46 古代エジプトと日本 トゥト・アンク・アメンは天稚彦トゥト・アンク・アメンの胸飾り 1トゥト・アンク・アメンについては、すでにこのブログに書いてありますが、もう一度載せておきます。
第18王朝のトゥト・アンク・アメン王(在位 BC1361~BC1352年)ほど世に知,られた存在はないでしょう。
1922年、イギリスのカーナボンによって、テーベの王家の谷から、トゥト・アンク・アメン王の墳墓の、豪華精巧な七重の棺やおびただしい副葬品の数々が発掘されました。その遺品の中には、十六花弁の菊の紋章の刻まれた黄金のサンダルや、同じ紋章のガラスの小さなエンブレムが多数出土しています。
また、その棺や厨子には翼を広げた女神像や翼の図象が見られます。
トゥト・アンク・アメンの胸飾り(下図)のデザインから、日本語で、「鳥と天」と読める部分があること、「鳥と籠」があることに注目して下さい。
ケペル レー ウ 上
ネブ かご
ケペル レー 太陽
ウ 三本線
トゥト・アンク・アメン 下
トト 鳥
アンク 命
アメ 天
わが国では、鳥をトトと、天をアメと言うことがありますので、日本語で通じます。
他の国の言葉では、こうはいきません。
しかし、これだけで証拠と決めつけているのではありません。ほかにもあります。
トゥト・アンク・アメンの胸飾り 2トゥト・アンク・アメンの名の刻まれた、「アイの胸飾り」が、カイロの考古学博物館に展示されいます。
この胸飾りの詩はイシスに捧げられているのですが、イシスのことを古代ギリシャ人は「イセ」と言っていたといいますので、伊勢神宮の「イセ」との関係が疑われます。
そして、この胸飾りもトヨクニ文字とイヅモ文字といわれている2種類の日本の古代文字で読めることを、高橋良典氏が発表しています。

頭上 日経(ひふ)る天日(あむひ)とともに出る
トゥト・アンク・アメン
永遠(とわ)なあれ
翼右下 トゥト・アンク・アメン
御身愛で 死したのち
あの世でも
朝な夕なに祈る
翼左下 ここに 主天日奉りて
絵師 イシスの宮の
日経る札作る
エジプト文字とトヨクニ文字
エジプトの象形文字は日本のトヨクニとよく似ているばかりではなく、同じものが多いのです。
エジプトでは、表音文字(日本のカタカナ、ひらがなにあたる)と表意文字(漢字にあたる)を組み合わせて使っていました。
ウナス王名のヒエログリフなども「兎野須」あるいは「兎野州」です。
ミケイリノス(メンカウラのギリシャ語読み)は、「三毛入命」です。
クレオパトラは「クレ(呉あるいは紅)尾羽鳥」です。フェニキアの女王であることがわかります。
1837年(天保8年)に豊後国(大分県)で発見されましたことから、「豊国文字」と名付けられたのが、上図右の文字です。「上紀」または「上津文」、「ウエツフミ」と呼ばれている文献が、この文字で書かれています。
宮崎県の天岩戸神社境内より出土の岩戸蓋石という円形の大きな石には、この豊国文字がびっしり刻まれています。
驚くのは、豊国文字で書かれていた「上紀」のその内容です。
「古事記」「日本書紀」にはない「ウガヤフキアエズ王朝の重視」がみられ、この時代に中国に農業や文字を伝えたのは日本であり、日本では精密な独自の太陽暦があったことなどが記されています。
「上紀」は、ウガヤフキアエズ王朝に始まる神武天皇以前の歴史や、天文学、暦学、医学、農業・漁業・冶金等の産業技術の記事を含む博物誌的なものです。
「上記」によると、1223年(貞応2年)に豊後国守護の大友能直が、「新はりの記」「高千穂宮司家文」等の古文書をもとに編纂したとされていますが、その内容は、
例によって、この「上紀」も「偽書」扱いをまぬがれ得ず、今日、アカデミックな世界では研究の対象外という暗黙の了解があるようです。
しかし、2006年3月27日の日本の新聞各紙は、「中国安徽省蚌岐市で、約7000年ほど昔の遺跡から絵文字や記号のようなものが刻まれた粘土板あるいは土器片ようのものが大量に発見され」たという新華社通信の記事を写真付きで発表しましたが、それは、いわゆる漢字よりは、「豊国文字」や「エジプト象形文字」や「沖縄古代のカイダ文字」に似たものでした。
外八州と内八州木村鷹太郎氏は、世界を「外八州」日本を「内八州」とする世界観を持っていました。
外八州は内八州と相似の関係にあり、この「日本が世界の雛形であること」こそが、日本が神の国に選ばれた第一の原因なのです。
「聖書」は外八州の世界をアダム、そして内八州の日本をイヴとして、創世記をスタートさせています。
「古事記」は、内八州の伊邪那美命(イヴ)の国生みから神代巻を書き起こしています。
「豊」の国とは、アフリカの「エジプト」と九州の「豊の国」の両方を指して付けられた国名のようです。
アフリカの地図と九州の地図を見比べてください。すると、アフリカ大陸におけるエジプトの場所と九州における「豊前・豊後」の場所がみごとに重なることが分かります。
「魏志」倭人伝や「古事記」・「日本書紀」の文面から、倭国発祥の地が「九州」だと主張する方々は、わが国の古代の歴史編集者たちが、「世界」と「日本」の地形を相似形であると捉えていたことや、わが民族の「世界史」を「日本史」のように見せかけて「時間も距離も短縮して」日本に移写して書いたことに気づかないからです。
「魏志」倭人伝の記事を見ますと、帯方郡から伊都国まで、あたかもピンポイントの正確さで「邪馬台国への道」が記されているように見えます。これだけでも、たいしたことなのですが、これを、「ヴェネチアからクレタ島」までの道程の正確さに比べますと、とても太刀打ちできません。
どちらを重視すべきか、自ずから悟らざるを得ないように編集してあるのです。
木村鷹太郎氏は、「古事記」や「日本書紀」が、「万国」と云い「天下」と記すときは、「世界的万国、国際的天下」のスケールであり、決して、政治区画的地方的文言ではないとしていて、今日の日本人のものの考え方は、すっかり「盆栽」のように萎縮してしまっていると嘆いています。
こうした古代人のスケールの大きさを疑われる方は、このブログの「伊邪那美命の国産み地図」を参照してください。
大国主の国譲りとトゥト・アンク・アメントゥト・アンク・アメンが、在位九年で年若くして亡くなりました。
「古事記」と「日本書紀」の、「大国主の国譲り」の記事の中の、天若日子の治世と死が、このトゥト・アンク・アメンの治世年数と死に一致しているのです。
「古事記」大国主の国譲りの概略
「葦原の中国(なかつくに)において、荒ぶる国っ神が多くて混沌とし、暗黒の世になったために、平定に向けて天の菩比を遣わしたのですが、効を奏さず、次に、天若日子を派遣した」という記事があります。
しかし、天若日子は大国主の女(むすめ)下照比売を娶し、また、その国を獲んと慮って、八年にいたるまで復奏しなかったといい、九年目に、思金神が「雉(きぎし)」、名は鳴女を遣わしましたが、天のさぐめが「その鳥を殺すべし」と進言しましたので、天若日子が、その雉を殺させました。
このため、天若日子自身が、「還矢(かえしや)」によって死ぬ羽目に陥ってしまいました。
この9年目に死んでしまったという記事は、トゥト・アンク・アメンと一致しています。
トゥト・アンク・アメンが若くして亡くなりましたので、妃アンケセアメンが、ヒッタイトに手紙を送りました。
夫は亡くなりました。私には息子もおりません。
このままでは家臣の中から夫を選ばなければなりません。
あなたはたくさんの王子をお持ちなので、どうか、
その中の一人を私の夫にお願いしたいと存じます。
この手紙の背後に、ヒッタイトとエジプトが、実は一つの国(トロイア)であったという事情が隠されていたと考えられます。
ヒッタイトのシュッピルリウマ王は、この王妃の願いを聞き入れて、早速、王子ザナンザと従者をエジプトに向かわせたのですが、その王子が何者かによって暗殺されてしまいましたので、結局アンケセアメンはアイと結婚して、神官アイがファラオとなりました。
しかし、アイの治世も長くは続かず、ラムセス王の時代となります。
ラムセス王は、出世した傭兵の息子です。婚姻による「王家乗っ取り」という革命がほぼ成功していたということでしょう。
アイは、アメンホテプ四世、別名イクンアテンの義父です。
アメンホテプ四世は「アトン神」崇拝の一神教を推進した王でした。
また、アイの墳墓の壁には、「アトン神」に捧げた賛歌が刻まれていますが、それは、聖書の詩篇104章とよく似ていました。
アメンホテプ(アメノフィス)は、「古事記」と「日本書紀」に記されている「天の菩比」であり、フェニキア系の王であると木村鷹太郎氏は説いています。
「古事記」記事中で、雉を「きぎし」と読ませていますが、これは、ギリシャ語では白鳥を意味し、雉の話にまつわる「天のさぐめ」とは、ラテン語の Sagum Sagus「預言者」という意味であると、木村鷹太郎氏は説いています。
天若日子や牽牛が活躍する「天の川」とはトゥト・アンク・アメンが天若日子であることを発見したのは私です。
天若日子(天稚彦)は、七夕伝説=天の川伝説では、牽牛ともいわれていて、牽牛という名のほうがよく知られています。
天の川、またの名、天の安川が、いったいどこにあったのかを検証することは重要なことです。
第一に、日本の御神宝が天の安河、またの名、天の川で作られたことが「古事記」と「日本書紀」に記されており、神宝製作に鍛冶神がかかわったことも書いてあります。
そして、「ファイストス円盤」が出土したのはクレタ島の(へ)ファイストス宮殿、すなわち、鍛冶神の宮殿なのです。
第二に、天の川は天稚彦(アメワカヒコ)伝説の本地です。
そして、天稚彦はトゥト・アンク・アメンであると私は申し上げました。
ナイル川とピラミッドが天空の天の川とオリオン座を模して建設されていることについては、イギリスのロバート・ボーヴァルの「オリオンミステリー」NHK1995年出版がよく研究して書いています。しかし、一世紀ほども昔に、木村鷹太郎氏も、地上の天の川がナイル川であることを「日本太古史」に書いています。
私の解読では、この天の川伝説の牽牛とはタウロスすなわちトロアスであり、個人名ではなくトロイア王族のことなのです。牛頭天皇とも称されるスサノヲもトロイア王族です。
そして、トロイアの真相、つまり、トロイアがアトランティスであったことについて最もよく研究しているのは、へルベルト・ツアンガー氏の「天からの洪水」です。
このような側面から伺えるように、「邪馬台国」は、単にエジプトであると言うよりは、もっと国際的なものなのです。
そこで、次は、「邪馬台国エジプト説」というより、さらに、さらに、スケールの大きいことを検証してみたいと思います。
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わけがわからなくなり、ギブアップです(笑)
天とつくのは、星座関係なのかしら。
やたら、鳥関係も多いし、気になります。
アメノワカヒコ葬儀の様子がマザーグースの”誰が殺したクックロビン((笑)”
に似てるという指摘は面白いと思いました。
返し矢(天鹿児弓と天波波矢)には蛇がかくれていますw
妃の下照比売はアンケセアメンで卑弥呼だとすると、
アイは武内宿禰なんてどうでしょう。
アメノワカヒコとそっくりな阿遅志貴高日子根(アヂシキタカヒコネ)神は
一体何なのでしょう?どこかで、アレクサンドロスだといった記事がありましたが
時代的にどうなのかしら。ギリシア神話のアキレウスの要素があるとか。。爆発しそうです。
ただ、エジプトに関して、物語をよく知らないので、検証しにくかったです。
もっと、詳しく教えていただければ、大変うれしいです。
お返事が遅くなりましてすみません。
出エジプトは、トロイアの消滅の別の表現なのです。日本では,大国主の国譲りと表現しています。
エジプトの実体は、実は、トロイアにして、「ヒッタイト(目)とフェニキア(翼)」を主要国とした国でもあったという事情が隠れています。
ピラミッドの天辺の冠石がベンベン石という名を持っており、それがフェニキアのことであることが、全てを暗示しています。
テーベ王朝のアメノフィスという王命は、フェニキアのカドモス族のホヒニクスと同一名であり、ギリシャ語「ホヒノス」 (血染め 赤)と同じです。アメノホヒノミコトはこのエジプトのアメノフィス王朝をさしています。
ベンベン石は、日本語では「ベニ」紅 弁です。紅海は、フェニキアの活躍の舞台でした。
大国主に「赤裸の兎」の物語があり、ヨセフに血染めの衣の挿話があるのはこのためと思われます。
> アメノワカヒコとそっくりな阿遅志貴高日子根(アヂシキタカヒコネ)神は
> 一体何なのでしょう?どこかで、アレクサンドロスだといった記事がありましたが・・・
アレクサンドロス・パリス、つまり、トロイアの皇子に相当すると考えられます。
エジプトの王または皇子はアポロ-ンと呼ばれていたと考えられます。アポローンの別名がアレキシスです。
アヂシキタカヒコネは、賀茂神社に祀られています。
エジプトの王朝のヒエログリフのカルトゥーシュ(王名)に、カモ、即ちアヒルと太陽が刻まれているものが多いことはよく知られていることです。また、賀茂神社の「ヤタガラス」と名乗る方の覆面には三つのピラミッドが描かれています。
> わけが分らなくなって・・
それは、その時代の当事者たちも、今の歴史家たちも同様にわけが分らなくなってしまったのです、
王子たちを、あちこちに分けて育てていたという習慣が原因です。
モーセも親兄弟から分かれてエジプトで活躍しましたが、その祖ヨセフも同様です。
アジスキタカヒコネにまつわる「そっくり」と言う言葉は、ギリシャ悲劇の「オイディプス」、また「ふたご座」の神話を参照させるために挿入された言葉であると考えられます。
オイディプスはエジプト(トロイア)悲劇と言う方が適切です。
トロイアとフェニキアはこの後、イベリア方面やイタリア、アフリカ西部、そして、インドへ拠点を移しましたので、インドでは、トロイア戦争は「マハー・バラータ」「ラーマヤナ」の一対として伝わりました。ホメロスの「イリアード」と「オデュッセイア」を別の面から語っている話です。
イザナギ=オルフェウス=ラーマ、そして、イザナミ=エウリュディケ=シーターという側面があることについてはまえに触れました。
シーター様との出会いの不思議さ・・・感無量です。
> やたら、鳥関係も多いし、気になります。
これは、トロイア=鳥=島、日本のことです。
こだも、ダハシュール出土のベンベン石に刻まれている翼から私が解明しました。
「翼と太陽」「有翼の円盤」は日本のシンボルだったのです。
> アメノワカヒコ葬儀の様子がマザーグースの”誰が殺したクックロビン((笑)”
> に似てるという指摘は面白いと思いました。
アメノワカヒコは七夕伝説では、アマノジャクともいわれています、若様=ジャクです。
イギリス民話といわれている「ジャックと豆の木」は、このアメノワカヒコの話と大国主の「天の告(のり)琴」の話が合体したものです。”誰が殺したクックロビン”は古事記の描写に似ています。
イギリスと日本はあらゆる意味で対蹠関係にある国です。
昔も今も。
KOO様の日本の謎、聖書の謎の下巻は、特に圧巻であり、
まさに日本のミステリーを解き明かした感をうけましたよww!
海のエジプト展が横浜で開催されてますね。
クレオパトラ時代がズームアップされてるようで、
もっと古い時代に焦点を当てていただければよいのですが(笑)
最近、書店にて、NHK カルチャーラジオの古代オリエント都市の旅
小林登志子女史なるものを購入し、少し勉強いたします。
ちらっとみたところ、ヒッタイトの鉄にかんするハットゥサや
アメンヘテプ4世のアケト・アテンの項は木村鷹太郎氏や
KOO女史wが既に述べられといる通りです。
考古学はジクソーパズルのようですね。
現考古学者が1ピース1ピース丁寧に拾い集めているのには敬服しますが、
木村鷹太郎氏やKOO女史のように、パズルの完成図を正しく見極める力と
勇気をもってほしいですねww
>古代オリエント都市の旅 小林登志子女史なるものを購入し、少し勉強いたします。
> ちらっとみたところ、ヒッタイトの鉄にかんするハットゥサや
> アメンヘテプ4世のアケト・アテンの項は木村鷹太郎氏や・・・・
いつもながら、シーター様の旺盛な知識欲と勉強ぶりには感嘆します。
時間空間を飛翔することが出来るのは、なんと言っても「本」です。どうか、目を大切になさって、いつまでも、この飛翔を続けてください。
そのうち、自然に卵(著書)が生まれると思いますよ。
良書を多読するということは、そんな不思議なことが起こりうるということです。
私は、読書家というほどではありませんが、本の収集家を目指していたのです。
それは、この、劣悪にして猥雑な出版界情勢を予感した40年前からでした。まず、子供の本からセレクトしはじめたのは、子供に見せたい本を集めることが急務だとおもったからでした。
次第に、限りある命の時間を割いて読むだけの価値のある本を集める作業に移りまして、私設読書ルームを作って公開しようかな、というとき、トラックで、良書、貴重本をごっそり持っていかれました。泥棒です!!
そんなわけで、櫛の歯が欠けたような本棚と、かすんで思うように読み進めない目と、しぼみ始めた灰色の脳細胞が残るだけとなりました。
でも、シーター様に、私の生み出した本を褒めていただいて、わたしの、長年の消耗がいっきに癒された思いです。
ところで、インターネットで、「ファイストス円盤」は、イタリアの考古学者ペルニエが捏造した”でっち上げ”品だ」という国外大手のマスコミの配信が飛び交っているようです。
これが定説になるのも間近かもしれません。
出版の統制の厳しさを、私はこの十年間というもの体験しました。自費出版しか道がありませんでしたのに、よくぞ私の本に辿りついてくださいました。
記事№42を改良しました。
「邪馬台国論争」を、さらに手直しするつもりです。お知恵をお貸しくださいませ。
早速の、御回答、ありがとうございました。
お蔭様で、すぐにRead_moreに切り替えることができました。
(適用欄の○印を押して、適用そのものを押していなかったことが不成功の原因でした。)
Read_moreは、私のブログにとてもマッチしていて、なんだかブログのグレードがあがったように見え、嬉しく思っております。
字が大きくて、これで私と同じ70才代の方々にも読んでいただけそうです。
それにしても、FC2ブログの編集機能の「フォントの大中小」だけでは、微妙な編集ができません。最初からこのサイズが入っていれば・・・と思います。
もとのテンプレートも、文字の大きさとシンプルさで選んでいたのですが、なぜか今年になって急に文字サイズが小さくなってしまっていたのです。
それが不満で、テンプレートを片っ端から探しました。探し甲斐がありました。
ほんとうにありがとうございました。
なお、ホームぺージのテンプレートも手がけられますようでしたら、そちらも拝見したいと思います。