105 神国のあかしと「古事記」式年遷宮と「古事記」 1平成25年(2013年)の第62回
伊勢神宮式年遷宮が滞りなく終了しました。
1300年以上さかのぼる歴史的祭儀とあって、参拝者数も今年は初の1千万人に迫る勢いで、関心はひときわ高かったようです。
20年に1度行われる
伊勢神宮の式年遷宮のクライマックスは、遷御の儀です。
内宮(ないくう)では10月2日、(外宮では5日)に営まれました。
10月2日の内宮の遷御に際しては、午後6時、太鼓の音を合図に神職らが正殿へ向かい、大宮司らによって正殿の扉が開かれ、遷御の準備が行われます。
「カケコー、カケコー、カケコー」。午後8時、神職による「鶏鳴三声」が響くと、いよいよ新正殿への遷御が始まり、境内の明かりはすべて消され、わずかに行列を先導する松明(たいまつ)や提灯(ちょうちん)が照らすだけです。
8年間にわたる、
伊勢神宮式年遷宮の神事の中のクライマックスのシーンです。
ご神体は、絹垣(きんがい)と呼ばれる絹布に囲まれて出御。太刀や弓などを掲げた神職らを先頭に、新正殿までの約300メートルをしずしずと進みます。
と、ここのところは、テレビで拝見することができました。
今回の式年遷宮をテレビで拝見するのを楽しみにしておりました。
4年に一回のオリンピックをあれほど大々的に放送するのですから、20年に一度のこの珍しい神事をテレビで放映するにあたって、ちゃんと準備して、それなりの見ごたえのある報道がなされるものと思っていましたが、期待はずれでした。
わたくしの娘は、オーストラリアのM大学建築学部に在学中のとき、「日本学」初代主任教授として赴任されたW・コールドレイク氏の授業で、
伊勢神宮式年遷宮の映像を見たのだそうです。
それは、森で材木となる木を伐り出す「山口祭」から、最重要な神事である「遷御の儀」までの儀式を、解説の字幕のほかは殆んど全部無言劇のように編集してあるものだったといいます。
そして、学生たちも、その上映の間、粛として無言で見入っていたそうで、上映が終わった後も、しばらくシーンと静まりかえっていたといいます。
娘は、そのクラスでただ一人の日本人学生であり、中国人学生たちはどこに住んでいようと連帯していて、何かと、「日本は中国より格が下」・・的な発言をしていたのだそうですが、その映写以来、そのような発言は止んだそうです。
おそらく、その映像は、59回 1953年(昭和28年)の式年遷宮のもようをGHQが撮影したものであると考えられます。
テレビで今回放映された「
伊勢神宮式年遷宮」の映像は、どれも雑然としていて、心を打たれるような厳粛さや迫力は伝わってきませんでした。
なぜかと言えば、
伊勢神宮の関係者も、報道関係者も「伊勢神宮式年遷宮」の真の意味を全く理解していないからだと思います。
式年遷宮という神事を「伊勢神宮や皇室の威力」を見せつけるための「道具」としているために、むやみに肥大化し、イベント化してしまっているために、本来の意味と厳粛さがすっかり損なわれてしまっているからです。
550億円かかったという費用も、1万本伐採したという檜の御用材も、おそらくその二十分の一も必要ないでしょう。
麗々しく奉じられて展示されている、
「神宝」と称されている1576点にも上る道具類や装束のたぐいに至るまでを全部を新しく作り変えるという行事も、蛇足であり、はったり以外のなにものでもありません。「式年遷宮」に便乗したイベント用の「見世物」であると申せましょう。
なぜなら、「式年遷宮」とは、「御神宝の遷御というその一事がメイン」であり、「神宝」とは、一枚の鏡だけですから、1576点もの神宝を付け加えるのは無意味だからです。
その一枚の「
御神体鏡」は、他の何万もの宝を寄せ集めても比較できない宝ですから、一括りにほかの「御神宝」のことを「神事」とともに扱うなどもってのほかです。
連綿と続いている神事の本質について全く理解していない証拠と言えましょう。
NHKアーカイブ 遷御の儀(せんぎょのぎ)
伊勢神宮・遷御の儀 神々の引っ越し 62回目の式年遷宮
「伊勢神宮 受け継がれるこころとかたち」式年遷宮元年の記録2005年放送
これをとりあげてみましょう。
「伊勢神宮式年遷宮の行事は平成17年から始まっている。ご神木の切り出しを受け持つ木曽の人々など、自然を敬い、伝統を伝えていくさまを伝える。」というキャプションから既に方向性を失っていることを露呈しています。
それに、わが国の古代の先祖たちがこの「式年遷宮」によって受け継がせようとしているこころを少しも理解していない」のですから、筋違いな広告です。
「伊勢神宮式年遷宮」とは、日本の三種の神器のうちの一つである「八咫鏡(やたのかがみ)」を、神殿に御遷しする神事なのです。
その鏡は、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられたもので、その際に「この鏡を私(天照大御神)の御魂と思って、我が前に拝すように敬い祀りなさい。」(此鏡者同我御魂 欲祭此者 當如拜吾前 尊崇而祭之)と言われたことが「古事記」に書いてあります。
そのため、この鏡のことを「御魂」とか「御霊」「
御霊代」「
御神体鏡」などと呼ぶのです。
言い換えると
日本国の守護神がわかり、日本国のアイデンティティーを証す「御霊」を祀るところであり、その「御霊」を見れば、伊勢神宮がいかなる神を祀っているのかが明らかになるようにしてあるのです。伊勢神宮は、本来は、恵穂葉(エホハ)神をお祀りするための宮であり、世界平和の成就のために備えられているのです。
こうした、崇高な目的の達成を置き去りにして、天皇家の祖霊をお祀りするところであるとか、民族の知恵を伝承する神事であるとか唱えるのは、筋違いもはなはだしいといえますし、かくも偉大な守護神を明かすために備えてある宮を、その大祭司(天皇)であるはずの方々が、ご自分の祖先の霊を祀ってあるなどという偽りを触れさせてはならないことです。
伊勢神宮は決して天皇家の祖霊をまつるところではありませんし、天照大御神は天皇家の先祖ではありません。
もうすでに、日本国の守護神が恵穂葉神であり、ニチユ同祖ではなく、1948年に、神国日本とイスラエル共和国が、その地位を取り換えられたということを、あますところなく証明してきたわたくしのブログや書籍が公開されているのですから、伊勢神宮もご自分たちがこの150年というもの犯し続けている過ちを悔い改める必要があります。
総額550億円以上の経費をかけたとか、1万本のヒノキを使うとか自慢して、国民を心服させていますが、それは、逸脱行為であり、恵穂葉神を怒らせ避らせる悪しき行為です。
伊勢神宮に仕えている神官たちは、位の上下を問わず、まず、次の祈祷をする必要があります。
神の御名があがめられますように。
神の国が到来しますように。
みこころが天に行われると同じように地にも行われますように。
わたくしたちの日々の糧を今日もお与えください。
わたくしたちの罪をおゆるしください。わたくしたちも人をゆるしますから。
わたくしたちを罪におちいらせないように、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン
この祈祷文は、新約聖書「マタイ福音書」6章9~14の、有名な主の祈りです。
伊勢神宮と新約聖書とは無関係であると言われる方は、わたくしのブログの「ヨハネの黙示録」にまつわる記事を読んでください。
「ヨハネの黙示録」とは、新エルサレムという神の国が成就するときのその「新エルサレム」とは日本であるということを証明するための預言なのです。
伊勢神宮の式年遷宮の映像が公開されるようになって、神宝遷御というクライマックスのときに、闇夜のしじまをついて、カケコー、カケコー、カケコーという鶏鳴三声が響き渡るのを、日本国民の多くが耳にしたことでしょう。
これすら、「マタイ福音書」26章34を踏まえた神事なのです。
それは、イエスの自ら任命した祭司長であるペテロが、三度イエスを裏切る、即ち、神を裏切るシーンです。
エルサレムの神殿の祭司長たちやパリサイ人や律法学者たちはすでにイエスを裏切ってローマ人の手によって処刑させることを決定していました。
イエスの任命した祭司長であるペテロすら、ローマ人たちを恐れてイエスを「知らない」と言って裏切ることをイエスはご存じでした。
その裏切りとは、単にイエスを裏切ることではなく、神を裏切る行為なのです。
そして、その結果、イエスは刑に処され、その報いとしてエルサレムの神殿もユダヤの国も消滅してしまったのです。
それは、イエスを知らないと言う事が、即ちエホバ神を知らないと言うことであり、それは国にとっていかなる事態を招くかという「神の国存亡」の危機を世界に示す「雛形」としての歴史だったのです。
「知らない」ということが亡国につながることを警告するために「鶏鳴三声 カケコー カケコーカ ケコー」が、この二十年毎の神事に取り入れてあるのです。
伊勢神宮の祭司たちは、神事で鶏鳴三声を聞いてもなお、神もキリストも知らないふりをして、国民の前で、守護神恵穂葉神ではなく、「伊勢神宮と天皇家を崇めさせる」ことに腐心しているのです。
それは、ひとえに、伊勢神宮のエゴのため、また、ローマ帝国の再来である欧米とユダヤ人たちに媚びへつらっているためです。
こんな態度を続けていれば、守護神に見放され、日本国は2000年昔のユダヤと同じように滅亡します。
そのような存亡の危機を避けるためにこそ、伊勢神宮式年遷宮と神宝が備えられているのです。
伊勢神宮は、日本国の守護神の御名を知り、日本国のアイデンティティーを明かすための神宝を奉るための宮でした。
にもかかわらず、明治維新以来、これを、天皇家の祖霊を祀る宮であると主張し、その先祖が天照大御神であるゆえに天皇もまた神であるという論法を創り上げました。
明治政府によって、天皇が神であるという宣言がなされたときの日本国民の反応について、的確に記しているのは、イギリス人ウイリアム・ジョージ・アストン(1841~1911年)の大著「神道」(安田一郎訳 青土社)です。
「明治維新の時、政府が神道を政治手段に転化する事を急ぐあまり、
古事記・日本書紀をまげて利用したために、
隠喩として使われていた言葉に間違った意味を与えて、
これを根拠と見做して天皇を神格化してしまった。」 「明治以前には、少なくとも1000年にわたって、
天皇が神格化されたという事例を見出すことができない。」
「王冠の政治的威信を強めようと、また、
皇室に対する尊敬を増大させようとの強い傾向があらわとなって、
皇室を宗教的崇拝の対象にまで高めてしまった。」
「明治政府は、このような政治的配慮から神道国教化にとりかかったのであるが、
天皇崇拝のゆえに、かえって日本人の敬虔さから、信仰が仏教に流れる
という事態を招いてしまい、国家宗教としての神道が消滅しかねない要因となった。」と述べ、明治政府が仏教撲滅のために寺々の打ちこわしなどを熱心にやっていたにもかかわらず、かえって仏教の勢力が強くなったその原因が、政府のインチキな神道政策であったと分析しています。
当時の日本人の感性は確かであり、神という存在に対して今よりずっと敬虔であったことが伺われます。
ウイリアム・ジョージ・アストンは、1964年に来日して、激動の明治維新誕生(1864年)を目撃して1889年にイギリスに帰国した人物です。
彼の僚友で外交官のアーネスト・メイソン・サトウは、日本の古典籍を4万冊ほども蒐集してイギリスに持ち帰ったのですが、そのうちの実に9千5百冊もの日本語の書籍をこのアストンが譲り受けて研究して、「日本書紀」翻訳書、「日本文学の歴史」「神道」などの書籍を刊行しました。
イギリスの外交官が何故に、4万冊もの日本の古典を蒐集して持ち帰ったのでしょう。
その理由は、イギリスが所有している14世紀の世界図、その極東の位置にあるエデンの園が日本であることを踏まえての調査に違いありません。
イギリスの外務大臣クラレントンと外務次官ハモンドから、日本駐在イギリス公使パークスに宛てた訓令に、
「日本の体制変化は、日本人だけから発生したかのような外観を呈しなければならず、
どこまでも、日本的性格を備えているように印象付けなければならない。」
と指示しています。それは、明治政府を創ったのが、イギリス人たちであるということを隠すようにという訓令なのです。
丁度、第二次世界大戦後の日本の政治、文化、宗教を形作ったのがGHQであるのに、国民がそれを感じていないのと同じように・・・巧妙に仕組まれているのです。
ですから、日本国の守護神に背くよう仕向けたのは英米ほかの策士たちなのです。