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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

16 ファイストス円盤の情報2

54 ファイストス円盤の情報2

「吉備大臣入唐絵巻」の謎々 2

野馬台詩と終末予言「ヨハネの黙示録」

この「吉備大臣入唐絵巻」の野馬台詩が終末予言であることは、良く知られていることです。
この週末預言に野馬台詩という名が付けられていることは、「魏志倭人伝」中の邪馬台国と関係付けられるということを示しており、「台」という字が重要であることを示唆しているかのようです。

また、「聖徳太子未来記」と称する終末説話も、野馬台詩に関係付けられていますが、そこには「人王九十五代に当たって、天下ひとたび乱れ主安からず。この時、西鳥来たって東魚(とうぎょ)を呑む。・・・」と書かれていたといいますが、私はこの書を目にした事がありません。
いずれにしても、「野馬台詩」は、平安朝から戦国時代にかけて、日本の歴史や史論に大きな影響を及ぼしました。仏法の末世論が背景にあり、観音信仰と結びついたことが、この詩の流布の拡大に寄与したようです。


「吉備大臣入唐絵巻」の謎解きにおいて野馬台詩がファイストス円盤とリンクするように編纂されているということを説明しました。これは、見過ごすことの出来ない問題を提示していると云えます。

それでは、「野馬台詩」は何時のことを予言した詩なのかといいますと、私は、この「野馬台詩」が、「ファイストス円盤」とリンクしており、清少納言の「枕草子」の“蟻通し”もまた「ファイストス円盤」やヨハネの黙示録と連携していることははっきりしていますので、「野馬台詩」についても、「ヨハネの黙示録」と関係付けなくては意味を失います。

聖書の終末予言は、創世記からヨハネの黙示録にいたる全ての章にちりばめられていますが、最も具体的に詳細に終末予言が書かれている箇所は、ヨハネの黙示録です。



野馬台詩

 東海姫氏国 百世代天工
 右司為輔翼 衡主建元功
 本枝周天壌 君臣定始終
 谷填田孫走 魚膾生羽翔

 葛後干戈動 中微子孫昌
 白龍游失水 窘急寄胡城
 黄鶏代人食 黒鼠喰牛腸
 丹水流尽後 天命在三公

 百王流畢竭 猿犬称英雄
 星流鳥野外 鐘鼓国中喧
 青丘与赤土 茫々遂為空

 
東海姫氏の国
東海からきたヨセフの民
ヨセフは、エジプトにおいて、大物となったのですが、ヘロドトスは、その著「歴史」で、「エジプト人たちは、東からやってきた」と言っています。ファイストス円盤と照合してもこうなります。
「姫」とは、地母神(地球)の娘「伊邪那美=イヴ=ペルセフォネ=イシス=アテナ」のことです。

百世 天工に代る
長い世を経て 世が開けて「天工」の代となった。
この「天工」とは、天のわざのことで、世のためにピラミッドを造って、穀物の種などを保護・保存して、世を救った「天皇(てんこう)氏」の時代のことです。

中国の神話時代の帝王を三人または五人にまとめて、三皇五帝と書かれていたりします。
天皇(てんこう)・地皇(ちこう)・人皇(じんこう)、
前漢・司馬遷『史記』秦始皇本紀において皇帝という称号を定める文脈でこの三皇が挙げられています。
司馬貞が補った『史記』の三皇本紀(補三皇本紀または補史記という)では三皇を伏羲、女媧、神農としていますが、天皇・地皇・人皇という説も併記しています。

 天皇氏の時代には、十二人の兄弟が順番に王位についた。
 みな無欲恬淡でなんら作為するところはなかった。
 そして、その徳のために民俗はおのずから化せられた。
 続いて、地皇(ちこう)氏の時代は十一人兄弟が王位についた。

といいます。
これは、「ファイストス円盤」に「大人(うし おおひと)」が12個刻印されたのちに、1個削り取られていて、ヤコブの12人の兄弟とその後のいきさつを表わしているのに一致しています。
また、「野馬台詩」の次の詩句も、「天皇・地皇」の時代の状況と一致しています。

右司 輔翼となり 衡主 元功を建つ
初に治法の事を興し 終に祖宗の祭りを成す
本枝 天壌に周く 君臣 始終を定む


この「本枝 天壌に周く」が、ヨセフ=葉枝扶の時代をも意味しており、ヨセフが世界樹であったことを示しているのです。
そして、祭政一致の調和の取れた法治国家であり、天の恵み同様に地もあまねく潤っており、
王も官吏も相助け合ってその功を立て、君臣の乖離もなかった。

谷みちて田孫走り 魚膾(かい)羽を生じ翔る
また、地は谷々まで豊穣で、海や川には、魚類が飛びはねるような生き生きした時代であった。 

葛の後 干戈動き 中微にして子孫昌んなり
白龍游ぎて水を失い きん急にして胡城に寄す
黄鶏代わりて人食し 黒鼠は牛腸を喰う   
丹水 流れ尽きて後 天命 三公に在り


カドムスのフェニキアが繁栄しすぎた後、にわかに富を防衛するための武力に頼るようになって、
やや翳りはじめたが、子孫はまだ盛んであった。
しかし、軍閥がのさばって、商船の水域や経済が浸潤されて枯渇してくるようになり、また、
防衛のための胡城の建設に経費がかかる上、軍の若造が人皇(じんこう=ヒト国=ヒッタイト)を食いものにし、黒い軍閥が牛国(タウロス=トロイア)の内臓を貪り喰らい、夥しい血が流れて天運が尽きたので、
アトランティスは、天命により三権分立することを余儀なくされた。


百王流れ 悉く竭きて 猿犬 英雄を称す
星流れて野外に飛び  鐘鼓 国中にかまびすし
青丘と赤土      茫々として遂に空と成る


それから、百の王家が流され、ことごとく絶たれて、代わって、
猿犬のような無知の者たちが英雄を称す時代となる。
すると、星の光すらも見えない闇夜となり、
戦争と戦乱の絶える事のない世の中になる。
こうして、緑の丘は禿土の荒野と化す。


このように「野馬台詩」は、天地の時代、人の時代、獣の時代に分けて書かれ、それぞれ、過去、現在(予言が書かれた時)、未来にふり当てられています。

最初の天地の時代とは、天地支持者たるアトラス一族のアトランティスの時代です。
「日」のエジプト、「月」のアジアが仲良く共存していた時代です。「星」のヨーロッパも瞬いていました。
ですから、未来の予言も、わが日本一国のそれではなく、世界的歴史における神の国にあてた予言であると考えざるを得ません。
「星」も光を失う時代とは、星を旗印とする欧米諸国の世界政策を繰り広げる時代のことで、「光輝ある」と自称していますが光はまったくない闇夜をもたらせます。

ですから、わが国は、つい百年ほど前は、「山紫水明の国」であることを、なによりも尊いことと考えておりましたのに、わずかの年月のうちに、目も当てられない「山塵水毒の国」に変じているという事態に陥りました。
事実を直視すれば、この「未来への予言」は、まさしく、現代にあてたものであるとわかります。
「百王流れ」は、わが国の王のことを言ったものではありません。世界の王がことごとく絶たれることをいっているのです。そして、代わりに「犬猿」が支配するのです。

これは、聖書の予言の内容と全く同じであり、ことに、ヨハネの黙示録では、戦争のラッパの音につれて、天、地、水、人、そして、生きものまでもことごとく、破滅に向かっていくさまが具体的に書かれていますので、聖書のヨハネの黙示録の予言と野馬台詩は、緊密に連携していると考えられます。



詳しくは次の項目をご覧下さい。
12 御神輿と契約の箱
13 日本のアイデンティティー
14 賢木と命の木
15 神の国の門
16 七つの封印の書物
17 二十世紀のミレニアム戦争と日本
18 24ヶ月間踏み躙られると予言された国


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