108 神国のあかしと聖書 聖書の謎解き聖書は「謎々の書」であるという確信に基づいて、独学で聖書の謎々に取り組むことにしました。
とりあえず、我が国最古の歴史書であるとされている「
古事記」と聖書を照合することを試みました。
すると、「
古事記」もまた
謎々の書であることをすぐに確信しました。
そのうえ、両者の構成や謎の掛け方におおいに共通点が見受けられるのです。
聖書と古事記の連携聖書 7日間の天地創造が冒頭に述べられている。
古事記 天地(アメツチ)の始まりの神代7代が冒頭に述べられている。
聖書
アダムとイヴの結婚と神の祝福
古事記 伊邪那岐と伊邪那美の結婚と祝詞
聖書
アダムとイヴ 神の掟に背いたために事態が悪化にむかう。
古事記 伊邪那岐と伊邪那美は国々を産み、神々を産みすぎたために事態が悪化。
聖書 エデンの園を追放され、やがて、大洪水に見舞われる。
古事記 伊邪那美のホトを火傷し、神避り、黄泉の国に落ち込む。
両者の起承転結と内容の見事な一致ぶりを見ますと、これを偶然の一致とは言えず、むしろ、そこには、明らかな両者の連携が見えてくるのです。
こうして、双方を参照しますと、蛇が
アダムとイヴをそそのかして神に背かせたという出来事は、
アダムとイヴ、即ち伊邪那岐と伊邪那美が神々を創りすぎたので、世界を滅ぼし尽くしかねない事態に陥いったことだということがわかります。
つまり、蛇とは、邪悪な宗教家たちのことなのです。
冒頭に戻ります。
天地創造の7日間と天地(アメツチ)の始まりの神代7代は、天の太陽系の7つの星と曜日名とを示唆するものであると、わたくしは考えました。つまり、太陽と6個の惑星を象徴する曜日名を導き出せるための謎々だったのです。
天地創造とは、天地、文字通り、天体、太陽系から説き起こして、その一員である地球のことから語り始めているのです。
そして、
アダムとイヴ即ち伊邪那岐と伊邪那美は二人で一体の地球のことであることを私は発見しました。
以下に、その証明をしてみます。
伊邪那美命の国土生みとアダムとイヴ「子を産む」伊邪那美のミステリー
「古事記」神代巻の「伊邪那美命の国土産み」の記述を読んでみますと、
「国土生み」が淡路島や愛媛といった日本の辺境の地から書き起こされているのは何故かという疑問がわきおこります。
そこで、地図を広げて「古事記」の「伊邪那美命の国土産み」の記事と照合しようとしました。
そして、ふと、これを天空から見た日本列島の地図ではないかという視点でみましたところ、あっと驚く答えが出てきました。
日本列島そのものが、「子を産む女」と「子」の形状だったのです!!
「伊邪那美命の国土産み」の記事は「四国という子を持つ母」、或は「子を生む女」の形状を示唆するための記述だったのです。
原文を掲載してみます。
「古事記」神代巻 伊邪那美命の国土産み
伊邪那美命「阿那邇夜志(アナニヤシ)愛袁登古袁(エヲトコヲ)・・、
かく言い意えて御合して生みし子は、淡路之穂之狭別島、
次に伊予之二名島を産みき。
この島は身一つにして面四つあり。
伊予国を愛比売といい、讃岐国を飯依比古といい、
粟国を大宣都比売といい、土佐国を建依別という。
「日本書紀」
産む時に至るに及びて、先ず淡路州を以って胞(え)となす。

「古事記」の伊邪那美命の国生みの記事は、日本列島の地形状の類い稀な特徴を記述したもので、日本列島の四国以外の三島を伊邪那美命に、四国を子供に、そして、淡路島を「胞」に見立てていたのです。
さらに、この国生みの直前のシーンで、伊邪那岐と伊邪那美が唱和している「
アナニヤシ」という意味不明の言葉を「聖書辞典」新教出版社で見ますと、なんと、「ヤハウエ=エホバ現る」という意味ではありませんか。
「古事記」のこの場面で「エホバ現る」という言葉が出現するのは、「古事記」と聖書が連携していることを確信させるためであると考えられます。
そこで、聖書の「創世記」との連携を探りますと、すぐさま頭に浮かぶ大きな謎「アダムとイヴの創造」にぶつかります。
アダムのあばら骨から創られたイヴ「創世記」3章の「アダムのあばら骨から創られたイヴ」という章句は、聖書中で最も深遠な謎であると言えます。
この記事も世界地図と対照して見ました。すると、・・・
世界大陸=アダム
世界のあばら骨からなるイヴ=日本
という関係が導き出されるのです。
イヴは日本列島「アダム」には、もともと、土塊(つちくれ)という意味があるといいます。
「アダムとイヴ」は、一対の人間ではなく、一対で一個の地球のことだったのです!
聖書は、「創世記」の冒頭の記事において、すでに、全世界、地球を視野に入れて思考するよう示唆している書物だったのです。

「創世記」 2章
これは、天地創造のときの経緯である。
神は、土くれで人を形作り、それに命の息を吹き込まれた。・・・
神は仰せられた。人が独りでいるのはよくない。
彼のためにふさわしい援け手を創ろう。
神は、深い眠りをその人にくだされたので、彼は眠った。そこで、
彼の肋骨をとり、そこの肉をふさがれた。
神は、こうして、人から取った肋骨をひとりの女に創り上げ、 その女を人のところへ連れてこられた。
すると人は言った。
これこそ、今や、
わたしの骨からの骨、
肉からの肉・・・・ 骨からの骨このフレーズは、日本がアメリカン・プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート、そして、ユーラシアン・プレートなどの集合で成り立っていることの表現としてぴったりです。そして、アジア大陸の下に沈んでいる巨大プレートに、現在「イザナギプレート」という名が付けられていることに、「古事記」の預言の書としてのパワーが現れています。
肉からの肉北海道は北アメリカに似ていて、牛とジャガイモの産地、
本州はユーラシア大陸同様に古代文明の繁栄した地域です。
九州はアフリカに似て火(日)の国、そして、
四国はオーストラリアに対応しているのです。
四国とオーストラリアにまつわる面白い話をお教えします。
四国愛媛県の城川町は旧名を黒瀬川村といいますが、この辺りの地層の非常に特殊な事情が世界の地質学者たちの注目を集めました。そして、多くの研究者たちの調査によって、黒瀬川村の地層が大陸移動のプレートテクトニクス理論を裏付ける重要な地層であることが明らかになったのです。
この旧村名にちなんで黒瀬川構造体と命名された地層は、元々ゴンドワナ大陸に付属していた黒瀬川古陸が、プレート移動によって日本列島に付加された付加体と呼ばれるものなのだそうです。
愛媛県の城川町の道案内には「四億年前ここはオーストラリアの一部でした」と書かれているのです!!!
私の「四国はオーストラリアの雛形」という言葉は、こうして、20世紀からの最新の科学的研究によって証明されているのです。
アララト氏の 09年05月30日のブログ「オーストラリアから来た石灰岩」から一部お借りしました。
およそ3000年以上も昔に書かれた「聖書」の創世記と、およそ1300年前に編纂されたという「古事記」が、実は密接に連動している一種の謎々の書であったのだということがこれで証明できました。
聖書の「土塊から成るアダムとイヴ」という神話を解して、これを「伊邪那岐命と伊邪那美命の国土生み」と同じ内容であると唱えた人に、江戸時代の国学者平田篤胤(1774~1843年「霊の真柱」1812年)がいます。
また、木村鷹太郎氏は、「聖書」の創世記と「古事記」の神代巻が同じ内容であることを力説し、しかも、この両者をつなぐのは「古事記」の神代七代の神名で、それらはギリシャ語で解けると説いています。(詳細は省く)
しかし、天才にして東大出身の木村鷹太郎氏ですら、伊邪那美命の国生みが日本列島そのものを描いていることまでは解明していませんでした。これをわたくしが発見できたのは望外の幸運だったと喜んでおりますが、これは日本にとっても大変慶賀なことであると思います。
そして、この「天地創造」の謎解きは、さきに揚げた「イザヤ書」の次の預言を想起するものです。
「イザヤ書」45章 18~25
天を創造した方、即ち神、
地を形造り、これを仕上げて固く据えられた方、
混沌を創造したのではなく、人の住みかとして形造られた方、
まことに、この恵穂葉が語られる。
わたしは隠れたところ、地の闇では語らなかった。
ヤコブの子らに むなしくわたしを尋ね求めよとは言わなかった。
わたしは恵穂葉、正義を語り、公正を告知するもの。
諸国からの逃亡者たちよ、集まって近づけ。
木偶の像を担ぐ者、救えもしない神に祈る者らは、何も悟らない。
意見をだせ。証拠を出せ。ともに合いはかれ。
誰がこれを昔から聞かせ、以前から告げていたのか。 それはわたし恵穂葉である。
わたしの他には神はいない。
正義の神、救い主は、わたしをおいてほかにはいない。
地の果ての全ての者よ、
わたしを仰ぎ見て、救いを得よ。
イスラエルの子孫は皆、主によって義とされ、誇る。
聖書の「創世記」の天地創造の謎解きと「イザヤ書」のこの預言とはどのように連携しているのでしょうか。
それは、この「天地創造」の謎々は、「古事記」「日本書紀」などの日本の古典がなければ解けないか、もし解けても
「証拠を出せ」というこの預言に答えられないことを明かしているのです。
それは、恵穂葉神の預言の書である聖書を土台にしている宗教が、どれも、神の国の奥義を抜きで布教しているということを顕わにしているのです。
そして、「イスラエル」の子孫とは日本語を使う日本人だったということです。
だいたい、今、世界を牛耳っているユダ〇人と称する方々が、カザール方面の人々であり、改宗者たちの子孫であるということは、少し調べれば判ることであり、別に、秘密でもなんでもありません。
「イザベル」という女王が聖書の神と預言者たちの宿敵であったと預言されているのに、イザベル女王と名乗ることが教会から許されていますし、また、アメリカには、「サターン」ロケットという名を付けた国家事業があり、サタンの数字であると「聖書のヨハネの黙示録」に記されてある「666」という数字を、わざわざドル紙幣に潜ませているのです。
ですから、聖書やキリストを重視しているというのは、表て向きだけなのであって、決して真実ではないのです。
しかし、より悪いのは、日本人が恵穂葉神の民であることがこうして判明した後でも、これを黙殺し続ける日本の宗教界と政界、そして、学者たちです。
「わたしの他には神はいない。正義の神、救い主は、わたしをおいてほかにはいない。 地の果ての全ての者よ」
というイザヤの預言は、誰に向けた預言なのでしょう。
まずは、日本の宗教界と政界、そして、学者たちにあてたものなのです。
イエスは、パリサイ人祭司たちと律法学者たちを糾弾して死闘されたということを知っておかなければなりません。
「ダニエル書」12章9
ダニエル行け、このことばは終のときまで、秘められ、封じられているからだ。..
悪者ともは悪を行い、ひとりも悟るものがいない。 この預言の謎を、なぜ、学者でもない偏差値50の市井の婆さんが解くことになったのでしょう。
それは、国の指導者層が「あまりにも無責任で正義感がない」からです。
そして、それを見越した神の預言者たちが、「偉い人や偉そうな人」が決して解けないような謎にして封印したからです。
また、霊感だの霊能者だのを云々している人たちがいますが、そのような人たちにも明かさないようにこの預言は封印されています。
それは
「知恵をつくし、心をつくし、力をつくして尋ねないと解けないように封印してある」からです。
この三つを心がければ、偏差値50の教養のないおばさんでも解けるようにしてあったのです。