与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

3 日本は神国 

103 神国のあかしと「古事記

古事記』成立1300年記念
2012年は「古事記」誕生から1300年の節目ということで、NHKは「古事記」紹介のさまざまな事業に力を注いだもようです。
「『古事記』成立1300年記念講座」という事業もその一つで、
古事記がつくられた時代背景やそこに描かれた神話を紹介します。
記念の年に日本神話の扉をひらいてみませんか。」というキャッチフレーズで、北海道・東北・関東・中部・信越・近畿・中国・四国において、記念講座を展開するという意気込みでした。

「古事記が編さんされて1300年、 古事記のブームとあわせて、国立博物館で開かれている古事記の故郷『出雲展』の見どころをご紹介」という番組などもありました。
しかし、わたくしはどれも拝見していません。内容に察しが付くからです。

8月15日に、いつも励ましのコメントを頂戴しているシーター様から次のようなコメントをいただきました。
時宜にかなった素晴らしいご指摘ですので、シーター様のコメントと、それに対する私の返事を、この場で取り上げさせていただきます。

シーター様から
8月14日BS放送のプライムニュースで古代文学研究家工藤隆氏と明治天皇の玄孫竹田恒泰氏をゲストに、「古事記」を取り上げていました。
司会のフジテレビ編集長反町理氏が日本のルーツを探るチャレンジなんて言ってましたが、頭脳明晰なお方とお見受けしました。
ゲストのお二人は、意見の違いこそあれ、「古事記」を学校教育で教えるべきと主張されていました。・・・、古事記に対する色々な考えはともかく、学校教育に取り上げようという主張がなされる時期にもなったのだなと感慨深いものがありました。


その番組を拝見していませんので、工藤隆氏の「古事記」研究をインターネットで検索してみました。
すると、工藤隆氏ご自身が「縄文・弥生期にまで遡った場合、アジア全域の文化のさまざまな文化が日本列島に吹きだまっていたのが、大陸と海によって遮られた紀元前1万1千年ごろから長い時間をかけて固有性を獲得した、という見解、つまり、日本文化とは一種の“ガラパゴス化”が進行した文化である。」という認識でおられることがわかりました。
また、工藤隆氏は、「古事記」が編纂された時代以前の「縄文・弥生期から古墳時代までの日本列島民族は基本的に無文字民族だったのだ」と断定しておられます。工藤隆氏は、「邪馬台国」に関して、「女王国より北には、特に一大率を置いて、諸国を監視させている。一大率は常に伊都国にいて、国中に監視員を派遣して報告させている。王の使いが魏の京都、帯方郡、諸韓国から帰還した時、また、郡の使節が倭国へ使いする時は、津で文書や贈り物などを伝送して女王のもとにいたらしめ、不足や間違いがない」というように、行政が文書で伝達されていたという事実を無視されています。
これでは、日本の先人たちの積み重ねてきた開拓と苦難の歴史から編み出されたメッセージの万分の一も伝わってきません。
このように、工藤隆氏にしても竹田恒泰氏にしても、ご自分がまったく理解できていない「古事記」を学校教育でどのように教えようと考えておられるのか、まったくその意図がわかりません。
「微分積分」のテキストを、それを理解できない先生が小学生に教えるようなものです。

工藤隆氏の「敗戦後の、革新系知識人や良心的知識人、そして国文学の『古事記』研究者たちが、戦前の軍国主義ファシズムと結びついた天皇制、そしてそれを情念の部分から支えた『古事記』神話という負の現実に対する負い目から、長い間“羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く”状態の中にいた、その結果、“日本とはなにか”“日本人であるとはどういうことか”“天皇とはなにかいう本源的テーマに真剣に向き合ってこなかった、あるいは棚上げにしてきた。敗戦後の日本人には、アイデンティティーの部分で「心的空洞」が生じてきていたのです。」というご意見も載っていました。
この部分が正論なので、このことを、シーター様は喜んでくださったのだと思われます。

しかし、工藤隆氏ご自身が、日本のアイデンティティーの核心をなに一つご存じないのですし、わたくしのこの研究について「検証の必要性」すら触れていないのですから、良心的でもなければ研究熱心でもないお方だと言えます。
工藤隆氏は、「安本美典は、アイヌ語は、のちに日本語を形成する「古極東アジア語」から紀元前四〇〇〇~五〇〇〇年ごろに分離し、琉球語は紀元後三〇〇年ごろに分離して、それぞれ独自に展開したと推定している」などという非常に無責任な説を根拠に沖縄のアイデンティティーを論じておられてびっくりいたしました。安本美典氏がそのような説を主張し得る証拠資料がないと言えます。
工藤隆氏の「古事記論」も安本美典氏の「邪馬台国論」も、「一見科学的とまがうデータ」やもっともらしい見解を大量に寄せ集めて素人向けの論陣を張って、その道の権威者の如くであられますが、両氏とも、私の「古事記論」や「邪馬台国エジプト説」を論破してくださらないかぎり、両氏を「古事記」や「邪馬台国」の権威者として認めることはできません。

日本の歴史は、漫然とした吹き溜まりの歴史ではなく、地理、地政学、気象学、神学、哲学の知識の限りを尽くして、わたくしたちをこの日本列島に移住させ、(還ってこさせ)、種の保存をさせてくださった上で、歴史の解明、神学の解明につながる手引書として「古事記」「日本書紀」「万葉集」そのほかの古典ばかりではなく、「聖書」「ギリシャ神話」「イリアード」「オデュッセイア」「神統記」から「魏志倭人伝」まで、「一つのマスタープラン」の解説書として編纂しておいてくださったのです。

木村鷹太郎氏は、1910(明治43)年の「読売新聞」のコラムにおいて、
 「世界第一等の書物は、わが国典の「古事記」「日本書紀」「祝詞(古典)」であり、
 建国の理想を教え、宗教の根源と善美をことごとく包含し、
 世界において第一等の位置を占める書物である」
と述べ、
 「本居宣長、平田篤胤らの解釈は、これを「過去」に祭りこみ、
 無学無識、委縮主義の帝国大学の教授らの言説は無視して、
 世界第一等の見識をもってこの典籍を読め」と、国民に檄をとばしています。

ユダヤ人のヨセフ・アイデルバーグ氏(1916~1985年)という人物は、イスラエル建国前には地下組織「ハガナ」のメンバーで、建国後はイスラエル国防軍の陸軍少尉を務めた方ですが、
1974年から2年間、研究のために京都の護王神社の見習い神官になってまで、日本と聖書とイスラエルの関連性を調べられました。(約14年間)
その結果、「古事記」「日本書紀」は、形を変えた「旧約聖書」であると言い、
崇神天皇はダヴィデ王、垂仁天皇はソロモン王の事蹟と重なるとも記しています。

「古事記」「日本書紀」の第一の編纂目的は、「聖書」解読の手引書として存在するのです。
そのうえで、世界史と聖書の預言を開示する目的をもった文書なのです。
ヨセフ・アイデルバーグ氏の「古事記」「日本書紀」は、形を変えた「旧約聖書」であるという認識こそが、正鵠を射ているといえます。その発言は、約14年間の研究の結果到達した意見であり、命がけとも言える勇気ある発表です。
しかし、だからといって、ニチユ同祖説は成り立ちません。むしろ、そのような説に惑わされることのなきよう、綿密に編纂してあるのです。

ヨセフ・アイデルバーグ氏は、崇神天皇はダヴィデ王、垂仁天皇はソロモン王の事蹟と重なるとも記していますが、その崇神天皇と垂仁天皇とは何者でしょうか。
「魏志倭人伝」では、邪馬台国の卑弥呼の元での官(王)「伊支馬」が垂仁天皇です。
「古事記」には伊久米、「日本書記」では活目となっています。
次の「弥馬升」は、垂仁妃の氷羽州比売、
次の「弥馬獲支」は、景行妃の美波迦斯毘売、
次の「奴佳提」は、垂仁妃の沼羽田入毘売(氷羽州の妹)

このことから、垂仁天皇=ソロモンとは「邪馬台国」の王でもあったということが浮かび上がるのです。
すると、魏の王から卑弥呼への「贈り物」とは、旧約聖書上の有名な「ソロモン王からシバの女王への贈り物」の別伝であることがあきらかになるのであり、「邪馬台国エジプトの官(王)伊支馬」である垂仁天皇(ソロモン)は、魏ギリシャの王でもあったわけで、単なるパレスチナのイスラエルの王ではなかったということです。
創世記25章のヤコブ(イスラエルの元の名)の誕生にまつわる神話の中で「ヤコブは母リベカの胎内で手で双子の兄の足のかかとを掴んでいた」と記されていることでもわかりますように、これはリベカという巨大な帝国の中でイタリア(一足)とギリシャのペロポネソス半島(手)が争い始めたことを神話化したものです。

これで、垂仁天皇(ソロモン)が日本列島やパレスチナの片隅のみを治めていた王ではないことがはっきり理解できたと思います。
ソロモンが世界に前例のない規模で貿易をしていたことは聖書に記されていて世界に知られていることです。
日本にソロモンの船が到着しているという話題がよくでてきますが、あながち「荒唐無稽」と笑い飛ばすわけにはいかないことがこれでわかるでしょう。
ソロモンの時代は日本では縄文時代です。

木村鷹太郎氏の「日本太古史」上巻 博文館 1911(明治45)年(刊)を開いてみますと、
「垂仁天皇とはセンウセレト3世(BC1850頃)である」ことが検証されていました。
とはいうものの、垂仁天皇の御年は153歳と「古事記」に書いてあり、「日本書紀」では140歳となっております。
これは、センウセレト3世一代に限るものではなく、「エジプト中王国時代の第12王朝のセンウセレト1世~センウセレト3世、そして、アメンエムハト4世で、第12王朝を閉じるまでの160年間のことであるという見解に達しました。
(クレタ島出土のファイストス円盤に刻まれている「彦穂々手見命」にいたっては、580歳となっていますので、これらは「王朝」について、言っていると考えられます。)
聖書の記事や王朝の年代やエジプトの歴史の年代の真実は、現在流布されている通説とは大幅に異なる可能性が大です。

垂仁天皇センウセレト3世(BC1850頃)とは、クレタにおいてはミノア時代であり、日本列島においては縄文時代です。
縄文時代後期(紀元前2000~1000年頃)のものと言われている通称「ハート型土偶」群馬県東吾妻郡郷原出土の、高さ30,5cm、重要文化財の土偶と、中国の新石器時代の斉家文化のトルコ石象嵌の神像が同じ意匠であり、ミノア文明の兆候を示していることについて、このブログの「62 侏儒国からたどる」にくわしく書いております。
http://21seikinokadai.blog15.fc2.com/blog-entry-68.html


「垂仁天皇記」の「狭穂彦の乱と狭穂姫」の神話に注目してみました。
狭穂とは前記クメ=クヌの東南一帯をSabo、Sabaあるいは、Shebaと表す地名があって、
そこの狭穂彦王?の妹の狭穂姫が垂仁天皇の皇后だったと木村鷹太郎は言います。
この「狭穂彦の乱」では、狭穂彦王が垂仁天皇を殺してその王座を獲ろうとたくらみ、妹の狭穂姫に垂仁天皇の暗殺をもちかけましたが、狭穂姫は夫への愛と兄弟愛の板ばさみとなり、暗殺を実行できずに、かえって、天皇に兄のたくらみを打ち明け、自分は兄とともに滅ぼされる運命を受け入れて果てました。

狭穂は、Sabo、Saba、Sheba の綴りが当てられている「シバ」の地、後に、かのソロモン王と会見した女王を輩出したところです。また、シバは、テーベの綴り替えですし、ギリシャにおいてはテーバイと称されています。

わたくしの研究では、卑弥呼やその後継者の壱与とは「シバの女王」のことなのです。
古代史上、王から女王に豪華なプレゼントが送られたという記禄は、世界を見渡してもこれらのほかにはありません。

その壱与が「古事記」では、日本建国の「伊予の二名島」という神話に取り入れられているのです。
そして、「古事記」では、日本国はこの伊予の二名島から国づくりが始まっていると書かれています。
しかも、「古事記」「日本書紀」は予言の書すなわち「未来記」でもあるように編纂されているのです。
まさに、「古事記」「日本書紀」は、世界第一等の書物と言っても過言ではありません。
こうしたことを国民に開示することをしないままで、「古事記」「日本書紀」をどのように、学校教育でとりあげられるのでしょうか。
ファイストス円盤や古事記や聖書や魏志倭人伝を照合しますと、上記の事柄はどれも、「縄文時代」に世界に問いかけられた〔なぞなぞ〕として書かれているのですよ。
むしろ、「古事記」こそ、日本では、生半可に読んだり教えたりしてはいけないとされた「禁断の書」であったのです。
その禁を破ったために起きたのが太平洋戦争だったのではありませんか。
「膨大な書の奥義」を一人相伝で伝えられたという「古今伝授」を受けた方々の「残した書」を3冊ほど読みましたが、それらの中にすら「古事記」は入っていません。もっとも、「書き残してはならない」という禁を破った方々ですから、その方々に最重要なことは教えられていなかったのでしょう。

ヨセフ・アイデルバーグ氏は、イスラエルの10部族が日本に来ていたという見解を述べていますが、「ヨハネの黙示録」の解読や「魏志倭人伝」の解読によれば、残りの2部族も日本に到着しているのであり、「徐福」一行の日本移住も、その一環だったのです。
とはいえ、私は「ニチユ同祖論」を支持しているわけではありません。
そこは、ヨセフ・アイデルバーグ氏の見解と大いに異なる点です。
むしろ、旧約聖書も新約聖書も日本民族の先祖の創ったものであることを証明しているのです。
ただし「パリサイ人が造ったものも聖書にはたくさん紛れ込んでいます。イエスは「パリサイ人のパン種に気をつけなさい」と注告されました。とくに、パウロの書簡などは、その最たるものです。
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