35 国難と神宝と「蟻通し」国難と難問「蟻通神社」の由緒「蟻通神社」という名前の神社が三ケ所にあります。
大阪府泉佐野市長滝
和歌山県田辺市湊
和歌山県伊都郡かつらぎ町
「蟻通神社の由來は、「曲がりくねった穴に糸を通せという難題を、蟻を以って解決した」ことからきています。
和歌山県田辺市の「蟻通神社」の掲示板の由来書から、その不思議なものがたりを掲載してみます。
「
今から出す問題を解いてみよ もし解かなければ,日本国を属国にしてしまう」
あるとき、外国からの使者が、こう言って、持ってきたほら貝を差し出して、その貝に一筋の糸を通すことを命じました。日本の神々はこの難問に頭を痛めました。
そのとき、一人の神が進み出て、その難問を次のように解いたのです。
「蟻の腰に糸を結んで貝の口に入れ、一方、貝の天辺の小穴に蜜を塗っておくと、蟻は甘い蜜の香に引かれて天辺の出口まで通り抜ける。」
このとおりにしたところ、無事糸を通すことができたうえ、「
日の本の国はやはり神国である」と恐れいり、その知恵に感服して、外国の使者は逃げ帰ったというのです。
この話が「日本国が外国の属国になる」という危機の回避として語られており、そして、「日本はやはり神国であった」というフレーズで閉じられているのです。こうした由来のあることを、実に不思議だとは思いませんか。
清少納言の「蟻通し」の不思議 国難と難題とファイストス円盤平安中期の女流文学の担い手の一人である清少納言(966~1020年頃)が書いた日本初の随筆集「枕草子」の中に、“蟻通し”の話が織り込まれています。
そして、この随筆中の”蟻通し”は、クレタ島のアリアヅネや、その父ミーノスにまつわる神話の、巻貝の中に糸を通す話と同じですが、驚いたことには、「ファイストス円盤」を実見し、かつ、この円盤の存在理由を熟知していなければ書けない内容なのです。
蟻通し 国家的難題と棄老問題清少納言の〝蟻通し”は、まず、国家的難題二つとクイズの難題、都合三種類の難題が複雑に絡み合って展開します。
この「蟻通し」というエッセイで前提として語られているのは国難です。
第一は、年老いた父母を捨てるという政策からくる「棄老問題」です。
第二は、
日本を討ち取らんとの異国からの無理難題です。
第三は、異国から、さらなる「難題」が持ち込まれたのですが、この、異国からの難題には、「この国(日本を)討ち取らむとて常に試みごとをし、あらがいごとをして襲りたまひける」という戦争への口実につながる難題を三問持ち込んできたというのです。これが、難題中の難題というわけです。
難局を打開する「老人の知恵」このような根の深かい内憂外患の国家的難局が、「見捨てられていた老人」の知恵によって、全部解消するという話がこの随筆の主題です。
“蟻通し”の大問題として提示している中心テーマは「我が国が奪われるという危機」が、「国外から持ち込まれた三つの難題を解く」ことによって、「日の本の国はかしこかりけり」とて国難が去るというのです。
さきほどの、和歌山県田辺市の「蟻通神社」の由来書では、「外国の使者がやって来て、今から出す問題を解いてみよ。もし解かなければ、日本国を属国にしてしまう。」という難問でした。そして、その難問を解くと、「日の本の国はやはり神国であると恐れいり、その知恵に感服して、外国の使者は逃げ帰った。」と結んでいます。
そして、
清少納言の〝蟻通し〟では、「日の本の国はかしこかりけり」とて「あらがいごと」も「棄老」もやんだといいます。
これらは、賢所の賢木、すなわち、「み統まるの珠」などの神器の付けられていた賢木についてほのめかしていると思われるのです。
これらは、「古事記」の「この国討ち取らむとて常に試みごとをし、あらがいごとをして、襲りたまひける」という「国難」についての、天照大御神と須佐之男命の対話の中で語られているテーマと全く同じなのです。
それは、「十拳の剣」を天の真名井に振り滌ぎて、生まれた神の名、多紀理毘売命、亦の御名は奥津島比売命や市寸島比売命、亦の御名は狭依毘売命、そして、多岐津比売命を洗い直しすことと、「八尺勾玉の五百箇み統まるの珠」を天の真名井に振り滌きて、生まれた神の御名は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命がヤコブ=イスラエルであることを洗いなおすことでした。
この、前者は、神宝とギリシャ神話の三女神との関係を示唆し、後者は、神宝と聖書の問題、即ち、イスラエル問題を示唆しているのです。
そして、清少納言の「蟻通し」は、聖書の創世記3章のエデンの園の知識の木や命の木とのリンクを示唆しているようです。それら禁断の木の実は、「かしこくなる」と蛇であるサタンがそそのかせたことが記されています。
しかし、未熟な実ではかしこくなりませんし、虚実とり混ぜていてはかしこくなりません。
「命の木の実」の解禁は、ヨハネの黙示録で指令されているのです。その命の木の実の権利には付帯条件がついています。
これについては、このブログの「14 賢木と命の木」をご覧ください。
「過去 現在 未来 表裏」を一首のうちに読み込む清少納言は三十六歌仙の中の一人で、和漢の文学の才に恵まれた言葉の達人として知られています。
柿本人麻呂の「しだりをの山鳥」の歌や、「ほのぼのと 明石の浦の」の歌などには、過去、現在、未来を一首のうちに示現していると伝えられていますが、清少納言や紀貫之も同様の技を持っているように見えます。
そして、異国がわが国に持ち込んだという無理難題に絡めて突きつけられた「三つの難題」の中に、「ファイストス円盤」についての意外な側面、注意深く見ないと見落とすような特徴が潜んでいて、かつ、それがギリシャ神話や聖書、わけても、ヨハネの黙示録と連動していることを私は発見しました。
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