米中の混沌の中に光が!!
アメリカの大統領選挙からワシントンDCの元白家の方の令息のノートパソコンの窓からソドムとゴモラが
見えて、あれ?!と思っている間にパンドラのブラックボックスからヤミが
飛び出してきてアメリカ全体を覆いつくすのを見ました。
日本では、連日、あれがおいしいこれがおいしいとか、C級ドラマや
お手軽で陳腐な報道に国民の目が引き付けられていますので、
アメリカをはじめとして、世界がヤミに覆われてゆくのに気付かない人が
多いのかもしれません。
でも、人類がヤミに囚われてしまわないうちにと必死に闘っている人々の
ことを忘れてはいけません。
そのような人々は闇に抵抗して闘っていることを心に留めなくてはなりません。
何処の国でも、テレビや新聞の報道が偏っていて、何を信じてよいのか分か
らないのが、ヤミのヤミたる所以です。
今、とりあえず、アメリカで何が起こっているのかを、客観的に報道しようと、
頑張っているユーチューバーさんがたくさんおられます。
わかりやすく、しかも真剣誠実に報道している方に台湾人香港人が多いことに
気が付きました。(英語などは苦手ですの漢字圏についてのみ触れます。)
すると、そのような良心的
ユーチューバーのお一人の陳薇羽さんという方が、
「漢字」の簡略体が齎らしている弊害について述べておられました。詳しくは
そちらで見て下さい。
簡略字には、漢字を作成した賢者の神学や哲学や歴史観などをずたずたに
する意図だけではなく、漢字を変革した者の邪心までもが込められていると言
われるのです。
台湾と香港は「漢字」を守ってきて良かったと言い、
中国でも旧字に戻すべきだと言っておられます。
中国は多くの漢字を略字体にしたために、先人たちの書物を読めなくなって
しまいました。
古きを尋ねて新しきを知る「温故知新」の機会を遮断してしまったのです。
イギリスに統治された香港と日本に統治された台湾が、
「漢字の簡略化」を免れたことは幸いでした。
幼いころにたくさんの漢字に親しむことは、脳にも心にも良いはずです。
実は、日本にも、結構略字が多いです。
戀という字が恋に変わった時には、恋しい こいしい恋人が「変しい変しい
変人
へんじん」になってしまったと揶揄された時がありました。
私は幼いころ病弱でしたから、医者通いが頻繁でした。
医院の看板には「医」ではなく「醫」の字が書かれてあり、祖父から「一して
矢してひっかけて、ルして又してひよみどり(酉)」と教えられ、
この酉は酒壺にして「お酉様」という医薬の神様をも表しているのだと
教えられました。
今の医学には「神様」が抜けて、「医」は「算術」と化したといわれています。
今日の医学薬学世界は、すっかり、ビルゲイツ的世界になってしまっています。
奈良の三輪神社は医薬の神であると伝えられていて、三輪神社に行きますと、
酒や薬が供えられて山積みになっているのを見ることが出来ます。
三輪神社の「医薬の神の少名彦神」というのは実は「夷」様でもあります。
この夷は銕=鉄にも使われている大切な文字です。「夷様」とはのことなのです。
実はこの神はお酉様でもあるのです。
ではこれを何故お酉様ともいうのか、エジプトで鳥頭のトート神を調べれば
わかります。
「夷様」と「少名彦神」とは別だと言ったりするのは、大抵は、学者のしわざです。
自分を博学だと思わせるために書物の中に書くので、そう思う人が多いですが、
よく調べればそんな嘘はすぐにばれますが、今はその議論や説明は略します。
今日でもこの少名彦神=夷様=お酉様の祀られている三輪神社には、
酒造会社や製薬会社からの酒や薬が捧げられているのです。
このように、漢字といわれている文字に裏付けをあたえているのは日本なの
です。
古事記や日本書紀の神代の巻にも「蛭子
ヒルコ=夷」について書かれてあります。
中国の方は「漢字」はご自分たちの祖先が創作したと考えていますが、
それは違います。ですから、この「銕
てつ」に込められた「夷様」の存在を、
誰一人ご存じありません。
今では日本でも「鉄」の字を使っていて、この金属をぞんざいに扱っています。
中国大陸では、まるくす教という唯物主義 科学主義という最先端の思想には
歴史は不要として、史書があっても読めないように漢字を変え思想を変えまし
たが、最近、百年に満たない「まるくすさま」では国民の士気が高まらず、偉大
なる「しゅう王朝」を構築するのに物足りないと判断されたのか、急ピッチで、
自国こそ漢民族こそが世界最古からの文明国であったと唱えることによって、
箔をつけようと躍起になっておられます。この生兵法が今の中国の混沌を招
き寄せていることを知りません。
そして、わが民族の別名の一つである「東夷」というのが、古代文明の要所に
出現してきますので、「東夷」とは蛮族であるとずっと言い伝えて「軽蔑」しきっ
てきた「東夷」を、実は中国東海岸あたりに住んでいた漢人であると言い始め
ました。それは、日本人を蔑み憎むよう学校できつく教えている中国人は、昔
から、どんなに仲良くなろうとも自分以外の人を見下げて、偽り事を言って
留飲を下げるという癖が、「大古からの習性だった」という現実を浮き彫りに
するだけです。
この悪しき習性を改めるまで決して他国から賞賛を得ることは出来ません。
漢字と聖書漢字には「聖書」と直結する言葉が多いということは、前々から言われていま
すのでご存じの方もいるでしょう。
しかし、聖書を敵視するか宗一族のように金儲けと権威づけの道具にするか
の価値観しかなくて、国から宗教を一掃した人々の祖先が「漢字や聖書」を
創作したのではないことは明らかです。
はじめに言葉ありです。信じるとは人と言葉からできています。
この言に神が宿られるのです。
ですから、薇羽様が、祖先がこの字を創ったと感じその破壊を悲しまれるの
であれば、それは真にその通り、字を創られた祖先の血脈に繋がっている
と思われます。
私はこの米中の混沌の闇の中から、光を見出しました。日本では「士農工商」という身分がずいぶん昔から存在しました。
この言葉を悪用する者達があったために、この言葉が「差別主義」に結びつけ
られましたが、それでも、この言葉が廃棄されないで記憶に残されています。
「天地人」というセットも消えてはいません。「父母」というセットも、
カマラ・ハリスさんたちのような極左の人々が活躍しても、
決して死語にはならないでしょう。
イエス・キリストは十二人の弟子を任命されましたが、その内一人は裏切る
のが常でしたから、11人が弟子で、その方々が士さむらいでした。
よく「私はキリスト者です。」とか、「イエスに倣いて」とか云う人がいますが、
そんなことを軽々しく云う人は、「詐欺師」もしくは「軽薄な人」です。
ですから、日本人は、そのような宣教師に、決してついていかないのです。
イエスの弟子とは倣ったり真似出来るようなたやすい存在ではありません。
士の原型はマネできるような方々では決してなかったのです。
士は「国を守り、人を守り、心を守る」ことに全力を傾けなければならなかった
のです。この三つを守ることこそが「天」や「天の国」を守ることになるのです。
また、士に「二言はない」ことです。義を重んじるということです。
マタイ福音書5章37「だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は
『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。」がそれです。
ダブルスタンダードを忌むようにということが含まれています。
今、ダブルスタンダードどころか、法律も裁判も最高裁判所までも、
正義を貫くどころか、言葉を麻の様に乱れ縺れさせて、何がなにやら
わからなくして、混沌を創り出しています。
神父さんや牧師さんは「イエスの弟子たちについて、全く知らないので、
パうロというサギシを使徒であると教えます。パウろは、イエスの教えを横道に
逸れさせ言葉を縺れさせる甘言を植え込みました。
これが、・・・・教の諸悪の根源です。
ヨハネ福音書とマタイ福音書を読めば、そうした甘言を云う者が狼であり
強盗であり、詐欺師であることが一読でわかるはずです。
ヨハネの黙示録2章2-6にも「使徒という偽り事を云う人を見抜かないといけ
ない」ことが預言されています。
イエスの弟子たちとは、その価値は
2000年経って初めてわかる類の方々です。
イエスは「士=サムライ」を集められたのです。
その士は、「国を守り、人を守り、心を守る」ことに全力を傾けておられます。
天とは「地と人と心」のどれか一つが抜けても意味を失います。一つでも抜けば、
只の「唯物」です。
神の言葉は、天を守り、人の心を守る言葉です。
アメリカのこの混沌の闇の中を、目を凝らして見て下さい。
「志」ある本物の「士」がおられるのが見えてくるはずです。
その方々はイエスの「志」を継ぐ「士」の血脈を受けている方々です。
そして、志と智と愛と勇気を持っている方々です。
こんな方々が今おられるということを知って、これほど嬉しいことはありません。
志ある士の方々がたくさんおられることがはっきり見えました。ですから、
やがてヤミが追放されることは間違いありません。けれど、この世がこれほどひどいソドムとゴモラとは思ってもみませんでした。
志ある士が頑張ってくださっているのですから、残りの者たちは、せめて、
今の苦難の時に、周りにいる貧しい子供たちに「食事代」を分けてあげるよう
な人にならなければなりません。セキジュウジやキョウカイに送っても無駄な
ことは、この度のバチカンの悪事にても明らかです。
心ある方々が「貧者の一灯のお金を贈られました」が、なんと、AIで凍結され
るという事態も生じているのです。
「隣人を愛せよ」と聖書に記されている言葉が、今こそ生きているのです。
日本の若い方々、ゲームや漫画にうつつを抜かしている場合ではありません。
今は黙示録の時です。
今、「アメリカの大統領選挙」で騒然としていますが、情報が溢れかえっている
と思いきや、全部スルーされ隠されていることのほうが多いのです。
いらない言葉は溢れかえり、必要なことは毛抜きで抜くように抜き取られて
います。
巨大テック業界のCEO達は、「あかうんと」の停止をして、5兆円の減益となる
も顧みず情報を遮断するのです!!
今、急にこのようになったのではありません。急に私たちが、そこに気づくように
なっただけです。
私が出しているこのブログも、いつヘイサされるかわかりません。
いつも検索しづらいところに、かろうじて置かれています。
なぜ?!
それは、我が国が文明開化をした1868年以前には日本には文明が無かっ
たことにしたいからだそうです。
隣国からの文化が、辛うじて届いていた後進国ガラパゴスだそうで、文字も、
600年ごろ隣国の文字を借りてやっと使いこなせたという未開の国だったから
だそうです。
ですから、私の説などを口にすれば、教師にも学芸員にもなれないという
暗黙の了解があるので、元総理大臣のところに勤めていてさえも、
陳情を黙視されています。出版社が取り合ってくれるはずがありません。
お気の毒な神様!!!
お気の毒な預言者たち!可哀そうな日本!
こうして、真実と嘘偽りがあまりにも多くなりすぎたので、何が真実で、
誰を信じれば良いのか分からない世の中になりました。
そのようなことを、神や預言者が予見していたからこそ、
預言の書が用意されていたのです。
2千年以上も前のことですから、欲や得をはなれた「邪心のない真実」が
書かれています。
しかし、気を付けて下さい!!旧も新も聖書には既に毒麦あるいは毒麦パン
が混ぜ込まれていました。
ですから、それを見分け見抜く手引書が「ヨハネの黙示録」なのです。
それだけでは足りず、わが先祖たちが住んでいた先々で、手引きの書を残し
て来ました。
エジプト神話、ギリシャ神話、「イリアード」「オデュッセイア」「三国志」、
「古事記・日本書紀」等々です。大地に地名山名 空に星座名やおとぎ話・・・。
数々の手がかりのことは「オシリスのばらばらの死体」と云います。
それを拾い歩いたわたくしは、「イシス=イリス(虹の架け橋の女神。ホメロス
は神の言葉の伝令という。)」の使い走りです。
先ずは「ヨハネの黙示録」から読み始めて下さい。
「ヨハネの黙示録」は「目次録」でもあります。逆引き辞書のようなものです。
アルファでありオメガであるという語句の陰にはこんな意味もあるのです。
ヨハネの黙示録の言葉で「検索」をして、新約や旧約へ導かれるようにすると、
聖書を最短で理解出来ます。
ですから、只の一言も取り去ったり付け足したりしてはいけないと、きつく
戒めてあるのです。
聖書の中を迷わぬように導きの糸(意図)が張り巡らせてあるのです。
そして、今の世の中のソドムゴモラぶりに目を向けて、
ソドムゴモラから脱却し無ければなりません。
このまま、スマートシティ住民になるって便利!とばかり、スマホ片手に
喜んで時間を潰していると、実は、ネズミ捕りのケージの中に居る!!って
ことになってしまいます。
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