与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

13 日本のアイデンティティー

13 日本のアイデンティティー

ヨハネの黙示録と日本

日本のアイデンティティーを確立するヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録とは、聖書の最後尾に据えられている「全文が謎」という、謎々の文書です。
そればかりではなくて、ヨハネの黙示録には。「付け足しても省略しても、その者に災厄が臨む。」という条文が付帯しているという点において、このヨハネの黙示録は、聖書の中でも別格なのです。
それは、この預言を盗むな、悪用するな、という禁忌にほかなりません。

ヨハネの黙示録に興味を抱き、その謎に果敢に挑戦しましたところ、この文書が、「日本が自国を神国と言い伝えてきたその真相を解き明かすもの」であり、「わが国が今後の世界平和のために果たすべき使命」が示唆されているのであり、そのうえ、「わが国のわが民族の、辿ってきた歴史」までが明らかになるという構成になっていることがわかりました。
まさか、と思われるでしょうが、「聖書」わけても創世記とヨハネの黙示録を参照して検証してください。



アトラスの地図帳とヨハネの黙示録

天空からの視野
今まで、アトラスとトロイアのことに度々触れてきましたが、聖書の預言者たちは聖書を締め括るにあたって、アトラスのアナグラムのアストロ(宇宙)的視野で、アトラスの地図帳を以って聖書を解かせようと誘導するという構成になっているのです。

聖書の掉尾を飾る「ヨハネの黙示録」は、最も謎めいた書であり、幻想的であると言われてきました。霊夢によって与えられた書であるから、霊夢を与えられた人(つまり霊能者)でないと解けないという人もいます。
かのニュートンですら「ヨハネの黙示録」の解読に挑戦したものの、「今ではなく、もっと後の時代に解けるであろうが、これが解けたあかつきには、宗教観が大転換するであろう」と書き残したほどなのです。

事実は、地図帳を片手に、国形と照合したり、図解、絵解きの手法で解くべき謎々が含まれているのです。そして、ニュートンが記したように、宗教観を一変させるような内容でした。


「ヨハネの黙示録」の次の5章の5項目が、天空から見た日本の「国形」の特徴を織り込んだものであり、地図帳片手に検証すべきであるということを見てください。

1  4章 四つの生きものからなるケルビムの守る神の国             
2 10章 陸と海に立脚した御使い                                 
3 12章 子を産む女 子を連れて逃げる女                      
4 19章、21章 キリストの花嫁国              
5 21章 終末に現れる「1万2千スタディオンで4角形のエルサレム」
6 21章 新エルサレムの「縦横高さが同じ、四角形」の謎

1の「ケルビム」についてはすでに説明しました。
2の「陸海に立脚する御使い」は、日本が片足という特徴を生かしたものです。 
3の「子を産む女」も、「イヴ=伊邪那美命」地図を参照してください。
4の「花嫁姿」は角隠しをしている次の図です。
 
       花嫁



5の「1万2000スタディオン」は、即ち、2220kmの日本の数値です。

      1万2千スタディオンの長さの日本
       『千葉市を中心とした一千キロメートルのはんい』
        「すすむ千葉県」千葉県教育会館発行


6の「縦横高さが同じで四角形」は、イエスやヨハネと同時代の地誌学者、ギリシャのストラボン(BC64~AD31年頃)の「ギリシャ・ローマ地史」龍渓書舎刊 飯尾都人訳の記事中の、ギリシャのペロポネソス半島を表現した記事と同じですので、その記事を参照するようにというメルクマールであると考えられます。


ヨハネの黙示録 21章  抜粋

聖なる都 新しいエルサレムが、あたかも夫のために美しく着飾った花嫁のように、
すっかり用意を整えられて、神のもとから 天から降りてくるのを見た。

御使いは、その都と都の門と城壁を測るために、金のものさしを持っていた
都は四角で、その長さはその幅と同じであった。
御使いがものさしで都を測ると、1万2000スタディオンであった。


ストラボン著「ギリシャ・ローマ地史」

ペロポネソスは形がプラタナスの葉に似て、長さと幅はほぼ等しく、
共に1400スタディオン(約252キロメートル)に及ぶ。



両者を並べてみると、全く同じ表現であることがわかります。
ヨハネの黙示録21章の「四角で長さと幅と高さが同じ」は、「国」を問いかけている謎々で、わが国の形が台形(即ち四角形)であることを予言したものです。
また、新しいエルサレムの国民が大地と海に立脚していることを強調していて、死後の天国や極楽に立脚している宗教との違いを明らかにするために書かれています。
また、これは、1948年に国連が承認して誕生させた、中東のイスラエルや、その地のエルサレムは、恵穂葉神の承認されるものではないということが、これで明らかになるのです。
この出来事の起承転結を、きっちり調べてみれば、日本と言う「アジアの東端の恵穂葉神の国」の痕跡をすっかり失くして、「アジアの西の端にそれらしく見える国を創ろう」という恐るべき計画に基づくものであったということがわかります。
しかし、今の時代、「911」事件のビルディング崩壊が、ジャンボ機による突撃と燃焼だけでは、あのように、瞬時に隅々まで崩壊することはあり得ない。」「あらかじめ、ビル爆破装置がしかけられていた」ということを検証して世界に示すことはありません。裸の王様が歩いていても「素晴らしい御衣装です」と、口を揃えて言う時代です。イザヤ書10章は、これを予言しています。

預言者たちは、こうしたことを予見していたからこそ、口のきけない私たちに代わって、あらかじめ、預言しておいたのです。



       日本の領土


以上、どれも具体的であり、見事に日本に的中しています。
これは「神の契約」の威力を日本と世界の人々に知らしめるものです。

ヨハネの黙示録5章には、預言が成就されたときの人口が予言されています。
さらに、ヨハネの黙示録12章ほかで「日本国が戦災にあい、蹂躙されること」が詳しく予言されています。

7  5章  神の民 万の万倍 千の千倍、即ち、一億百万余人という人口が予言され、 
8 12章 42ヶ月間の第2の災い 第2次世界大戦で踏躙される日本国が予言されています。、 

なお、神の国の神の民 「万の万倍 千の千倍、即ち、一億百万余人」という人口は、謡曲の「鶴亀」にインプットされています。先祖たちが、最近まで、結婚式の行事にこの「鶴亀」を取り入れていたことの意味、今ようやく明るみに出たのです。
日本の人口と「ヨハネの黙示録や謡曲 鶴亀の人数」との間に約2千万人の差がありますが、それは、日本に住みながら、日本国と日本国民を蹂躙し、簒奪している人々が、総人口から除外されているからです。その者たちのことは、「ヨハネの黙示録」22章に比喩を以って詳しく書かれています。

ちなみに、1950年頃は、日本人の総人口は8000万人ほどでした。



ヨハネの黙示録が、あえて、ストラボンの「ギリシャ・ローマ地誌」へのリンクを誘導しているのは、「プラタナスの葉=手」のモチーフを使って、創世記のヤコブとエサウの誕生神話や古事記神代記の、「大国主神と少名毘古那神」の記事が相互にとリンクしていること衆人にわからせるためであろうと考えられます。
ヤコブ=イスラエルという聖書のキーワードの正体がこれによって明らかとなり、本物のイスラエルの証明に供するという配慮です。


ヤコブの地理

   プラタナスの葉
   プラタナスの葉のペロポネソス半島

ヤコブとエサウの誕生 創世記25章

イサクの妻リベカが身ごもると、主は彼女に仰せられた。
二つの国があなたの体内にあり、二つの国民があなたから分かれる。
一つの国民が他の国民より強く、兄が弟に仕える。
出産のときが満ちると双子が体内にいた。
最初に出てきた子は赤くて全身毛衣のようなのでエサウと名付けた。
後で出てきた弟の手はエサウの踵をつかんでいた。
その子をヤコブと名付けた。

ヤコブの手とは、イタリアの踵に近い「手の形のペロポネソス半島」を含む地域をさしていたと考えられます。
エサウの「赤くて全身毛衣」は「剥がした牛皮に似て」と表現してあるストラボンの「ギリシャ・ローマ地誌」のイベリア全体を指しているのです。

ストラボン「ギリシャ・ローマ地誌」

イベリア地方全体は形が剥がしたままの牛皮に似て、
長辺は西から東に伸びて東側辺りが額部分にあたり・・・・
  
ヤコブの手によって踵を捕まえられていたというエサウの領土はイタリア半島を含んでいたようです。
エサウのイベリア地方は、豊富な鉱物資源に恵まれた土地です。
エサウが「ヘテ人ベエリの娘エフディテとヘテ人エロンの娘バセマテを娶った」という記事は、タウロス山や、ミノタウロスなどで知られている「タウロス(牛)」の略称であるタラス、タラコなどの地名がイタリア半島の踵部のタラス湾、イベリア地方のイベル川河口近くに名付けられるなど、タラ、ヘテの足跡を辿るのに便宜を与えています。

ペロポネス半島が「プラタナスの葉」や「手」と表現されていたなら、それはまた、葡萄の葉や、棕櫚、八つ手、もみじ、星、百合の花に喩えられたことは容易に推測できます。
ですから、いわゆる、ユダヤ人やイスラエル人と称している人々や日ユ同祖論を標榜している方々は、イスラエルに関して勘違いをしているのです。

ヨハネの黙示録は、こうした「イスラエル問題」「エルサレム問題」の錯誤をただそうと言う目的で書かれていることは明らかです。



「初めであり終わりであり、アルファでありオメガである」
ヨハネの黙示録は、この言葉を何回も繰り返していますが、これは、「聖書」の創世記とヨハネの黙示録の照合を示唆し、さらに、「太古の歴史と終わりのときの歴史」が重なることを預言したものです。
ヨハネの黙示録は、日本が「アット‐ラスト」、即ち、「遂に」真の神の国になることについて書いているのです。ここに「アトラス」という言葉がちゃんと待ち受けていることに、預言者たちの意図が伺えます。
俗に言われている「終わりの時」とニュアンスが違うことに気付かれるでしょう。

聖書の真の目的が、アット‐ラスト、すなわち、遂に聖書の奥義が解かれる日に向けて書かれていることがわかります。
日本では、「おわり」という地名に「尾張」という表意文字で名付けて、終わりとは、尾が張ること、つまり、鳥が成長して一人前になることを暗示しています。
この地名は「尾羽張の剣」という神宝の名とリンクしているのですが、この「尾羽張」というのはオリオンのことで、オリオン=イリオン=トロイア=トロアス=アトラスのことなのです。(後に説明します。)

問題集として機能している、「旧約聖書とマタイ・ヨハネ両福音書」に対してヨハネの黙示録や「古事記」、「日本書紀」が解答書や解説書として機能するのですから、「古事記」「日本書紀」が、「聖書」より新しいということは言えません。これらは、最初から一つのマスタープランに基づいて作製されていたのです。


このことについて、イエスは、「蒔かれた種と実った種は同じものなので、実を見れば、毒麦が蒔きこまれたことが判別できる」と述べていることと同じ意味です。 マタイ福音書13章

イエスはこのように、「聖書は毒麦も入り混じった書物である」ことを示唆していますが、それは、聖書が悪用されてきたという証しでもあります。



ヨハネの黙示録との出会い

わたしが初めて聖書を読んだとき
わたしは、三十過ぎになるまで、聖書を読んだことも、教会に建物見学以外に立ち寄ったこともありませんでした。
そして、いつか聖書を通し読みしようと、かねてから思っていましたが、31、2才の時に、遂に、創世記からヨハネの黙示録の最終ページまでを、どうにか読み終えました。

第一に浮かんだのは、「聖書」は、「創世記から、ヨハネの黙示録に至るまで、謎々を織り込んで編纂してある!!」といった感慨でした。

詩篇49章
 私の口は智恵を語り、私の心は英知を告げる。
 たとえ話に耳を傾け、竪琴に合わせて、謎を解き明かそう

ダニエル書12章
 この言葉は、終わりのときまで秘められ、封じられている。
 
「聖書」のところどころで、こうした、謎の存在を匂わす章句に出会います。
そして、ヨハネの黙示録1章から22章まで読み進みますと、この黙示録全章が謎々の集大成であり、綿密に構成されていることに気づきました。

第二に、「聖書」には、預言者の書いた部分だけで構成されているわけではなくて、不純な部分が混ぜ込まれていると直感したのでした。
喩えて言えば、「正しい人と、人殺しで嘘つきの人との争いを、法廷ですべて書き留めた文書」と同様であると説明すればよいのでしょうか。とにかく、この記録のお陰で、よく読めば、真相が見えてくるのではないかという感慨を持ったのでした。
たとえば、「イエスがパン5個と魚2匹を群集に配られ、群集皆が満腹して、残りを集めると屑篭に12杯もあった。マタイ福音書14章」などは、「パンが旧約聖書からの教え」「魚がイエスの教え」であり、「聖書に、多くの奥義には直接関係ない教えや虚偽が含まれている」ことを教えられたものだということがわかります。マタイ福音書16章には、「わたしの言ったのはパンのことではないことが、どうしてあなたがたには判らないのですか。パリサイ人やサドカイ人たちのパン種に気をつけることです。」といわれたことからも判断できます。

聖書について、漠然と知っていた知識と、実際に自分で読み通した内容とのギャップに驚きました。
教会や神学者などは、自分たちにとって都合のよい部分だけを拾い上げて教えてきたのだということが確信されたのでした。

第三に、聖書は人類平和の実現を約束し、地を破滅させるものを破滅させるというテーマで貫かれた書であるということを、このとき初めて知りました。

第四に、聖書を読むよりもずっと以前に、高校生の頃、ホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」を一気に読んだことがありました。
その時、「トロイア戦争」と「日本と連合軍との戦争」を重ねながら読んだことから、ふと、トロイア人は日本まで落ちのびてきたのではないか、数千年ぶりに、太古と同じような状態に陥ったのが、今次の戦争なのではないかと思ったことがあったのでしたが、「聖書」を読んだことで再び、このことに思いをめぐらせることになりました。
そして、「聖書」を残した民と「トロイア」の民が共に地中海域から消えたということ、「聖書」の民と「トロイア」の民が共に、エコーのように声だけを全世界に響かせたまま、忽然と姿を消したまま、杳として行方が分からないことには、どうも納得がいきかねるのでした。
そして、「トロイアの民が聖書の民であり、それは日本人なのではないか」と、ふと、考えたのです。

このブログが、トロアス(トロイア)のアナグラムであるアトラスの手がかりである「浦島太郎」と「聖書」のヨハネの黙示録を平行して取り扱っているのには、こうした理由があるからです。


第五に、ヨハネの黙示録を読んでの驚きと疑問です。
「聖書」の最後を飾るこの書は、「聖書」中で最も謎に満ちている書であるにもかかわらず、黙示録1章の序文で、「この預言の言葉を読む者と、これを聞いて、話されている言葉を守る者たちは幸いである」と宣言し、そして、「もはや時がないからである」と記してあることに驚きました。

「聞いても内容がよく理解できないうえに、ヨハネの黙示録に関する解説書や研究書などを読みあさっても、さっぱり判らない文書に対して、「聞く者は幸いである」というのはおかしな話です。しかし、この言葉で、興味をかきたてられたことも事実です。

あるとき、「エホバの証人」の方々が我が家に来訪され、「ヨハネの黙示録」を解説した「啓示の書」で、「聖書」を注解してくださると申し出てくださいましたので、私は喜んでそれに応じました。
この全世界で800万部ほども頒布されたという「啓示の書」を注解していただいたのですが、「啓示の書」が奥義を解明した書籍であると納得することは到底不可能でした。
そして、この「啓示の書」を真理として受け入れている人々が全世界で500万人ほども実在していることは、さらに不思議でした。


エホバの証人たちは、「啓示の書」を読んだり、聞いたりして、彼らの組織に入会し、バプテスマを受ければ、「地上での永遠の命が頂ける」、これが、「幸い」の真意だというのです。しかし・・・

「神の子キリストが、全人類の罪を贖う犠牲の羊となって下さった」ために、「バプテスマを受けたエホバの証人は地上の永遠の命を享受する」。しかし、この「エホバの証人の宣命を受け入れない人々はハルマゲドンで絶滅する」と、ヨハネの黙示録の奥義の解明の書であるという「啓示の書」が保証しているのは、どうも納得がいきません。
「啓示の書」には、「ヨハネ級の人たちは、1918年から1922年にかけて、現存する万民は決して死することなしという幸いな見込みを苦悩する人類に差し伸べました。」(「啓示の書」日本語版152ページ)と書いてありますが、当時は、第二次世界大戦のさ中にかかっており、戦死や戦火での死におびえていた時代に、「あなたは永遠に生きられるという幸いな見込み」を伝導していたといいます。しかし、1914年から、地球のどこかで戦争と戦死が止むことがないのが現実です。

「あなたは決して死なない」は「蛇」のせりふ
「あなたたち(個人)は決して死なない」、このセリフは、創世記3章で蛇がそそのかした時のせりふと、すっかり同じです!!
そして、この「ヨハネ級の人たち」とは、イエスにバプテスマを授けたヨハネになぞらえた「エホバの証人」の組織の人たちのことだと言うのです。

人類が今日まで築き上げてきた努力や失敗の歴史を刻んだ文書などの一切合切を否定して、ただ、ひたすら、ものみの塔聖書冊子協会の見解で出版した「啓示の書」一冊を信じて、これに全てを賭けるよう薦めるわけです。
また、何万年、いや、その始原もわからぬほどの太古から、親からの継承という尊く神秘的な仕組みで受け継いできた命は、ほかの生物同様に、生まれ、老い、死ぬという生き物の定めを負っています。
エホバの証人たちは、こうした地球上の動物の宿命を否定し、「老いない」、「死なない」という思いもかけないことを保証すると請合うのです。この「不老不死」の保障はいかなる根拠に基づいているでしょうか。物見の塔聖書冊子協会の「啓示の書」からは、さっぱり伝わってきませんでした。

「聖書」中には、「永遠の命」「命の木」あるいは、「不死」という言葉が使われてはいますが、それが、個々の人間の「不死」そのものを指し示しているようにはとてもとれません
「信者の不死を請合い、信者以外の人類の絶滅を保証する」という内容の「啓示の書」が800万部も頒布され、また、500万人以上の人々が、この書が「ヨハネの黙示録」の奥義を有した真実にして真理の書であると信じたというのですから、現代の不思議というほかはありません!!




「聖書」の地で
ヨハネの黙示録を読むことが、なぜ、幸いなことにつながるのか、独自に、手掛かりを求めて、神学、歴史学、考古学、神話、伝説、地質学の分野までの書籍を、片っ端から読みあさりました。
さらに、モーセの足跡を尋ねてエジプトやイスラエルに足を運び、トルコ、ギリシャなど地中海文明についても探索するという、恰も、遍歴の騎士ドン・キホーテのような日々を送りました。
幸運にも、同道してくださる純朴なサンチョ・パンサにも恵まれました。


エルサレムのソロモンの神殿の嘆きの壁の前では、不穏な情勢にもかかわらず、大勢の人々が各地から来て、熱心に祈っているのを見ました。
それで、私は思わず、次のことをエホバ神に祈りました。

・エホバ神のこの神域が世界で最も惨めなご様子なのは何故でございますか?
 ここに来ている人々は、おそらく、平安と安寧を希求して祈っておりますのに、
 このあたりが最も平和と安寧から程遠いのは何故でございますか。

・エホバ神は、どの宗教が良いかをご存知のはずですからお教えください。

すると、瞬時に、「宮は日本である」というフラッシュの閃きが走りました。
私は、しばし呆然としましたが、しかし、よく考えてみますと、「宮は日本」の一事で万事が明白になる!!と、そのとき思いました。「エルサレム問題」が世界のメビウスの輪となっているのだと悟りました。




ヨハネの黙示録とミレニアム問題

エルサレム問題とはミレニアム問題
「エルサレム問題とはミレニアム問題なのだ」という実感を、現地に行ってつくづく思い知らされました。
「ミレニアム問題」とは、1000年前の「十字軍の遠征」の例でわかりますように、1000年毎の「聖地分捕り戦略」のことで、言葉を変えれば、「1000年間世界を支配する」という野望、つまり、「千年王国」の支配権を取ろうということです..
わが国も、今ミレニアム期には、これに巻き込まれました。
「満州にユダヤ人のナショナルホームを!」というスローガンを掲げての満州支配や、ヒットラーの「千年王国構想」と手を結んだことなどは、みな、「ヨハネの黙示録」悪用の例です。



イエス・キリストとミレニアム問題

「イエスの生涯は、ミレニアム問題の渦中で綴られた」
このことは、あまり研究されている様子がありません。
しかし、救い主が顕われるのは、大ミレニアム期なのですから、間違いなく、この時の聖書の記録はミレニアム問題を描いたものでした。
だからこそ、真の預言者(救い主)は、敵側から抹殺されなければならなかったのです。
イエスの誕生前に、当時既にミレニアム預言は大々的に悪用されていて、「アウグストス皇帝が世界救済を実現し給うたメシアである」という喧伝がいきわたっていたのです。

本物のメシアとなるはずのイエスは生まれる前から探し求められていて、そのために大勢の幼児が巻き添えになり殺されたことを、マタイ福音書は冒頭に書いています。偽メシアアウグストス一族のためにも、自分のためにも、邪魔者を殺してしまおうと待ち構えていて、イエスと同年齢の幼児を虐殺させたヘロデ王一党のことはご存知でしょう。

危機一髪を逃れたイエスはエジプトへ一時避難され、そこで養育され、そして、30歳を過ぎてから、数年間だけ、救世主としての務めを果たされました。

イエスは、その、短い伝道の中で、「(イエスが殺されるとすぐに、闇世となるので、)今、光あるうちに光の中に歩みなさい」「光があるうちに光を信じなさい」(ヨハネ福音書12章)と告げられましたが、その通り、イエスの不在によって、神の西宮と指導者力を失い、続く戦争などによって、文明が衰退するという事態が生じました。
イエスは遺産として、「イエスの預言」を残し、そして、「神を信じ、神にあくまでも忠実であること」の手本を残し、「預言が実現するという事実」を知らしめたという功績が残されました。
そして、今ミレニアム期の壊滅的な危機を回避するために、これらのイエスの預言が備え置かれたのだということを実感しています。



ミレニアム期になると、大災厄を引き起こす者たちが、預言に似せた偽預言でスローガンを創って、聖戦をでっち上げて、神なき仁義なき戦争で世を絶望的な迷宮状態に落しいれることが予見されていました。そのために、不安になっている群衆をますます迷わす「黙示録解説」が流布することも見通されていたのです。
また、こうした偽りの横行に耐えきれずに、その反論をしようと試みる者がでることを、神と預言者たちは見抜いているのです。

「聖書」の中に何か手がかりがないか、何か打開策が書いてあるのではないかと探しまわる人々がでてくることを想定して、このヨハネの黙示録はかれているのですが、そのときは、「もはや時がない」崖っぷち状態のときなのです。


「もはや時がない」
ヨハネの黙示録の「読みなさい、聞きなさい・・もはや時がない」という言葉は、ミレニアム期で騒然とした時代、末期状態の時代の、ヨハネの黙示録の読み手に向けてのメッセージであるということの表現です。

ヨハネの黙示録の最終章には、「この預言の言葉に、付け加えても、取り除いてもいけない。さもないと、預言に書かれている災厄が降りかかる」と明記されている書です。
これは、機が熟すまでは、ヨハネの黙示録を利用してはならないという禁忌のはずです。

しかし、ヨハネの黙示録の「禁」を犯して、預言を悪用して大戦争を起こして千年王国をわがものにしようとする勢力が必ず立ち上がり、画策をたて、その結果、大災厄が起こることを見越して、その前提でヨハネの黙示録が書き備えられているという悲しい面を持つ構成になっているのです。





それでは、次回から、ヨハネの黙示録の解明を、1章ずつ解説していきますので、ヨハネの黙示録を開いて照合しながら検証してください。

ヨハネの黙示録の全文
次のサイトに「ヨハネの黙示録の全文」が載っているサイトを見つけましたので、ぜひ照合してください。

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/Yohane.html#1



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話の種

 黙示録のミレニアムへの蠢動    
  
   ギルレイ風刺画
   破滅の海へ 1807年

聖書の言う「豚と悪霊」の意味を正しく捉えているのが、イギリスの風刺画家ジェイムズ・ギルレイ(1756~1815年)です。
「豚に真珠」とは、軍人が宝石入りの勲章をつけることを好むのを揶揄したことばです。

目からうろこ
イエスのヨハネ福音書9章の言葉から「目からうろこ」「泥を塗る」このことわざが二千年以上も前に使われていたこと、そして、うろこを目に装着して盲人を装って、神殿で詐欺をしていた人物がいたらしいことが読み取れるでしょう。

イエスのマタイ福音書17章の言葉の「湖に行って釣りをして最初につれた魚の口を開けるとスタテル銀貨がみつかる」その魚だとして、イスラエルのガリラヤ湖に旅行すると、その魚の料理が出てきます。
この魚のオスは、卵を守るために涙ぐましい努力するということで知られています。
鳥は、卵という球体を守るためにさまざまな努力をします。
イエスは、マタイ23章で、「ああ、エルサレム、エルサレム・・・わたしは、雌鳥が雛を翼の下に集めるように、あなたの子らをいくたび集めようとしたことか、それなのに、あなたがたはそれを好まない。
見よ。あなた方の家は荒れ果てたままに残されます。」と告げられました。
宮 卵 球 地球の関係がここに織り込まれています。
地球は卵土(ランド)です。

また、ここには「有翼の円盤」がさりげなく語られているのです。

イエスのこの言葉はイザヤ書10章の

「私は国々の境を取り除き、彼らの蓄えを奪い、全能者のごとく住民をおとしめた。
我が手は国々の民の財産をわしづかみにし、
捨てられた卵を集めるように全ての国々を集めたが、
くちばしを動かす者も、さえずるものもいないありさまだった。」

にリンクして対立している預言です。
大衆の好むのは「破滅の道」を行進する、偽メシア、アウグストpゥス、そして、今日、アウグスタス号という戦艦上で、原爆製造を画策したローズベルト大統領が二十世紀最大の偉人の中に数えられているのです。

恐ろしいほどに、歴史は繰り返しているのです。



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