日本のアイデンティティと中国 5「夏王朝」とは 司馬遷の「史記」などから辿る「夏王朝」の始祖三皇とは天皇 地皇 泰皇(人皇とも) あるいは、
伏羲
ふくぎ・神農
しんのう・燧人
すいじんともいわれています。
五帝とは黄帝 顓頊
せんぎょく 帝嚳
こく 尭
ぎょう 舜
しゅんをさすといいます。
ほかにも数種類の説がありますが、
禹 舜 伏羲 女媧がキーパーソンであることには変わりありません。
舜は東夷の人なり特に尭舜時代は、治水事業が進み、帝位も平和的に継承され、
孟子などによって理想的な時代と位置づけされました。
その孟子によって「舜は諸馮に生まれ 負夏に遷り 鳴條に卒う。
東夷の人なり」
と記されています。
「ここに 舜は東夷の人なり」とでてきました!
中国が「古代エジプト文明が中国文明そのものであった」とする上で、
「東夷」という文字が、各所に出現してきて疑問が生じることが多く、
そこから先を詰めることが難しいのです。
「東夷」とは「東夷」を知るための第一級の資料が、
陳寿(233-297年)の「三国志 魏志 東夷伝 倭人の条」です。
「
三国志」は3世紀後半に晋朝の修史官 陳寿によって編集された 魏 呉 蜀の
歴史を扱った書といわれています。
魏志30巻 約207.000字
呉志20巻 約103.000字
蜀志15巻 約 57.000字
三書全65巻 約367.000字から成ります。
魏の文帝の黄初元年(220年)から晋の武帝の太康元年(280 年)に至る、
「魏 呉 蜀」の三国鼎立時代60年間の中国の歴史を記しているといわれています。
「
三国志」の魏書(志)30巻は本紀4巻と列伝26巻から成り、最後の巻が、
「烏丸伝、鮮卑伝、
東夷伝」で、異民族の国家を列挙しています。
「東夷伝」九条には 扶余 高句麗 東沃沮 挹婁
わうろ 濊
わい 韓(馬韓 弁韓 辰韓)の
諸部族に続いて、列伝の最後に「倭人条」を設け、当時の倭国について
記述しています。
この「
三国志」魏志 東夷伝 倭人条が「魏志 倭人伝」なのです。
「倭人条」は、1983文字で、30巻目では最も長文弁辰伝は73文字、烏丸伝462文字、鮮卑伝1230文字、韓伝1427文字、
他の伝や条と比較して「倭人条」には1983文字と、最も情報量が多いのです。
内容も最もミステリアスです。
日本では通称「
魏志倭人伝」として超有名な古文献であり、日本の古代史と
日本のアイデンティティ探求に欠かせない重要資料であると認識されています。
「邪馬台国」は何処にあったのか、一世紀以上にわたって研究され論争されて
いますが、真相はいまだ五里霧中です。
「倭人の邪馬台国」とは、極東にではなく地中海方面での歴史であったうえ、
ルクソールからベネチアまでの行路が正確無比に記されているにも拘わらず、
これを、故意に黙殺し続けてきたからです。
一体どうしてなのか?日本は明治維新で、文明開化という歴史の偉業を成し
遂げた故に、明治時代以前に、それを凌駕する文明が日本に存在したことは、
絶対に在ってはならぬ!!という鉄壁の世界的原則があるからです。
「邪馬台国エジプト説」で日本の太古の歴史の謎が解けた1910年は、
時すでに遅し!!日本は欧米諸国の支配下にあったからです。
「魏志 倭人伝」の帯方郡は朝鮮半島ではない「魏志」の東夷の中には「韓伝(馬韓 弁韓 辰韓)」1427文字がありますが、
これも 現在の朝鮮半島での出来事ではなく、イタリアでのことであって、実は、
古代の謎「エトルリア」について語っているということを、私が発見しました!
「45 邪馬台国と鉄」 2009年6月13日のブログに記してあります。
須佐之男命「古事記」、素戔男尊「日本書紀」等と記されたスサノオノミコトが
朝鮮半島出自だなどと、学者や民間人が唱えているのですが、こうした、
「事実に反する説」がまかり通るのを訂正し得るよう、古文書が備えられている
と思われます。
「帯方郡」の帯の意味「魏志 倭人伝」の邪馬台国への、最初の地点である「帯方郡」は、
朝鮮半島でのことではなく、今日のベネチアのことです。ベネチアというのはビーナスに因む名前です。
ビーナスは「七曜」の金曜日に当てられている女神ですが、
日本では七福神の「弁天様」です。
弁天様がフェニキアに由来することは、エジプトのピラミッドの天辺の
「キャップストーン」を「
ベンベン石(Benben stone)」と神話で導きだせます。
ベンベン Benben ウィキペディアより
ベンベンとは、
古代エジプトのヘリオポリス創世神話において、原初の水「ヌン」から
最初に顔を出し、神が最初に降り立った原初の丘のこと。大地の基。
世界の始まりの地。ラーはその誕生の際にベンヌ=不死鳥の姿をとり、
原初の丘「ベンベン」の 上にとまったとされる。
このような信仰は既に第1王朝の頃には存在していたようである。
太陽光あるいは原初の丘を模した四角錐の石造記念物を「ベンベン石」と呼ぶ。 ベンヌ=不死鳥は「フェニックス」とも「火の鳥」ともいわれていますね。
南を表象する「朱雀」も「フェニックス」のことだとわかります。
ベンベン石の「弁」は紅、赤を意味し、「紅海」もエジプトの「ピラミッド」も、
太古はこの「盤古」に属していました。
フェニックスはフェニキアのシンボルなのです。
エジプトとフェニキアの関係は、牡牛や牝牛の神話で数多く語られています。
フェニキアの、エウロペ、カドモスの話が一番有名ですが、ここでは、
フェニキアの一都市ベネチアがビーナスと同じであり、そのビーナスの神話から、
「帯方群」の謎を解いていきます。
帯方とビーナスの有名な「宝帯」ギリシャ神話で有名なビーナスは、有名な「宝帯 Cestus
ケストス」を所持
していました。
女神ヘーラは、その「宝帯」をビーナスから借りて身にまとい、
化粧をして、夫ゼウスを誘惑して、夫の熟睡中にトロイ戦争に介入したことが、
ホメロスの「イリアード」第14歌に謳ってあります。

Juno, Receiving the Cestus from Venus Wikimedia Commons
ヘーラ、ビーナスから宝帯を受け取る Junoはギリシャ神話でヘーラ Hera
絵の「ヘーラと孔雀」はギリシャ神話の「イヨ姫」を想起させ、また、
「
魏志倭人伝」の帯方郡を想起させる「メルクマール」です。
木村鷹太郎氏の「ギリシャ神話のイヨ姫」にまつわる記述から説明します。
イヨ姫なる美人あり。
ゼウスこれを愛し給いしも、ヘーラ女神の嫉妬を憂い、
イヨ姫を牝牛に変えて、へーラの嫉妬を避けんとなし給えり。
ヘーラ女神、その策略を知りて、
百眼のアルゴスに、その牝牛を殺させんと為し給えり。
ゼウスはその牝牛を救わんとて、
ヘルメス神を遣わして、アルゴスを殺させ、
その牝牛を開放させ給い、
アルゴスの百眼を雉の羽翼に付けて記念の紋となし給えり。
イヨ姫、ヘーラ女神からの執拗な憎しみと苦しみを免れんとして、
イオニア海をさまよい、エジプトに着せり。
ここに、ゼウス神、その牝牛を人間の姿にかえし、
イヨ姫は国王の妃となりて幸福に世を送れり。
その後裔に、ペルセウスおよびヘラクレスの英雄あり。
この「百眼をつけた雉」「孔雀」が示唆するのは、
「
魏志倭人伝」の「帯方郡から韓国を経て 狗邪韓国に至る」行程です。
「狗邪韓国」の狗邪
くじゃは、孔雀
くじゃくから、「イヨ姫」の神話を想起します。
「狗邪韓国」とは、イタリア半島南東部、カラブリア地方のことなのです。
カラブリアは「化粧」の意味で、そのギリシァ語名はクジォ Xgo つまり、
狗邪
クジャです。
ヘーラは「宝帯=帯方」を纏って「化粧」をして夫ゼウスを待つの神話に一致。
「帯」はケレト=クレタでもあり、そのイタリア語が「ガリア」「ガラ」。
このあたりを古地図では「Magna Graecia マグナ グラエキア(大ギリシャ)」
と書かれていて「ガラ カラ」とは「Graecia 」の省略でもあります。
この地名を、朝鮮半島にそっくり移植したのが何処の国民なのかが識別できる
ように、「狗邪韓国
くじゃかんこく」と「孔雀
くじゃく」「イヨ姫」「目」
「古事記」「
魏志倭人伝」「聖書」等のメルクマールが備えられているのです。
ベネチアへの海を「イオニアIonia」というのは、ギリシャ語で「魚二匹」「双魚」と
いう意味です。
ギリシャ神話で、ビーナスとキューピッド親子が二匹の魚になって逃げたと云い、
天空に「魚座」が備えられて、二匹の魚は「宝帯」で繋がれて掲げられています。

いつも「宝帯」で繋がっている「二匹の魚 ビーナスとキューピッド」
ピラミッドの「
ベンベン石」はベンヌ=不死鳥の象徴物ですが、聖書にも
ベンベン石nado
の「要石」は 「イザヤ書」28章 「詩篇」118篇 「マタイ書」21章などで
「
隅の頭石」と呼ばれるキーワードとなっています。
これらの預言は、「at last」の時、アトラスの歴史の真実を明かすためのもので、
始源αと最終Ωを解明するのが「Atlas時代」を伝えている日本となるよう構築
されていることを示しています。
上記の「ビーナス Venusと帯」は「二匹の魚」を暗示して「魚座 双魚宮 Pisces」
「乙女座 処女宮 the constellation Virgo」そして、聖書へとガイドしています。
「二匹の魚」は、イエスが言及された言葉です。
イエスが「ビーナス Venus」の子孫で「アイネイアス」の子孫だという意味です。
ビーナスには「処女宮 Virgo」という星座もあります。
イエスが「処女」から誕生したという伝承は、これを語ったものと考えられます。
イエスが「二匹の魚」また「不死鳥」であることは説明を要しません。
「木村鷹太郎の邪馬台国エジプト説」の別の要素を見ていきます。
「
魏志倭人伝」邪馬台国への行程は、ギリシャ神話の「イヨ姫の彷徨」と、
全く同じルートであることを私は発見しました。
もう一度、イヨ姫にまつわる別のギリシャ神話を辿ってみます。
1ゼウスはイナコスまたはエノクの娘イヨ姫なる美人(ビーナス)を愛し給い、
「美人を愛し」とは美と愛の女神ヴィーナス Venusのこと、
出発点のヴェネチアが「帯方郡」であるとは、ビーナスの「宝帯」のことです。
そのヘーラ女神は、イヨ姫(ビーナス Venus)の宝帯を借りて身につけました。
ヘーラ女神の嫉妬を憂えたゼウスは、イヨ姫を牝牛に変えます。
ヘーラ女神はその牝牛を欲しがり、自分のものにしました。
2イオニア諸島の島々、「壱岐」「対馬」
イヨ姫は、ヘーラ女神からの憎しみを免れようと、イオニヤ海をさまよいます。
「イオニアIonia」は、ギリシャ語で「魚二匹」「双魚」という意味。
3「アルゴス」とは船、ギリシャ語で舟はヌー。「奴国」
ヘーラ女神は、「イオを変身させた牝牛」を牧場に繋いで、
百眼のアルゴスにイオを四六時中監視させます。
「百眼」は50人分。アルゴ船に勇士50人が募集され、これに応じて、
ヘラクレス、双子のカストールとポリュデウケース、オルペウスetc、
ギリシア神話の英雄たちが乗り込んだことを想起させています。
アルゴ船も星座となっており、それは「ファイストス円盤」にも、巧妙に
織り込まれています。(アルゴ船は勿論日本へ 後述)
恐るべし!「ファイストス円盤」!
4「孔雀」は「狗邪韓
くじゃかん国」。
「アルゴスの見張り番」にふさわしく「狗
いぬ」の字を使用、
ゼウスは、神々の使者ヘルメスにイヨ姫の救出を頼み、
ヘルメスは、アルゴスを殺してイヨ姫を救出します。
ヘーラ女神は、アルゴスの記念に「百目」を孔雀の尾の上にちりばめます。
上の絵にも孔雀が描かれています。
「目」は鍛治神の象徴 ビーナスは鍛治神へパイトスの妻です。
目はへパイトスの別名ウゥルカーヌスVulcānusヴァルカンVulcanを、また、
太古のBalkanへと誘っています。
「目と羽」はへパイトスのシンボルでもあるのです。
さらに、この「羽と目」は「有翼の円盤」と「翼と日輪 翼と目」を想起させます。
孔雀の雄の目をちりばめた尾羽は「羽扇」「扇」のように広がります。
「聖書 列王記」の「ソロモン王の許に孔雀が運ばれてきた」が連想されます。
そして、ここに、孔雀でソロモンを連想させているのは、
ソロモンがシバの女王に贈り物をしたという聖書の物語を、換骨奪胎したもの
が「
魏志倭人伝」の魏の王が卑弥呼に贈り物をしたというエピソードです。
その「宝物」中の「宝帯」はイエス様に受け継がれました。
「フィストス円盤」の刻印に使った宝石製の印鑑を繋げたものが「宝帯」です。
それはイエスが羅馬船
あめのかがみのふねを遣わして日本に納められたのです。
孔雀 ウィキペディア 中国語版から

5「尾の上」は、アハヤ(アヤ)国のオエノエに一致。
オエノエOenoeは、ラテン語でマツロ Maturo、
「末盧国」は、アルゴス地域の末路を物語っている点も一致。
アルゴス平野界隈が衰退してしまったことは、発掘からも明らかです。
6メッセニア(メッセンジャーの意味)は、使者ヘルメスにも一致します。
「
帯方郡使(使者)が来るときは必ずここに滞在」は、
考古学上の発掘による史実に、見事に一致。
また、メッセニアとは「女主人」という意味もあり、
このエリアが、「魏志倭人伝」では、卑弥呼の管轄下ですから、
ヘラ=卑弥呼でもあります。
7「伊都国」ゼウスの聖なるイトミ山のエリアにあります。
「帯方郡使(使者)が来るとき
必ずここに滞在する。」に一致。
メッセニア界隈での1939年の発掘調査で、
約1000個の線文字B タブレットが発見されました。
全体の体系的な発掘調査は第二次世界大戦後の1952年に再開され、
線文字Bの粘土のタブレットが解読されて、
宮殿が Messeniaの行政 財政 外交上の中心だったことが確認されました。
そこがミノアとミケーネの文化が混在していた時代のことです。
古代アテネの歴史家トゥキディデス( 紀元前460年頃~紀元前395年)
クレタのミーノス王は艦隊を所有した最初の人であった。
活発な交易がエジプトおよびキクラデス諸島との間に行われていた。・・・
ドーリス人の移住の後、ミュケナィとティリンスは衰亡し、
芸術も線文字も衰亡の運命を辿って、
陶器のみがわずかに生きながらえ得た。
そして、クレタにおいても、似たような結果であった。 そんな時代のこのエリアのことが「魏志 倭人伝」に描かれているのです!
ギリシャ考古学界とシンシナティ大学発掘チームに教えてあげたい!!
8「投馬国」 半牛半人のミノタウロスの島クレタ島
イヨ姫を牝牛に変え 牛から人間の姿に変え・・・は、
クレタ島を見ると「ギリシャ側が角牛」で、「東半分が女」の形です。
タウマ Thauma族は海神、タウマは驚異的玉を意味していて、
豊玉姫や玉依姫は、このタウマ海神(ポセイドンの異名)の娘たちです。
ポセイドンは「見ること」および「目」を意味して、馬の神でもあります。
目をギリシャ語Ommaオンマというが、日本語の「御目」「馬」である。
木村鷹太郎氏は、100年昔に、こう唱えています。
9「邪馬台国」エジプト
イヨ姫はエジプトで国王の妃となって、エパポスを生み、幸福に暮らしました。
「魏志」倭人伝 訳文を掲示します。上記の神話と照合して下さい。
1 倭人は
帯方東南大海の中に在り、
山島によりて國邑をなす。もと百余國。
漢の時に朝見する者あり。今使訳通ずる所三十ヵ国。
2 郡より倭に至るには、海岸にしたがいて水行し、
韓國をへて、しばらく南し、たちまち東し、
その北岸の
狗邪韓國に到る。七千余里。
3 始めて一つの海を渡ること、千余里で、對島国に至る。
其の大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。
居所は絶島で、方四百余里可り。
土地は山険しく深林多く、道路は禽や鹿の径の如し。
千余戸有り。良田は無く、海の物を食べて自活し、
船に乗りて南北に市糴す。
4 又、南へ一つの海を渡ること千余里。
名づけて瀚海と曰う。一大国に至る。
官は亦卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里可り。
竹木叢林多く、三千許りの家有り。
いささか田地有り、田を耕せども猶食うに足らず、
亦南北に市糴す。
5 又、一つの海を渡ること、千余里にして末盧国に至る。四千余戸有り。
山海の水ぎわに居る。草木が茂盛し、行くに前が見えず。
人々好んで魚や鰒を捕らえ、水の深浅無く、皆沈没して之を取る。
6 東南へ陸行すること五百里にして、伊都国に到る。
官は爾支と曰う。副は泄謨觚・柄渠觚と曰う。千余戸有り、
世々王有るも、皆女王国が統属す。
郡使が往来するとき常に駐まる所なり。
7 東南へ奴国に至る、百里。官は兕馬觚、副は卑奴母離と曰う。
二万余戸有る。
8 東へ行くと不弥国に至る、百里。官は多模、副は卑奴母離と曰う。
千余家有る。
9 南へ投馬国に至る、水行二十日。官は弥弥、副は弥弥那利と曰う。
五万余戸ばかり。
10南へ邪馬壹国に至る。女王の都する所、水行十日、陸行一月。
官は伊支馬有り、次は弥馬升、次は弥馬獲支、 次は奴佳鞮と曰う。
七万余戸ばかり。
「魏志 倭人伝」の木村鷹太郎氏の「邪馬台国エジプト説」を証明するために、
イヨ姫にまつわる神話が備えられているかのように見受けられます。
そして、イヨ姫にまつわる神話はまだあります。
エジプトで生まれたイヨ姫の子エバポスは、ヘーラーの命によって、
クーレースたち(クレタ人)によって隠されてしまいます。しかし、
イヨはエバポスがビュブロス王のもとで養育されていることを知り、
子どもを求めてシリア中を彷徨
さまよい、遂にめぐり会いました。
そして、イヨが渡った海峡を、ギリシア語 Βόσπορος 、俗に 「牝牛の渡し」といいます。
今のトルコのボスボラス海峡、アジアとヨーロッパを隔てている海峡のことで、
こちらも、海上交易の要衝の地です。
また、イヨ姫が「牛」となって彷徨
さまようのは、
トロイア=トロアス=タウロス、
即ち、さまよえるトロイアの運命そのものです。
つまり、ここには、トロイア滅亡後、
トロイアの王子アイネィアスが彷徨した後に、イタリア建国を成した歴史
が重ねられています。
アイネィアスの母親がヴィーナスと言われていることはよく知られています。
この「双魚」がビーナス VenusとキューピッドCupidです。
それは、母マリアとイエスの物語となって三度めの登場となったのです。
イーリス(玉依姫)とヘルメス(ウガヤフキアエズ=アトラス)です。
このコンビは、エジプトではイシスとホルスであるといわれています。
それを解明する手がかりとなっているのが「ファイストス円盤」です。
イヨ姫が牛になったことは「ナルメル王」のパレットの最上部に記されています。
イヨ姫は、太古から、さまよいつづけていたということです。
イヨ姫が魚になったり牛になったりするのは、一代限りのことではないことが、
こうした、神話によって証しています。

ナルメル王のパレット 最上部
双牛の間に 禹 メネス(ミノス)王の印であり、その父祖 鯀
コン(大魚)の
印「ナマズと鑿
のみ」が記されてありますね。
鑿は「要石」をも表象しているのです。
そして「双牛」が描かれていますが、これらは、カドモスやゼウスやエウロパで
有名な彷徨する牛たちです。
シュメール トロイア エジプト ギリシャ エトルリア アトランティス 聖書の民
どれもこれも、行方不明です。そのすべてが、
ビーナスが「双魚」や「双牛」となってさまよったという神話で解けます。
木村鷹太郎氏は、また、次のように説いています。
イヨ姫の後裔のペルセウス及びヘラクレスの話は須佐之男命の話であり、
須佐之男命の記事の「安芸」は埃及Aegyptusの語幹Aegis 安芸である。
須佐之男命
スサノオノミコトを、
「牛頭
ゴヅ天皇」といい、モーセも「牛頭」で表わされました。
「古事記と日本書紀」の「埃ノ宮や可愛ノ宮」はエジプトのことにして、
美と愛の女神アフロディテーは 別名 可愛姫
えひめである。
「古事記」の「イヨ ニ名
フタナ」とは「イオニア」と同じく、
ギリシャ語で「魚二匹 双魚」という意味である。
ギリシャ神話の「イオ姫」の足跡を記念した名前であり「イヨ姫」は卑弥呼の
後継者「壹與」のこと、愛媛の「イヨ」に、その名を残したものと説いています。
「古事記と日本書紀」は「イヨの二名島」誕生の前に「淡路島」「淡島」誕生の
記事を置いていますが「アワ」と「誕生」で「海の泡から誕生したヴィーナス」を
示唆していると考えられるのです。
「古事記」に記されている「イヨのフタナ」は「二匹の魚」「双魚」の意であり、
イオニヤ Ionia もまた「魚二匹」という意味で、
この「魚二匹」とは、ヴィーナスとキューピットの星座神話に語られており、
「二匹の魚」は、その後、暴虐を逃れて東方へ逃げたと伝えられています。
それは天に揚げられて「うお座」となりましたが、星座においてこの二匹の魚は
「帯」でつながっているのです。
夏王朝の始祖 「伏義 女媧」「二匹の魚」の国の彷徨さきの一つが「中国」であったこと
「伏義と女媧」の絵柄には「伏義と女媧」が古くは魚であることが多いことから、
魚が蛇になり、巨大化したこともわかります。
「双魚」は、シュメールではオアンネスの象徴でした。
シュメールの正体と、どのようにして「双魚」が「伏義と女媧」になり、また、
「双魚」に戻ったのかを検証しなければなりません。

この「双魚」は、時代が進むにつれて蛇になるのです。
「ファイストス円盤」では、伏義と女媧の「双蛇」の途中「三巻半」で途切れて、
「両面で七巻」になっています。
これを眺めていた時に、私は、平安朝の女性歌人清少納言の随筆「枕草子」
に「同じ太さと長さの二つの丸太のどちらが男で、どちらが女か?」という
謎を思い出したことから解けた謎です。
ファイストス円盤のA面が女媧、B面が伏義です。

中国で「夏王朝」を語る上で欠かすことのできない「伏義と女媧」の解明にも、
「魏志倭人伝」やクレタ島出土の「ファイストス円盤」や「ギリシャ神話」
「聖書」「古事記・日本書紀」から「枕草子」まで研究の射程に入れなければ
ならないような、壮大ななぞなぞであることを解っていただけたでしょうか。
邪馬台国への行程の中心に位置するミノス王のクレタ島のファイストス円盤」に、
エジプトで人民を救済したヨセフやその息子たち、そして、モーセまでもが
刻印されていて、世界の古代史の要となっているのが「ファイストス円盤」です。
陳寿の「三国史.魏志.東夷伝.倭人の条」を読んで、
「帯方郡から邪馬台国」の行程が「ベネチアからペロポネソス半島、
さらに、クレタ島を経由してルクソール」までの行程とぴたりと一致するのを
検証してください。
・・・・・・・聖書の預言に関心のある方へ・・・・・・・
聖書の預言と隅の頭石ベンベン石と二匹の魚から辿る預言イザヤ書28章
14 それゆえ、あざける者たち、エルサレムにいてこの民(日本)を物笑いの
種にする者たちよ。主のことばを聞け。ここまでに、エフライム(ヨセフの子孫)に対して「恵穂葉神」が語られていました。
エルサレム問題を下敷きにして、酔いどれのエフライムの姿(今日の日本)を
描いています。
15 あなたがたは、こう言ったている。
「私たちは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。
たとい、にわか水があふれ 越えて来ても、それは私たちには届かない。
私たちは、まやかしを避け所とし、偽りに身を隠してきたのだから。」
16 だから、神である主は、こう仰せられる。
「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据えた。これは試みを経た石、
堅く据えられた尊い隅のかしら石である。
これを信じる者は、あわてることがない。
17 わたしは公正を、測りなわとし、正義を、おもりとする。
雹は、まやかしの避け所を一掃し、水は隠れ家を押し流す。
18 あなたがたの死との契約は解消され、よみとの同盟は成り立たない。
にわか水があふれ、越えて来ると、あなたがたはそれに踏みにじられる。
19 それが過ぎるごとに、あなたがたを捕える。それは朝な夕な過ぎ、
昼も夜も過ぎるからだ。このおとずれを聞きわきまえることは、
全く恐れ畏むことである。
20 床が短くて身を伸べることができず、かける夜具が狭くて
身をおおうには狭すぎるようになる。
これはエジプトのことで、エジプトだけでは、安心感を与えるには不足している
というと同時に、オシリスを想起させるように書かれており、
次に、エルサレムを始めに建てた王ダビデがイスラエルが統一した時のことを
想い起させています。
21 実に、主はペラツィムの山でのように起き上がり、・・・みわざは異なっている。
また、その働きをされる。その働きは比類がない。
詩篇118篇
19 義の門よ。私のために開け。私はそこからはいり、主に感謝しよう。
20 これこそ主の門。正しい者たちはこれよりはいる。
21 私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。
22 家を建てる者たちの捨てた石、それが隅の頭石になった。
23 これは主のなさったことで、私たちの目には不思議に見える。
24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。マタイ書 21章;
42イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家を建てる者たちの捨てた石が隅のかしら石になった。
これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』
43「だから、わたしはあなたがたに言います。
神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。」これは、「タビデの子にホサナ」が載っている詩編118篇からの引用です。
家(国)を建てる者たちは、隅のかしら石であるキリストを見捨てました。
キリストは、イスラ工ル滅亡を免れるラストチャンスでした。
イスラ工ルが神に立ち返って、神に従う最後の機会でした。
イエスがエルサレムに来られたとき、群衆は「タビデの子にホサナ」と叫び、
詩編118篇に「この日は主が造られた」と預言されていることを口々に
叫んだのですが、ローマ皇帝、ヘロデ一家、そして、宗教家たちと長老たち
によって最後のチャンスは失わされててしまったのです。
これは、今の日本への警告の預言です。
「
隅の頭石」は「角の頭石」とも書くことが出来ます。
エジプトのアメンエムハトのⅡ世の「ベンベン石」も、「盤古」として、
わが国のアイデンティティを物語ります。しかし、
日本の政治家や学者は検証しようとすらしません。
エジプトの更なる太古のナルメル王のパレットに「地震を押さえる要石」を描き、
4000年以上も後の子孫が、1万数千キロメートルもの彼方の神社で、
「地震を押さえる要石」を備えていること、これも「盤古」すなわち、
「アルファでありオメガである国」の記念物、フェニックス 不死鳥のシンボルです。
「ファイストス円盤」も「盤古」です。
ゼカリヤ書
10:4 この群れからかしら石が、
この群れから鉄のくいが、この群れからいくさ弓が、
この群れからすべての指揮者が、ともどもに出て来る。イザヤ書22章
22 わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。
彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。
(ここの箇所は黙示録3章7で引用されています。)
23 わたしは、彼を一つの釘として、確かな場所に打ち込む。
彼はその父の家にとって栄光の座となる。
24 彼の上に、父の家のすべての栄光がかけられる。
子孫も、すべての小さい器も、鉢の類から全てのつぼの類に至るまで。こうして、「
隅の頭石」は、「要石」であり「杭」であり「釘」でもあり、
それは結局「救い主」ともなることが預言されているのです。
「石」だけでなく 「陶器類」も含められていることに注意を払ってください。
そして、上記の聖書の預言を、よく読み返してみて下さい。