101 神国というタイトル 日本は「神国」というタイトルを持っていた「日本は
神国」と1千年以上の間、日本人は伝承し続けてきました。
このような国は、他のどこにあるでしょう。インドにも中国や韓国にも、こうした伝承は残っていません。
「日本書紀」巻九「神功皇后の条」にも、「吾聞く。東に
神国有り。日本と謂ふ。」と記されています。
1613年12月23日に徳川幕府が出した「キリスト教禁止」の政令にも、「日本は
神国」という書き出しで発令されています。
それ、日本は元これ
神国なり。
キリスト教徒党は、
政令に反し、正法を誹謗し、
義を残し、善を損じ、
刑人あるを見れば即ち駆けつけ、自ら拝し自ら礼して、
これを以って本義とす。
急いで禁止せざれば、後世必ずや国家の患とならむ。
ことに、政治の掌に当たって、
これを制ぜずんば、かえって天譴(てんけん=天のせめ)をこうむらん。
日本は「神国」というタイトルを失っていった1853年 マシュー・C・ペリー提督が東インド艦隊を率いて日本に来航し、大統領親書を徳川幕府に渡しました。
1854年 ペリーは再来し、日米和親条約締結による開国を果たします。帰国後著した
「日本遠征記」で、ペリーはこの事業を
「十字軍的大事業」と言っています。
1858年 日米修好通商条約を締結してペリーの事業を強化したのはタウンゼント・ハリスでした。彼は日米修好通商条約の第8条において、居留地内におけるキリスト教信仰の自由を確約させました。、
1859年には、横浜、長崎、函館が開港されると同時に、宣教師たちの来日が始まりました。
米国聖公会のウイリアムズ(立教大学創立)、米国長老教会のヘボン(明治学院大学)、米国改革派教会のS・R・ブラウンとフルベッキ(東京大学)・・・などは、この年に来日した宣教師たちでした。
ペリー提督の「日本遠征は十字軍的大事業」という不吉な言葉は、20世紀というミレニアム期に、「日本は神国」というレッテルを消去する前触れであり、やがて日本全土を焦土とし広島と長崎に原子爆弾を落として日本を支配下に置く決意のあらわれでもありました。
ぺりー来航150年を経た今、ぺりー モルガン一族(ペリーはモルガンと親族)の手に、日本の主要な銀行等をはじめとする殆どの大企業の株が買い占められている現状を見れば、徳川幕府の危惧、「キリスト教を日本で野放しにすると、天罰を蒙る」ということが現実になっていることがわかります。
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