26 住吉大社の謎「天の平瓮(ひらか)」「住吉大社神代記」
天の平瓮を奉る本記 住吉大社の神事大阪の住吉大社の神事において、最重要なものは、畝傍山の頂上で、毎年、二月、十一月の両度、土を採取するための「埴使い」を使わすことです。
持ち帰った畝傍山の土で、新年祭や新嘗祭に用いる「ひらか」を作るというのです。
住吉大社の最重要な神事が、三輪神社のエリアに赴いて「埴土」を採取して、その土で平瓦を作ることなのですから、これは、三輪の大物主神の正体を秘めた平瓦である「ファイストス円盤」にかかわる示唆であると推理することができます。
住吉大社には、天平3(731)年の奥付のある「住吉大社神代記」という、幅31センチ、長さ17メートルにおよぶ巻物が伝えられています。
「住吉大社神代記」の中の
「天の平瓮を奉る本記」と
「膽駒神南備山本記」は、大変興味深いものです。
「天の平瓮を奉る本記」 天香山の社の中の埴土を取り、天の八十平瓮を造作りて奉斎祀れ、
また、覬覦る謀あらむ時にも、此の如く斎祀らば、必ず服へむ。・・・
というのが「天の平瓮を奉る本記」の主要記事です。
「覬覦る謀(みかどかたぶくるはかりごと)」とは、「万葉集」の歌に「みかど」が「国家」であるという例がありますので、「国家存亡の危機」を回避するための措置が「天の八十平瓮を造作」であると解してよいと思います。
こうした趣旨で始まった「平瓮」作りが、今も住吉大社の最重要神事として、連綿ととりおこなわれているのです。そして、「住吉大社神代記」には、「天香山の社の中の埴土」と書かれているにかかわらず、何故か、畝傍山の土を採取に出かけています。
伊勢神宮において、「心の御柱」として、五色の糸を巻き飾られて、神殿の床下に埋められている御柱とともに「平瓮」も埋められるのが慣例であったことについて、また、「天の御柱」が、世界の中心を示すシンボルであることをさきに述べました。
この「平瓮」、「八十平瓮」というものの重要性について述べるには、「古事記」「日本書紀」および、そのほかの古文献の検証をする必要があるのですが、ここでは、特に重要な、次の二件だけを取り上げておきます。
八十平瓮(やそひらか)「古事記」の大国主の国譲りの場面と八十平瓮 水戸の神の孫櫛八玉神、膳夫となりて天の御饗を献りし時、
祷き白して、櫛八玉神鵜に化りて海の底に入り、底の
埴を咋ひ出で、
天の八十
平瓮を作りて、海布の柄を鎌りて燧臼に作り、
海蓴の柄をもちて燧杵に作りて、火を鑽り出て云わく、
「この我が燧れる火は、高天原には、神産巣日の御祖命の、
とだる天の新巣の凝烟の、八束垂るまで
焼きあげ、
地の下は底つ石根に焼き凝らして、
栲縄の千尋縄打ち延へ 釣りする海人の口大の尾翼鱸、
さわさわにひき依せあげて、
打竹のとををとををに、天の真魚咋献る」といひき。
建御雷神返り参上りて、葦原中国を言向け和平しつる状を復奏したまひき。
この記事中の言葉は古典や預言への橋渡しの役目を負うなど、多重の意味をもたせてあるようです。
「海底の埴」は、八十平瓮に用いられている材料の一部に「埴」が使われていること。
「焼きあげ」は、焼き締めてあること。
「地の下」は、地下に埋めたこと。
「とををとををに」は、大変重いこと遠いことを訴え、
「天の真魚」は、神のマナであること。
「和平」すなわち、「平和の御しるし」であるという概要が連想されます。
また、この記事には、「八十平瓮」については述べていますが、「住吉大社神代記」に記されているような「天香山」の土のことには触れていません。「天香山」については、「古事記」神代巻の、「神宝」製作の場面で書かれていますので、この両者が、連携していることはあきらかです。
神宝製作の場 天の香具山 「古事記」の神宝製作の場「古事記」によれば、天照大御神が天の岩屋戸を開いて中にお隠れになり、葦原の中つ国がみな暗黒に閉ざされて、万の神の声はさ蠅のように満ち、万の妖がことごとに起きた時、八百万の神が天の安の河原に神集ひ集ひて、神宝が製作されました。
神宝製作には鉄も使用され、鏡と八尺の勾璁の五百津の御統まるの珠を作らしめて、天の香山の五百津真賢木に、上枝に八尺の勾璁の五百津の御統まるの玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取りかけ、下枝に白和幣青和幣を取り垂でて、この種々の物を太御幣と為した、と記されています。
この神宝製作の記事の、「上枝、中枝、下枝」は、聖なる世界樹を象徴していう言葉であり、北欧神話「エッダ」中の表現と同じです。また、これが、「命の木」であることなどについては、前に書きました。
天の安川の河上の堅石天の安川上流の堅石、天の金山の鉄が御神宝製作に使われています。
これを文字から連想すればダイヤモンドの印章を鉄で彫ったという情景が浮かびます。
天の香山の真男鹿肩を全抜きに抜きて、天の香山の天のははかを取りて、からは、石灰と埴土で粘土の円盤を製作し、そこへ、上記の印章を押して、文書を作成した、という仮説を掲げておきます。
また、原文は次の通りです。 抜粋
「古事記」
天照大御神忌服屋に坐して、神御衣織らしめ給ひし時、
その服屋の頂を穿ち、天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕し入るる時、
天の服織女見驚きて梭に陰上(ほと)を衝きて死にき。
天照大御神見畏みて、天の岩屋戸を開きてさしこもりましき。
ここに高天原皆暗く、葦原中国悉に闇し。これによりて常夜往きき。
ここに万の神の声はさ蠅なす満ち、万の妖悉に発りき。
ここを以ちて、八百万の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、
高御産巣日神の子思金神に思はしめて、
常世の長鳴鳥を集めて鳴かしめて、
天の安河の河上の天の堅石をとり、 天の金山の鉄を取りて、 鍛人天津麻羅を求ぎて、伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ、
玉祖命に科せて八尺の勾璁の五百津の御すまるの珠を作らしめて、
天児屋命と布刀玉命を召して、
天の香山の真男鹿の肩を全抜きに抜きて、
天の香山の天のははかを取りて占合ひまかなはしめて、
天の香山の五百津真賢木を根こじにこじて、
上枝に八尺の勾璁の五百津の御すまるの玉を取り著け、
中枝に八尺鏡を取りかけ、下枝に白和幣青和幣を取りし垂でて、
この種々の物は布刀玉命太御幣と取り持ちて、
天児屋命太詔戸言祷き白して、
天の手力男神戸の掖に隠り立ちて、
天の宇受売命、
天の香山の天の日影を手次にかけて、
天の真拆を蔓として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、
天の岩屋戸にうけ伏せ、踏みとどろこし神懸りして、胸乳をかき出で、
裳緒をほとに押し垂れき。ここに、高天原動みて、
八百万の神共に笑ひき。
天の安川 天の川この場面で出てくる「常世の長鳴鳥」が、前に述べた「オリオンのお供のシダリヲ」のことなのです。
オリオンは、エジプトや地中海を舞台としていましたから、この、神宝製作の場所や原材料は、エジプトや地中海方面のものである可能性があります。
さまざまな神社に天照大御神と天の岩戸が投げられるシーンの傍らで夜明けを告げている常世の長鳴鳥が彫刻されています。
天岩戸の一連の場面の彫刻で、鳥かごの中の鶏を囲んで屈んでいる童子たちをデザインしたものに出会うことがあります。その彫刻から、童謡の「かごめかごめ」、「いついつでやる」や「鶴と亀がすべった」を連想するのですが、すべったとは「すばる=統べる」の掛け詞であり、「御統まるの珠(神璽)」に由来するとも言われているのです。
天の安川とは天の川のことですが、これとオリオンの関係については、「オリオン・ミステリー」の項目で説明します。
外から差し出して天照大御神に見せる鏡はどこにある?「古事記」の天岩戸の前における記事の続きをみます。
外から「鏡」を差し出して、皆が笑って、その後に、やっと天照大御神が岩戸からお出ましになり、光を取り戻すという順序が書かれていますので、この神に鏡を見せるということは、絶対の条件です。
その後「高天原も葦原中国も自ら照り明かりき。」という大団円になります。
その、そとから差し出して、天照大御神に見せ奉る鏡は一体どこにあるのかが大問題です。
私の仮説を申し上げればそれはクレタ島のファイストス円盤という「鏡」なのです。岩戸の外には「天の宇受売」がいますが、これは「女媧」のこと、「伏義」と一対でウガヤフキアエス=アトラス=トロイア=イリスのことです。
ファイストス円盤はには、この蛇一対が描かれています。
天照大御神怖しとおもほして、天の石屋戸を細めに開きて、内より告りたまはく、
「吾が隠りますによりて、天の原自ら闇く、また、葦原中国もみな闇からむと思ふを、
何の由にか天宇受売は楽をし、また、八百万の神諸笑へる」とのりたまひき。
ここに天宇受売白言さく、
「汝が命に増して尊き神座すが故に、歓喜び笑ひ楽ぶ」とまをしき。
かく言す間に、天児屋根命・布刀玉命その鏡をさし出し、
天照大御神に示せ奉る時、天照大御神いよよ奇しと思ほして、
やくやく戸より出でて臨みます時に、その隠り立てりし天手力男神、
その御手を取りて引き出だしまつりき。
即ち布刀玉命、尻くめ縄をその御後方に控き度して白言さく、
「これより内に得還り入りまさじ」とまをしき。
かれ、天照大御神出でましし時、高天原も葦原中国も自ら照り明りき。
この記事中に、「天の服織女見驚きて、梭に陰土(ほと)を衝きて死にき」、さらに、「天の宇受売命、・・胸乳をかき出て、裳緒をほとに押したれ」と記して、「ホト」を強調しています。これは、度々申し上げたように、「ヘテ」や「火土」即ち、「竈」「甕」を意味すると考えられます。日本国の成り立ちの基幹がこの「ホト」即ち、ヘテであることを云っているのです。
「天の金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて」という言葉が入っていますから、神宝製作に「鉄」が使われていることは確かです。
どういう使い方をしたのか、これについては、最後のほうで説明します。
その神宝製作にかかわる場所として、「天香山」と「天の安河」が出ていますが「天の安河」とは、「天の川」です。天の服織女が登場するのはそのためです。そして、「シダリヲ」は、オリオンの存在を暗示しているので、これについては後に説明します。
天香山とクレタ島のレフカオリ山もう一つの天香山奈良の天香(久)山と畝傍山と耳成山の大和三山が織り成す神話と幾何学上のなぞについては先に書きました。
耳成山 139メートル、畝傍山 198メートル、香久山 152メートル
奈良の香具山をみて、その周辺をあるいてみましたが、「万葉集」巻の一の次の歌とはイメージが合いません。
奈良の香具山の頂に立っても、海原や鴎を見るという光景を思い浮かべるというには無理があります。
高市岡本宮に天の下知らし召しし天皇の代
天皇、香具山に登りて望国したまふ時の御製歌
大和には群山あれど とりよろふ天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原は鴎立ち立つ
うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は 「万葉集」 2番
この歌の香具山は、クレタ島のレフカオリ山のことではないかと思うのです。
そして、この「高市」は、「カフチ」つまりカフチフというクレタ島の古名に似ています。
クレタ島は、東西260キロメートルに及ぶ島ですが南北は狭く、最も広いところで55キロメートル、狭いところでは、わずか11キロメートルです。
島の大部分は海抜300メートルを越し、標高2000から2500メートルの頂を有する山脈が三つ走っています。
島のほぼ中央に、イダ山系 最高峰 2456メートル
西に、レフカ・オリ山系 〃 2453メートル
東に、ディクテ山を中心とするラシシ山系 2148メートル
このレフカ・オリ山の頂上近くは石灰岩に覆われているため、視界をさえぎる木がほとんどありませんので、国見に非常に適した山であることを、この山に登って確かめました。
この頂上近くが石灰岩で白く輝くレフカ・オリ山を望遠しましたとき、持統天皇の次の歌が自然に口をついて出てきました。
春過ぎて 夏きたるらし
白栲の衣乾したり 天の香具山 「万葉集」28番
この歌もまた、奈良の香具山にではなく レフカオリ山にぴったりなのです。
レフカ・オリ山は白い山という意味なのです。
この山の上質な石灰と辰砂を含んだ埴土によってファイストス円盤が製作されたのではないかと思われるのです。
一方、住吉大社が、「天の平瓮」を作るために、毎年、奈良の畝傍山に「埴使い」を遣わして採取する土を分析したところ「カオリナイト」が主成分だったそうです。
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著述もパソコンも初心者で、要領が悪いせいか、アクセスが殆どゼロ状態の中で、
貴重なコメントを賜り、うれしく思っております。
「風土記の天津子は鍛人天津麻羅の意味では?」とのご質問には、私も「同じ」と思っております。
そして、「安来」のあたりは、「たたら」の本場であり、NHKの「プロジェクトX]で取り上げられました、絶滅寸前だった「たたらによる鋼」復元の舞台でもあることに、「神計らい」を
感じました。
また、民放の「トレビアの泉」での、「アメリカの最新最強のマシンガンが撃ち出す弾丸を、日本の玉鋼の刀が七発までも真っ二つに切り裂く」映像が放映されたことがありますが、日本の技術力の高さの基盤は、この「たたら」の玉鋼に依っているということを明かすためにこのブログを書いております。
そして、世界の謎、エジプト南米などのピラミッドは、この玉鋼によって切られた石で築かれていたということを検証しようと考えているのです。
そして、いわゆる「神宝」なるものは、「(ヘ)ファイストス円盤」の刻印に使われた印璽を繋いだ、宝石の「玉の緒=首飾り」という印鑑(かがみ)であり、これによって当時の鋼の威力を証明せんとした古代人の「タイムカプセル」、これが、「玉手箱」の正体であることを明かそうというのが、このブログの趣旨です。
どうか、よいお知恵をお寄せください。