4 浦島太郎と彦穂々手見命丹後の浦島神社と籠神社浦島神社(宇良神社)浦嶋子を筒川大明神としてお祀りしているのが、浦島神社(宇良神社)です。
丹後 京都府与謝郡伊根にあり、延喜式神名に記載されていますので、
十世紀にはすでに存在していたことになります。
浦島神社の社宝
玉手箱 (亀甲蒔絵櫛箱 室町時代の作品)
浦島明神縁起絵巻 (重要文化財1294年頃のもの)
翁の古面
浦島(宇良)神社のサイト
http://kamnavi.jp/en/tango/urasima.htm
籠神社丹後半島の天橋立の近くに籠神社があります。
浦島(宇良)神社からさほど遠くない位置にあり、こちらは、浦島太郎の妻の亀姫、すなわち、乙姫(八乙女のひとり)が降りたったところであることを、前項で説明いたしました。
籠神社は、籠宮ともいわれていたのですが、竹冠をとると龍宮となることも見逃せません。
籠神社は、「元伊勢」ともいわれ、奥宮が豊受大神を祀る「真名井神社」は、「八乙女」や「羽衣」ゆかりの神社です。
籠神社の由来書 抜粋
「別名を彦火火出見尊とも云われた御祭神彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って、
海の彼方の海神の宮(龍宮、又は、常世とも呼ぶ)に行かれたとの故事から、
社名を籠宮(このみや)と云うと伝えられています。」
籠神社のサイト
http://www.genbu.net/data/tango/kono_title.htm
浦島太郎と彦穂穂手見命の共通点 蓬莱山 両者ともに蓬莱山におもむく。
海神 両者ともに海神の宮殿に滞在する。
両者ともに海神の娘との結婚と別離が語られている。
竜 浦島太郎は竜宮城へ
彦火々出見尊の妻の豊玉姫がお産の時に竜或は鰐に化なる。
(「古事記」では鰐、「日本書紀」では鰐、竜)
浦島太郎と彦穂穂手見命との間には、上記のような共通点があるのです。
この両者が、丹後半島の狭いエリアに共に祀られているのは、その同一性を示唆するためではないかと考えられます。
「浦島明神縁起」と「彦火火出見尊絵巻」「続日本の絵巻19」小松茂美監修 中央公論社1992年「浦島明神縁起」と「彦火火出見尊絵巻」が、「続日本の絵巻19」にともに編集されています。
「彦火火出見尊絵巻」は摸本だそうですが、それでも寛永年間(1624~44年)頃の絵で、
詞書は藤原教長が治承元年(1177年)頃に書いたものであるいいます。 小松茂美氏の解説

続日本の絵巻19「彦火々出見尊絵巻」 中央公論社
豊玉姫の父 竜の冠を着けた海神「彦火々出見尊絵巻」の上の絵は、彦火々出見尊が後に妻となる豊玉姫の父にお目見えするシーンです。
図の左端、竜の冠を付けている人物が豊玉姫の父の海神です。
この絵巻の冠と記事を見ますと、冠に竜蛇を着けた王像が見られる世界で唯一の国エジプトの「テーベ王朝」を想起しませんか?
彦穂々手見命の子はアトラスウガヤフキアエスはギリシャ語でアトラスのこと!!彦穂々手見命は海神の宮に於いて、海神の娘豊玉姫と結婚して、
息子「天津日高日子波限建鵜葺草葺合命(ウガヤフキアエス)」を生みます。
このウガヤフキアエズの意味は謎だったのですが、
木村鷹太郎氏は「日本太古史」で、これをアトラスのことであると解いています。
ウガヤフキアエスとは、Ουραν γαια φορκιζ のギリシャ語の、
天=宇=ウラノスのウと、地=ガイヤのガヤ、
支持するを意味するフォーキュスとの合成語であり、
天を父とし地を母として地の両極にて天地を支えるアトラスのことである。
ウラノス Ουραν の略 宇=天
ガヤ=ガイア γαια 地
フキアエス φορκιζ 支持者
中国の史書に伝えられる天皇氏がウ、地皇氏がガヤに相当し、
大昊伏義氏、あるいは庖犠氏と呼ばれるもののことである。
そのフッキシ、ホーキシと言うのが、ギリシャ語のPhorcysとの同一性を示し、
伏義氏、あるいは庖犠氏が竜蛇で表象されることでも一致している。
天皇氏地皇氏に続いて記される人皇氏とは、人=ヒト=ヘテ人をいう。
彦穂穂手見命の子のウガヤフキアエズ=アトラスは、豊玉姫の妹の玉依姫と結婚します。
そして、生まれた御子たちは次のような歴史的人物であるとも木村鷹太郎氏は説いています。
「日本太古史」木村鷹太郎著 博文館 明治45年刊 抜粋
神倭伊波礼毘古命 イウレウス トロイア王子 ローマ建国の祖
稲氷命=稲飯命 アイネイアス トロイア王子 ローマ建国の祖
御毛沼命=三毛入野命 ミケイリノス=メンカウラー エジプト王
稲氷命は剣を抜きて海原の国に入りて鋤持(サビモチ)の神と成り給えりと。
鋤とは剣にして、スペイン、ドイツ、スウェーデン語などが、
軍刀をサーブル、サーベルというは、
鋤(サビ 鉄)と語源を同じうせるものにして、
その人種名と成れるものはSabinusと言う。
サビヌシは鋤主にして、鋤持と同意義なり。
サビーヌ人種の国は稲氷命=イナイの入り込みしローマ付近の地にして、
その地方をウンブリアUmbriaと言う。これ「海原」なる語にして、
いわゆる稲氷命の入りませる「海原」なる国名にあたれるなり。
「姓氏録」は稲氷命を以って新羅の祖となすが、極東には非ず、
イタリア南部をシラキウスSeyllaciusと言う。これシラキなり。 ホメロスの「イーリアス」中の英雄イナイ Aeneae=Aeneasは、トロイ王族にして、
トロイ王家は美の女神の子なるイナイ王によって継続せらるべき運命を有し、
トロイ没落後、イナイは、老父を肩に載せ、父をして神器を抱かしめ、
君笏を有せる幼児イウレウスIuleusの手を携え、
同族の一団と共に、海に陸に戦にと艱難辛苦を経て、ついにイタリーに着く。
其の地の有力者となりここに帝国の基礎を置けり。
ローマ人はこのイナイを以って建国の祖なりと伝う。
イウレウスはIuleusと綴れりといえども「ウス」は人物語尾のusにして、
日本の「氏」にあたり、また「彦」にあたれる語なり。
イウレウスの「イウレ」は、トロイの別名Iliumと同一語にして「磐」を意味し、
イワレ彦命に対して、「磐余」なる字に一致するが如し。
イナイおよびイウレウスにも海上に難船の記事あり、
その地点はイタリアのクマノ海 Cumanosクマノスにして、
稲氷命および磐余彦命の難船は熊野海たり。
イナイ伝に在ってはイウレウスはイナイの子なりと伝え、
わが国に在っては稲氷命と磐余彦命とは兄弟たるの差異は之ありといえども、
其の長と幼との順序之を同じうせり。
御毛沼命(「古事記」)、三毛入野尊(「日本書紀」)は、
ギリシャ読みのミケイリノス Mycerinos即ち、メンカウラー王なり。
三毛入野命の入りましし常世の国とはエジプトなり。
アトラスの子孫の世界三分割ウガヤフキアエズ=アトラスの子孫についての、こうした見解と「古事記」「日本書紀」とを照合して見ますと、
この三者間での世界の三分割統治が行われた様子が浮上します。
イウレウス=神武天皇は、ローマ建国に携わり、のちに、東漸してアジアを統治
イナイ王がイタリアを建国して、ウンブリアなどを拠点にヨーロッパを統治
ミケイリノス王がエジプトを拠点に、アフリカを統治
上記の三者の父彦穂々手見命の寿命については、「古事記」が580歳と記していますので、これらは人物名というよりも王朝名であると解すべきでしょう。
「古事記」は「次に御毛沼命、次に若御毛沼命亦の名は豊御毛沼命亦の名は神倭伊波礼毘古命(神武天皇)」と記しています。すると、時代の異なる二種類以上のミケイリノスがいたことになり、ギリシャのミケーネとの関係を調べる必要がありそうです。
彦穂々手見王朝(580年)の次がウガヤフキアエス朝で、その次がローマ建国の時代であったならば、
彦穂々手見命が結婚した豊玉姫の父が「テーベ王朝」の王であると解しても歴史との矛盾がありません。
聖書はトロイア戦争と古代ギリシャについて何も語っていません。
ホメロスはエジプトについて語っているようには(表向きは)見えません。
そして、古代エジプトや古代ギリシャが、かなり、グローバルな社会であったという証拠が次々と出てきているのですから、聖書やギリシャ神話についても、重ね合わせて立体的に見直す必要があります。
メンカウラーのヒエログリフと「日本書紀」の三毛入野命の表記の同一性
メンカウラーの王名ヒエログリフは、「日本書紀」の三毛入野命の表記と見事に合致しています。
三個の桝形=凹の表象は「入」は、イリ王朝(トロイア系)を示し、「三個の大ピラミッド」の表象であると考えられます。
「日本書紀」の三毛の表記からは、「毛、不毛」を、「みけ」の音からは、「御食、御饌、三宅」が想起されます。
「三毛」から、三種類の穀物、御饌を連想しますので、地中海方面の火山爆発などによる異常気象で大不作に見舞われたときに貢献したことを推し量らせるためのヒエログリフではないかと思います。
創世記41章に記されているような、「七年間もの旱魃」という恐るべき大飢饉の発生を、ヨセフが予測していたならば、穀物争奪戦争や略奪からの防災、また、炎熱や腐敗からの穀物種の保護などの目的に対して、ピラミッドのような特殊な倉庫の建造を計画したことでしょう。それは、ピラミッドのような巨石での建造以外では、略奪者の決死的襲撃から保守し得ないような状況であったと考えられます。
また、ピラミッドは、見張りの塔、鏡による光通信の拠点、烽火通信の拠点などを兼ね、ナイル川運行の船舶やキャラバンの目印として機能した、複合施設であったと考えられます。このような目的のためには、地下の迷路や「死人に番をさせる」といったトリッキーな装置も必要だったに違いありません。
エジプトが「鏡」を神聖視した裏には、鏡による光通信ネットワークがあったと見ています。
そして、このことは、第一級の秘密であったはずです。
テーベのツタンカーメンやハトシェプスト女王の地下墳墓などを個人ツアーで見学しましたとき、アルミを貼った大きな板を持った子供たちが連携して、アルミ板を上手に扱って、地下深くの壁画のデテールを照らしてくれました。この助けなくしては、壁画の見学もままならない暗い地下のこととて、思わず子供たちにチップをはずみました。
太古においても、日中には、こうした方法で深い地下室に明かりを送っていたことが想定されます。
メンカウラー王の彫像メンカウラー王は紀元前2500年頃の王で、ギザの第三ピラミッド、一辺108メートル、高さ約67メートルのピラミッドの建設者と言われていますが、「古事記」の記事が確かなら、ピラミッドはもっと古いヨセフの時代に建造されたことになります。
1908年、ギザのメンカウラー王のピラミッドに付属した河岸神殿から、G・ライスナーの発掘によって、左のようなメンカウラー像が出土しました。
このメンカウラー王の群像は1978年4月1日から12月3日まで、日本各地で開催された「古代エジプト展」の展示品の一つとして公開されました。
普段は、エジプトのカイロ博物館に展示されています。
竜宮城とテーベ王朝テーベ王朝、第18代トゥト・アンク・アメン王の出自テーベ王朝に関して、第18王朝のトゥト・アンク・アメン王(在位 BC1361~BC1352年)ほど世に知られた存在はないでしょう。
1922年、イギリスのカーナボンによって、テーベの王家の谷の、トゥト・アンク・アメン王の墳墓から、豪華精巧な七重の棺やおびただしい副葬品の数々が発掘されました。
その棺や厨子には翼を広げた女神像や翼の図象が多くデザインされています。
トゥト・アンク・アメンの別の胸飾り(下図 カイロ考古学博物館蔵)のデザインには、日本語で、「鳥と天」と読める部分があること、「鳥と籠」があることに注目して下さい。

ケペル レー ウ 上
ネブ かご
ケペル レー 太陽
ウ 三本の線
トゥト・アンク・アメン 下
トート 鳥
アンク 命
アメン 天 太陽
トゥト・アンク・アメンが、在位九年で年若くして亡くなった時、
妃アンケセアメンが、ヒッタイト国王に次のような手紙を送ったことが分かっています。
夫は亡くなりました。私には息子もおりません。
このままでは家臣の中から夫を選ばなければなりません。
あなたはたくさんの王子をお持ちだそうですので、
どうかその中の一人を私の夫にお願いしたいと存じます。
この手紙の背後に、ヒッタイトとエジプトの王家が、実は同族であったという事情が隠されていたと考えられます。
ヒッタイトのシュッピルリウマ王はこの若い王妃の願いを聞き入れて、王子ザナンザと従者をエジプトに向かわせたのですが、その王子が何者かによって暗殺されてしまいましたので、結局アンケセアメンはアイと結婚し、神官アイがファラオとなりました。
しかし、アイの治世も長くは続かず、ラムセス王の時代となります。
ラムセス王は、出世した傭兵(多分外国人)の息子です。要するに、ラムセスは未亡人王妃と結婚することによって「軍事クーデター」を完成させようとの画策していたという裏面が想定されます。
アイは、アメンホテプ四世、別名イクンアテンの義父です。
アメンホテプ四世は「アトン神」崇拝の一神教を推進した王でした。
また、アイの墳墓の壁には、「アトン神」に捧げた賛歌が刻まれていますが、
それは、聖書の詩篇104章と似ていました。
アメンホテプ(アメノフィス)は、「古事記」と「日本書紀」に記されている「天の菩比」であり、
フェニキア系を示す王名であると木村鷹太郎氏は説いています。
「古事記」は、大国主の国譲りの時代の天の菩比について、およそ次のように記しています。
葦原の中国では、荒ぶる国ッ神が多くて混沌としていたため、
これの平定に向けて、天の菩比を遣わしたのですが効を奏さないので、つぎに、
天若日子を派遣しました。
しかし、彼は大国主の女下照比売を娶し、また、その国を獲んと慮って、
八年にいたるまで復奏しなかったのです。
そして、九年目に思金神が「雉(きぎし)」、名は鳴女を遣わしましたが、
天のさぐめが「この鳥を殺すべし」との進言しましたので、
天若日子が、その雉を殺させてしましました。
このため、天若日子自身が、「還矢」によって死ぬ羽目に陥ってしまったのです。
この「大国主の国譲り」にまつわる記事の天若日子の治世と死は、
トゥト・アンク・アメンの治世年数と死に一致しています。
また、記事中の雉を「きぎし」と読ませるのですが、これは、ギリシャ語では白鳥を意味し、雉の話にまつわる「天のさぐめ」とは、ラテン語のSagum Sagusで、「預言者」という意味であると、木村鷹太郎氏は説いています。
この天若日子は、七夕にまつわる主人公の彦星の本名の天雅彦(あめのわかひこ)として伝えられています。
「天雅彦草紙」を要約しますと、
大蛇が長者の姫君を嫁にほしいと申し出ます。上二人の姫君の拒絶にあいましたが、末の姫は父母の苦境を救うためと、承諾します。ところが大蛇から現れたのは美男の貴公子で、二人は睦まじく暮らしました。
ある日、夫が「自分は海龍王で、急用があって天に昇るが、留守中に、唐櫃だけは開けないように。開ければ自分はここに戻れなくなる」と言って天に昇っていきました。
姉たちがやってきて唐櫃を開けてしまいます。中からは煙が一筋立ち上って、これでもう天雅彦は帰るすべがなくなりました。姫は、こうした場合を予測した夫から預かっていた「一夜杓」で天に昇って夫を捜します。ついに、やっと捜しあてた夫はすばらしい宮殿に住んでいました。
ところが、夫は自分の父が鬼であることを告げ、もし見つかったら食べられてしまうといいます。
そして、鬼に見つかってしまいます。
父親の鬼は姫を連れ去り、自分はたくさんの牛を飼っているが、それを昼は野に放ち、夜は小屋に入れるようにと難題を吹っかけます。
姫は夫に教えられたとおりに牛を動かし、難局を切り抜けます。
いくら難題を出しても解決してしまう息子の妻に、ついに父鬼は情を見せ、では二人の仲を認めて、月に一回は一緒に暮らせるようにしようと言います。ところが、姫はその言葉を聞き間違えて、年に一回と思いこみます。
父鬼が手に持っていた瓜を投げると、それが天の川になり、二人を隔てたために、天雅彦は彦星となり、妻は七夕姫となって、二人は年に一度の逢瀬を契ることになったということです。
後漢の末にはこの記録があるというこの有名な「七夕」「7月7日に、天の川で牽牛と織女が会う」という話のデテ-ルをみますと、
「夫が龍蛇である」とは、トゥト・アンク・アメンが、龍蛇の冠をつけたテーベ王朝の者であること。
「夫の父親が鬼であり、父子で牛を飼っている」とは、トゥト・アンク・アメンが、「エティオ・クレース(真のクレタ人)」、すなわち、「半牛半人」や「鬼」の形状をした島クレタ島の出自であること、
「牛を率いる」「牽牛」とは、タウロス(牛)のトロイアやミノタウロスを率いる王統であること、
「開けてはならない箱がある」とは、「トロイア王家の神宝」のことです。
ですから、この「天の川」とは、ナイル川や地中海のことなのです。
そして、こうした、物語や行事はすべて未来(つまり謎が解ける日)を基準にして組み立てられていることがお分かりでしょう。
「古事記」では、天若日子の妻下照姫亦の名高比売命には、天若日子に瓜二つの阿遅志貴高日子根神がいて、天若日子の喪を弔いに来ます。
天なるや 弟棚機(おとたなばた)の項(うな)がせる 玉の緒統(みすまる)御統に
穴玉はや み谷 ニ(ふた)渡らせる 阿遅志貴 高日子根の神ぞ
妹の下照姫亦の名高比売命は、こう詠って兄の正体を明かします。
それは「ニ(ふた=プト=エジプト)」と「み谷=ミタンニ」両国の真の統治者が阿遅志貴高日子根神であることを言ったものですが、じつは、トゥト・アンク・アメンとは双子の兄弟なのです。王子たちが、あちらこちらに養子に出されて分散して育てられたことが、王家の近親結婚悲劇の要因ともなったわけで、この悲劇をデフォルメしたものが「オイディプス」や「アンチゴネー」の戯曲です。
「弟棚機(おとたなばた)の項(うな)がせる 玉の緒統(みすまる)」とは、スバル星、すなわちトロイア=アトラスをあらわし、同時に「緒統(みすまる)の玉」と呼ばれている「御神宝」を意味しているのです。
これだけの一致点を並べても、まだ、信じられないと言われますか?
トゥト・アンク・アメンの名の刻まれた、「アイの胸飾り」もカイロの考古学博物館に展示されています。
そこには、トゥト・アンク・アメンを悼む詩がヒエログリフで刻まれていますが、これも日本語で読めるのです。
これについては、別の機会に載せます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・話の種木村鷹太郎氏を支持したメタクサ伯爵夫人木村鷹太郎氏(1870-1931年)は、大著「日本太古史」上下巻 博文館 を1912年に出版して、従来の歴史観を逆転させるような発想の研究を発表し、これを「新史学」と名付けました。
しかし、日本の史学会は、これを少しも検証することなく、完全に黙殺をしたうえで、木村鷹太郎氏に対して「狂人」「妄想」と罵倒を浴びせました。
このために、木村鷹太郎氏は「とんでも学」や「擬似歴史学」の先駆者の一人として、インターネットで誹謗、揶揄の対象とされているほかは、全く世に知られていない人物です。
だが、木村鷹太郎氏の「日本太古史」は、当時、ただちに外国語にも翻訳されたのでした。
そして、世界もまた沈黙しました。
しかし、これを読んだギリシャのメタクサ伯爵夫人は、木村鷹太郎氏に賛同の意を表明するために、
わざわざ来日して、木村鷹太郎氏の邸に駆けつけ、次のように言われました。
クレタ島から出土する太古の品々は、いわゆる西洋文明とはかけ離れています。
太古のギリシャ神殿デルフォイやオリムピアのことなどを知ろうとするギリシャ学者は、
日本に来て京都や日光に来れば、宗教的太古は今もここ日本に存在することを感じ、
ここで使用されている殿堂、彫刻、形象記号などが、
親しき熟知の言葉を以って語りかけることを知るでありましょう。
両文明の類同の点のあまりにも多いことには注目せずにはいられません。
木村氏の御著述は、恰もアリアヅネの糸のごとく、その跡をたどり得るものだと信じます。
このように、共感と賛同を熱く語られたのでした。
メタクサ夫人が木村鷹太郎氏にあてて書いたこの手紙は残っています。
メタクサ夫人は、ギリシャの神々や彫刻、風習、伝承などが、ギリシャではなく、日本で「生きている」ことに驚かれたようです。
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楽しみでドキドキしてます ワクワクq(。・ω・q)(p・ω・。)pドキドキ
今年は、伊勢外宮・内宮、 金劔宮、 石上神宮、大神神社など
参拝する機会に恵まれました。その後で、行ったこともない籠神社の
夢を見ました。巨石神殿のある夢見だったので、今回の
>竹冠をとると龍宮となることも・・・にはびっくりですね。
神武の東征物語が古代ギリシャの神々の物語であり、
それはまた、古代エジプトとも関係がある ふぇ~~。
今まであまり触れていない分野にて整理するのに大変!
木村鷹太郎氏はガリレオのような人かもしれませんね。
やがて、その説は真実となる日がくるかもしれませんね。
メタクサ伯爵夫人がきになりまして、、ギリシャ最古の蒸留酒メーカーの
メタクサ社と関係があるのでしょうか。
郵便局から連絡あり次第、発送いたします。
>メタクサ伯爵夫人について。
わたくしも、そのメタクサ社の方だと思っていますが、調べたわけ
ではありません。
木村鷹太郎氏は、「ヴィーナスとバッカスを愛す」が口癖だったと
言いますから、はるばるギリシャから駆け付けた老舗の酒造会
社の美人(想像です)と、一夜を談論風発で明かすと言うような
風流なことが起きたのでしょうね。
あるいは、鷲座のアルタイルと琴座のヴェガが一生に一度の邂
逅を果たしたというべきでしょうか。
>木村鷹太郎氏はガリレオのよう。
木村氏が史学界にコペルニクス的発想の転回を迫った「新史学」
ですが、黙殺され、封印されたまま、一世紀を経た今日まで検証
もされないままなのですよ。
コペルニクスの説を、百年後のガリレオが世に問い直させた例の
ように、木村鷹太郎氏の「新史学」に対して、「アカデミック」界の
方々が脱帽する日も近いんではないかと思っています。
「アカデミック」という語のルーツは、プラトンの学園アカデメイアか
ら発生した言葉なのに、プラトン全集を翻訳して日本に紹介した人
物 木村鷹太郎氏に貼られているレッテルが、「非アカデミック」と
いうものなのですから皮肉と言うほかはありません。
この百年間も封印されて、蔵に手付かずのまま眠っていた奇跡的
な酒で シ-タ様と乾杯!!
今後、少しづつですが、私も考察を試みながら、記事の複写を重ねさせて頂きたいと思います。
ノロノロした作業になりますが、出来る限りの力で、又、楽しみながらやって参るつもりです。
尚、何か、ご注文や不都合と思われることがありましたら、どうぞ、ご遠慮なく、申し付けて下さいますように。 では、宜しくお願い致します。
「パソコンと私」の双方の具合が悪かったものですから、余命から判断して、身辺と資料(家族から見れば紙屑)の整理のほうに集中しておりました。あと、孫娘がいよいよ高3、受験間近になりましたので、協力体制・・・・言い換えれば働いております。
ほんとうは、ブログのほうを最優先したいのですが、浮世の義理も果たさなければなりません。
> 拝啓 こちら様の記事の一部をコピーして・・・
> 今後、少しづつですが、私も考察を試みながら、記事の複写を重ねさせて頂きたいと思います。
ありがとうございます。このように、わたくしが、家族のしがらみで動くのもままならないときに、こうして、助けてくださるとは、・・・本当に感謝いたしております。
よろしくお願い申し上げます。
また、ヒーリング・チャネリングに少々知識がある私ですが、今の人類はプレアデス、シリウス、オリオンとも関係があるようです。 もう一つのヒエなんとか?星団は初めて聞きました。
最近、「浦嶋子はうましまじ、蛇の中の蛇」という記事をみつけて改めてお邪魔しました。
数ヶ月前は知識や理解が今より乏しく、なんとなくで読ませて頂いていましたが、時間と知識と理解を多少得て改めて読ませて頂き、がぜん共感することができました。
うましまじはニギハヤヒ命の息子。
うましまでは天香語山命の異母弟。うましほやは天香語山命の妃。
と、「うまし」のつく三柱の名前が気になっていました。
そのヒントがこちらの記事にあるように感じました^^
ありがとうございます。
ちなみに、鰐というとえびす様を連想します。
真実を語る方々はレッテルを貼られ疎外されてしまいますが、真実を語る熱意と勇気を尊敬します
m(_ _)m