96 ツタンカーメンの謎 4ツタンカーメンは天若彦 2以下、すでに何度か書いたことではありますが、もう一度取り上げてみます。
「古事記」神代巻の天稚彦と下照姫の物語には、天稚彦が亡くなった後、下照姫が次のように歌ったと記されています。
それは、天若日子の喪を弔うとき、天若日子と瓜二つの友人が弔門に来ます。すると、皆が天若彦は死んではいなかったのだと嬉し泣きをします。その天若日子と瓜二つの人物、阿遲志貴高日子根は、「吾を穢き死人に比ふる」と言って怒り、十掬剣(又の名、大量、神度剣)を抜いてその喪屋を切り伏せたのです。そこは「美濃国の藍見河の川上の喪山」だといいます。
続いて、その同母妹の高比売命、又の名下照姫が、次のような謎詩を詠います。
天なるや
弟棚機の 項がせる
玉の御統(みすまる) 御統に
足玉はや
み谷 二渡らす
阿遲志貴高日子根の神ぞ
トト・アンク・アメンの妻アンケセアメンである下照姫が詠った歌というこの歌を検証してみましょう。
「棚機」という言葉で、天の川の七夕を連想させ、「古事記」の神宝製作の場面の「天の安の河原」を示唆しているのです。
この天の河がナイル川であることは、「オリオン・ミステリー」にくわしく説明したことですのでそれを参照してください。
要約しますと、イギリスのロバート・ボーヴァル&エイドリアン・ギルバート著「オリオン・ミステリー」(NHK出版1995年)において、ロバート・ボーヴァル氏は「ギザの大ピラミッド三基をはじめとするピラミッド群は、オリオン座と天の川を地上に投影する形で建設されている。」と説いています。
ロバート・ボーヴァル氏は、エジプトのピラミッド群の設計は、ナイル川を地上の天の川に見たて、オリオン座のベルトの三ツ星に対応してギザの三大ピラミッドを配置してあると説き、その証拠として、オリオン座の三ツ星の写真にギザの三大ピラミッドの航空写真を重ね合わせると見事にぴったり一致していることを示しています。
また、ギザの三大ピラミッドに限らず、メンフィスにある第四王朝のピラミッドにも、オリオン座の主要な七星のうちの五つが対応すること、さらに、オリオンの頭部を形成している三つ、もしくは四つの小さな星がアブ・シールにある三基ないしは四基の小さなピラミッドに相当していると云い、また、足、ベルト、肩といった具合に、星々とピラミッドが対応しているといいます。
下照姫の「天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統(みすまる)」が暗示している「天の川、天の安河」とは、このナイル川を指しているのです。それは、ピラミッド群をも含めた範囲のことです。
日本では古来、プレアデス星団をすばる(昴)と呼んでいました。「すばる(統ばる)」または「すまる(統まる)」という言葉は、「すべる(統べる)」からきており、「統一されている」「一つに集まっている」という意味をもつといいます。
下照姫は、棚機姫として伝わっている昴(すばる)星座すなわち、プレアデスple iades(p-eleia-des)を「玉の御統(みすまる) 御統に」といって、注意を促しています。
また、玉飾を糸でひとくくりとしたものを「万葉集」で「須売流玉(すまるのたま)」、「日本紀竟宴和歌」で「儒波窶玉(すばるのたま)」などと呼んでいました。
これらは、「古事記」神代巻に記されている「八尺の勾璁(まがたま)の五百津の美須麻流珠(みすまるのたま)」という「日本の三種の神器」の一つをも指すのです。
以上、この歌が「みすまるの玉」という御神宝について謎掛けしていることがわかります。
また、奈良時代に成立したとされる「丹後国風土記」逸文には、浦島子(浦島太郎)が蓬莱島で出会った「其七豎子者(七人の童子)、昴星也。其八豎子者、畢星也」という記述があり、昴(すばる)星=プレアデス星団、畢(あめふり)星=ヒアデス星団の二つの星団がアトラスの子供たち、すなわち、アトランティスを星座化したものであることを示唆しています。
プレアデスの星々には、アトラスの娘たちの名がつけられていますが、それは日本においても七夕七姫として名付けられています。
マイア(Μαια; Maia) 秋さり姫
エーレクトラー(Ηλεκτρα; Electra) 糸織姫
ターユゲテー(Ταυγετη; Taygete) ささがに姫
アルキュオネー(Αλκυονη; Alcyone) 百子姫
ケライノー(Κελαινω; Celaeno) 梶の葉姫
アステロペー(Αστεροπη; Asterope) 朝顔姫
メロペー(Μεροπη; Merope) ともし火姫 夕顔
そして、八乙女のうちの一人は、天から落ちたので、七人になったと伝えられています。
この肉眼では識別し難いプレアデス星団が、3600年も昔に、ファイストス円盤上にちゃんと描かれているということを先に述べました。

上のClaire Grace Watsonさんの作図によるプレイアデス星座は、次のような刻印を繋いで出来たものです。

ワトソンさんはこれを雌ライオンととっていますが、私は、犬=シリウス、そして、日と火を表しているとして、ファイストス円盤のB面を読み解きました。
シリウスは「火花を散らす」「焼き焦がす」「輝くもの」の意で、ギリシャ語ではセイリオスです。
シリウスは、おおいぬ座にあって犬星と呼ばれている星につけられた名前として有名です。
エジプトではソティス、ナイルの星シホールと呼ばれ、特に古代エジプトでは季節の始まりを示す星として崇められてきました。
そのため、エジプトではシリウスは女神イシスと同一視され、崇拝されていたそうです。
すなわち、シリウスはイシスの知恵のシンボルでもあるのです。
イシスがイセであり、イリスであることは先に説明しました。
プレイアデス星座と「南総里見八犬伝」「ファイストス円盤」に、Claire Grace Watsonさんの作図によるこのプレイアデス星座図が出現したことによって、「南総里見八犬伝」もまた、アルゴ船や聖書の解明を補佐する書物であることを証明できます。
「南総里見八犬伝」は、江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著わされた全98巻、106冊の大作です。
文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結したといいます。
それが、3600年も昔のクレタ島の「ファイストス円盤」とリンクしているとは信じがたいと思いますが、「古今伝授」という歌学伝授を装った預言者の伝授事項の一部を滝沢馬琴に伝授して託したと考えれば不思議ではありません。
「南総里見八犬伝」の全98巻、106冊の大作の物語を一行で説明しますと、「八犬がそれぞれ持っていた「仁義礼智忠信孝悌」の文字が浮きでた八つの珠にまつわる話」です。
「南」はエジプト、「総」は、すばる星の「すべる(統べる)」を連想しますし、玉飾を糸でひとくくりとしたものを「万葉集」で「須売流玉(すまるのたま)」、「古事記」でいう「八尺の勾璁(まがたま)の五百津の美須麻流珠(みすまるのたま)」・・・を想起させる物語です。
そして、ファイストス円盤、における「昴(すばる)星座」の構成要素が「犬」を繋いでできているということと見事に符合するのです。
「南総里見八犬伝」では、それらの八玉が、「四天王の目玉となる」という結末になるという深淵な物語りです。
日本の神宝「みすまるの玉」が、プレイアデス、すなわち、アトランティス=トロイアゆかりのものであり、それは、エジプトのイシスのシリウスやトト・アンク・アメンと関係あることを下照姫の歌はものがたっています。
今回のブログの冒頭で、天若日子と瓜二つの阿遲志貴高日子根が、「吾を穢き死人に比ふる」と言って怒り、十掬剣(又の名、大量、神度剣)を抜いてその喪屋を切り伏せ」た場所を「美濃国の藍見河の川上の喪山」であると「古事記」に記されていると書きました。
「喪屋を切り伏せ」とは、ツタンカーメンの墓の痕跡を絶ち、これを伏せたことを意味して、「美濃国の藍見河の川上の喪山」とは、ナイル川の川上、即ち、ルクソールの王家の谷を示唆していると考えられます。
とすれば、美濃国とはミーノス王の国であり、ルクソールはミーノス王の領地であったことが伺われるのです。
また、阿遲志貴高日子根が、十掬剣(又の名、大量、神度剣)で喪屋を切り伏せた。とは、何を告げようとしているのでしょう。
「十掬剣」は日本神話に何度も登場する剣で、「十握剣」「十拳剣」「十束剣」などと表記されており、また、天之羽斬、天之尾羽張、伊都之尾羽張などという呼び名を持っています。三種の神器の一つである「草薙の剣=天叢雲剣」に次ぐ重要な剣です。
この剣の最初の持ち主は伊邪那岐命で、素盞鳴尊に継承され、出雲神話の中に出てくる八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時の剣と伝えられており、また、彦穂々手見命が継承し、神武天皇が所有していたという大変な代物です。
しかし、前にも述べましたように、この「トツカ」とは「トスカ」即ち、イタリアの「エトルルリア」の事であろうと考えられるのです。
エトルリア Etruria は、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群です。ギリシャ語ではティレニア Tyrrheniaといいますが、トスカーナToscanaというのもエトルリアのことなのです。
トツカの剣が初めて神話に登場するのは、イザナギ(伊弊諾 伊邪那岐)とイザナミ(伊弉冉 伊邪那美)の神産みの場面です。
天地開闢の後、国産みを終えたこの二神は、次に数多の神々を産み出していきます。そして、この神産みのはてに、カグツチ(加具土 軻遇突智)を出産したイザナミは、カグツチの炎で女陰(ホト)を焼かれ、その傷がもとで黄泉に行ってしまいます。
そこで、イザナギがトツカの剣でカグツチを切り伏せます。
これは、「イザナミ」が日本の倭のことで、「ホト」がヘテ、即ち、ヒッタイトであるとわかれば、簡単に解ける謎です。ヒッタイトの製鉄所であるカグツチを切り伏せて、以後は、イタリアのトツカに拠点を移してしまったことの寓意なのです。
ヤマタノオロチ退治の時にスサノオが使った十拳剣を天羽々斬(あめのはばきり)といいます。
「はばきり」という言葉が「ハパルキ、即ち鉄」のアナグラムになっています。
そして、このトツカの剣はヤマタノオロチを切るときに、その尾の中にあった草薙剣に当たった時に刃が欠けたとしていますので、トツカの剣とクサナギの剣では製鉄方法が若干異なっているか、鉱石や砂鉄の質の優劣があるということを暗示しているように思えます。
なお、このヤマタノオロチ=ヤタノオロチとは、アナトリアのヤズルカヤのアナグラムであり、ここを切り伏せて(切り捨てて)原料豊富、かつ、トレードに至便なトツカ(トスカーナ)へ「製鉄コンビナート」を移したというのが真相でありましょう。
スサノヲは、アシナヅチ(足名椎命)・テナヅチ(手名椎命)いう夫婦とその娘(櫛名田姫)の窮地を救うためにヤマタノオロチを切ったのでしたが、このアシナヅチ・テナヅチの足とは足の形のイタリア、手とは手の形のペロポネソス半島を持つギリシャのことですから、エトルリア=トスカーナ=トツカの話も理解しやすくなると思います。
ツチというのは、製鉄のシンボルです。
我が国には、「古今伝授」という一子相伝の歌学の秘伝がありました。そのテキストのうちで、重要視されていた一冊に「在五中将 在原業平」の物語があります。
この在五=ザイゴがアルゴであり、アルゴ船団の消息を伝えていると思われるのです。
そして、その、中心テーマは、「在語」すなわち「ことばありき」で、「ヨハネの福音書」が伝えるところの「はじめに言葉ありき」「言葉は神なりき」です。
「在五中将 在原業平」の奥義は「言問い」であり、「都鳥=都獲り」、すなわち、エルサレム問題です。
それは、墨田区の「言問橋」にその名を刻みつけてあります。
「在五中将 在原業平」の物語は「伊勢物語」というほうが一般的です。「伊勢の御神宝」が本来「日本国を幸わう言霊」であることが暗示されているようで、「万葉集」で、それを「我が日本国を幸わう言霊」と詠われれています。
それゆえ、アルゴ船には50人の乗組員が乗ったという伝説は五十音を意識してのことです。
オルフェウスも主な乗理組員の一人ですが、オルフェウスとは、黄泉に下った妻エウリュディケを連れ戻すべく黄泉に行って竪琴を弾いた人物です。そしてそれは、ダヴィデやダヴィデの詩編と連携しているばかりではなく古事記の伊邪那美を連れ戻しにいった伊邪那岐にリンクしているのです。
オルフェウスは、オシリス=オリオンの亦の名でアスクレピオスのことでもあることは、「オリオンミステリー」のところで書いておきました。
ところで、古今伝授の真の奥義を知っていた人は、常に一人か二人しかいなかったようです。
そして、江戸時代にはいたようですが、ついに、一人もいなくなりました。
「南総里見八犬伝」のほかに、「奥の細道」や「忠臣蔵」が、日本の秘密の一部を語っていることはあきらかです。
「大石内蔵助」の名前も絶妙です。また、「いろは四十七士」とは、「日本の五十音」とアルゴ船の五十人を連想させます。
「大石内蔵助」は、戯曲では「大星由良之助」とされていました。「大星」とは、オリオン=アスクレピオスの星にしてダヴィデの星です。ダヴィデの星をその息子のソロモンは百合の花で表現していました。ユリはユリガネ、即ち黄金のことでもあるのです。
ユリガネとは、毛皮の上に砂金の混じった砂を流して、毛皮をゆらゆらと揺らして砂金だけを毛皮に付着させて採った砂金のことです。「ユラノスケ」の名に、この情報が込められています。
敵役の「吉良」がすごい!キラとは雲母のことで、雲母のあるところは金脈に近い場合が多いと言います。
アルゴ船は「金の羊毛」を積んだ船のことですが、それは、「ソロモンの黄金」と合体しますから、ソロモンの財宝と同義語なのです。
アルゴ船にはオデュッセゥスの父も乗組員の一人として登場しますが、オデュッセゥスすなわち、ユリシーズは、日本では「百合若大臣」という名で伝わっています。その黄金と日本の関係が証明できれば、ユリシーズもモーセもダヴィデもソロモンも日本人であることがはっきりするのです。
聖書、ギリシャ神話、古事記などの文献は幾重にも連携して謎解きの解明をバックアップするように編纂されていますが、意外にも、「魏志倭人伝」が大きな役割を担っていることがわかっていただけたとおもいます。
日本の御神宝の本物は、天の羅馬船(かがみのふね)に載せ置かれた御樋代(みひしろ)という黄金の缶に入れられており、その黄金の缶は羊毛と麻を撚り合わせた五色の糸で織られたご衣裳に包まれています。そのご衣裳(袋)の上から五色の絹糸を架け渡して幾重にも封印されています。
また、「天の羅摩船に乗りて鵝の皮を内剥に」した衣服を着て、帰り来る神の名は「少名毘古那神」であることが「古事記」神代巻に書かれていますが、これは、恵比寿神=夷神のことです。
第一に、これを「金の羊毛」というものと考えられますが、これは東京以北に存在します。
第二に、これとは別の、黄金そのものを「金の羊毛」と言っていることも十分考えられます。片方を胎蔵界、もう一方を金剛界と伝えていると考えられますが、木村鷹太郎氏は、この金剛界とはアフリカのコンゴに由来すると言っておられます。
第二のケースの追及については、わたくしはノータッチでいこうと、ずーっと避けています。