107 神国のあかしと聖書 「聖書」とは何でしょう信仰の書に決まっているではないかとおしかりを受けるでしょう。
しかし、わたくしが32才か33才の時に初めて聖書を読んで、旧約聖書の最初から新約聖書の最後のページまでを、ともかくも読み通した時に頭に浮かんだのは、「信仰の書であるとしても、まずは、なぞなぞの書である!!!」という感慨でした。
なぜなら、聖書にそう書いてあるからです。
そして、「その謎は、まだ解けていない!!」と直感しました。
なぜそう感じたかは、下記の聖書の記事をお読みいただければ納得されるでしょう。
聖書の謎は「終りの時」に解けることが示唆されているからです。
世の初めから隠されている謎 聖書には「世の初めから隠されている謎がある」と、「マタイ福音書」、「詩編」、「イザヤ書」、そして「
ダニエル書」が記しています。
「マタイ福音書 」13章35
それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。
「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」 「詩篇」78章 1~4
私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。
私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。 それは、私たちが聞き知っていること、私たちの先祖が語ってくれたこと。
それを私たちは子孫に隠さず、後の時代に語り継ごう。
「詩篇」49章 1~4
すべての国々の民よ、これを聞け。
世界に住む全てのものよ、耳を傾けよ。
身分の低いものも、高いものも。
富む者も、貧しいものも、ともに。
私の口は智恵を語り、私の心は英知を告げる。
たとえ話に耳を傾け、竪琴に合わせて、謎を解き明かそう。いまさら新しい聖書の解釈なんか必要ないと思うでしょう。しかし、「世の初めから隠されていること」があると聖書が予言しているのなら、それを解いてみようとしたり、挑戦してみようとする価値があると思いませんか。
聖書を読むと、次から次へと疑問がわきあがってきます。
誰でもすぐに思い浮かぶ疑問は次のようなものでしょう。
創世記の冒頭の「世界を7日で創造」とは、何を示唆しているのか。
イヴは、なぜアダムのあばら骨から創られなければならなかったのか。
エデンの園はどこにあったのか。そして、終末の神の国とどう関わるのか・
等々、疑問の種は尽きません。
「昔から聞かせ、以前から告げていた」謎を、「空しく尋ね求めよ」とは言っていないと預言されています。
即ち、「成果がある」ことだということです。
しかも、それは、秘密事項ではなく「公明正大」にヒントが備えてあることを予想させる論調です。
「イザヤ書」45章 18~25
天を創造した方、即ち神、
地を形造り、これを仕上げて固く据えられた方、
混沌を創造したのではなく、人の住みかに形造られた方、
まことに、このエホバが語られる。
わたしは隠れたところ、地の闇では語らなかった。
ヤコブの子らに むなしくわたしを尋ね求めよとは言わなかった。 わたしはエホバ、正義を語り、公正を告知するもの。
諸国からの逃亡者たちよ、集まって近づけ。
木偶(でく)の坊を担ぐ者、救えもしない神に祈る者らは、何も悟らない。
意見をだせ。証拠を出せ。ともに合いはかれ。
誰がこれを昔から聞かせ、以前から告げていたのか。 それはわたしエホバである。
わたしの他には神はいない。
正義の神、救い主は、わたしをおいてほかにはいない。
地の果ての全ての者よ、
わたしを仰ぎ見て、救いを得よ。
イスラエルの子孫は皆、主によって義とされ、誇る。
「イザヤ書」46章8~11 終わりの日への預言
背くものよ、反省せよ。思い起こし、力を出せ。
わたしは神、他にはいない。
わたしは神であり、わたしのような神はいない。
わたしは初めから、既に先のことを告げ、
未だ成らないことを、既に、昔から約束しておいた。 わたしの計画は必ず成り、わたしの望むことすべてを実行する。
「
ダニエル書」12章 4と9
ダニエルよ、この言葉を終の時ま秘めておき、この書を封じておけ。
多くのものは、知識を増そうと探りまわるだろう。 ダニエルよ、行け、この言葉は終の時まで秘められ、封じられているからだ。 悪者ともは悪を行い、ひとりも悟るものがいない。
しかし、思慮深い人々は悟る。 「
ダニエル書」の上の記事を見ても、「終末」における神の国の成就が第一の秘儀だということがわかります。
すると、聖書の最後の書である、「ヨハネの黙示録」がまだ解けていない最大の謎であることが想起されます。
なぜなら、「
ダニエル書」の中には、「ヨハネの黙示録」の謎と共通する事項が多いからです。
以上で、聖書は未だ解けていない「謎々の書」であるということは否定できない事実だということがおわかりでしょう。
聖書は未だ解けていない「謎多き書にして神秘の書」であると言えば受け入れていただけますか?
わたくしは、単刀直入に「聖書は謎々の書である」と解釈してそのことを口にしますと、一様に馬鹿にされました。
「聖書は神秘の書である」と云い替えますと、これは、「あたりまえでしょ」「何をいまさら」とやはり、馬鹿にしたような表情を浮かべられました。
そこで、次に私がしたことは、聖書に関するいろいろな書物を買いあさって調べることでした。
しかし、私が知りたいと思うような
聖書の謎の答えはどの本にも書かれていませんでした。
「聖書の奥義を解いた」と云う人々が現われた!!ところが、ある日、
聖書の謎中の謎である「ヨハネの黙示録」の奥義を解いた書物があるという人々が目の前にあらわれたのです。「ものみの塔聖書冊子協会」、そう、「エホバの証人」の方々です。
そうして彼らから示されたのが「ヨハネの黙示録」の奥義を開示したという「啓示の書」と「そのとき、神の秘儀は終了する」(1969年英文、1976年日本語発行)という書籍です。
わたくしは、すぐさまそれらを購入し、読み、そして、解説してもらいました。
しかし、聖書を読み終えたとき頭に浮かんだ数々の疑問に対する答えは殆ど書かれていませんでした。
彼らの「啓示の書」が「ヨハネの黙示録」の奥義を究めた書物であるという主張には同意できませんでした。
奥義を窮めていないのに奥義を開示した書であると主張することは偽証であり、偽預言なのですから、神に対する大きな罪を犯していることになります。
しかも、その「ヨハネの黙示録」を開示してもいない「啓示の書」を、神の奥義の書であると信じきるエホバの証人のみが救われて、他の者は「滅ぼされる」と宣言するのですから、なにをか言わんやです。
その「啓示の書」は、「ヨハネの黙示録」を開示したものではないなどという者は、エホバの証人にはなれず、従って、エホバのの証人にならない者は神から絶滅されるというのです。
そのような絶対的価値のある「啓示の書」なら、ずっと、人類を正義か不正かの二者択一の選別に使用し続けるはずですが、
ものみの塔冊子協会は、その後70か所以上の訂正を行ったり、人類を生かすか処罰するかの判定書としての使用を取りやめるなど、その「啓示の書」の取扱いは支離滅裂です。
要するに、彼らの「啓示の書」は、人類を「神の民」と「そうでない民」に選別できるような書ではないのですから、偽予言の書であると判定できます。
このブログを全部読んだ方ならご理解できると思いますが、「ヨハネの黙示録」は、最初から最後まで、日本が「神の国」となり、「新しいエルサレム」となることが預言されているのですから、この奥義に反する解釈を唱える者は、恵穂葉神に背く者であり、反キリストであると申せます。
次から、これが嘘かまことか検証していきたいと思います。
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ロマンを感じます。誰も解けぬまま、あるいは答えを残せぬまま、引き継がれたなぞなぞ…という認識でよろしいでしょうか。
生きているうちに解けるかなぁと想像するだけでワクワクします。
人は常識を破ることがなかなかできません。
常識が知ることを邪魔して、真実を追求する人の発言に耳を貸せないのかもしれません。
長年施された洗脳から抜けられるかどうかが最初の試練かもですね。
真実を追求していくと神話に突き当たりますが、今はまだ追求していく人が少ないんだと思います。でも段々増えてくるはずですし、その時にこうして神話について検証して記録を公開していて下さる方がいらっしゃると理解も早くなって本当に助かります。
ありがとうございます!m(_ _)m
育児にも優しいお心遣いありがとうございます.+゜