与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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41 世界最大級のミステリー 「魏志倭人伝」

80 邪馬台国への行程

方向・距離ともに整合する説は邪馬台国エジプト説

「魏志倭人伝」の約2000字には、邪馬台国の位置解明に必要な情報として、
方向記述18ヶ所、距離記述16ヶ所があり、
戸数記述8ヶ所についていえば、邪馬台国の7万余戸を筆頭として、5万余戸、2万余戸という巨大都市が含まれています。
人名・官名は72ヶ所も出現します。
これだけの詳細かつ具体的な情報を無視することはできません。
倭人伝の里程・日程・方向および四大国の位置関係と自説との整合性を立証しない限り邪馬台国論争は決着をみません。

2~10までを検証します。

2 從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。
3 始度一海、千餘里至對馬國。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百餘里。
  土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸、無良田、食海物自活、乘船南北市糴。
4 又南渡一海千餘里、名曰瀚海。至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里、
  多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。
5 又渡一海、千餘里至末盧國。有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛、行不見前人。
  好捕魚鰒。水無深淺、皆沈沒取之。
6 東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸。
  世有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。
7 東南至奴國百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。
8 東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。
9 南至投馬國水行二十日。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。
10南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、
  次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。


訳文
2 郡より倭に至るには、海岸にしたがいて水行し、
  韓國をへて、しばらく南し、たちまち東し、
  その北岸の狗邪韓國に到る。七千余里。

3 始めて一つの海を渡ること、千余里で、對島国に至る。
  其の大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。
  居所は絶島で、方四百余里可り。
  土地は山険しく深林多く、道路は禽や鹿の径の如し。
  千余戸有り。良田は無く、海の物を食べて自活し、船に乗りて南北に市糴す。

4 又、南へ一つの海を渡ること千余里。名づけて瀚海と曰う。 一大国に至る。
  官は亦卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里可り。
  竹木叢林多く、三千許りの家有り。いささか田地有り、田を耕せども猶食うに足らず、
  亦南北に市糴す。

5 又、一つの海を渡ること、千余里にして末盧国に至る。四千余戸有り。
  山海の水ぎわに居る。草木が茂盛し、行くに前が見えず。人々好んで魚や鰒を捕らえ、  
  水の深い浅い無く、皆沈没して之を取る。

6 東南へ陸行すること五百里にして、伊都国に到る。
  官は爾支と曰う。副は泄謨觚.柄渠觚と曰う。千余戸有り、
  世々王有るも、皆女王国が統属す。郡使が往来するとき常に駐まる所なり。

7 東南へ奴国に至る、百里。官は兕馬觚と曰い、副は卑奴母離と曰う。二万余戸有る。

8 東へ行くと不弥国に至る、百里。官は多模と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有る。

9 南へ投馬国に至る、水行二十日。官は弥弥と曰い、副は弥弥那利と曰う。
  五万余戸ばかり。

10南へ邪馬壹国に至る。女王の都する所、水行十日、陸行一月。
  官は伊支馬有り、次は弥馬升と曰い、次は弥馬獲支と曰い、 次は奴佳鞮と曰う。
  七万余戸ばかり。

 

邪馬台国エジプトへの行程


邪馬台国への行程
倭人伝 邪馬台国への行程
注 表の左端の番号は、上記の記事の番号です。
  実距離は、グーグルマップ距離測定ツールによる計測で、概算です。



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