31 オリオンとシダリヲ 東方へ常世の長鳴き鳥 シダリヲ天の岩戸さまざまな神社に,天の岩戸が投げられるシーンが彫られています。
その図柄は、岩戸の向こうの天照大御神、岩戸を投げる天手力男神、そして、その傍らで夜明けを告げている常世の長鳴鳥で構成されています。
「古事記」の天岩戸の前における記事をみますと、天照大御神は、外から鏡を差し出され、さらに、天手力男神がその御手を取って引き出だして、そこではじめて天の岩戸からお出ましになり、「高天原も葦原中国も自ずから照り明かりき。」という大団円になります。
天照大御神が天の岩屋戸を開いてその中にお隠れになったのは、葦原の中つ国みな暗黒に閉ざされて、万の神の声はさ蠅のように満ち、万の妖がことごとに起こるようになったときであると書かれています。そこで、八百万の神が天の安の河原に神集ひ集ひて、神宝を製作したといいます。
これは、「古事記」の中でも最も重要な場面です。
神宝は、「天の香山の五百津真賢木に、上枝に八尺の勾玉の五百津の御統まるの玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取りかけ、下枝に白和幣青和幣を取りし垂でた」ものです。
これは、聖なる世界樹、即ち、命の木を連想させる表現です。
さて、この天照大御神と神鏡製作のまつわる記事には、
「天の服織女見驚きて、梭に陰土(ほと)を衝きて死にき」、さらに、
「天の宇受売命、・・胸乳をかき出て、裳緒をほとに押したれ・・」と、
「ホト」を異常なほど強調していますが、これは「ヘテ」や「火土」を意味すると考えられます。
胸乳もホトも三重の同心円で表わせば、目や三輪と同じで、大和即ち矢的です。
「み統まる」は、わが国では、すばる星を意味しているという伝承があります。
そして、すばる星=プレアデス七星は、棚機(たなばた)七姫とも伝えられています。
Pleiades(P eleia des)とは棚機姫を意味すると木村鷹太郎氏はいいます。
ブレアデス星座が、アトランティス、即ち、アトラスの娘たちを記念した星々であることについては先に説明しました。
また、天の服織女」から織女と牽牛と天の川が連想されるのですが、この神器製作にかかわっている天の安河、即ち、天の川がナイル川であり、オリオンがかかわっているのです。
これについては、「オリオン・ミステリー」のところで述べました。
ギリシャ神話のアテーナ女神にも、自ら機を織ったという神話があります。
「古事記」の神宝製作の場面この「神宝」にまつわるシーンは、わが国のアイデンティティーを探るうえで、重要な箇所ですので、記事を掲載しておきます。そして、ここにシダリヲの常世の長鳴鳥が描かれています。
「古事記」神代巻 抜粋
天照大御神忌服屋に坐して、神御衣織らしめ給ひし時、
その服屋の頂を穿ち、天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕し入るる時、
天の服織女見驚きて梭に陰上(ほと)を衝きて死にき。
天照大御神見畏みて、天の岩屋戸を開きてさしこもりましき。
ここに高天原皆暗く、葦原中国悉に闇し。これによりて常夜往きき。
ここに万の神の声はさ蠅なす満ち、万の妖悉に発りき。
ここを以ちて、八百万の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、
高御産巣日神の子思金神に思はしめて、
常世の長鳴鳥を集めて鳴かしめて、
天の安河の河上の天の堅石をとり、
天の金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、
伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ、
玉祖命に科せて、八尺の勾玉の五百津の御すまるの珠を作らしめて
天児屋命と布刀玉命を召して・・・
天の香山の五百津真賢木を根こじにこじて、
上枝に八尺の勾玉の五百津の御すまるの玉を取り著け、
中枝に八尺鏡を取りかけ、
下枝に白和幣青和幣を取りし垂でて、
この種々の物は布刀玉命太御幣と取り持ちて、・・・
天児屋命太詔戸言祷き白して、
天の手力男神戸の掖に隠り立ちて、
天の宇受売命、天の香山の天の日影を手次にかけて、
天の真拆を蔓として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、
天の岩屋戸にうけ伏せ、踏みとどろこし神懸りして、
胸乳をかき出で、裳緒をほとに押し垂れき。・・・
天の服織女が陰上(ほと)を衝いて死んだので、天照大御神が天の岩屋戸に閉じこもってしまわれ、世の中が暗くなってしまい、万の神が発生し、蠅のようにうるさくなり、ことごとく災いに結びつくようになったという時代背景から書き起こされています。
次に、「上枝に八尺の勾玉の五百津の御すまるの玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取りかけ、下枝に白和幣青和幣を取りし垂でた」御神宝の製作する場面が描かれています。
「天の安の河原」即ち、天の川に神々が集うのですが、その主要メンバーと材料、神宝の名前「八尺の勾玉の五百津の御すまるの珠」「八尺鏡」などの手がかりが与えられています。
そして、「胸乳をかき出で、裳緒をほとに押し垂れき。」という天の宇受売命で締めくくられています。
この場面に、あまり人目を引かない「常世の長鳴鳥」というのが居合わせているのですが、これが、シダリヲであり、これを肩に乗せて、オリオンは東方へ向かったと、木村鷹太郎氏は「在五中将業平秘史」(春秋堂 1912年)で説いています。
海神の子オリオンは、
バッカスとクレタ島の王女アリアヅネの子オイノピン王の娘メローペに
恋着していたが、その父が常にその恋を妨げたので、
オリオンは強力に訴えて思いを遂げようとした。
オイノピンは怒って、オリオンを酔わせてその視力を失わせたため、
盲目となったオリオンは、神託により朝光をもとめて
鍛冶の神ヘファイストスの元に行く。
この神オリオンを憐れんで、シダリヲを与えて教導となし、太陽の家に向かわせる。
オリオンは、このシダリヲを肩にのせて東に進み、太陽の神に会い、
その視力を回復して目が見えるようになる。・・・
これは、オリオン=イリオン=トロイア=トロアス=アトラスが見えないということを示唆するもので、オリオンの目が見えなくなったという神話は、「長い間寝ていて、世界がが見えない」ことと同じです。
日本の「神宝」のひとつである剣は、「伊邪那岐命が迦具土命を斬りたまひし十拳剣を天之尾羽張と謂う」と記してある「尾羽張」の剣の別名であると「古事記」に書かれています。
木村鷹太郎氏は、「この尾羽張 Ohari は Ωαριων 或いは Ωριων オリオンたや十分察知すべきなり。」と述べています。
「しだりをの山鳥」を詠んだ柿本人麻呂紀貫之(868?~945?)は、「古今集」の序で、柿本人麻呂は、一首の歌に六重の意味を持たせることのできる歌聖である」と絶賛しています。
「万葉集」には柿本人麻呂の読んだ多くの歌が載せられていますが、中でも、「あしびきの山鳥の尾のしだりを」の歌と「明かしの浦」の歌の二首が重要であるとの伝承があります。
あしびきの 山鳥の尾の しだりをの
長々しよを ひとりかも寝む
ほのぼのと あかしのうらの あさきりに
しまかくれゆく 船をしぞおもう
「あしびきの山鳥」の歌が、常世の長鳴きどりを詠ったものであれば、それは、天照大御神の天岩戸にかかわる鳥であり、一方、「明かしの浦」の歌の「ほのぼのと」に「ほのぼの戸」の字をあてたものがあることから、これもまた「岩戸開き」の歌であることが推理されます。
また、「あかし」と「船」というフレーズから、伊勢神宮に奉られている「御正体鏡」「御証し」と呼ばれる神鏡を納めた容器が「御船代」と呼ばれていることにまつわる歌であろうと推測されます。
日本には「古今伝授」という「歌学伝授」が伝わっていますが、その中の、二條家嫡流相伝の「古今伝授」の人麿神詠口伝の項目には、次のことが書かれています。
「あかしの浦の歌」一首には、過去・現世・未来を籠めて、
三世の妙理が含められている。
また、哀傷の意を歌いて、明石の浦の景色を目前にあらわされたるは、
まことに神業というべきなれば、歌神と崇むるも理なり。
然れば人麿の歌多しといえども、この歌を神体として崇め奉るとなり。」
「古今伝授」の「人丸秘密抄」には、「明かしの浦の歌」が六重の意味を持つて、神秘中の神秘の歌であることを、次のように記しています。
海上の旅と見えたるは別のことなし、是は雅なり。
裏には高市の王子のことをよめり。是は風の歌なり。
名所海路別離哀傷は、かくのごとく多数を一首によむ、賦の歌なり。
「船」を渡すに、王の世をわたる事をたとふるは比歌なり。
娑婆はあきらかにあるによりて明石の浦にたとへ、
冥途はくらきによりて霧にたとふるは興なり。
王の世を渡すといふを船といふは頌なり。
賢王を船にたとふ、愚王をばたとへず。
是を一首に六義を具すといふなり。
「あかしの浦の歌」の裏には、このような多重構造の神秘が籠められているばかりではなく、「ながながし夜を」寝ている鳥は、「ほのぼのとあかしのうらに島隠れ」ている島と同じ内容であり、「うらしま」が裏に潜んでいるように思えます。
また、柿本人麻呂のこの一対の歌には、鳥と島の字に互換性をもたせて、島国日本の歴史が隠されていると考えられるのです。
トロイは「タウロス=牛」のほかに「鳥」をシンボルとしていたと考えられます。
鳥頭のトトがイビス(エビス)またアピスと呼ばれていますが、また「アピス」は牛の名前でもありました。
明石の浦の淡路島沼島のおのころ島が龍宮城の表門と伝承されていること、さらに、そこが、「伊邪那岐命と伊邪那美命」の御結婚の固めの地と伝えられていることを思い起こしてください。
御神鏡遷御の儀の鶏鳴とシダリヲ生き続ける神話の世界「しだりを」という「常世の長鳴き鳥」は、単なる神話の中の古々しい存在であると軽視してはなりません。
二十一世紀の今日なお、伊勢神宮において、式年遷宮の式典のクライマックスで、欠かすことのできない役割を演じているのがこの「常世の長鳴鳥」です。
天照大御神をお祀りしている伊勢神宮には、神宝の神鏡、即ち、「御霊代」を二十年毎に新しく建て替えられる宮に遷し奉る式年遷宮という謎の行事があることをご存知でしょう。
伊勢神宮の式年遷宮は、日本の神事の中で最大規模のもので、世界でも類を見ない壮大なドラマといえます。
それは遷宮の御用材を伐る御杣山の山口での祭事に始まる八年にわたるさまざまな祭事と準備を経て執り行われる中には、例の「天の御柱」なる「心御柱」を立てる神事もとり行われます。
この「天の御柱」「心御柱」が、明石の浦の「淡路島沼島」のおのころじま」別名「上立神岩」であることについては、このブログの最初に書いてあります。
そして、式年遷宮のクライマックスが遷御の儀です。
その日、午後六時、「御神鏡」を古殿から新殿に移す「遷御の儀」の参進がはじまり、天皇の勅使を先頭に祭主、大宮司と続き、以下百五十人の神職が御正宮に向かいます。
勅使が御正殿の階下で、新宮へのお移りを願う御祭文を奏上した後、祭主、大宮司以下が御正殿の中に入って出御の準備を奉仕します。
正八時(午後八時)、神域の明かりはすべて消され、神宮の社は闇と静寂に包まれます。
ここで、〝カケコー〟 と鶏鳴三声がひびきわたります。
このように、伊勢神宮の御霊代の御正体鏡は、闇に包まれた中で、常世の長鳴鳥の〝カケコー〟三声で新宮に納まるのです。
大宮司、少宮司、禰宜に奉載された御神体(御神鏡)が純白の絹の垣に守られて、秘めやかに、厳かに、楽師の奏でる楽の調べが流れる中を、御正殿をお出ましになり、午後十時、御神体は新宮に鎮まります。
この神事を知り、新約聖書を読んでいる人は、この「カケコー」の鶏鳴三声に、「イエスは、弟子のペテロに、「鶏が三度鳴くまでに、あなたは三度わたしを
知らないと言います」(ヨハネ福音書13章)と預言されたことを連想するでしょう。ペテロとは「石」という意味です。
この預言と、伊勢神宮の「鶏鳴三声」と、「天の羅摩船に乗りて帰り来る神の名を問へども(皆)
知らずという」という「古事記」の記事は連動しているように思えます。
伊勢神宮の式年遷宮のクライマックスの「遷御の儀」で新宮に移される御神体とは鏡ですが、エジプトでは、鏡は命、すなわち、アンク、アンの象徴物でした。
アンは、シュメールでも命、太陽、八方光、星などを表しました。
そして、鏡とは、鑑、すなわち、地中海方面と極東の歴史を合わせ鏡のように写し出す鑑、すなわち、写されたものと、「玉璽(印鑑)」をつなぎ合わせた首飾りの「玉の緒」の一対である可能性があります。
マーティン・バナール氏の「黒いアテーナ」(藤原書店)は、古代地中海文明のアフロ・アジア的ルーツの証明を試みています。
その中でバナール氏は、「ネイト(女神)はナイル デルタを遊弋する牝牛であり、これが聖なる都サイスに定住したと云う神話に注目するとき、ボイオティア地方のアテーナ女神の祭儀とエジプトの牝牛ネイトの祭儀には類似性がある」こと、また、「アテーナの異名オンカが首飾りを意味することから、これは、フェニキア建設のカヅムスやその妻ハルモニアをめぐる神話の有名な首飾りに由来する異名なのではないか」と説いています。
カトリック教会が用いるロザリオも、仏教が用いる数珠も、この情報が漏れ伝わったことからきたものであろうと思います。
バナール氏は、また、ギリシャとエジプトとクレタ島にみられる青銅器時代文明の共通点について検証して、テーバイと呼ばれる場所が、ギリシャのボイオティアとエジプトの両方に見られ、その両方の卓抜した土木工事、治水工事、ピラミッドそのほかの建造物に技術的共通点が多いことに注目していますが、さらに、ボイオティアとエジプトには神話と祭儀にも共通性が見られると説いて、コパイス湖南岸に見られるアテーナ神の祭儀は重要で、この祭儀の源流を辿ると、エジプト神話のネイト神の祭儀に行き着くと説いています。
プラトンが書いた「クリティアス」「テマイオス」のアトランティス情報の出所は、エジプトの、「ネイト女神」の神官であるとプラトンはそのなかで書いており、その神官たちは、ネイト女神はアテーナ女神であると考えていたとも書いています。
アテナ女神がヘファイストスとの間に成した子はエリクトニオスという神話がありますが、この名は、エバーハート・ツァンガー氏が、「天からの洪水」の中で紹介しているアトラスからトロイア戦争までのトロイの代々の系図、「アトラス、エレクトラ、ダルダノス、エリクトニオス、トロス、イロス、ラオメドン、そして、プリアモス」の中にあります。
イリス女神はエレクトラの娘と伝えられていますが、これは、さきに述べたスバル星の神話からも、トロイア城の建設者ダルダノス=ダイダロスの一族だということが分かります。イリス女神がイシス=イセであり、玉依姫であることを先に述べました。
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コメントありがとうございます。
日本の神秘を感じとってくださって嬉しいです。
「安来」におけるタタラの復活を、以前「プロジェクトX」で見て感動しましたが、
あれも、偶々のできごとではなく、神計らい、神秘だとおもいました。
「邪馬台国論争」に加わると宣言して100日余、毎日々々睡眠5時間で、
資料を再検討して過ごしました。
邪馬台国問題の論争を、「鉄、銕、鐡」で展開するにあたって、どのように構成
したらよいのか・・・・素人のわたくしにとっては重過ぎる課題です。