42 邪馬台国エジプト説とホメロス「魏志倭人伝」の冒頭とホメロス「魏志倭人伝」は、春秋の筆法で書かれていると云われて、字の入れ替えや、距離の単位の変換のあることなどが云々されますが、誰かがすぐにも気付き得るような単純な書き換えではなく、緻密かつ高度なテクニックを駆使して編纂してある「暗号文書」であると考えられます。わたくしは、この暗号文書と考えられる文書の本質を類推するのに、わが国の「古今伝授」というものを調べることに時間を費やしました。
一口で説明することは不可能ですが、あえて言うならば、真の歴史あるいは神道の伝授および多次元多重構造の文書を解し、作れるというテクニックの習得といえます。
それでは、「魏志倭人伝」にもそんな歴史の伝授や多次元多重内容が盛り込まれると考えられるでしょうかという設問をだしてみます。するとイエスという答えがみちびかれます。
『魏志倭人伝」が、そのような多重多次元構造になっているから、正解をみつけにくいのだと考えられるからです。
邪馬台国問題を論証する方々の殆んどが、「わが国のアイデンティティー」を求めているのだとおっしゃっています。
それならば、作者も、わが国のアイデンティティを後世に伝えることを一番重視したのかも知れないという仮設を立てて検証することも必要ではないでしょうか。
また、「三国志」魏史東夷伝の中で、「魏志倭人伝」の卑弥呼の記述のみが桁外れに興味を喚起する書き方になっているということに気がつきます。女王卑弥呼は、大変稀有な存在です。
そして、卑弥呼の邪馬台国は、最初から、貿易大国であることを示しています。
この問題を検証するために、「魏志倭人伝」の冒頭を掲げてみます。
原文と訳は、「古代史獺祭」氏のサイトからの引用です。
倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國
読み下し
倭人は帯方東南大海の中に在り、山島によりて國邑をなす。もと百余國。漢の時に朝見する者あり。今使訳通ずる所三十國。 この書き出しは、使訳が往来する交易センターのある商都の趣きをたたえており、日本においては、鎖国前の長崎ですら、見られないほどの活気のある国際都市が描かれています。
「国に市有り、有無を交易し」
「大倭にこれを監せしめる」
「一大率を置き検察す。諸国これを畏れ憚る」
というような記事が邪馬台国の情景として書かれているのを見ますと、官僚制、法制における驚異的なレベルが推量されます。文字や計算が発達していないと、ここに見られるような大掛かりな組織的交易国家は成立できません。
この冒頭は、弥生時代のわが日本列島内でのできごとではなく、ホメロス Homeros(紀元前8世紀)の叙事詩「オデュッセイア」第十九巻の次の章句を「魏志倭人伝」に移植したものではないかと私はみています。
「葡萄色なす海原のただなかに、まわりを海に洗われたクレタと呼ぶ地がある。そこには数知れぬ多くの人々が住み、九十の市があり、異なる言語を話す人々が入り混じっている。・・・」
「魏史倭人伝」の冒頭、「今使訳通ずる所三十國」のほうが、「オデュッセイア」「異なる言語を話す人々が入り混じっている。」よりも古代の商都を活写しているように思えます。
百市と九十市では異なると思われるかも知れませんが、ホメロスが「イーリアス」弟二巻で「百市の島クレーテー」といっており、イエスと同時代のギリシャ人ストラボンが「ギリシャ・ローマ地誌」で、その十市の差を問題にしているほどです。
「漢時」と書いてあるから漢の時代(BC200〜AD220頃)の描写であるという反論が予想されます。が、なにしろ100年間以上も解けない「暗号」なのですから、そう簡単に決め付けられません。
「天漢」と書いて「天の川」と呼ぶことに注目してください。
「古事記」には、「天の川=天の安河」で、神々が集って「神宝」を造ったという神代のことが記されています。
その天の川が、ナイル川付近、つまりエジプトのことであることを、「29 オリオン・ミステリー」で述べました。
「漢」は「漢」でも、天の「漢」の時代のことであると考えられるのです。
そして、この漢をアヤと読みますと、アヤ国の使者「アヤメ」即ち「イリス=アイリス」が浮上するのですが、これが、ホメロス描く「イーリス=トロイア」のメッセンジャーの女神のことなのです。
また、天漢=天の川の神話に「天稚彦」が出てきますが、これは、「古事記」の「大国主の国譲り」の記事の天若日子のことであり、その治世年数と死の一致から、トゥト・アンク・アメンであることを「4 浦島太郎と彦穂々手見命」で書いておきました。これにより、トゥト・アンク・アメンが、トロイアの王子であった可能性が浮かぶのです。
ホメロスの大叙事詩「イリアード」と「オデュッセイァ」は、トロイアの滅亡を描いたものですが、木村鷹太郎氏は、わが国に伝わっているという「御神宝」なるものは、このトロイア伝来のものであると説いています。
日本の「御神宝」が、このトロイア伝来のものであれば、わたしたち日本人は、今から三千数百年ほど前に,地中海界隈から消息を絶ったトロイア人の末裔だということになります。
「魏志倭人伝」の冒頭が、ホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」のクレタ島描写を移植したものであるとすれば、クレタ島から1908年に出土した「ファイストス円盤(紀元前十六世紀頃のもの)」が、日本語で書かれており、わが国のアイデンティティーを明かす文書であるということを結び付けないわけにはいきません。
このファイストス円盤は、創世記48章、49章、そして、申命記31章、33章とリンクしているのですから、これから辿ると、わたしたち日本人は、聖書中のスーパー・スターであるヨセフの末裔でもあるということになります。
そして、トロイア人は、シュリーマンが発掘したトルコのヒッサリクの丘の周辺だけではなく、クレタ島を拠点にし、かつ、エジプトを支配し、聖書の民でもあったという驚天動地の古代史が開けてくるのです。
聖書の執筆者たちは、トロイ戦争について書いてはいません。一方、ホメロスは、出エジプトの情報を描いているようにはみえません。
しかし、考えても見てください、出エジプトとトロイア戦争は時代的にも地理的にも接近しているできごとなのですから、両大国がお互いに、こうした大事件にまったく関心を寄せないことは実に不思議極まりないことです。
意識して書き分けたにちがいありません。
しかし、こうして、この古代史に大きな足跡を残した両雄の末裔がわたしたち日本人であるということで、聖書の民とトロイア人が同一だったということが明きらかになろうとしているのです。
「魏志倭人伝」は、木村鷹太郎氏説くところの邪馬台国地理の
中心に位置する「クレタ島」のことから書き始めているということを重視しなければなりません。
クレタ島は、地中海文明の発祥地です。
「魏志倭人伝」が、もし、この絶頂期のクレタ島が、倭人たちの島であったことを明かそうとして、このクレタ島から書き初めているのであれば、それは、とりもなおさず、私たち倭人たちが、地中海文明の発祥を担ったことを知ってもらう必要性があって書いたにちがいありません。
さて、古代に、クレタ島に高度な都市文明が存在したということがわかったのは、20世紀になってからのことです。
ホメロスが「イリアード」や「オデュッセイア」で描写したような、交易の要衝の地として栄えた市が百もあったような繁栄は、紀元前16世紀ころのミノア時代のことで、当時、これに匹敵する島はほかにはありませんでした。
紀元前八世紀のホメロスの時代には、クレタ島の繁栄は既に、伝説でしかなく、
古代アテネの歴史家トゥキディデス Thoukydídēs、 紀元前460年頃〜紀元前395年の時代には、クレタ島はもうその栄華のおもかげをとどめないほどに衰退していたと書き残しています。
クレタのミーノス王は、艦隊を所有した最初の人であった。・・・
活発な交易がエジプトおよびキクラデス諸島との間に行われていた。・・・
ドーリス人の移住の後、ミュケナィとティリンスは衰亡し、
芸術も線文字も衰亡の運命を辿って、
陶器のみがわずかに生き長らえることができた。
そしてまたクレタにおいても、似たような結果であった。
アジア、アフリカ、ヨーロッパを結ぶ要衝の地にあるクレタ島においてさえも、国際貿易都市を経営維持するにはよほどの手腕と経済力を要したことが上記の記事でわかります。
そして、その後、クレタ島がその当時の繁栄を取り戻すことは二度となく、遂には、クレタ島の高度な交易都市のことは、すっかり忘れ果てられていたのです。
クレタ島の絶頂期の支配者ミーノス王の時代の宮殿が、20世紀初頭に発掘されて、忽然と地中から現われ出たときに、世界中が驚嘆したほどなのです。
そのミーノス王朝の時代、紀元前16世紀頃のものといわれている「ファイストス円盤」という粘土版が、1908年に出土していて、これが今も、日本語で読めるという驚異的な事実があります。
玉依姫の夫である「三輪の神」と関係あり、この玉依姫の夫鵜葺草葺不合(ウガヤフキアエズ)がアトラスであるということなどについては、すでに、このブログで紹介しています。
日本政府や、「古事記」「日本書紀」あるいは「魏志倭人伝」にかかわっている学者、宗教家が、こうしたことを検証せずして、やりすごすことは、後世、卑怯のそしりをまぬがれません。
安本美典先生
「邪馬台国の会」講演会で、木村鷹太郎氏を誹謗した責任をとって、科学的検証をしてください第227回 邪馬台国の会 講演会における、安本美典氏の講演から抜粋 邪馬台国九州説と畿内説は他の説に比べると常識的な主張であり、
現在の邪馬台国論争は主にこの2つの説の間の議論になっている。
九州説は東京帝国大学東洋史教授の白鳥庫吉が主張し、
畿内説は京都大学教授の内藤湖南が主張したことから、
九州説を主張する東大と近畿説を主張する京大の構図が出来てしまった。・・・
極端な邪馬台国説 極端な地域を主張する説がある。
エジプト説
バイロンの評伝やプラトーンの翻訳で知られる木村鷹太郎氏が唱えた説。
卑弥呼は九州の一女酋ではなく、エジプトの女王だとする。
専門の分野ではそれなりの実績を残した学者だが、
邪馬台国問題については言っていることがめちゃくちゃである。・・・ なぜ、長年にわたる議論に決着が付かないのか、
また、このような極端でとっぴな説がなぜまかり通るのか。
これは、邪馬台国問題解決へのアプローチに問題があり、
それぞれの説の正否を判断するときの、方法論や判断の基準が曖昧なことが大きな原因である。
邪馬台国畿内説と九州説はどちらも仮説である。
議論の焦点は、どちらの説がより多くの考古学的な事実や、
「魏志倭人伝」などの中国史書および、古事記」「日本書紀」などの古文献の情報と
矛盾無く整合するかということになる。
邪馬台国の議論は、上述の極端な説のような思いこみや独りよがりではなく、
客観的な情報によって仮説を検証していくこのような立場から議論 行なうことによって、
はじめて実りある結論が得られる。・・・
以上の、安本美典氏の講演会での御主張のお言葉を、そっくりお返ししたいと思います。、
考古学的な事実や、「魏志倭人伝」などの中国史書および、古事記」「日本書紀」などの
古文献の情報と矛盾無く整合するか、思いこみや独りよがりではなく、
客観的な情報によって、仮説を検証していく、
このような立場から議論を行なうことによって、はじめて実りある結論が得られる。・・・
このお言葉を安本美典氏御自身で是非実行してくださるようお願いいたします。