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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

18 鬼のルーツ?続

56 鬼のルーツ?続

「吉備大臣入唐絵巻」の謎々 4

「吉備大臣入唐絵巻の高殿と出雲
出雲大社の高殿
シーター様からまた素晴らしいコメントをいただきました。

 真備が幽閉された高殿が、何故か赤鬼、幽閉→スサノオ、
 出雲大社とだぶらせてしまったりなんかして・・
 スサノオが、オオナムチに難題をだして、スセリヒメが助けるパターンを思い出しました。
 生太刀、生弓矢、天の沼琴を手に入れて葦原中津国にもどるように、
 実際の真備も、書籍(太衍暦経)、楽器、武器、測量器具(碁盤を連想!)などを持ち帰ってますね。
 ちなみに刺繍も持ち帰ってます。何か、蜘蛛の糸を彷彿とさせます。


シーター様は、絵巻作者が目論んだとおりのイマジネーションを受け取られたのだと思います。

「吉備大臣入唐絵巻」の高殿の絵です。

高殿の吉備大臣

出雲大社の本殿が上図のような高殿であったことがを認識されるようになったのは近年のことです。

天禄元年(970)に源為憲が著した「口遊(くちずさみ)」という本の中に、「雲太、和二、京三」という記述がみられます。これは、出雲大社の本殿が第1位、奈良の東大寺大仏殿が2位、そして京都の大極殿が3位という意味で、殿屋の棟高を比較したものと考えられています。
すると、出雲大社の本殿は、高さ15丈といわれた東大寺大仏殿を凌駕するものであったことになります。

出雲大社宮司の千家国造家(こくそうけ)に伝わる、昔日の巨大な本殿の設計図とされる「金輪御造営差図」(かなわのごぞうえいさしず)には、高さ16丈(約48、5m)と書かれていましたが、これと「口遊」の説が合致していることに注目されるようになったのでした。
とはいえ、50m近いその高さは、建築の常識の線からはとうてい肯定されるものではありませんでした。

しかし、平成12年から13年にかけて、出雲大社の境内拝殿と八足門の間の、地下0.5~1.5mから平安時代末と考えられる巨大な本殿跡の一部が確認され、スギの大木3本を1組にして、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。
これは棟をささえる柱、即ち、棟持柱(むなもちばしら)で、古くから宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土しました。
直径が最大で約6mもある柱穴には、石がぎっしりと積み込まれ、世界に例のない掘立柱の地下構造も明らかになりました。
そして、これらの柱の配置や構造は、「金輪御造営差図」に描かれたものと酷似していることから、平面図の信憑瀬が高まり、高さ16丈説が有力となったのです。

こうした新資料を検討して創られた「10分の1の出雲大社 平安時代本殿の模型」の写真が下図です。(部分図)

出雲大社 古代復元 高殿は天界
この本殿の模型をみますと、「古事記」の「下つ磐根に宮柱太しき立て 高天原に千木高知りておれ この奴」と須佐之男命が大国主命に投げかけた言葉と場面がいやおうなく連想されます。

また、出雲大社の本殿の天井には八雲の図が描かれています。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

これは、須佐之男命が八俣の大蛇を退治した後に、宮を作られたときに詠まれた歌でした。
この「八雲」は、神々が集合する天界を表しているのではないでしょうか。

ヒッタイトではヤヅルカヤが、古代ギリシャではオリュンポスが神々の集合地でした。
そして、わが国では、出雲が神々の集合地でした。高殿は、神々の集合する天界を象徴する建造物だったに違いありません。


 やはらぐる光や空にみちぬらむ 雲に分け入る千木の片そぎ  寂蓮

 この歌は出雲の大社に詣でて見侍りければ、
 天雲のたなびく山の中までかたそぎの見えけるなむ、
 この世のこととも思ほえざりけるによめる・・・

これは、寂蓮が、建久元年(1190)頃、諸国行脚の旅の途中、出雲大社に寄って、多分48、5mの本殿を見ての詠唱です。
寂蓮は、1139年(保延5年)?~ 1202年(建仁2年)、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶で、俗名は藤原定長。藤原定家の従兄弟です。藤原定家は、「古今伝授」の奥義に非常に近い人物だったと私は推測しているのです。

寂蓮は「七夕」の歌も詠んでいます。



天界での邂逅 七夕

七夕祭り
今日は、七月七日、七夕祭りの日です。
牽牛と織女が、一年に一回の逢瀬を楽しみにすると言い伝えられた日です。本当は旧暦でのことであるなどと野暮なことは言わないで、この天界のロマンを見ましょう。

 七夕の 逢ふ夜の庭におく琴の あたりにひくは笹蟹の糸    寂蓮

この「笹蟹」とは「蜘蛛」のことです。琴の糸と蜘蛛の糸、そして、織姫の棚機(たなばた)に架けてある糸をみごとに掛けていてます。そして、「吉備大臣入唐絵巻」が想起されます。すると、次の衣通姫の歌も思い出されます。

 わが背子が来べき宵なり ささがにの蜘蛛のふるまひ かねてしるしも  「古今集」

「日本書紀」の允恭(いんぎょう)天皇八年二月にも、衣通郎姫(そとおしのいらつめ)=衣通姫(そとおりひめ)が、夫の允恭天皇が来ていたことを知らずに詠んだ歌として出ています。

 わが背子が来べき夕なり ささがねの蜘蛛のふるまひ 今夕(こよい)著(しる)しも

この歌を聞いた天皇は感動して、数多とは言わず一夜だけでも寝よう ・・・ という返歌を詠みました。
 
 ささらがた 錦の紐を解き放(さ)けて 数多は寝ずに唯一夜のみ

ささがにもささがねも蜘蛛にかかって、いずれも蜘蛛の異名といいます。
衣通姫の歌は「蜘蛛のふるまひ」を待ち人が来る吉兆ととらえているといわれています。しかし、私の「吉備大臣入唐絵巻」の謎々を読んだ方なら、もう少し深い意味があると思って下さるはずです。

「紐を解き」は「繙」で、「書物をよく読む」あるいは「解明する」ことですね。
「錦の紐」とは、ニシキヘビを連想し、そして、三輪の神が小蛇になっていたという話を想起します。
三輪の神の妻の玉依姫もクレタ島のアリアヅネも糸玉と一緒に描かれます。
 23 三輪神の正体
 24 三輪の神の謎とギリシャ神話

七夕祭りには「ささ」がつきものですが、このように多様な「ささ」を次々出している衣通姫(そとーおりひめ)を、七夕の「織姫」として、ここに挙げてみたのです。

また、衣通姫と允恭天皇の歌から、「笹百合祭り」即ち、三輪神社の「三枝(さきくさ)祭り」をも連想してしまいました。そして、神武天皇が、山百合の多(さわ)に咲く佐葦河のほとりの比売多多良伊須気余里比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)の家に幸行まして一夜御寝まして詠まれたという「古事記」の次の歌が想起されるのです。

 葦原の 醜(しこ)けき小屋に 菅疊(すがたたみ) 
   彌清(いやさや)敷きて 我が二人寝し

この「二人寝し」で、わたくしが連想するのは「伏義と女媧」のカップルのことです。
つまり、ヘファイストスというたたら鍛冶神の宮殿址の石の小屋に、ファイストス円盤のA面の「女媧」と、B面の「伏義」が3500年間を一夜として眠っていたことを連想するのです。
「ささ」から「酒」さらに、「砂砂」即ち「たたら製鉄」を連想してしまうのです。
この比売多多良伊須気余里比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)の名前にタタラが入っているのも、ヘファイストスという鍛冶神の宮殿遺跡の醜(しこ)けき小屋から発掘されたファイストス円盤に符合しています。

ヘファイストス鍛冶神は、神々の中で最も「醜い」と言われていますが、これも、本来の「見えにくい」「隠れている」との兼ね合いで作り出された神話だったのですね。
とにかく、日本語の独壇場ともいえる「奥深さ」です。

ヒッタイト、エジプトのツタンカーメンの墓、四川省成都高原の古代製鉄遺跡から出土した鉄・・・これらが、いわゆる「タタラ製鉄」と同じ製法であったことがわかったのは21世紀になってからです。、

しかし、学者さんたちは「 東アジアへの製鉄技術の伝播」と称しておられます。
ああ、エジプトの宰相であったヨセフやツタンカーメンが日本人であったことを知るならば、「たたら製鉄の技術の伝播」などという出鱈目は霧消し、我が国がエジプトヒッタイトを治めていたころから、一貫して「隠し続けてきた」「秘中の秘」であった技術であったことが理解できるでしょう。
すなわち「見えにくい=みにくい」ヘパイトスだったのです。





天宇受女が「天の香山の小竹葉(ささは)を手草に結ひて、天の岩屋戸に受け伏せ、蹈みとどろこし神懸りして、胸乳をかき出で、裳緒(もひも)をほとにおし垂れき。」という「古事記」の天岩戸のシーンにも「ささ葉」がでてきます。

衣通姫の夫の允恭天皇(いんぎょうてんのう)が「印形」に通じるのも問題です。さきに、崇神天皇の名が御眞木入日子恵命(みまきいりひこいにえのみこと)」と「古事記」に書かれていて、この崇神天皇とファイストス円盤と関係あることは、既に説明してあります。
 
允恭天皇(いんぎょうてんのう、376年?~453年)は、第19代の天皇(在位412年~453年)中国の歴史書「宋書」・「梁書」に記される倭の五王中の一人に比定されています。仁徳天皇の皇子です。
衣通姫は允恭天皇の皇后の妹ですが、天皇のたっての希望で妃として入内することとなりました。
天皇が皇后の出産時に姫のもとを訪れたため、怒った皇后が、産屋に火をつけて死のうとして、天皇がそれをなだめるという一幕がありました。それは、「ただ一夜の契り」で「火中の出産」をした「彦穂々手見命の母の木花之佐久夜毘売」、あるいは、「雷の一矢」で「火中の出産」となったディオニソスの母のセーメレ姫のケースによく似ています。

允恭天皇(いんぎょうてんのう)の木梨軽皇子ほかが絡む、「万葉集」や「古事記」「日本書紀」に仕掛けられている暗号に、さらに、源為憲の「口遊(くちずさみ)」が絡んでいる複雑巧妙な謎解きについては、詳しくは、村上通典氏の「暗号 柿本人麻呂」をご覧下さい。ただし、「頭痛」という副作用がでる可能性のあるホームページです。(高校生クイズでいつも好成績をだして世間を感嘆させている東大寺学園高校の「クイズ研」あたりが、この「暗号 柿本人麻呂」という巨大なクイズに挑戦して、「暗号 柿本人麻呂」のホームページを「要約」して下さらないかなと切望してしまいます。)



七夕と天稚彦の真相
「お伽草子」から
 ある長者の家には三人の姫君がいました。
 大蛇がやってきて、姫を嫁にくれ、さもないと長者を殺してしまうと脅しました。
 困った長者は、姫君に事情を話しますが、上二人は、いやだといいます。 
 しかし、親思いの末の姫だけは承知してくれました。
 
 稲妻とともに現れた大蛇は、姫に刀を渡し、この刀で大蛇の頭を切れといいます。
 姫が言われた通りにしますと、大蛇は立派な若者になり、
 「わたしは海龍王の息子、天稚彦である」と名乗りました。  

 ある日、夫が天上界に用事があるから家を空けると言い出します。
 そして、「この唐櫃だけは開けないように。開ければ自分は戻れなくなる。」
 「もし帰ってこなかったら、西の京の一夜杓(いちやひさご)というもので天に昇って、
 天雅彦はどこかと尋ねなさい。」と言って、天に昇っていきました。
 そこへ姉たちがきて、唐櫃を開けてしまうと、中から煙が一筋立ち上ります。
 これで天雅彦は我が家に帰れなくなってしまいました。

 妻は、一夜杓で天に昇ります。
 天でやっと捜しあてた夫はすばらしい宮殿に住んでいました。
 だが、夫の天稚彦は、父は鬼なので、見つかったら食べられるといいます。
 鬼が来て「人くさい、人くさい」と言い出します。
 天雅彦は妻を調度品に変えるなどしたのですが、遂に見つかってしまいました。

 鬼は姫に、「牛を昼は野に放ち、夜は小屋に入れるように」と、難題を吹っかけます。
 妻は夫に教えられた呪文を唱え衣の袖を振って牛を動かし、難局を切り抜けていきます。
 次々難題を出してもみな解決してしまう息子の妻に、ついに鬼は情を見せ、
 二人の仲を認めて、月に一度は一緒に暮らせるようにしてやろうと言います。
 しかし、姫はその言葉を勘違いして、年に一回と思いこんでしまいます。
 鬼が持っていた瓜を投げると、それが天の川になり、二人を隔ててしまいました。

 こうして天雅彦は彦星=牽牛となり、妻は七夕姫となって、
 二人は年に一夜の逢瀬を契ることになりました。

「鬼が瓜を投げる」と、夫と妻との間が遠く隔たるというモチーフは、「伊邪那岐命が桃を投げる」ケースと同じです。
天稚彦は海龍王であり、牽牛であり、その父は鬼でした。
つまり、天界の雲上の宮殿に住んでいたのは「鬼や牛や龍蛇といわれる海神」だったという解説になっていることに注目してください。
そして、牛 鬼(海龍王) 天稚彦(海龍王の皇子)と織姫が天で邂逅するのが七夕なのです。
これが、イギリスの民話「ジャックと豆の木」と同じ内容であることをみましょう。


「ジャックと豆の木」

 ジャックは母は、落ちぶれて、ついに、牝牛を売らねば生活できなくなります。
 ジャックは、牛を牽いて市場へ向かいますが、途中で出会った男に騙されて、
 牛を豆と交換してしまいます。
 家へ帰ったジャックが、その豆を母親に渡しますと、怒った母親は、豆を投げてしまいます。
 あくる日、豆は天まで延びていましたので、ジャックはその豆の木を登っていきます。
 すると、天上の鬼の宮殿につきました。
 鬼に食われそうになる度に、試練を乗り越えて、
 ジャックは、金銀、金の卵を産む鶏を持ち帰ります。
、そして、琴を持ち去ろうとした時、琴が大きな音をたててしまい
、鬼が目を覚まして追っかけてきました。
 ジャックはすばやく豆の木を滑り降りて、その豆の木を切り倒しましたので、
 鬼は地に叩きつけられて死んでしまいました。
 それら持ち帰った三種のお宝は、もとは、ジャックの家のものだったのです。

「天稚彦」と「ジャックと豆の木」の共通点
1、ジャックとは「若彦」の「じゃく」のことです。
 ですから、この話は、「アマノジャクと瓜子姫」というバージョンで伝わっています。
2、ジャックは、牛を牽いて登場します。牽牛です。
3、ジャックは、蔓を伝って天界に行き、鬼に出会い試練を受けます。
 天稚彦の話も蔓で天界に辿りつき、鬼から試練を受けます。
4、金銀、金の卵を産む鶏、竪琴を取り返します。
 これは、天稚彦が、琴座のベガである織姫をゲットするのと同じです。

こうして、イギリスの民話の「ジャックと豆の木」と「天稚彦」の話と全く同じモチーフでできている同じ話であることがおわかりになったでしょう。
ちがうのは、日本では、家庭で、夏の夜空の星を見上げて、牽牛と織女のロマンを思い描く行事になっていることです。「節分」の豆撒きも「ジャックと豆の木」の話にリンクしているのではないでしょうか。もし、豆を撒かなかったなら、ジャックは三種の宝物を取り返せなかったでしょうから。



大国主と生太刀、生弓矢、天の沼琴
シーター様は、
 「スサノオが、オオナムチに難題をだして、スセリヒメがオオナムチを助け、
 生太刀、生弓矢、天の沼琴を手に入れて葦原中津国にもどる」

という「古事記」のシーンを「吉備大臣入唐絵巻」から連想されたそうです。
20万人に達したといわれる「吉備大臣入唐絵巻」を見た方々のうちで、この絵巻から「出雲大社」と「オオナムチ=大国主」と「生太刀、生弓矢、天の沼琴」を想起した方が果たして何人いたでしょう。
まさしく、この「連想」は、「吉備大臣入唐絵巻」製作者たちが意図したとおりであろうと思われます。
そして、「古事記」の「オオナムチ=大国主」と「生太刀、生弓矢、天の沼琴」の話が、「天稚彦」や「ジャックと豆の木」の話と同じ内容であることがわかります。
ここに取り上げた絵巻や物語は、たんなる「民話」や「民間伝承」や「巻絵」の域をはるかに超えたメッセージ性を帯びた作品群であり、スサノヲが天界の鬼であり牛であり、それを継いだ大国主も同じく鬼で牛で、「生太刀、生弓矢、天の沼琴」という三種の神器を手にしていたということを告げるために製作して、あちらこちらにばら撒かれたものです。そして、それが、どのようなものであるかを伝えようとしているのだということが推理できるでしょう。


ここに、もうひとつ不思議なことがあります。天稚彦は、わが国典「古事記」と「日本書紀」にでています。
天稚彦の妻の下照姫の詠んだ歌というのが「古事記」の次の歌です。
 
 天なるや 弟棚機(おとたなばた)の項(うな)がせる 玉の御統(みすまる) 
 御統に 足玉はや み谷 二渡らす 
 阿遲志貴高日子根(あじすきたかひこね)のぞ

この七夕の歌は何を意味しているのでしょう。
みすまるの玉は、「古事記」の「天の香山の五百津(いおつ)真賢木を根こじにこじて、上枝に八尺の勾璁の五百津の御すまるの玉を取り付け、中枝に八尺の鏡を取りかけ、・・・天宇受売命、天の香山の小竹葉(ささば)を手草に結ひて、天の岩屋戸にうけ伏せ、蹈みとどろこし神懸りして、胸乳をかき出で、裳緒(もひも)をほとにおし垂れき。」を意味しているのです・・。また、ササが出てきました。

そして、この「ホト」とはヘテ、即ち、ヒッタイトです。「踏み」に蹈鞴(たたら)の「蹈」を使っていることに注意してください。
そして、「胸乳」については、トルコで、アルテミスの乳だらけの異様な神像をご覧になったかたも多いでしょう。トルコの土産屋では、「乳石」なる「目玉」様のガラスのお守りを大量に売っています。「胸乳」とは、この「三輪の同心円」ではないかと思うのです、そして、その同心円は「矢の的」であるからして、「大和」であり、「子宮」にしてホト=ヘテでもあります。

ということで、天宇受売命とは、アルテミスではないかという謎が浮上したことになります。現在のトルコのエフェソスにはアルテミスの大神殿があって、地母神・出産の女神として熱い信仰を集めていました。
ゼウスの子である「アルテミス=月とアポロン=日」の二人は「日月一対」として語られています。「日月一対」は「目一対」として表されることがあるのです。ここに、「イザナギの右の目から生まれたというアマテラス」や「スサノヲと鉄」との関係が垣間見えます。
そして、その目とは、「キャピタルマーク」でもあり、アトランティスの二つの首都を現していたのです。
それは、また、「アテナとヘファイストス」との関係なのです。ヘファイストスは鍛冶神で「一つ目」をシンボルとしています。ゼウスの前額から誕生したアテナ女神の「知恵のシンボルの梟」は有名ですが、梟の特徴はその「丸い大きな目」です。ですから、この二人も「目一対」なのです。


ところで、天稚彦=天若彦は、トゥト・アンク・アメンなのです。ですから、天の川というのはナイル川のことなのです。
ナイル川を天の川に見立て、オリオン座の三ツ星をギザの大地にピラミッドとして並べた、太古の先人たちの壮大な業については、次の項目を見てください。天の川を見る目が今日からは変わるでしょう。そして、牽牛の牽いてい少し大きい文字る「牛」とは?
 29 オリオンミステリー
  3 浦島太郎とアトランティス



「牽牛と織女」の謎

天稚彦の妻下照姫の棚機(たなばた)の歌
五節句様から、次のようなコメントをいただきました。こうして、「太古の謎」と「星と七夕のロマン」を、語りあうことができるということは嬉しいことです。

 下照る姫の歌は、私が、「古事記」 の深い魅力に気付く切っ掛けになった歌です。
 その歌について書いたブログ記事のURLを貼り付けさせて頂きます。
 → http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/39148857.html)
 
 「あまなるや ~」 という始めのことばの、その五つの音の繋がりからして、
 そこにある語の一音一音には、きっと重要な意味がある と、思いました。
 「玉のみすまる」は、私は昴(プレアデス星団)のことだと思っています。
 昴は現代でも、晴れた夜空に肉眼で見ることが出来ます。
 これは、無数の星々が光を絡ませあっていて、レースのよう・・、蜘蛛の巣のようにも見えます。
 七夕の歌のこの歌に蜘蛛の巣が入っているのは、とても暗示的な意味合いにもなりますから、
 やはり、玉のみすまる は昴のことだったのだと、考えをより強くすることが出来ました。


そうなのです。「玉のみすまる」は、天の安河(天の川)に神々が集まって作った神宝を言っている(「古事記」)と同時にスバル星をも指しています。
プレアデスという言葉は棚機姫を意味していますし、ブレアディスの七つの星をアトラスの七人の娘の名に宛ててあります。
この七人は、日本でも、棚機七姫という美しい名で伝わっていて、その対訳を示せば次のようになると、木村鷹太郎氏は、「星座と其神話」に書いています。 

 メローペ      夕顔姫 薫(たきもの)姫
 アステロペ     朝顔姫
 エレクトラ     糸織姫 
 タウゲタ      ささがに(蜘蛛)姫
 ケーライノ     梶の葉姫
 アルクオネ     百子姫
 マイヤ       秋去り姫

これらのブレァディスは牡牛座(タウロス)の肩のところにちりばめられている星々です。
そして、天の川を挟んでの「七夕の織姫と牽牛」のはなしは、「ブレァディスとタウロス」と互換性を持たせてあります。
タウロス座の目の部分にはヒアデス星座も散らばっており、こちらは、あめふり星と呼ばれています・
このタウロス座の中に位置する「スバルとアメフリボシ」は、「丹後の風土記」では、浦島太郎の妻の「亀姫」
の国の人々です。
そして、ギリシャ神話では、「スバル=ブレアディスとアメフリボシ=ヒアディス」は、アトラスの子供たち、即ち、アトランティスを記念した星座なのです。

こうして、五節句のうちの七夕祭りは、結局、アトラス=トロアス=タウロスを記念しているのです。

詳しくは、既に、下の記事に書いてあります。
3  浦島太郎とアトランティス
4  浦島太郎と彦穂々手見命

この2項目を読んでくださればわかりますように、結局は、七夕の行事は、
 1、天の川とはどこか。
 2、アトランティスとはどこか。
 3、トロイアはどうなったのか。
この三つの謎の答えを迫るものであったわけです。

この1の答えが、天の川とはナイル川であったことを、さきに「オリオンミステリー」でかみました。
 29 オリオンミステリー


ですから、ナイル川の流域の宮殿に住んでいたツタンカーメンの妻のアンケセアメンが、自分の兄弟のアジスキタカヒコネの身分をあかす歌に中の、「ミタニフタワタラス」という言葉は、「本当は、ミタンニ国(じつは、この国もヒッタイトの分家)とフタ=プタ=エジプト」の両国の領有権を持っている」という意味であると考えられます。
ということは、当然「神宝のみすまるの玉の保持者である」という意味であろうと考えられます。
これは、国譲りと神宝譲りの真相に迫る謎歌でありましょう。 





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