の祖
  稲氷命=稲飯命     アイネイアス トロイア王子 ローマ建国の祖 
  御毛沼命=三毛入野命  ミケイリノス=メンカウラー  エジプト王

 稲氷命は剣を抜きて海原の国に入りて鋤持(サビモチ)の神と成り給えりと。
 鋤とは剣にして、スペイン、ドイツ、スウェーデン語などが、軍刀をサーブル、
 サーベルというは、鋤(サビ 鉄)と語源を同じうせるものにして、
 その人種名と成れるものはSabinusと言う。サビヌシは鋤主にして、鋤持と同意義なり。
 サビーヌ人種の国は稲氷命=イナイの入り込みしローマ付近の地にして、
 その地方をウンブリアUmbriaと言う。これ「海原」なる語にして、
 いわゆる稲氷命の入りませる「海原」なる国名にあたれるなり。

 「姓氏録」は稲氷命を以って新羅の祖となすが、極東には非ず、
 イタリア南部をシラキウスSeyllaciusと言う。これシラキなり。

 ホメロスの「イーリアス」中の英雄イナイ Aeneae=Aeneasは、トロイ王族にして、
 トロイ王家は美の女神の子なるイナイ王によって継続せらるべき運命を有し、
 トロイ没落後、イナイは、老父を肩に載せ、父をして神器を抱かしめ、
 君笏を有せる幼児イウールスIuleusの手を携え、戦争の混乱中に生き別れ、
 同族の一団と共に、海に陸に戦にと艱難辛苦を経て、ついにイタリーに着く。 
 其の地の有力者となりここに帝国の基礎を置けり。

 ローマ人はこのイナイ(アイネイアス)を以って建国の祖なりと伝う。
 イウールスはIuleusと綴れりといえども「ウス」は人物語尾のusにして、
 日本の「氏」にあたり、また「彦」にあたれる語なり。
 イウールスの「イウレ」は、トロイの別名Iliumと同一語にして「磐」を意味し、
 イワレ彦命に対して、「磐余」なる字に一致するが如し。
 
 イナイおよびイウールス(アスカニオス)にも海上に難船の記事あり、
 その地点はイタリアのクマノ海 Cumanosクマノスにして、
 稲氷命および磐余彦命の難船は熊野海たり。
 

「古事記」「日本書紀」の神代の巻の掉尾を飾っている記事はヘシオドスの「神統記」の掉尾と同じ内容であることを私は発見しました。

ヘシオドス「神統記」 末尾 
トロイア王家のアンキセスとアフロディテーとの間に生まれたアイネイアス、
および、オデュッセウスとヘーリオスの娘キルケーとの間に生まれたアグリオスと、
非の打ちどころなく、力あるラティノス、そして、
(アフロディテーの恵みをうけて生まれた)テレゴノス(チレニア人)・・・


「ラティノス」とはラテン人、「テュルセノス」人とは、エトルリア人或はイタリア人をさしていますので、この息子たちは、製鉄産業にいそしんだエトルリアの開祖たちであるということをこのヘーシオドスの頌詩は明かしているのです。
ウェルギリウスの叙事詩「アイネィアス」の主人公アイネィアスは、トロイア王家のアンキーセースとアプロディテー女神即ちヴィーナスとの間に生まれたと書かれています。
ヴィーナスの夫は鍛冶神ヘファイストス鍛冶神ですから、その息子アイネィアスが、エトルリアで「鋤主(さびぬし)の神となられた。」と言う記事と整合します。
アイネィアスがトロイア王プリアモスの娘クレウーサを妻としてもうけた息子はアスカニオス(別名ユールス、イウールス)です。
木村鷹太郎氏は、神武天皇が神倭伊波礼毘古あるいは磐余彦(いわれひこ)と記されているが、「いわれ」とは、トロイアのイリウムという言い方と同じで、イリウムも磐を意味するといい、トロイア王家をイウール(磐)ともいい、神武天皇とは、トロイア皇子イウールスのことであると解きました。この皇子の別名がアスカニウスなのです。

ところで、「製鉄&鍛冶=一つ目」という、わが国でもよく知られているこの原則は、ギリシャ神話の天空ウラノスと大地ガヤの子供であるプロンテス・ステロペス、アルゴス、キュクロプスと呼ばれる一つ目の兄弟の子孫のことから始まっているのです。
この三人組の女性バージョンがグライアイ(老女の意味、ギリシャ国名の語源)三姉妹で、体は三体ですが「目一つ、歯一つ」を三人で共用しているという怪物で、やはり怪物のゴルゴンの姉妹にあたります。
日本では、「一つ目」はこれと同じですが、ギリシャでの「一つ歯」のほうは、日本では「一つ葉」すなわち「片葉」「片葦」「片足」です。

このキュクロプスたちの両親であるウラノスとガヤをあわせた名を持つ「ウガヤ」王朝のことをわが国の「古事記」と「日本書紀」は「ウガヤフキアエズ」と記しているのですから、わが国の暦史書は、決して「弥生時代」以降のことだけを書いた浅薄な歴史書ではありません。こうして、4000年以上も後に解かせるような謎を編集するような「言葉と文字」の達人たちだったのです。

そして、このウラノスとガヤの子「ウガヤフキアエズ=アトランティス」を連れて逃げて養育し、結婚したのが虹の女神イリス(玉依姫)すなわちトロイアなのです。

日本では、玉依姫の夫の「大物主=大国主」は、「出雲」「三輪」などに分祀されていますが、いずれの神域にも「神奈備山」を擁しています。「パイエークス=キュプロス=(杉)林国」(木村鷹太郎氏の説)との共通思想が垣間見えるのが、三輪神社が杉の木を神紋としていることです。
また「三輪」とは、三重丸の同心円、即ち、「一つ目」を表象する言葉であると私は考えています。
そして、ヤマトとは、「矢と的」を表わし、それは、神=光=矢と的=目を示し、三重の同心円は「目的」「目標」「輪と和」をも表わすという最高の次元の象徴であると思っています。

三輪神社神域の「アスカ」という地名はアスクレピオス医神とトロイア王子アスカニウスを示唆しています。

アスクレピウス医神もイウレウス家も、紋章は百合でした。
そして、オデュッセウスは英語圏では「ユリシーズ」と呼ばれていますが、日本では「百合若」として各地に伝承されていました。



ヘシオドス「神統記」とホメロス「イリアード」「オデュッセイア」は、「古事記」「日本書紀」そして「魏志倭人伝」とリンクして、トロイア王家の「アイネイアス、イウレウス」とギリシャの総大将「オデュッセウス」を物語っています。

数万キロメートル隔てたギリシャと日本の書物が全く同じ記事を掲げているという驚くべき事実を無視したまま古代史を語ることはできません。


アトラスの子孫の世界三分割
ウガヤフキアエズ=アトラスの子孫についての、こうした事蹟と「古事記」「日本書紀」とを照合して見ますと、
この三者間での世界の三分割統治が行われた様子が浮上します。

  イウールス=神武天皇は、ローマ建国に携わり、のちに、東漸してアジアを統治
  イナイ王がイタリアを建国して、ウンブリアなどを拠点にヨーロッパを統治
  ミケイリノス王がエジプトを拠点に、アフリカを統治

上記の三者の父彦穂々手見命の寿命については、「古事記」が580歳と記していますので、これらは人物名というよりも王朝名であると解すべきでしょう。

「古事記」は「次に御毛沼命、次に若御毛沼命亦の名は豊御毛沼命亦の名は神倭伊波礼毘古命(神武天皇)」と記しています。すると、時代の異なる二種類以上のミケイリノスがいたことになり、ギリシャのミケーネとの関係を調べる必要がありそうです。

彦穂々手見王朝(580年)の次がウガヤフキアエス朝で、その次がローマ建国の時代であったならば、
彦穂々手見命が結婚した豊玉姫の父が「テーベ王朝」の王であると解しても歴史との矛盾がありません。

聖書はトロイア戦争と古代ギリシャについて何も語っていません。
ホメロスはエジプトについて語っているようには(表向きは)見えません。
そして、古代エジプトや古代ギリシャが、かなり、グローバルな社会であったという証拠が次々と出てきているのですから、聖書やギリシャ神話についても、重ね合わせて立体的に見直す必要があります。



メンカウラーのヒエログリフと「日本書紀」の三毛入野命
ミケイリノス王名

メンカウラーの王名ヒエログリフは、「日本書紀」の三毛入野命の表記と見事に合致しています。
三個の桝形=凹の表象は「入」は、イリ王朝(トロイア系)を示し、「三個の大ピラミッド」の表象であると考えられます。
「日本書紀」の三毛の表記からは、「毛、不毛」を、「みけ」の音からは、「御食、御饌、三宅」が想起されます。
「三毛」から、三種類の穀物、御饌を連想しますので、地中海方面の火山爆発などによる異常気象で大不作に見舞われたときに貢献したことを推し量らせるためのヒエログリフではないかと思います。

創世記41章に記されているような、「七年間もの旱魃」という恐るべき大飢饉の発生を、ヨセフが予測していたならば、穀物争奪戦争や略奪からの防災、また、炎熱や腐敗からの穀物種の保護などの目的に対して、ピラミッドのような特殊な倉庫の建造を計画したことでしょう。それは、ピラミッドのような巨石での建造以外では、略奪者の決死的襲撃から保守し得ないような状況であったと考えられます。  

また、ピラミッドは、見張りの塔、鏡による光通信の拠点、烽火通信の拠点などを兼ね、ナイル川運行の船舶やキャラバンの目印として機能した、複合施設であったと考えられます。このような目的のためには、地下の迷路や「死人に番をさせる」といったトリッキーな装置も必要だったに違いありません。

エジプトが「鏡」を神聖視した裏には、鏡による光通信ネットワークがあったと見ています。
そして、このことは、第一級の秘密であったはずです。

テーベのツタンカーメンやハトシェプスト女王の地下墳墓などを個人で見学しましたとき、アルミを貼った大きな板を持った子供たちが連携して、アルミ板を上手に扱って、地下深くの壁画のデテールを照らしてくれました。この助けなくしては、壁画の見学もままならない暗い地下のこととて、思わず子供たちにチップをはずみました。
太古においても、日中には、こうした方法で深い地下室に明かりを送っていたことが想定されます。


メンカウラー=ミケリノス王の彫像
メンカウラー王は紀元前2500年頃の王で、ギザの第三ピラミッド、一辺108メートル、高さ約67メートルのピラミッドの建設者と言われていますが、「古事記」の記事が確かなら、ピラミッドはもっと古いヨセフの時代に建造されたことになります。
ミケイリノス


1908年、ギザのメンカウラー王のピラミッドに付属した河岸神殿から、G・ライスナーの発掘によって、左のようなメンカウラー像が出土しました。

このメンカウラー王の群像は1978年4月1日から12月3日まで、日本各地で開催された「古代エジプト展」の展示品の一つとして公開されました。
普段は、カイロのエジプト考古学博物館に展示されています。


クレタ島出土の約3500年昔のファイストス円盤が日本語で読めるということは、地中海文明に私たちの祖先が寄与していたということです。そして、聖書中の重要人物ヨセフやその息子たちの消息をあかすものであり、「古事記」「日本書紀」が、こうして、古代史解明の鍵を示していることを鑑みると、「魏志倭人伝」が「邪馬台国」であるエジプトからアトランティスの首都クレタ島、ギリシャ、そしてエトルリアに至る足跡を辿らせようとしているのだということを受け止めなければなりません。

52 世界最大のミステリー 「魏志倭人伝」

91 邪馬台国への行程  9 投馬国 五萬餘戸 

9 南至投馬國水行二十日。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。

投馬國五万戸」の検証
南至投馬國水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬戸

投馬国の「五万戸」は、仮に少なく見積もって、一戸につき四人としても、二十万人以上の規模の都市となります。
このほかに、女王の住む邪馬台国は「七万戸」。ごく少なく見積もって三十万人以上を擁する大都市だったというのですから、こうした巨大都市の痕跡を、弥生時代の日本に求めるのは無理です。

木村鷹太郎氏は、「投馬国」を、クレタ島内の都ゴルチュンとしています。
その語源はゴルゴスGorgos、悍馬、即ち、暴れ馬を意味し、「投げる馬」で「投馬」だからです。
このゴルチュン近くから、ファイストス宮殿という古代の大宮殿が発掘されています。
この両町の周辺にアギア・トリアダ離宮などがあり、このエリアを五万戸としても不思議ではありません。

ここのファイストス宮殿跡から、1908年にイタリア考古学調査隊のルイジ・ペニエルによって発掘された「ファイストス円盤」というBC1600年頃の粘土板があります。
なお「ファイストス」とは「ヘファイストス」つまり、鍛冶神にして火山神のことです。

ファイストス円盤は、クレタ島のイラクリオン博物館に展示してあります。
直径16cm余のこの小さな粘土板の両面には、241の絵文字が刻印されています。
この絵文字文書の解読と称する論文の数は、万を超えるといわれていますが、未だに「未解読文字」として扱われています。

このクレタ島から出土した「ファイストス円盤」には、「古事記」の「彦穂々手見命」の名前が刻まれていることをわたくしは発見しました。
さらに、「ファイストス円盤」と「古事記」、「聖書 創世記48章、49章」などを照合した結果、「彦穂々手見=山幸彦」とは聖書中の重要人物であるヨセフの息子エフライムであること、その兄弟の海幸彦はマナセであることを見つけました。
ファイストス円盤」は、「聖書」「古事記」「日本書紀」と密接に連携しあっていることを発見したのです!!!
「創世記48章49章」は、「ファイストス円盤」が存在しなければ意味をなさず、「古事記」「日本書紀」には、「創世記48章49章」と「ファイストス円盤」を解くためのマスターキーを用意してあったのです。

ファイストス円盤 A面 ウィキペディア

彦穂々手見とマナセ

左 彦穂々手見命(山幸)B面28枠    右 真魚背民(海幸)A面27枠


円盤B面(中央から)28枠目の、「男児=ヒコ」「穂」「手」「見張り」で構成された象形文字群を見つけて、私はこれが古事記の「彦穂々手見命」であることを読み取り、さらに、彦穂々手見命の父がヨセフであることを創世記41章で見つけました。

創世記41章に、ヨセフの二人の子供、エフライムマナセの名の由来が書かれています。
  ヨセフは長子をマナセと名づけた。
  神が私の全ての労苦と私の父の全家とを忘れさせたからである。
  二番めの子をエフライムと名付けた。
  神が私を、苦しみの地で実り多い者とされたからである。

エフライムの「地の実り」は、山幸彦またの名彦穂々手見命と一致しています。
一方、マナセは、円盤A面27枠目に「海の幸の魚」を以って象徴されていますので海幸彦と一致します。
しかも、真魚を「マナ」と読ませ、ロバの「背」と組み合わせて「マナセ」と読むのですが、その「真魚の字をマナ」と読むよう示唆しているのは「古事記」なのです。
さらに、彦穂々手見命を祀っている丹後の籠神社の奥社が「真名井神社」であることを想起します。

そして、この彦穂々手見命=エフライムと、海神の娘豊玉姫の間に生まれたウガヤフキアエズという不思議な子供は、アトラスの別名なのです。
こうして、ファイストス円盤は「クレタ島とアトランティス」の問題にまでリンクしているのです。

投馬(とうま)国はクレタ島であると、木村鷹太郎氏は説いていますが、「日本太古史」では、次の説もあげています。
 タウマ Thauma族海神あり、タウマは驚異的玉を意味し、
 龍が持っている玉はこれであり、
 豊玉姫や玉依姫はこのタウマ海神の娘たちである。

ホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」に出ている「イリス女神」は、このタウマ海神の娘です。そして、
Thauma Irisとは、「驚くべき美しき虹」あるいは「驚くべき美しき虹彩(目)」の意で、日本の玉依姫にあたると説いています。
「豊玉姫」が例の彦穂々手見命の妻で、その間に生まれたウガヤフキアエス(アトラス)の妻が「玉依姫」です。
そして、Thaumaタウマ、即ち、驚異的玉とは、アトラスが支え持っていた地球のことです。
また、「イリス女神」は、エジプトにおいては、「イシス女神」です。

こうした木村鷹太郎氏の説が正鵠を射たものであることが、およそ3500年昔の「ファイストス円盤」の刻印の「彦穂々手見」で証明できるのです。
これらの登場人物は、「古事記」「日本書紀」ともに、神代巻の掉尾を飾る、謎めいたロマンティックな物語の主人公です。そして、その物語を最も簡略にしたのが「浦島太郎」の物語です。

彦穂々手見命と妻の豊玉姫が住んでいた宮殿
彦穂々手見命の妻豊玉姫が住んでいた海神の宮殿について、
「古事記」や「日本書紀」は、次のような語句で形容しています。

 魚鱗の如く造れる宮
 雉堞(たかがきひめがき)整へそなわりて、
 台宇(たかどの)玲瓏(れいろう=てりかがやき)、
 城闕(かきや)崇華 楼台(たかどの うてな)は壮麗
  
上記のような海神の宮殿の描写は、二十世紀になってから発掘されたクレタ島のクノッソスやファイストスの宮殿やファイストス宮殿をそのまま描写しているといってもよいほどです。

クノッソス宮殿

クレタ島で発掘されたクノッソス宮殿の復元図

「風土記」の浦島
浦島子の義父となる海神の大宮殿の場面を「風土記」平凡社の口語訳で紹介してみます。

 海中の広くて大きい島に着いた。
 地には玉を敷いたように美しく、
 高い宮門は大きな影をおとし、
 楼殿はあざやかに照り輝き、
 いまだかって見たことも聞いたこともないようなところ。

「風土記」は、このように記しています。「いまだかって見たことも聞いたこともないようなところ。」とは、「すっかり忘れ去られてしまったところ」だり、3000年ほども忘れ去られていて、20世紀初頭に発掘して夜を驚かせたクレタ島の宮殿にぴったりの描写です。

しかもそこに住んでいる子供たちはスバル星やあめふり星の子供たちであると書いてあります。
スバル星はブレイァデス星団、あめふり星はヒヤデス星団のことですが、ギリシャ神話は、この両星座はアトラスの娘たち、即ち、アトランティスであると伝えているのです。


彦穂々手見命と浦島太郎
浦島太郎の物語は、彦穂々手見命の事蹟を簡略化したものです。

彦穂穂手見命と浦島太郎
 両者ともに蓬莱山におもむき。
 両者ともに海神の宮殿に滞在し。
 両者ともに海神の娘との結婚と別離が語られている。

 浦島太郎は竜宮城にとどまり、
 彦火々出見尊の妻の豊玉姫が、お産の時に竜或は鰐に化なる。
 (「古事記」では鰐、「日本書紀」では鰐、竜)

彦穂穂手見命は浦島太郎と同一の話です。


豊玉姫の父 竜の冠を着けた海神
続日本の絵巻19「彦火々出見尊絵巻」中央公論社より

「彦火火出見尊絵巻」は摸本だそうですが、それでも寛永年間(1624~44年)頃の絵で、詞書は藤原教長が治承元年(1177年)頃に書いたものだそうです。

hikohohodemi.jpg
彦火火出見尊絵巻 「続日本の絵巻19」小松茂美監修 中央公論社1992年

彦火々出見尊が、後に妻となる豊玉姫の父にお目見えするシーンです。
左端の「豊玉姫の父の海神」は、竜の冠を付けた姿で描かれています。
この絵巻の冠と記事を見ますと、冠に竜蛇を着けた王像が見られる世界で唯一の国エジプトの「テーベ王朝」を想起しませんか?

このようにスケールの大きい「邪馬台国」や「投馬国」を、九州の寒村に比定して、「吉野ヶ里」を邪馬台国であると喧伝しても、真実ではないのですから、空々しいかぎりです。
日本は、もう、このあたりで、嘘を種にして商魂たくましくするという詐欺をやめて、真実を直視するという態度にあらためないと、中国や韓国から馬鹿にされっぱなしにされるばかりか、国を失うことになりかねません。



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