与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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日本は新しいエルサレムとなる 3

125 1945年8月15日

日本の無条件降伏による変革
1945年8月14日のポツダム宣言受諾から,52年4月28日の対日平和条約発効までの期間の約7年間は連合国によって日本の動向が決められました。
この占領期の政策全般を対日占領政策,ないし占領政策といいます。
1945年8月15日から,1952年4月28日まで、約7年間というもの「日本国が、主権を失っていた。」のです。
その間、どのようなことが施行されていたのでしょう。
例えて言えば、日本の岐路を決め、レールを敷き、「機関車GHQ号」が日本国を牽引したということです

7年の占領を経て、日本国の主権が還されるようになりましたが、その「講和条約」のサインをしたのは、GHQが任命した吉田茂首相という「機関車GHQ号の運転手」でした。
その後も、「吉田学校」と言われた吉田茂門下生がつぎつぎ政権を執ったり、政府の要職についたり、官僚組織と財界のテコ入れをしたりして今日の日本があるのですから、GHQの敷いたレールと機関車はいまなお走り続けていると言えます。
麻生太郎元総理は吉田茂氏の孫ですから、こうした権力構造にもGHQの影を見ることができます。

1951年9月8日 「日米安保条約」の最初の調印を、日本国民の誰とも相談しないでやってのけたのは吉田茂氏ですが、その「吉田学校」の生徒佐藤栄作氏の一族である安倍晋三首相(60年安保改正の岸信介元首相の孫でもある)が、2015年9月19日 「日米安保条約」の実質的改造のための「憲法」曲芸をやってのけたのを目の当たりにして、70年昔のGHQ占領のくびきは、今なお日本国の首にあることを実感できます。


70年前のGHQ占領時代を簡単に列記
1945年8月末にマッカーサーが厚木飛行場に降り立ち、9月2日に降伏文書の調印が行われると、全国的に占領が開始されました。
占領軍の命令が最高司令官から日本政府に出され、日本政府が責任をもって施行する間接統治方式であり、占領軍の命令はポツダム勅令(新憲法施行後に「政令」)により超法規的な絶対的な性格をもっていました。

1945年 9月22日、「降伏後におけるアメリカの初期対日方針」として、
「日本が世界の平和及安全の脅威になること」の防止のために「平和的且責任ある政府」の樹立が必要とされ、政治、経済など各分野での「非軍事化・民主化」を推進することにしました。
日本の弱体化と同時にアメリカの国家的利益をあげるという目的を第一に布石したのです。

1945年10月4日の「政治、民権及信教の自由に対する制限除去に関する件」で、
治安維持法などの弾圧法規の廃止、政治犯の釈放、内務省警保局・特高警察などの廃止、警保局長・警察幹部の罷免をおもな内容としていましたが、信教と思想を改革する意図を含んでいました。

10月11日 「五大改革の指令」が発令されました。
 選挙権付与による婦人の解放
 労働組合の結成奨励
 学校教育の自由主義化
 秘密検察など弾圧諸体制の廃止
 経済機構の民主主義化

1945年12月 「神道指令」で、国家神道の廃止と政教分離政策が行われ、
1946年1月 「公職追放令」で、軍国主義者や国家主義者たちの公職からの追放が指示されました。

1946年1月7日、いよいよ日本国憲法作成の仕上げにとりかかりました。
SWNCCで「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)が決定され、マッカーサー最高司令官に指示されました。

この指示に基づき、総司令部内に「草案作成のための三原則」
1 天皇を元首とする、
2 戦争を放棄する、
3 封建制度を廃止する、
として憲法草案の作成を指示しました。

1946年2月13日 マッカーサー草案が日本政府に提示されましたが、
その特徴は、国民主権、象徴天皇制、戦争放棄などでした。
象徴天皇制を国民主権や戦争放棄とワンセットに位置づけることによって国民を納得させ、国際世論にも対応でき、占領と管理が容易になると判断したのでしょう。
このような複雑な背景において、新憲法が1946年11月に公布され、翌年5月に発効することになりました。

GHQは、上記のような確固たる意図のもとに占領政策を遂行して、「日本をアメリカナイズし、革命的に変貌させた」のでした。
その結果、「個人主義的、物質的、消費的、短絡的、享楽的な」今日の日本に仕上がったわけです。

GHQは、大きな欠点のある憲法を発布しましたが、唯一、「平和を目的とし」「戦争を放棄する」を謳った「憲法9条」という、世界に類を見ない「珠玉」を、わが日本国に残してくれました。
これは、あの悲惨極まりない第二次世界大戦を体験した私たち日本の庶民の、終戦時の「心からの叫び」が、「日本国憲法」に封じ込められたかのようでした。
日本国を弱体化する目的を持っていたにせよ、日本の政治家、鷹派官僚、軍人や軍産複合体、資本家たちが、「戦争」を遂行する手立てが無くなったことを大いに喜びました。


GHQ占領の終了? 否
1951年9月8日 サンフランシスコ平和条約調印
1952年4月28日 発効 この条約の発効により、連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復した、と思いました。

 1951年9月8日
 アメリカ合衆国のサンフランシスコで講和会議が開かれ、
 日本国と48ヶ国によってサンフランシスコ平和条約に、
 第三次吉田内閣の吉田茂が調印し、単独講和に踏み切りました。
 サンフランシスコ平和条約とは、第二次世界大戦後の平和条約で、
 日本国と連合国各国の平和条約であり、
 連合国による占領が終わるというものです。
 しかし、沖縄・奄美諸島・小笠原諸島はアメリカの施政権下に置かれました。


午前中に平和条約そして午後には安保条約
「吉田ひとりで安保条約に署名   帰ってきた日本(17) 」  2012/12/29
日米外交60年の瞬間  日本経済新聞 特別編集委員・伊奈久喜 より抜粋


1951年9月8日 吉田茂首席全権は、午前中にサンフランシスコのオペラハウスでサンフランシスコ条約に署名し、
午後5時(日本時間9日午前9時)からサンフランシスコの
第6軍司令部プレシディオ(将校集会所)で日米安全保障条約に署名しました。

その前夜に米側から「8日午後5時にプレシディオで安保条約署名式を行う」と通告を受けた外務省条約局長だった西村熊雄によれば、
 吉田茂が講和条約受諾演説をした7日夜の会議が終わり、
 午後11時近くに議場を出ようとすると、
 GHQ外交局長だったシーボルト大使から呼び止められ、連絡された。
 深夜だったが、吉田茂が宿泊していたスコット邸に西村熊雄は赴き、
 これを伝えた。 
 講和条約への署名が8日の昼前とされていたから、
 午後5時はそれから5時間後である。
 平和条約の署名後数時間で安保調印となったのにたいし、
 代表団の多くが失望感を懐いた。

と、西村熊雄の回想「サンフランシスコ平和条約 日米安保条約」(中公文庫)に書いています。

以上 「吉田ひとりで安保条約に署名   帰ってきた日本(17) 」  2012/12/29
日米外交60年の瞬間  日本経済新聞 特別編集委員・伊奈久喜 より抜粋です。

アメリカは、GHQ]代表として、日本国に「平和の条約」によって、日本の主権を回復させるとしながら、沖縄・奄美諸島・小笠原諸島を占領下に置き、一方で、駐留軍を日本に常駐させるという「半占領状態」を認めさせる条約に調印させました。
それは、「戦争放棄」憲法を与えておきながら、後の「アジアにおける朝鮮戦争やベトナム戦争などに協力させようという布石でもありました。こうして、日本国に「平和国と戦争国」の二面性の仮面がGHQによって与えられたのです。



安倍内閣のとった「憲法]の解釈変更
日本の国会、自衛隊の海外任務拡大を承認
2015.09.19 Sat  CNNニュースより 
 参議院は19日未明、
 国内で大きな論議を呼んでいた安全保障関連法案を可決した。
 これにより自衛隊は限定的な条件のもと、
 海外での戦闘に参加できるようになり、
 日本は70年に及んだ平和主義からの大きな転換点を迎えた。

 賛成票は148、反対票は90で、約半年以内に施行される。
 衆議院は7月に同法案を可決していた。
 同法案は、第2次世界大戦後に平和憲法として制定された日本国憲法
 第9条の解釈を変更するもの。
 第9条は国際紛争の解決手段としての戦争を禁じている。
 「自衛隊」として知られる日本の軍隊は、この解釈変更により、
 限定的な役割のもと海外の紛争で同盟国を守ることが可能になる。
 自衛隊の海外での活動はこれまで、人道的な役割にとどまっていた。
 憲法9条1項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めている。

以上 CNNニュースより
戦後70年という節目
戦後約70年という節目は、元神の国の日本にとって「天下分け目の関ヶ原」ともいうべき時であることが預言者たち、エゼキエル、エレミヤ、ダニエルによって預言されています。
わかりやすく云うなら、戦争を遂行して国を守る(実は、国を滅ぼす)と主張する者たちの台頭です。
それらの者たちは、「神の国を葬り去ろう」という陰謀のもとに張り巡らされている罠があることを信じない政治家や資本家たちなのです。
欧米の彼らは、「彼らエリートの富を守るための番犬としての日本の軍隊や軍備が必要なのです。」「そして、アジアとアジアを戦わせ」「(アフリカのように)アジア全体を貧困化させ」、「新世界秩序での支配権を永続的に掌握する」ことを目論んでいるのです。
こうした預言については、後に詳しく書きます。
しかし、彼らのその計画は、最終的に、神によって阻止されます。

今までのブログの記事で、聖書は日本人の預言者たちによって書かれ、イエスも日本人だったということをたびたび検証してきました。しかし、現在のところ、1億を超す日本人の中で、これを心から信じて下さる方は、10人ほど確認できるのみです。
数が少なすぎるように見えますが、それでも、預言どおりに世界は動くのです。

結論を云いますと、日本国民の心に「戦争忌避意識」がしっかり据わっていることを神がご存じなので、日本はこの罠からぬけだすことができます。70年間平和を願い続けてきたのですから、あとひと踏ん張りです。

ヨハネの黙示録」5章に次の預言があります。
 またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。
 表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。
 また、一人の力強い天使が、
 「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げるのを見た。
 しかし、天にも地にも地の下にも、
 この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。
 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、
 わたしは激しく泣いていた。
 すると、長老の一人がわたしに言った。
 「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、
 七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」


ヨハネの黙示録」と「ファイストス円盤」によって、歴史と預言の真実を解くことが出来ましたので、「預言」が成就するのです。
つまり、「ダビデのひこばえが勝利を得たので、 七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」と預言されていますので、「これを解いた者はすなわちダヴィデの子であり、解いたときには既に勝利が決定している。」ことが、ここに預言されているのです。
「身動きが出来ないほどの重装備のゴリアテを倒すダヴィデの一石」とは、「ファイストス円盤」なのです。

なぜ、「勝利」を得たのでしょう。
それは、日本の預言者たちが、神に従い、偽りを退け、悪者どもの習性や謀略を分析しつくして預言を組み立て、謎解きを可能にする文書、文物、行事その他の敷衍を成し遂げ、さらに、預言者の言語を数千年間保護することを全うしたからです。
そして、日本国民の大多数が本来温和な性格だからです。

勿論、守護神恵穂葉神の御加護があったからにほかなりません。
これによって、「中東のイスラエル」、「国連という偽ニューエルサレム」、「バチカンの偽キリスト教」「ルター派、ピューリタン、あるいはものみの塔」にいたるまでのいわゆる自称クリスチャンたちの化けの皮が剥がれてしまって、今や、彼らは「裸の恥を曝しながら」立っている偶像にすぎません。
上にあげた「預言の簒奪者たち」言い換えれば「前門のトラ」と「後門のオオカミ」が心を合わせて日本を「恵穂葉神の民である痕跡を消し去ろうと「第一次世界大戦」と「第二次世界大戦」を仕組んだのでした。
もちろん、その謀略にまんまと引っかかって、敵に協力を惜しまなかった「日本の獅子身中の虫」がいました。彼らの、そのみごとな「日本の守護神恵穂葉神及び日本国民への裏切りぶり」が買われて、彼らの子孫は手厚く保護されており,繁栄して日本国民を搾取し誤導しつづけています。

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