与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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1 与那国島海底遺跡の謎解き 

1 与那国島海底遺跡の謎解き

いざ与那国島へ

与那国島の透明な海
与那国島に、06年4月25日に行きました。

与那国島は、東京から約2000㎞のところにある日本西端の島です。
隣の石垣島からさえも約100㎞離れている絶海の孤島です。
そんな、最果ての島めざして飛び立ったのは、海底遺跡を見るためでした。

与那国島に到着すると、生まれて初めてのスキューバダイビングに胸を躍らせてとり組みました。
ウエットスーツを着込み、足ひれをつけて、重い酸素ボンベを背負って、インストラクターの指導を一言も聞きもらさないよう細心の注意を払って、与那国島の透明で暖かい4月の海に飛び込み、万事順調に進んでいましたが、・・・
耳が痛くて、とても6メートル以上は沈めませんでした。六十年前に患った左耳の中耳炎のことが頭をよぎり、とうとう、海底遺跡をこの目で見ることを断念して、海からあがりました。


でも、この夜、思いがけず、与那国島海底遺跡の発見者である新嵩喜八郎氏のお宅に招かれて、世界各国のテレビ局が撮影した「海底遺跡」の撮影ビデオを大画面で拝見しながらお話が伺えるという幸運に恵まれましたし、そのうえ、同じ宿には、木村政昭教授御一行も滞在中という幸運が重なりました。


早速、木村政昭教授に、気がかりなことをお尋ねして見ました。
ロバート・ショック氏の「神々の声」飛鳥新社1999年等を読みますと、「ロバート・ショック氏は、与那国島の海底遺跡を潜水して実見し、調査もして、“古代遺跡”ではなく、“岩に対する自然の働きの結果だ”と書き、“失われた地球規模の文明の決定的証拠を期待していたのに、それを、何も発見できなかった”と結論付けていますが、木村先生は、この発言について、どのように思われますか?」と。
すると、木村教授は、「今では、ロバート・ショック博士は、地質学会の公の場で“割れや節理だけでできたものではなく人工的な手が加わっている”と発表されていますよ」とのことでした。
しかし、ロバート・ショックは、未だに、日本の読者たちには、「知らぬ顔の半平衛」を決め込んでおられるようにお見受けしますね。



新嵩喜八郎氏の海底遺跡の発見
与那国の海は透明度の高さでは世界的にも有名で、変化にとんだ海底地形や回遊魚の群れるさまなどは水中撮影やウオッチングに適しているため、新嵩喜八郎氏は、ダイバーたちのためのダイビングポイントのマップ作りを思い立ちました。そして、新川鼻沖の海中に潜ったとき、海底で運命的な岩盤との出会いが待っていたといいます。

200メートルを越す岩磐のラインが規則正しく東西方向に延びているのを見て驚愕した新嵩喜八郎氏は、これが人工的な構造物であることを直感し、「遺跡ポイント」と名づけました。



海洋地質学者木村政昭教授の調査
この海底遺跡は、琉球大学の木村政昭の注目するところとなって、1992年の調査以来さまざまな角度から与那国島海底遺跡の探査を重ねてこられました。

     img012.jpg

「メインテラス」 木村政昭著「与那国島海底遺跡 潜水調査記録 P71」
撮影 琉球大学海底調査団  平城徳浩氏 


木村政昭教授は、「この与那国島海底巨石遺構は、中・南米にみられる階段ピラミッドに似た遺跡であり、人口的建造物である」と判断を下し、1998年、沖縄県の文化局に「遺跡発見届け」を提出する運びとなりました。


与那国島は隣島から100キロメートルの孤島   
与那国島は、東京から約2000キロメートル、
鹿児島から、約1000キロメートル、
沖縄本島から、約500キロメートルほど離れています。
隣島の石垣島からさえも、凡そ100キロメートル、
台湾からも約100キロメートルのところに位置する絶海の孤島です。

周囲わずか28、6キロメートルという小ささです。

このような場所に、ピラミッドのような海底巨石遺構が存在するというのですから、「太古に、何故、ここに」、という疑問を抱かざるを得ません。
第一に考えられるのは、黒潮の流れと、この立地条件こそが、「航海の中継地として、海のオアシスとしての価値が高かった」のではないかということです。
「古代に台湾 ⇔ 沖縄 ⇔ 日本間の交流があった」なら、ここで、水や食料を補給したり、船員の交代をするための重要地点だったにちがいありません。
「縄文時代に南方や沖縄諸島や九州、本州さらに北海道と間で交流があったことは貝や黒曜石が証明している」ことです。

両隣の石垣島や台湾からそれぞれ100kmも離れているという立地条件からみますと、地中海のクレタ島とサントリーニ島間がほぼ100kmであるという関係を想起します。

サントリーニ島は、およそ紀元前16世紀の火山大爆発で、丸い島が三日月状になったという大惨事に見舞われた島ですが、その厚く積もった火山灰の下から石造り三階建ての町並みや、船団で賑わう情景を描いた壁画が出土していて、サントリーニ島が、今から3600年以上昔、日本では縄文時代と呼ばれている時代に、海上交通の要衝の地として繁栄していたことが明らかになったのでした。
与那国島についても、その遺構の巨大さと精巧さからみて、ここが、重要な海洋キャラバンの中継地であり、建造者たちが相当な実力者だったことがしのばれるのです。



アトランティスを連想

古代に海底に沈んだアトランティスの情報源
海底にある高度な岩盤加工を考察する場合、プラトンの「クリティアス」と「ティマイオス」を参照しないわけにはまいりません。
古代ギリシャの哲学者プラトン(BC427~BC347年)の著作集の中の「クリティアス」と「ティマイオス」に書かれているアトランティス記事は、今から1万二千年ほど前に海底に沈んだという古代都市についての、ほとんど唯一ともいえる情報です。
プラトンは、その著「ティマイオス」で、この、消滅したアトランティスの情報源は、古代のエジプトのサイスのネイト女神の神殿の神官であると明言しています。
与那国島海底遺跡の構造と石切り技術には、ピラミッド文明を連想する巨大さと高度さがあるのですから、これを検証する場合、この「プラトンのアトランティス記事」を見逃しては通れません。


プラトンの記事によるアトランティス国の特徴
この記事に書かれたアトランティスの建設技術は目を見張るような高度なものであったことが、実に具体的に書かれているのですが、ここに必要最小限の項目を取り上げてみなす。

地の両極に拠点をもっていた。
運河を巡らせた港湾やドック、そして、トンネル内の大造船所などが完備していた。
船団を有し、各地からの交易でにぎわっていた。
艦隊と軍隊をもっていた。

上の項目のうち、「地の両極」という言葉を現代人は過小評価していると思います。
「地の両極」という言葉を文字通りに解釈すべきであるという見解についてはこのブログで順次検証していくつもりですが、その前に、・・・
古代エジプトのピラミッド建造者たちの、その技術力と幾何学知識の驚異的高度さを理解し、彼らが作った運河や迷宮を知るものなら誰でも、古代エジプト人にとって、地球を一周する船を建造することくらいいともたやすいことであったに違いないと考えるはずです。

山口県の岡村精二氏は、1977年に、厚さわずか9ミリメートルのベニヤ製の6メートルあまりの自作のヨットで、太平洋を横断してサンフランシスコに到着しました。
法制上、手漕ぎでは航海が許可されないので、ヨットのような見せかけをしていたそうですが実は、殆んど手漕ぎボートだったので147日間もかかったといいます。ヨットで行く場合は約90日間で着くようです。
今では、単独無寄航世界一周も少しも珍しくはありません。

ピラミッド製作者たちが、船を建造して大航海をして、世界を周航していた可能性はじゅう分考えられます。
第一、ギザのクフ王の大ピラミッドの傍の石室には、全長42.32m、全幅5.66mmもの大きさの杉板で作られていた船が、649のパーツに分解された状態で収納されていました。
ギザの大ピラミッド脇に立てられた博物館に行って、復元されて展示されているこの太陽の船の精巧さを実見した私は、クフ王の時代には、世界周航の船が建造されていたに違いないと感じました。
長さに比べて幅が狭いことから、「太陽の船」は双胴船(カタマラン)の片割れであると、私は推察しました
また、この幅の狭さとへさきの作りから見て、運河、暗渠を通り抜けるための構造であったと推測しました。


与那国島海底遺跡は、日本本土の古代史解明の手がかり?
わが国の縄文時代は、世界のあらゆる大文明から隔絶されて、隣国中国の文化からさえ、まったく影響を受けなかったといった歴史観が定着しています。
しかし、与那国島という絶海の孤島に、太古の巨大遺跡があるのです。
与那国島にぶつかる海流ハイウエは、まっすぐにわが国にも到着するのですから、その古代実力者のネットワーク圏内にわが国も位置していたかもしれないという可能性を考えないわけにはいきません。

沖縄産の貝が日本各地の縄文遺跡から出土することは、縄文時代にすでに交易をしていた証拠です。
縄文時代の遺跡から出土するヒスイのほとんどが新潟産のものであるということは、この時代に硬玉を加工する技術を持っていたというだけでなく、取引相手の身分証明に、この翡翠の産地を限定できるという特性を利用していたということすら考えられるのです。
中国の、斉家文化Qijia Culture出土の神像の中には、群馬県出土の縄文時代の土偶と瓜二つの物が出土しています。
斉家文化とは、紀元前2400年頃から紀元前1900年頃にかけて存在した新石器時代末期から青銅器時代初期の文化ですが、そこからは、クレタ島のミノタウロスを象ったと思われるフィギュアがたくさん出土しています。
またクレタ島出土の紀元前1700年頃の卵殻陶器 eggshell potteryや Pyrgosスタイル陶器は、高度な技術で焼かれた大変珍しい陶器ですが、中国の龍山文化Longshan culture(BC3000年~2000年頃)の黒陶が非常に似ています。

古代文明のさまざまな未解決の謎が、こうした海底遺跡の研究によって解明できるかも知れないという意味でも、与那国島海底遺跡は大変稀有な遺跡だといえます。

現在の歴史学の年表に割りふれないとして、「自然現象として片付けよう」としても、与那国島沖の「巨石構造物」は、日を追う毎に「人工構造物」であるという証拠をあらわにしています。
今後、3Dソナー機器や水中ロボットの発達によって、さらに驚異的な発見が加わることでしょう。


素人の考古学研究者たちが、アカデミックな専門家たちにさきがけてこの巨大テーマによる知的冒険ができる千載一遇のチャンスです!



与那国島の海底遺跡についての詳細


与那国島海底遺跡の現状、保護のあり方
http://www.sof.or.jp/jp/news/101-150/103_2.php

海底遺跡の真価
http://www.pref.okinawa.jp/summit/jp/tokusyu/ruins1.htm


沖縄県与那国海底遺跡博物館
これは、与那国島の海底遺跡を発見された新嵩喜八郎氏のホームページです。


動画 youtube
http://www.youtube.com/watch?v=-wirSWjX2vQ
http://www.youtube.com/watch?v=5swzfKJJl5c



2012年6月30日追加

石原東京都知事様
尖閣諸島の買収のついでに、「与那国島海底遺を世界文化遺産に」という目標の実現にむけての準備としての、立神岩周辺の海底の「人面岩」の3D調査をするよう働きかけてくださいますようお願いいたします。


潮や光などの好条件のときに、高性能、かつ、立体映像用カメラで撮影して詳しく調査していただきたいと思います。3Dスキャナーでの画像も撮って、与那国島海底遺跡が一刻も早く「世界遺産」に認定されるようにしたいものです。
なぜなら、与那国島海底遺跡が「世界文化遺産」に認定されるには、これが遺跡であるという証拠の人工の遺物が必要不可欠なのですが、このモニュメント1個で、その条件を十分に満たすからです。そうすれば、あの与那国島海底の構造物わけてもスタジアムようの遺構なども遺跡であることの証明となるのです。



動画
http://www.youtube.com/watch?v=YBZvAsxcnzI&feature=player_detailpage

2行にわかれていますが、1行にして、検索してください。
なお下の記事名で検索することもできます。

Yonaguni: Built By Ancient Aliens Over 10,000 Years Ago!
(Written by Administrator on Saturday, 12 February 2011 )
これは、与那国島海底遺跡にあるスフィンクスに似たモニュメントです。
海外メディアで取り上げられたこの驚くべきニュースについて、日本側のメディアはなぜ沈黙しているのでしょうか。

わたくしは、この映像の出ている記事のURLを張っていたのですが、そのURLが消滅したりなど、不都合が生じましたので、とうとう、自分でこの写真を掲載しました。

与那国島海底スフィンクス

この映像が偽物であるかどうかを検討するにあたって、「黄とんぼ」グループのホームページの「大地 舜の与那国報告 与那国の海底構造物(2)」
http://www.kitombo.com/gimon/1223.html

同じく「黄とんぼ」グループの「与那国島調査報告-人面岩 権藤正勝」
http://www.kitombo.com/new/yonaguni/04.html

に掲載されている「立神岩ポイントの通称モアイ像」といわれている岩の写真などと、上記の画像とを照合し、自分で画像解析をした結果、この画像がもたらす情報、即ち、ライオンの鬣が彫られているということは確かであり、これは、人工の構造物であり、文化遺産であると判断いたしました。
わたくしは、与那国島で、自らの目でこれらの海底構造物を確かめるべく、潜水装備一式をつけてチャレンジしましたが、あいにく、上記のごとく失敗に終わったのは誠に残念でしたけれども・・・。

海洋政策研究財団のホームページにも、「イースター島のモアイ像を思わせる高さ7ー8mの人面岩が立っている。水中ロボットを用いて、これを再調査したが、横からみると、髪を長くのばした人か、羽飾りのついた帽子をかぶった王の顔のように見え、全体がスフィンクスのように見えることが確認された。」という木村政昭氏の記事が載っています。

与那国島海底遺跡の現状、保護のあり方
http://www.sof.or.jp/jp/news/101-150/103_2.php


本格的な調査によって、与那国島海底遺跡が「世界文化遺産」に認定されるよう願っております。

また、こうした、与那国島海底構造物が、日本民族とは無縁の人々が造ったものだなどというばかばかしい推論も成り立たないことは、与那国島の「立神岩」が誘導して瀬戸内海の淡路島の「上立神岩」へと案内し、そこで、竜宮城の表門と「古事記」の国生みへいざなっていることでも立証されます。
「立神」という名の岩礁は、全国で30ほどもあるのですが、沖縄県、奄美大島諸島、トカラ列島、大隅諸島・・・と、琉球弧から九州にかけて集中的に存在していて、「黒潮」ルートに沿って整然と分布しています。そうして、九州で分岐して、片方は、瀬戸内海の淡路島の「上立神岩」へ誘なって「古事記」と連動し、もう一方は、丹後半島の冠島の「立神岩」へと誘なって「風土記」とリンクしています。


太古の日本民族は、おそらく、前代未聞の火山噴火(いまから7300年前に九州・屋久島近くの海中で起こったアカホヤ噴火?)で、この列島から避難して、遠く地中海に、南北アメリカ大陸にと、居を移して活路を見出したことがあったと考えられるのです。
日本に、与那国島の海底にライオンの鬣をつけた人のモニュメントがあるのはそのためでしょう。

沖縄に今日なお伝わっているシーサー、そして、本土の狛犬のルーツであると思われます。
日本においては、太古の歴史は「死滅」しないで、こうして連綿と生きているのです。

皆様、「与那国島海底遺跡を世界文化遺産に」という運動を進めようではありませんか。

それにはまず、この岩を3D撮影して調査することから始めなければなりません。
学者や政府に期待しても100年かかります。
石原都知事様、一刻も早く、その、行動力を発揮してくださいませ。

2012年6月30日挿入部分終わり



「浦島太郎から辿る」という題でこのブログを書き始めた理由は、浦島太郎が「玉手箱」を空けてタイムスリップをするお話は、「日本」の歴史そのものをタイムスリップさせる「証」が世に出ることであり、これが、わが国に神宝がある理由だと思っているからです。
言い換えますと、玉手箱を開けると翁となってしまうという話は、日本という国が、玉手箱の蓋を開けて神鏡を見ると、「開けてびっくり」、実は「老国」であるという証拠がでてくる「タイムカプセル」であると推理しているからであり、日本と地中方面との間のタイムトラベルをうながす高次元の物語であると思っています。

わが日本は、世界に類例を見ない、歴史ロマンの遺産を受け継いでいるのです。「ダヴィンチ・コード」などとは比較にもならないような歴史ロマンの種が私たちの足元にごろごろしています。
みんなで、足元を見直しませんか。



浦島太郎から辿る

「与那国島海底遺跡の謎解き」の目次
目次の項目をクリックすると、記事をご覧になれます。


1  与那国島海底遺跡の謎解き   このページです。 
2  与那国島海底遺跡と竜宮城
3  浦島太郎トアトランティス
4  浦島太郎と彦穂々手見命
5  クレタ島の粘土板に彦穂々手見命が
6  浦島太郎の蓬莱山の謎                   
7  淡路島の上立神岩はおのころ島



「古事記」神話の謎解き

 8 世界図TOマップの謎
 9 エデンの園と伊邪那美命の国生み神話
10 四国はスフィンクスのモデル?
11 アダムとイヴと「古事記」神話



「日本のアイデンティティー」の謎 
 「日本」の国典と聖書とギリシャ神話を重ねると・・・

12 御神輿と契約の箱
13 日本のアイデンティティー
14 賢木と命の木
15 神の国の門
16 七つの封印の書物
17 二十世紀のミレニアム戦争と日本
18 24ヶ月間踏み躙られると予言された国
19 神の栄光と審判が顕われる!
20 御名を尊ばずにはいられない
21 大いなるバビロンへの審判
22 守護神への帰依



神の国を明かす日本側の証拠

23 三輪神の正体
24 三輪の神の謎とギリシャ神話
25 三輪の神とクレタ島のミノア文明
26 住吉大社の謎 天の平瓮
27 住吉大社の謎 後代のしるしのための船 
28 住吉大社の御本地は?
29 オリオンミステリー
30 出雲大社の謎
31 オリオンとシダリヲ
32 天照大御神の御神宝
33 神宝はタイムカプセル?
34 国難と神宝の洗い直し
35 国難と蟻通しの謎
36 蟻通しの難題とファイストス円盤


日本国の歴史とアイデンティティーに関する、難解なテーマに挑戦して、市井の素人の私があれこれ口を挟むのは僭越に過ぎるようですが、歴史家や、神学者の方々に、また、一般国民の方々に検証を呼びかけたいという思いで、このブログを書いています。






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コメント
先日は訪問頂き有難う御座いました。
拙宅が不意の天災に見舞われ、こちら様への訪問が遅れてしまいました。大変申し訳なく思います。
乱文になりますが、ご挨拶にかえて、コメントを入れさせて頂きます。
私自身、不思議なのは、エジプトのクレオパトラという女王の存在を学校で聞いた時も、邪馬台国に卑弥呼という女王がいたと聞いた時も、心の内に自然と合点してしまうものがあったことです。古事記には天照大神という神が語られています。その神も当然のように女王と呼ばれる者と、私のなかでは勝手に理解されてしまっています。
太陽信仰という括りになるのだと思いますが、考えてみれば、エジプトと日本と、時も所も隔たっていながら、大きな共通項を持っていることになります。
邪馬台国はエジプトのこと、~ ~ ~ そのことばには、非常に啓発されました。そこから色々と考えが勧められることが出来る気がします。

これから、時間を掛けることとなってしまいますが、こちら様への訪問は楽しみとなりました。宜しくお願い致します。
2010/04/02(金) 12:47 | URL | 五節句 #-[ 編集]
Re: 先日は訪問頂き有難う御座いました。
ご訪問、そして、私のブログの紹介記事をありがとうございます。

> 邪馬台国はエジプトのこと・・・・・そこから色々と考えが進められることが出来る気がします。

嬉しいお言葉、ありがとうございます。とても励みになります。

私が、五節句様のブログを知りましたのは、「暗号 山上憶良」の村上通典様のコメント欄がでした。ですから、五節句様の「重陽の節句を祝う」というブログ記事の中で、「こどもの歌」を拝見したのが最初でした。その、次の記事を見て驚きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/38696212.html


銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
銀 (しろがね) も 金 (くがね) も 玉 (たま) も 何せむに まされる宝 子にしかめやも
神龜五年七月廿一日 於嘉摩郡撰定 筑前國守 山上憶良)

原文では、古尓斯迦米夜母 ~ (子にしかめやも)、と、子 ー 歌の意味に於いて 最も大事なところ に、古 の字が用いられています。


私の着眼点と同じだったのです!

ただし、私はこの「古」を「古事記」の「古」とったのでした。
すなわち、日本或は世界には「金銀ダイヤモンドに匹敵するような歴史書や歴史があるが、この世でさらなる宝は「古事記」で顕される世界史であるととったのです。
それが大切な子(国民)に与えられる最高の教科書である・・・と。


と、申しますのは、ご承知のように、きわめて正体不明の「古今伝授」なるものがわが国にはあり、これを研究しますと、一子相伝、書き残してはならないとかなんとかの厳しい決め事を破って、書き残したものが2,3見つかりますが、もとより、そんな大切な規則を破るような方々には、真の奥義は伝えられてはいなかったと仮定して読んで見ました。
それでも、何も知らない私たちから見れば、驚くべき内容でしたが、腑に落ちないのは、
古今伝授の科目のうちに、
「日本書紀」はあって「古事記」はない。
「古今集」はあって「万葉集」はない。
「源氏物語」はあって「枕草子」はない。・・・と言った点です。

そこで、わたくしは、この「無い」本をも読んで照合することこそが重要であると、勝手に解釈し、しかも、「無いほうの本」こそがより重要であると仮定してみました。

そして、紀貫之が「古今集」の序で言っていますように、大和歌には、一首に六面の要素を重ねることができると強調していますので、この「こ」には「粉」即ち「砂鉄」即ち「玉鋼」の意味が含まれていて、古のわが国の全盛期、すなわち、金銀時代の基盤は「たたら鉄産業」だったことを暗示しているのだと思いました。

そして、天武天皇が、「古事記」を編纂させたのは、このままにしておくと、わが国の歴史が後の代に伝わらなくなるという危惧からであると、太安万侶の序に書いてあります。
そして「和銅」銭の乱造時代の幕開けと同時に「古事記」が出来上がりました。

人々が、銭を中心に廻る時代に突入したのです。すると、歴史よりも、伝統よりも、金銭をありがたがりますと、金銭については数段上手の中国語や韓国語の方々の支配下に陥ってしまうので、わが国の歴史は完全に抹殺されてしまうと、先人たちは危惧していたのだと思います。

フxギュア・スケートと金
五百人以上の養子縁組をして、こども手当てを請求した○人
万博テーマソングの無断丸ごとパクリ事件  
最近のニュースを、ちょっと見ただけでも・・・金至上主義の国には、金では太刀打ちできません。


当時も、金銀銅の権利の頂点の座を巡って、天皇家の政略結婚と謀殺が熾烈となっていたようですから、「古の天武天皇の時代の方がよかった」との五節句様のお説のとおりで、

この国の礎となるべき、国家思想 (大和心) の真髄を文書化することに渾身の力を込めた文人の一人であったならば、国主の頭が理想に向かっていた と信じられる その時代こそが、宝の様な時代だと思うのは、道理にもかなう と、私は思います。という五節句様のご見解は正鵠を射ていると思ったことでした。


山上憶良の唐からの帰還の歌も、「唐」からの莫大な金銭協力の要請という無理難題を切り抜けて国家的使命を果たしてきたという同朋愛を吐露した歌だったと思われます。


トンチンカンな返事かも知れませんが、目指す道が同じのように思えましたので、これからもよろしくというご挨拶までに。
2010/04/24(土) 23:30 | URL | 「考古学の再検証を!」 提唱者 #-[ 編集]
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