120 聖書と日本 「啓示の書 」(ものみの塔 )を論破する 1 1、「新しいエルサレム 」 1 「ヨハネの黙示録 」 21章を検証 1 「新しいエルサレム 」 という言葉は、「
ヨハネの黙示録 」 21章と3章にのみ出て来る言葉です。
「
ヨハネの黙示録 」 21章には、「イエス・キリストの花嫁としての
新しいエルサレム 」が、結婚式の披露宴で華麗に登場する一幕として描かれていて、この場面は、まるで、グランド・オペラのフィナーレの大団円のようです。
そして、この豪華絢爛たる「イエス・キリストと花嫁」の結婚式は、聖書全体を通してのフィナーレであり、最も重要な事項です。
イエス・キリストは、その命を「神の国」の宣教にささげられました。
約三年半にわたったイエス・キリストの活動は、神の国の到来を告げ知らせ、人々を神の国に招き入れることでした。
ですから、イエスの宣べられた「神の国」とイエスがヨハネに託された「
ヨハネの黙示録 」の主題である「
新しいエルサレム 」とは、
全く同一のものであるはずです。
イエスの宣べ伝えられた「神の国」について調べてみましょう。
「マタイ福音書」4章
17 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
「マタイ福音書」5章 「山上の垂訓」
3 .こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5 柔和な人たちは、さいわい である、彼らは地を受けつぐであろう。
10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、
律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、
そうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。
しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
20 わたしは言っておく。あなたがたの義が、
律法学者やパリサイ人(びと)の義にまさっていなければ、
決して天国に、はいることはできない。
33 まず神の国と神の義とを求めなさい。
「マタイ福音書」6章 「主の祈り」
9 だから、あなたがたはこう祈りなさい。
天にいますわれらの父よ、御名(みな)があがめられますように。
10 御国(みくに)がきますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
33 神の国とその義とを第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、必要なものは、すべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。
イエス・キリストの最も有名にして最も重要な御教えに照らしてみますと、「
ヨハネの黙示録 」の「
新しいエルサレム 」とは、イエスの説かれた「神の国」に他ならないのです。
「
ヨハネの黙示録 」3章には、「勝利を得る者の上に、わたしの神の名と、神の都、即ち、神のもとから出て天から下ってくる
新しいエルサレム の名とわたしの新しい名を書き記そう。」と書かれています。
「勝利を得る者」に与えられる「新しいエルサレム」とは、どのようなものかについては、上に揚げた「マタイ福音書」の山上の垂訓からもうかがい知ることができますように、地上の「神の国」であって、決して死後の世界のことではありません。
「マタイ福音書」6章33 「神の国とその義とを第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、それらのもの(必要なもの)は、すべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。」という御言葉は、決して、動物のように現在のことだけに充足して生きなさいという刹那主義的生き方を進めるものではないと言えます。
そうではなくて、イエスの教えは、「死後の天国のことではありません」と示唆しておられるのです。
宗教家たちは、死後の天国や極楽への空手形を売り捌き、「その金は祭司たちの階層の金と権力を増し加え、貧乏人たちにはますます貧乏に」という格差社会の構造を生み出す集金マシンと化していたのです。
ですから、エルサレムの金持ちたちに、「金持ちが天の御国にはいることは難しいことです。」「マタイ福音書」19章23」といわれたのです。しかし、その意図は、パウロが組織した「貧しい者たちのために寄付をしなさい」という集金機構を備えたキリスト教会とは全く異なります。
イエスは、その金持ちの若者に、「同朋、隣人の窮状を救う気持ちがあるかどうか」を問いかけられたのです。
結局、祭司たちも政治家たちも金持ちたちも、神や国や同朋を愛する気はさらさら持ち合わせていないので、エルサレムの神殿も国も滅びに定められていることを、イエスはご存知でした。
また、イエスの教えの真意を悟った者たちは、東へ東へと逃げたのでした。
したがって、イエスは、「アジアの七つのキリスト教会にあててのみ「ヨハネの黙示録」を伝達されたのです。
イエスは、「異邦人のためのパウロのローマの教会等へ伝達することを避けている」ことの真意を悟りなさいという意思表示をされたのです。
「マタイ福音書」4章 17の、イエスが宣教を開始して最初に言われた「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」という預言は、一体どうなったのでしょう。
ユダヤの大祭司カヤパやポンティ・ピラト(ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督、ティベリウス皇帝属領長官、在任:26年 - 36年)がわずか1日の公開裁判でイエスを極刑に処して葬り去ったことで、ユダヤはエルサレムの宮もろとも消滅してしまったのです。
メシアを殺しては、「エルサレム平安の都」は成り立ちません。そこにおける「千年王国」は成就しなかったのです。
そこは、もともと、義の人アブラハムが神命を受けて息子イサクをささげようとした因縁の地でした。神は、アブラハムとイサクが、神命に全き忠誠をささげる気持ちを嘉して、身代わりの黒い羊がささげられた地でしたから、そこでは、「神の国とその義」を第一にしないで「過ぎ越しの祭りの御馳走をたべること」のほうに重きをおいていたエルサレムの金持ちたち(ふとった黒い羊たち)は、その後、「ローマ軍に包囲され、食べ物にも事欠き、死人を食べる」ような悲惨な境遇になりました。
イサクの例から見ましても、「イエスは蘇られられた」というのは、本当のことだと思われます。
紀元70年の「エルサレムの消滅」
紀元前37年に、ローマ帝国の支援を受けたヘロデ大王のもと、ヘロデ朝が成立。
エルサレム地方とサマリア地方のあるユダヤ属州や、
別の属州に含まれたガリラヤ地方は全てローマ帝国の支配下であった。
紀元70年のエルサレム攻囲戦でローマ帝国軍に(ユダヤは)滅ぼされてしまい、
ユダヤ的なものを一掃しようとしたローマ人は、この土地をユダの地(ユダヤ)ではなく、
ユダヤ人の宿敵ペリシテ人にちなんでパレスチナという名前をつけたため、
ユダヤという地名も消滅しました。
神とイエスを無視し、「神の国」とその義を無視して、メシアであるイエスを葬り去るとどうなるかという「預言のパワーの実例」を、イエスは身を以って示されたという一面が見えるのです。
「ヨハネの黙示録」の、「キリストの花嫁として披露され祝福される新しいエルサレム」とは日本なのです
日本が勝利を得て、守護神恵穂葉の御名を戴き、
新しいエルサレムの名「日本」を名乗ることが預言されているのです。
ものみの塔 の「
啓示の書 」の説は、「新しいエルサレム」は、「
ものみの塔 の組織」のことであると言い、そして、その「
ものみの塔 の組織」が、全地を治めるというのです。
「
啓示の書 」307ページより
「新しいエルサレム」は、神のとこしえの目的を成し遂げるために、
絶妙な仕方で企画された組織上の一つの取り決めでです。
王となるイエス・キリストとともに、
新しいエルサレムは、エホバの王国の組織をなしています。
jw
ものみの塔 オンライン・ライブラリー 2015年6月5日現在
新しいエルサレムは,
この象徴的な都市の王座に就いておられるキリストと共に,
地上の人間社会である新しい地を治める「新しい天」となります。
「ヨハネの黙示録」21章を掲示して、
ものみの塔 の「
啓示の書 」と私の説の、どちらの説が正しいのか、これを検証していきます。
「ヨハネの黙示録」21章 パート1
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。
先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
また、
聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように、 用意をととのえて、神のもとを出て、天から下ってくるのを見た。 新しい天と新しい地
この言葉は、「イザヤ書」65章17、18の、
見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。
先の事は思い出されず、心に上ることもない。
だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。
見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、
その民を楽しみとする。
わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。
そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
という預言の実現を述べたものであることを示唆しています。
「イザヤ書」65章は、
わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、
わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。
わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、
「わたしはここだ、わたしはここだ。」と言った。
わたしは、反逆の民、
自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、
一日中、わたしの手を差し伸べた。
この民は、いつもわたしに逆らってわたしの怒りを引き起こし、
園の中でいけにえをささげ、(宗教の犠牲者ばかり出す)
れんがの上で香をたき、墓地にすわり、(死人に香をたくのみの宗教)
見張り小屋に宿り、豚の肉を食べ、(外国の犬となって高所に座し)
汚れた肉の吸い物を器に入れ、(国民を豚にして、その豚を喰らう)
「そこに立っておれ。私に近寄るな。(我々は恵穂葉神より偉いと云う)
私はあなたより聖なるものになっている。」と言う。
これらは、わたしの怒りの煙、一日中燃え続ける火である。
わたしは、ヤコブから子孫を、
ユダからわたしの山々を所有する者を生まれさせよう。
わたしの選んだ者がこれを所有し、わたしのしもべたちがそこに住む。
このような、不遜な民であるために、その国は大艱難にあうのです。
しかし、「見返る」者たちがいるために、神はこの国民を滅ぼさないでおられるのです。
「イザヤ書」65章が、冒頭で、「わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。
わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、『わたしはここだ、わたしはここだ。』と言った。」と、ことわってあります。
ですから、これは、現在のユダヤ人やイスラエル国ではありません。
また、神の御名を100年間叫び続けている「ものみの塔」の組織でもありません。
「見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。」とは、天地創造の神が作られ他「新しいエルサレム、イエス・キリストの花嫁である日本を見よ」ということなのです。
キリストの花嫁である新しいエルサレム 「キリストの花嫁である新しいエルサレム」とは、日本列島の形状を織り込んだ預言だったのです。
天地創造の神のエホバ神ならではの、奇跡的にして雄大な構想ではありませんか。
ここで、「新しい天と新しい地 new heavens and new earth」
についての現実を見ておく必要があります。
この「新しい天と新しい地 new heavens and new earth」という言葉は、「新世界 New World 」ということばと同義で、大航海時代に欧州人が新たに発見した土地に対する呼称として使われるようになりました。
それ以前の世界の「天と地」はどこだったのでしょう。
15世紀までの「天」は日本 「TOマップ」という900年頃の地図があります。
中学校や高校でつかう地図帳の後ろの方に小さく載っています。
世界の中心をエルサレムとしているのがこのTOマップ」です
北を上に置く現在の地図と異なり、太陽の昇る方角を地図の上部、即ち、天としています。
中心にエルサレムが置かれ、東の端(上)に、
オリエント、パラダイスという文字と、エデンの園の象徴である「命の樹」と「アダムとイヴと蛇」が描かれています。 聖書の「エゼキエル書」(紀元前590年頃)の記事からも、この地図の損存在と世界観とを垣間見ることができます。、
「エゼキエル書」5章5
主は云われる、これはエルサレムである。
わたしはこの都を諸国の真ん中に置き、
その周りを国々が取り囲むようにした。
TOマップの大きな特徴は、世界をアシア、アフリカ、ヨーロッパの三界に分けていることです。
世界を分けるTの横軸は、タナイス川(ドン川)と紅海(ナイル川も)、縦軸は地中海、
Oはオケアノス(大洋)を表しています。
こうして分けられたアジアは「朝」、ヨーロッパは「夜国=ヨルオピア」という日本語から来ていると、木村鷹太郎氏は説いています。
ヨーロッパはフェニキア建国のカズモスの妹のヨーロパ姫(エウロペ姫)の名です。これは、ギリシャ神話などでも知られている古い言語であり、アシアもまたエジプトの碑文などで見られる古い言葉です。
こうした、世界の古代史のなかで、きわめて重要な地名が日本語であると言うのは愉快なことで、古代の先祖たちの知恵の計り知れない高度さに驚かされます。
世界を夜と朝で表現しているのを見ますと、地球が丸いことを知っていて、緯度経度など様々なことを割り出していたということを示唆しているように思えます。
「週刊朝日百科 世界の歴史」朝日新聞社1988年
大英博物館所蔵の14世紀の世界地図。
上の14世紀の世界地図にも、日本の位置にエデンの園が描かれています。
日本が、世界でもまれな、「神国」という伝承を持つ国であるということを想起しないではいられない地図です。
上の地図に付いていた安部謹也氏の説明(抜粋)を掲載します。
中世の人々は楽園を幻想夢想の地とは考えていなかった。
エデンの園は、距離は遠いけれども行きつくことが可能であると伝えられていた。
このことは、中世の地図によってよく知られている。・・・
中世の地図はエルサレムを中心にして東が上に描かれているが、
エデンの園はインドより東の地として描かれている。
「ニュールンベルク年代記(1493年)」に見られる世界図では、
楽園の位置はもはや示されていない。
「週刊朝日百科 世界の歴史」1988年 D24ページ 解説 安部謹也氏
西洋キリスト教の信徒は、「死後の楽園」を信じているとばかり思っていましたが、実は地上にも神の国があると信じていたのですね。
古地図で、東の果てにエデンの園が書き込まれているまさにその位置に、「神国」と言い伝えられていた山紫水明の日本が存在したにもかかわらず、聖書のエデンの園と神国との関係を本気で考える神父や牧師、神学者、そして、歴史家がいないのは不思議というほかはありません。
それは人類史の大きな謎です。
「ニュールンベルク年代記(1493年)に見られる世界図では、楽園の位置はもはや示されていない。」という現象の背景には、「羅針盤と火薬」の登場、そして、「新大陸」の存在が大きく影響したのではないでしょうか。
そのころから、「新大陸」を神が与えたもうた「新天新地」すなわち「楽園」と称えた文言が多く見られるようになります。
アメリカが「新天新地」か アメリカ大陸と云う名が、その「新たに発見した大陸」に名付けられたのは、アメリゴ・ヴェスプッチ (伊: Amerigo Vespucci、1454 - 1512年)が、ポルトガル王の元での探検調査で南米大陸東岸に沿って南下し、
1503年頃に論文『新世界』を発表したことによります。
「さて、あの国々はまさに「新世界(ノーヴォ・モンド)」と呼称するにふさわしいところであります。」
1507年、ドイツの地理学者マルティーン・ヴァルトゼーミュラーがアメリゴの『新世界』を収録した『世界誌入門』(Cosmographiae Introductio)を出版した。その付録の世界地図にアメリゴのラテン語名アメリクス (Americus ) の女性形からこの新大陸にアメリカという名前が付きました。
1620年11月、アメリカ北東部の海岸プリマスロックに一隻の船メイフラワー号が到着しました。
102名の乗船員の中に41名の教会員が乗っていました。
彼らは飢饉と宗教的迫害に悩まされたヨーロッパから逃れてきました。
それを、旧約聖書の「出エジプト」のモーゼに導かれて約束の地であるカナン(現在のパレスチナ)に辿り着いたというイスラエルの民に模して、「神が約束の地」としてのアメリカを賜ったという「アメリカの建国神話」の誕生に繋げたのです。
アメリカ国民は、聖書の「新しいイスラエル」の民であるという神話を持っています。
「神によって与えられ祝福されたアメリカ」は、世界を指導していくという「神聖なる使命」が与えられているというのです。
この「理想」は、さらに、「反対する国や政権は倒してしまうことが、神聖なる使命である」と考える「正義の国」思想になったのです。
つまり、イエスの説かれたた「神の国とその義」とは、アメリカ大統領たちにとっては、「倒そう」と決めれば、いつでもどこでも空爆したり、原爆を落とすことができる国であるということなのです。
「新しい天と新しい地」、即ち、アメリカという世界戦略に基づいて、歴代の、多くのアメリカ大統領が、この言葉を「新世界秩序 New World Order」という用語に置き換えて演説しています。
第一次世界大戦後、国際連盟の創設に与したアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(1856~1924年)がこの「新世界秩序」を掲げてパリ講和会議を主宰しました。
国際連盟とはなんであるかがよくわかります。ちなみに、国際連盟とは、連合国の組織であるという意味です。
第二次世界大戦後、イギリスのウィンストン・チャーチルが、「国民主権国家を廃絶し世界政府の管理による恒久的平和体制の実現が不可欠である」として、この「新世界秩序」という言葉を使いました。
1990年9月11日、アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領が、湾岸戦争前に連邦議会で述べたスピーチの題目は『新世界秩序へ向けて(Toward a New World Order)』でした。
2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターのツインタワーに旅客機が激突して完全に崩壊すると言う、「911事件」が起きました。
2001年10月27日には、早速、ジョーージ・W・ブッシュ大統領は、「テロとの戦い」と称して、有事体制 国家総動員体制を敷いて「対テロ戦争」を開始しました。
米国は、他国の意志にはおかまいなく、「単独覇権主義」の路線に自らを切り替えた上で、「正義」の敵と戦うと宣言し、イラクやアフガン、イラン、シリア、リビアへと戦闘を繰り広げました。
これが「新世界秩序」の世界戦略であり、アメリカが「神の御意志」である「正義」の側、すなわち「天」を演じ、そのほかが「地」をアメリカの意志に従わせようと云うわけです。
今、「新天新地」を牛耳っているのは、アメリカなのです。
しかし、「あたらしいエルサレムが日本であり、キリストの花嫁である新しいエルサレムが日本であるならば、全ての事情は一変するのです。
「先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。」とは、今、アメリカが「ワンワールド」の頭としてふるまって、天地と海を支配していますが、この体制が終焉すると預言しているのです。また、中東のイスラエル建国誕生に協力した連合国や国連は、エホバ神にたいする冒涜をしたことになります。
「聖なる都、新しいエルサレム・・・・・・・神のもとを出て、天から下ってくるのを見た。」とは、「神の御意思による新しいエルサレムは日本のみであり、「平和の神」恵穂葉神は中東のエルサレムやアメリカを「この世を支配する神の代理人」とは認めていないという表現です。
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昨日郵便局から入金させていただきました。
よろしくお願いします。