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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

21 ヨハネの黙示録の真実

21 ヨハネの黙示録の真実

ヨハネの黙示録 16章

天地破壊者への神罰
天地破壊の進行
戦争遂行のラッパの使者たち、即ち、
天地破壊を企てた者たちに対する神罰の宣告です。
加害者の方にも、お鉢が回ってきて、むしろ、
利益よりは害を倍化させているようすが予言されています。
人間どもの天地破壊に対する神罰は、
地、樹木、動物、人々、海、海中の生き物、水源、・・万物の上に
降りかかった災厄であり、その被害は甚大で破滅的です。

この呪わしい地の衰退の原因は水源(宗教)です。
宗教家たちが預言者たちを葬り去り、聖なる者たちが葬られたことに対して、
いよいよその汚れの根源に裁きが迫ってきます。
しかし、獣、獣の国、その他の人々も一向に行いを悔い改めず、
神への冒涜をやめる気配がありません。


ハルマゲドン
第六のラッパによって引き起こされたことに対して
ハルマゲドンという裁きが用意されています。
それは、竜、獣、偽預言者たちが三位一体となって発動した戦争に、
全世界の王たちがユーフラテス川のほとりに招集されている光景です。
それは、ユーフラテス川のエリアで、竜、獣、偽預言者たちが同盟して、
「神の国=神の家」、即ち、バベルの塔を造ろうとして、
途中で分裂したことが原因で起こっている戦争なのです。

もともとバビロンは、最初から竜と獣と偽預言者が同盟して造ったものですから、
やがて三つに割れて、三つ巴の劫火となるべき宿命にありました。
このことが、「神は怒りのぶどう酒の杯=エルサレム与えておかれた」と表現されているのです。
ここへ、のこのことでかけている国々、同盟、参集、これこそがハルマゲドンです。
この怒りの葡萄酒の杯に手を伸ばしている者たちを全世界に見せるために集められたのです。
そして、この物どもを全能者は「黒」と判決しているのです。
これが、「全能者なる神の大いなる戦いの日」に審判が下ること、すなわち、ハルマゲドンです。

現地に赴いている兵士や兵器は、各国の国民の税金でまかなわれているのですが、
彼らは自国に奉仕しているのではなく、王たちや偽預言者たちの財を増やし保護するのが
目的であり実態であることを預言者たちは見抜いています。
ここへ、兵士を派遣している国々の支配者や宗教家を「黒」と判定しておられるのです。

核開発の実行に携わった人物、イギリスの元首相のウインストン・チャーチルが、
王や大資本家の財産や投資した金や権利を守るための軍隊であると、
正直な発言をしています。
そのウインストン・チャーチルは、「真実」というものは、たいへん貴重であるゆえに、
「ウソ」でくるんで匿っておかねばならないという信念を吐露していた人物でした。
わたくしたちの、宗教や歴史観やマスコミがめちゃめちゃなのは、
このような方針の指導者たちが世界を牛耳っているからなのです。



島々は全て逃げ去り、山々は消えうせる
キリスト教会は、海山を越えて島々や山々にいたるまでキリスト教の宣教をしていますが、
彼らの支配、管理、集金、マインドコントロールの機関、かつ、情報集めの機関でした。
それらを、「宗教」の名目で、宗教の自由を旗印にして進入して、
資金は現地調達、不満分子は滞在国の破壊分子として活用、子供たちはクリスマスプレゼントで洗脳、
こうして、心置きなく幅広く活動できるわけですから、重宝この上ない組織であるといえます。
行く先々の国に嘘と偽善を教えますから、彼らが布教する国々の民は愚民化してしまうのです。
あげくに、それを「野蛮人を文明化した」と宣言するのです。
ついに、911事件が、資本家たちの「戦略」であることすら公言できないまでに、
世界中が劣化してしまいました。
この事件は、いつでも、どこででも、「テロリストが襲撃した」「テロリストたちが陰謀を量っていた」と、
名目をつけて、戦争を勃発させることができ、戦費を収奪できますので、国境がなくなり、
すなわち、島々も山々もないワンワールド体制に近づくということです。



ヨハネの黙示録 17章

大淫婦バビロンへの審判

大淫婦バビロンの正体大淫婦の額には名が記されており、
「奥義、大いなるバビロン、淫婦どもと地の忌まわしい者どもとの母」という意味です。
この大淫婦とは、「地の王たちを統治する大いなる都である」と書いてあります。

大淫婦は、「七つの頭と十本の角を持つ緋色の獣に乗っており、
その七つの頭とは、この大淫婦が乗っている王たちが支配する七つの丘のことで、
もろもろの国民、民族、また国語からなるところです。
そして、十本の角も、十人の王のことであると書かれています。
これらの王たちは「心を一つにして計画を進め、
自分たちの力と権威とを獣に委ねています。」


聖なる者たちとイエスの殉教者たちの血に酔い痴れている
この言葉は、2000年昔には、ローマ軍という野獣に乗っていたローマの支配者たちと
エルサレムのパリサイ人たちのことでした。
ですから、この度は、聖なる都日本を蹂躙した宗教家と資本家たちのことです。
チャーチルの自慢の伝記などから辿れば共犯者たちや、彼らを動かしていた連中や、
宗教関係者などを次々芋づる式に知ることができます。

わたしは これを見て非常に驚いた
この言葉は、「キリスト教」と名乗って、その背反者となり、
「神の預言の成就」と偽って、恵穂葉神の預言の妨害をしていて、すべてが真逆となっています。
どれもこれも、みな、なりすましだったので驚いたのです。

すると御使いがあらわれて、「この女が座っている七つの丘」などの真相を解説してくれます。
それは、「at last」の直前の時代が、「七つの丘」から始まったといわれていた、
ローマ帝国の時代の再来の時代であるという説明でした。

この女が「キリストをやイエスの殉教者たちの血に酔い痴れている」という言葉と、
この女が乗っているの国々がローマ帝国に比されているという言葉で、
当時のパリサイ人たちがローマ帝国のものたちであったという事情がわかるのです。
そうして、イエス・キリストの座を簒奪して、
イエスキリストの教え「命のパン」を「毒入りのパン」に変えたのはパウロです。
パウロの教会はバチカン、セントポール寺院をはじめとして、世界中に敷衍しています。
そして、日本を42ヶ月の間蹂躙した連合軍という野獣に乗っていた欧米の宗教関係者がそれです。


十本の角は十人の王たち
この大淫婦を乗せていた野獣の頭の十本の角は十人の王たちであるという言葉は、
日本を蹂躙した原爆開発に、イギリス、ベルギー、オランダなどの王室が、
自家所有のウラン鉱山の利益のために核開発の促進に手を貸していたたことからも、
預言が正鵠を射たものであることが立証されます。
そして、これらの謀略が何を意味するかは、
「こころをひとつにして」というキーワードが教示しています。
詩篇83章は、これが「エルサレム問題」であることを預言しています。

そして、ユーフラテス川近くのエルサレム付近でおきている「二十世紀」の諸現象は、
「聖書の神の国の成就」ではなく、聖書の預言利用による、
「石油資源」と「支配権」を獲得するための謀略でしたから、
この「預言悪用」という、神にとって由々しき悪事に、
エホハ神が介入されるのであり、これを明らかにするのがヨハネの黙示録の目的なのです。

「聖書の預言のイスラエル」も、「at lastに現れ出る、新しい聖なる都エルサレム」も日本です。
このことを悟らなければ、ヨハネの黙示録の意味が混戦してしまいます。

心を一つにして
詩篇83章 抜粋
 今、あなたの敵どもが騒ぎたて、あなたを憎む者どもが頭をもたげていて、
 彼らは、あなたの民に、悪辣な計略をめぐらせている。
 あなたのかくまわれている民に共謀してる。

 「さあ、彼らの国を国々から絶って、イスラエルの名が、
 今後思い起こされることのないようにしよう」と言っている。 
 彼らは、こころを一つにして、はかりごとをして、
 あなたにさからう同盟を結んでいる。・・・ 彼らは言っている。
 「神の住まいを我らのものにしよう」と。


エルサレム問題というものの正体が、ここに預言されています。
イスラエルとは、昔ギリシャを支配していた時代の「倭」のことです。
ストラボンの「ギリシャ・ローマ地誌」のペロポネソス半島と、創世記25章のヤコブの誕生とを、
照合したものを先に解説してあります。



ヨハネの黙示録 18章
大いなるバビロン
 1 あらゆる悪人、あらゆる汚れた霊、あらゆる獣たちの巣窟である。
 2 地の王たちは、彼女との淫行によって贅沢三昧をおくっていた。
 3 地の商人らは、彼女の途方もない贅沢によつて大金持ちになった。
 4 大いなる都の奢りのおかげで海に船を持つ者がみな富を得た。
 5 この女(バビロン)の商人たちが地上の権力者になっていた。
 6 この女の衒術によって、すべての国の民が惑わされた。
 7 預言者たち、聖なる者たちの血、
   地の(聖戦主義)上で殺された全ての者たちの血は、
   この都のために流された。

こうした罪状がヨハネの黙示録の18章に、並べ立てられていますので、
これを現実と照らし合わせますとき、「十字軍」や「西インド商会」と、
宣教師たちとの協労を考えないわけにはいきません。
西インド商会の船々が「奴隷」や「麻薬」を、最も利益のあがる商品として、
「麻薬蔓延」の素地を作ったことなどを振り返る必要があります。

アジアを麻薬で汚染することは、イギリスの国家的事業でありましたが、
ヨーロッパ王室が、所有するウラン鉱山で利益を上げようと画策して、
世界の核汚染を推進したことも覚えておくべきことです。
フランクリン・デラノ・ローズベルトの一族や、ジョージ・ブッシュの先祖が、
こうした組織などとかかわっていたことなどは、悪の氷山の一角です。

預言者たちは、世の行く末すべてをご存知であり、
こうした「悪しき心」、即ち、「悪霊」の系統のものたちが同盟して、
「ゆえなき聖戦に、世界の軍隊を召集している現場」を押さえて、
現行犯として審判を下す時の用意を整えていました。
これが「ハルマゲドン」の実態なのです。


たった一日のうちに
 さまざまな災いが、死、悲しみ、飢えが、
 たった一日のうちに、彼女バビロンを襲う、
 これが「ハルマゲドン」です。

それは、イザヤ書10章の「いばらとやぶ」に対する預言と同じです。

イザヤ書10章  抜粋 
 「わたしは国々の境をとり払い、彼らの蓄えを奪い、
 まるで全能者のように(預言を利用して)、民々を貶めた。
 私の手は国々の財を鷲づかみにし、
 捨てられた卵を集めるかのように国々を集めた。だが、
 翼を動かすものも、嘴を開く者も,囀るものもいなかった。」

こう、心のうちに傲慢にひとりごちているゴリアテに、預言者はいいます。
 
 斧が樵に向かって昂ぶることができようか・・・
 それは、棍棒が振り上げる人を動かし、杖が人を歩かせるようなもの。
 それゆえ、万軍の主エホバは、
 その、最も頑丈な者(ゴリアテ)たちに衰微を送り、
 火のように燃え尽きさせる。
 イスラエルの栄光が火となり、聖なる方の光が炎となって燃えあがり、
 その、茨とやぶを一日のうちになめつくす。

棍棒が人を動かすようなものとは、軍備の巨額さが、国を打ちのめし、
世の中が衰微にいたることを言っているのです。
ゴリアテの装備や槍である核施設やミサイル、軍艦、潜水艦、戦闘機などが、
それらの食い扶持を求めて、紛争の種を思いついては火種を蒔き、
世界を動かしていることを揶揄した預言です。
そして、ここに、「いばらとやぶ」が、
世界的犯罪に、二度ずつ登場しているローズヴェルトとブッシュが、
預言されていることを見てください。

日本は彼ら(竜、獣、偽預言者たち)の謀略によって、
英米ユダヤの代理戦争を引き受け、挙句の果てに、
全世界と戦う羽目に陥って、世界で最も悲惨な大災厄を科せられました。
その後は、彼らの巨額の軍事費を負担し、基地という治外法権区画を提供し、
不要な武器を法外な値段で買わせられていて、
二重三重のくびきをつけて引きずりまわされているのです。
こうしたことも、遂に、アットラストに、終止符が打たれることが預言されているのです。

「わたしの民よ 彼女から離れ去れ
 彼女の罪に加担して 彼女を襲う災いを共に受けることのないように」


この預言をよく吟味すれば、それは、欧米との軍事同盟を解けということなのがわかります。
たとえ一時的に、不利な境遇に陥ることがあろうとも、これ見よがしの苦境が与えられても、
エホバ神が下そうとしておられる神罰よりははるかにましだからです。
2000年前の、ユダヤ国の運命をよく研究する必要があります。

この「軍事同盟」を解くには、
わが国の守護神が「恵穂葉神」またの御名「矢羽神」であったという
事情を公表して、その「不明」を詫びる以外に、日本の安全は保証されません。

日本は神の永遠のお住まいである、「エデンの園」であるという信念が必要です。

「神の国と預言簒奪」の謀略の首謀者である「彼ら」が誰なのかは、
さまざまな書の中で自慢話として書かれていますので、
その気になって探せばわかることです。
欧米でも、一般庶民は被害者であって、
罪のない者たちのおびただしい血が流されたことは、
当時から誰でも知っていることであり。
今日なお、イラク戦争やパレスティナ紛争で私たちが目撃していることです。
人々も、住宅も、町も、博物館などもめちゃめちゃにされています。
そして、こうした蛮行を民主化と言っています。

「ハルマゲドン」は、国家的な規模のものではなく、
「王たちとその配下のものたち」のためのものであることを、
これらの預言から正確に分析しなければなりません。

「竪琴を弾く者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者たちも・・・
灯火の明かりも、花婿花嫁の歌声も、
決しておまえたちのうちには聞かれない。」とは、
「黙示録」や「聖書」の答えが「バビロンという大淫婦」からは出ないという意味です。
そこには使徒も預言者もいないという意味です。かえって、
預言者たちと聖なる者たちの血や、地上で流された全ての血は、
この都のせいで流された。


この言葉は、マタイ福音書23章のイエスの言葉に対応しています。

マタイ福音書23章 抜粋
 おまえたち蛇、まむしの末ども、おまえたちは
 ゲヘナの刑罰をどうして逃れ得よう。
 預言者、知者、律法学者たちが遣わされても、
 おまえたちは、殺したり、十字架につけたりし、
 会堂で鞭打ちなどをして、町から町へと迫害して行きます。
  
 義人アベルの血から
 神殿と祭壇の間で殺されたバラキアの子ザカリアの血に至るまで、
 地上で流されるすべての罪なき者の血の
 報復があなた方の上にきます。


ゲヘナの刑罰を逃れ得ない
この「ゲヘナ」という言葉は、
マタイ福音書5章の「人を殺してはいけない」という律法に関する裁きです。
モーセやイエスの「人を殺すな」とは、戦争を図るなということであり、
特に「神の名を騙って行う「聖戦」名目の戦争は、
「殺す」と「偽証する」「隣人のものを欲しがる」という禁を犯していて、
ゲヘナの刑罰をまぬがれることはできません。
ゲヘナとは戦争地獄のことなのです。

国が好戦的であれば、人倫も廃れ、人殺しなどの
極悪人が蔓延する世の中になるという因果関係を教訓としてきた掟であり、
それは、宗教家へ、国家を掌握するものへ科せられている律法なのです。

黙示録18章の結論は「神殿と祭壇との間で流された血」についての神の裁きです。
「宗教や、神の預言」が原因で流された血の責任問題が語られて、
戦争というのはすべて「悪しき宗教と悪しき政治」に責任があることを、
ヨハネの黙示録8章、9章、11章~22章が明かしています。

  
「命の木の実」、即ち、「神の国」にたいする権利は、
「私たちがどこから落ちたかを知って反省して行いを改めなければならない」と、
ヨハネの黙示録2章に書いてあります。
また、「使徒と自称するが使徒ではないものたちの虚偽を見抜くこと」などが求められています。
日本人の殆んどがキリスト教に改信しなかったことは自慢してよいことです。

パウロ、アウグスティヌス、ルター、法皇、神父らの病的な人格について、
ルター派教会の牧師の息子であったフリードリッヒ・ニーチェ(1844‐1900年)は、
その著「反キリスト者」(原佑訳 筑摩書房)で糾弾しています。
また、キリスト教の倒錯の根幹が使徒と自称したパウロにあることを看破し、
こうした「虚偽の教義」がもたらすものは、「破壊」であると述べています。

ニーチェの指摘は、わが国の宗教界にもあてはまることです。
どこから落ちたのか、悔い改めることが今後のわが国民に科せられた大きな課題です。 


ニーチェの鑑識眼 

ニーチェ「反キリスト者」  抜粋
 私はキリスト教の本当の歴史を物語る。
 すでに「キリスト教」という言葉が一つの誤謬である。
 根本においては、ただ一人のキリスト者がいただけであって、
 その人は十字架で死んだのである。
 「福音」は十字架で死んだのである。
 この瞬間以来「福音」と呼ばれていたものは、
 その人が生き抜いたものとは反対のもの、
 即ち「悪しき音信」「禍音」となった。 
 「悦ばしき音信」にきびすを接して、
 最もひどい音信が、パウロのそれが現れたのである。
 パウロのうちには「悦ばしき音信の報知」の反対類型、
 憎悪、憎悪の幻想、憎悪の仮借なき論理の天才が体現されている。
・・・
 
 パウロは救世主をおのれの十字架にかけたのである。
 イエスの生涯、その実例、教え、死、全福音の意味と権利を、
 この、憎悪からの贋造家が、おのれの利用し得るものだけを捕らえるや、
 あとには、もはや何ひとつとして残されてはいなかった。
 実在性も、歴史的真理ももはや残らなかった。
  
 パウロは、生存の重心を生存の背後にあっさりと置き移した。
 「復活した」イエスという虚言のうちへと。
 根本において、パウロは救世主の実在を総じて利用することをしなかった。
 彼には「十字架での死」だけが必要だったのである。
 そこからそれ以上の何か、目的を、即ち権力と、
 それを得る手段をパウロは欲したのであった。・・・

 そして、パウロとともに、もういちど僧侶どもが権力を握ろうと欲した。
 彼が利用したのは、大衆を圧倒し、畜群を形成するのに必要な概念、
 教義、そして、象徴」だけであった。・・・  
 
 彼は、キリスト教の昨日を、一昨日を抹殺し、
 初代キリスト教の歴史を捏造した。それどころか、イスラエルの歴史を、
 それが自己の事業の前史でもあるかのように見せかけるために改悪して、
 全ての預言者が「パウロ救世主」について語ったことにされてしまった。

 後に、キリスト教会は、人類の歴史をキリスト教の歴史へと偽造した。
 パウロの創造せる神は神の否定なり。.
 一点といえども現実に触れることなく、
 現実がただの一つでもその権利を主張するや否や
 直ちに崩壊するキリスト教のごとき宗教が、
 「世の智慧」の、科学の宿敵とならざるを得ないのも当然のことである。
 パウロは、虚言の「信仰」が必要であると捉えた。
 教会が後になって再びパウロを捕らえた。
  
 師のイエスが、ひとりのパリサイ人、神学者にでっちあげられた。
 法外な仕方でイエスを持ち上げ、おのれから引きはなすことによって、
 事実上の地上の幸福への、ひとつの新しく徹底的に根源的な素地が
 葬られてしまったのである。

 生の重心が生のうちにではなく、「彼岸」のうちに、
 「無」のうちに置き移されるなら、生からは総じて重みが取り除かれてしまう。
 人格の不滅性という大虚言が本能的に、あらゆる理性や
 あらゆる自然性を破壊する。
  
 いかなる目的のために虚言がなされたかが問題である。
 果たして虚言は存続に属するのか、あるいは破壊に属するのか。
 人はキリスト者とアナーキストとを完全に同一視してよい。
 彼らの目的、彼らの本性は、破壊のみを目指している。
 この命題への証明は歴史から読み取りさえすればよい。
 歴史のうちには、この証明がすさまじい明瞭さで実在しているからである。


わたしたちは、フリードリッヒ・ニーチェのこの苦言に真摯に耳を傾けて、
神と真実に回帰する必要があると言えます。
ニーチェが指摘する「彼岸へ」重点を置いた宗教のもたらす「無責任さ」については、
わが国の殆どの宗教も同罪です。



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