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与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

49 世界最大級のミステリー 「魏志倭人伝」

88 邪馬台国への行程  7 奴国

「魏志」倭人伝」
7 東南至奴國百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸

7 東南の方に百里(10Km)行くと奴国に着く。
  官を馬觚という。副官を卑奴母離という。二万戸余りある。

奴国とは、ペロポネソス半島東部アルゴリス国のアルゴス府。「アルゴス」は船の意。また、船はギリシャ語でナウ Naus と言い、これが「ヌ」となった、と、木村鷹太郎氏は解いています。
当然ナウプリオスやミケーネを含む領域だったと考えられます。
そして、ここも卑弥呼の支配下にあったことが、「卑奴母離」即ち、卑弥呼の船を守護するという官名から読み取れます。

アルゴスのナウプリオス=奴国はポセイドンの息子が創った都市だといわれています。
「馬觚」という官名は、ポセイドンのしるしが「三叉の鉾」「目=三輪」「馬」「いるか」でもあるところから、ポセイドンの「馬」にちなんだ名であると思われます。
ギリシャ神話では、「ヘーラ女神が100眼のアルゴスにゼウスの愛人イヨ姫を見張らせた。」という話がありますが、それはまた、このアルゴスの地が、ペロポネソス半島界隈での船舶の交通や交易を監視するネットが張り巡らされていたという一面を物語っていると考えられます。

後のギリシア人にとっては、ミュケーナイ遺跡の獅子門の一部などのような、先人が残した大掛かりな巨石建造物を、「一つ目巨人キュクロープスの石造物(Cyclopean masonry)」と呼び倣わすようになったといいます。キュクロープスの一人ポリュペーモスがポセイドンの息子ですから、「一つ目」印の「三輪」が、鍛冶神の印であるばかりではなくポセイドンの印でもあることがわかります。
プラトンは「三重の同心円」をアトランティスの「都市」であると書いています。それは、今日なお「キャピタルマークとして使われています。、

プラトンは、「クリティアス」と「ティマイオス」に、ポセイドンはアトラスの父であると書き、別の記事では、ポセイドンがオリオンの父であると記しています。

アトラス=トロアス=イリオン=オリオンでありトロイアであることについては、このブログですでに説明しましたが、それはまた、ポセイドンやタウマと伝えられている「海神]にして「龍王」でもあったのです。海神の娘に豊玉姫と玉依姫=イリスがいて、豊玉姫が彦穂々手見命という「ヨセフの息子エフライム」と結婚して「ウガヤフキアエズ」というアトラスを産んだ事を解明できています。このことを証明するノガ「古事記」と「聖書」と「ファイストス円盤」なのですが、すると、かのクレタ島の「ミノス王」がポセイドンであることがわかるのです。

これは、どの方向からつっこんでも崩すことができないように「ギリシャ神話」と「古事記」「日本書紀」が絡み合ってガードしています。そこへ、「聖書」と「ファイストス円盤」という馬力のある天馬が加わったわけですが、この天馬は「魏志倭人伝が敷いたレール」を、一直線に駆け抜けるようにできていて、地中海に於ける倭人の歴史の道をパノラマのように見せてくれるようになっています。


この、「奴国」ナウプリオスのエリアには、ティリンスというミケーネ遺跡がありますが、ここにはミケーネ時代のダムの建設跡もあります。このダム建設の高度な技術とエジプトの高度な建設技術との類似点に
ついては、マーティン・バナールの「黒いアテナ 古典文明のアジア・アフリカ的ルーツ」に具体的に書かれています。この書の第一巻の副題は「古代ギリシアの偽造 1785年―1985年」というものですが、わたくしのこのブログは、少なくとも「アテナとアジアそして日本」の解明となり、「古代ギリシアの偽造 1785年-1985年」を証拠付けるものとなりましょう。
なぜなら、アテナ女神の首飾りは、トロイア=日本の神宝であり、今、日本(関東以北)に存在するからです。

「奴国」ナウプリオスのミケーネは、アルゴリス平野を一望のもとに望む南北交通路の要の位置にあって、紀元前17世紀末に著しく台頭し、ミケーネ文明(後期のエーゲ文明)でも重要な中心地の一つとなっていました。

ミケーネはトロイ戦争の一方の舞台、「黄金に富むミケーネ」の王アガメムノンの居城があったとされ、墓地からは、黄金のマスクなどが発見されました。ホメロスの、「黄金に富むミケーネ」という形容が、ドイツ人シュリーマンのこの発掘によって史実だったことが証明されたとして有名になったところです。
ミケーネから、ミノア文明に影響を受けた美しいフレスコ画や豪奢な邸宅や壮麗な部屋が発掘されていますが、ミケーネとミノア文明のヌ維持の謎も、このエリアがミノス王の子孫の卑弥呼の支配下だったことが分かった今、その謎は解明されていくでしょう。
第一、ミケーネとは、我が国の「三毛入野命 御毛沼命」というウガヤフキアエズ=アトラスの息子であってみれば、そこが「倭的」であるのも不思議ではありません。


ミケーネ宮殿内の西側城壁近くの邸宅遺跡から、1970年に出土した「宮廷婦人の像」と呼ばれるフレスコ画は、宮殿で祭祀を司る女性を描いたもので、ミケーネ宮殿の崩壊時期に比較的近い時代、おそらく紀元前13世紀の作品と推定されています。
ミケーネ 壁画

 
また「宮廷婦人の像」が出土した場所と同じ宮殿・南翼部の「宮殿聖所」から出土した「三女神フレスコ画」が、ミケーネ考古学博物館(1987年当時/アルゴス地方ナフリオン考古学博物館)
で展示公開されています。
    
ミケーネは、城壁正面の獅子門や黄金のマスクが発見された円形墓地、王宮跡や秘密の貯水池、高度な技術の石積みの「アウトレス宝庫」など・・・、ギリシャの古代遺跡見学の目玉的存在です。

ここからナウプリオスに行く途中にもヘーラ女神の神域があります。
卑弥呼とは、「ヘーラ神」祭祀の権限と、ペロポネソス半島全域を一手に掌握していた女王であった様相を示しています。

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