与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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広島 府中緑ヶ丘中学校の生徒さんの死を悼む

広島 府中緑ヶ丘中学校中三の生徒さんの死を悼みます

この生徒さんが気の毒でなりません。
今日は、この数日間私の心を占めているこの問題を書かずにはいられない気持ちになりました。
これは、日本の深刻な病根を顕著に表わしている事件です。

広島の中三の生徒さんが無実を訴えることなく、「絶望」した日本
「先生に無実を訴えない」風潮

こうした、正しい主張を言わないという状況は、日本のいたるところで、あらゆる形で定着しているのです。
特に、会社内や学校内に顕著にみられる現象だと考えられます。
このまま、この風習を改めないと、ますます、判断力や思考力を失っていくのではないかと危惧されます。

私の娘がある町立中学校の生徒だった時(今から30年ほど前)に実際に起きた事例を書きます。
あるとき、娘が頭が痛いと言って早く帰ってきました。見ますと頭のてっぺんにこぶが出来ていて血が髪にべっとりついていました。
ただちに医者へ向かうかたわら原因を聞きますと、担任の先生に5センチ角ほどの角棒で打たれたというのです。
「理科の宿題をして来なかった」という理由で。
それも、そもそも、「その宿題は出されてなかった」のに、先生は「1人を除くクラスの生徒全員がその宿題をサボタージュした」と思い込んで激高して残りの43人の全ての頭上に角棒を振り下ろしたのだそうです。角棒が一番強く当たったのがわが娘だったようです。
そして、宿題をやって来たたった一人の生徒というのは「双子」で、どうせ同じ宿題が出るからと姉妹のを書き写しておいたのだそうです。

私が暗澹としたのはそれからです。
先生は、自分の担任するクラスには「宿題を出すのを忘れていた」ことに気が付いていないと言うのです。なぜなら、だれもそのことを先生に言い出さないからです。
わたくしは、クラスの父兄5人ほどに電話して、「先生の判断ミスで無実な生徒たちへの体罰を行ったことを抗議しに行こう」といいましたが、みな「行かない」というのです。
ある父兄にいたっては、「宿題のことでそのくらい厳しくしてくれれば、うちの子も宿題をちゃんとするようになるから」という「歓迎」モードでした。
ああ、先生だけが悪いのではなく、父兄も生徒たちも皆がみなおかしいのです。
「自分の判断」や「自分のその場の都合や気分」それがすべてなのです。
そのこころは先生のつける「内申書」が怖いだけのこと。正義感や間違いを糺すことの必要な場合があるといった認識はすっかり念頭から消えているのです。

私は攻撃の姿勢ではないことを表わすための菓子折りを持参して、娘と二人で中学校の校長先生に面会し、この事実を話しました。なお、5人の父兄の見解も述べました。
「先生から見れば不出来なカボチャかスイカのような頭でも、親にとってはかけがえのない大切な子供なのですから、うちの娘には宿題を万一忘れたとしてもこのような体罰はしないで下さい。」」とお願いし、「担任の先生が、1人を除いて43人もが宿題をさぼるというような事態を起こすようなクラスかどうか、そんなことも判断できなかったということを深く反省してくださるよう」お願いしました。
後日、校長先生と担任の先生とが我が家に「謝罪」に訪ねて来られましたが、クラスの生徒全員に対する謝罪はありませんでした。

数日後、うちの娘は隣のクラスの女子生徒二人がうら、「××先生のケツバットがきつくてアオアザができたお尻が痛いので、何とかしてもらえるようあなたのお母さんに云ってほしい」と頼まれました。
いつの間に、わたしの抗議が知れ渡ったのでしょうね。
わたくしは、「そのお尻を見ていないので、お母さんに見せて。あなたたがたのおかあさんが校長先生に頼むのが筋でしょう」と言いましたが、せっかくわたくしを見込んで頼んできたのに「関係ない」みたいな態度では、それこそ人でなしの行為だと反省して、校長先生に電話で、「○年×組の女子生徒にはかくかくしかじか言いましたが、聞き捨てにはできませんのでお伝えしておきます」と連絡しておきました。

次の年、また娘が手が痛いと早めに学校から帰ってきました。右手の親指と人差し指の間の付け根が腫れあがっていて鉛筆を持つこともできませんでした。
教室で撃ち合いをして遊ぶ生徒たちのBB弾に、近い距離で当たったのだそうです。
「これが眼だったら失明だった!!」と、ぞっとしました。
「なぜ先生に言わないの?」というと、「そんなことをしたら、みんなにいじめられるに決まっているじゃない!」とのこと。
即、対策を考え、「大急ぎで学校に戻って養護の先生に手当てしてもらうよう」指示し、「犯人たちにいちゃもんをつけられたら、手が腫れて痛くて仕方がなかったから手当てしてもらっただけよと言って手を見せておやりなさい」と教えました。

養護の先生は直ちにすべてを察して娘のクラスに駆けつけ、同時に担任の先生を探しだし、クラスの生徒たちのカバンやロッカーや部室を電光石火で調べてBB弾やガンなどを「卒業の時まで預かる」と没収してしまいました。
案の定、「おまえがチクッタせいで高価なBB弾やガンをみな取り上げられてしまった」と逆ギレされたそうです。「人を撃ったからでしょ、自分も撃たれてみなさいよ。わたしは手当てしてもらっただけ。」と、包帯の手を見せて切り抜けたそうです。

わたくしの娘が直接体験しただけでもこのようなありさまですから、この中学校全体ではどれほどの問題を抱えていたのかが思いやられますが、これでも、むしろ、良い先生の多い比較的良い中学校だった学校でのできごとなのです。
ですから、全国となると、それ以上のことがありすぎるほどあると断言できるでしょう。
こうした事態は、その内部に身を置いて体験した者以外には決して見えないことなのです。
そして、ここに書いたことを詳しく読みなおしてみてくださるとわかるように、当事者や先生たちにも「何も見えてはいない」し、問題の核心部分で改善されてなどいないということに気づかれて愕然とされるでしょう。

その直後、今度は友人から、こんな相談を受けました。
私立中学校の寄宿舎にいる息子T君の「眼のまわりがパンダになっていて、どうやら、担任の先生の顔面パンチをくらったみたいです」と、T君の同級生の母親から電話でしらせてきたというのです。
その原因は、T君がバンドエイドを2缶買ってきたら、次の日、それをきらしている同じ寮の生徒が「1缶売ってくれないか」「ああ、いいよ」と1缶譲ったやりとりを先生が目撃して、校則を破ったと激高したらしいのです。
「そのくらいのことでパンダみたいな眼にされてはたまらない、真相を聞きただして、若しそれだけが原因なら厳重抗議しないとだめですよ。T君には、両親が断固味方になると宣言したほうが良いでしょう。・・・」とアドバイスしました。
友人夫婦は中学校に駆けつけ、T君の顔を見るなり医者に連れて行き、校長に真相をただしてくれるよう要請しました。
殴った先生にも問いただしますと、やはり、「未使用のバンドエイド1缶を、買った時と同じ値段で譲っただけのこと」、それ以外には何の原因もありませんでした。T君にしてみれば、それが校則違反にあたるなどとは思ってもいなかったのです。不便な寮生活の、運動部の生徒たちにとって、風呂のとき剥がしたバンドエイドを張り換えるのは日常のことで、それは無いと困るような必需品です。
校長と担任とがはるばるT君の家まで謝罪に来ました。T君の親もまた私立学校経営者ということがわかったので、こうした低姿勢に出たのでしょう。

クラスの1生徒が見かねて自分の母親に話さなければ、また、その母親が知らせてくれなければ、担任が短絡的な暴力をT君に振るったことなど私の友人は知らないままだったでしょう。
T君本人は親にも誰にもなにも言わなかったからです。
強者が弱者を理不尽にしいたげても、普通何ごともないかのようにうちすごすのが最善の策だと思っているのです。

その私立中学校で、やがて一人の男子生徒(寮生)がその学校内で飛び降り自殺をしました。その原因も経過も何も、そこの生徒であるT君すらも知りません。新聞にも一行も掲載されませんでした。T君がそれを知っていたのは、「その生徒の弟も寮生」だからでした。
そして、そのことをT君が自分の母親に告げたのは、「その自殺した生徒の弟も自殺するかもしれない」という恐れに駆られてのことでした。
というのも、自殺した生徒の弟には女子生徒たちが絶対近寄らないのですが、そのひどく敬遠される原因というのは強烈なワキガのせいでした。「兄の方の自殺の原因は全く知らないが、弟の方は自分のまわりのその奇妙な雰囲気を誤解しているようで、とても暗い」というのです。
今どきの子たちは、「からかう」ことすらせず「沈黙」を貫くのですね。
「苛め」で告発されるのも「おせっかい」と思われるのもいや、なんによらず減点を回避しているのでしょう。
ワキガは手術で簡単に解決できるそうですし、しかもその兄弟の父親は病院経営者なのです。
私の友人はその生徒の親に、「息子さんがワキガで周囲から避けられているそうですが、なにかの方法があるのでは・・・」と教えたそうです。

知恵を働かせて、善意の限りを尽くして、おたがいの困難に対処して、助け合わなければやっていけない、今はそんな危機の時です。
広島の府中緑ヶ丘中三の生徒さんも「まさかこの生徒が」と、誰かが気の毒がってくれればこんな悲劇はおこらなかったでしょう。
私の娘の体験にしても、先生が、「まさか、このクラスの生徒たち全員が宿題サボタージュするわけがない」という信頼を寄せてくれなかったことは悲しいことでした。
しかし、「先生が間違っています。わたしたちはそんな宿題を与えられていません」と誰も言えなかったということは、もっと悲しいことでした。日本の子供たちは、こうして「学校は上意下達の世界になっていて、生徒たちは骨抜きに仕上げられているんだな」とショックを受けたことでした。

こうしたことが積み重なると、それがさらに次のような人々をうみだすという悪循環を招いているのです。
1  判断力がない
2  自分の判断は正しいと思っている
3  落ち度はみな他の人のせいと思う
4  思いやりがない 他人のことはどうでもいい
5  善処するという気持ちがまるでない
6  努力しない ただし 資格を取るなど自己のためなら別
7  利益は自己に 不利益を他人にまわす
8  無責任
9  保身しか念頭にない
10 時の過ぎるのを待つ

こうしたことは、概して日本中を覆い尽くしている怖ろしくブラックな問題であり、ありとあらゆるところに存在している事実です。
一例は、わたくしが掲げている「邪馬台国問題」が何の検証もされず、東大京大も政府も黙殺していることを見れば歴然です。
しかし、国民のみなさまにとっては、この問題についての知識はあまりにも少ないので、判断は困難でありましょう。
でも、次の例は判断することが容易だと思います。
それは、世界有数の地震国である日本列島に原子力発電所を54基も設置したことの善悪、あるいは利不利の判断のことです。

おかげで、何十兆円という税金がこの厄介極まりない原子力発電所につぎ込まれ、今後もそれ以上につぎ込まれる見通しという負の財産でしかない「賽の河原の石積」事業です。
これを敷衍した政治家や電力事業者や学者たちやゼネコンたちは、経済力やら権力やら利益やら名誉やら、はては勲章まで授与されて、子孫や子分たちを片っ端から代議士や大臣にしているありさまです。
この原子力発電所のせいで命を失ったり、家や財産をなくした人々への責任どころか同情心などは見えません。
まあ「御言葉とか文書」の中には、責任や同情心が見らるとおっしゃるかもしれませんが、それは、例の広島の府中緑ガ丘中学校の校長先生の記者会見の言葉と同様に、ただの「作文」にしか受け取れません。

日本国の総理大臣や政治家の重要極まりない任務は、この原発で甚大な被害を蒙った人々に、政府としての同情心を寄せ、責任を果たすことです。
政府は、世界に向けて、日本国が犯したこの重大な「核の問題」に対処する必要があるので、莫大な予算を計上しなければならないという事情を訴えなければなりません。従って、難民救済のための数百億円という出費をすることを免除してもらえるよう国際的に説得するのが任務でしょう。
そもそも、今日の難民の主要な原因は、パレスチナ周辺の地勢や石油そして宗教的野心のためにテロを画策したり3枚舌外交を
して「劫火」の火種を蒔いたイギリス等が率先して責任を取るべき問題です。
そして、核燃料を無言有言の圧力でもって日本に売りつけるよう計らったのも同じ勢力のものたちだからです。
日本の政府は自国の被災難民の問題をこれ以上なおざりにしないで、外国の難民救済に数百億円拠出することよりも優先することです。
そこにすばらしい前例を作るならば、国民はもっと善良になり、もっと賢くなり、国は復活に向かうでしょう。
若し、このままを続けるならば、国はますます衰微するでしょう。
どうか日本政府はここに気づいてください。
 
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