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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

33 神宝はタイムカプセル

33 神宝はタイムカプセル

タイムカプセル

神宝と玉手箱 
浦島太郎が「玉手箱」をあけたときに白雲がたちのぼり、それと同時に、あっという間に老いるという話は、日本そのもののことなのではないかと思います。
「雲」、即ち、「ネフェレ」という言葉が、古代ではエジプトのことを指していたということや、「出雲」にまつわる神話がこれを補強します。


「宮中のしるしのはこ」から白雲!
「タイムカプセル」が、あきらかにわが国に存在したことは、「平家物語」剣の巻の神璽、即ち、神宝にまつわる次の記事によっても明らかです。

  およそ神璽と申すは、
  神代より伝わりて、代々の御帝の御守にて、璽筥(しるしのはこ)に納めけり。
  この箱、開くことなく見る人も無し。
  これに依りて、後冷泉院(1025~1068年)の御時、
  いかが思しけん、この箱を開かんとて蓋を取り給ひしに、
  たちまちに箱より白雲上り給ひけり。

  よしありて、雲は元のごとく返り入らせ給ひぬ。
  紀伊の内侍、蓋覆ふて緘げ納め奉る。
  日本は小国なりといえども大国にまさるとは是なりとぞ。
  神璽とは、わが朝の起より出でたり。

この「箱より白雲上り」というフレーズが「浦島太郎の玉手箱」を暗示しているように思えます。
また、この記事には、「わが朝の起より出ている神璽、是により日本は小国なりといえども大国にまさる」と明記してあるのです。
また、現在の「国」という字が、四角い箱と玉で構成されているのも不思議な一致です。

「平家物語」の剣の巻が、神鏡を語るべき場で神璽を述べていることの謎を考察しますと、「鏡」とは「鑑、すなわち、神璽(印鑑)」であるということが考えられます。
日本の「鏡」とは、「印鑑」という「鑑」のことであり、印璽を連ねた「玉の緒」、即ち、天照大御神の「み総まるの玉」と呼ばれるものであった可能性が高いのです。


「宇良(浦島)神社」からほど近い「籠神社」が、元伊勢と呼ばれているのは、浦島の玉手箱の中身と伊勢神神宮の神鏡の同一性を暗示していると考えられます。

宇良神社の社宝の「玉手箱」は、「櫛笥(くしげ)」、すなわち、化粧道具箱ですから鏡とは近縁といえますが、浦島太郎の「玉手箱」を吟味しますと、パンドラの箱の宝石やハルモニアの首飾りを暗示する手がかりを提供していることがわかります。


御神鏡は、神の魂実(たまざね)=御神体でありますため、御正体、または、御正体鏡とも呼ばれているのですが、伊勢神宮の御神鏡と宮中の賢所の神器については、片方が御写しであると伝えられています。

この「伊勢神宮の御神鏡について、盗難事件があったことが記録されています。
そして、その興味深い内容が、山本ひろ子氏の「迷宮としての伊勢神宮」(「思想」岩波書店 1994四年10月号)に簡潔にまとめられています。これから抜粋しますと、元応二年(1320)12月に神宝盗難事件がおこり、豊受大神をお祀りする外宮の別宮・高宮から、御神体の鏡が、これを納めた御船代の上の御衾=御装束(袋)ニ帖や御鏡箱、そして、御神体に準ずる特殊な霊鏡とともに消失してしまったことが表ざたになったのでした。

この事件によって、神鏡のほかに霊鏡また天鏡(あめのまじはり)と呼ばれている重要な鏡が一面あり、鏡はあわせて八十一面あったことや、また、伊勢神宮の度会常良らは、神鏡はこうした危難を避けるため、自ら姿を消し給うと考えていたことが明らかになりました。

後醍醐天皇(1288~1339年)は、この御神鏡紛失事件をきっかけに、事件の翌年の3月、伊勢神宮の度会常良らを上洛させ、「太神宮御事」という伊勢神宮の秘事についての書に関して問答を交わされたといいます。.
そして、およそ二ヶ月後の5月に、鏡は発見されたということですが、真相は謎につつまれたままです。  (山本ひろ子氏「迷宮としての伊勢神宮」より)


また、伊勢神宮の外宮に祀られている穀物神豊受大神は豊宇賀能賣命ともいいます。この神が、「風土記」に書かれている天女であることは、まえに述べましたが今一度取り上げてみます。


「丹波の風土記」  要点のみ

丹後の国丹波の郡の里の比治山の井、真奈井に天女が降り来ましたが、その内の一人の天女は衣を取り上げられ、隠されてしまったためにこの地にとどまりました。

しかし、やがて、天女は、
 
  天の原ふりさけ見れば 霞立ち 家路まどひて行方しらずも

という歌を残してそこを退き去りました。
そして、それは、奈具の社に坐ます豊宇賀能賣命のことです。


この神話は、さきに説明したスバル星=ブレイアデス星団、あるいは、あめふり星=ヒヤデス星団の星々に象徴されたアトラスの娘たちの後日談です。

トヨウカノミタマの御神体は、「宝瓶」或は「瑠璃の壷」であることが文永の遷宮の際のアクシデントによって判明していると、山本ひろ子氏は「中世神話」(1998年岩波書店)に記しています。
この天女が降り立ったところの井を「真奈井」というのですから、これからこの神話と聖書の「マナ」が連動していることを伺い知ることができます。

そして、この「瓶」は、浦島太郎の「亀」や「亀姫(風土記では亀姫)」を暗示する掛詞でもあると考えられます。

浦島太郎の妻は「乙姫」と呼ばれるのが一般的ですが、これを乙女と書きますと、Virgo(乙女)星座の女神であることがわかります。
おとめ座の女神は穀物の穂を持っていますので、穀物神である豊受大神と一致しているのです。
この女神は、古来、デーメテールの娘ペルセフォネー、アフロディテー即ちヴィーナス、アスタルテ、あるいは、エジプトのハトホルあるいはイシスであると伝承が記されています。

そして、これらの女神はイシスであり、古代ギリシャ人は、それをイセとも呼んでいたといいます。
これが、伊勢神宮の「イセ」の由来であり、さまざまな女神の名前は、どれも同一の国の歴史を擬人化して、それぞれに歴史の一面をものがたらせたものであることがわかります。
また、酉の市でおなじみの福の神の「おかめ」にして産鉄の竈神のことであることが推測されます。

玉手箱を開けると翁となってしまうという話は、日本と地中海やアフリカのエジプトとの間、そして、太古と現代を飛び越えて一気にタイムスリップさせ、さらに、日本の神宝の神鏡を見ると、「開けてびっくり玉手箱」、実はたいへんな「老国」であったという証拠がでてくるというのが真相であろうと思います。




「タイムカプセル」は、今日、あちこちの小中学生の卒業記念として、校庭の片隅埋められているようなポピュラーな存在です。
しかし、「タイムカプセル」という言葉自体は、以外にも、二十世紀になっての登場で、ニューヨーク博覧会の準備中の1937年頃から出回りだした言葉なのです。
この博覧会では、5000年後に開封するためのタイムカプセルが製作されて展示されましたので、「タイムカプセル」はすっかり有名になりました。
1939に埋めて西暦6939年に開封される予定のタイムカプセルは、銅、クロム、銀などの合金製のおよそ360キログラムのカプセルでした。その中に、穀物の種数種を入れた小瓶、顕微鏡、人形、糸巻き、辞書、年鑑、カタログそのほか、マイクロフィルムなどを治めたということです。

しかし、浦島太郎の「玉手箱」が、「平家物語」の神璽、即ち、神宝であり、「神代より伝わっている璽筥(しるしのはこであり、日本は小国なりといえども大国にまさる」ことがわかるものであれば、この上なきタイムカプセルであると申せましょう。





「天の御柱」を廻る時、伊邪那美命が先に、「阿那邇夜志 愛袁登古袁(アナニヤシ エオトメヲ)」と言ったために、水蛭子(ヒルコ、エビス)を生んで、それを葦船に入れて流し去るような事態に陥ったと神話は告げています。
そして、ここで唱えられている「阿那邇夜志(アナニヤシ)」という言葉には「エホバが現れた」「エホバが答えられた」(聖書事典 日本基督教団出版局)という意味があるのです。

「天の御柱」のシンボルが、「天の平瓦」とともに、伊勢神宮の御正殿の下に置かれていることについては、このブログの、「26 住吉大社の謎 1」の項目で書きました。
それは、1908年にクレタ島において出土した「(ヘ)ファイストス円盤」に刻まれた「日本語のメッセージ」のついた「タイムカプセル」と連動していることを教えるためにそこに埋められているということを物語っています。
その紀元前十六世紀頃のものと言われている粘土板は、まさしく「平瓦」です。

1998年に、これが日本語で解読されたことによって、日本は、すでに一千歳ほど老人になりましたから、ファイストス円盤は、すでに、驚異的なタイムカプセルです。


その(ヘ)ファイストス円盤という「タイムカプセル」中には、浦島太郎の一面を物語る「彦穂々手見命」、即ち、「山幸彦」とその兄である「海幸彦」が刻印されていて、それが「ヨセフの息子たち」であることが、「聖書」の創世記48章と49章を以って証明できることについては、このブログの「5 クレタ島の粘土板に彦穂々手見命の名が!」や「12 御神輿と契約の箱」の項目をご覧ください。

12には、モーセが、「この民が、守護神を忘れはて、神が姿を消すとき、民に大きな災いが降りかかり、焼き尽くされる。すると、民のうちに神がいないからではないかと言おう。そのようなときのためのもの、それが、”あかしの箱”と律法の書(聖書)とモーセの歌であるということが書かれています。


民のうちから守護神が「神避る」と、万の神々が湧きだします。すると暗黒の闇に閉ざされますので、これが地獄、即ち、黄泉にゆくことなのです。


大地母神デーメテール(地球)の娘ペルセフォネーの黄泉行きの話はギリシャ神話ですが、これは黄泉に下った伊邪那美命を連れ戻しに行く伊邪那岐命の神話と同じです。

「立神岩 → おのころ島=天の御柱=オンファロス=メイポール →伊邪那岐命と伊邪那美命の結婚 → ヘルメス神の亀の竪琴 → アポロン神の亀の竪琴 → オルフェウスの亀の竪琴 → オルフェウスが黄泉にいる妻に帰還を誘う → 伊邪那岐命が黄泉にいる伊邪那美命を連れ戻そうとする神話というながれに私たちは誘導されているのです。

伊邪那岐命と伊邪那美命が「おのころ島」において、この天の御柱=八尋殿を見立てて、結婚の約束を交わし、「天の御柱」をまわって結婚したり、結婚の誓いを言い直したりすることが記されています。


エジプト神話では、イシスはホルスを連れてさまよいますが、それは、ヴーナスとその子キューピットの二人がティフォンの暴虐を逃れるために「二匹の魚」となって東方に逃げたという神話にバトンタッチしています。
それは、日本の「伊予の二名島」と、「愛媛」という名称で「古事記」の国生み神話に取り入れてあるのです。木村鷹太郎氏は、「伊予の二名島」とは「イオ二匹」のアフロディテとキューピットの二名」のことであり、地中海のイオニアIo‐niaは、ギリシャ語で双魚のことだといいます。

釣りをする「浦島太郎」の話や、釣棹と魚を手にした「えびす様」に一致する素材です。

「二匹の魚」と聞くとキリスト教のシンボルの「二匹の魚」を連想する人も多いでしょう。
「えびす様」については、伊邪那岐命と伊邪那美命が、おのごろ島=天の御柱をまわってから、このあとヒルコ(エビス)を生み、これを葦舟で流しますが、この恵比寿神が、マイア=メイ=五月の息子のヘルメス神です。この「ひるこ」という言葉は、「昼」と「ヒルコン=ヘリコン=ヘリオポリス=ヒェロポリス」、すなわち、アポロンの都=太陽の都を云ったものです。






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