与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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3 邪馬台国エジプト説の行程の検証

41 邪馬台国への行程の検証

木村鷹太郎説「邪馬台国への行程」は、完璧

どこも訂正する必要が無く、ぴたりとあてはまる
[望夢楼]氏は、木村鷹太郎の「邪馬台国エジプト説」は、「魏史倭人伝」の邪馬台国までの行程のどこも訂正することなく、そのまま現実の地理にぴたりとあてはまると下記ホームページに書いています。
URL http://homepage3.nifty.com/boumurou/tondemo/kimura/kim_yama.html

ここに、明治末年に発表されたひとつの説がある。
この説では、「魏史倭人伝」の文章は、どこも訂正する必要もなければ、不自然な読み方をする必要もない。
「魏史倭人伝」の語る地理が、何の矛盾もなく、そのまま現実の地理にぴたりとあてはまるのである。ある意味では、邪馬台国の所在地に関する最も完璧な説といえる。 


[望夢楼]氏のこの発言は、木村鷹太郎氏の「邪馬台国エジプト説」について、すくなくとも、「魏志倭人伝」の邪馬台国への行程の方向と距離についてはきちんと検証したことを示すものといえます。皆様も、ぜひ検証してください。

にもかかわらず、なぜ、これを否定しきれるのか[望夢楼]氏のご意見を伺いたいところですが、わたくしは、これが「邪馬台国の所在地に関する最も完璧な説といえる。」ということを証明していくことに全力を投球するのみです。



[望夢楼]氏作成の地図
 kim_map 邪馬台国

[望夢楼]/[謎の疑似科学世界]/[邪馬台国はエジプトにあった!?]より掲載。


2 方角と距離の問題 

「魏志倭人伝」の約2000文字には、方向記述18ヵ所、距離記述16ヵ所におよんでいるのです。
こうした構成からみて、方向と距離をそうとう重視していると見てよいと考えられます。
出発地点から到着地点までの10の地点に対して、方向と距離の条件34項目がことごとく一致しているのですから、これは数学的、確率の問題からみて、「正解」とみなして検証する以外にはありえないことです。

[望夢楼]長谷川氏が、いみじくも述懐しているように、「ある意味では、邪馬台国の所在地に関する最も完璧な説といえる。」のです。

「邪馬台国九州説」と「邪馬台国畿内説」が、「倭人伝本文の地理上の方角、里数、日数、月数、地名等、殆んどの部分を書き代えて、強いて日本の地理に合わせんとし」たものであるのに対して、木村鷹太郎氏の邪馬台国エジプト説の行程では、「どこも訂正する必要もなければ、不自然な読み方をする必要もない。魏史倭人伝の語る地理が、何の矛盾もなく、そのまま現実の地理にぴたりとあてはまる。」のに、これを、偶然の一致、あるいは、でたらめとして無視するのは、科学的とは言えません。

「魏史倭人伝」の語る邪馬台国への地理が、方向と距離において、また、渡海、海岸線をたどる等において、30以上の諸条件が何の矛盾もなく、そのまま現実の地理にぴたりとあてはまるというような、誂え向きの地理が、他にあり得るでしょうか。もし、見つからないなら、ぴたりと合うところについて、検証しなければならないのではないでしょうか。


また、いやしくも、わが国の最高学府の東京帝国大学と京都帝国大学の歴史学者と言う地位にある方々が、木村鷹太郎氏の「邪馬台国エジプト説の行程にギリシャ圏が含まれている」ことと、「わが国の古事記・日本書紀の記事中に、ギリシャ神話の要素が多く含まれている」こととの関連性に触れることなく、「古事記」「日本書紀」等は偽書とみなし、「魏志倭人伝」については、「不備」「誤記」「誇大表記」「魏の使者の勘違い」「偽情報」と、一方的に決め付けるのみで、自ら「検証せず」「探索せず」「勉強せず」の市井を貫きました。
一方で、木村鷹太郎氏を「狂気による妄想」と愚弄し侮辱してはばからなかったのです。学者たちの、こうした卑劣にして無責任な態度は、教育界のお手本となり、その後の日本の歴史学の方向性を大きく決定して、100年間の泥沼の不毛へと陥らせる要因となりました。


邪馬台国論争100年間の不毛
「邪馬台国エジプト説」についての[望夢楼]こと長谷川氏は、の上記の言辞以外においては、場所名、時代など、あらゆる点において支離滅裂であると、快刀乱麻を断つごとく切り捨てて、木村鷹太郎氏を上から目線で愚弄しておいでですが、私があえて[望夢楼]長谷川氏作成の地図をここに掲げるのは、この「方角、里数、日程を、きちんと検証して発言している」点を高く評価しているからにほかなりません。

[望夢楼]氏のホームページで論うのに使われているような、木村鷹太郎氏に対する数々のレッテル、「時代錯誤的」「非常識的」「牽強付会的」「連想ゲーム的」「誇大妄想的」等は、すでに、東京大学、京都大学そのほかの史学会のお歴々が木村鷹太郎氏を罵倒して、投げかけた言葉と大同小異です。
しかし、木村鷹太郎氏の「邪馬台国エジプト説」の最大の問題点は、「約百年間というもの、黙殺されて、どんな検証もされなかった」という悲しむべき事実であり、この国の最高学府の史学の権威者たちの無責任ぶりなのです。

ですから、[望夢楼]長谷川氏が、ホームページで木村鷹太郎氏をとりあげて、たとえ、悪名をとどろかせるつもりであったとしても、その名を世に知らしめ、「その一部を考証し、問題点を一つ一つ指摘した」ということは、我が国の歴史学上の一大進歩であり、こうして、今、インターネットであげつらわれていることすら大いに喜ぶべきことなのです。

そして、[望夢楼]氏が列挙している、木村鷹太郎氏への数々の非難は、我々が受けてきた教育制度からして、至極もっともに見えることばかりです。お上が正しいと決めたことを正しいと言わなければ正解ではないというようにプログラミングされているのが、我が国の教育制度なのですから。
今日のような、二者択一方式の教育、権威者の説を鵜呑みさせる教育、オーソリティにとって不都合なところは全て黙殺するといった教育システムの時代にあっては、[望夢楼]氏のこの答えこそが正論であり、木村鷹太郎氏の説が異端ということなるのは当然の帰結です。

ですから、[望夢楼]長谷川氏が疑問を呈して挙げておられる点を、一つひとつ取り上げて、さまざまな資料や発掘物を以ってこれを検証して論破しなければならないことはいうまでもありません。
幸いなことに、地中海方面やエジプトからは、驚異的な日本語の出土物や絵画が出土していますので、こうした反論を論破できる証拠品がそろっていますので、日本の東大と京大の100年間の木村鷹太郎氏への無礼をただすことができると確信しております。
「望夢楼]長谷川氏の地図をお借りして、このブログで掲載したかった理由はそこにあります。




一里は100メートル
「邪馬台国エジプト説」を検証しますと、百メートルを1里とする、メートル法が単位として使用されていることがわかります。
それは、教科書の地図帳で容易に確かめられます。

帯方郡から対馬まで7000余里+1000余里+1000余里、計 9000余里は、1里を100mとすれば900Km余となり、驚くほどこの地図の行程の方角と距離が一致しています。
このあと、末盧国への水行1000余里(100km)には方角が示されていませんので、入り組んだところだということが想定されますが、この点でも一致しています。
ここからの陸上の距離については、歩行距離で記されていると考えられますので、書かれている数値と地図上の二点の直線距離とでは異なるのが当然です。
道がまっすぐな場所と、折れ曲がった道が多いところでは大きな差がでます。
私の検証では、古代ギリシャの折れ曲がった道を想定して距離を計算し、方角には二点間の方角を当てはめて見ましたところ、どれも、正確に書かれているという試算を得ました。
こうして、「方向」「距離」の条件がことごとく、合致しているということは、古代の測量技術のレベルがいかに高かったかが伺われます。

[望夢楼]氏が、木村鷹太郎の邪馬台国エジプト説を、「ある意味では、邪馬台国の所在地に関する最も完璧な説といえる。」と揶揄するつもりで発している言葉は、はからずも、真に「最も完璧である」という事実を宣伝していることになるのです。



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話の種

倭とエジプトのスケール

三浦陽一氏の「倭とエジプト 私が邪馬台国畿内説をとる理由」 
「ごきげんようチャンネル」というホームページ 2007 04 02 
http://soundsteps.jugem.jp/?eid=435

この記事は、「邪馬台国エジプト説」の規模を把握するのにちょうどわかりよい良い例証ですので、取り上げさせていただきます。

私は邪馬台国畿内説をとっている。
古代史は素人だから、正しくは「畿内説が好き」というレベルだが。
一時は、吉野ヶ里とか、九州でいろいろ発掘成果がでて、もはや邪馬台国畿内説なんて・・
とも思ったが、じつはある話を読んでから気が変わった。
以下、10年以上前、畿内説のほうが真実らしく思えるようになった文である。

「ナイル川下流のセンターがメンフィスです。
ここはメソポタミアとかいろいろな文化が入ってくるところで、まるで「魏志倭人伝」がいう一大率です。
ナイル川を600キロ遡ったところ、博多から600キロ瀬戸内海を行くと大和ですが、そこにテーベというところがあるんです。
そこにはカルナク神殿なんかがある。ここは大和です。王の支配の拠点です。
このナイル川が瀬戸内海なんです。
エジプト文化といっても、舞台のスケールは、古代日本の舞台のスケールとあまり違わない。・・

エジプトは周りが砂漠だけれど、日本の場合は海。
ナイル川は交通の大動脈であり灌漑の水を与える。
瀬戸内海も交通の動脈だけれど、水は全部山脈からでてくる。」


メンフィスーテーベーヌビアの関係を、北九州ー大和ー蝦夷の関係へと類推した議論で、玄関的地域ー王権の所在
地ー辺境という三極構造として「国」をとらえているわけだ。
瀬戸内海をナイル川にたとえているところも秀逸だ。これはなかなか魅力的な議論だ。・・・・
    

「水野正好『日本文明史2 文明の土壌 島国の原像』角川書店、1990年、294頁より要約 
これを語っているのは、本の巻末に収録されている著者水野正好氏の対談相手、上山春平氏 当時京都博物館館長です。      

以上 三浦陽一氏の「ごきげんようチャンネル」からの引用(抜粋)です。三浦陽一氏は、上記のように、「一時は九州説を採っていたのに、畿内説を採るようになった。」といいます。

「魏志倭人伝」そのほかに描かれたわが国の規模、あるいは、わが国に全国的に散らばっている、巨石建造物からみても、当時の「国家規模」について、こうした実際的な見地から比較し検証をすることは重要なことであり、また愉快なことではないでしょうか。
真の歴史は小説や仮説ではないのですから、規模、産物、交通の手段、トレードの採算性などのシュミレーションを作成して解析することは必要不可欠と申せましょう。


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