119 聖書と日本 エホバの証人 VS 私 4ものみの塔の「啓示の書」 VS 私の「ヨハネの黙示録解説」「啓示の書 その最高潮は近い」ものみの塔聖書冊子協会発行の顕著な問題点を挙げて、わたくしの「
ヨハネの黙示録解説」を併記してみます。どちらが「神の御意志」に近いかを、皆様一人一人で御検証されますようにと願っております。
「
ヨハネの黙示録」は、22章からなり、約25000字(日本語)ほどですから、40ページ~50ページの分量です。
エホバの証人の「啓示の書」は44章からなって、320ページあり、ざっと30万字ありましょうか。
しかも、「
ヨハネの黙示録」のことを「啓示」と言っているのですから、ものみの塔の「啓示の書」とまぎらわしいことこのうえなしです。
ものみの塔の「啓示の書」の要旨は、終末に、「楽園を受け継ぎ、全世界を統治するのは、
エホバの証人である、しかも、「
エホバの証人になれば永遠の命を与えられるが、
エホバの証人にならない者は絶滅に処される」というものです。こんな破天荒かつ単純なな答えを、あの「
ヨハネの黙示録」の奥義であるとしているのです。
「
エホバの証人になるものを神の民とし、エホバの証人にならない者を、サタンに与する邪悪な者と裁定する」という、実に乱暴な二者択一を迫る神を布教しているのです。
そもそも真理とは何かという面は二の次なのでしょう。
ものみの塔組織は、「真理とは何か」よりも、「ハルマゲドンで、もうすぐ人類は絶滅する」と、その切迫性を過度に強調して信者を獲得することを本義としてきたのです。
当て推量による教義を、性急に布教してきた「ものみの塔組織のエホバの証人たち」ですが、それら当て推量の預言が外れることによって、「神聖な予言に疑惑が湧く」ことになってしまったのです。
最近では、日本でエホバの証人1人を誕生させるのに、33000時間を要し、本家のアメリカでさえ、エホバの証人一人を獲得するのに7500時間かかります・
こんなことでは、いつまでたっても、「人類がエホバの証人になって世界が楽園となる」日は近づいては来ません。
いったい、その原因は何故でしょうか。
それは、エホバの証人の統治体が、真の「エホバ神の御意志」を布教していないし、「真理」など追及していないからです。
「
ヨハネの黙示録」の奥義の開示と銘打っておいていながら、歴史や社会の現実から乖離したこんな単純な要旨、「エホバの証人になるか、それとも、絶滅の裁きを受けるか」と主張するだけのために、300ページを費やしているものみの塔の「啓示の書」ですが、書中、最もウエイトがおかれているのは「プロパガンダ」です。いたるところに、このプロパガンダが織こまれている「啓示の書」は、「パリサイ人のパン種」としか形容できない書物で、プロパガンダで膨らませ得るかぎり膨らませてあります。
神の真理は、プロパガンダを必要とされません。ましてや、エホバ神の代理人にしてイエス・キリストの代理人であると公言している身分のものみの塔聖書冊子協会の統治体なのですから、神のご意思を明白に布告すればよいのではないでしょうか。
ともあれ、エホバの証人は、「楽園」あるいは「御国」が到来するという良い便りを全世界に布教しているというのですが、それは、「ヨハネの黙示録」には「聖なる都、
新しいエルサレム」と預言されているのがそれなのです。
しかし、わたくしの「ヨハネの黙示録」検証では、それは日本のことです。
そこで、「
新しいエルサレム」という問題から、検証していこうと思います。
エホバの証人が唱えている「終末論」は、ミレニアム問題なのですが、ものみの塔の「啓示の書」は、それが「神の都」争奪戦であるという歴史的展開に触れていません。すなわち、イエスの時代のミレニアム問題、10世紀前後のミレニアム問題、20世紀前後のミレニアム問題についての考察を紳あいまま、「楽園」という概念に置き換えています。
イエスが受けた過酷な刑は、預言を悪用して、イエス誕生の前に、「救世主はローマのアウグストゥスである」としたパリサイ人たちの姦計に端を発していました。そして、ついに、「真正の救世主であるイエスを葬り去った」結果、エルサレムの神殿は消失しユダヤも消滅し、ローマ帝国すらも衰退への道をたどりました。
「ヨハネの黙示録」は、イエスの時代の「エルサレム問題」と20世紀の「エルサレム問題」を重ねるよう要請している書なのです。
そして、現代の戦争、紛争、対テロ戦争の全ての原因も、このミレニアム問題にあるのです。要するに、「聖書の預言」の悪用が根源なのです。
「神の預言」に端を発している「世界紛争」は、神に対する冒涜ですから、この現実を無視したままで、「エホバの証人か否か」という「主の日の裁き」はありえません。
エホバの証人が「敵、サタンの支配下の邪悪な体制」と呼んで十把一絡げにしているその体制は、預言の盗用や悪用が
原因で起きているのですから、エホバ神に着くか否かといった二者択一の採決では問題解決にはなり得ません。
問題解決には神の知恵を求めなければならないのですが、それには「知恵をつくし、心をつくし、力をつくして尋ねなければならない」のであり、そのうえ、勇気が必要なのです。
そうすれば、わたしたちが、どこから、何故に落ちていったのかがわかります。
わたくしの「ヨハネの黙示録解説」では、近未来に成就する「聖なる都、
新しいエルサレム、即ち、神の国」は日本であるということを検証しているのです。もし、「日本が
新しいエルサレム」という主張が正しいならば、「ものみの塔聖書冊子協会の統治体」もまた、預言の悪用をしている邪悪なサタンということになるのです。
日本のエホバの証人の皆様、これから解説していくわたくしの説が間違っているとおっしゃるのでしたら、証拠を挙げて論破してください。読まず、検証もしないまま黙殺するのでしたら、それは、知恵をつくさず、こころをつくさず、力を尽くさず、、しかも、卑怯者というレッテルを自分に貼ることになります。
「ヨハネの黙示録」21章の預言に記されている「臆病者」「卑怯者」「欺瞞をおこなう者」が、神の都に入れず、命の木の権利にあずかれない者とは、まさしく、このような人たちのことです。
エホバの証人は、エホバ神の御名において布教しているのですから、「ヨハネの黙示録」が、提供している「
新しいエルサレムは日本なのか否か」という問題に真剣に知恵と心を尽くしてください。
特に、日本のエホバの証人は、この問題を勉強する義務があります。なぜなら、もし、日本が
新しいエルサレムであることを聖書が預言しているのなら、あなたがたは、エホバ神の御意志に逆らっていることが明らかになるからです。
今なら間に合います。
急いで。読んでください。
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