24 三輪の神の謎三輪の神の不思議三輪の神の神話とギリシャ神話三輪の神域は不思議、不可解な巨大石造物や伝承に彩られていますが、「古事記・日本書紀」、「万葉集」、「風土記」に至るまで、三輪の大物主神にまつわる記事は謎また謎で構成されていて、理解に苦しむような表現や名前で綴られています。
そして、いずれもギリシャ神話と整合しています。
一 「古事記」崇神記
「活玉依姫」は、夫の正体を知りたいと思い、衣の裾に糸をつけて辿りました。
その夫とは、酒と医薬の神、美和の大物主です。
クレタのミーノス王の娘アリアヅネにも「糸玉で辿る」話があり、
アリアヅネは「蟻通ず」、すなわちアリツーズのアナグラムです。
不思議なことに、日本には、「蟻通神社」が三社あります。
二 「日本書紀」崇神紀
夫(神)の正体を知りたいと願う妻の名は「倭迹迹姫」で、倭の迹を辿るという意味です。
この話はゼウスとセーメレ姫にまつわるギリシャ神話と同じです。
ディオニュソスはセーメレの死の灰の中から生まれ、
アトラスの娘たちに養育されました。
この酒神ディオニュソスの妻となったのがアリアヅネです。
セーメレ姫の父はテーバイ創立者カドモス、母はハルモニア(調和、大和の意)、
母方の祖父は軍神アーレス、祖母はアフロディテ(ビーナス)です。
三 「風土記」山城国
丹塗りの
矢に化けた夫、火雷神によって玉依姫は孕み、
生まれたのが賀茂別雷命です。
これは、京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)の玉依姫の話となっています。
この玉依姫の父の名は建角身命で、カドモスを想起させます。
また、二、のゼウスとセーメレの神話と同じです。
丹塗の矢とは赤い矢、即ち「アカイヤ人」のこと。「トロイア」に出てきます。
四 「古事記」神武記
美和の大物主が丹塗りの
矢に化けて通った相手は
勢夜陀多良比売で、これは「たたら鍛冶」に因む名だといわれています。
大物主の神は、その美人の大便(くそ)まるときに丹塗矢に化けて、
その大便まる溝から流れ下って、その美人の
富登(ほと)を突きました。
美人は驚いて「立ち去りいすすき」ました。
その美人を娶って産んだ子の名をホトタタライススキヒメ命といい、
亦の名をヒメタタライスケヨリヒメ命といいます。
そのホトということを忌み、名を改めたのです。
このように記されています。
「日本書紀」では「媛蹈鞴五十鈴媛命」の字を当てて、蹈鞴(たたら)すなわちたたら産鉄を強調しています。
また、「富登を突く」とは、ヒッタイトの産鉄場所がやられたことです。
アスカの地上絵「三輪山」と「矢」で出来る「矢的」 ここでは、上記の神話のうちの、四、の神話にまつわる謎を揚げてみます。
三輪山の前に広がる盆地に藤原京址があります。藤原京は背後の耳成山、左右の畝傍山と香久山に抱かれるように造営されています。
そして、この三つの山は大和三山と呼ばれて、「古事記」、「日本書紀」、「風土記」、「万葉集」などの古典に度々登場するのですが、山というよりはむしろ丘の趣きですから、何故にこの三山が昔から特別視されるのか不思議です。
耳成山 139メートル、
畝傍山 198メートル、
香久山 152メートル、
ところが、これらの三山を取り込んだ幾何学的謎が存在することを、金本朝一氏は、「大和三山の道」(綜文館1976年)で説いて、耳成山、畝傍山、香久山を結ぶと、二辺が3、1キロメートル、他の一辺が2、4キロメートルの二等辺三角形ができ、それを三輪山と畝傍山を結ぶ直線が二等分して矢印を形成すると唱えました。
その後、渡辺豊和氏が金本朝一氏の「大和三山の矢印」説に、さきの、四、の「古事記」の神話を絡ませて、さらに端正な次の図の矢印に発展させました。
渡辺豊和氏は、「万葉集」の大和三山の次の歌から幾何学を読み取りました。
香具山は 畝火雄々しと 耳梨と相あらそひき
神代より かくに あるらし 古昔も 然にあれこそ
うつせみも 嬬をあらそふらし
渡辺豊和氏は、この 「あらそひき」の「あらそう」という言葉を幾何用語の「対立」と捉え、「耳成山Aと香久山Bが、畝傍山Dと三輪山Gを結んだ線DGに、幾何学的に対立した位置関係にある」ことを暗示しているのではとひらめき、さらに、「古事記」安寧記の「御陵は畝傍山の美富登にあり」という記事の、「美富登」が「忌部山」を指すのではないかと考えて、地図上で、忌部、畝傍山、香具山、耳成山を結んでみると、端正な幾何学的な矢が完成したというのです。
三輪を貫く矢が「陰部=忌部」を指す 鏃の長さが約3Kmという巨大な「矢印」は、2万5000分の一の地図で見ても、驚くべき精巧さで三輪を貫く矢が忌部を指しています。

図 大田明著「太古の謎と脅威」より
この「矢が三輪を貫いて、忌部を指している」ことに目を留めた私は、この図形は、「矢的」、「大和」や「目」を表象しているのではないかと思いました。
それは、「古事記」の神話、「美和の大物主が丹塗りの
矢に化けて、勢夜陀多良比売という美人の
富登(ほと=いんぶ)を突きました。」が、そのまま、アスカの地上絵となっているのです。実に、雄大な世界文化遺産ものと云えましょう。

唐津的矢文天目形茶碗 17世紀 出光美術館蔵

揚弓場(射的場) 鈴木春重画
地中海方面では、さまざまな場所から、「目玉石」あるいは、「乳石」と呼ばれる「目玉」様の同心円のものが出土しています。
この図から、プラトンが、著書「理想国」において、「統治者たる者は幾何学をしるべし」と強調していることを想起し、さらに、「クリティアス」のアトランティス地図の同心円を連想します。
また、三輪の大物主神話で強調している「火土」や「たたら」などの語群からは、ヒッタイトのヘテを連想します。また、高度な幾何学と測量学と「陰部」「ヘテ」を考え合わせますと、サッカラにある最初の階段ピラミッドを設計した天文学者兼建築家のイムヘテプを想起します。
三輪山の神は、医薬の神にして酒神であり、酒神バッカスの神話と同一の神話の伝承を伴っています。
また、三輪の神域をアスカ地方と呼ぶのは、アスクレピオス、また、トロイア王家のアスカニウスを重ねていると考えられるのです。
「大三輪」、「大和」は、日本語とギリシャ語で意味を共有していると木村鷹太郎氏は次のように説きます。
大三輪の神名は、ギリシャ語 ωμμαι(οραω)の「大三輪」となったもので、
「オームマ」とは目、直視、光明、幸福等々広範な意味のある語である。
また、大和はギリシャの別名ヘラスと同じ意味である。
ギリシャ人は自らをヘルレーネス人と称したが、
Hel‐lenesとは「ヘル=大」「レーネス=和」を意味する。
「和」を「やわす」といい、「安」を「やす」というが、
ギリシャ語「ヤマト(ス)ιαματοζ」は、「救済し平安を与う」を意味する。
日本の「大和」の文字は最もよく当たるといえる。美和の大物主神の妻の玉依姫の神話は、下上賀茂神社にまつわる玉依姫神話と大同小異です。
賀茂神社の祭祀を司っていた斎部氏と忌部氏とはもともと同類だったと思われます。
加茂神社を鴨神社とも記すのですが、鴨と太陽はエジプトの古王国時代第六王朝時代から「太陽の息子」「神の息子」の意味で用いられており、カルトゥーシュ(王名)に使われています。
賀茂神社の鴨族の「八咫烏と」名乗る陰陽師の「覆面」布には、大中小三個の三角形がデザインされています。これは、ギザのピラミッドや陰部を暗示して、エジプト時代の歴史の残照が垣間見えるようにしているのではないかと考えられます。
上賀茂神社の立砂という円錐形の盛砂も、わたくしには、こうした「謎かけ」そのもののように見えるのです。

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「リズムのある暮らし」
「そうだ 京都、行こう ~朝一番の上賀茂神社 立砂の美~」のHNリズム様のご厚意で写真を使わせていただいています。
賀茂神社の八咫烏も、「ハッティ」即ち、ヘテ(ホト=陰部)を示しているように思えます。エジプト古王国の国王の印に「蜂」が描かれていますが、ハッティ出身を「蜂」で表象しているのではないかと考えられます。
「山」という字は、三山から成り立っていますが、これはポセイドンの三叉の矛のしるしでもあり、三輪山の三本杉の印との関連性が疑われます。
また、玉依姫の父の名が建角身命ですが、この名は「ピラミッド建設者」という意味であり、ギリシャ神話のカドムス(角産)というメンフィス建設者であると推測されます。
玉依姫とその姉の豊玉姫の夫たちはヨセフの息子エフライム=彦穂穂手見命や、ウガヤフキアエス=アトラスであることが判明しているのです。すると、その玉依姫や豊玉姫に父親は海神であると、「古事記」や「日本書紀」は記しています。ギリシャ神話では、海神とはポセイドンのことです。
そして、プラトンの「クリティアス」において、アトラスはポセイドンの子であると書かれているのです。
エジプトのアメンホテプ(「古事記」や「日本書紀」では天の菩比)の「ホテプ」はポセイドンから採られており、それは「ほてい」と語源を同じくしていると考えられます。
七福神の布袋様は、唐代の中国の禅僧であるということになっていますが、その号である「長汀子」は、布袋の名を冠した「ほていあおい」の繁茂するアマゾン川やナイル川の流域を連想します。
賀茂神社の有名な「葵祭り」の神聖な「葵」とは、元々、この「ほていあおい」だったのではないかと考えられます。
私はテーベのルクソールに3日間滞在しましたが、ナイル川を流れ下るおびただしいホテイアオイの群にはたいそう驚きました。
三日間ひっきりなしに途切れることなくホテイアオイの群々が流れ続けていました。
ナイル川を流れ行くホテイアオイの群れ、そして古代エジプトの地下墳墓の壁画やパピルスの絵に描かれている鴨の群れをみると、ホテイアオイや鴨は、ナイル川に浮かび、地中海に浮かんで繁栄したフェニキアの船々の象徴だったのではないかと思うのです。
賀茂神社の関係者である鴨長明の書いた「方丈記」は、日本の描写ではなく、倭エジプト王朝のナイル川=鴨川の宮都の「盛者必衰の理」を描いたものではないかと、これは、テーベのほとりで抱いた感慨です。
「鴨」は、エジプトの王朝のカルトーシュ(王名を囲む枠)の前に「鴨と太陽」が描かれてあるものがあります。これは「サー・ラー名」で、太陽神ラーの息子と言う意味です。この鴨と太陽を印としていた王家の宮殿はあとかたもありません。そして、今、彼らの躯が砂山にうずもれた王家の谷から、黄金に装われて掘り出され、世界各地を経廻っているのです。
これほどの栄枯盛衰、盛者必衰を映し出す河は、古都テーベの廃墟を映すナイル川以外には考えられません。
イギリスのロバート・ボーヴァル氏とエイドリアン・ギルバートの共著「オリオン・ミステリー」(NHK出版1995年)264ページには、プラトンの「ティマイオス(アトランティス情報の載っている文書)」と「ヘルメス文書」にまつわる次の記事があります。
俗にヘルメス文書と呼ばれる書物がある。
200年ごろにエジプトで書かれたものであり、学者によれば、
内容はプラトンの「ティマイオス」の剽窃に近いとされている。
しかし、ヘルメス文書の知られざる執筆者たちは、
その知恵はエジプトの古代の本から得たのだと主張している。
ヘルメス文書の[アスクレピオス3]では、
ヘルメスが弟子にこう尋ねる。『おお、アスクレピオスよ、
エジプトは天を雛形にして造られたことを知らなかったのか?』
この質問には興味をそそられる。
なぜなら、ギリシャ人はアスクレピオスを伝説の賢人,
サッカラにある最初の階段ピラミッドを設計した天才的天文学者兼建設家の
イムヘテプになぞられていたからだ。
そして、古代エジプトでは、
ヘリオポリスに保存されていた聖典はトト(ヘルメス)が書いたもので、
その中には、天体の運動の秘密を扱っているものがあると伝承されていた。
「ヘルメス」「トト、或はトート」とは、アトラスの娘、例のマイアの息子です。
そして、日本では、この神はエビス神、少名彦名神であることは、先に述べました。「少名彦名神」もまた、三輪神社に祀られています。
三輪の大物主神は、さまざまに化ける神として描かれて、化かす、化みす、すなわち化け学と酒の神バッカスの様相を呈しています。
バッカスとは、化かす、化みすChmis ( 化学)に通じます。
三輪神社の大物主神の別称である大国主神の出雲大社の神紋は、亀甲の中に有の字です。
それは、まるで有機化学、生命の根源の構造式のように見えるのも興味深いことです。
三輪の神は、記紀に、その正体が尋ねられる神として書かれています。
また、多くの異名の一つに「葦原の醜男」という名があります。これをギリシャ神話に照らしてみると、跛で醜貌で一つ目の鍛冶の神へファイストスを連想させます。
「醜」の字には、また、お酉さま、すなわち、トト神と酒の神の両面が含まれていて、かつ、牛鬼形のクレタ島を想起します。「醜」の字は酉と鬼の字から成り、原義は「神に仕える人」の意で人が神前にて神酒を注いでいるさまを象った字でしたが、やがて、神に仕える人を忌み遠ざけ、遂に忌み嫌う、みにくいの意に転じた(漢和中辞典 角川書店)といいます。
醜いは、「見えにくい」、「隠れた」に導くためのレトリックで、三輪山の神は、幽神、籠もり神、子守神、木守神であり、見にくいのでねるべき神であると伝えられています。
先に挙げた、彦穂々手見命にちなむ「籠神社」もまた、「こもり大明神」と言いつたえられてきました。また、千葉の上総一宮の「玉前神社」の玉依姫も「こもり神」と伝えられています。
また、三輪は三重丸の同心円をも含んだ命名であるととると、ポセイドンのしるしでもありますので、三輪の大物主のすべての異名がポセイドンに帰するのではないかと思えます。
ポセイドンの持っているトライデントつまり三叉の鉾は、山という字に柄のついたものであり、山という字はもともと三山の象形です。
イムヘテプは、ピラミッドの建設者として知られていますが、大和三山の畝傍山の高さ199mは、エジプトのギザの三大ピラミッドの大ピラミッド139mの海抜の高さと一致しているのです。これまでに述べた事柄との、このような一致を偶然として見過ごすことは、偉大な先祖たちに申し訳の立たないことです。
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