114 聖書と日本ニュートンVS私聖書のことをバイブルということを日本人のほとんどがご存知でしょう。
でも、バイブルとは、単に「書物」と言う意味です。
これに「聖」なる言葉を付け加えて「聖書」と言う熟語にしているために、殆どの日本人は、この書物について、堅くて歯が立たない書物のように感じているのではないでしょうか。
わたくしのような、いわゆる「キリスト教徒」でもなければ「神学者」でもない平々凡々な一主婦が取り組めるような書物であるとは、おそらく誰も考えなかったことでしょう。
わたくしが初めて聖書を読み始めたのは32、3才の頃で、数か月を費やしてどうにか最後のページまで一通り読み終えた時に、最初に脳裏に浮かんだのは、「これは謎々の書である。」という感慨でした。
それなら、誰が、いつ、その謎を解くのか?と言う疑問がわきおこります。
そのとき、わたくしが考えたことは「この書物が謎なぞの書である」と考え、「この謎を解いてみよう」と本気で考えた人が解くにちがいないということでした。
次に、神学者たちや、歴史学者たちは、こうした謎についてどんな見解を示しているのだろうかと考え、数多くの書籍を探索しました。あちらこちらの図書館に通い、カタログで書籍を注文し・・・時間と金銭をだいぶこれに費やしましたが、次第に、こうした学者たちの書籍では、聖書の謎解きの参考にはなり得ないであろうという予想がつくようなりました。
数十冊?いや百冊を超える聖書関係の書籍を調べた中で、私が最も関心を寄せたのは、イギリスのアイザック・ニュートン(1642~1729年)の聖書の預言の研究でした。
ニュートンは、リンゴの落下から閃いたと言われている「万有引力の法則」の発見のほかにも、光学、微分積分学の分野での功績などで世界にその名を知られている大天才ですが、聖書の謎中の謎である「
ヨハネの黙示録」についても、およそ
50年もの歳月を費やして熱心に研究していたことでも有名な人物なのです。
ニュートンは、生前には、聖書研究について1冊も発行しませんでした。
死後になって、1733年に、『ダニエル書における預言と聖
ヨハネの黙示録の預言についての考察』(Observations Upon the Prophecies of Daniel and the Apocalypse of St. John. )』が刊行されました。
この本に書かれていたニュートンの見解のなかに、大変興味を惹かれるところがありました。
このことについては、
「ヨハネの黙示録」の真実 Ⅰ でも書きましたが、再度とりあげます。
ニュートンのヨハネの黙示録研究イギリスのアイザック・ニュートン(1642~1727年)は、
ヨハネの黙示録を検証して、
「聖書の預言を理解するためには、
・預言者の言語に習熟しなければならない。
・預言の解明は、長い間失われていた真理の発見をもたらし、
正義がそこに住まう王国が打ち立てられるという目的に沿い、
・証明される預言は、古い諸預言を開示し、
・それら全体は真の宗教を知らしめ、確立するであろう。
と述べています。
法王や神学者よりも、科学者のニュートンの方が正鵠を射た発言をしていると思います。
ニュートンは、カトリックに懐疑の目をむけていたばかりか、ルターやカルビン派のプロテスタントや、英国国教に対しても懐疑的であったために、生前には聖書関係の研究を出版しなかったのだと言われています。
「証明される預言は、古い諸預言を開示し、それら全体は真の宗教を知らしめ、確立するであろう。」というニュートンの見解は、ニュートンの時代のキリスト教やユダヤ教を真の宗教であるとは思っていなかった証拠です。
「
古い諸預言を開示し」とは、
新約聖書中のヨハネの黙示録の解明によって、旧約聖書中の古い諸預言が開示されることを意味し、すなわち、旧約聖書を重んじないパウロ由来のキリスト教をニュートンは肯定していないことを示唆しているのです。「聖書の預言を理解するためには、まず、預言者の言語に習熟しなければならない。」
とニュートンは言っていますが、「聖書の預言者たち」は、きわめて有機的な言語、ありとあらゆる社会や生きものの習性や特徴を取り込んだ生き生きした言葉で語っています。
それはまた「日本語」の大きな特徴に合致していました。
「古今伝授」という表面的には「歌学伝授」の様相を見せている「一子相伝」の秘伝を垣間見ますと、一首の歌に六種の意味を持たせることができた「歌聖」として柿本人麻呂をあげています。そして、「古今伝授」では、「柿本人麻呂」という固有名詞はどうやら「ファイストス円盤」のことをも指していたようで、「磐固」「磐石」とも称していたようです。
「預言者たち」とは、このように日本語を駆使する人々だったという驚異的な証拠物件となるのが、1908年に発掘された、クレタ島出土の「紀元前1600年頃の「ファイストス円盤」です。
「ファイストス円盤」は、今日なお通用する日本語で書かれているばかりではなく、聖書、ギリシャ神話、「イリアード」「オデュッセイア」等とリンクし、さらに、「古事記」「日本書紀」「万葉集」「風土記」から「魏志倭人伝」中の記事にまでリンクしている驚異的なしろものです。
そのうえ、「雄牛座」「プレアデス星座」「アルゴ星座」「ピラミッド情報」までもが、直径16センチほどの「ファイストス円盤」に盛り込まれているのですから、この粘土板に刻まれている内容は、今日の「CD」にもひけをとりません。
しかも、この円盤を「古事記・日本書紀」は、「臍の緒」また「胎盤」と称しています。
日本の「古今伝授」という歌学伝授の資料をみますと、一首の歌に、過去現在未来を納め、かつ表裏を表し、6次元を一次に盛り込むことができたのが柿本人麻呂たち、歌聖、歌仙といわれる人々であると書かれています。
私たち日本人は、「万葉集」や「百人一首」の中で、歌聖や歌仙たちの歌を知っていますが、知っているのは、その一面にすぎません。
「万葉集」「百人一首」や「古事記」「日本書紀」には壮大な幾何学まで織り込んであります。
その、驚異の一端についてはわたくしのブログでとりあげてあります。
24 三輪の神の謎
三輪の神の不思議 三輪の神の神話とギリシャ神話を検索してください。
そのスケールの巨大さ、その計り知れない深遠さをうかがい知ることが出来ましょう。
しかし、こうしたことを、三輪神社に告げようとしても、狂人扱いをして、聴く耳をもたず、門前払いされました。
こうして、ブログで公表しても、三輪神社からの反応はゼロです。
国民に視聴料を強制している天下のNHKも、こうした貴重な情報は黙殺したままです。伊勢神宮や三輪神社についての幼稚極まりない解説を美辞麗句を以って塗色して国民に提供して、国民を白痴化し続けて、「縄文時代の日本人は、未開人で文字も数字も知らなかった」と、国民を侮辱し、洗脳し続けるのです。
その縄文時代の日本人の「ファイストス円盤」が、今の伊勢神宮や三輪神社を、そして、政治家や文部省その他の官僚たちを、NHKを、告発するだけの言語力や幾何学の実力を有していたのではありませんか。
「聖書」を読めば、縄文時代のわが日本の預言者たちが、持てる言語力と知識と技術力を駆使して、多次元の表現で構成したメッセージを、「無知のために国家存亡の危機に晒されている」わが哀れな神国の国民に伝えようとしていることがわかります。
そして、聖書と密接にリンクしているファイストス円盤の「多次元」な表現については、その一端をこのブログで紹介してあります。次の項目で検索してください。
73 世界最大級のミステリー ファイストス円盤 1
ファイストス円盤と星座 1
76 世界最大級のミステリー ファイストス円盤 4
トゥト・アンク・アメン=天稚彦とファイストス円盤イエスは、「みな、喩えで語られた」と、聖書に記されてあります。
しかし、「パンと魚の奇跡」のパンとは「教え」を意味していると記している「マタイ福音書」16章を、まったく無視して、これを「奇跡」として扱っているキリスト教の欺瞞と過誤を見落としてはなりません。
また、イエスが「魚」と言っている場合、ギリシャ神話の「二匹の魚と化して東方へ逃げたアフロディテとキューピット」の故事
を示唆するためであったことも見逃されています。
こうした欺瞞や過誤や視野の狭さの積み重ねが、聖書解釈を妨げているのです。
人類が経験したことのない「パン5個が5千人分の食事となった奇跡のパン」と強引に説得して手品のような魔術的奇跡を期待させ、人間の底知れぬ欲深さと無知へと誤導しているのです。ですから、「永遠に地上で生きる」などと信じたり、「埋葬した骨から生身の人間が甦って、しかも若返る」などという、不気味かつ、人間をプラナリア( Planaria)以下の下等生物あるいはフランケンシュタインやサイボーグなみの奇怪な存在におとしめる幻想を抱く人々があらわれるようになるのです。
これは、この地球における初期の人間を「よし」と詠嘆されたという創造の神の御ことばを無にする行為です。
わたくしにとって、世界が7日間で完成したかのように表現している聖書の冒頭の章句を「文字通り」に採るよりも、「何の謎かけだろう?」と思うのが先でした。
「マタイ福音書」13章 のイエスの御ことばに注目してみましょう。
13だから、彼らには譬で語るのである。
それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。
14こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。
『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。
見るには見るが、決して認めない。
15この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。
それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、
悔い改めていやされることがないためである』。
16しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。
17あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、
あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、
また、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。
35これは預言者によって言われたことが、成就するためである、.
「わたしは口を開いて譬を語り、 世の初めから隠されていることを語り出そう」。
若し、私が生きているこの時代が「終わり=完成のとき」ならば、このわたしにも解けるはずであると思いました。
その予感はあたり、ニュートンの時代は機が熟していなかったために、ニュートンほどの大天才をもってしても解けなかったにもかかわらず、知能も並み、学業成績不良の、どこからみても平々凡々なおばさんである私が、この数千前に投げかけられた「聖書の謎」「ヨハネの黙示録の謎」を解くことが出来たのです。
でも、あなたは、これを受け入れ信じることができますか?
若し、信じられないようでしたら、神を信じようともしない神の民への神の呪いがかかっているのです。
「イザヤ書」6章はこう預言しています。
この民に言え。
「聞き続けても悟るな、見続けても知るな。
この民の心は肥え鈍り、耳は遠く、眼は固く閉じ、
自分で見ず、自分で聞かず、自分の心で悟ることもなく、
立ち返って癒されることのないように」と。
これが、自国の守護神を捨てて顧みない者たちへの罰なのです。
「ヨハネ福音書」12章40にも、このイザヤの預言が取り上げられています。
それは、実は、偽りの宗教すなわち、偶像を崇拝させる者たちに従うと、おのずから生まれる結実なのです。
つまり、神への敵対者の仕掛けたマインドコントロール術のなせるわざで、同様なことは2000年前のイエスの時代にもあったことです。日本におけるGHQなどの敷衍した教育もまた不毛と荒廃しかうみ出せないません。
この百年間と言うもの、「政府が用意した答えをオームのように覚える者たちだけが優遇されて利権にあずかるというという教育制度が生んだ結実として、考える力が失せた国民と、荒廃しきった国土が残る・・・と預言されているのです。
「そうしたことはいつまででしょうか」と、この「イザヤ書」6章は続きます。
それは「国が荒れ果て、焼かれ、国の中に打ち捨てられたところが増えるまで。」・・・と預言されてあり、「園の木がすっかり伐り倒された後まで・・・」と。
しかし、そのとき、聖なる切り株が残るのです。
「エッサイの根株から新芽がでる」と「イザヤ書」11章に預言されてあるのは、聖なる命の木とダビデの末のことです。
エッサイとはダビデの父のことですから、ダビデの末が、日本の聖なる書と「ヨハネの黙示録」との七つの封印を解くと「ヨハネの黙示録」に預言されてあります。
「ダビデが聖なる契約の箱を運んだ」ことが「サムエル書」下6章に記されていますが、このダビデの行為の結末が明らかとなるのです。
「イザヤ書」11章から
エッサイの根株から新芽が生え、
その根から若枝が出て実を結ぶ。
その上に神の霊がとどまる。
それは、知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、
神を知る知識と神を畏む霊。
この者は神を畏むことを喜び、
自分の見たことでさばくのではなく、
自分の聞いたことで判決をくだすのではなく、
正義を以って寄るべなきものをさばき、
公正をもって国の貧しいものたちのために判決をくだす。・・・
その日、エッサイの根は、国々の旗として立ち、
国々は彼を求め、
彼の憩うところは栄光にかがやく。
「ヨハネの黙示録」5章から
玉座に座したまう方の右手に巻物があるのを見た。
表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で閉じられていた。
「巻物を開いて、その封印を解くにふさわしいものは誰か?」と、
力強い御使いが大声で告げるのを聞いた。
しかし、天にも、地にも、地の底にも、
この巻物を開くことのできるもの、
解くにもことの出来る者は、だれも居なかった。
この巻物を開くにも解くにもふさわしい者が見当たらないので、
わたしは激しく泣いた。
すると、長老の一人が言った。
「泣くな、見よ、ユダ族の獅子ダビデのひこばえが勝利を得て、
その巻物と七つの封印を開くことができる。」・・・
聖書や「ヨハネの黙示録」やこれとリンクしているファイストス円盤が問いかけている謎は、日本と言う神の園にある「古事記」「日本書紀」などの聖なる書によって:封印されていましたが、それら「国典が滅多切りされて、権力や金に繋がりそうな部分だけが切り売りされ」ていました。
「古事記」「日本書紀」から、「天照大御神」「天壌無窮の宝祚」などという言葉を、最大限に利用し尽くして、国民を誑かしたあげく、不利になり、不用になると、「古事記」「日本書紀」という国宝を弊履の如く切り捨てて顧みなかったのです。
しかし、その根幹部分が残っていたので、結実をつけることができたのです。
日本の守護神のお名前があきらかとなって、恵穂葉神が日本に顕現され、私たちの盾となられることを明らかにされ、
しかも、日本のアイデンティティーが証明されても喜ばなくて、神の民と言えるでしょうか。
イエスの御言葉によれば「わたしの羊ではありません。」ということです。
上に揚げた「イザヤ書」11章の預言に、「正義を以って寄るべなきものをさばき、公正をもって国の貧しいものたちのために判決をくだす。」と預言されているのは何故でしょう。
それは、法王も宗教家も政府も学者も、一人残らず恵穂葉神に対しての敵対者に与しているからです。
巻物を解いて、恵穂葉神のメッセージを伝えなければならない立場のものたちは、一人残らず「搾取することに余念のない者たち」なのです。
日本では、今、食べ物が充分に買えない人たちがたくさんいます。切り詰めても、先行き不安で、子供を産み育てることさえも躊躇する若者たちで満ちています。それなのに、10パーセントの消費税をとろうというのです。
政府の集めたお金の無駄遣いはとどまるところを知りません。
不必要な原子力発電所、不必要なスーパーカミオカンデ、不必要な理化学研究所、不必要な海外への大盤振る舞い・・・
こうした本末転倒のその元をさかのぼれば、不必要な明治神宮、橿原神宮、靖国神社、乃木神社、東郷神社などの建立の原点である一連の「偽神」作りに帰すのです。
その実、日本の「現人神」とその配下の政府や財界のすべては、外国の支配者たちの「手下」でした。
したがって、英国の国王たちから勲章を授かり、いちいちご機嫌をうかがう身分なのです。
日本国民は「彼らの奴隷」であり、」わたしたち日本国民に恵穂葉守護神からたまわっていた「神国」という実態をなくすために、祭司の身分でありながら、自らを神となし、ついには、「神国実現の権利」を○ダヤ人と自称する人たちに丸投げしてしまったのでした。
○ダヤ人のラビのTOケイヤー氏の著書に書いてあることですが、「わたしは実は○ダヤ人なのです」と言って、HEブライ語で○ダヤ人たちと付き合われているやんごとないお方もおられるということですから語るに落ちた話です。
○ダヤ人たちの聖なるTAルムードを読んでみてください。もとより、ほんの一部分しか私たち外部の人間には知り得ない書であることは存じていますが、前述のTOケイヤー氏の「○ダヤ5000年の知恵―聖典TAルムード 発想の秘密 」を読んだ時のわたくしは、「これを聖典という人たちの子孫に生まれなくて、本当によかった」と胸をなでおろしました。
「イザヤ書」3章から
わが民よ、あなたたちの指導者は迷わす者。
あなたがたの歩む道をかき乱す。
神は論争するために立ち上がり、
民を裁くために立つ。
神は裁きの座にはいり、民の長老たちや司たちに告げる。
「あなた方は、葡萄畑(エデンの園)を荒れすたらせ、
貧しい者たちからかすめて、それを自分たちの家に置いている。
なぜ、あなたがたは、わが民を砕き、
貧しい者たちの顔をつぶすのか。・・・
「イザヤ書」4章から
彼らは神の御業を見向きもせず、
御手の為されたことを見もしない。
それゆえ、「わが民は無知のために捕えられる。
その支配者たちは,飢えた人々(狼=おかみ)。
その群衆は渇き干からびる。
それゆえ、黄泉は口を限りなく広げる。
威光もどよめきも歓声も黄泉に落ち込む。
こうして人は屈められ、人間性は低くなり、
高ぶる者たちの目も低くなる。・・・・
ああ、嘘を(頼みの)綱として、咎を引き寄せ、
手綱で曳くように、罪を引き寄せている者たち。
彼らは云う。
「彼(預言者)の言うことを急がせよ。早くせよ。見たいものだ。
イスラエル(実は日本)の聖なる方のはかりごとが
近づけばよい。それを知りたいものだ。」
ああ、悪を善、善を悪と言っているものたち、
彼らは闇を光、光をやみとしている。・・・
ああ、おのれを知恵ある者とみなし、
おのれを、悟りがある者と見せかける者たち、・・・
強い酒(教義)を混ぜ合わせることにかけての豪の者。
彼らは利得のために、悪人を正しいと宣言し、
義人からその義を取り去る。
それゆえ、火の舌が刈り株を焼き、
炎が枯草をなめつくすように、
彼らの根は腐れ、花も塵となる。
彼らが万軍の主の御教えをないがしろにし、
イスラエルの聖なる方のみことばを侮ったからだ。
この預言の、「イスラエルの聖なる方のみことばをあなどった」者たちとは、
第一に、神の国たる日本の支配者たち、宗教関係者たち、および彼らに追従して民を迷わせ搾取し、民を無知に陥れるものたちのことです。
第二に、アジアの西端に偽りの神の国を建国したものたち、その協力者たち、賛同者たちです。
第三に、預言を簒奪して、「聖書か剣か」と世界の民々を制圧するものたちです。
第四に、聖書の悪用であるとは知らずしてテロに身を投じることも恵穂葉神への冒涜ですが、聖書の預言を完膚なきまで破壊して、「真の神の国を原爆や原子力発電所などで消滅させよう」と謀る「彼ら」の冒涜とは比較になりません。
その彼らに与するものたちの考えは、すべて真逆ですので、見分けることができます。
「ヨハネの黙示録」についての、ニュートン手書きの研究書2007年6月に、「ヨハネの黙示録」についての、ニュートン手書きの秘密の研究書(約4500ページ)の一部分、「ふたつの聖句の著しい変造に関する歴史的記述」が公開されたそうです。
これは、1936年にロンドンのオークションで、ユダヤ人学者によって落札されたもので、エルサレムにあるヘブライ大学の図書館に保管されているそうです。
この2007年に公開されたという手稿のことについては、わたくしはまだ調べていません。
なぜなら、ニュートンが「ヨハネの黙示録」の預言を解くのに不可欠として熱心に調べたとされている「ダニエル書」の末尾には、次のように書かれているために、ニュートン自身がこの研究を秘密にしていたからです。
ダニエルよ、あなたは終りの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。
多くの者が、知識を得ようと探りまわるであろう。 「ダニエル書」12章4
ダニエルよ、行け。
この言葉は終わりの時まで秘められ、封じられている。 「ダニエル書」12章9
多くの者は身を清め、白くし、練られる。
だが、悪者どもは悪を行い、ひとりも悟る者がいない。
しかし、思慮深い人々は悟る。 「ダニエル書」12章10
この預言に従えば、まだ終わりの時代に存在していなかったニュートンやノストラダムスには預言の謎が解けるはずもないと言えるでしょう。
参照
アイザック・ニュートン 1643年 - 1727年の「ヨハネの黙示録」に関する研究 ウィキペディア 「アイザックニュートンのオカルト研究」から抜粋

画像 1689年のニュートン(ゴドフリー・ネラー画)ウィキぺディアより
1704年に書いた草稿で、ニュートンは聖書から科学的情報をくみ取ろうとしているが、
ここでニュートンは、世界は少なくとも2060年までは滅びないと予測した。
ニュートンはこの予言に関して「この指摘は、終末がいつ来るか断言するものではない。
空想家による性急な当て推量と、それが外れることによって、
神聖な予言に疑惑が湧くことを防ぐためのものである」と言っている。
2003年の2月から3月にかけて、
多くのメディアがニュートンによって書かれた未発表の文書に注目した。この文書で、
ニュートンは少なくとも2060年までは世界は滅びないと予測していたのである。
このニュースは広く関心を集め、イギリスのデイリー・テレグラフ紙、
カナダのナショナル・ポスト紙、イスラエルのマーリヴ紙、イェディオト・アハロノト紙など
大新聞の一面を飾り、ネイチャー誌などの科学雑誌でも特集が組まれた。
この予言について詳述している2つの文書は、
現在エルサレムのイスラエル国立図書館に保管されている。
アイザック・ニュートン「卿」(Sir Isaac Newton)と記してあることなどから、
どちらもニュートンの晩年(1705年以降)に書かれたと考えられている。
これらの文章は出版する意図を持って書かれたものではないようで、
ニュート ンはこの中で、
人気取りのために黙示録の日を推測するものに対する強い嫌悪を表明している。
また、ニュートンはこれらの文書の中で具体的な終末の日の日付を書いていない。以上 ウィキペディアよりの抜粋引用おわり 改行はブログ筆者による