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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

12 邪馬台国エジプト説の伊都国

50 邪馬台国エジプト説の伊都国

末廬(まつろ)国と伊都(いと)国

末廬(まつろ)国

「末廬(まつろ)国とは、ギリシャ ペロポネソス半島の西北にあったアハヤ国のオエノエである。
オエノエOenoeはラテン語でマツロ Maturo である。」


「魏志」倭人伝
又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈沒取之

また、千余里程海を渡ると末盧國に着く。四千戸余りあり、山麓や沿岸沿いに居住している。
前の人が見えないほどに草木が生い茂っている。水の深浅いに関係無く住民はもぐって魚や鰒(あわび)を捕る。

末盧国への水行一〇〇〇余里(100Km)には方角が示されていませんので、直線距離ではなく、ジグザグにオイノエへ向かったことが想定されます。

木村鷹太郎氏が「マツロ国」に比定しているオイノエも、ギリシャの東西交通の要衝の地であり、アルゴリス湾への入り口にあります。
古代オイノエ Oene Οινόηは、オデュッセウスと組んでトロイア戦争で活躍した「アルゴス勢全体を率いるディオメデス」が建造した都市であり、祖父オイネウスを記念してつけた名です。
また、オイノエとは酒を意味します。

オイノエ遺跡は、ギリシャに四箇所あり、アルゴス湾を隔てたアッティカにもマラトンにもありますが、ここでとりあげたオイノエは、ペロポネソス半島側のオイノエです。
ここの支配者だったアルゴス王ディオメデスは、ギリシャ最強の王の一人で、「一大卒」ですが、実は、このアルゴスだけが領地ではなかったことが推察されます。

この地に名を残したオイネウスや孫のディオメデスの祖のアゲノールには、百眼巨人アルゴスの父であるという神話や、牝牛になった例のイヨ姫の父祖、或は、イヨ姫の伯父であるという神話があります。
つまり、卑弥呼の後継者「壱与」の父祖の地なのです。
イヨがイオニヤ海に名を残していること、イオニヤが双魚であることは、すでに述べました。

このアゲノールには、フェニキア王であり、カドモスやエウロペの父であるとして登場する神話がありますが、娘エウロペが雄牛に化けたゼウスとともに渡った先がクレタ島、テーベ、テーバイ、メンフィスですから、どちらのアゲノールの神話や系譜をたどっても牛やイヨ姫やエウロペに回帰して、クレタ島やテーベやテーバイに行き着きます。
この両者が同じ王家であることは明らかで、テーベやテーバイそしてフェニキア建設者のカドモス一族であり、ゼウスとポセイドン、また、ミノス一族です。
そして、アゲノールとは、エーゲ海のことでもあります。


「魏志」倭人伝が、ここに「末廬(まつろ)」を持ち出したのは、「末廬(まつろ)」に「終わり」の意味を掛け、また、「終わり」と「オイノエ=オノエ 尾上」を掛け、「尾羽張=尾張=おわり」をも示唆していると考えられます。これを「古事記」では、「天之尾羽張」あるいは、「伊都之尾羽張」と書かれていますのは、この次に検証する「伊都国」と連動していることを示唆していると思われます。

「伊都」をイト、イツ、イヅとも読むことから、次に説明する「伊都国」のシンボル「聖なるイトミ山」がトルコの「イヅ山」クレタ島の「イデー山」と同じ名であり、それらは、全てゼウスの山にほかなりませんから、「伊都之尾羽張」とはゼウスのことであることがわかります。

この「天之尾羽張」あるいは、「伊都之尾羽張」はオリオンのことであると木村鷹太郎氏は説き、オリオンにまつわる下記の神話を挙げて、日本とのかかわりを説いています。

 
 海神の子オリオンは、
 バッカスとクレタ島の王女アリアヅネの子オイノピン王の娘メローペを恋した。
 しかし、メローペの父が、常に、その恋を妨げたので、
 オリオンは強力に訴えて思いを遂げようとした。
  
 オイノピンは怒って、オリオンを酒に酔わせて、その視力を失わせた。
 盲目となったオリオンは、神託により朝光をもとめて、
 鍛冶神ヘファイストスの元に行く。
 ヘファイストスはオリオンを憐れんで、シダリヲを与えて教導となし、
 太陽の家に向かわせる。
 オリオンは、このシダリヲを肩にのせて東に進み、太陽の神に会い、
 視力を回復して目が見えるようになる。・・・

このシダリヲは、柿本人麻呂の「あしびきの 山鳥の尾の しだりをの ながながし夜をひとりかも寝む」の歌で知られていますが、これは「常世の長鳴き鳥」のことで、「古事記」の「天之安川(天の川)での神宝製作の場面」で出てきますが、今でも、伊勢神宮の式年遷宮のときには、御神宝が新殿に移される夜中に、この常世の長鳴き鳥の「カケコー」の三声が響きわたります。

「尾羽張」は「尾張」とも書かれていますので「まつろ」と同じように「終り」「アットラスト」を導き、終(つい)に現われ出る「アトラス」へと誘導していると考えられるのです。
アトラスはトロアス、オリオンはイリオン、どちらにしてもトロイアに行き着きます。
そして、オリオンはシダリヲとともに東方へ、太陽の国インドへ、さらに、日本へと向かうのです。


また、上の、オリオン神話は、バッカス=ディオニソスやオイノピン(酒ビン)等、「酒」にまつわる話を幾重にも重ねて構成しているのですが、ここの地名「オイノエ(酒)」でこの神話を連想させることは、アルゴス地方が、酒神にして医神のアスクレピオスの神域であることを強調するための構成であり、それを大和の三輪神社の医薬と酒の神々へとリンクさせる為ではないかと思われるのです。

三輪神社神域の「アスカ」という地名はアスクレピオス医神とトロイア王子アスカニウスを示唆しています。
木村鷹太郎氏は、神武天皇が神倭伊波礼毘古あるいは磐余彦(いわれひこ)と記されているが、「いわれ」とは、トロイアのイリウムという言い方と同じで、イリウムも磐を意味するといい、トロイア王家をイウレ(磐)ともいい、神武天皇とは、トロイア皇子イウレウスのことであると解きました。この皇子の別名がアスカニウスなのです。
アスクレピウス医神もイウレウス家も、紋章は百合でした。
そして、オデュッセウスは英語圏では「ユリシーズ」と呼ばれていますが、日本では「百合若」として各地に伝承されていました。




伊都(いと)国

「伊都(いと)国とは、イツIthysは神を祭り斎く所の意。マンチネヤ(マンティネイア)と推定できる。これは末廬の東南にある。」

「魏志」倭人伝
東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐

陸上を東南の方に五百里(50Km)ほど行くと伊都国に着く。官を爾支といい、副官を泄謨觚・柄渠觚という。千戸余りある。代々王がいるが、みな女王国に属している。帯方郡使が来るときは必ずここに滞在する。

「マンチネア」も「マツロ」同様に「斎き祭る」という意味です。
マンティネイアは、1000戸、5、6千人の宗教都市であったようですが、マンティネアが、(後に)歴史的な戦争の舞台となったことを見ますと、要衝の地であったことはまちがいありません。
しかし、伊都国の「政務」の方は、聖なるイトミ山の南西にあるメッセニアやピュロスで執っていたと考えられます。

伊都国については、次のような重要な記事がありますので、これを合わせて検証しなければなりません。

「魏志」倭人伝
自女王國以北特置一大率儉察諸國 
諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史
王遣使詣京都帯方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津捜露傅送文書賜遣之物詣女王不得差錯

女王国より北には、特に一大率を置いて、諸国を監視させている。
諸国はこれを畏れ憚っている。一大率は伊都国にいるが、国中に監視員を派遣して、いろいろ報告させている。
王の使いが魏の京都、帯方郡、諸韓国から帰還した時、また、郡の使節が倭国へ使いする時は、津で文書や贈り物などを伝送して女王のもとにいたらしめるが、不足や間違いがない。

上の記事から、伊都国が、高度な組織的機構を備えていた国であったということが浮かびあがってきます。

このエリアは、女王に属するのですから、最高位の「爾支」は、女王のニケあるいはニキに相当します。
卑弥呼が、この「ニケ」を名代として派遣していたことが伺われるのです。

ニケ或いはニキは有翼の勝利の女神で、アテナ女神の別名であるともイーリス女神であるとも言われており、アテナ女神の掌に置かれている像がよく知られています。
ルーブル美術館の「サモトラケのニケ」の彫像が有名ですが、今は、ドイツのナイキというシューズメーカーが、この名を独占している感があります。


ニケを補佐している王は、「泄謨觚・柄渠觚」としていますが、ミケーネ時代にこのあたりを治めていた王「ワナカ」(ワナカという発音が正しいとは限りません)のことではないかと私は考えています。

ピュロス出土の線文字B粘土板文書の解読によると、
ワナカは、合計16の行政区を持っており、中央と地方に役人組織を持ち、
役人たちは地方から中央への貢納や中央から地方の職人への現物支給の管理を担当していて、
その長たちをワナカ王が統括したということなどがわかっています。
その状況は、「倭人伝」の一大率は伊都国にいるが、国中に監視員を派遣して、いろいろ報告させている。王の使いが魏の京都、帯方郡、諸韓国から帰還した時、また、郡の使節が倭国へ使いする時は、津で文書や贈り物などを伝送して女王のもとにいたらしめる・・・という記事にみごとな対応をしています。


海岸に近いピュロスの、通称「ネストールの宮殿」の発掘状況を、「旅人legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる時」から抜粋してみます。

 宮殿の主入口から見て左側の区画で発見された「保管庫」と考えられる部屋からは、
 ミケーネ文明で使用されていた線文字Bスクリプトで刻まれた大量の粘土板が発見された。
 粘土板は合計でおおよそ1,000個を数えたとされる。

 王の居室の北側には5か所の部屋が続き、この区画からは、
 柄(ワイングラスのステム)の長いミケーネ様式のキリックス杯をはじめ、
 オリーブ油を保存した大型ピトス容器、現代のコーヒーカップに似た形容類など、
 20種類2,850個を越えるおびただしい数量の陶器が出土した。
 これらの陶器類の存在は、宮殿ではその数量の陶器を必要とした王家の生活が
 営まれていたことを意味しており、内外の関係スタッフや、
 対応した遠来の客の数は相当な人数であったと想像できる。
 
この記事は、ホームページ旅人legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる「時」
「ネストル宮殿遺跡 Engliano-Nestor ピュロス地区・宮殿周辺の村々に残されたミケーネ文明遺跡 Pylos Area」
からの抜粋です。

女王国以北、魏=ギリシャ、マケドニア、帯方郡=北方イタリアのベネティア以北、諸韓国=ガリア(イタリア)
ガラティアなどから行き交う交易貨物と文書類が、このアルゴスの貿易センターで捌かれていたことを、このピュロス出土の粘土板が物語っているのであり、「倭人伝」に大使や公使、そして、郡の使節らが、ここで、女王の代理人に会いと書かれているとおりのことが、実際に、ここで起きていたことを、このピュロス遺跡の出土品が証明しているのです。


紀元前1300年代の青銅器時代後期には、官僚制が発達し農業国としても栄えていたピュロスの王がメッセニア地方を統治していました。メッセニア人はミケーネ方言を話していたといいます。
ホメーロスの叙事詩によると、メッセニア西部はピュロス王ネレイデスの支配下に、東部はスパルタ王メネラーオスの支配下にあったといいます。

そして、「魏志倭人伝」によって、このピュロスやメッセネを始めとするペロポネソス全域が卑弥呼の統治下にあって、表面的に弟王に任せてあったという、まだ、どこにも知られていない意外な史実が現れたのです。そして、ピュロスやスパルタよりもマンティネイアの卑弥呼の神域の方が格が上であったことを物語っています。

今は、すっかりさびれているマンティネイアが、重要であったのは、光通信、烽火通信などの要の位置だったからであろうと考えられます。

上記の「伊都国」に関する記事を詳細に読めばわかりますように、ここらあたりの王は、女王国に属していたというのですから、女王国はミステリアスな多重構造の国家であったようです。
そして、「倭人伝」のここの記事の最大の特徴は、監視体制のネットワークの存在と警察あるいは軍の統率力の完璧さを告げていることで、厳正な「法治国家」であることを示していますが、こうした条件も、このエリア内にスパルタがあることで納得できます。


マンティネイア
マンティネイア遺跡



>「伊都」考

聖なるイトミ山(Ithome Ιθωμη)
このペロポネソス半島のアルゴスの中心となるのは、聖なるイトミ山 Ithome です。
「魏志」倭人伝が、「伊都(いと)国」という名を持ち出したのは、ペロポネソス半島全体もまた、女王の君臨した宗教国家に所属していたということを示唆するためと考えられます。
しかも、聖なるイトミ山の周辺には、メッセネという古代都市がありました。古代メッセネは地図上にはイトミ(Ithomi)とあり、海辺の現代のメッセネに続いています。こちらは、マンティネィアよりも大規模な都市でした。
倭人伝の「郡からの使者が常に滞在する」と言う言葉は、このアルゴスの古代都市「メッセニア」のメッセンジャーと言う意味に対応しています。

「メッセニア」には女主人いう意味もありますが、このあたりを支配していたヘーラー Hera女神の名も「女主人、貴婦人」という意味です。「女主人」という意味を持つほかの言葉にメドゥーサMedusa(女王)があります。

紀元前七五〇年頃、ギリシアにおけるメドゥーサ像の代表作はアルテミス像です。
メドゥーサの仮面をかぶった アルテミス像も伝わっており、その仮面の眼は、すべてを認識し、見通し、聖なる秘密の知恵を守護し保護するために用いられ、「近づくな! 神秘なり」という結界を表現していたといいます。

この女神像は、クレタ島のそれと同様に腰のまわりに聖なる蛇が巻きついていて、この蛇は地球を取り巻く海の表象であったといわれています。また、女神は渦巻く蛇のような髪に取り巻かれ、大きな翼をもっており、この翼は、世界中を飛び回る活動力の象徴でした。

ヘーラーが、百眼巨人のアルゴスにイヨ姫を監視させたという神話や、孔雀の尾の上にその百眼をちりばめたという神話は前に紹介したとおりです。
トロイアがあったトルコに旅行しますと、どこの土産物屋でも、「目」のお守りをたくさん売っています。
下の左の写真がその「目」の護符です。右側は、トルコのエフェソス出土のアルテミス神像です。百眼巨人を連想しませんか?
アルテミス神像の胸いっぱいについているのは「目」にして「乳」で、豊穣の地母神キュベレーであった名残のシンボルです。キュベレーは、「イーデーの神々の母」という称号をもっていますかた、ここイトミ山で祭られていたアルテミスに整合しています。

アナトリアのチャタル・ヒュックにおける神殿には城壁冠をつけたキュベレーが描かれ、都市の守護神としての機能を表しています。
チャタル・ヒュックは、製鉄で有名なヒッタイトの聖地でしたから、私が、アルテミスの「豊穣の乳房」なるものが、鍛冶神の「目」でもあり、さらに、監視の「目」にして、「都市マーク」であると申し上げることが正鵠を射たものであると納得していただけたことでしょう。
これで、ゼウスの妻ヘーラーとは、アルテミスやキュベレーであったことがはっきりします。そして、ヘーラーにしてメドーサの後継者が卑弥呼なのです。

このメドゥーサが持っていたといわれる妖術、それは、卑弥呼の「鬼道」にほかなりません。
また、メドゥーサ&ゴルゴン伝説には鏡がつきものです。


アルテミス像と「眼」の護符


ヘーラーについてウィキペディアの解説から抜粋してみます。

 ヘーラーは、元来は、アルゴス、ミュケーナイ、スパルタなど、
 ペロソネソス半島一帯に確固たる宗教的基盤を持っており、かつて、
 アカイア人に信仰された地母神であったとされ、
 北方からの征服者との和合をゼウスとの結婚で象徴させたと考えられる。
 オリュンポス12神の神々の中で、情報収集能力に優れていたという描写が多い・・
    
こうして、ペロソネソス半島一帯に確固たる宗教的基盤と優れた情報収集能力が集約していたことが伺われます。
古代エジプトも古代ギリシャも宗教の主要な働きが「通信施設 トレードセンター、倉庫、警察 軍隊 宿泊施設」の経営であったと考えられます。

そして、卑弥呼が鏡を好んで、一度に数百枚の鏡を贈られたという記事からは、その裏に、鏡による「光通信」網があったことが示唆されていると考えられるのです。勿論、他にも烽火通信や旗通信や伝書鳩などによる通信ががあったでしょうが、快晴の日の多い地中海地域では、なんといっても光通信が能率をあげていたと考えられます。

しかし、そうした秘密が表ざたになりますと、容易に通信の妨害や傍受や解読がされて、物資やシステムが横取りされますので、嘘や演技を交えた数々のテクニックが編み出されて、その技術が秘匿されていたと考えられます。
山や丘の上のほうにある神殿はみなこの類であったのではないかと想定されますし、怪物、妖怪、化け物が出没するような風評があるところは、こうした機密に属する重要施設の近辺であったと考えられます。

そして、通信などに最重要な場所は、「聖なる場所」として、厳しい結界が設けられる必要があり、同時に、それ以外の場所には、大衆が参詣し、雑多な人々の出入りで賑わっているような宗教施設である必要があったといえます。
そうすれば、カモフラージュと収益、通信、貿易の一挙三得となりましょう。



これを、現地の事情から確かめてみましょう。

イトミ山の山頂には、オリュンポス12神の主神であるゼウス神の神殿があった場所であり、アルゴスは、ゼウスが養育されたという伝承の地でもあります。そして、ゼウスとアルテミスとエイレイチュアが三位一体となってここに祀られていましたから、イトミ山の名は、トロイアやクレタ島のイデー山、イダ山に因んだ名であることがわかります。クレタ島のイダ山はゼウスに乳をあげた(山羊)アマルテアがいた場所であり、ゼウスとエウロパはクレタ島でミノスを始めとする3人の子をもうけたといいます。

アルテミスとアマルテアが、ともにアマテラスのアナグラムであるということを「偶然の一致」として退けることができるでしょうか。アルテミス神がリビアのアマゾンからもたらせられたと云う説がありますが、アマゾンと、「天孫」とも一致するのです。

山羊のアマルテアとアルテミスは同じ神の別称であり、アマテラスも同様であったことがこれでわかります。
アルテミスとアポロンは、月と日の一対の姉弟として語られています。
これは、すこしズレてはいますが、アマテラスとスサノヲの一対なのです。
「古事記」によれば、イザナギが禊ぎの後に左目を洗った時にアマテラスが、右目を洗った時にツクヨミが、そして鼻を洗った時にスサノヲが生まれ、この三人は「三貴子」と呼ばれたと記されています。

アマテラスはイザナギから御倉板挙神である珠の首飾りを授けられて、高天原を統治することになったと書かれていますが、この「球の首飾り」は、アルテミス女神の「乳だらけ、あるいは、目玉だらけ」の御衣装にほかなりません。


ペロポネソス半島の中心地、アルゴス高原の聖なるイトミ山の様子をみましょう。イトミ山のふもと、標高700メートルの高原に古代メッセネの広大な遺跡が広がっています。聖なるイトミ山の山頂の方はゼウス・アルテミス・エイレイテュイアの神域です。また、メッセネの中心を占めているのはアスクレピオスの神域ですが、もうひとつの中心はアルテミス神殿でした。

「日刊ギリシャ檸檬の森 古代都市を行くタイムトラベラー」というホームページの記事を再び拝借して、聖なるイトミ山の宗教施設を紹介してみます。 
「ギリシャ遺跡が満載 古典も神話も考古も徹底現場主義! 」の lemonodasos様の記事からの抜粋です。


 イトミ山中の三神域を見つけるのは、道に不慣れだと難しいです。
 三神域というのはゼウス、アルテミス、エイレイテュイアの神域のことです。

 標高800メートルのイトミ(イトメ)山頂に、ゼウス・イトマトス神域はあります。
 ゼウス神殿跡には旧ヴルカノ修道院が建っています。・・・
 
 イトミ山頂のゼウス神殿のあった場所からは古代都市メッセネ大遺跡が見えます。
 またメッシニア地方、アルカディア地方、ラコニア地方が一望できます。
 この地に来たら、ここに来ないと意味が無いかもしれない、そう思える絶景です。
 向うに見える原っぱのようなところにも何かありそうと、反対側の端まで行きますと、
 古代建築物の材料が残っていました。遠くには美しいエヴァ山が見えます。

 イトミ山の中腹にアルテミス・リムナティス神域遺跡があります。
 下の写真はイトミ山中腹のアルテミス神域から撮影しました。
 真下に見える古代都市メッセネです。古代都市国家がすっぽり残っているのです。
 ここから古代競技場とアスクレピオンとその周辺の建物が見えます。
 残念ながら、ここからは、古代都市国家の半分の遺跡しか見えませんでした。

以上、「日刊ギリシャ檸檬の森 古代都市を行くタイムトラベラー」というホームページからお借りしました。
写真の一枚をここに掲載する許可を願ったのですが、残念ながら御承諾いただけませんでした。しかし、
「イトミ山のゼウス・イトマトス神域 古代メッセネ」で検索されますと、沢山の写真と説明をご覧になれますので、ぜひご覧になるようお奨めします。

メッセニアのアルテミス神殿遺跡
メッセニアのアルテミス神殿


ここ、メッセニアで盛大に祀られていたアスクレピオスが、わが大和の三輪神社に祀られている大物主であることは既にのべました。
古代メッセネの発掘には、熊本大学の調査団が、1997年からずっと携わっており、メッセネ市域の南側に位置するスタディオンとその周辺の建築遺構の調査と研究などを行なっているそうです。
極東の小国日本が、ギリシャの山奥でアスクレピオス神殿を発掘調査をしているというのも、不思議なご縁です。
ただし、現在発掘されている古代メッセネの遺跡は、紀元前371~368年にペロポネソス半島全域にその支配を広げていたテーベ(Thiva)将軍エバミノンダスが建設した部分です。今は人影も無く、観光客も殆んど来ない「古代メッセニア」の広大な遺跡をめぐるのはへとへとになるそうです。
これが「伊都国」であると発見した(つもりの)わたくしも、古代メッセニアまでは足をのばしてはおりません。
同好の志を募って、ぜひ巡ってみたいものです。






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話の種



「日刊ギリシャ檸檬の森 古代都市を行くタイムトラベラー」というホームページを開設しているギリシャ在住のlemonodasos様の記事は、地中海方面の古代史や古代遺跡に興味がある方の必見のホームページです。

「オイノエ遺跡」の探訪記事に、次のような説明があります。

 Οινόη(=イノイ)は ワインの意味から来ています。
 古代ギリシャ語でワインはοινος(イノス・オイノス)と呼ばれていました。
 " v"というギリシャ語の小文字はラテンアルファベットの"n"です。
 現代ギリシャ語では"oi"はイと読みます。ラテン語だとオイノスです。  (引用終り)


わたくしは、このオイノスを知っている気がします。
愛媛の私の実家の田舎では、冬になると、「オイノコ様=お亥の子様」の行事がありました。
 
 オイノコ様という人は、
 一で俵を踏んまえて、
 二でにっこり笑うて、
 三で酒飲んで、
 四で酔うてしもうた。・・・

この数え歌を歌いながら家々の玄関に行き、子供たちが「石に蛸足のように八方に延びた綱の端を、調子を揃えて引いたり緩めたりして、その石で戸口の正面の地面を打ち固め」、ご褒美にお菓子や果物をいただく行事です。
お菓子や果物を用意しておかないと、その家には福が来ないとかいうことでした。

子供の頃、この歌の、「オイノコ様」というのは、なんだか大黒様に似ているなと思ったものでしたが、私の調べでは、オイノコ様とは、大和の大三輪神社に祀られている少名比古那神のことなのです。
わたくしの郷里の方にも少名毘古那神の大鳥居があり、神の御神体は神南山という銅を産出する山でした。また、その麓の愛宕山では、山砂鉄が豊富に取れたという話を聞いたことがあります。

「古事記」神代巻の「少名毘古那神と御諸山の神」の神話に、少名毘古那神は「手俣よりくきし子なり」、即ち、「手の間からこぼれ落ちた」神であると書いてありますが、私の見解では、この「手」とは、まさに、ここで取り上げているペロポネソス半島のことなのです。


ギリシアの地理歴史学者ストラボン(紀元前63年頃~23年頃)の「ギリシャ・ローマ地誌」には、この半島のことを、プラタナスの葉の形であると書いていますが、下の写真をご覧になればわかりますように「手」の形であることは充分認識されていたと考えられます。

プラタナスの葉


「古事記」神代巻に書かれている大山津見神の子「足名椎(あしなづち)」の妻「手名椎(てなづち)」が手の地のペロポネソス半島で、「足名椎(あしなづち)」は、イタリア半島です。

「手」の形は、「百合」にデザインできますから、医神アスクレピオスの百合の紋章も、このペロポネソス半島の形状からきていると考えられます。
このペロポネソス半島は、アスクレピオス神殿の本場であり、ディオニュソス=バッカスの従者の半人半馬のケイロンたちの本地です。そして、アトラスの娘マイア=メイ(五月姫)から、ヘルメスが生まれたのもこのペロポネソス半島のアルゴスであると、ギリシャ神話は伝えていますが、ヘルメスは少名毘古那神のことなのです。

「古事記」「日本書紀」では、三輪の神は、「化ける神」として描かれていますが、それは、「化かす」「化け学」「化みす」の酒の神です。「化かす 馬鹿す(バッカス)」「痴れのす(シレノス)」も酒の一面を正直に伝えた名称です。
ディオニソス=バッカス、アスクレピオス、そしてヘルメスは少名比古那神であり、恵比寿神でもあるのです。
そして、「古事記」の国土生みの記事には、このエビス神はヒルコであり、葦舟で流したことが記されてあります。



奈良の大三輪神社の神域で咲く百合を用いての、「百合祭り」があります。
6月17日、大三輪神社の摂社の奈良の率川神社に於いてがとり行われる「百合祭り」がそれです。
白酒(シロキ)と黒酒(クロキ)と呼ばれる酒の樽が沢山の笹百合で飾られて神前に奉納される祭りです。
そして、四人の乙女(巫女さんたち)が、地中海出土の壷絵のディオニソスやバッカスの頭を飾っているものと同じような蔓を頭につけて、百合の花を手に舞を奉納します。この乙女の舞がこの百合祭りのハイライトです。


木村鷹太郎氏は、ヤマトや大和について、次のように説いています。

 大三輪の神名は、ギリシャ語 ωμμαι(οραω)の「大三輪」となったもので、
 「オーマ」とは目、直視、光明、幸福等々広範な意味のある語である。
  
 また、大和はギリシャの別名ヘラスと同じ意味である。
 ギリシャ人は自らをヘルレーネス人と称したが、
 Hel‐lenesとは「ヘル=大」「レーネス=和」を意味する。
 「和」を「やわす」といい、「安」を「やす」というが、
 ギリシャ語「ヤマト(ス)ιαματοζ」は、「救済し平安を与う」を意味する。
 日本の「大和」の文字は最もよく当たるといえる。




「重陽の節句を祝う」というブログを書いておられる「五節句」様から、コメントを頂戴しましたので、ここに挿入してご紹介いたします。

 私も以前、大三輪山の百合祭りについて、記事を書いたことがあります。
 → http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/33873343.html
 ここには、ギリシャの古代遺跡の風景と、三輪山の聖地の風景には共通点がある、と、書いています。

 私自身はギリシャへ行ったことはありませんし、三輪山への登山もしたことがなく、
 その共通点 (百合、杉、巨石) のことは、三島由紀夫の小説から、又、 
 幾つかのブログ訪問で閲覧させて貰った写真などから得た情報から、
 私の頭に閃いた想念です。

 果たして、古代の世界に、同じ想念を抱く人は、どの位いるものでしょうか・・・、
 少々驚いています。   ・・・ 引用終り    


わたくしも驚き、かつ、喜んでいます。
あらためて、五節句様の上記のブログを拝見しなおしました。
大三輪神社の摂社「率川神社」の6月17日の「三枝(さいくさ)祭り=百合祭り」に関して、これ以上の含蓄のある記事は、インターネットを、どんなに検索しても、ほかには見つかりません。

インターネット上で、この「三枝(さいぐさ)祭り=百合祭り」にまつわる記事や写真の少なすぎることに少々ショックを受けてしまいました。

この祭りは、日本有数の古い起源をもつ古式ゆたかな祭りの筈なのです。
起源は、文武天皇の大宝年中に属し、大三輪神社で行なわれる鎮花(はなしずめ)祭と共に特殊な神事として特別に由緒深い祭りであり、古くから国家の祭典として重んぜられていたといいます。

しかし、私が20年ほど前にこの祭りを見に行ったときに、期待を裏切られたというか落胆したことが多々ありました。今時の「イベント祭り」風というか、神事にありふれたイベント的行事が加えてあるように見え、この行事の真意が希薄になっているような印象を受けたのです。
そして、白酒(しろき)黒酒(くろき)を飾る笹百合は、三輪神社から運ばれた美しい百合でしたが、人々に手渡される百合は造花だったのです!!

これには衝撃を受けて、途中でそこを立ち去り、その近所の漢国神社の「百合祭り」が、造花を全く使っていないというので、そちらに移りました。
神前に、淡いピンクの本物の笹百合=姫百合を捧げ、頭をたれて宮司様の祝詞に聞き入りました。
すると、「神に天地の恵みを感謝する」その祝詞の言葉(宮司様が作成されたもの)の美しさにすっかり感動しました。その「百合祭り」の祝詞によって、聖書のマタイ福音書6章28節~と、この百合祭りがリンクしているのではないかと、そのとき、ふと思ったのでした。
 
 なぜ、着るものの事で心配するのですか。野の百合がどうして育つのかわきまえなさい。
 働きも紡ぎもしません。・・・
 栄華を極めたソロモンすら、この花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。・・
 今日在っても、明日は炉に投げ込まれる野の草にさえ、
 神はこれほどに装わせてくださるのですから、
 ましてや、あなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか。・・
 なにを食べよう。何を飲もう。何を着よう。と心惑わせるのはやめなさい。
 こうしたことは、異邦人が切に求めている事柄です。
 あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
 そうすれば、それに加えて、これらのもの(必要物)はすべて与えられます。

「神の恵みと祝福の完全さ」のシンボルである「百合祭り」の百合の代わりに、造花の百合を使ってはいけません。奈良の年配の方々が、昔は、笹百合=姫百合が沢山あったと口々におっしゃっておりました。

ちなみに、イスラエルのガリラヤ地方に旅行したとき、この地方には百合があった痕跡がみつからないため、イエスのマタイ福音書6章の御言葉の「野の百合」は、多分、ガリラヤ湖畔の野で今も咲き誇っているアネモネのことだったに違いありませんとガイドに説明されて、えらく(ガイドに)失望したことがありました。

わたくしたちが、利己的に、食う、飲む、着る、といった事柄ばかりにかかずらわっていると、野の百合は消えてしまうように神はセットしておられるのでしょうか。
百合祭りの百合が足りないということは、神の国とその義が損なわれていることの象徴のように思われたことでした。


大三輪神社の百合祭りとイエスの「百合の諭し」を結びつけるには、次のような根拠があるのです。
くわしくは、23 三輪の神の正体 をご覧下さい。

「古事記」の神代巻に、「少名毘古那神と御諸山の神」に関して、「この国を作り堅めよ」というテーマで書かれている記事があります。
大国主神が、「吾独りでは、この国の経営は成り難い、いづれの神と共にこの国を相作ればよいか」という問いかけたという内容で、「汝(少名毘古那)、葦原色許男命(大穴牟遅)と兄弟となりて、その国を作り堅めよ」と神産巣日神が仰せられたと記されています。

そして、その少名毘古那神の御正体を「誰一人知らず」、それを知っているのはただ独り「久延毘古(くえひこ)、亦の名、山田のそほと(かかし)」だけだと言うのです。そして、このことを進言したのはたにぐくでした。

久延毘古神は大三輪神社の境内に祀られています。
案山子(かかし)という言葉と姿は十字架のイエスを連想させるものです。

そして「万葉集」には「指進(さしずみ)の栗栖(クルス)」についての歌があります。

  指進の栗栖の小野の萩の花 
   散らむ時にし 行きて手向けむ         970番 

この歌は、次の歌とセットになっています。

  五百重山 い行きさくみ 仇守る 筑紫に至り 
  山のそき 野のそき見よと 伴の部を 班ち遣はし
  山彦のこたへむ極み 
  谷蟇(たにぐく)の さ渡る極み
  国がたを見し給ひて 
  冬こもり春さり行かば  
  飛ぶ鳥の 早く来まさね 
  龍田道の丘邊の路に  
  丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に   
  山たづの 迎え参出む 君が来まさば        971番                

「指進の栗栖」の歌は、引き続いて載せられている「万葉集」971番の歌が、「山彦の応へむ極み 谷蟇(たにぐく)のさ渡る極み 国形を見し給いて」という歌であることから、「古事記」の先の記事にリンクしており、この歌が三輪山の「久延彦」関連の歌であることがわかります。

「指進(さしずみ)=指針」の「来栖(クルス)」から、十字架であることが導き出されます。
また、指進=指針=指矩(曲尺)や指進=指墨からは、イエスが大工の子と呼ばれたこと、また、クレタ島の迷宮でアリアヅネに手引きの糸を与えた巨匠ダイダロスが連想されるのです。
ダイダロスは、世界に名高い大工の名前だといわれていて、巻貝に糸を通して難題を難なく解いたという伝説の主です。その名は「大タウロス」のアナグラムにちがいありません。

「国形を見し給いて」は、わが国の形が、「伊邪那美=ヴィーナス=アフロディテとキューピット(ケルビム)」の形であり、しかも、世界大陸の雛形であるということ、「飛ぶ鳥」の翼の形であり、「弓」の形であるということなどについて言っているのです。


三輪山の「久延比古」については、次の歌が有名です。

  山田守る 曾富騰の身こそ哀れなれ
    あきはてぬれば 問う人もなし          續古今集

これは、キリストを詠んだもののようで、久延比古がキリストのことであろうと問う人などいないという歌ではないでしょうか。

平安時代の歌人、紀貫之(868年?~945年?)は、「古今集」という歌集を編纂したことで有名ですが、「貫之集」の中に〝蟻通し〟に関する次のような謎歌が載っています。

 かきくもり あやめもしらぬおおそらに 
  ありとほしをば おもふべしやは

この「ありとほし」には、古来、「ありとほし」と「夜半に星あり」が掛けられていると伝えられています。
さらに「夜半(ヤハ)」は聖書の神「ヤハ」が掛けてあるととれ、「ヤハにスーパースターのイエスキリストがつきそってわが国を守護しておられるのに、あやめ(聖書や国典の文意)も知らないので、その御威光が真っ暗闇の世相である。神の国でありながらなんということであろう。」という意味です。

弓形の日本列島に守護神の「矢羽」、通称「白羽の矢」、これが愛の使者キューピットに託されている弓矢と考えられます。

キリスト教は「二匹の魚」をそのシンボルとすることがありますが、それは、「二匹の魚」となって東方へ逃げたという「愛の女神アフロディテとキューピット(弓人)」をも象徴しているのです。




三輪神社の久延比古神とは、「矢羽=恵穂葉」神のケルビム=キューピットとしてのイエスの象徴でもあったわけです。


そして、矢羽神=恵穂葉神とその愛児(まなこ=眼)である日本国民の絆の象徴である「矢的」を示す巨大な「矢的」地図について書いてある私のブログ(下)を検索して読んでください。

24 三輪の神の謎とギリシャ神話

三輪の神とギリシャ神話がいかに密接な関係にあるかが書いてあります。



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コメント
No title
今日はご訪問頂きまして、有難う御座いました。
私も以前、大三輪山の百合祭りについて、記事を書いたことがあります。→ http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/33873343.html
ここには、ギリシャの古代遺跡の風景と、三輪山の聖地の風景には共通点がある、と、書いています。

私自身はギリシャへ行ったことはありませんし、三輪山への登山もしたことがなく、その共通点 (百合、杉、巨石) のことは、三島由紀夫の小説から、又、幾つかのブログ訪問で閲覧させて貰った写真などから得た情報から、私の頭に閃いた想念 です。

果たして、古代の世界に、同じ想念を抱く人は、どの位いるものでしょうか・・・、

最初から、クボ コウ様は、私が書いているものの中に、ご自分の考えと同じことがある と、おっしゃっておいででしたが、私は今、それを思い、少々驚いています。

ところで、トルコ という国の有名な観光地にスメラ寺院というのがあるそうで、- - これも、旅行記のサイトで見て知ったことですが、正に 岩山にある、キリスト教の寺院で、その名が スメラ (皇) というのには、私は当然強い興味を覚えたのですが、それはそれっきりになっています。

中途半端なコメントになってしまいました。又、後日、訪問させて頂きます。
2010/05/03(月) 23:42 | URL | 五節句 #-[ 編集]
Re: No title
こちらこそ、ご訪問ありがとうございます。

> 私も以前、大三輪山の百合祭りについて、記事を書いたことがあります。
ここには、ギリシャの古代遺跡の風景と、三輪山の聖地の風景には共通点がある、と、
書いています。

再び読み返して、とてもありがたく、しかも含蓄のある内容だと思いましたので、本文の方で紹介させていただきました。そして、ブログの記事も書き換えてみました。
ご批判もよろしくお願い申し上げます。


> 果たして、古代の世界に、同じ想念を抱く人は、どの位いるものでしょうか・・・、
「同じ想念」、嬉しいです。
私のこの研究に共鳴してくださる方は、4、5名だけです。五節句さまのような方は稀有な存在です。

古代の先祖たちが私たちに残してくださったのは、「究極のロマン」です。わたくしの拙い文章ではなかなか伝え得るものではございません。五節句様のように、わかっていただけると、ブログを開設してよかったと思います。

先日「○ヴィ○チ・コード」なる映画をTVで途中から見ました。
その内容は、1から10まで、私の研究の裏返しなのですよ。真逆でした。
しかし、現代人はこちらの方を評価し、ロマンと感じるのです。・・・難しいテーマです。



2010/05/06(木) 16:20 | URL | 「考古学の再検証を!」 提唱者 #-[ 編集]
No title
拝啓、こちらの本文にまで私のコメントなどを書き込んで頂きましたこと、恐縮でもありますが、非常に感激致しました。
私なりに、努めてお返しをしたい と、少し考えまして、自分のブログに、専用の書庫を設け、暫く関連した記事を更新して行くことにしました。
なるべく多くの人がこちらのブログを知ることになりますよう、願っています。
私は、本当に世界史などは苦手な方で、まさか、自分が考えていることに、こちら様のような博学な方から興味を持たれることがあるとは、今だに信じ難く思うところがあります。
でも、きっと真理のようなものには、意外性があるのかもしれません。
何千年も固い種のままだった蓮が、突然花を咲かせるような、そんなことが、考古学にも起こることがあるかもしれませんから、何かを楽しみにしながら、考え続けて行きたいと思います。
2010/05/11(火) 15:25 | URL | 五節句 #-[ 編集]
No title
暫くのご無沙汰でしたが、如何お過ごしでしょうか。何もお変わりがなければ良いのですが ー ー。
ところで、9月中に、テレビ 「世界不思議発見」 で、トルコのエフェスの古代遺跡を取り上げていましたが、ご覧になられましたでしょうか。
有名なアルテミス像を中心に、ヴィーナス像について、現地の解説員から、現在解釈されていることなどの説明がありました。

日本の ‘縄文のヴィーナス’ とも類似する、というような一言がありながら、こちらのブログに述べられているような、ギリシャ神話と古事記との共通項ということに話しが展開される様子は全然なくて、いつもながら、私は、折角、この時代や文化を扱う番組に対して、物足りなく思いました。

アルテミス、という名を聞いて、アマテラス を連想しない日本人がいるでしょうか・・・、 そして、もしも、エフェスの解説員に、日本の古事記のどこか一節でも教えてみたら、どれだけの、興味を起こすことか・・・。

私はエフェスなどには行ったことがありませんが、嘗て紀元前、地中海沿岸に栄えた人類文明は、彼の地でよりも、むしろ、この日本に於いて、累々と、伝播し育まれ、生きて残っている ー ー 或いは残っていた、と、そういう感じを今は持っています。
こちらのブログのお陰です。
2011/10/14(金) 16:00 | URL | 五節句 #-[ 編集]
五節句様

五節句様、ご無沙汰してもうしわけありません。
ブログから遠ざかるという悪い病がしょっちゅうおきるのです。
このわたくしの悪い癖にもめげず、コメントをくださいまして、本当に、ありがとうございます。


アルテミス神殿について、

> 9月中に、テレビ 「世界不思議発見」 で、トルコのエフェスの古代遺跡を取り上げていました。・・
> 有名なアルテミス像を中心に、ヴィーナス像について、現地の解説員から、現在解釈されていることなどの説明がありました。
> 日本の ‘縄文のヴィーナス’ とも類似する、というような一言がありながら、ギリシャ神話と古事記との共通項ということに話しが展開される様子は全然なくて、いつもながら、私は、折角、この時代や文化を扱う番組に対して、物足りなく思いました。
> アルテミス、という名を聞いて、アマテラス を連想しない日本人がいるでしょうか・・・。
> 私は、嘗て紀元前、地中海沿岸に栄えた人類文明は、彼の地でよりも、むしろ、この日本に於いて、累々と、伝播し育まれ、生きて残っている ー ー 或いは残っていた、と、そういう感じを今は持っています。


残念ながら、この番組を見ていません。
アルテミスのテミスとは、知恵の意であると木村鷹太郎氏はいっています。

エフェソ出土のアルテミス像は、乳房だらけの異様な姿で知られていますが、トルコやクレタ島出土の目玉のような「トンボ玉」から類推いたしますと、乳房=目玉=都市マーク(キャピタルマーク)=矢の的(矢的 大和)なのであり、それは、プラトンの「クリティアス(アトランティス物語)」中の有名な挿絵の“アトランティス都市図”にほかなりません。
クレタの古名をケフチフといいましたが、それは、カフトル(キャピタル)という意味だそうです。日本の70年ほど前のかなづかいでは、京中のことです。

このプラトンの「同心円と直線の図形」のキャピタルマークは、コンパスと定規で描きますので、「コンパスと定規」をシンボルとする「伏義・女カ」に置き換えられているということを見逃せません。
円墳とピラミッドを各地に築いてきたという意味を重ねていると考えられます。

例の「吉備大臣入唐絵巻」の「正方形19×19=361の碁石から一目取り去って360°の円を導き出すという謎にも、このコンパスと定規をシンボルとするアトラスへの誘導が見られます。

また、エフェソとは、恵比須のことです。大黒様と一対の恵比寿様の名前です。
ダビデの町「エルサレム」も、もとは「エブス=えびす」であったと、聖書に書かれています。別名エピタウロスです。

ギリシャのペロポネソス半島でのアルテミス神殿は、イトミ山の聖域にあるのですが、わたくしは、そこまで、足を延ばして見ていません。熊本大学が10年にわたって発掘しているようですが、エフェソのよりも大規模のようです。
ブログにも書きましたように、メッセネに続いていて、メッセネとは女主人という意味です。
近くには、大使館といった趣の邸宅が発掘されており、食器類、文書類が大量に発掘されていて、「魏志倭人伝」の文言どおりの様相を呈しています。

五節句様、これを、「世に知られぬように葬り去る」ことは、このインターネット時代、もう、不可能ではないでしょうか。

こうして、お一人が共鳴して、コメントを寄せてくださっているということは、少なくとも、100名は、共鳴者がおられるということです。



2011/11/11(金) 19:27 | URL | 「考古学の再検証を!」 提唱者 #-[ 編集]
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