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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

54 ツタンカーメンは倭人

93 ツタンカーメンの謎 1

土曜プレミアム「独占解明!誰がツタンカーメンを殺したのか!? 謎の少年王・悲劇の生涯」
2012年8月11日(土)フジテレビ の上記の番組を見ました。

ツタンカーメンの死因 最新の情報

山本正二・高野秀行医師が、5195枚のCT画像を解析して下した「死亡時画像診断」
ツタンカーメンの死の真相を解明するのは、おなじみの元エジプト考古庁長官ザヒ・ハワス博士。しかし、今回は、世界的にトップクラスの日本の死亡時画像診断(通称AI)技術を駆使して、その死因を究明する!というものでした。
それは、まるで、アメリカドラマの「CSI科学捜査班」や「BONES」の世界!!

世界に10台しかないアメリカANATOMAGE社の最新のAIがスタジオに登場、
最近は、AIを使って、遺体を解剖せずに死因を解明する方法が進んでいるとの説明がありました。
そのAIのエキスパートである山本正二・高野秀行医師が、今年5月、東京で、独占入手したツタンカーメンの5195枚のCT画像を「死亡時画像診断」した結果の所見を発表したその内容で、下記のような診断内容した。

 全体の状態は骨だけでなく軟部組織も残存しており、左足ひざ関節がポイント。
 これは高原骨折と呼ばれる特殊な折れ方、
 内反足の影響で膝が内側に曲がったと推測される。
 
 さらに、ほお骨の下の穴など13ヶ所にもわたる不可解な傷を発見、
 これらの傷跡は、現代の交通事故による損傷によく似ている。
 
 ツタンカーメンを死に追いやったのは、チャリオットという戦車に乗って疾走中の、
 突然の強い衝撃が原因とおもわれる。

チャリオット 
ツタンカーメンのチャリオット

という「死亡時画像診断」。そして、ツタンカーメンを死に追いやった一部始終をCGで再現していました。


これは、まったく予期せぬ展開で、いささか驚きました。
海外でも、もちろん、最先端科学の装置で「死亡時画像診断」がなされたことがあり、
それらは、ザヒ・ハワス博士の立ち会いのもとで調査されており、
その都度、テレビやインターネットで逐一その成果が発表されています。
しかも、2頭の馬が引くチャリオットという戦車から落ちた後にマラリヤで死んだという診断が、
既に発表されています。

しかし、その、ザヒ・ハワス博士も、大いに満足された最新の診断が、
この山本正二氏と高野秀行氏が13か所もの傷や骨折を見出だして、これを解析した診断なのです。

山本正二氏と高野秀行氏の診断から
このツタンカーメンのミイラの別名を想定することができました。
このミイラは、アキレウスのものだと思います!!!


ホメロスの「イーリアス」の冒頭
ホメロスの「イーリアス」と「オデュッセイア」は、一筋縄では扱えない高度な技法を駆使して書かれているように思われます。
「イーリアス」の最初の行は次のようになっていることが、わtがくしの長年の疑問でした。

  怒りを 歌いたまえ、ムーサよ、
  ペーレウスの息子アキレウスの怒りを……

ホメロスが、「イーリアス」のこの最初の一行で、「トロイ戦争の発端を、アキレウスにダイレクトに結び付けている」のはなぜ? この書き出しはわたくしにとって大きな疑問点でした。
「イーリアス」は、トロイアの国と王家の壊滅のいきさつを書いている叙事詩であるはずなのに、主人公がアキレウスであるというのはおかしな話です。

次に、トロイ戦争の原因が、アキレウスの父母のペーレウスとティティスの結婚式にあるという不思議があります。
この婚儀が原因で、ヘスペリデス(不死の庭園)の黄金の林檎(世界樹のシンボル)をめぐって、殊にヘーラー、アテーナー、アプロディーテーの三女神による激しい対立が起こり、これに神々全てが巻き込まれる争いに発展したと語られています。
また、この戦争の要因となった重要人物が、トロイアの王子パリスまたの名アレくサンドロスであるというのも謎です。

この「アキレウスの父母のペーレウスとティティス」が、エジプトのファラオと王妃であったという新事実が浮上するのであり、それなら、現実の世界史とかみ合います。
しかも、アキレウスの父のペーレウスとは、トロイア王を兼ねていたということも浮上するのです。

黄金に埋もれていた若きエジプト王ツタンカーメンがアキレウスであれば、ホメロスの「イーリアス」の冒頭がアキレウスで始まり、「イーリアス」の主人公がアキレウスであるという不可解な構成の謎が一挙に解決できます。
それは、ツタンカーメン=アキレウスは、実はトロイアの王子パリスまたの名アレキサンドロすでもあったということが隠されており、だからこそ、「イーリス」の主人公たりうるのです。


トロイア戦争という悲劇は、大体において、今日でいうところのアジア、ヨーロッパ、アフリカ勢の富や資源をめぐる覇権争い、即ち、世界大戦であることを意味しています。
トロイア戦争を以って、後期青銅器が終わり鉄器時代の世の中になったと言うのが定説ですが、ヘシオドスは「神統記」の掉尾を、オデュッセウスとアイネイアスのイタリア建国で飾って終えています。

我が国の「古事記」「日本書紀」の神代巻も、神武天皇(イワレヒコ=イウレウス即ちトロイアの王子)と稲氷命(アイネイアス)の海原(ウンブリア)などのイタリア(足一ツ騰宮)の建国で終えているのです。
その直前に詳しく書かれているのがアメワカヒコの死にまつわる記事なのです。そのときに、アメワカヒコに瓜二つのアジスキタカヒコネが出てきますが、これが、あの有名なアレキサンドロスつまりアレキサンダーの祖先なのです。
アメワカヒコとアジスキタカヒコネは別々に育てられていましたから兄弟であるとは知らなかったという設定で書かれていましたが、どちらもゼウス即ち「雷神」と呼ばれていた一族です。
葵祭で有名な上賀茂神社の祭神は賀茂別雷です。その母の玉依姫は、玉依姫の父の賀茂建角身命と一緒に賀茂御祖神社(通称下鴨神社)に祀られています。玉依姫とはイーリス即ちトロイアのことです。

ゼウスは、日本では大物主と言われていて、「赤い矢に化けて勢夜陀多良比売のホトを突いたら子供ができた」という記事は、ホトはヘテ即ちヒッタイトのこと、赤い矢とはかのアカイヤのことです。
勢夜陀多良比売とはトロイアを暗示しています。そして、この間に生まれた賀茂別雷とは、アジスキタカヒコネにほかならず、ツタンカーメンの兄弟です。
アジスキタカヒコネは、「古事記」で、アメワカヒコの妻の下照姫が、謎詩でミスマルノ玉に関係づけていますので、神宝の首飾りを持ってトロイアを脱出したアイネイア(稲氷命)であることがわかります。
では、オデュッセウスは?といいますと、彼も同じです。
オデュッセウス=ゼウスがヒッタイトを終焉させて、イタリアのトスカーナで大規模の鉄鋼業を始めたいきさつが浮かび上がるのです。ヒッタイトの製鉄を永年隠したのと同様に、次の製鉄所エトルリア=トスカーナ(トツカの剣)を隠さねばならなかったために、このような複雑な戦略と物語の構成が必要だったのです。


トゥト・アンク・アメンの足とアキレウスの腱

アキレウス
海の女神テティスはアキレウスを不死身にするためにスチュクス河に浸したのですが、くるぶしのところだけが不死身ではなかったといいます。
それは、アキレウスは完璧であったが、足のくるぶしに弱点があったということのレトリックです。
戦争で陣頭指揮をとらなければならない王族として、足に弱点があれば、出陣しなくてすみますから、ある意味で「不死身」なわけです。

テティスは、アキレウスがトロイア戦争に加わると命を落とすことを予言し、アキレウスをスキューロス島に送り、女装させて王女たちの中に紛れ込ませて隠しました。
しかし、どうしても、この戦争に彼を引っ張り出したかったオデュッセウスは、行商人に化けて、珍しい商品をとり揃えてスキューロス島に出向きました。女性用の品々に興味を示す王女たちと違って、偽王女のアキレウスのみは、短剣などにしか目を向けないので、その正体がばれてしまったとホメロスの「イリアード」は記しています。
それはまた、王女と見まがうばかりのスレンダーな体型だったことを証言しており、ツタンカーメンの肖像画と一致しています。

こうして、トロイア戦争に引っ張り出されたアキレウスは、テティスの予言どおりに戦死します。

アキレウスは、トロイアの王子ヘクトールを倒し、その遺骸を戦車で引きずります。
その後、アキレウスはイーリオスのスカイア門の前で戦っていましたが、急所のアキレス腱をトロイアの王子パリス(一説によると彼の暴虐に憤ったアポローン)に射られ、瀕死の重傷を負って倒れましたが、しかしアキレウスは再び立ち上がり、イーリオス勢を追い回したのち、ついに予言どおり死の運命を迎えます。

足に弱点のあるアキレウスは、戦車で行動したと考えられます。足には勿論、防具のすね当てやくるぶしカバーもついていたことでしょう。ですから、矢が直接足を貫いたわけではないので、足に矢傷がみられないのでしょう。
アキレウスの足の頑丈な防具を射て壊したり、疾走する戦車チャリオットの馬を射たりすると、あのような足がぽっきり折れるような「交通事故的」な衝撃が生じると考えられます。

「瀕死の重傷を負った」のちに「再び立ち上がり、イーリオス勢を追い回した」というのは、英雄に対する美辞でしょう。


ツタンカーメン展が今、上野の森で開かれています。ツタンカーメンのどの像も、王女に見まがうものばかりですから、女装したアキレウスを想像してみるのも一興です。




ツタンカーメンの素顔

国立科学博物館の坂上和弘氏によるツタンカーメンの復顔
世界的な人骨の権威である国立科学博物館の坂上和弘博士が、ツタンカーメンのCT画像から復顔に挑戦。
そして、復顔完成のそのツタンカーメンのお顔は、・・・予想した通り、まるで日本人でした!!


ブログ「マイコのHAPPY LIFE エジプトevery day」
http://blog.livedoor.jp/maimitsu/archives/51992910.html
のマイコ様のご厚意で、下の2枚の写真を掲載させていただきました。
マイコ様ありがとうございます。

ツタンカーメン 復顔

ツタンカーメン 復顔2

このブログで、何年も前から、「ツタンカーメンは日本人、すなわち倭人である」と言い続けてきたわたくしにとって、8月11日(土)フジテレビ の、土曜プレミアム「独占解明!誰がツタンカーメンを殺したのか!? 謎の少年王・悲劇の生涯」 の内容は、今までのツタンカーメン関連番組よりもはるかに意義のあるものでした。
3400年の時空を超えて、直接本人の「骨は語る」のです。「私は倭人、日本人ですよ」と。

わたくしは、カイロのエジプト考古学博物館で「八重の入れ子になっているツタンカーメンのお棺と厨子」の木工細工と金箔の技術など、おびただしい細工をじっくり拝見しました。
こうした驚くべき巧みな技も、「日本の技術である」と、語りかけてくれました。
たとえば、テーベに残されている壁画ののこぎりは、西洋流の「押す」ものではなく「引く」ものなど・・・です。

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コメント
ご無沙汰しておりました(^^ゞ
夏バテでふせってました((+_+))
ツタンカーメン展も暑さのせいで断念しました。
でも、この番組は見ましたよ。 現代の科学分析はすごいですね。
テレビでエジプト人のタレントが、現在のエジプト人は宗教上等の変遷で、
ピラミッドやファラオなど自分たちのルーツとは別物と思っているような事を言ってましたよ。 
その時に手鏡の形を見て、アンクだと思い、またそれが日本の神棚に祭ってある神鏡だと思ってしまいました。今のエジプト人より、日本人の方がフィーバーしているのは、やはり血のつながりのなせるわざ?
2012/09/11(火) 22:37 | URL | シーター #-[ 編集]
Re: ご無沙汰しておりました
> 夏バテ・・・

シーター様、いかがですか?体調は良くなられましたか?
今年の夏の暑さには参りましたね。わたくしも、人生最悪の体調でした。
いつもいつも、お気遣いくださって、ほんとうにありがとうございます。
少し、元気が出ました。


> ツタンカーメン展も暑さのせいで断念しました。

行って見た方のお話ですと、「ツタンカーメン展」とは言えないような随分手抜きな内容だったそうですよ。
エジプト側と日本側の「素人騙しの金集め企画」・・と、怒っておられました。わたくしも、行くのをためらっています。


> でも、この番組は見ましたよ。 現代の科学分析はすごいですね。

本当に、すごい!! 最先端の機械で、「死亡時画像診断」をした医者が日本人で、診断をされたツタンカーメンも日本人!! これは、よく考えてみると、実に不思議な歴史的大ロマンを感じる内容でした!!


>日本人の方がフィーバーしているのは、やはり血のつながりのなせるわざ?

「血は水よりも濃し」とはこのことですね。
よく、エジプトのファラオたちは「自分の死後」のために、ミイラや財宝を墓地に保管したというのが定説ですが、自分の後生のためのように見せかけてはいますが、日本国民の「後の代、後の世」のために始めたことなのです。数多くのファラオの中には、勿論、今の学者の定説と同じ信条の王もいたと思われますが、「ツタンカーメンを埋葬した「預言者たち」は、真の目的を遂行した人々でした。
そのために、それらの預言者たちが目論んだとおりに、日本人たちによって、親近感を持たれ、日本人によって、その出自が明らかになり、ツタンカーメンの遺品の数々が、私たちの先祖の雄図を物語るものとなっていることを悟ることができるのです。

ツタンカーメンは天若彦で、その妻の下照姫が、謎詩で詠った「おとたなばたのうながせる玉の御すまる」は、シーター様にさし上げたあの写真の五色の糸で幾重にも封印された袋の中の玉手箱に入っているのですよ。
これが、開かれたときに、○ダヤ、○ダヤと言っていた人々すべてが、わが日本国の足下にひざまづき、そして、世界平和が実現するのです。わたくしは、この預言「ヨハネの黙示録」を信じます。




2012/09/17(月) 01:37 | URL | 「考古学の再検証を!」 提唱者 #-[ 編集]
No title
木工細工、金箔、・・・日本の伝統的な工芸は、全く、西洋のものとの違いが無く、唐草文様など、シルクロードから伝わった と、そんな風に学校では習いますが、元々、日本独自にもつくられていたように、私も思います。
19世紀末のアールヌーボーという芸術は、とても、東洋的な趣があります。 スコットランドのチャールズ・レニー・マッキントッシュという人の家具や窓の装飾は、日本家屋の障子を模したような、格子柄なのですが、単刀直入に言って、その国や、ヨーロッパの国々の人々は、元々日本人と同種、同類だったのだ と、考えた方がいいのだと思います。

シルクロードから伝わった、江戸時代の日本のものが、開国後、海を渡った、パリ万博で、印象派の画家達の目に止まった、等々と云われても、今一つ納得出来ないものがある ~ ~ ~ 、元々、日本人のもの、そう考える方が、俄然、気持ちがしっくりします。
2012/10/06(土) 16:27 | URL | 五節句 #-[ 編集]
Re: No title
五節句様
返事が大層遅れてすみません。
わたくしの無礼をシーター様から叱られてしまいました。
ほんとうに、私の大きな欠点です。
テーマが大きすぎるとあれこれ考えて、思い迷って、彼方を放浪してしまうのです。
それに、ここのところ、尖閣列島、竹島問題、ジャパンパッシング、原子力発電所、災害復興遅延・・など、思うことが多すぎて、頭の痛いことだらけです。


日本の伝統的な工芸や技術に関しては、ピラミッドのエジプト時代の昔から、和風という特徴を備えたものが結構あります。例を挙げていたらきりがないくらいです。
サントリーニ島のおよそ3600年昔の灰の下から出土した陶器や壁画は、和風そのものと思えるものが多かったゆえに、「魏志倭人伝」の「「倭は帯方東南大海の中に在り。山島に依て國を爲す。渡海千里にしてまた國有り。皆倭種。(渡海千里にしてまた國有り。皆倭種。)」は、クレタ島の隣、千里、即ち、100kmほど離れたサントリーニ島(テラ島)のことだと、すぐ、ひらめいたのです。

ということは、この魏志倭人伝を書いて謎かけした先祖たちは、3600年も後の子孫が「倭種」の特徴を遺していることを予見していたということになります。
つまり、DNAのパワーを知っていたのですね。

わたくしの娘は、19歳で海外にわたり、白人のもとで建築デザインをしていますが、千葉育ちで、受験々々で、殆んど文化らしいものに触れないまま渡ったにもかかわらず、作品はすべて「日本的」と評価されるので、不思議です。
彼女の無二の親友は、黒目黒髪のイタリア人で、趣味や考え方が合いますし、フランス人で、食べ物や食器や家具の趣向が一致する友達がいます。
元々日本人と同種、同類だった?遺伝子のせいでは??・・と思う時があります。

そして、今、日本のなかで、和風が少しづつ消えていっている面があることも事実です。生け花、庭、生活空間などに・・

せっかく、コメントをいただきながら、本当に、すみませんでした。

 

2012/11/13(火) 18:47 | URL | 「考古学の再検証を!」 提唱者 #-[ 編集]
すみません、というおことば、恐縮です。
私の方も、ブログの更新や、こちら様への訪問など、けして、頻繁ではありませんので、気持ちの何処かには、申し訳ないものがあります。
シーター様も、過日には、態々、私の名を挙げて、名誉なコメントを下さり、大変、感激しております。

クボ・コウ様も、シーター様も、お元気になられたのですね。あらためまして、又、今後とも、宜しくお願い致します。

以前もコメントしましたが、尊敬申し上げる、クボ・コウ様が、ここに書かれておいでのことは、私は全て、正しいと思っています。
自分が、只愉しいと感じて考えを進めていることでも、人によっては、馬鹿馬鹿しいと、侮蔑の念を抱く人もいる、
私も、考察の傍ら、そのような人達のことを気に掛けることもあり、又、日本が、いつかしら、変わってしまった、ということを、思うこともあります。

古代の歌や遺跡のことを考える時、大和朝廷や天皇のことを知らぬ訳には行きません。 私は、日本の伝説も大好きです。
どの位前のことか憶えていませんが、‘天皇の匂いのする奈良には住みたくない’、ということばを雑誌で見たことがあります。
「橋のない川」の著者、住井すゑ、さんの口癖だそうです。
その人々にとっては、日本の歴史や国の始まり、古事記という本などは、全く、どうでもいい、出来れば、この世から消失して貰いたいものであるに違いありません。
そういう人々と、同じ出自の人が、大阪の府知事や市長の椅子に座っていたのだということを、最近、知りました。

日本も、変わってしまう筈だと、思いました。

黒人が米国の大統領になる時代ですし、全く、世の中のビジョンが変われば、歴史の捉え方迄、変わってしまう訳です。

私は、ですから、ますます、こちら様で学んだことを自分なりに、一生懸命、研鑽して行かなければいけないと思っています。 それは、もしかすると、けして、遠くない時期に、消えてしまうものであるかもしれないからです。

何分、力不足な処もあり、残念ではありますが、でも、本当に一生懸命、頑張ります。
2012/11/15(木) 18:19 | URL | 五節句 #-[ 編集]
ファンになりました。
なにとぞよろしくお願い申上げます。
2012/11/19(月) 21:36 | URL | 親魄(にきたま)に逢う蔵書 #v1uso1mw[ 編集]
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